〜高橋信次先生の教え〜

神理と真実の追求

私の人生の師である、高橋信次先生の教えをこのホームページを通して伝えていきます。


 

高 橋 信 次 著 「悪 霊(Ⅰ)」の 要 約

 

(1)はじめに

 

 霊の世界というのは、実際には、日常生活と密接に関係している。夢を見る、直感が働く、以心伝心、噂をすれば何とやら、という事柄は、すべて霊の世界に関係がある。三次元はいわば立体の世界で、光と影の混ざり合った世界である。霊の世界はどうかというと、光と影の明暗がはっきり分かれた世界である。地獄に堕ちた霊人は自分の心を自分で縛っているので、その行動範囲は狭く、ある一定の場所に屯することになっている。例えば、墓とか家とか、自殺者の多い場所にいる。(いわゆる地縛霊になっている。)彼らはこの範囲内の3次元は自由である。

 

 私たちが心の中で、物を考えたり、思ったり、念じたりすることによって、先ほどの霊人たちと関係してくる。私たちの心は、あの世の霊人たちとツウツウなのである。つまり、テレパシーとか、透視とか、読心術、念力などの働きは、霊人たちの作用で起こるものなのである。守護霊が背後で働いて、人の心に示唆を与えたり、力を貸したりするからである。

 

 思うこと、念ずることが正しくないと地獄霊(悪霊)がその人を支配してしまう。正しくない心とは、人を憎む思い、怒り、嫉み、愚痴、中傷、足る事を知らぬ欲望などの想念行為をいう。何故、正しくないかというと、自己保存が主体になっているからである。私たちの生活は自然界の意思に沿って生活することが大事で、他を生かし、助け合う協調互恵の心が必要であり、自己保存ではない。

 

 ところが文明社会の中で育つと、内向的な人は孤独になり、ノイローゼ、精神病になっていく。反対に外交的な人は、唯物思想にかぶれ、物を主体にした考えに陥り、闘争は激化していく。この本で扱っているのは、主に内向的な人たちの姿である。高橋信次先生のところに来てノイローゼから救われた者、病気が平癒した者、様々であるが、その根本は自己保存に基づく怒りや、憎しみが発端になっている。悪霊に憑依されると、元の自分に戻ることは難しい。なぜなら、一度憑依されると、憑依の道筋が出来、その道筋を完全に塞ぐには絶えざる努力と勇気がいるからである。こうした病気にならない人は、憑依されていないかというと、そうではなく、憑依されている時間が短いというだけのことである。つまり、自己保存の強い人は、誰も悪霊の影響を受けており、鬱病にならないものは、躁病の気質を持ち、いつでも病気になりうる要素があるということである。闘争に明け暮れている者の背後には、阿修羅という悪霊がおり、それらが嗾けているのである。

以下、blogに参照します。

 

 正史を覆す「大化の改新」の真相

(1)  はじめに

  私は、以前から天武天皇(大海人皇子)の生年月日が不明であることに疑問を持っていた。天武天皇は「古事記」と「日本書紀」の編纂を命じた本人であり、不明であるはずがない。生年月日を空欄にした理由があるはずだと思っていた。

 私は仮説として中大兄皇子よりも年上ではないかと考えていた。あるいは、大海人皇子と中大兄皇子は兄弟ではなかったのではないかとさえ思っていた。

 しかし、中丸薫著「古代天皇家と日本正史」徳間書店を読み、驚いてしまった。私の予想をはるかに超えた事実が、そこに書かれていたからである。そこで、明治天皇の孫であり、国際政治評論家の中丸薫先生の本に従って「大化の改新」の真相について纏めてみようと思ったのである。

(2)「大化の改新」とは何か?

 「大化の改新」とは645年に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蘇我入鹿(そがのいるか)を宮中で暗殺し天皇を中心とする律令国家を建設しようとした事件であると教えられてきた。

 そこで「日本書紀」に書かれている大化の改新について検証してみたい。

「陰謀に共鳴する協力者をえた中大兄と鎌足は、三韓(高句麗、新羅、百済)の調進の日に飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)に入ろうとする蘇我入鹿をだまして剣を取り上げ儀式の最中に暗殺しようとするが、肝心の刺客は怖気づき、業を煮やした中大兄は自ら剣を取って入鹿に斬り付ける。負傷した入鹿は、天皇の座近くに取り付いて命乞いをする。ところが、何も知らない天皇は、大いに驚いて中大兄に何事なのかと問う。その返事を聞くと天皇は黙って立ち上がり大極殿の中に入ってしまう。そして、入鹿は殺される。」

疑問点を列挙してみたい。

    入鹿殺害に当たり中大兄は、長槍を持って隠れていたはずなのに、いきなり刀で入鹿に斬り付けたとある点に疑問がある。

1、槍は中大兄のような王族が持つにふさわしい武器ではない。

2、実践の体験者でなければ槍は使いこなせない。

3、中大兄が実践の体験者でなかったのは、丸腰の入鹿を一気に斬り殺せなかった事実が裏付ける。

4、中大兄が隠れていたとする「日本書紀」を文字どおり解釈するならば、皇太子ともあろう人が、国の重要な儀式に参列していなかったことになり不自然である。

5、鎌足は弓を持って隠れていたので、槍を持って隠れていたのは誰か?

「日本書紀」は陰謀の中心人物を意図的に隠している。(大海人皇子が陰謀の中心人物であった。)

    入鹿殺害には、目撃者がいた。「日本書紀」では、舒明と馬子の娘、法提朗媛(ほていのいらつめ)の子とされる古人大兄(ふるひとのおおえ)である。古人の証言を「韓人が入鹿を殺した。私の心は痛む。」という言葉で記している。

1、入鹿を殺したのが中大兄である以上、韓人とは中大兄をさす。中大兄は他国の皇太子だったのか?(中大兄は百済の皇太子であり客人だった。)

2、入鹿が殺される際に中大兄に向かって「私は知らない。何事なのか」と聞いた天皇とは誰のことか?(正史では時の天皇が皇極=斉明だとされているが、不自然である。つまり、時の天皇は古人だったのである。)

3、入鹿が殺害される以前に蘇我一族から完全に無視されていた倭王がいたが誰か?(それは山背大王=やましろのおおきみである。)

 

(当時の朝鮮半島と日本列島の政治的背景)

    蘇我氏は利益を確保して寄生虫的に甘い汁を吸うことができれば良かった。強力な倭王(天皇)は、いない状況が良かった。それゆえ、聖徳太子は煙たい存在だった。

    聖徳太子が不審な死を遂げる4年前の618年に隋のヨウ帝が殺された。そして、隋と戦い続けていた高句麗の嬰陽王も急死し、栄留王(えいるおう)が後を継いだ。この栄留王は642年のクーデターにより惨殺されるまで親中国派として唐に従い続ける。

    百済と新羅は長い間、死闘を繰り返していたが、百済は伽耶と同盟し、新羅は高句麗と同盟した。伽耶が6世紀の中頃に消滅し、新羅に組み入れられたことで朝鮮半島のパワーバランスが急変し、それが日本列島にも影響をもたらした。

    7世紀に入ると新羅・唐の同盟と高句麗・倭国・百済の同盟という図式が出来、660年に百済が滅亡するまで続いた。百済が滅亡して倭国が朝鮮半島に出兵した頃、新羅では文武王(ぶんぶおう)が即位して反唐にまわり、新羅は高句麗・倭国に協力するようになる。

    百済の武王は聖徳太子と、その後継者(山背)とは友好関係にあり親唐とも反唐とも取れる政策によって高句麗との勢力のバランスを取り、新羅と戦いながら40年以上にわたって百済を統治した。

    武王も641年の内乱で殺され、より鮮明に反唐的な立場をとる義慈王(ぎじおう)が即位する。武王の妃と子は、済州島に島流しになり高句麗人(蓋蘇文)に救出され倭国に亡命している。

    高句麗の栄留王は642年のクーデターにより殺され、その主謀者が蓋蘇文(がいそぶん)という軍人である。蓋蘇文は高句麗の独裁者となり傀儡の宝蔵王(ほうぞうおう)を立てた。

    643年、高句麗が百済と連合して新羅の入唐の道を塞いだ為、新羅は唐に救援を乞う。唐の太宗が使者を三国に派遣して諭告したので百済は陳謝した。倭国で唐が承認する山背倭王が殺されたのはこの時で、太宗は高句麗との対戦を固めた。唐の太宗が高句麗討伐に打って出た原因は、栄留王が殺害されたクーデター事件とされている。

    山背大王(やましろのおおきみ)の一族は643年の末に蘇我入鹿によって殺されたが、これは入鹿の独断ではなく高句麗が裏で糸を引いていたのである。

    当時の構図は蘇我氏と百済・高句麗が同盟し、親唐だった新羅が山背に近かった。蘇我入鹿は高句麗・百済勢力を利用して山背を倒したのだが、最終的に逆に利用された。蘇我蝦夷は、政治取引の危険性を知っていたから入鹿の行き過ぎに激怒したという。

(3)  聖徳太子没後の内紛

①「大化の改新」は聖徳太子の没後に発生した後継者争いにある。

 聖徳太子が亡くなって間もない625年に高句麗が、僧の恵潅(えかん)を来航させて倭国に政治的介入をしてきた。蘇我蝦夷は古人の即位が困難と判断し現状維持に努めていた。聖徳太子は山背を後継者として指名し、田村皇子に後見を頼んだが、蘇我馬子は孫である古人の即位を望み、山背の即位を引き伸ばしていたのである。

 唐では626年に太宗が、高租を幽閉して退位させ政策を転換した。この太宗が山背を倭王として要求した為、古人の即位を望んだ蘇我氏も山背即位を承諾せざるを得なかった。山背の即位そして古人の立太子ということで唐・百済・蘇我氏の倭国間で妥協が成立した。

  「日本書紀」では山背王朝の存在を隠匿しているが、山背は推古末から643年までの15年間、倭王だった。山背大王は実権がなくても聖徳太子の後継者としての自負があり徹底して蘇我一族を退けたのである。そのため、入鹿によって殺されたのである。

    山背王朝を隠すために舒明朝が捏造された。

舒明天皇とは、百済の武王のことである。百済の武王の治世を倭国に投影させた。架空の王朝を捏造した目的は、山背王朝の存在を隠匿するためである。武王が死んだ年に「日本書紀」の舒明朝は終わる。

「日本書紀」では山背と田村(舒明のこと)は、王位を争った形になっているが、舒明(武王)は百済にあって山背と共同して蘇我一族と対抗していた。舒明天皇は、中大兄(天智天皇)と大海人(天武天皇)の父であり「古事記」を撰集した天明天皇に至るまで諸天皇の祖というべき地位にある。

    古人大王は蘇我馬子の孫である。

百済の武王は倭国に来たことがあり蘇我馬子の娘である法堤郎媛との間に古人をもうけている。入鹿が643年に山背一族を殺した目的は、馬子の孫であり武王の子である古人の即位にあった。

 ④「大化の改新」で入鹿が暗殺された時の天皇こそ古人であった。

   中大兄が入鹿に斬りつけたので大いに驚いたのである。身の危険を感じた古人は、退位して僧侶姿となり吉野に隠遁するが、その年のうちに謀反の罪で一族ごと殺されてしまう。古人は中大兄と異母兄弟であったにもかかわらず、蘇我氏傀儡の倭王であった為に殺されたのである。

  古人が即位していたという事実は、万世一系がこの段階ですでに破綻していたのである。舒明朝を捏造し、この事件を「皇極紀」に入れるなど入鹿殺害時の天皇が誰だったのかを曖昧にしたのである。

(4)  天智天皇(中大兄)と鎌足の関係

    中大兄は百済の武王の子、翹岐(ぎょうき)である。

中大兄は正式に儀式に参列する要人ではなかった。百済の客人だったからである。武王は641年の百済の内乱で命を落とし、642年に王妃と王子らが島流しとなっている。中大兄はこの時、母親や妹と共に島流しになった百済王子の翹岐である。亡命王子であるため倭国朝廷の儀式に参列していなかったのも当然である。

    母である皇極(斉明)天皇は百済の妃「宝(ほう)」であった。

「日本書紀」では百済の客とあるが使者より身分の高い王族を示す以上、翹岐とその家族である。翹岐は山背大王からも蘇我蝦夷からも快く迎えられていた。翹岐は663年の白村江の戦いで朝鮮半島に渡って戦っているが、目的は百済復興により百済王として即位することであった。しかし、不可能であると知ると倭国に戻った。

    鎌足の隠された素性

「日本書紀」に「百済の大佐平・智積(ちしゃく)らを饗応した」とある。大佐平とは太政大臣に匹敵する位で王に次ぐ要職である。智積は642年2月の末に死んだとあるが、智積こそ鎌足のことである。百済では死んだことにして来倭した智積は宮中から帰る途中、翹岐の屋敷を訪ねている。智積は百済の義慈王から山背王朝打倒の密命を帯びて来倭した。百済と高句麗が絡み、百済の大臣が亡命した百済王子(翹岐)を利用して政府転覆を図ったのである。鎌足は翹岐を追放した百済の大臣であり最終的には天智天皇によって賜死させられている。鎌足は大海人(天武天皇)のために働いていたのである。鎌足は天智から藤原姓を受けた形になっているが実際には天武朝以降に追贈された可能性がある。鎌足は高句麗の人であって百済の大臣であっても本来の百済人ではなかったからである。

(5)  陰の権力者は誰だったのか?

    朝鮮半島の政治的状況

1、663年の白村江の戦いは新羅が唐と同盟して百済を滅ぼしたことにより、発生したと解釈されている。しかし、新羅の武烈王(金春秋)は王であっても、国内で支配力はなかった。百済の義慈王に対しては娘を殺されたという個人的怒恨はあっても百済を完全支配しようとは考えていなかった。

2、百済を660年に滅亡させたのは唐であり、唐の標的は蓋蘇文の高句麗だった。高句麗に手を焼いていた為、百済を切り崩すことにしたのである。

3、伽耶建国王の末裔、金庾信(きんゆしん)は内心では反唐だった。そのため金庾信が率いる新羅軍は百済軍とは正面から戦わなかった。

4、663年の白村江の戦いでは、百済が滅亡したので倭国の遠征軍と百済復興軍が合ったが、金庾信の甥・文武王の新羅軍は交戦せず、倭国の兵卒を無罪放免している。

5、文武王と金庾信は最初から唐の高句麗戦に手を貸す意志はなく、高句麗の蓋蘇文と内通していた。

6、倭国の斉明(武王の妃)と新羅の武列王は唐に承認されていたが、2人は同じ頃、不審な死を遂げている。その背景には高句麗の蓋蘇文と新羅の文武王そして金庾信がいた。

7、親唐に転向した天智(翹岐)の近江朝は新羅にとっても危険な存在になっていた。

8、大海人(天武天皇)は新羅や高句麗の軍事力によって「壬申の乱」に勝利し天武天皇として即位した。

9、文武天皇は681年に日本に亡命した文武王その人であり、その母は「うのさらら」(持統天皇)であり、金庾信の妹・宝姫(ほうき)である。日本の律令体制は新羅のものを見習っていたのである。

    斉明と大海人の関係

1、ゾロアスター教徒である斉明天皇は倭国の風土になじめなかった。斉明の出自は伽耶の王族である。斉明朝を実際に動かしていたのは中大兄と大海人である。大海人が倭国にいない時は鎌足(智積)が中大兄の動きを監視していた。

2、古人一族を殺したのは中大兄ではない。中大兄の妃は倭姫王(やまとひめみこ)で古人の娘であり殺すはずがない。

3、山背、蘇我蝦夷、入鹿、古人殺害の一連の事件の陰の主役は大海人であり長槍を持って隠れていたのは武術に優れていた大海人の存在を示している。

4、斉明(皇極)は最初に高向王(たかむくのおおきみ)と結婚して漢皇子(あやのみこ)を生んだとされる。その後、舒明(武王)と結婚して2人の男子と1人の女子を生んだ。舒明とは百済の武王であり、斉明は百済王妃の宝である。3人の子とは葛城(中大兄)、間人皇女、大海人皇子のことである。

5、大海人は百済で内乱があった641年に百済にいなかった。わかっているのは、百済王室から離れて育ったからであり、斉明が最初に生んだという漢皇子というのは架空の人物で外国に養子に出された大海人と重なる。大海人は高句麗に養子に出された。(私は漢皇子=大海人ではないかと考える。そのため、中大兄よりも年上だった為、自分の生まれた年を空欄にしたと思料される。)

6、斉明は父方が中央アジア人でも、母方は金庾信一族に近い伽耶の王族で斉明も伽耶で育った。

7、舒明の子・古人倭王が異母兄弟でありながら中大兄を「韓人」と呼んで「韓人が入鹿を殺した。わが心は痛む。」と言った謎が解ける。韓とは伽耶を意味していた。

8、斉明亡き後、中大兄が即位する以前に大海人が妹の間人(はしひと)を倭王として擁立していた。しかし、間もなく不審な死を遂げるが、その犯人は中大兄しか考えられない。

 

  古代最大の内乱とされる「壬申の乱」で近江朝を壊滅させて天武天皇として即位し、現人神として君臨すると同時に「古事記」「日本書紀」の編纂を命じ、中央集権国家確立に向けた政策を打ち出していく。「日本書紀」は即位前の大海人の半生については沈黙している。編纂者である舎人親王(とねりしんのう)は天武天皇の皇子であるが、653年以前の大海人については完全に沈黙している。

  この謎解きに大きな鍵を与えてくれるのが、中大兄、大海人兄弟と三角関係にあった額田王(ぬかだのおおきみ)である。額田王は中大兄を「ヒョーギ大兄」と呼び、大海人を「マリキ大相」と呼んでいた。ヒョーギとは百済語で翹岐であり、大兄とは皇太子のことである。大相とは国王に次ぐ官職でありマリキとはアラビア語で王を意味する。大海人は古代シュメールとも関係の深い人物だった。

    大海人は蓋蘇文である。

1、「日本書紀」では「百済客」とあるが百済王妃の宝(斉明)、皇太子の翹岐(中大兄)そして妹の間人(はしひと)である。「高句麗客」とは大海人の存在を示している。

2、蓋蘇文の名は韓国や北朝鮮では小学生でも高句麗の英雄として知られている。彼は栄留王と政府首脳を惨殺し、高句麗の権力を掌握して莫離支(まりし)と称した。蓋蘇文の容貌はひげが濃く、彫の深い容貌で身体はたくましく立派だったとある。蓋蘇文は本国では死んだことにして倭国に移住した。

3、「日本書紀」によれば、大海人が倭国にいたのは653年、661年、664年である。642年 蓋蘇文は平壌でクーデターを起こした。

643年 翹岐らが「高句麗の客」に伴われて倭国に亡命し山背が殺されたが、この年蓋蘇文は高句麗にいない。

644年 蓋蘇文は蘇我一族を滅ぼすため来倭した。

645年 唐の太宗は蓋蘇文を討伐するため高句麗に遠征しているが、蓋蘇文は倭国にいた為、戦いには登場しない。倭国では入鹿と古人が殺され「大化の改新」といわれた。

646年 高句麗の宝蔵王が唐に謝罪の使者を送るが返礼として高句麗に来た唐の使者に蓋蘇文は傲慢だったとあるから、蓋蘇文は高句麗にいた。

647年 太宗は2度目の高句麗討伐をするが、649年に太宗が死んで一時中断する。蓋蘇文は唐を挟み撃ちするために中央アジア諸国を外交的に回っていた。

653年 初めて「大海人」が「皇弟」として「日本書紀」に登場する。

 

  蓋蘇文は647年に長安に姿を現して以来、661年まで「三国史記」に登場しない。662年正月に高句麗にいたことは明らかである。「高句麗本記」に蓋蘇文が唐と戦い勝利したとあるからである。

中大兄が見知らぬ倭国で蘇我氏滅亡の陰謀に加担することに同意した動機は何か?

それは、島流しの憂き目にあって消沈していた時に実力で高句麗の独裁者になった弟から計画を聞いたからである。

中大兄は陰謀に積極的に協力した。白村江の大敗の後でも、唐から倭王として承認される可能性が生じれば即座に親唐に転向した。

大海人が天智即位の席で長槍を床に突き刺し、不満を露骨に現したのは、大海人が倭王として擁立した妹の間人(はしひと)を暗殺したからである。「壬申の乱」は秒読みの段階に入っていた。

中大兄は百済・義慈王が唐に連行された為、自らが百済王となる可能性が出てきたことを知り百済の復興に熱心に乗り出し、唐と戦う。しかし、百済王としての即位が不可能と知ると大和に帰ってしまう。白村江で倭の水軍が破れた時、中大兄は現地にいなかった。

蓋蘇文にとって高句麗を救援することが最大の優先事項だった。中大兄や斉明が百済復興が最大関心事だったのに対し、蓋蘇文は倭国兵の犠牲には目をつぶっていた。結果的に白村江の戦いは中大兄にとって決定的打撃だったが、大海人には高句麗があり、文武王と金庾信の新羅は同盟国だった。倭国における百済の影響の後退は、大海人に有利に働き、翌年に間人を倭王として擁立している。この時点で大海人は倭王になる野心はなかった。

当時は、倭国でも王になるには唐の承認が必要だった。中大兄は唐の仇敵・蓋蘇文に協力して、唐の承認した山背王を殺害している。唐は中大兄の妹・間人の即位を認めるしかなかった。即位した間人が翌年、不審な死を遂げると中大兄は倭王として認められようと親唐に転向し、天智天皇として即位する。

 

 (6)「壬申の乱」の実相

  ①「壬申の乱」の背景

  百済の王子だった天智天皇(中大兄)は実践体験がなく、その子・大友は軍事については無知であった。671年の天智暗殺と同時に「壬申の乱」が始まらなかったのは大海人側の新羅軍や旧高句麗などからの援軍の到着が遅れた為だった。戦闘が短期で終結したのは高市が大海人に寝返ったことが大きい。高市は天智の子で大友の妃となっていた大海人と額田王の娘である十市に惚れていた。大海人は子供が幼かった為、高市と父子関係を結んでいる。中大兄が済州島に島流しになった時、島の女性に生ませた子だから「壬申の乱」の時には29歳ぐらいであった。高市は大海人に寝返れば、倭王の座と十市が自分のところに転がり込んでくると計算した。しかし、大海人は高市を全く信用していなかった。

  「大化の改新」の最大の目的は倭国を急速に律令国家として固め高句麗、百済の反唐ブロックに組み入れることだった。蘇我氏の除去は百済・義慈王と、その大臣智積(鎌足)の綿密な協力のもとに実行された。当初の予測に反し、百済は唐の攻撃によって滅亡し、義慈王は唐に連行され殺された。鎌足は天智によって殺されたが、蓋蘇文は鎌足の努力と新羅・文武王、金庾信らの協力によって天武として即位することができた。天武は国家意識を植え付けるためペルシャ式の現人神の概念を導入し、律令国家の確立にむけ政策を打ち出すのである。

  大海人は自らが倭王になる意志は最後までなかった。高句麗の大莫離支(だいまりし)にして占術、忍術の達人であった害蘇文は表面に出たり王となったりしない方が自由に活動できると考えていた。

1、       高句麗でのクーデターの後、宝蔵王を立てた。

2、       山背討伐を入鹿と中大兄の功労とした。

3、       蘇我氏滅亡に際して中代兄に花を持たせた。

4、       斉明を倭王に即位させた。

5、       中大兄を倭国の皇太子にさせた。

6、       妹の間人を倭王に即位させた。

7、       「壬申の乱」直前には倭姫王の即位を提唱した。

  「日本書紀」は隠蔽しているが、天武は最後に唐の圧力と干渉をかわすため実権を握ったまま名目上、大津に禅譲した。

②天武天皇が伊勢神宮を確立した。

 蓋蘇文は天武となり「日本」という国号も「天皇」という倭王の称号も670年代に始める。天皇の即位儀式と祭祀制度を定め、伊勢神宮は皇祖神を祭る国家奉祭の神宮として確立したのも天武である。(生存中は仁武であったが天武は死後におくられた諡号である。)

 「記紀」の編者は伽耶、高句麗系の王族のみを「天孫降臨」の系統として正統な倭王の条件とした。

 邪馬台国は一種の植民地であり、その本国は朝鮮半島にあった。その後、半島南部の倭を征服したのが伽耶である。

 律令制度による国造りに一番熱心だったのは反唐の天武であり、その後、大宝律令を完成させた文武(新羅・文武王)である。

(7)新羅・文武王とは誰か?

①新羅・文武王の出自

1、天武朝は高句麗、伽耶を強く意識し、半島を統一した新羅と強い連帯感があった。文武王は韓国でも三国(高句麗、新羅、百済)統一の偉業を成し遂げた名君として誉れ高く文武大王と呼ばれている。

2、文武王は金春秋(部列王)の三男とされているが血縁はない。確実なのは、文武王が母方だけから見ても伽耶建国王の子孫である。母方の伯父は新羅軍・金庾信であり、伽耶建国王の12代目最後の伽耶王の子孫にあたる。

3、金庾信一族は中央アジアのクチャにルーツを持つ金官伽耶の王族で金庾信には宝姫(ほうき)と文姫(ぶんき)の2人の妹がいた。文姫は金春秋と結ばれて文武を生んだとされているが、これは表向きの話である。金春秋が文姫と結ばれたのは蹴鞠の時、金春秋が文姫の美しさに見とれて2人は結ばれたという。しかし、宝姫には子供がいて金春秋を次の新羅王として認める代わりに宝姫の子を金春秋に育てさせ、その子を立太子させるという政治取引があった。金春秋は654年に武列王として即位するが、その支配力は弱く、伽耶王族の金庾信の支持が必要だった。

4、金春秋(武列王)の長子、金仁間は太子になれず、宝姫の生んだ子が新羅・文武王として即位する。金庾信、文武王は蓋蘇文と緊密に協力して唐に対抗する。文武王の実の父母は蓋蘇文(天武)と宝姫(持統)であった。

  大海人(蓋蘇文)の母親・斉明は金庾信にも血縁的に近い伽耶の王族であった。金庾信は蓋蘇文を有望と認め妹の宝姫と結ばせた。その後、間もなく蓋蘇文は高句麗でクーデターを起こし独裁者となり宝姫は新羅に留まっていた。

  「記紀」が伽耶の建国神話を倭国の天孫降臨神話に活用して伽耶王族の正統性と高句麗式の現人神概念を強調した。

②新羅は「壬申の乱」に介入していた。

1、671年の天智の死後、間もなく大友(弘文)は正式に即位した。「壬申の乱」が発生したのは672年である。

2、近江朝の後方援護を狙う唐軍と大海人を支援する新羅の戦いであり、文武王が平壌周辺で唐軍と交戦したのは日本上陸阻止だった。「壬申の乱」は7月末に大友の死によって決着がついた。

3、文武王としては倭国で大海人が勝利した以上、唐軍と戦う理由がなくなり、9月には唐に謝罪の書を送り賠償を払っている。

4、文武王が大海人(蓋蘇文)の長子であるという事実は秘密だったからである。鎌足は大海人の忠臣で新羅軍の倭国派遣を正式に依頼するジェスチャーとして金庾信に船を贈った。その結果、鎌足は天智に賜死させられている。

5、文武王は内外の事情を考慮して王位を金春秋の子に禅譲する。文武王は新羅で681年に死んだことにして、日本に亡命し南の吉野に入った。新羅の時代の王たちは、すべて陵墓があるのに文武王だけは遺書によって例外的に火葬されたとされ墓らしきものは残っていない。

③文武王の年齢の謎

1、文武王は軽皇子(かるのみこ)として吉野に蟄居していた間、藤原不比等らの協力を得て政治的復活の機会をうかがっていた。

2、697年に文武王は伊勢、東国の旧伽耶・新羅勢力を持って高市を倒して文武天皇として即位する。正史では文武は草壁の長子だったから長子相続の原理が適用されたとするが、草壁は即位する前に百済勢に殺されていた以上、文武の長子でもない。

3、文武天皇が15歳で即位したというのは、亡命して政治的な活動を始めた年から15年という意味である。「日本書紀」に文武は生まれつき白髪だったとあるのは、成人して倭国に来たという意味と新羅王を示す「白髪」の暗号が重なっている。

4、文武は「うのさらら」の子である草壁の子とされているが、実際は草壁より20歳も年長で60歳くらいで即位した。結局、文武天皇は11年間在位し新羅の場合と同様、日本でも名君として後世から讃えられた。

(8)高市の反乱と持統天皇の謎

①持統朝の7年間は高市天皇だった。

1、天智の娘・大田姫が生んだ大津皇子は天武の長子とされているが、天武は大津の母方の百済勢力を警戒して大津を後継者にする意志はなかった。

2、天武が大津によって殺された後、「うのさらら」は高市と組み大津を失脚させ水死の刑に処させる。

3、その後、草壁は即位できず、不審な死を遂げ、高市の権力は増大する。しかし、「うのさらら」は、数年かけて国内の新羅勢力を使いつつ、高市の政治をなし崩し的に崩壊させ、最終的に文武即位を実現させる。

4、文武の実母は「うのさらら」であり伽耶の王族の金庾信の妹、宝姫である。宝姫は640年頃、蓋蘇文の子を産んだ後、高句麗には行かず新羅に留まっていた。661年に蓋蘇文が娜大津(なのおおつ)に帰ってきた時、翌年の662年に草壁を産んだ。白村江の戦い後、大海人に従って草壁と一緒に初めて倭国に渡った。文武と草壁は同母兄弟ながら年齢が20歳以上も異なり、その間に兄弟がいなかった。

 

  草壁が不審な死を遂げた翌年の690年に即位した持統天皇は天智の子・高市だったのである。高市が天皇として即位していた事実は高市の子・長屋王の邸宅から「長屋親王」とある木簡が発見されていることからも確実である。(親王の称号は天皇の皇子にのみ与えられる。)

  文武と「うのさらら」の新政権は高市が死んだ後、長屋王には格別な配慮を与えた。しかし、長屋王は藤原不比等の子らによって自害させられた。高市天皇の持統朝は百済勢力が地盤であった。「書記」は「うのさらら」が即位して持統天皇になったように書いて高市とすり替えている。その目的は7年間の高市天皇の存在を隠蔽するためである。

②「日本書紀」は正統な歴史書ではない。

1、「日本書紀」は倭王を理想化するために架空の人物や王朝を捏造したりしている。山背大王と古人大王の存在が抹殺され、その空白を埋めるため架空の舒明朝が挿入された理由は、聖徳太子の王朝と蘇我氏の滅亡の双方に中大兄(翹岐)と大海人(蓋蘇文)が関与していたからである。

2、間人女王の存在が抹殺されたのは間人を殺害したのが中大兄だからであり、大友(弘文)天皇を抹殺したのは大海人だからである。

3、間人女王と大友(弘文)天皇の2人の倭王は短期間即位していたが、その存在を認めると「万世一系」の大義名分が崩れるからである。大津は天武殺害に関与した。この行為は王にふさわしくない上、認められるべき行為ではなかった。よって、大津天皇の存在は消され「日本書紀」では草壁に対して謀反があったように書かれた。

4、高市は大津を扇動し天武を殺させた後は大津を反逆罪として失脚させて殺し、キトラ古墳に埋葬した。689年に27歳の草壁が急死して、690年に高市が即位しているから草壁を殺したのも高市と考えられる。

5、高市は呪術に長けた人だった。息子の長屋王も呪術を行っていた。729年2月長屋王が密かに呪術を行っているという密告があった。舎人親王、新田部親王、藤原武智麻呂(不比等の長男)に糾弾され翌日、自殺した。いわゆる長屋王の変である。

6、持統天皇が「うのさらら」にすり替えられ高市天皇の存在が抹殺された理由は王としてふさわしくない行為があった為と考えられる。

 

  高市は天智の子であり天智は天武に殺された。高市は壬申の乱で日和見的に天武と父子の縁を結ぶが天武朝では冷遇された。そのため、天武と額田王の娘・十市を毒殺し大津を騙して天武を殺させたというのが真相である。

  高市は天武を呪うため高松塚を作り天武陵から遺体を移動させた。その後、政敵である天武の子孫を呪う目的で盗掘に見せかけて天武の頭蓋骨を盗み出させ砕いて撒き散らした。

(9)まとめ

大化の改新は亡命百済王族を利用して、蘇我入鹿一族を滅ぼし、倭国を反唐陣営に組み入れるという国際的な陰謀であった。この陰謀の中核が百済の義慈王とその大臣であり、高句麗の独裁者だった蓋蘇文その人であった。蓋蘇文は後世、天武天皇と呼ぶが蓋蘇文はシュメールの末裔であることを強く意識していた。

聖徳太子は蘇我氏の影響力を排除して新羅・高句麗をモデルにした国家としての体制を整えようと試みた。その最大の障害が蘇我氏であった。

最古の文明であるといわれるシュメール文明は中央アジアのタリム盆地に発生した。セム人たちによって、その文明は受け継がれ、最終的には今日の西洋文明を生んだ。その文明も終末に近づいている。最新の文明は最古の文明への復帰を余儀なくされている。シュメールへの復帰とは創造神への復帰である。

シュメールから連なる日本天皇家にはバックボーンに厳として創造神が存在し、そうした観点から未来に向けた希望として天皇家もとらえていくべきである。神武天皇以前から日本の皇祖先の天照皇大神は宇宙創造神の志を受けて使わされた。万世一系とは、その志を霊脈として受け継いでいく道である。

 

(10)おわりに

シュメールへの復帰とは古代日本への回帰を意味している。吉田信敬著「超古代日本語が地球共通語だった!」徳間書店 によるとペトログラフ(古代岩刻文字)のルーツは古代日本にあるとしている。つまり、「日本は超古代の文明の中心であり、日本に生まれた文明が世界に伝播していった。」と考えられている。シュメールへの復帰とは日本の原点に戻るということである。

「記紀」によると日本人は文字を持たないため書き残した文献は全くないとされているが、古史古伝(古事記以前の古代史料)は沢山存在している。古史古伝の内容が「記紀」の内容と異なる部分が多く、偽書とされ禁断の書とされてきた。

「記紀」も編纂者によって都合の良いように改竄されていることは明らかであり、古史古伝を偽書と決め付けることは出来ない。21世紀に入り真実の歴史を明らかにする時期が来ていると考える。歴史学者は勇気を持って日本の真実の歴史を明らかにする義務があると考える。

 

  古史古伝

古書三書→竹内文書(タケウチモンジョ)九鬼文書(クカミモンジョ)宮下文書

古伝三書→上記(ウエツフミ)秀真伝(ホツマツタエ)三笠紀(ミカサフミ)

その他→東日流外三郡誌(ツガルソトサングンシ)物部文書 安倍文書 

    カタカムナ文書

波動指数と格闘技

「波動指数」とは波動の強弱を一目でわかる指数で表したものであり、当初は選挙の有利・不利として開発した尺度です。波動指数を格闘技にも応用してみました。

(1)2019年12月24日の格闘技

①WBA世界ミドル級ミドル級タイトルマッチ

村田涼太(1986年1月12日→⑥①③)→26ポイント

スティーブン・バトラー(1995年9月2日→⑥⑨②)→27ポイント(トリプル転換点)

 村田はバトラーを5回2分45秒でTKO勝ちした。村田は序盤からワンツーを中心に圧力をかけ5回に右の連打から左のフックでバトラーを倒した。7月の王座復帰戦の初防衛を果たした。

 波動指数を見ると、バトラーはトリプル転換点であり、自分の実力を発揮できない状態であった。それゆえ、村田にとって有利に作用したと考えられる。

②WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ

寺地拳四朗(1992年1月6日→③①⑥)→23ポイント

ランディ・ペタルコリン(1991年12月31日→②⑫④)→10ポイント

 拳四朗は3回右のボディストレートでダウンを奪い、フックの連打で3回目のダウンを奪った。4回左のボディフックでKOした。これは波動指数通り,拳四朗の勝ちとなった。

③IBF世界フライ級タイトルマッチ

 八重樫東(1983年2月25日→③②⑦)→23ポイント

 モンティ・ムザラネ(1982年10月6日→②⑩⑥)→9ポイント

ムザラネは11年間無敗の強豪である。それに対して、八重樫は2年半のブランクがある。私は波動指数では八重樫が有利だが、2年半のブランクが問題だと思った。アスリートは練習を1日休むと元に戻るのに3日必要だと言われている。それゆえ、八重樫のブランクはどうなるのだろうかと思っていた。心配した通り、だんだんスタミナが切れて、8回でグロッキーになった。9回でレフェリーストップとなった。波動指数的に見れば、確かに八重樫が有利であるが、11年間無敗の強敵に勝つには、20ポイント以上の差が必要だったと思われる。

(2)大晦日の格闘技

①WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ

井岡一翔(1989年3月24日→⑨③⑥)→24ポイント(ダブル転換点)

ジェイビェール・シントロン(1995年2月8日→⑥②⑧)→35ポイント

 井岡は、1回~3回は様子を見ていた。シントロンの方が波動指数通り有利に試合を運んでいた。4回からは、井岡のジャブが当たるようになり、距離感をつかんできた。5回からは井岡のペースになり、余裕を持ってシントロンを挑発したりした。結局、キャリア(経験値)の差が出た試合だった、井岡はシントロンのボディを攻撃し、スタミナを奪う作戦に出た。シントロンは2度もテーピングがずれたことにより、体を休める作戦に出た。それほどボディを打たれ限界だったのである。波動指数はシントロンが有利だったが、シントロンのスタミナを奪い井岡のキャリアが上回った試合だったと言える。

②WBO世界フライ級タイトルマッチ

田中恒成81995年6月15日→⑥⑥⑥)→29ポイント(ダブル転換点)

ウラン・トロハツ(1993年3月5日→④③⑤)→24ポイント

 田中恒成は3階級制覇(ミニマム級、ライトフライ級、フライ級)している。1回から田中がプレッシャーをかけてトロハツをコーナーに追い詰める。3回に左右のボディ攻撃でトロハツはグロッキーとなる。3回ボデイィの連打と最後は左アッパーでトロハツをKOした。波動指数通り田中の圧勝であった。

③那須川天心対江端塁戦

 那須川天心81998年8月18日→⑨⑧⑨)→42ポイント 

 江端塁(1991年1月10日→②①①)→17ポイント

 那須川は昨年の大晦日にボクシング元世界5階級制覇者フロイド・メイウェザーとエキシビジョンマッチで1回TKO となった。しかしこれは、キック禁止のハンデマッチであり、誰が考えても那須川の勝利はなかった。キックボクサーにキックを禁止したら、メイウェザーにとっては赤ん坊の手をひねる様であったろう。体格差もあり、無謀なハンデマッチであった。那須川が日本人最強の刺客と言われる江端塁を問題にしなかった。同じ条件で戦えば、メイウェザーといえども那須川は互角に戦えたのではないかと思われる。江畑戦の試合は、波動指数通り那須川天心の圧勝であった。

④朝倉未来対ジョン・マカパ戦

 朝倉未来(1992年7月15日→③⑦⑥)→33ポイント

 ジョン・マカパ(1995年4月7日→⑥④⑦)→32ポイント(ダブル転換点)

 両者互角だったが、若干、朝倉の方が優勢だった。マカパはグランド(寝技)に持ち込もうとするが、朝倉がこらえた試合展開だった。結局、波動指数通り、朝倉の判定勝ちとなった。

⑤エメリヤー・エンコ・ヒョードル対クイントン・ランペイジ・ジャクソン戦

 ヒョードル(1976年9月28日→⑤⑨①→完全な大物)→24ポイント(ダブル転換点)

 ジャクソン(1978年6月2日→⑦⑥②→隠れ大物)→41ポイント

 ヒョードルは60億人分の1と称された最強の格闘家であり、生年月日に①⑤⑨を持つ完全な大物である。それに対してジャクソンも生年月日に②⑥⑦を持つ隠れ大物である。大物同志の戦いはどうなるかと思っていたが、ヒョードルの方が試合巧者だった。一方的な試合展開であった。これがヒョードルにとって、日本最後の試合となった。

⑥朝倉海対マネル・ケイプ戦

朝倉海(1993年10月31日→④⑩④)→17ポイント

マネル・ケイプ(1993年11月14日→④⑪⑤)→18ポイント

 これはバンタム級タイトルマッチで戦ったが、ケイプがグランド(寝技)に持ち込み、朝倉をTKOした。グランドに持ち込もうとするケイプに対し、打撃で応戦する朝倉の対戦だったが、波動指数通り、ケイプが勝った。兄の未来はグランドに持ち込ませなかったので判定勝ちしたが、弟の海はづランドに持ち込まれて負けた。

⑦浜崎朱加体ハム・ソヒ戦

浜崎朱加(1982年3月31日→②③④)→14ポイント(ダブル転換点)

ハム・ソヒ(1987年3月8日→⑦③⑧)→48ポイント

 浜崎はグランド(寝技)で攻撃しようとしたが、首を三角締めで苦しめられてしまった。そのため、判定で負けた。必ずしもグランドでは上にならなければ有利になるとは限らないことを示した試合だった。波動指数が及ぼした効果だった。

高橋信次著 「悪霊1」の要約

 

高 橋 信 次 著 「悪 霊(Ⅰ)」の 要 約

 

(1)はじめに

 

 霊の世界というのは、実際には、日常生活と密接に関係している。夢を見る、直感が働く、以心伝心、噂をすれば何とやら、という事柄は、すべて霊の世界に関係がある。三次元はいわば立体の世界で、光と影の混ざり合った世界である。霊の世界はどうかというと、光と影の明暗がはっきり分かれた世界である。地獄に堕ちた霊人は自分の心を自分で縛っているので、その行動範囲は狭く、ある一定の場所に屯することになっている。例えば、墓とか家とか、自殺者の多い場所にいる。(いわゆる地縛霊になっている。)彼らはこの範囲内の3次元は自由である。

 

 私たちが心の中で、物を考えたり、思ったり、念じたりすることによって、先ほどの霊人たちと関係してくる。私たちの心は、あの世の霊人たちとツウツウなのである。つまり、テレパシーとか、透視とか、読心術、念力などの働きは、霊人たちの作用で起こるものなのである。守護霊が背後で働いて、人の心に示唆を与えたり、力を貸したりするからである。

 

 思うこと、念ずることが正しくないと地獄霊(悪霊)がその人を支配してしまう。正しくない心とは、人を憎む思い、怒り、嫉み、愚痴、中傷、足る事を知らぬ欲望などの想念行為をいう。何故、正しくないかというと、自己保存が主体になっているからである。私たちの生活は自然界の意思に沿って生活することが大事で、他を生かし、助け合う協調互恵の心が必要であり、自己保存ではない。

 

 ところが文明社会の中で育つと、内向的な人は孤独になり、ノイローゼ、精神病になっていく。反対に外交的な人は、唯物思想にかぶれ、物を主体にした考えに陥り、闘争は激化していく。この本で扱っているのは、主に内向的な人たちの姿である。高橋信次先生のところに来てノイローゼから救われた者、病気が平癒した者、様々であるが、その根本は自己保存に基づく怒りや、憎しみが発端になっている。悪霊に憑依されると、元の自分に戻ることは難しい。なぜなら、一度憑依されると、憑依の道筋が出来、その道筋を完全に塞ぐには絶えざる努力と勇気がいるからである。こうした病気にならない人は、憑依されていないかというと、そうではなく、憑依されている時間が短いというだけのことである。つまり、自己保存の強い人は、誰も悪霊の影響を受けており、鬱病にならないものは、躁病の気質を持ち、いつでも病気になりうる要素があるということである。闘争に明け暮れている者の背後には、阿修羅という悪霊がおり、それらが嗾けているのである。

 

聖徳太子「未来記」の要約

聖徳太子の「未来記」が世に出たら必ず仏教が滅亡するとされている。「未然紀」が社会的預言であるのに対して「未来記」は政治・宗教関連の預言で占められている。「未来記」の真の呼び名は「日本国未来記」という。「未来記」は「未然紀」と同じように三義預言になっている。当時の過去・現代・未来を同時に預言していたのである。

(1)「未来記」序章の現代語訳

 これは日本の道義がすたれた時代を預言するものである。今から600年の時が過ぎ去った後より記す。

聖徳太子が亡くなったのが622年であり、「未来記」は、その600年後の1222年から起こる日本の出来事を預言している。何故、太子の死後600年後から預言を開始したのか?それは、1222年に日本人にとって重大な出来事が起きた年になり、日本を滅びに導く者の生誕を示すからである。つまり、日本を滅ぼす三悪僧(一遍・日蓮・親鸞)の中で最も悪僧である日蓮が誕生したのが貞応元年2月16日(1222年3月30日)である。(日蓮はその罪業により600年間、地獄で反省させられている。)日蓮の教えを継ぐ者(創価学会)も日本を滅ぼすものとして聖徳太子は預言している

(2)「未来記」第1章の現代語訳

 二人の王は位を争い、二人の家臣は政治について、とやかく口をはさむ。黒鼠(主家に忠実でない奉公人)は朝飯を食らい、黄龍(天子)は金殿において即位する。兄王は西の海に沈み、武士が宮中にまで入り込む。三種の神器の一つである宝剣を失い、なお、戦乱はおさまらない。弟王は王位を譲られないまま位に就く。神璽と明鏡は武士によって再び宮廷に戻る。

(歴史的事実)

 鎌倉幕府の北条義時と朝廷の後鳥羽上皇が争っていた。土御門天皇が即位してはいたが、実質的権力は院政により後鳥羽上皇が握っていた。北条義時は二代目の執権として鎌倉幕府で権力を握っていたが、「承久の変」(1221年)で大軍を京都に派遣し、三上皇の配流と天皇廃位を強行していた。その結果、六波羅探題が京都に置かれ、鎌倉幕府の執権政治を揺ぎ無いものとした。これ以後、天皇は飾り物に過ぎなくなる。聖徳太子は朝廷の三代に渡る院政が腐敗政治を生み、武家の台頭を招き寄せて、天皇自ら島流しにあう時代を先見していた。

(歴史的現代)

 黄龍である昭和天皇は1928年11月に金殿となる京都御所で即位の大礼を行い天皇となった。その直後、二つの武力勢力が動き始める。日本陸軍と日本海軍である。日本海軍の方が陸軍より先に設立しているので兄は海軍である。明治初期は海軍が主で陸軍が従だったが、西南戦争(1877年)で薩摩勢力が退行すると陸軍が勢力を持ち始める。海軍の青年将校らが1932年5月15日に首相官邸に乱入し、犬養毅首相を射殺する。このテロで日本の政党政治は瀕死の状態になる。次に1936年2月26日に陸軍の青年将校らが首相官邸を急襲し、高橋是清蔵相などを暗殺した。家臣である軍人たちが政治に介入し始めたのである。それを機に陸軍が一気に暴走を開始する。1937年7月7日「盧溝橋事件」を起こし、中国侵攻を開始した。その後、議会の命令を無視して結果的に「南京事件」を起こし、日本を泥沼に引き込んでいく。昭和天皇が臨席した御前会議にも陸軍・海軍の軍人が出席し時局の判断を誤っていく。大本営が発表する戦果も水増しデータで上層部が訂正を加えた出鱈目情報ばかりだった。弟である陸軍は太平洋戦争の主導権を握り続ける中、兄である海軍は西太平洋で全滅の憂き目にあう。昭和天皇のポツダム宣言を受諾した時、神璽である真の支配権は軍の手から離れ去ったのである。

(歴史的近未来)

 第二次世界大戦後に国際連合が設立された。それは世界の金殿であり、平和の旗印でもあった。国連自体が錦の御旗となったのである。軍事力で対峙するのはアメリカと旧ソ連(ロシア)である。旧ソ連はロシア帝国時代から連綿と続く歴史を持つ兄であり、歴史の浅いアメリカは弟となる。自由主義経済で豊かになったアメリカは旧ソ連を軍拡競争に巻き込み、旧ソ連を経済破綻させてしまう。結果的にアメリカは国連で主導権を握り世界最大の超大国として国連を牛耳るに至った。

(3)「未来記」第2章の現代語訳

 藤花はちりぢりに廃れ、源葉が太政大臣、左大臣、右大臣の位に就く。公家は年々衰え、武士はしばしば盛り栄える。日本国すべてが武家の占領するところとなる。はや三代が経過して、尼女が将軍となり、武道を支配する。三人の天皇は島流しとなり、武将が朝廷を包囲する。

(歴史的事実)

 栄華を極めた藤原氏による貴族政治も衰退する。代わって源氏が台頭し、太政大臣、左大臣、右大臣の位に就く。公家の勢力は年々衰え、武士の勢力は盛んになっていく。鎌倉時代は天皇中心の祭政一致政治を配下の者に乗っ取られた時代といえる。それは院政を敷き、朝廷を堕落させた側の責任ともいえるが武力集団に力で剥奪されたからである。鎌倉時代以降の日本は群雄割拠の時代となり戦乱の時代を迎え国土が荒れ果てていく。北条時政の娘だった政子は、源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流されて来た時に妻となり頼家と実朝を産んでいる。頼朝の死後は尼となり、頼家の将軍補佐として幕政に参加していた。政子によって朝廷の討幕軍が打ち破られ、三人の天皇が島流しの憂き目にあう。一人目は順徳天皇で佐渡に流され、二人目は後鳥羽天皇で隠岐へ流され、三人目は土御門天皇で土佐に流されている。

(歴史的現代)

 徳川幕府の末期の幕臣は武士ではなく遊興に現を抜かす者で溢れていた。薩長を中核とする討幕派は西洋戦術と砲術を学び軍事訓練を欠かさぬ武力集団と化していた。鳥羽伏見の戦い(1868年)により幕府軍は惨敗する。明治新政府が樹立されると薩長土肥で占められ、日本は彼ら新勢力の領土となった。その後、武力で国内外を支配する軍国主義が台頭する。その間、明治・大正・昭和の三代の時代が過ぎ去っていく。1991年にバブルが崩壊するや、2003年まで国内の土地株式などの資産は1389兆円の損失を被り、家計損失は623兆円に達した。(実際は800兆円を越えている。) 日本は一気に陽から陰の時代に突入し、異常なゼロ金利の時代を迎え男の時代は消滅する。

(歴史的近未来)

 アメリカは第一次世界大戦後に国際連盟を設立し、第二次世界大戦後に国際連合を設立したが、そのうち必ず三代目になる「世界政府」を樹立してくる。アメリカの同盟国でもアメリカに逆らう国は除外される。アメリカ国内でさえ、弱者切捨て政策が推し進められ、格差社会が確立している。世界政府樹立後、世界はアメリカの傲慢に業を煮やし、反アメリカ連合が結成される。それが、「ハルマゲドン」を招き寄せる。その直前、アメリカを含む世界中の軍隊がイスラエルに集結する。

(4)「未来記」第3章の現代語

 その時、仏教が盛んになり、僧道が繁栄することになる。法華経と秘密経の両宗派は勢力を増し、その勢いは天台宗の不空の時代を追い越す。戒律と仏心を重んじる両宗派は公平にして誤りが無く、曇無と達磨大師のときに勝るほどである。慧遠や善導のように出家して、浄土宗の僧となる者が多くなる。王臣は思い思いに信仰し、身分の高い人も低い人も一緒に身を寄せる。都や田舎のそこかしこに広まるが、ただ極楽往生のための経と戒めだけで、僧も尼も男も女も専ら念仏の一行だけを修めるだけだ。

(歴史的事実)

「未来記」が世に出れば日本の仏教が滅びると言われている。「未来記」の預言が開始された1222年に、中身の伴わない念仏だけの仏教(親鸞)、踊り狂うだけの仏教(一遍)、過激なだけの新興仏教(日蓮)が台頭し、旧来の仏教も土台が腐り始めていた。法華経は最澄により日本に伝えられ天台宗として発展を遂げている。一方、密教重視の真言宗も勢力を拡大している。仏教を発展させたのは最澄と空海であると聖徳太子は語っている。空海は「仏教」「道教」「儒教」の根本が一つの出所から派生したものとする奥義に到達した。しかし、鎌倉時代以降の仏教界は三教を三宝とし「仏」「法」「僧」と入れ換えてしまう。これが堕落の始まりである。念仏を唱えるだけで極楽浄土に行ける教えは安易なだけに口先の信仰を生み出した。宗教に欠かせない人徳を高める修行や他人のため働く行為、無償の奉仕が影を潜め、信者拡大が主流の仏教が幅を利かすようになった。

(歴史的現代)

 徳川幕府の方針で神仏混交が進み、神道行事に僧侶が、仏事に宮司が同席した。この時、寺は葬式を担当し、葬式仏教の習慣を確立させた。やがて、明治政府の神仏分離により、全国の寺は廃仏毀釈の波にさらされ衰退したかに見えた。ところが、全国の仏教は軍部と足並みを揃え法話を通して多くの兵士を戦場へと駆り立てたのである。江戸時代以降の葬式仏教は日本に再び復活し、敗戦と共に熱狂は冷めて現代に至っている。

(歴史的近未来)

ブッシュ大統領は全国のキリスト教徒に向かって対テロ戦争が平和を招くと演説し、イラクへの攻撃が聖戦であることを強調した。イスラエルのシオンの丘をキリスト教の聖地とし、異教徒は排除すべき対象となる。一方、イラクのサダム・フセインもアメリカを悪魔とし、アメリカと戦うことが聖戦と強調していた。オサマ・ビンラディンもジハード(聖戦)を旗印にアルカイダを組織し、アメリカと同盟国に対し、無差別テロを決行し続けている。アメリカは私利的判断でイラクを侵略し、非難を浴びても居座る構えを崩さない。現在の世界はアメリカを筆頭とするキリスト教国対イスラム教国の新十字軍戦争の状態にある。  (5)「未来記」第4章の現代語訳

 その時、魔王の波旬(はじゅん)が現れて、仏教の名の下に僧家を破壊し、日本国を奪い取って支配した後、鬼国(残忍な国)に貶めようとする。そこで、腹心の三人を僧の姿にさせ、邪道を伝授し、日本の国の全ての人を惑わして、三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)に堕落させようとする。

(歴史的事実)

「未来記」は日本を過たせる仏教僧が三人現れると預言する。(一遍・日蓮・親鸞のことである。) 鎌倉時代は、すべてに末法の時代に突入し、簡単に救いを与えられる浄土信仰が登場すると一気に日本全国に伝播し、関白だった藤原頼道が宇治の平等院に阿弥陀堂を建立するキッカケとなった。「新約聖書」は三善三悪について次のように伝えている。神界を構成するのが三善であり、天の父・子・聖霊であり、地獄を構成している三悪が龍・獣・偽預言者である。

(歴史的現代)

 日本の軍国主義は国内外を問わず大勢の人を地獄に落とし、飢え死にさせ、人を人とも思わぬ畜生に仕立て上げた。国土を焦土と化すまで戦争を継続させ、面子第一で己の身を守ろうとした「鬼」が日本の軍部だった。一億総玉砕を美徳と教え、人権蹂躙と人命軽視の軍国教育は人類最大の悪の極みだった。軍国主義の返礼が二発の原子爆弾だった。明治時代は徳川幕府による不平等条約で縛られ欧米列強の力を排斥する「怒りの時代」で、その頂点が日露戦争だった。大正時代は大陸侵出の野心を継続しつつ、ロシア革命に乗じてシベリア出兵を行い明らかな「貪りの時代」の幕開けとなる。昭和時代は世界が植民地の時代を終えつつあったにもかかわらず、長年の鎖国時代で時代を読めず、無謀な戦争に突入していった。昭和はその意味で「無知の時代」だった。

(歴史的近未来)

 悪魔の絵で最も数多く象徴されている人がアメリカのブッシュ大統領である。アメリカは日本を支配するため新たな占領政策に打って出てくる。アメリカが目指すのは日本本土全体の沖縄化である。仏教に「三善三悪」があるが、「戦争の放棄、戦力を保有せず、交戦権を有しない」とする平和三原則は三善となる。しかし、アメリカの策に乗って憲法第九条を破棄した瞬間、三善は三悪に変貌し、日本は預言どおり「鬼の国」となる。三悪の地獄道を背負うのがアメリカなら、イギリスは便乗して利益を受ける餓鬼道に陥り、日本はNOと言えない犬のような畜生道に陥っている。

(6)「未来記」第5章の現代語訳

 三悪僧の一番目は名前を一遍法師といい、念仏三昧(一心に仏名を唱えること)で自分個人の家を建て、偽りの道理を世の中に広め、僧が女性と交合することを許し、尼と一つの場所で寝起きする。鼠色の衣を身に付け黒衣を戒め踊り念仏を修めて、南無阿弥陀仏の六字の名号を貶める。人々を惑わし、死後極楽浄土に生まれ変われるというお礼を授ける。たちの悪い病気の人を集めては配下とし信敬を受けて施主(僧に物を施す人)を引き寄せ、そして、地獄に堕とそうとする。まさしくこの通りである。

(歴史的事実)

一遍は鎌倉時代中期の僧で、一心に仏名を唱えることで救われると説き、信者を率いて遊行を行い踊念仏で極楽浄土に行けると教えた。その教えは絶対他力である。人の努力など全て無駄と説き、南無阿弥陀仏の六文字を唱えるだけを実践とした。一遍は生涯、寺を持たぬ根無し草として生きた。ただ、念仏だけを唱えて踊り狂いながら国中を漫遊し、あちこちで食料を頂戴していただけである。これは、一種の宗教的ネズミ講であり、一遍の時宗は拡大していった。熊野詣に訪れる大勢の参拝者を狙い、参道で人目に立つ踊念仏を披露し、最後には伊勢神宮の参道でも踊り狂った。

(歴史的現代)

薩摩から生まれた日本軍部は日本を支配しやすいよう天皇を神に祭り上げて現人神とし、軍を皇軍として神聖視させた。さらに死ねば神となる神道の根源を悪用し、靖国神社を興し、死後の保障を安易に約束した。これが国家神道という神道の邪教だった。「軍の言葉を天皇陛下の言葉と思え」で日本を支配していった。これは一遍が仏名を唱えるのと同じ理屈だった。軍は伊勢神宮を要する天下無双の仕組みを汚してしまったのである。

(歴史的近未来)

ブッシュ大統領はユダヤ一辺倒のキリスト教原理主義者で、パレスチナ人をゴミとしか見ていない。対テロ戦争の美名を詔か免罪符のように連呼し、イスラム諸国を侵略している。ブッシュは世界中にアメリカ軍を派兵し、膨大な戦費と人間を無駄に使っている。アメリカと共に行き着く先は地獄である。


(7)「未来記」第6章の現代語訳

釈迦は前もって鑑知(考え悟る)して大乗の大般若経の中に、この旨を解き明かしている。「未来の世の中には多くの悪魔が存在して仏法を滅ぼそうとする。そのため、僧として東海の中の小国(日本国)に生まれ、徒党を組んで邪法を広め人々を惑わして地獄に堕とさせる。」と述べている。

(歴史的事実)

日本の仏教の最盛期は弘法大師の頃で、それ以降のピークを境に徐々に衰退し、様々な安易な教えが登場して、混乱の極みに達していく。それが鎌倉時代である。この時代の悪僧が世相を混乱させ、彼らの死後も教えが残って未来の日本に悪影響を残すことになる。近代の仏教の危機は明治新政府が発令した「神仏分離令」(1868年)である。これにより、一気に廃仏毀釈の嵐が日本国中に拡大し、神仏混交で同境内にあった寺が追い出されてしまう。それでも三悪僧の邪宗は生き残り、未来の日本を破壊するために邪悪の根は生き続けた。

鎌倉時代末期は最澄が唱えた末法思想と共に飢饉や戦乱によって治安が悪化し、僧侶たちの生活も疲弊していった。そういう中で最澄の天台宗から怪しげな教えが続々と湧き出してくる。最初に出てきたのが法然による「浄土宗」で、念仏三昧で救われると説いた。そこから、親鸞による悪人正機説の「浄土真宗」が湧き出し、さらに一遍の踊り念仏によって日本中に飛び火する。その中にあって弘法大師の密教だけは不動の地位を築いて人々の尊厳を得ていく。

(歴史的現代)

戦前戦中の日本は国家神道という似非神道を生み出した国家カルトの帝国だった。今の北朝鮮を見れば分かるが、国家自体がカルト化したら最後、一切の常識は通用しなくなり、世界から孤立する。天皇は神輿に過ぎないので、実態は軍が世界を武力で征服することを意味していた。軍は天皇を錦の御旗に利用し、暴走を繰り返し、占領地を拡大した。それこそが、戦前戦中の日本帝国の真の姿である。

(歴史的近未来)

敗戦後まもなく、吉田茂首相は日本独立の条件としてアメリカに対して米軍基地を日本に置くよう提案している。小泉・ブッシュ関係の中、大規模な米軍再編成が行われ、極東に浮かぶ島全体がアメリカ軍の基地と化すことになった。東の海に浮かぶ小国にアメリカが唱える嘘の教えが蔓延し、アメリカ主導の対テロ戦争の美名に乗せられた日本の最後はアメリカの駒に貶められ、アメリカの邪法を世界中にばら撒く手助けをする羽目に陥る。

(8)「未来記」第7章の現代語訳

「大涅槃経」には末法の時代になると天魔・波旬(はじゅん)が僧侶となって如来の正しい教法に従わず、邪な邪義を作り阿弥陀仏を広めて、その敬虔なる姿を現し、国中を歩き回って仏名を唱える。人々は知らないうちに深く信仰し、あたかも真実の僧であるかのように、恭しく敬って供養するようになると、その国には七難が生ずる。「一は大風の難、二には大水の難、三は大火の難、四は大旱の難、五は大暑の難、六は大寒の難、七は大雪の難。その上、三つの災いが起きる。一は兵乱の災い、二は疾病の災い、三は飢饉の災い」と述べている。

(歴史的事実)

悪僧の教えに民が傾倒した時代、「神罰が天から舞い降りてくるというが、やがて訪れる戦国乱世の時代、無数の民が駆り出され、屍を築いていった。因縁因果が事実なら人々が邪教に従い、自らの身に招いた結果が七難といえる。鎌倉時代といえば、一般の人々は戦乱と干ばつ、洪水による災害で生涯を飢饉で苦しみ抜いた時代だった。仁和寺の坊主が死者の肉を食った記録まで存在する。そんな時、外敵が二度にわたって日本に到来する。「元寇」である。

(歴史的現代)

日本軍部は「教育勅語」による軍国主義を徹底させる。教育勅語は道徳としては全く申し分が無い。ところが、カルト教団が「聖書」を含む様々な聖典や経典を悪用するように軍部も、それを自分たちにとって都合よく解釈して悪用した。獅子身中の虫である国賊は、真の意味を曲解させ、時には確信犯的に変更させた。小学生からそのように教えられ育った子供は軍の思う壺に嵌って命令に従うだけの兵隊に育っていった。「大涅槃経」そのものは正しくとも、その解釈を悪用する僧が布教すると、それを信じた人々は滅びに至る。軍によるカルト化の中で国民は何の疑問を抱かず、軍の妄想に従って地獄のような戦争に巻き込まれていった。

(歴史的近未来)

アメリカは2001年に勃発した「9・11」をキッカケに対テロ戦争を宣言し、国際テロ組織アルカイダに潜むイスラム圏諸国に爆撃を含む侵攻作戦に打って出る。もしこれが日本軍の「真珠湾攻撃」のように日本の攻撃を事前に知っていてわざと攻撃させ、日本を悪者に仕立てた後、「リメンバー・パールハーバー」の大義名分で戦争に打って出たアメリカの常套手段だったのである。J・F・Kの暗殺も軍が裏で指揮して仕組んだテロだった可能性が高く、NSA(国家安全保障局)の関与がささやかれている。アメリカの軍事力を背景とする世界政府の樹立にどうしても「生贄」が不可欠なため、世界貿易センタービルが格好のパールハーバーとなった。

(9)「未来記」第8章の現代語訳

如来の尊い御言葉である大乗の経典は真実を明らかにするものである。人皇96代の帝(後醍醐天皇)は、その宗派を信仰し、洛陽に金殿を建立して、彼の法師(一遍法師)を主とする。3年で七難が起き、7年で三災が顕れる。この帝は武士によって都を追われ、吉野山に身を潜めるが、とうとう戻ることなく終え、それと共に王法も廃れる。盛平9代の家臣もまた邪法を信仰して相模国に道場を建て、彼の法師を住職にするが、7年過ぎた夏の半ばに少数の敵に倒され、一族二百余人皆揃って滅亡する。

(歴史的事実)

一遍の時宗に金殿をもつ寺へ昇格させたのは後醍醐天皇だった。その後、本格的な七難三災が後醍醐天皇自らに降りかかってくる。時宗を受け入れた後醍醐天皇は戦争、内紛、捕縛、島流し、裏切り、賊の災難等に遭遇し、正統な天皇の血筋さえ断絶寸前に追い込むことになる。

(歴史的現代)

大正天皇は明治天皇から昭和天皇へ継承する天皇だったが在位期間は極端に短く、その理由は脳膜炎だったとされる。大正天皇は明治天皇崩御から3年で七難ともいえる立場に置かれ、7年で三災に陥り公務から離れることになる。1926年脳膜炎の病状が悪化し、同年12月25日に大正天皇は心臓麻痺で崩御する。

(歴史的近未来)

その男は世界的規模の大戦争を鎮圧し、国連を解体した後、世界政府を樹立して最初の世界総統となる。未来の世界総統となる男は、最終的にはアメリカ大統領の座を射止め、その後、3年以内で世界的大戦争が勃発する。その男がアメリカ大統領に選出されて、7年間の間に世界では三つの災いが起きる。世界政府の樹立が大統領選出の3年後なら、それから世界に残された時間は4年前後しかない。この男はエルサレムの第三神殿にこもり、北から押し寄せるロシア・中国軍と対峙する。こうして世界は最後を迎える。

(10)「未来記」第9章の現代語訳

二番目は名を日蓮法師という。法華経に則りながら、邪法を述べて自分の宗派を興し、悪口を言っては正法と神(天津神と国津神)を軽んじる。白衣を身に付けて黒衣を避け、経名(南無妙法蓮華経)を唱えて念仏を嫌い、札に書いて出入り口に貼り付け自分自身の生業とする。仏戒を破って法華経に背き、僧の威儀(法則にかなった振る舞い)に合わないことをして、自分から禍を招く。また、広経を手にとって悪賢いことを説き、檀那(僧に金品を施す信者)を惑わし餓鬼道に堕としめる。内は釈尊の優れて霊妙な経典(法華経)から離れ、そして、外は天台宗の教言に背く。そのため、君主や家臣たちは、これを認めず、盗衆と名付け、武士も信仰せずに外道と呼ぶ。それゆえ、この者たちを信仰するのは、専ら職人や遊女、そして商人と漁民だけである。

(歴史的事実)

日蓮は鎌倉時代の僧で法華経の開組である。「南無妙法蓮華経」を唱えるだけで救われるとする。法然の「南無阿弥陀仏」の念仏三昧と同じ仕組みを作り出す。根は同じで違う点は他宗派を全て見下し、罵詈雑言を浴びせ、他人を非難することに終始した。辻説法を得意とした日蓮は南無阿弥陀仏の念仏を唱える浄土宗徒に対し死後に地獄の最下層である無間地獄に落ちると脅す。「念仏無限」といい、禅宗徒に対しても「禅天魔」と叫びながら全て悪魔の教えと断罪した。真言宗徒に対しても「真言亡国」と叫びながら、お前たちがいるので国が滅ぶと罵詈雑言を浴びせかけた。鑑真和尚が伝えた律宗徒に対しても「律国賊」と最大級の誹謗中傷を行い、多くの人々の心を傷つけてしまった。これを「四箇格言」という。その日蓮の慇懃無礼な態度が、当時の閉塞感と欲求不満にあえぐ人々の心を掴み一気に信者を獲得していく。職人、工人、商人、漁民、そして遊女だけが日蓮に集まるに過ぎないとあるが、彼らは一般民衆であり、日蓮の教えが蔓延することを預言したことになる。その結果、天皇の皇位継承が軽んじられ、仏教がさらに空洞化し、挙句の果てに最大の内紛の時代を招き寄せる。下克上の戦国時代の世の中が訪れるのである。

(歴史的現代)

聖徳太子の死亡年は622年2月22日である。その600年後から預言が開始される。つまり、1222年は日本人にとって重要な出来事が起きた年になる。日本を滅びに導く者の生誕を示すからである。日蓮が生まれたのは壬午の貞応元年2月16日(1222年3月30日)であり、日蓮が死亡したのも壬午の弘安5年10月13日(1282年11月21日)である。

戦後、日蓮の教えを継承する政党が台頭してくる。「創価学会」を基盤とする「公明党」である。創価学会は他の宗教を全て邪教とする日蓮原理主義の新興宗教である。1967年、創価学会が憲法第20条の政教分離の原則を無視し、公明党を立ち上げて参院選に出馬する。当時の内閣法制局が憲法を無視してお咎めなしとした為、政教分離がザルになってしまった。「未来記」では日蓮を国を過たせる悪僧という以上、公明党の存在が日本を窮地に陥れると受け取れる。公明党が憲法を犯して政治介入した段階で日本の亡国が決定的になった。公明党は自民党と連立を組むことで、ブッシュ大統領に同調する多くの法案を可決に導いてきた。イラク特措法によるイラク派遣に賛同し、福祉破壊の小泉改革の4年間に年金改正で「百年安心」の誇大宣伝を打ち出し、国会審議も無く年金保険料を毎年引き上げる法案を可決させる。結果、世界一の高齢社会において、保険料を上げて給付額を下げる弱者切捨てのお先棒を担ぐ。全国の高齢者たちは400万人といわれる創価学会の組織票のために、これから先も死ぬまで苦しめられるのである。

(歴史的近未来)

アメリカが唯一の正義であり、アメリカに反する国や支持しない国を敵として格差を付ける手法がまかり通ってきた。これと同じ手法を選挙に用いたのが小泉純一郎である。「抵抗勢力」の名で反対派を十把一絡げで切捨て、正義と悪の対立軸で民主党も巻き込んで切り捨てた。その単純な二極化選挙に多くのマスコミが飛びつき、多くの選挙民が自民党に票を入れた。ブッシュは祈りを唱えながら正法から外れ、行動をもって背いている。イラクは大量破壊兵器など持っていなかった。CIAも大量破壊兵器がイラクに無いと報告していたが、ブッシュ政権はそれを無視した。ビル・クリントンも1998年8月21日に宣戦布告無しで、アフガニスタンとスーダンに向けてトマホークを発射した。最初に対テロ戦争に向かった男こそクリントンだった。女と寝る一遍がクリントンなら、それに続く日蓮に象徴される悪僧がブッシュとなる。

(11)「未来記」第10章の現代語訳

もし、この者たちに帰依する人がいて、真の僧に対するように敬い供養するならば、その身に五病を受ける。いわゆる、一に目が見えない、二に耳が聞こえない、三に口がきけなくなる、四に手足が萎える、五に出来物ができる。さらに次の七禍を得る。一に怒り汚される、二に殴られる、三に縛られる、四に閉じ込められる、五に流罪にされる、六に責めさいなまれる、七に屍を晒される。このように、現世においてその身に十悪事(身、口、意の三業によって造る十種の罪悪(殺生、盗み、邪淫、盲語、綺語、悪口、両舌、貪欲、怒り、愚痴)を受ける。ましてや、来世においては、なおさらである。魔王やその腹心の者たちは外道の棟梁となり、それゆえに、このようになるのである。いわゆる、法華第一に「来世に生ずる悪人は、法華経の教義を聞いて、どうしたら良いのか迷った末に、信じて聞き入れることをしないで仏法に反し、自ら悪道に堕ちる。」と述べている。

(歴史的事実)

盲とは目の前の現実が目に入らなくなることであり、聾とは第三者の忠告も耳に入らなくなることである。口がきけないとは部外者を無視することである。手足が萎えるとは行動が伴わなくなることである。出来物が出来るとは首尾一貫する美しさが無いことを意味する。これらは、現代のカルト教団にも当てはまる。一遍の時宗や日蓮の日蓮宗が世に拡大するに従い、日本中が混乱し、騙し騙され殺し合いが日常となり、野晒しの遺骸で溢れる戦国の世が訪れる。日蓮の原理主義を継承する創価学会が母体の公明党は憲法上、政教分離に違反し、現在も居座り続け日本の未来に関与している。三悪僧の中で日蓮が最悪の僧だった。

(歴史的現代)

国家神道という国家カルトを最大限に利用した日本軍部により日本国民は苦しめられた。歪曲した教育勅語を小学生から叩き込み、神道を捻じ曲げて悪用した結果、国民の大多数は日本は神の国であり、戦争に負けることは無いと妄信した。その結果、日本はカルトである国家神道を掲げる軍に操られ、国土が焦土と化すまで突き進むことになる。戦前、戦中の軍による日本統治下の有様は今の北朝鮮を思えばよい。「未来記」が示唆する現代の日蓮の象徴は公明党である。憲法第20条に抵触する形で存続する公明党は創価学会と表裏一体の関係にある。己以外の宗教・宗派を全て邪教とし、存在を一切認めない創価学会は、その教えに忠実な原理主義集団となり、彼らが政治の主導権を握ったら最後、創価学会に属さぬ者は全て排斥される運命が待ち構える理屈になる。公明党は今でも池田大作名誉会長の影響の下で動く政治組織である。「未来記」は日蓮の教えは亡国に至る危険思想と述べている。そして、創価学会の究極目的は日本制覇であり、その先に続くのは世界制覇となるのであろう。

(歴史的近未来)

近い将来、「対テロ戦争」を錦の御旗として圧倒的武力でヨーロッパを救い、ロシアを追い返し、イスラム勢力を叩き潰したアメリカは、まさに世界の救世主である。その結果、どの国もアメリカに逆らえなくなった。アメリカ主導の世界政府がここに登場する。滅亡から救う英雄となる。そして、ヒトラーでさえ持ち得なかった絶対権力を手中にする。その意味で、男は史上最大最悪の独裁者となる。絶対的軍事力と警察権力を併せ持つ世界総統は、世界政府の指示に従わない国や人間に対し、冷徹な制裁を加える。その世界は言論の自由など全く無く、情報は操作され見るもの読むものは検閲される。これは、魔王による悪魔世界の具現化そのものである。

(12)「未来記」第11章の現代語訳

法華経の第五には「悪い世の中では僧は悪知恵にたけ、心は疑いで歪み、まだ悟りを得ていないのに得たと言っては高慢な心を満足させ、利欲を貪って、自分の身を肥やすことに執着する。それゆえ、白い色の衣で説法しては世間に慎みを持って敬われる。六神通(天眼、天耳、他心、宿命、神足、漏尽)を得た阿羅漢の如く経典を自ら作って世間の人間をたぶらかして惑わし、名誉を得ようとする。そのための思案をめぐらして、この経を説く。何時果てるとも知れない乱れた世の中には、様々な恐怖があり、悪鬼はその身に入り込んで、自分自身を罵り傷つけて辱める。この世の悪僧は、仏の方便やありがたい経典を理解しようともせず、ただ悪口を言い、そうして眉をひそめて度々排斥される。」と述べている。

(歴史的事実)

日蓮は罵詈雑言をいとわない悪口の僧だった。それゆえ、排斥され、伊豆にも佐渡にも流されている。マハトマ・ガンジーと比べると、その差は歴然とする。強大な敵に対しては「非暴力、不服従」の姿勢を貫き、大英帝国を追い出し独立を勝ち得た。

(歴史的現代)

国家神道とは似非神道のことで、神道の名を借りた邪道である。日本古来の神道と精神主義が組み入れられているが、強烈な国家統一主義が欲しい軍が天皇の統帥権を悪用し作った国家カルトというのが実体である。異常な精神主義が現実黙殺や現実逃避を生み出し、現実直視の戦場で大きな矛盾となって露呈した。「一撃必殺」や「大和魂」などは多くの場合は空念仏と同じで、何の役にも立たなかった。軍の狂気による日本民族絶滅を寸前で救ったのが昭和天皇だった。

(歴史的近未来)

アメリカは軍事衛星からの天眼で大量破壊兵器の運搬を撮影したと言い、CIAからの情報という天耳でそれを確認したと言い、NSAの盗聴でイラク内部の交信を他心のように得たと匂わせ、世界平和のための聖戦は宿命と発言し、国連安保理の猛反対を押し切ってまで素早く軍を派兵する神足で行い、戦場の情報を押し隠す漏尽を行った。しかし、全てが嘘から出た憂さ晴らしと私利私欲の戦争だったことが判明し、世界のどこからも支持されなくなっている。日本は公明党が協力してアメリカを支持した為、アメリカ・イギリス・日本の三悪僧に含まれてしまった。これが日本発世界着の躓きの石となった。自民党だけでは自衛隊をイラクに派遣できなかったのだから、亡国と世界滅亡に至る道を開いてしまったかもしれない公明党の責任は重大である。創価学会に内在する邪教と賊の根の深さは計り知れない。

(13)「未来記」第12章の現代語訳

法華経を深く信じて受持、読誦、書写、解説と教法に従い、仏の説いたとおりに実践する仲間は、この悪知識を深く戒め、そうして一途に正法をもってする僧侶を信じるだけである。

(歴史的事実)

鎌倉時代は旧仏教勢力と新仏教勢力が争った時代である。当時、旧仏教諸宗は公家や将軍の庇護を受け、新仏教勢力を弾圧して己の宗教を守ろうとした。その一方で、口先の念仏で極楽浄土を安易に約束する新仏教派は仏教の復興に尽力していた。

(歴史的現代)

国家神道に傾倒し信じきった国家は自らの命を天皇陛下のためにと投げ出していった。日本の軍部は己の私利私欲のために天皇と神道を国民を利用した。まちがいなく国賊である。小泉改革は、ほとんどが看板のすり替えに終始し、官僚の天下りもそのまま維持され、弱者切り捨てで格差社会を生み出しただけだ。本来なら、政権交代で膿を出す必要があったのもかかわらず、与党だけで甘い汁を吸う美食に慣れた公明党が全面協力した為、政治浄化の機会を逸した。創価学会の存在は内から国を食い尽くす獅子身中の虫となる。

(歴史的近未来)

アメリカは世界最大の軍事大国であり、巨大な軍産複合体による兵器輸出が世界一を誇る死の商人国家である。アメリカは現在、その男も利己的で暴力的な手段で弱肉強食による世界政府の構築を練っている。アメリカの軍部は世界政府を樹立する機会を狙っている。

(14)「未来記」第13章の現代語訳

三番目は親鸞法師という。すべての仏を信仰するのではなく、ただ一仏だけを信仰し諸法を学ぼうとしないで、ただひたすら一法だけを修行する。諸処の僧を供養することをしないで自分が育てた僧だけを絶対的に信頼し供養する。黒い色の袈裟を身に付けないで、鼠の毛でこしらえた白い色の法衣を揃え、戒律を守らずに女性と交合することを許し、斉食を実践しないで肉を食べ、そうして仏寺や神社をも汚す。一般の人々を集めては亡くなった人の葬式を行い、それを正体とする。行くべき所に落ち着いた者たちを惑わし、そうして畜生道に堕とさせる。そのため、君主の家来は、これを認めずに、「犬衆」と名づけ、将軍やその兵たちも誰一人信心すること無く、悪党と呼ぶ。この一派は仏法の作法に背き、そして王公や将守の掟にも背く。このことは、戦乱のキッカケとなり、ひいては国を滅ぼす原因となる。それは、固く禁じ、必ず退治しなければならない。

(歴史的事実)

親鸞も天台宗から出てきた僧侶だった。法然が浄土宗を興した後、その弟子の親鸞が浄土真宗を開いた。親鸞は一心に念仏を唱えたら、即、往生が定まるとし、悪人ほど救われると説く「悪人正機説」を表した。こらは、ユダヤ教の一神教の仏教版ともいえる。親鸞の浄土真宗は一向宗ともいい、農民たちに大きな不幸をもたらすことになる。一遍が熊野神宮や伊勢神宮を己の布教の出汁にしたように、日蓮は他宗派を足蹴にすることで布教に成功し、親鸞も浄土信徒を吸収しながら拡大に成功する。しかし、三悪僧はいずれも罪人となる。念仏三昧を説いた浄土宗の法然は土佐に流罪され、親鸞は越後へ、日蓮は伊豆と佐渡に流されている。仏法を誤らせた行為で当然の罪業である。葬式や法事をやるだけでは仏壇はあっても空洞仏教である。口に入るものなら何でも食べる動物と同じで、これを仏教では畜生道という。三悪僧が成したことは末法の世を本当に具現化させたことなのである。

(歴史的現代)

親鸞を三番目の悪僧とするが、歴史順に並べれば、親鸞は三悪僧の中で一番古い。よって、ここは、三時代の昭和ではなく明治を指す。そこに根源が隠されているからである。明治は富国強兵の先駆けで、薩長が軍国化を急ぎ、江戸時代の将軍中心と同じ要を作るため、天皇を現人神にする絶対的宗教が必要だった。そこに登場したのが国家神道である。それは全てを天皇に集約させる祭政一致の中央集権国家体制を意味し、国民には有無を言わさず服従することを強要した。それゆえの「神仏分離令」であり、仏教を排斥したのである。これは明らかに弘法大師が唱えた「三教指帰」の仏教・道教・儒教の根本が一つの出所から派生したものとする奥義を無視した暴挙となった。元々、仏教・道教・儒教の三本柱だった宗教体系を神道一本にした結果、化け物のような国家カルトが出来上がった。その災いが尾を引き靖国神社が中国・韓国に外交利用され、本来の国策を過たせる種となった。天皇は「工、人、白、王」と分解して解釈できるが、その意味は白光する工人(大工)の王の意味で天皇陛下は、その神に仕える階下の者の意味となる。それを履き違えて天皇を神にして暴走したのが日本軍部だった。日蓮は当時、景教として伝わっていたイエス・キリストを邪教として切り捨てたわけだから反キリストとなる。日蓮はサタンの手先となり巧妙に日本の政治に介入して国の未来を奪うことになる。聖徳太子は日蓮を最悪の僧として「未来記」の仕組みの中で預言しているのである。

(歴史的近未来)

超大国アメリカは世界政府樹立のための前提となる大きな戦争を誘発させてくる。その引き金がビンラディンを利用した9・11テロである。全てをアルカイダの仕業に仕立てた自作自演だった可能性が高い。要は日本軍の真珠湾攻撃を察知していながらわざと見逃し、日本軍に攻撃させた後、堂々と参戦したのと同じ手法を用いたのである。アメリカは再び、世界を騙したのである。アメリカを動かしているのは

軍産複合体と呼ばれる陰の政府である。彼らは世界の富の独占を狙う獅子身中の虫といえる。


(15)「未来記」第14章の現代語訳

日本国の仏法の衰えた時代には、彼の三悪魔(一遍・日蓮・親鸞)が世に知れ渡る。見聞するだけでも決してしてはいけない。もし、それが守れなければ六天の魔王(四王天、刀利天、夜魔天、兜卒天、化楽天、他化自在天)が、この地に降り立つ。異国の蒙古はたいそう喜び、牛や馬は人間のように話し、魚の膾には羽が生えて空を飛び、巌石には眼と口が出現し、真夜中に太陽が現れ、月が北の方角から出て来るであろう。

(歴史的事実)

宗派の開祖たる者が罵詈雑言と誹謗中傷を生業としたり(日蓮)安直な救いを約束して布教を広め(一遍・親鸞)武力集団を組織するほど仏陀の教えから離れ去った教えは無い。多くの民が、それに従うことは神仏に逆らうことであり、神仏を軽んじることを意味する。よって、国はさらに乱れ、神罰が民の上に下る時が来る。神仏が激烈な怒りで地を打つとき、主従が逆転し同族が殺し合い、親子が殺し合い、夫婦が敵となって相争う時代になる。農民は戦乱の中で田端が荒され、娘は奪われ売られていく。村や町は焼き払われ、人々の心は荒んで、信義よりも力だけの世の中に向かっていった。すでに鎌倉時代は、その傾向が強く表れ、多くの民は一遍、親鸞、日蓮の魔道の教えに傾倒し、混乱を招いて止まる事を知らない。それに乗じて神仏は仏罰・神罰を与えるため強力な外敵を日本に向かって招き寄せる。

①「牛馬は人の如く」で「午」の方角の南で火を示す。これは、四天王の増長天を意味する。

②「魚膾は羽を生やす」で鳥の「酉」となり方位の西で金を示す。これは、四天王の広目天を意味する。

③「夜半見日」は太陽の「卯」の方位の東の木を示す。これは、四天王の持国天を意味する。

④「北方出月」は北の「子」となり水を示す。これは、四天王の多聞天を意味する。

⑤「巌石」は石で五行配列の中央で土を示す。これは、四天王が囲むこの世のことで日本を示す。

四天王が東西南北を示し、政治に日蓮を受け入れた日本に対し、四天王の鉄槌が下ることを言っている。

(歴史的現代)

六天の魔王とは「四天王、刀利天、夜魔天、兜卒天、化楽天、他化自在天」のことで、これらが降りると、その国は亡国に向かう。明治・大正・昭和の三代を裏で支配した軍の暴走の結果、日本全体に災いとして下っている。日蓮の原理主義を標榜する創価学会が国を動かす現在にも起きると預言する。自民党は長期政権の間に官と手を組んで腐敗し、政官財の底なしの癒着を作り上げた。その結果、バブルを誘発して破裂させ、日本経済を疲弊させた。その後、改革を連呼する小泉純一郎が出てきて全ての福祉制度を破壊させた。日本に不可欠だった政権交代による自浄作用が全く働かなくなり、小泉劇場という末期症状で国民を欺くことにも創価学会は手を貸すことになる。そういう政党を選び続ける日本人が自ら災難を招き寄せる。日本列島を四つに引き裂くプレートが東西南北に配置されている。一方、空間は「木=東、火=南、金=西、水=北」で「中央=土」となり、土は四天王に取り囲まれた世界(土)を意味し、十字架に掛けられた状態を意味する。それは、イエス・キリストの天の奥義を軽んじたユダ(日蓮)によって磔刑に掛けられる日本を意味する。アメリカは日本を変貌させるために、わざと危機を煽る目的で北朝鮮を利用している。日本はアメリカの北朝鮮核施設発言一つで、パトリオットミサイルを配備し、TMD導入への動きに入った。これは、日本がアメリカの戦略システムに組み込まれたことを意味する。公明党がしでかした悪行の一つは選挙公約にある「福祉を年頭に置く政党」を盾に創価学会の坂口力厚生大臣(当時)を中心に「百年安心プラン」と銘を打つ年金改革を成立させた。しかし、3年で崩壊し、その後さらなる保険料増加という地獄が待ち受けるだけになった。公明党の賛同で2004年に始まった「自衛隊のイラク派遣」も名目はサマーワへの人道復興支援だが、結果的に戦闘地域に陸上部隊を派遣した実績を作ってしまった。その後、なし崩し的にアメリカの言いなりとなり、「米軍再編」によってさらに日本占領と植民地化の道を歩むことになる。憲法違反で排斥されない限り、創価学会は日本の行く末を決める政党に喰らいつき続け、さらなる神罰を日本に招き寄せる。

(歴史的近未来)

「未来記」は神の言葉を私利私欲のために悪用する地に神罰を与えるため、四方を守護する持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王を降ろすと預言している。これと全く同じ預言が「ヨハネの黙示録」である。「大きな川・ユーフラテスのほとりにつながれている四人の天使を放してやれ。四人の天使は人間の三分の一を殺すために解き放された。」(ヨハネの黙示録第9章15節)四人の天使とは地を滅ぼす「殺戮の天使」のことである。天の四方から殺戮の天使が舞い降りる預言と聖徳太子が預言する四天王の降臨は符号している。ヨハネは四人の殺戮の天使が降りてくると地上では虐殺の時代が始まると預言している。エゼキエル書には四人の殺戮の天使を暗示する生き物を次のように記している。「わたしが見ていると北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるのではないか。その中、つまり、その火の中には琥珀金の輝きのようなものがあった。また、その中には四つの生き物の姿があった。」(エゼキエル書第1章4~5節)

四つの生き物に関わるものを神の戦車と名付けられ「メルカバー」と呼ばれる。黙示録でも終末に現れる戦車の扱い方で登場する。「この王座の中央とその周りに四つの生き物がいたが前も後ろも一面に目があった。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。」(ヨハネの黙示録第4章6~7節)「獅子、雄牛、人、鷲」は天の四方に配置される巨大な方位で天界を12に区切ったホロスコープを意味する。ホロスコープでいうと獅子は獅子座、雄牛は牡牛座、人は水を汲む水瓶座、鷲は蠍座に該当する。これを天球に当て嵌めると東西南北を指し、中心に地球が配置される。これは、地球が巨大な十字架に掛けられたことを意味し、「グランドクロス」といわれる。

ノストラダムスの預言に次のようなものがある。「1999年7番目の月 驚愕の大王 天から地に堕とされる アンゴルモアの大王を蘇らさんと その前後にマルスは 平和を盾に支配に乗り出す」(諸世紀第10章72)

8月をホロスコープで確かめると、1999年8月11日に太陽系の惑星が地球を中心に並ぶグランドクロスを形成していた。太陽と水星と金星が獅子座に、火星と冥王星が蠍座に、天王星と海王星が水瓶座に、木星と土星が牡牛座に配置された。つまり、1999年8月11日にメルカバーが降りたことになる。天の四方に殺戮の天使が配置され、四天王は地球を八つ裂きにするために舞い降りていた。

アメリカが世界を民主化とグローバル化で制覇しようと平和を盾に「対テロ戦争」を始めたのが1998年8月21日だった。それは、ニューヨークを襲った2001年9月11日の同時多発テロの前であり、アメリカは1999年の前年に平和の美名を盾に対テロ戦争を始めたことになる。黙示録が預言するハルマゲドンへの予兆は1999年8月にメルカバーが舞い降りたことですでに成就した。そのアメリカを真っ先に支持したのが小泉純一郎率いる自民党であり、イラクへの自衛隊派遣に手を貸したのが、日蓮の原理主義を標榜する公明党だった。

「牛馬がしゃべり出し、魚が天空を飛び、岩に目と口があり、夜に陽が昇り、月が北から出てくる。」の預言は象徴的である。その謎解きは陰陽五行説から天地の四隅の東西南北に囲まれた状態と解釈し、四人の殺戮の天使である四天王の降臨でメルカバーの降下でもあり、グランドクロスともつながる。

「真夜中に太陽が現れ、月が北の方角から出る。」とは地球の昼夜が逆転することであり、地球がポールシフト(地軸移動)またはポールワンダリング(極移動)が起きたことを意味する。これは、やがて、地球が傾きやがて南北が入れ替る未曾有の天変地異のことを示している。

「目と口があり、羽を生やして天空を飛翔する岩石」とは惑星規模の新地殻天体の誕生を意味し、木星から誕生するケツアルコアトルが神罰を与えるため地球目掛けて突進してくるということである。木星から誕生する新天体は灼熱の膨大な量のガスを後に噴出しながら宇宙空間を突進することになる。ガスの尾は木星の大赤斑と同じ真っ赤でたなびく尾は、まさに羽のように見える。聖徳太子は神罰を与える巨大な原始天体が地球目掛けて突進してくると警告している。

(最後に)

「未来記」はイエス・キリストに至る道程を示している。イエス・キリストから神権を授かった者が原始キリスト教徒の組織であり、これが、666の一匹である史上最悪の獣と対峙するのである。獣の数字666とは神を示す聖数7に至らない6に属する三匹を指す。一匹は「龍」で神に至らなかったサタン。二匹は「獣」で世界を武力と恐怖で支配する世界総統。三匹は「偽預言者」で世界最大の宗教指導者を指す。

モーセのような預言者が率いる原始キリスト教会は世界政府の枠外に置かれても自立しており、飢え死にすることなく神によって隠される。アメリカの巨大な軍事力を背景に獣は世界を42ヶ月(3年半)しか支配できない。その間、獣はイスラエルの第三神殿に神として座る。世界は再び緊張し、ロシアと中国は微妙な動きを見せ始める。偽預言者(バチカンの法王)は獣の配下で圧倒的力を持つ宗教的指導者であり、世界宗教の統一を画策している。仏教は完全に消滅して獣に支配される。創価学会も獣に従うことになる。しかし、原始キリスト教会は獣に従わない。そして、二人の預言者をエルサレムに送る。「二人の証人」とは原始キリスト教会に属する神権を持つ男性で神界が三位三体であることを宣言する。つまり、イエス・キリストがヤハウェであること、悔い改めてバプテスマを受け、救いを得よと宣言する。原始キリスト教徒は記紀にある造化三神(元初三神)と秦氏の三柱鳥居同様、三柱のそれぞれ独神を信じている。つまり「三位三体」を基本とする。原始キリスト教徒は世界総統が世界を支配する間、666の数字を身に受けることは無い。獣を神と祀る以上、仏教は消滅して存在しなくなる。「ヨハネの黙示録」が正しければ創価学会は消滅して世界宗教に吸収され日本人に獣の数字を打たせる手先となる。今のままなら、世界の終末時に日本人の救われる数は極めて少なくなる危険性がある。神仏の存在を信じるか否かの二極選択を迫ることになるだろう。

 

 


「聖徳太子の大予言」の要約


  1. はじめに

     飛鳥昭雄・山上智著「聖徳太子の大預言」の中には、恐ろしい未来の出来事が詳細に預言されている。聖書の中にハルマゲドンを含む多数の悲惨な未来が預言されているのは、その預言を通して、人々の心と眼を神に向けさせ、最終的には救いを得させる為である。預言の存在は、預言が語る時代の人々に何らかの利益になる情報を与えるためである。馬小屋で誕生したイエス・キリストを象徴する「厩戸皇子」の名で呼ばれた聖人が後世の私達を恐怖に陥れるために預言を残すわけが無い。預言者が預言書を残すということは、その預言書がいつ世に出ることになるのか、未然に知っているからである。

    「未来記」が世に出れば、「日本の仏教界は滅亡するか衰退する」と言われて来た為、現在に至るまで世に出なかった。しかし、皇室とゆかりの深い山上智氏の協力があり、飛鳥昭雄氏の霊的解釈により「未来記」及び「未然紀」が解明されたのである。特に飛鳥氏は、現代日本の実情を探り、預言の隠された意図と世界規模の預言を解き明かし最終的な形にした。

    「未来記」は当時の最高権力者レベルでないと見ることが出来なかった。明治政府が「未来記」の写本を見つけ出し、当時の国会図書館に納めたが、一般の閲覧は禁じられた。「未然紀」の方は江戸時代の延宝年間に天領だった上野の国の不動寺の住職を務めていた潮音によって「先代旧事本紀大成経」72巻本の第69巻として世に送り出された代物である。しかし、伊勢神宮を中心に大弾圧が起こり、犬公方と嫌われた5代将軍徳川綱吉が「未然紀」を含む「先代旧事本紀大成経」の全てを焚書してしまった。しかしながら、8代将軍徳川吉宗の時代に「未然紀」の究明作業をさせた為、「未然紀」の写し乾・坤2巻が国会図書館に封印されていたのである。「未然紀」と「未来記」は聖徳太子の預言書である。前者を「未然本紀」といい、後者を「日本国未来記」という。「未然紀」も「未来記」もまだ起きていない将来のことを指し、その時代を事前に書き記してあるため共に預言書となる。聖徳太子は神から未然に知るための導きを受けていたと「未然紀」の中に記述されている。「未然紀」と「未来記」は合わせ鏡となっており、二冊で一対になっている。つまり、聖徳太子は「両方合わせて未来を未然に知らしめよ」と言っているのである。

    「未然紀」は千年先までの未来を未然に預言した書物である。622年(推古天皇330年)に始まり、1000年間の国事に関する事件や出来事を未然に書き残した書物である。しかし、622年から1621年までの1000年だけの俗事を記した預言ではない。なぜなら、「未然紀」の中に「過去一千年の世の中を知り、未来に起こる一千年のことを知る」と記されているからである。つまり、「未然紀」に一千年分の預言しかなくても、その先の預言をも内在されている。「未然紀」と「未来記」を共に解き明かす者は、未来の出来事を深く未然に知ることが出来るということである。聖徳太子が二種の預言書を書き残した理由は、現代に生きる私達に重要なメッセージを伝えることにあった。だからこそ、それまでの時代では隠されたまま表に出てこなかったのである。驚くべきことに、それは日本だけの預言ではなく、世界規模の預言にもなっているのである。さらに驚くべきことに、旧約聖書の預言者イザヤですら両義預言(「指定時代の預言」と「未来の預言」の二段構造になっている)しか出来なかったのに、聖徳太子の預言は三義預言(「指定時代の預言」と「現代の預言」と「未来の世界預言」の三段構造になっている)を行っていたのである。聖徳太子の「未然紀」と「未来記」がそろって出た年(1998年1月)から、この世の終わりを示す最終カウントダウンが開始されたことを示している。

    「聖徳太子の大預言」のほとんどは「未然紀」中心の解き明かしである。その理由は「未来記」の方は霊的側面が強く、どうしても部分的な公開にならざるを得なかったからである。現代を表している第千四百歳(1922年~2021年)は同じ「壬戌~辛丑」で共通する第次百歳(722年~821年)第五百歳(1022年~1121年)第八百歳(1322年~1421年)の預言部分を見れば良いことになる。カッバーラでは第五百歳を中心に置き、第次百歳、第八百歳は従属するものとなる。

  2. 楠木正成と「太平記」の謎

     楠木正成は南北朝時代の武将で、河内の一地方豪族に過ぎなかったが、今では皇居の正門前に「大楠公」としての像が立てられている。これは、楠木正成が皇室にとって掛けがいの無い人物であることを象徴している。楠木正成は後醍醐天皇の命令を受け、挙兵し数百の軍で赤坂千早城に立てこもり、智略と巧みな戦術で大軍を率いた北条軍と対峙し、結果的に籠城作戦が功を奏して鎌倉幕府は崩壊する。

     後醍醐天皇は聖徳太子を心の師と慕い、自らも太子のごとくなるよう努力した天皇であり、聖帝とも言われた。後醍醐天皇は天皇親政による政治体制に戻そうと比叡山を起点として討伐軍を起こそうとしたが、捕らえられて隠岐へ島流しになった。正成の挙兵は後醍醐天皇が島流しになった頃で、護良親王と共に鎌倉幕府に反旗を翻したのである。足利尊氏や新田義貞らの武将も挙兵し、鎌倉幕府は倒れたが、足利尊氏が裏切り自ら幕府を開こうと画策した。そして、九州から20万もの大軍で押し寄せて来た時、正成は湊川の地で壮絶な最期を迎えた。楠木正成は武人でありながら皇室への忠誠心が厚く「建武の中興」の祖とされている。

     楠木正成が天王寺(後の四天王寺)で陣を敷いていた時、そこに保管されていた聖徳太子の「未来記」を読んだという伝説がある。正成が四天王寺で「未来記」を閲覧させてもらい、そこに記されていた預言を見て自らの天命を悟り、破竹の勢いで戦いに向かったとされている。楠木正成は秋之坊当大僧正から門外不出の秘蔵の「未来記」を閲覧させてもらった。それは聖徳太子が未然に物事を知る力があったことや、それを記した預言書が四天王寺にあることを知っていたからである。正成が見た「未来記」の内容は現代語訳で次のような文面だった。

    「第95代後醍醐天皇になり、国家が乱れて来た。この時、東の魚が来て、四つの海を呑む。太陽が西の空に沈んで370日余り。西の鳥が来て、東の魚を食べる。その後、海に帰るが3年後である。大きな猿のような者が、30年余り国家を奪ってしまう。その後、災い変じて元に戻ることになったという。」

    (預言の内容)

     東魚とは北条高時である。太陽が西の空に沈むとは、後醍醐天皇が隠岐に島流しにあうということである。370日とは1年と少しの意味である。やがて、西の勢力が盛り返し、最終的に鎌倉幕府を打ち倒すことになる。その3年後に犬顔で猿のような足利尊氏が天下を奪い取ることになる。30年余りで南北朝が併合統一されると解釈される。

     しかし、楠木正成が実際に見たのは「未来記」ではなく「未然紀」だったのである。四天王寺には「未来記」だけではなく「未然紀」も保管していたからである。四天王寺が正成に「未然紀」の方を見せた理由は、「未来記」には日本の仏教界を震撼させる衝撃的な内容の預言が記されていたからである。「未来記」を世に出せば、四天王寺を含めた仏教界の多くが衰退しかねない内容となっていたからであり、世に出せなかったのである。法隆寺にも二種の聖徳太子の預言書が保管されていると推測できる。しかし、封印したまま隠し通してきた。それが世に出る時が、仏教が衰退する末法時代の始まりとなるからである。

     楠木正成が自分の姓名が書かれていた箇所は「未然紀」第八百歳第139章に出ている。

    (現代語訳)

     光が北方に沈むのに一年かかり、南の木に封じ込められるのに60日かかる。

    (歴史的事実(過去))

     後醍醐天皇が権威を奪われ、隠岐島に島流しにされる。正成は翌年の正月から60日間、鎌倉幕府の大軍から、わずかの手勢で守り抜き、3月の鎌倉幕府滅亡のきっかけをつくった。楠を南の木と漢字分解で表している。これにより正成は自分のことだと判断したのである。「太平記」の作者は誰かということであるが、南朝の後醍醐天皇寄りに書かれた歴史書であることから、南朝側に関わる誰かであり、楠木正成もそれに深く関与していたと推察される。正成の時代は「未然紀」でいう第八百歳(1322年~1421年)に当たり、現代に当たる第千四百歳(1922年~2021年)と全く同じ時代に位置している。このことから楠木正成の預言箇所が、どのように1922年から現代までの日本と呼応するか検討する。


3、「未然紀」第八百歳預言が語る20世紀の日本と未来

 現代の第千四百歳(1922年~2021年)は楠木正成の時代に該当する。それゆえ、第五百歳(1022年~1121年)が現代の中核となり、それと同じほど重要な百年紀が楠木正成の時代の第八百歳(1322年~1421年)と成る。足利尊氏は、かねてから心に邪心を抱いていた。油断していた天皇を裏切り、数と力の論理で背後から国を盗み取った。

(「未然紀」第八百歳第137章の現代語訳)

 先祖の起こした天の災いが積もり積もって子孫が逆に家を滅ぼすことになる。

①歴史的事実(20世紀の日本) 昭和に入るや、いつの間にか主従関係を逆転させ、自らの方針を天皇の名で正当化させる術を軍国主義者は完全に見につける。軍国主義は天皇を尊敬し崇拝するが、自分たちの侵略戦争を正当化させるための便利な錦の御旗に過ぎない。天皇を飾り物の存在に落としていたことになる。当時の軍国主義者の正体は、天皇にとって逆賊でしかなく、日本の進むべき道を誤らせ、多くの若者を犬死させた張本人である。軍国主義者が明治・大正・昭和の時代と共に軍事力を肥大化させ、忠誠を誓いながらも、その実態は天皇を自分たちの支配欲のために利用する逆賊と化していた。結果的に天皇の終戦判断と玉音放送により、賊軍部が支配した狂気の時代は日本が鎖国を解いた後、3代の時代をもって消え去ったのである。

②歴史的未来 アメリカの政府高官たちが、世界政府樹立を匂わせる発言を行っている。アメリカは21世紀に世界に対する権限が大幅に強化された新たな超国際機関の設立を意図している。やがて、世界はアメリカの言う通りにしなければならない状況になる。初代が「国際連盟」2代目が「国際連合」であり、3代目はアメリカが意図している「世界政府」となるだろう。現在の国際連合はソ連崩壊後、アメリカ主導で動くだけの飾り物と化している。アメリカ軍の目的は強力なアメリカ軍による世界支配であり、アメリカ軍が世界政府軍に格上げされた時点で世界政府に参加する外国の軍隊は全て、アメリカ軍の軍門に下る。この時点でアメリカ軍の世界征服が完成する。日本軍国主義が天皇を踏み台にして日本を奪ったように、アメリカは国連を踏み台にして世界を略奪する意図を持っている。アメリカ主導の下で軍事力を最優先にした現代の国連を天の道を踏み外した2代目の賊であると聖徳太子は指摘している。世界政府が樹立した際、その体質に我慢できない軍事大国との間で幾つかの大きな争いが起こる。(「未然紀」第八百歳第138章の現代語訳) 青い魚が躍り出て、四つの海を呑み込む。赤い鳥が捕らわれて六つの波に沈む。

①歴史的事実(20世紀の日本) 青は東を象徴する色であり、青魚は東の海にある国を意味し、極東の海に浮かぶ日本を指す。当時の日本軍部は軍事的勢力を拡大するため四方に向けて侵略戦争に打って出ていた。南方の国々にとってみれば、日本軍国主義の侵略は6回の波浪であり、招かざる巨大な津波だった。しかし、軍国主義が威張れた時代は六つの攻略作戦までだった。それ以後は、一挙に自己崩壊へと向かう。1942年6月の「ミッドウエイ海戦」や1944年3月の「インパール作戦」での大敗北は、それを物語っている。天皇の終戦決断が無ければ、日本軍国主義は国民を根こそぎ地獄の道連れにするつもりだった。当時の軍国主義は天の賊すなわち神の逆賊だった。極東に生まれた武力中心の魚は四方の海へと飛び出し南方の国々を六大侵略作戦で制覇していった。

②歴史的未来(その1) ロシアは西から無血侵略の大波の中で、確実に北の果てに封じ込められつつあり、国際舞台の上で孤立感を深めている。ロシアはEU諸国から真綿で首を徐々に絞められるような気持ちを味あわされている。エストニア・ラトビア・リトアニアのバトル三国が一挙に西側に吸収され、ウクライナまでNATO拡大の大波に呑み込まれるとあれば、ロシアは黙って東侵を見逃すわけが無い。現在のロシアの軍部では領土膨張主義と帝国主義の大波が民族主義の復活と共によみがえりつつある。

③歴史的未来(その2) ロシアは外交的に有利な南にあるアラブ油田地帯を支配することを画策する。イスラム諸国への外交的接近でEUと対抗する。世界規模の預言での六波羅とは東の大国ロシアが南のアラブ諸国と関係を深く持つことを表している。EUも高圧的なアメリカをヨーロッパから追い出し、中東からもアメリカの勢力を追い出そうと画策している最中である。ロシアはEUがアメリカを追い出せば、その後の油揚げをEUからさらうつもりでいる。東の大国ロシアが再び帝国主義を復活させ領土拡張を企てるが、その前哨戦として南のイスラム諸国との関係改善に乗り出し、それに成功することになる。これは、ロシアがEUを差し置いてアラブを支配することも意味している。(「未然紀」第八百歳第139章の現代語訳) 光が北方に沈むのに一年かかり、南の木に封じ込められるのに60日かかる。

①歴史的事実(20世紀の日本) 1931年9月、軍部は関東軍に命じ、満州を侵略するための口実として、わざと南満州鉄道を破壊し、それをきっかけに満州事変を勃発させた。1932年3月には日本の傀儡「満州国」をつくり、1932年9月に「満州議定書」を取り交わし、独立を承認した。中国の清国から宣統帝溥儀を執政に迎え、ラストエンペラーを誕生させた。その侵略戦争に要した年数はちょうど1年ほどだった。南方侵略は1941年12月の真珠湾攻撃と共に決行され、マレー半島上陸後2ヶ月でシンガポールのイギリス軍を屈服させている。日本の大東亜共栄圏への預言は歴史上の事実として20世紀の日本を覆う暗雲として現実化したのである。

②歴史的未来(その1) フランスのアメリカ嫌いはピークに達しつつある。イギリスを除く多くのヨーロッパ人はEUがアメリカの支配下にある現実を思い知らされた。アメリカは第二次世界大戦以後、ずっとヨーロッパに居座り続け、核攻撃の決定権もヨーロッパに渡していない。ロシアは超大国としての威信低下を思い知らされ、惨めな屈辱感を強めており、アメリカ主導による強行的な決議に対しても怒りを募らせている。ロシアはNATOの東方拡大を認めはしたが、昔の帝国主義を復活させ、それを過ぎると一挙に出てくる可能性が高い。ロシアから見た南にあるイスラム諸国で全イスラムを決起させる大宗教戦争が勃発し、それが60日にもわたって続くことになる。これが第三次世界大戦である。

③歴史的未来(その2) イスラム教への最大の侮辱が行われた時、間違いなく宗教戦争となる。ロシアはイスラム諸国を先導し、EUを打ち倒すよう画策してくる。この時、アメリカは中東にいない。アメリカは何らかの理由で中東やヨーロッパから追い出されていなければならない。よって最初に戦争を止めるために中東に派遣される多国籍軍はフランス主導のNATO軍であろう。しかし、反撃され敗北を喫することになる。

④歴史的未来(その3) 帝国日本軍が敗戦処理のビジョンを一切持たずに太平洋戦争に突入したことは世界最大の非常識になっている。愚かな軍国主義者たちは終戦のタイミングを遅らせ、二つの原子爆弾を落とされる結果を招く。(これについては、全てアメリカのシナリオ通りだったとする見解もある。つまり、日本軍国主義はアメリカのシナリオ通りに動かされていたというのである。)ソ連が参戦して初めて軍部は自分たちの愚かさを思い知ることになった。今の日本の政府も新しい日米ガイドラインを危機管理の本命に据えたいらしいが、その前に来る最大の危機に関する見通しが全く出来ていないのである。(「未然紀」第八百歳第140章の現代語訳) 山に住む鷲を落とし、野鳥を早く走らせる。野鳥は飛んで落ち東の魚を呑み込む。

①歴史的事実(20世紀の日本) 鷲をシンボルとして象徴化した国はアメリカであり、実際にアメリカの国鳥は鷲である。鳥の王者であるアメリカが連合軍を率い、極東の帝国が侵略した領土を奪い返したことは歴史的事実である。マッカーサーはアメリカの元帥だけでなく、連合軍の最高司令官でもあった。極東の魚(日本)は鷲と連合する野鳥の群れに呑み込まれてしまった。鷲が集める他の野鳥が二羽と書いてあるのはアメリカのルーズベルト大統領がイギリスのチャーチル首相とソ連のスターリンとの会談したことも同時に示唆している。

②歴史的未来(その1) アメリカは第三次世界大戦の鎮圧とEUとアラブ崩壊を盾に核戦争による絶滅を防止するためにも、早急なる世界政府の設立を国連に呼びかける。ロシアと中国は断固反対するがアメリカの英雄的人気と軍事力の前に結局は引き下がらざるを得なくなる。ロシアは再び大戦争で領土を拡張するために本格的にシベリアからヨーロッパに向けて侵攻する。この大戦争は第四次世界大戦であり、ヨーロッパは二度の大戦により完全に破壊し尽くされ、二度と立ち上がることが出来なくなってしまう。ロシアは本格的な電撃攻撃作戦で一挙にヨーロッパを制覇してしまうが、アメリカはロシアに対し連合軍を率いて一戦を挑んでくる。巨大な白頭鷲が、東の帝国の仕掛けた大戦争に乗り出すという預言がなされている。鷲であるアメリカが野鳥の大連合を率いて東魚のロシアを攻撃する。

③歴史的未来(その2) 世界がアメリカの唱える世界政府を受け入れたら一挙にアメリカ軍産複合体による恐怖支配時代を迎えることになる。軍産複合体とは死の商人である。宗教対立や地域紛争の最前戦で犠牲を強いられるのは日本を含むアメリカ以外の国々や兵士、アメリカ国内の貧民層の兵士となる。(「未然紀」第八百歳第146章の現代語訳)君主に対して忠実なる者が殺され、口先だけの悪党は自分で刀を振り回す。

①歴史的事実(20世紀の日本) 逆賊だった日本軍国主義は多くの若い知識層の命を根絶やしにする行為となった。神風特攻作戦も日本軍国主義が編み出した史上最低の劣悪作戦だった。日本軍国主義は日本の賊であると共に人間そのものへの逆賊だった。三代の時代をかけて育った軍国主義に、いつの間にか政治まで奪われ裏切られた姿を露呈させた後、花火のように四散し消滅した。歴史的事実(その他) アメリカもアイゼンハワー大統領が構築した軍産複合体の圧力を無視できず、J・F・ケネディの時代に一度撤退すると決定したベトナム戦争に再び大きく介入させられ、多くの純粋な若者の命が奪われてしまう。一人笑いの止まらなかったのは巨万の利益を上げた軍産複合体であり、軍隊と軍事企業がドッキングしたアメリカの体質は戦争をし続ける危険を持っているのである。逆賊というのは、必ず強力な軍事力という刀を懐に忍ばせ、多くの純粋な人々を利用し戦争に巻き込んでいく。

②歴史的未来(その1) 第三次世界大戦が勃発した時、強大な軍事力でイスラム連合軍を制圧し、ロシアを退かせたアメリカ軍は世界から絶賛される。そのため、大戦争を終わらせた英雄的行為でアメリカに対する賛辞は世界中に満ち溢れる。世界を平和にするための最良の手段として世界政府をアピールしてくる。その邪魔者はフランスであり、アメリカ軍を中東から追い出し石油利権を確立する政策を推し進めてきた元凶である。それにイスラエル寄りに外交を行うアメリカを中東から追い出したいアラブを中核とするイスラム諸国である。NATO軍の東方拡大でロシアは必ず民族の誇りと超大国の威信をかけた行動を起こす。ロシアのイスラム諸国への接近であり、結果的に領土拡張の目的で必ずヨーロッパ本土を戦争に巻き込む道をとる。

③歴史的未来(その2) アメリカはイスラムに対し、全てのイスラム教徒を激怒させる蛮行に出る。全イスラムが一挙に大戦争を決意するほどの衝撃的な大事件になる。それか、エルサレムにある岩のドームの強制撤去とソロモン第三神殿の建設により、全イスラム諸国は第三次世界大戦へと突入するだろう。ロシアにある勢力が現れ、それが巨大化してロシアを略奪してしまう。一方、アメリカからも別の勢力が現れ、世界政府の総統となるや、世界を略奪してしまう。世界は新たな支配構造の中で再び二極化の時代を迎え、世界を最終戦争へと突き進ませることになる。(「未然紀」第八百歳第147章の現代語訳) 天下は南と北に分かれて、戦となって北の天皇が即位するが、天皇はそれより目下の者の命令の下にあった。

①歴史的事実(20世紀の日本) 戦後の日本はアメリカがもたらした民主主義を謳歌するようになった。戦後の日本政治を奪い合ったのは自民党と社会党の両勢力だった。両政党の対峙した二極対立の時代は長く、40年余りも続いた。しかし、自民党は汚職と永田町理論に終始した為、選挙戦で惨敗し下野する。その劣勢を挽回するため社会党党首に総理大臣の椅子を与えるという奇策を弄する。社会党は国民から見て政敵と手を組んだイメージが定着した為、急速に支持者を失い、現在は民社党となった。南北朝時代を支配したのが、やはり「数と力の論理」だった。数と力の論理で勝てば何をしても良いという風潮が広がり戦国時代へと突き進むことになる。アメリカは日本人を支配するには支配政党の政治家を抱き込めば事が足りることを知っている。

②歴史的未来(その1) 世界は再び米ロの二極対立構造を作り上げる。ロシアは一度アメリカの世界政府に敗北を喫するが、そのままヨーロッパを支配するらしいのである。やがて、北に現れる何らかの一大勢力が南を脅かすほどの力を持ったことを暗示している。北の勢力を率いて南の王と戦い、最後は人類を最終戦争に巻き込む。片方の覇者はマゴグのゴグである。ヨーロッパ全域がマゴグのゴグによって征服されていることを意味している。

③歴史的未来(その2) イスラエルを中心に見た方角で言うと、北はマゴグを含むロシア全土を表し、南はイスラエル南部にあるエルサレムを示す。南の王とはイスラエルではなく、アメリカ主導の世界政府を暗示している。「ダニエル書」によると北のゴグはやがて南の王と戦えるほどの勢力を持ち、戦争を引き起こす。北の王とはマゴグ生まれのゴグのことだが、南の王はアメリカを暗示する世界総統となる。ここで明確に世界を支配する獣がエルサレムの神殿に入ることが示されており、南の王が世界政府の総統であることが明らかとなる。イスラエルは、やがてエルサレムの「嘆きの壁」の上に神殿を再建する。「嘆きの壁」の上にはマホメットが昇天した岩を記念する「岩のドーム」が建っている。イスラム教の聖地を破壊せねばイスラエルは絶対にソロモン第三神殿を建設できない。エルサレムにソロモン第三神殿が建つとイスラム諸国が一斉に宗教戦争に打って出ることになる。


4、「未然紀」第五百歳預言が語る過去と20世紀の日本と未来


 第五百歳(1022年~1121年)は第千四百歳(1922年~2021年)の中心に来る預言であり非常に重要である。


(「未然紀」第五百歳第78章の現代語訳)


 勇ましい武勇が遠ざけられ、書物や言葉だけの文化が花開く。そして、次に心を和らげる音楽が廃止され、戦いが起こる。人間が利己的にとった行為の為に発生する事件や事故などは人災であり正しい行いではない。


①歴史的事実(過去)

 聖徳太子の時代から600年後の預言である。後三条天皇は合理主義一辺倒に傾き、文化面を全く軽視した強圧的な天皇だった。朝廷が文化を軽視し、荘園における大礼や雅楽などを廃止したことが、保元の乱の原因の一つに成ってくる。この預言は源平武士集団の台頭、後三条天皇の出現、荘園整理の強行、保元の乱の勃発という図式で全て的中している。

②歴史的事実(20世紀の日本)

 軍国主義化の大波は、人々の心のゆとりをなくさせ、自粛の名目で祭りは禁止、オーケストラも禁止、上演を許された芝居や映画でさえ軍部の検閲で軍国色一辺倒になり、漫画や宝塚歌劇もそのあおりを食らった。後三条天皇の時代は昭和天皇の時代と酷似するようである。後の世には今行われている政策が布石となり、日本が大戦争に巻き込まれる危険性が出てくる。アメリカ式合理主義の限界を警告しており、合理主義が行き着いた先に待つ非人間的な出来事を教えている。

③歴史的未来

 世界に君臨する独裁者の出現を預言した部分である。その男は必ず2021年までに世界に登場してくる。世界を支配する独裁者の地位に就くためには、世界最大の超大国アメリカから出てこなくてはらない。アメリカは世界政府の設立を標榜し、それを最大の軍事力を行使できる超国際機構にする意図を持っているからである。世界政府が設立されてしまうと結果としての世界総統の地位に就く男が必ず登場してくると聖徳太子は預言している。聖書でいう獣がここから出てくることは間違いない。その獣は、初めは世界を滅亡の危機から救った救世主として現れ、人々から歓呼の声で迎えられる軍人というのが預言の示すところである。しかし、この男は絶対権力を手中にするや、わずかの間で変貌し、一挙に史上最大の独裁者として世界中に君臨することになる。アメリカが画策する世界政府の設立が必要に思えても日本だけは絶対に従ってはならない。

(「未然紀」第五百歳第79章の現代語訳)

 大きな弓が高い所を射る。矛を縛って大きな弓を撃つ。


①歴史的事実(過去)

 1028年に平忠常が下総で反乱を起こし、天皇の命令に背いて賊となる事件が起きる。政府は平直方や中原成道を追討軍として向かわせたが一向に成果が上がらない。そこで武将の源頼信を向かわせ、やっと平忠常を倒すことに成功する。

②歴史的事実(20世紀の日本)

 昭和で最初に起きた日本軍部による内乱は5・15事件である。一部の陸軍将校たちが軍事クーデターを起こした。日本軍国主義の毒牙は当時の犬養毅首相を暗殺し、一挙に政党内閣の時代を終焉させる結果を招く。犬養内閣後に出来た政党は軍部出身者が多数を占める内閣となり、敗戦間際の東条英機内閣まで連綿と続くことになる。日本軍部は天皇を守護する立場を悪用して、天皇を自分たちの側に取り込んでいった。

歴史的未来(その1)

 聖徳太子が三日月を暗示する場合、世界規模で見ればイスラム諸国を表すことになる。イスラム諸国が激怒の極に達するほどの事をイスラエルが平然とやってのける危険性は高い。考えられることは、岩のドームの強制撤去とソロモン第三神殿の建設か占領区での核実験である。束の名を持つ連合軍(つまりアメリカ主導による多国籍軍)が、イスラム連合軍を一挙に鎮圧してしまうシナリオとなる。

④歴史的未来(その2)

 最初に戦争の鎮圧のために派兵される多国籍軍はアメリカを除いたNATO軍である。その時、アメリカ軍はヨーロッパと中東から撤退しているからである。湾岸戦争を終わらせた後も中東に居座り続け、イスラエル寄り外交を改めないアメリカの人気はイスラム諸国では地に堕ちている。アメリカは必ずEUと中東から撤退せざるを得なくなる。警察官がいなくなった地域が無法地帯と化すのは当然の成り行きである。イスラム連合軍はイスラエル攻略に邪魔なEUを叩き潰すためNATO軍の虚を衝き、一挙にヨーロッパに向けて侵攻する。バチカン帝国は大きなターゲットの一つになる。侵攻から二ヶ月余りがたち、ようやくアメリカは世界への正義感に目覚めたポーズをとり、立ち上がる。一挙にイスラム連合軍を殲滅してしまう。イスラム連合軍の背後にはロシアの影がある。ロシアは途中でイスラム連合軍を見捨てることになる。

(「未然紀」第五百歳第80章の現代語訳)

 夷敵は妻を犯して、羊は猪を制圧する。武力によって夷を従わせ武士は天子の尊厳を不思議に思う。


①歴史的事実(過去)

 1056年蝦夷地だった奥州の衣川で安倍頼時が反乱を起こし、武士や庶民の妻や娘を連れ去る有様になった。その時、天皇は判官だった源頼義を陸奥守府将軍として召し、奥州に向かわせたところ安倍頼時は降参してしまった。父の源頼信が平忠常を討伐し、子の頼義が安倍頼時を討つ巡り合わせになり、親子共々「夷将軍」といわれた。

②歴史的事実(20世紀の日本)

 二度目の内乱は2・26事件である。これも一部の青年将校たちが起こした軍事クーデターである。5・15事件と2・26事件は平安京の時代に勃発した「二つの内乱」とシンクロしており、それを鎮圧したのも武力集団であった。その後、日本の政治は完全に軍国主義一色に塗りつぶされてしまう。

③歴史的未来

 どの国が第四次世界大戦を起こすのかといえば、蝦夷と書いてある以上、東から北の範囲にある国でありロシア以外に無い。ロシアは大軍を率いて本格的にシベリアから出てくる。再び夷であるイスラム諸国を引き連れてくるが、ロシアが主導権を握っている。アメリカの唱える世界政府樹立の動きと一斉に向かい始める。ロシアがヨーロッパ全土を制覇する寸前、アメリカは全軍を率いてロシアと対決する。ヨーロッパだけを戦場にする限定核戦争になり、超プラズマ兵器を多用することになる。第四次世界大戦もアメリカが強力な軍事力で制圧してしまう。その結果、アメリカが主張する世界政府を全面的に受け入れるようになる。ロシアから新たに支配者が誕生し、再び形勢を立て直してくることになる。

(「未然紀」第五百歳第84章の現代語訳)

 陽気の光は明日には三日月程度現れる。陰気は少し傾くであろう。


①歴史的事実(過去)

 後三条天皇と白河天皇の時代は天皇の威厳が少しだが、増して太陽ほどではないが三日月程度になった時代だった。後三条天皇の時代に多くの禁止事項が増やされている。白河天皇も皇威を保持し皇権を増し加えた天皇とされ、宮廷の風習を変えた天皇としても記録されている。

②歴史的事実(20世紀の日本)

 昭和天皇の時代の前半も、軍部が多くの禁止令を発令し、庶民文化が奪われた。戦後人間宣言により多くの国民に親しまれる天皇として皇室人気を支え、全国巡幸を率先して行い人々を励ました。マッカーサー元帥との会談では臣下の罪を自分が背負うという意向を伝えたことが「マッカーサー日誌」で明らかになった。平成時代の今上天皇は皇太子時代から皇室の変革に携わることが多い天皇である。民間人から妃を選び、乳母製を廃止して妃に子供たちを母乳で育てさせるなど開かれた皇室を作った天皇である。皇室の持つ品位の高さは白人系のイギリス王室とは別種のように思われる。昭和と平成の両天皇は皇室の威厳を高めている。

③歴史的未来(その1)

 第三次世界大戦と第四次世界大戦が勃発したことで、世界は最大の軍事力を持つ世界機構の実現を本気で求めはじめ、アメリカが唱える世界政府の設立に同意する。中国はロシアが力を失った以上、無理に反対することはせず、時が来るのを辛抱強く待つことになる。二つの世界大戦により史上最大の軍事力を持つ「世界政府」は設立に向けて動き出す。

④歴史的未来(その2)

EUとイスラム諸国を戦わせる張本人はアメリカである。将来、アメリカに対抗する危険性があるEUと世界の石油資源を独占するイスラム諸国を叩き潰しておく計略を練っている可能性がある。ロシアが再び帝国主義化すれば必ず利権がらみで中東諸国と手を組み、EUに対抗するようになる。ロシアを国際舞台から追い出し、超大国でなく物乞いだという印象を世界に与え屈辱感と共に北方の果てに追い込んだのはアメリカなのだ。ロシアに対し真綿で首を絞める効果を狙ったアメリカの本心は、ロシアを刺激し再帝国主義化を図っている。つまり、ロシアが再び帝国主義化すれば、イスラム諸国と手を結ぶことになり結果的にNATO拡大に全面的に対立するため、EUに向かって襲いかかることになると踏んでいたのである。しかし、その頃、アメリカはEUからわざと追い出されており、中東からも追い出されている。聖徳太子がアメリカを逆賊と呼んだ。逆賊とは足利尊氏のように悪知恵を働かせ、武力で世の中を略奪する者をいう。

(「未然紀」第五百歳第88章の現代語訳)

 人々は家畜を増やし、天皇の力は、かすかに衰える。夷人は倉を造り、都の衰退が芽生え始めた。


①歴史的事実(過去)

 1118年、平忠盛の子が生まれ将来の清盛となる。清盛は武士の威厳が高まれば天皇の威厳が衰える事を知るようになり、天皇家をはるかにしのぐほどの絶大なる権力を持つようになる。世の中は確実に武力を持つ武士集団が自分を召した主人を押さえ込み国を奪う時代へと変貌していった。

②歴史的事実(20世紀の日本)

 軍国主義は日露戦争で勝利をつかむと韓国併合、シベリア出兵、上海事変と侵略戦争に乗り出した。軍国主義は確実に国政を奪い、国民の気づかぬ間に母屋を乗っ取る策略を企てる。つまり、天皇を軍国主義の側に引き込むことだった。聖徳太子の預言は20世紀の日本を通して軍部の台頭という形で実現する。

③歴史的未来

 世界を支配する独裁者(獣)の出現を預言したものである。その男はアメリカが作る世界政府の胎内から生まれ出る。世界は、その男を英雄として絶賛し、世界の救世主として迎え入れる。そして、その男はアメリカ主導で設立した世界政府の総統の地位に就くことになる。この男はヒトラーも影が薄くなるほどの独裁者に変貌し、世界を殺戮と恐怖で支配する逆賊と化す。この男は自らを神と名乗り、全ての宗教書を焚書させ、全世界中に対し自分への絶対礼賛を強要する。世界は一挙に大動乱の時代を迎え、ハルマゲドンへと突入していく。よって、アメリカが主張する世界政府設立への賛同は絶対にしてはならない。聖徳太子は特に日本人に警告するため預言書として書き残し未然に防ぐために大世紀末に登場させたと思われる。

(「未然紀」第五百歳第89章の現代語訳)

 天は何故、災難を起こすのか?天は悪いことに対して災難を起こすのではないのか?人を治める君主は、その地位を自慢し、自分勝手に政治を行い、その部下は地位におぼれ自分たちに都合の良い法律を作る。このような事柄は天の道に外れる行為であり、このような事は神に対して恥ずかしい行為である。


①歴史的事実(過去)

 白河法皇の院政期間は堀河、鳥羽、崇徳天皇まで続き、国政の実権を握ったまま離さなかった。後三条天皇より以前は、天皇より摂関の方が力があり政治を意のままにしたのである。

②歴史的事実(20世紀の日本)

 日本軍部こそが天皇の裏で20世紀の日本の実権を握り続けた張本人である。

③歴史的未来

 宗教と政治の祭政一致が行われた時代は、間違いなく最後は恐怖政治になっている。21世紀になると世界のほとんどの宗教を統一する者が現れてくる。宗教的支配者が2021年までに現れる。バチカンが世界統一宗教を画策していることだけは事実として伝えておかねばならない。史上最大の権力を握る支配者が独裁者として君臨し、自らを神として宣言した時以外には考えられない。世界政府の支配者という顔に統一宗教の現人神として君臨する顔が追加され、誰もなしえなかった祭政一致の独裁社会が誕生する。聖書によれば、世界を滅ぼす元凶は世界を支配する獣とそれを補佐する偽預言者と彼らの上に立つ龍(サタン)の三匹だとされる。その汚れた三匹を獣の数字666として象徴しているのである。

(「未然紀」第五百歳第91章の現代語訳)

 国を治める人も、一般の人々も、自然界の摂理は同等である。世の中を良い方向に変える努力をしなければならない。その自然界の摂理を守っていれば、天は災難を起こさず、神も見捨てる事はしない。自分たちで自然界の摂理を曲げる事は皇室の衰えの兆しであり、世の中の衰退の始めである。


①歴史的事実(過去)

 白河法皇が始めた院政は鳥羽天皇、後白河天皇も真似るようになり、本来の皇威と皇権を天道から外す結果を招いてしまった。そのため保元の乱、平治の乱が起こり、源平の武士階級に国政を奪われることになる。道を外れる者は自ら天運を放棄し、災いの種を四方に撒き散らしていく。

②歴史的事実(20世紀の日本)

 院政を行った天皇も白河、鳥羽、後白河の三代であり、明治、大正、昭和時代の三代の御代と符合する。その期間に軍国主義を膨張させていった。その結果、引き起こされたのが二つの大戦争(第一次世界大戦、第二次世界大戦)である。当時の日本の構造は軍国主義者の力を借りなければ体制を維持できなかった。

③歴史的未来(その1)

 世界中の人間が神を求めず、神の代わりに世界総統を頼り、その男を今の地位に置いておくなら、天自らが世界中を未曾有の天変地異で滅ぼし去ろうとする。太子の預言を見る限り、天の道即ち本当の神を求めよと勧めている。

④歴史的未来(その2)

 天空と大地に何らかの異変が起きはじめるようである。世界中が衰退する予兆が表れることが暗示されている。大地震、火山噴火、日照、凶作、洪水、飢饉、疫病、異常気象などが連続して発生する。だからこそ、アメリカが画策する世界政府を樹立させた場合、人類は最終的には行き着くところまで行くことになる。アメリカ一辺倒の政治家たちは日本のみならず、世界に対しても後で大変な責任を負うことになる。「未来記」は確実に起こる事を中心に記されており、「未然紀」は人の智恵と努力で防ぐことを目的に記されている。それゆえ、日本は断固反対すべきである。

5、「未然紀」第次百歳預言が語る過去と20世紀の日本と未来

 第次百歳(722年~821年)は奈良時代から平安時代にかけた頃にあたる。この後、平安京への遷都が行われた時期でもあり、行基という僧侶が日本地図を作成し、橋や道路を造り、人々に奉仕していたが、多くの僧侶は大寺院にこもり、出世することだけを目的に修行していた時代だった。日本の地下は世界でも高価な鉱物を大量に産出できる地質構造にあることが分かってきた。日本にはアラブにおける石油のように大量に産出できる鉱物があるという。その鉱物は黄金だというのである。

(「未然紀」第次百歳第31章の現代語訳)

 彩色の為に国中に金を求め、川から取れる砂金ではなく、初めて掘削して黄金を採った。


歴史的事実(過去)

 奈良の大仏を建てる際に起きた出来事として成就している。大衆に人気の高い行基を登用し大仏を建てるのに多くの人民を協力させている。749年2月、陸奥国の小田郡において膨大な量の砂金が見つかった。その直後には、大規模な金鉱脈も発見された為、大仏像のため黄金は無事朝廷に献上された。

②歴史的事実(20世紀の日本)

 大仏を造ることは巨大な国家プロジェクトだったが、現代では遷都に該当する。日本の首都機能が移転するためにかかる費用は7兆5千億円、下手すれば12兆3千億円という膨大な額にのぼる。現代の日本に大金鉱脈が発見された場合、東京遷都は「未然紀」第千四百歳が終わる2021年までに実行に移されるかもしれない。恐山のふもとで世界トップクラスの高純度を誇る大金鉱床が発見された。日本の地下には今日、未発見の金鉱床や金鉱脈が眠っている。

③歴史的未来

 世界総統が現人神であることを世界に宣言し、世界中に自分のきらびやかな像を置き、拝ませる際に起きる出来事を表している。世界総統は間違いなく世界中の財宝を自分の下に集めさせる。食料を含む生存に欠かせない生活物資も全てが世界総統の管理システムに委ねられる。日本などで大金鉱脈が発見されるが、世界の経済機構の独占が世界総統にとっての大金鉱脈である。世界の富はアメリカだけに集中する。

(「未然紀」第次百歳第32章の現代語訳)

 この時から金脈が多く採れた。その後、国の財政が豊かになった。


①歴史的事実(過去)

 大仏の開眼供養の後も、宮城県からは黄金が掘り出されていった。その結果、世の中に金銀が満ち溢れ、国の財政は大いに潤い安泰になった。朝廷を後ろから支えた秦氏の大資源は全て、これらの中部地方や東北中部の大金山から採掘した黄金だった。秦河勝は聖徳太子のブレインであり、天皇家とも非常に縁が深い間柄であった。

②歴史的事実(20世紀の日本)

 日本は世界でも稀なプレートの上に乗っている島国である。日本の至るところに活火山があり、温泉が噴出している。これは黄金を生み出す環境としては最高なのである。経済が冷え切った日本に何か大きな打撃が襲ったとしても黄金により立ち直って巨大な経済機能を復活させる原動力となるかもしれない。

③歴史的未来

 日本の黄金は世界総統への貢物として強制的に奪い尽されてしまう。自らを神とした世界総統は自分の世界宗教に酔いしれ、全世界に自分を祀るきらびやかな教会を造り始める。聖徳太子は国政を忘れ、全国に国分寺を造り仏像や菩薩像を無数に造り続けた聖武天皇とシンクロさせている。世界政府はアメリカが造るアメリカのための超国際機関である。他国が世界政府の恩恵を受けるためには自国をアメリカ化するしか方法がなくなる。このシステムにより、世界のアメリカ化が推進されアメリカは労せずして世界を征服できる。世界総統が自分を現人神にする場所はイスラエルのエルサレムとなる。世界政府の首都はエルサレムに移される。現人神としてエルサレムの第三ソロモン神殿に座り、恐ろしい命令を世界に向け発令する。これに対応するのが平安京遷都である。794年11月に平安京遷都は桓武天皇によって行われた。

(「未然紀」第次百歳第34章の現代語訳)

 真の僧とは、布教することではなく、国々を廻り、道や橋を造って人々の往来を楽にして、所々に安心して泊まれるような場所を造ったりするような僧のことを言う。これを自己中心的な僧は「あいつは僧で無い」と悪口を言い、利他中心的な僧は「役に立つことだ」と口先では言いながら内心「いやだな」と思っている。


①歴史的事実(過去)

 真の僧とは庶民に多くの善行をした行基のことを指している。僧侶にとって行基の行為は、異様であり到底理解できない行動だったが、彼らが最も嫌ったのは行基の民衆からの人気と信頼の高さだった。朝廷に認められた行基は大菩薩の号を与えられた。日本地図「行基図」は非常に奇妙な地図で日本列島全体が西日本側を北向きにして直立している姿で描かれている。

②歴史的事実(20世紀の日本)

 ボランティア活動は確実に日本に根付いてきた。現代は行基のような者が無数に現れている時代なのかもしれない。行基の行為を全く理解出来ない官僚や政治家などの国側の体質をも意味している。体制側はいつも大衆の力と大衆人気を恐れるからである。

③歴史的未来

 宗教活動は全て禁止される。許されるのは世界総統を神とする宗教活動のみである。世界は世界総統の憐れみの中でしか生きることが許されていない。世界総統が立っても、善行をする人物がおり、世界総統もそれを強い監視下に置くが、比較的大目に見ることが暗示されている。未来に登場する善行をなす者と組織も間違いなく神理を教える団体であることは行基を象徴に使ったことからも確かである。

(「未然紀」第次百歳第35章の現代語訳)

 天皇は常識的に真実を学ぶ。真の僧とは僧侶ではあるが常識のある行動から、これを非難してはいけない。だが、褒め称えてもいけない。


①歴史的事実(過去)

 聖徳太子は大仏や菩薩像ばかりか観音像を177体も造らせた聖武天皇のことを行き過ぎであるとして警告している。聖徳太子は道教、仏教をもって人民を治めるとしており、仏教のみに傾くことを快く思わなかった。行基は俗世間の中で善行をなし、多くの人々のために宿を建て、堤防や橋を造っただけでなく、道路まで新しく敷設した。本来、天皇が行わねばならないことだが、それを僧侶が行い、僧侶でもない天皇が仏教三昧にふける有様を皮肉交じりに残したのがこの預言である。

②歴史的事実(20世紀の日本―その1)

 政府は阪神大震災において全くその役目を果たすことが出来なかった。自衛隊は出動することが出来ず、その間に救えたはずの多くの人命が失われていった。大地震が発生した際に起こる道路渋滞の対策も形式程度で全くマニュアル化されておらず、救急車や消防車が現場に急行したくても肉親の安否を気遣う車の群れの中で全く動きが取れなかった。

③歴史的事実(20世紀の日本―その2)

 原油流出事故の際に日本の油回収船は海が荒れると使えない代物だった為、政府の危機管理能力は全く無かった。動燃事故の際でも、対応の遅さと内輪で守り合う体質を見ても、危機管理能力の無さが判明した。肝心の政治家や官僚たちだけが、巨大公共事業という箱物ばかり全国に造り続け、天下り先を無限に作り続ける体質を断ち切れない状態は仏像や寺という偶像ばかり国中に造り続け、政の本道を忘れ去った聖武天皇の時代と酷似する。

④歴史的未来

 世界的な奉仕を行う者と組織が人知の及ばない何らかの奇跡的手段で奉仕団体として認められる地位を得る。徐々に奉仕者とその組織に対し、世界中の人々の評価が高まるにつれ、統一宗教の祭司たちは不愉快に思うようになっていく。密告者制度を導入し多くの者は密告により捕えられ、世界総統への反逆罪で消されていく。奉仕をする者と組織も訴えられるが、確たる証拠も出なかった為、やがて撤回される。未来の絶対権力者も、その人々の行動に口を挟めない何かを彼らは持っている。その奉仕者と組織だけは奇跡的に暗黒時代を生き抜き、人々の光となって四方に輝き、希望の象徴となっていく。


6、終わりに

 飛鳥昭雄・山上智著「聖徳太子の秘文開封」の中に「未来記」の預言が書かれている。「未来記」は未来に確実に起こる事を聖徳太子が霊的預言しているものである。      ①「未来記」第84章の現代語訳と解説

(現代語訳)

真夜中に太陽を見る。北の方に月を出すばかり。

(解説)

この預言が言わんとしている事は、地球の昼夜が逆転してしまうということである。地球に何らかの異常が起きて『逆立ちコマ』のように首振り運動を始める。すなわち、ユラユラと揺れて一瞬にして横倒しになる。これをポールシフト(地軸移動)という。巨大な天体の大接近によるポールシフトの可能性が高いのである。

②「未来記」第83章の現代語訳と解説

(現代語訳)

羽をはやし何も無い空間に飛び、岩や石などが眼と口を現す。

(解説)

直訳的に解釈すれば、怪物のような異様な姿をした鳥が出現するか、戦闘機や大陸間弾道弾のようなミサイルが空を飛翔する天体の姿が浮かび上がってくるのである。宇宙を飛び回る羽のある天体というと光の尾を引く彗星ではないかということになる。ポールシフトを引き起こすには地球と月規模か、少なくとも月程度の大きさが無ければならない。聖徳太子は木星から誕生する巨大な原始天体が地球を目指して突進してくると警告している。飛鳥昭雄氏は、この天体をNASAがつけたコードネーム「ケツァルコアトル」としている。つまり、聖徳太子はノストラダムスと同様に聖書の預言を補完していたのである。

ノストラダムスの預言も同様であるが、「その預言を霊的に解釈出来る人だけが預言を解読出来るのである」と実感した。飛鳥昭雄氏の霊的解釈は7次元以上の能力といえる。飛鳥氏は2021年までに聖書に出てくる「海からの獣」が出現してくると解釈している。(私は、もう少し遅れるのではないかと推察している。2030年ごろではないかと思っている。)いずれにしても、その期間は暗黒時代であることは間違いない。

 2012年12月22日に地球がフォトンベルト(あるいはプラズマ・フィラメント)に突入するといわれている。地球は火の洗礼(太陽からのフォトンの洗礼)を受け5次元にアセンションすると言われている。飛鳥氏は最後の希望として行基のような人と組織の存在を挙げているが、私もその組織に参加したいと考えている一人である。

 


次元の壁を破る心の財産

「次元の壁を破る心の財産」

(まえがき)

 エハン・デラヴィ著「フォトン・ベルトの真実と暗黒星ネメシス」によると、①フォトン・ベルトは存在しない。②地球温暖化の原因は二酸化炭素ではなく、太陽の活動激化にある。③太陽の変化は、太陽系に近づきつつある褐色矮星ネメシスと呼ばれ恐れられた二ビルの接近により、電気的に刺激され猛烈に反応している。④2012年12月22日には何かが起こると警告している。

 エハン氏は褐色矮星ネメシス=惑星X=ニビルと考えている。しかし、飛鳥昭雄氏は超太陽系創造理論でネメシスを木星とし、ニビルは木星から誕生する太陽系第13惑星ケツァルコアトルであるとし、惑星Xは太陽系第10番惑星NOX(ノクス)としている。飛鳥氏のプラズマ宇宙理論は地球内部の亜空間世界にまで及び、聖書の預言を科学的な立場から解明している。飛鳥氏は真実のパラダイムを公開しているのである。

 養老孟司著「バカの壁」を読んで感じたことは、「バカの壁」は次元の壁で言うと5次元の壁であると思ったのである。自分の知りたくないことについては、自主的に情報を遮断している壁のことを「バカの壁」と言う。壁の内側だけが自分の世界であり、壁の向こう側が全く見えない。戦後の教育はGHQの影響もあり、我が国の人々は「バカの壁」の中にいる。確かに「バカの壁」の中に入れば思考停止となり楽である。しかし、「バカの壁」=「自我の壁」を自ら破らなければならない時期に来ている。真実のパラダイムを知ることによって「自我の壁」は破れる。

 藤原正彦著「国家の品格」は6次元の意識を明らかにした本である。欧米の合理的精神(5次元の意識)の誤りを指摘し、日本の武士道精神(7次元の意識)の復活を提唱している。武士道精神は不惜身命であり、菩薩の意識である。その中核が惻隠の情である。惻隠の情は6次元上段階の意識であり、この意識を実践できることが菩薩なのだ。戦後の日本人はアメリカの奴隷となり、欧米の合理的精神を正しいものと信じ、本来の日本精神を失ってしまった。5次元の限界は「論理を徹底すれば、問題が解決出来る」と信じてしまったことにある。論理だけでは世界が破綻する。論理の限界は次の通りである。

  1. 人間の理性や論理には限界がある。これは、カントも指摘しているが6次元の壁を破るには合理的精神ではなく神を信じる直観によるからである。②最も重要なことは論理では説明できない。ゲーデルが「不完全性定理」を証明し、論理に頼っては永久に判定できないことを証明した。③論理には出発点が必要であり、論理の出発点を選ぶのは情緒や形(6次元の意識)である。④論理は長くなりえない。⑤論理だけでは人間社会の問題の解決は図れない。⑥自由とか平和という概念は、欧米が作り上げたフィクションである。

     藤原氏は論理や合理的精神が信頼できないとすれば「情緒や形」を見直すことであるとしている。(「情緒や形」は一言で言うと日本の心である。日本には昔から道と言う修行道があり、武道、剣道、茶道、華道などがあり、自然と一体になった姿が形なのである。それは、「光の道」を進むことであり、6次元の意識なのである。情緒は神の心である片寄らない中道の心を意味していると考えられる。)

     霊の世界があると思っている人は4次元の意識を持っている。しかし、テレビで放映している内容は全て地獄霊専門であり、地獄霊に執着していると憑依されてしまうので要注意である。地獄霊は4次元下段階に住んでいる。4次元上段階は天国と言われている所であるが、まだ霊の自覚に目覚めていない者が多い。霊の本質に目覚めると5次元の世界に進化していく。5次元の世界は意識の世界であり、想う事が実現する世界である。精神統一が修行の目的となっている。6次元の世界は神の意識が分かり、神の心に則って生活している。7次元の世界は神の心を実現する為に地獄霊を救済する使命を持って活動している。8次元の世界は如来の世界であり、宇宙即我の境地に到達している為、衆生済度行為を中心に諸菩薩・諸天善神の指導をしている。9次元は真のメシアであるエル・ランティーが存在する世界であり、霊太陽として存在している。エル・ランティーの分霊にイエス・ブッタ・モーセがいる。しかし、地球存亡の危機であった20世紀にエル・ランティーが人間・高橋信次として誕生した。そのため、20世紀の危機は回避されたが、2012年12月以降に太陽のプラズマ直撃を受け、地球は大変なことになる。それを避ける為に「バカの壁」を突破して5次元レベルの意識になることが急務である。

     次元の壁は高次元から見ると膜の様な存在であるという。高次元から3次元を見ると、3次元は膜のようなものの上に貼り付いて住んでいるという。私たちは多次元構造の中で生きている。次元の壁を破れるかどうかは心の浄化によって決定される。私は次元意識を物差しにして、市販されている多くの本を読んで著者の意識を判定してみた。その結果、次のような感想を得た。

  1. 真実なパラダイムを知らずに自分の思想を書いている者は5次元止まりであると感じたし、真実のパラダムを無視している者も5次元止まりである。

  2. 6次元以上と思えたのは真実のパラダイムを知り、それを踏まえて多くの人に語っているレベルの人達である。例えば、藤原正彦著「国家の品格」や養老孟司著「バカの壁」は真実のパラダイムを知るべきだと訴えている本である。

  3. 真実のパラダイムを熟知し、心の浄化も進み、霊能力を駆使して多くの人々に真実を伝えようとしている人達が菩薩である。例えば、明治天皇の孫である中丸薫女史とNASAからの真実の情報を伝えている飛鳥昭雄氏がいる。彼らの著書には真実のパラダイムが書かれている。中丸薫女史は天からのメッセージとUFOからのメッセージと地底人(アルザル人)からのメッセージを受けられる霊道者である。天からのメッセージではエル・ランティーからのメッセージも受けられ、エル・ランティーが高橋信次先生であることを確認している。中丸薫女史は霊道を究め、遂に人類最高責任者であるエル・ランティーに辿り着いた。飛鳥昭雄氏は「聖徳太子の預言」や「ヨハネの黙示録」をカッバーラで解明した。また、裏天皇と言われる裏神道の総元締めから日本の秘密を解き明かしても良いというお墨付きを得た唯一の人物である。飛鳥氏はカッバーラを神の証明の為だけに使用して金儲けの手段としていない。これは、菩薩の生き方である。

  4. 菩薩以上のレベルが存在する。それが如来である。如来レベルは宇宙即我の境地に到達し、神の意識に同通している。それは、高橋信次先生の「心行」と「心の発見」が証明している。心は霊子の存在を認識していなければ発見できない。霊子は22世紀に発見されると預言されている。「心の発見」が出来ることこそ真のメシアの証明なのである。さらに高橋信次先生は「太陽系霊団の系図」を示し、真のメシアの存在を明らかにした。私は、高橋信次先生の名前から「高次元の世界から信という架け橋をかける人」と言霊法で解明した。高橋信次先生はブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信として真の指導者の生き方を初めて人類に示されたのである。そのため、9次元の意識も明確になったのである。高橋信次先生は「道即法」「法即行」「行即光」「光即道」と具体的に次元の鍵を示された。私は、この教えを悟られた人だけの専売特許であると思っていた為、深く追求しなかった。しかし、「道即法」は6次元レベル、「法即行」は7次元レベル、「行即光」は8次元レベルの指針を示していたのである。そして、真のメシアは「光即道」を示さなければならなかった。それも最も分かりやすい方法で示さなければ真のメシアの使命は果たせなかったからである。真のメシアが示された「光の道」や「道しるべ」を受け取れるレベルが6次元以上である。誰でも6次元までは次元上昇できるので「バカの壁」を破ることが先決である。

     現在のあなたの次元をチェックできる簡単な例題がある。それは、青い鳥を探す童話があるが、「あなたは、青い鳥をどこで発見しますか?」というものである。

  1. 青い鳥は存在しないので探さない

  2. 青い鳥は存在すると思い、家の外に探しに行く

  3. 青い鳥を自分の心の中に発見する

    3の自分の心の中に青い鳥を発見できる人は6次元である。真のメシアが示してくれた「光の道」が青い鳥なのである。青い鳥は心の中の霊子線で繋がっている。2の青い鳥を自分の外に探そうとする人は5次元レベルである。4次元レベルの人は1であり、青い鳥の存在すら知らないので探そうともしない。しかし、1の人でも青い鳥の存在を知らせてあげれば彼らも次元上昇することが出来る。いずれにしても、自分の心に「光の道」があることに気付くことが大切なのである。

    私は、あなた(読者)に挑戦する。私のチェックリストと質問に回答して下さい。その結果、5次元以下と判定された場合は、私の勝ちであり、ホームページを是非読んで下さい。5次元以上と判定された場合は、あなた(読者)の勝ちであり、ホームページを読む必要がありません。それでは、「自我の壁チェックリスト」であなたの現在の次元を判定して下さい。その結果、「自我の壁」を破れなかった人は「次元意識に関する質問」で自分の次元を判定して下さい。それで、5次元以下と判定された人はホームページを読んで「自我の壁」を破って下さい。


第1章 次元の壁を破る心の法則

第1節 簿記の原理と心の法則

 簿記の原理は、心の法則とよく似ている。簿記を学べば学ぶほど心の調和の大切さが感じられる。簿記は心の調和を追求している技術であると思える。人間は光子を生産するメーカーであるならば、光子を生産する工場は心である。心の発見は高橋信次先生によってなされた。心=霊子の発見は9次元以上の霊能力が無ければ不可能である。高橋信次先生の遺産の一つは心の形を具体的に示したことである。心の形を具体的に示されたことにより八正道による反省が効率的にできるようになった。高橋信次先生が示された「心行」「祈願文」の意識は8次元であることが判明している。太陽系霊団の最高機密である「太陽系霊団の系図」は9次元レベルでなければ明らかにすることは出来ない。さらに、「道しるべ」として三体理論と次元意識を明らかにした。真のメシアだけが示せる「光の道」とは正法神理のことであり、それはイエスの愛とブッタの慈悲と高橋信次の信の実践であり、「心行」と「祈願文」に表わされている。人類は「光の道」を発見し、真っ直ぐに進むことが次元の壁を突破できる鍵となる。


(1)簿記原理とは何か?


複式簿記の原理は借方と貸方という2つの次元に分類して記入するシステムである。複式簿記の2元性は、複式記入の等式と呼ばれ、次の式で表わされる


  資産=負債+資本・・・・・・・・・・・①


それは、請求権を負債(貸方の請求権)と資本(株主の請求権)の和として次のように表わされる。


  資産=請求権・・・・・・・・・・・・・②


資産と請求権の2元性は、一方で企業の財の物理的経済的性格を表わし、他方でそれらの財に対する請求権を表わしている。資産と請求権がどうして対になるかという理由は明確でない。しかし、受取勘定と支払勘定との対比が出来ることは確かである。


負の資産であることが明らかな負債が資本という負の資産の概念でないものを一緒の等式の右側に置かれているのは何故か? それは、負数を忌避したからである。負数の概念は数学よりも会計の方が先に現われていた。複式簿記の成立時期では数学理論で負数を認めていなかった為、負数を忌避し、複式簿記を難しくしてしまった。そこで分かりやすくするために①式を次のようにかえる。


  資産―負債=資本・・・・・・・・・・・③


③式をさらに2元性の追求が便利なように次のようにする。


  財産=資本・・・・・・・・・・・・・・④


④式は財産の変動は、すべて借方で仕訳記入し、資本の変動のすべては貸方で仕訳記入する複式簿記システムである。


財産勘定は企業の現在の財政状態を表わし、それらはストック勘定であり、資本勘定は過去における財産の変動を表わし、それらは全てフロー勘定である。資本勘定は利益勘定で説明できるので次のようになる。

  財産=資本=利益・・・・・・・・・・・・⑤

井尻雄士教授は「三式簿記の研究」「利速会計入門」で次のように展開している。

「単式簿記は財産計算のみを取り扱ったが、複式簿記は財産計算に利益計算を導入し、両計算構造を等式で結合したものである。複式簿記は利益額を計算するだけでなく、利益がどうして生じたかを知るために、その性質に基づいて分類している。そして、分類された利益の勘定科目を用いて、利益の詳細を記録し報告している。つまり、純財産の変動を利益勘定で説明している。」

 単式簿記→企業の現状を財産勘定で把握する。

 複式簿記→企業の財産変動の理由を利益勘定で把握する。

「財産計算と利益計算が等式で結び付けられることは、財産計算で計算された利益と利益計算で計算された利益が常に等しいことを意味する。」

 財産計算での利益=利益計算での利益

「財産計算では何が起こったのかが記録されるのに対し、利益計算ではどうして起こったのかということが記録される。財産勘定というストックと利益勘定というフローの2つを組み合わせたのが複式簿記の基本構造である。」

 財産計算→結果を記録するストック

 利益計算→原因を記録するフロー

「複式簿記が単式簿記から画期的な発展をしたということは、財産計算(ストック)と利益計算(フロー)を第2の次元として加え、それを等式で結びつけたからである。」

 単式簿記→財産計算の1次元の簿記

 複式簿記→財産計算+利益計算の2次元の簿記


(まとめ)

 井尻教授は原因である利益を時間で微分し、利速会計を展開し、3次元の簿記を開発されているが、当ホームページの目的ではないので省略する。井尻教授の考え方を踏襲すると次のようになる。


 心の財産=心の資本=心の利益(光子量)・・・・⑥


 心の利益を微分することが高次元に移動できることを示している。また、心の財産状態の変動を光子量によって説明できることを意味している。                               (2)波動(光子・霊子)には法則がある。


①円運動の法則(円満の法則) 


 森羅万象は円運動によって支配されている。原子を構成するのは固有の回転を続ける原子核とその周囲を回る電子である。量子力学では原子核を構成する陽子や中性子、電子さらにクオークやレプトンなどの粒子としての性質を持つと同時に波動としての性格を持つと考えられている。波動の性質は往復運動であり、その描く軌道は円運動の部分である。波動という視点に立てば光や電磁波などのエネルギーも全て円運動である。


循環の法則(転生輪廻の法則)


 万象万物は生まれて成長し消滅するというサイクルを持つ。転生輪廻も人間の魂があの世とこの世を循環して魂を磨くことが目的である。波動理論の三体理論も9年周期のサイクルをもち循環している。人間の転生輪廻の目的は、この世をユートピアにすることと自分のカルマを修正することである。転生輪廻は、如来といえども従わなければならない仕組みになっている。例えば、イエス・キリストの生命は次の構成である。本体は、イエス・キリスト(紀元前三十二年 イスラエル)、分身1は、クラリオ(BC四千年頃 エジプト)、分身2は、マグガリス(AD二百年頃 イスラエル)、分身3は、フォアイ・シン・フォアイ・シンフォ(AD四百年頃 中国)、分身4は、バイロン(AD千五百年頃 英国)、分身5は、マグネチオ(BC二千年頃 エジプト)である。さらにブッタの生命も次のようになる。本体は、ゴーダマ・シッタルダー、分身1は、不空三蔵、分身2は、天台智顗、分身3は、最澄、分身4は、空教、分身5は、木戸孝允である。


共鳴の法則(類は類を呼ぶ法則) 

 同じような波動のものは共鳴し、引き寄せあい、波動の違うものは反発しあうということである。例えば、酒好きな人の所には酒飲みが集まり、静かな人の所には穏やかな人が集まってくる。そして、酒乱な人の所に、静かな人は絶対に寄り付かない。地獄霊が憑依するのは共鳴の法則である。重要な発明・発見が別な場所で別な人間によって同時期に成し遂げられたりするのは波動をキャッチしたからである。


作用反作用の法則(原因と結果の法則) 

 結果があることは必ず原因があるということを意味している。また、発信したものと同じものが返ってくるということである。人を呪えば穴二つということも、発信した自分に帰ってくるため、自分で自分を苦しめることになるのである。また、原因を起こしてもストレートに結びつかないのは3次元世界の波動が粗いためである。正しく念じ、正しく思い、それを持続することが原因と結果の法則を支配できるコツである。現在の自分を反省して、まだ欠点があるというのなら、それはこれからの将来において学ばなければならないものがあるということを示している。過去の想念の総決算が現在の自分であり、現在のあり方が未来の運命を決定することになる。原因と結果の法則を越える道が八正道の生活である。


慣性の法則(カルマの法則)

 

 心が一定の傾向性(癖)を持つと無意識にそのことを行ってしまう。人によって性格が違うのは、その人がそれまで考えてきた心の癖によって造られてきたからである。心の癖を仏教ではカルマといい、キリスト教では原罪という。地上での修行の目的は自分のカルマを修正することである。カルマは執着から生まれる。自己中心の考え方、自我我欲の思いが執着を生みカルマを造っている。カルマは先天的なもの、肉体遺伝のもの、環境によるもの(教育、思想、生活環境)により造られた。カルマの三割は過去世からのものであり、七割は今世で造られたものである。 

 

 ⑥フラクタルの法則


 部分の中に全体像が存在するという幾何学理論で、全体から部分を取り出すと、その形が全体とそっくりである(近似値である)。三体理論はフラクタルの法則により開発されたものである。出口王仁三郎師は菩薩界の人で日本の宗教の誤りを覚醒させる為に生まれてきたと高橋信次先生は言っておられた。出口王仁三郎師は「日本は世界の縮図である」として示した。(北海道は北アメリカ、本州はユーラシア大陸、九州はアフリカ大陸、四国はオーストラリア大陸)


エントロピーとシントロピーの法則(他力信仰と自力信仰の法則)


 物質とエネルギーは常に一つの方向へのみ変化する。使えるものから使えないエネルギーに変わっていく度合いをエントロピーという。宇宙に存在するものはエントロピー増大の方向性をもって変化・変動している。秩序を緩やかに崩していく他力信仰はエネルギーをマイナスにする。逆にシントロピーとは生命活動でエントロピーを克服し、エントロピーを減少させている。シントロピーを心がけることでリフレッシュし、体質を変えて新しい環境に対応できるようになる。自力信仰はエネルギーをプラスにする。エネルギーをプラスにすれば健康・幸福となり、マイナスにすれば病気・不幸がやって来る。自力信仰のみが正しい信仰である。何故、他力信仰が悪いのか? 聖徳太子が「未来記」で次のように表現している。「その時、魔王の波旬が現われて、仏教の名の下に僧家を破壊し、日本国を奪い取って支配した後、鬼国(残忍な国)に貶めようとする。そこで腹心の3人を僧(一遍、日蓮、親鸞)の姿にさせ、邪道を伝授し、日本の国の全ての人を惑わして三悪道(地獄道、餓鬼道、畜生道)に堕落させようとする。」踊り狂いながら国中を漫遊した一遍は仏教を空洞化し、多くの民を地獄に導いていった。他宗を全て見下し、罵詈雑言と誹謗中傷に終始した日蓮は餓鬼道を具現化させた。安易な救いを約束して布教を広めた親鸞は、多くの民を畜生道に導いた。親鸞はパウロの生命であり、同じカルマで同じように他力信仰を流布してしまうのである。それを信じる者も同じカルマがあるということである。いずれにせよ、親鸞や日蓮を信じている者は反省しなければならない。


自滅の法則(ケリッポトの穴)


 賞賛を受け、増長慢になると自滅の落とし穴に堕ちる。自滅は賞賛の二乗に比例する。カッバーラの「生命の樹」のケリッポトの穴に堕ちるのは増長慢となり、自我我欲・自己保存が増大したからである。ルシフェルであるサタンもケリッポトの穴に堕ちて堕天使となった。宗教や占いを金儲けの手段としている宗教家や占い師は自滅の道を進んでいる。


 

(3)人間は光子を生産するメーカーである


人間の体は、肉体・光子体・霊子体の三体が一体となって構成されている。肉体と光子体・霊子体(心)は霊子線というべき糸で結ばれている。肉体の死は霊子線が切れてしまった時であり、霊子体(心)は光子体という舟に乗って4次元以降の世界に帰える。光子(フォトン)は発見され量子力学が展開されたが、霊子は22世紀に発見されると預言されている。心のバランス度(調和度)によって光子量が違ってくる。光子量によって光子体が進むべき次元が決定されるのである。つまり、光子量により幽界→霊界→神界→菩薩界→如来界→宇宙界へと生命が進化していくのである。逆に光子が無く、借金状態つまり、心がスモッグ状態になった時は、地獄界で反省しなければならない仕組みになっている。日蓮は誹謗中傷、罵詈雑言が過ぎた為、600年間、地獄界で反省している。光の天使ですら地獄に堕ちるのだから、この3次元現象界において、いかに光子を多量に生産できるかが課題なのである。光子を生産するには光子量最大化の法則がある。


(4)光子量最大化の法則とは何か?


人間の想念行為が神の心に適うと光子(フォトン)が生産される。神の心から外れるとスモッグが発生し、カルマを造り出してしまう。光子を沢山生産するには、神理に適った想念と行為を実践する以外にない。また、想念よりも行為の方が光子を増加する仕組みになっている。「行即光」の実践が大切なのである。「行為によらなければ光は出ない」ということである。


①神理に適う想念と行為が光子を増加させる。

②神理に外れた想念と行為(自我我欲と自己保存の行為)は光子を減少させる。

自我我欲と自己保存の想念行為は黒いスモッグとなり、心の中に沈殿する。その黒いスモッグに悪霊が憑依し、社会的犯罪が多発するのである。異常な犯罪は悪霊の憑依が原因である。それゆえ、解決法として倫理道徳の教育を充実させなければならない。

③自我我欲と自己保存を減少させる根本的解決法は八正道による反省しかない。

反省は神が人類に与えた最大の慈悲だからである。

(イ)心の領域を理解する。(想念、本能、感情、智性、理性、意志)

(ロ)八正道を理解する。(正しく見る。正しく思う。正しく語る。正しく仕事をする。正しく生きる。正しく道に精進する。正しく念じる。正しく反省する。)

(ハ)感謝の気持ち(神に対する感謝、先祖に対する感謝、両親に対する感謝、万生万物に対する感謝)を再確認する。

(ニ)反省は行為によって完結する。同じ誤りを繰り返さないことである。


④神理に適う想念と行為

(イ)菩薩行の実践(問題解決行為、神理伝道行為、衆生済度行為)

  神理を行為で示すことが菩薩の使命である。分かりやすく神理を説明し、自ら模範を行動で示すことである。

(ロ)神理を行動の基準として示せること。つまり、「道即法」を具体的に示せることであり、心の中に倫理道徳観を確立することが出来れば6次元である。


(まとめ)

3次元世界において「道即法」「法即行」「行即光」を実践することが中道の道を進むことを意味している。真のメシアが示してくれた「光の道」を自分の心の中に発見し、自分の体験を通して神理の法として確立することが第一である。次に神理の法を行為とするために自らの倫理道徳基準を確立することになる。そして、最後に中道の行為を通して光子を生産することになる。これが光子量最大化の法則である。光子量が増加すれば次元は上昇する。中道の行為を実践することが3次元の課題なのである。


(5)心の財産の法則とは何か?


心の財産は、ある時点で心の器に光子が満たされている状態をストックで示したものである。それゆえ、心の財産は心の資産と心の負債に分類される。

 心の財産=心の資産―心の負債=心の資本・・・・⑦

心の資産は悟り度を示し、器の大きさである。慈悲と愛の想念行為により心の資産は宇宙大まで拡大される。心の負債は、カルマの浄化度を示し、自我我欲と自己保存のカルマの発生状況とカルマの浄化状況を表わしている。心の資本は光子量の蓄積状況を表わしている。

悟り度が高くても、カルマの量が多いと心の資本(光子量)が少なくなり、次元は低くなる。悟り度+カルマの浄化が光子を増加させ、次元を高くする。悟り度を拡大するには神理に基づいた体験を多くすることである。カルマの浄化は八正道に基づく反省しかないが、特定の行為をすることも浄化になる。特定の行為とは自分に不足している行為を何度も繰り返すことである。


(6)心の利益の法則とは何か?


心の利益は、慈悲と愛の行為により光子を生産することを示している。

 心の利益=実現主義による心の収益―発生主義による心の費用・・・⑧

心の収益は慈悲と愛の行為によるプラスの光子を生産するが、想念した時ではなく実際に行動が実現した時に認識される。心の費用は自我我欲と自己保存の想念行為によるマイナスの光子(スモッグ)を示すが、想念した時に認識される。

心の利益は、心の収益が心の費用を超えている時に、結果として光子を生産する。しかし、心の収益が心の費用を下回る場合はマイナスの光子(スモッグ)を発生させ、蓄えた光子量を食いつぶすことになる。

高橋信次先生が遺産として人類に残してくれた「心行」と「祈願文」は8次元の波動のため、毎日読むことで心の収益を高める効果がある。神理に適った行為と想いは八正道による反省によって養われる。自我我欲と自己保存の想念を毎日、反省し、修正した行為で示すことが光子を増加させる秘訣である。また、悟り度が高くなると、それに伴う反作用としてカルマの領域も広がり、心の浄化をしなければ次元は低くなることに注意しなければならない。


(7)心の監査


心の監査では⑦式から心の資産と心の負債を検討することになる。心の資産は、悟り度であり心の器を決定する。心の負債はカルマの発生・浄化の状況を示しているのでどのくらいあるか判断する。心の資本はその結果、光子量の総計を示しているのでどの次元に相当するのか判断することになる。(勿論これが出来るレベルは如来であるが、プロセスとしてはこのようになる。)⑧式からは慈悲と愛の想念行為(プラスの光子量)と自我我欲と自己保存の想念行為(マイナスの光子量=スモッグ発生量)の対応により、心の利益(光子の生産)が決定される。心の利益は、心の負債の浄化が進めば進むほど光子が生産される。さらに、心の利益を微分することにより、4次元以降の世界へと見聞を広げることも可能である。ちなみに、心の利益を微分するとは心の想念帯の壁を破って霊道を開くことであり、スウェデンボルグのように光子体で5次元以上の世界に移動できるということである。


(心の監査の注意事項)


(イ)心の監査は八正道により毎日、心の利益をチェックすることである。

悟り度は心の器の大きさであり、心の器に光子が満たされた状態が理想であり、心の監査の目指す方向である。ただし、悟り度が高くてもカルマの量が多いと心の次元は低くなるので、心の浄化を中心にチェックしなければならない。堕天使・ルシフェルは如来の器であったが、心の浄化が出来ず、地獄の帝王となっている。八正道によりカルマを浄化させていく以外にないのである。心の資本は光子量の蓄積度を示し、自動的に次元の高さを決定する。心の資産が心の負債を超えなければ、債務超過となり自動的に地獄界で反省しなければならない。心の資産と心の負債が等しい場合は地獄界へは行かず、精霊界へ行くことになる。心の資産が心の負債を超えれば天国(4次元上段階)以上に行ける。

(ロ)10歳頃から自我我欲(我儘)と自己保存(我慢)の意識が目覚める。

生まれた時は、きれいな状態であるが10歳頃から自我に目覚め、家庭環境によって自我我欲と自己保存の意識が顕現化してくる。それゆえ、子供の頃の反省が重要になってくる。

(ハ)バブルは偽りの悟りであり、真の悟りではない。

バブルは心の器が大きくならず、カルマだけが増大した状況である。バブルがはじけ不良債権が発生し、借入金だけが残ってしまう。偽物の宗教家・占い師を信じると悟ったような錯覚に陥るが、不良債権に繋がるので注意しなければならない。このような状態の時、カルマだけが増加したことに気付かないので、心の構造改革が必要である。カルマを浄化するために八正道で反省すること。心の器を大きくする為に神理を学び、6次元の意識を導入することが望まれる。

(ニ)プラス思考でも中道から外れると自我我欲になる。

プラス思考は、どの本でも無条件に推奨していることが多い。しかし、プラス思考でも中道を外れると自我我欲(自信家・怠惰者)のカルマを発生させる。マイナス思考は基本的に自己保存(被害者・卑下者)のカルマを発生させる。しかし、マイナス思考の人でも中道に合わせれば、謙虚な行動となり、足ることを知った生活が出来るのである。プラス思考も中道に合わせなければ自我我欲のカルマを育ててしまうのである。量子力学は「想念が現実を造る」ことを発見したので5次元であるが、無条件に念力ばかりに熱中すると天狗界や仙人界に行ってしまう可能性がある。中道という神の心にあわせることが5次元の課題なのである。

経営分析に面白い手法がある。損益分岐点という言葉を聞いたことがあると思うが、損益分岐点はプラス思考とマイナス思考を示しているのである。損益分岐点とは固定費と限界利益が等しくなる売上高を意味し、損益分岐点を越えれば利益が発生することになり、超えなければ損失が発生することを示している。損益分岐点以上の売上高がプラス思考ということである。損益分岐点以下の売上高がマイナス思考ということである。しかし、収支分岐点という手法が経営分析には存在する。つまり、損益分岐点以上の売上高でも収支分岐点を越えると経常支出が経常収入を超過してしまい、黒字倒産の危機に陥ることを教えているのである。(サービス業のように売上債権、棚卸資産が無い場合は、固定的支出がマイナスにならないので収支分岐点を越えると経常収入が超過となりキャッシュフローが増加する。通常は製造業の場合を想定しているので固定的支出がマイナスになり、限界収入率もマイナスになるので、収支分岐点を越えると支出超過となる。ここでは、心の製造工場を想定しているので、収支分岐点を超えると支出超過となると考える。如来のように「行即光」の実践が出来る人は例外的にサービス業のように収支分岐点以上でも収入超過となると考えられる。)


第2節 心の資産


私が次元という言葉を意識したのは、高橋信次先生の著書に出会ってからである。特に「大自然の波動と生命」では1次元から9次元までの諸相が図解されていた。そして、高橋信次先生が死の直前に悟られた「太陽系霊団の系図」によって初めて高次元の内容が具体的に明らかになったのである。高橋信次先生は、心の領域を具体的に明らかにされ、宇宙即我の境地を言葉で語り、その境地から「心行」を公開された。心行の言霊は天上界最上段階の意識であるとミカ・エル大天使が語っていた。さらに、天上界最高機密である「太陽系霊団の系図」はミカ・エル大天使によって高橋信次先生に明かされた。それは、真のメシアのレベルに到達したからである。高橋信次先生の遺産は人類の宝であり、心の資産である。私は、人類の心の資産である「次元意識」、「心の領域」、「太陽系霊団の系図」について公開したいと考えている。


(1)次元意識から数霊次元説が誕生した。

 私は、丹羽透涯先生から丹羽式姓名学を学んでいたので、1から9までの数字の根拠を追究していた。なぜなら、丹羽式姓名学は1から9までの数字で判断し、0を使わない姓名学であったからである。(それに対して、従来からの伝統式姓名学は1から81の数字で判断していた。)高橋信次先生が示してくれた次元は1から9までの次元であった。そのため、1から9までの数意(数字が示す意味)は1から9までの次元の意識に求められるのではないかと直観したのである。そして、私は丹羽式姓名学で学んだ数意と次元意識を比較対照してみたのである。

(丹羽式姓名学の数意)

1―知 2―意 3―情 4―働 5―闘 6―徳 7―流 8―金 9―苦

(次元意識の数意)

1―真(智慧)2―善 3―美 4―調和 5―勇気(正義)6―敬 7―愛 8―慈悲 9―信

その結果、判明したことは丹羽式姓名学で学んだ数意は、カルマを示していることが分かったのである。つまり、次元意識を光とすれば、カルマは3次元に投影された影であった。そして、次元意識において光と影の関係を明確にすれば、占いの判断基準になると閃いたのである。そのような時にベートーヴェンの交響曲が参考になった。例えば、第五交響曲(運命)は、既成の概念を覆す改革の意識を表現している。自己改革の力が5次元の意識である。第六交響曲(田園)は、ベートーヴェンが生涯を通してただ一度の感動的体験によって得た自然との合一であり、神との一体感を表現したのである。神との一体感は6次元にして可能である為、田園は6次元の意識を表現していたのである。第九交響曲は全人類への呼びかけの音楽として意義がある。最終章が異例の分かりやすい音楽であり、苦悩から歓喜へと導く真のメシアの意識を表現したものである。真のメシアは最後に最も分かりやすい方法で人類を導くのである。それが「歓びの歌」である。

私は、ベートーヴェンの交響曲をヒントにして占いの判断基準が次元意識にあることを突き止めた。つまり、「1から9までの数意は、1から9までの次元意識によって決定されている」ということである。その結果、誕生したのが「数霊次元説」である。数霊次元説は占いの判断基準になるばかりでなく、宗教における正法神理の「道しるべ」としても役立つことが分かってきたのである。

次元意識が理解できれば6次元の壁は突破できる。真のメシア・高橋信次先生が示してくれた「光の道」が正法神理であり、その「道しるべ」が次元意識であり三体理論なのである。三体理論は「大自然の波動と生命」の中でモーセによって霊示された「道しるべ」である。真のメシアは第九交響曲のように人類に最も分かりやすい方法(「光の道」と「道しるべ」)を示されたのである。

高橋信次先生を言霊法で解明すると「高次元の世界から信という架け橋をかける人」となる。ブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信を示せるのは真のメシアだけである。それゆえ、高橋信次先生は真のメシアとしての役割を果たしたのである。

 光の道→正法神理(イエスの愛、ブッタの慈悲、高橋信次の信)=「心行と祈願文」

 道しるべ→次元意識と三体理論(モーセの霊示)

「光の道」と「道しるべ」は次元を貫く法則である。それゆえ、不滅の法といえる。私達にとって、この「光の道」を発見し、真っ直ぐに進むことが次元の壁を突破できる鍵となる。



(2)次元の壁とは何か?

 全世界の人類の三分の二は4次元と5次元の出身者であり、残りの三分の一が6次元以上の人達であると言われている。私達は、まずこの事を認識しなければならない。フォトン・ベルト(プラズマ・フィラメント)に地球が完全に入る日が2012年12月22日である。フォトン・ベルトに地球が突入する前に次元上昇(アセンション)することが要求される。このままでは、5次元以下の人達にとって苦痛が伴うことになる。それゆえ、早急に次元の壁を突破しなければならない。バカの壁を破ることが出来れば5次元の壁は破れる。フォトン・ベルトによって地球自体が5次元にアセンションすると言われているので少なくとも5次元の壁は破らなければとんでもないことになると推測できる。次元の壁を突破するには、それぞれの課題を解決しなければならない。次元におけるそれぞれの課題をクリアーできれば次元上昇できる。


  ①4次元の壁―人間は死によって4次元以降の世界に入る(原則)

 人間は死によって3次元から4次元へ移動する。人間の体は三体によって構成されている。その中心は心(霊子体)であり、神と繋がっている。霊子体は光子体が包んでいる。光子体の光子量によって次元が決定される。光子体の光子量が少なければ天上界(4次元上段階以上の世界)に進むことが出来ず、地獄界で反省しなければならない。光子量が増加することによって5次元霊界、6次元神界、7次元菩薩界、8次元如来界、9次元宇宙界へと上昇していく。如来は神の心と同通しているため、霊子体となっている。霊子体で最も光明化しているのが9次元の真のメシアである。高橋信次先生はエル・ランティーであることを悟り9次元宇宙界に存在している。人間は3次元に住んでいる為、肉体を持って出生している。肉体を脱ぎ捨てた状態が光子体の状態であり、人間は死によって4次元の壁は突破できる。ただし、悟りの状態により高次元に行けるレベルの人もいる。宇宙即我の境地になったブッタは7次元菩薩界で「縁生と悟り」について講演している。近年では高橋信次先生が宇宙即我の境地になり菩薩界で「物質と生命」について1時間30分講演している。スウェデンボルグは7次元までしか見聞できなかった。宇宙即我の境地にならなければ8次元以上には行けないからである。宇宙即我の境地にして初めて神の心が分かるのである。人間は死によって3次元から4次元に移動する時、肉体を脱ぎ捨て光子体の体になる。光子体の光子量によって次元が決定されている。3次元にいる4次元レベルの人は目的意識が不足しているので、自分とは何かを追求し、自己確立のために学習することが大切である。その中で自分を磨いていくことが5次元への進化につながる。

 

 ②5次元の壁―進化させようとする意識があれば5次元の壁は突破できる

 5次元の壁は4次元から5次元に進化する時に破らねばならない壁である。突破するためには、自分自身を進化させようとする意識があること。何が正しいか判断することが出来ること。現状の仕事を分析し、改善できること。自分の得意技を開発しようとすることが必要である。5次元は念力の強化や想念の統一が課題となっている世界であり、それに耐えられることが条件になる。5次元レベルの人は、まだ正しい方向性が分からないので正しい道を探すことが使命となる。正しい方向性でない場合は仙人界や天狗界へ行ってしまうので要注意である。


 ③6次元の壁―「道即法」を示せることが6次元の壁突破の条件である。

 6次元の壁は5次元から6次元に進化する時に破らねばならない壁である。突破する為には、正しい心を発見できること(「光の道」の発見)。次元意識が分かること(「道しるべ」の理解)。人生の目的と使命が分かること。自分の開発した手法が神理に基づいていることを確認できることが条件である。6次元の世界は「道即法」の実践の世界である。真のメシアが示してくれた「光の道」を法として確立することが6次元神界の使命なのである。6次元の人は正法神理を頭で理解できても行為が伴わない為、7次元には行けないのである。


 ④7次元の壁―「法即行」を示すことが7次元の壁突破の条件である。

 7次元の壁とは、6次元から7次元に進化する時に破らねばならない壁である。突破する為には、仕事と正法神理の統合が出来ること。神理伝道の為に「道しるべ」として占いを活用できること。未来の出来事が予測できること。(悪魔も霊能力を駆使するので正しい方向に向いているか検討が必要である。)地獄の救済が菩薩の最大の使命であることを理解していることである。7次元の世界は、仕事や行為により神理伝道するレベルである。つまり、仕事と宗教の統合がなされ、神理を行為で示し、地獄界を無くすことが使命である。「法即行」を実践することが7次元である。ガブリ・エル大天使の生命であるカルビンは、職業と正法の統合を説いて宗教改革をしている。自分の仕事が正法の実践であると認識できるレベルが7次元である。


 ⑤8次元の壁―「行即光」の実践が出来ることが8次元の壁を突破する条件である。

 8次元の壁とは、7次元から8次元に進化する時に破らねばならない壁である。突破する為には、「行即光」の実践が出来ること。行為が光になり行為そのものが神理伝道になっている。存在しているだけで神理伝道が出来るレベルである。霊的能力が最高となり観自在力と漏尽通力が最大限に発揮される。宇宙即我の境地を体験して神の心と同通していることである。8次元の世界は「行即光」の世界であり、如来の在り方を示している。


 ⑥9次元の壁―「光即道」を示せることが9次元の壁を突破する条件である。

 9次元の壁は、8次元から9次元に進化する時に破らねばならない壁である。真のメシアだけが「光即道」を示すことが出来る。また、霊子(心)の発見が出来ることは、9次元レベルである。暗黒の世界にあって神理の道を示すことが真のメシアの使命である。それも最も分かりやすい方法で示さなければならない。

 光の道=正法神理は「心行」「祈願文」によって分かりやすく表現されている。「心行」「祈願文」はベートーヴェンの「歓びの歌」に該当する。

 道しるべ=次元意識と三体理論は「光の道」を進むときに役立つ指針となるものとして示されたものである。

真のメシアが示された「光の道」や「道しるべ」を受け取れるレベルの人達が6次元以上である。残念ながら6次元以上のレベルの人達は全人類の三分の一しかいない。しかし、私は誰でも6次元まで次元上昇できると信じている。



(3)真のメシアの存在証明

 私は、高橋信次先生の著書に出会い「心の発見」「心の原点」「人間釈迦」を読んだ時、高橋信次先生はお釈迦様であると思った。私が、最初に高橋信次先生の講演会に参加した時、心の中で「先生はお釈迦様ですか?」と質問した。その時は何もなかったが、しばらくして八起ビルの講演会に行った時に、信次先生が私の顔を見て次のように言った。「講演会の時、私に向かって、大きな声であなたはお釈迦様ですかと呼びかけた人がいた。」と言うのである。私は驚いてしまった。私が心の中で思ったことにすぎなかったことが信次先生にとって大きな声に聞こえたと言うのである。しかも信次先生はおどけた格好で「ビックリした」と連発し、次のように語った。「私は、ただの電気屋です。お釈迦様ですかと聞かれてビックリした。もし、あなたが心の窓を開いて悟ったならば、私が誰であるか分かります。それまで私はただの電気屋です。」

高橋信次先生は、この様に語り、私の前に来られて、しばらく話されていました。その時の私は言葉に表現できない感動がこみ上げてきて、これ以上ない深い感動を体験しました。私は、その時「信次先生はお釈迦様である。」と確信したのでした。

1976年6月25日に信次先生は他界し9次元宇宙界に帰還されました。その直前にミカ・エル大天使が出現し、高橋信次先生は真の悟りを得られたのでした。それが、「太陽系霊団の系図」である。高橋信次先生は真のメシアの存在を全人類に示す為に出生してきたのである。「高次元の世界から信という架け橋をかける人」という言霊法で解明できる使命を果たされ「光の道」と「道しるべ」を示されたのである。また、ブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信として真の指導者の生き方を初めて人類に示されたのである。そのため、9次元の意識も明確になったのである。高橋信次先生は「道即法」「法即行」「行即光」「光即道」と具体的に次元の鍵を示されました。「道即法」は6次元レベル、「法即行」は7次元レベル、「行即光」は8次元レベルの指針を示されたのである。そして、真のメシアは「光即道」を示さなければならなかったのである。それも最も分かりやすい方法で示さなければ真のメシアの使命は果たせなかったからである。(如来レベルでも最もシンプルな方法を示すことは難しいのである。)



(4)太陽系霊団の系図

高橋信次先生のところにミカ・エル大天使が出現し「主よ、主よ」とミカ・エル大天使が呼びかけた時、信次先生は全てを悟られたのである。それが「太陽系霊団の系図」である。「太陽系霊団の系図」の中心に神の光をプリズムにかけるエル・ランティーがいる。エル・ランティーは人類最高責任者であるが、神ではない。エル・ランティーは9次元宇宙界に霊太陽・真のメシアとして存在している。エル・ランティーの光の分霊としてアガシャー(イエス)、カンターレ(ブッタ)、モーセの三神(メシア)がおられる。地上に出たイエスはエル・ランティーを指しエホバと呼び、ブッタはブラフマンと呼び、モーセはヤハウェと呼んだ。現代文明の源流は文証(ブッタ)、理証(イエス)、現証(モーセ)による宇宙の法の確立にあった。しかし、この三神(メシア)の背後にはエル・ランティーの光があったからである。光の直系はエル・ランティーの下に7大天使が配置されている。エル・ランティーの光のプリズムを通すと7色の光が、それぞれの人格を持たれた姿になる。7大天使の天使長がミカ・エル大天使であり、太陽界(8次元上段階)に存在している。ミカ・エル天使長は如来界と宇宙界を繋ぐ光の直系であり、真のメシアの助力者である。6大天使の筆頭にガブリ・エル大天使がいる。ガブリ・エル大天使はミカ・エル天使長、イエス、ブッタ、モーセに報告するための通信・伝達の業務を担当している。次いでウリ・エル大天使は政治・経済・自治を担当し、サリ・エル大天使は医学・薬学を担当し、ラグ・エル大天使は立法を担当し、パヌ・エル大天使は科学全般を担当し、ラファ・エル大天使は芸術・文学・歴史を担当している。大天使の側面からの助力者としてガブリ・エル大天使の下にセラ・ビム(菩薩)、ケル・ビム(諸天善神)の光の天使がそれぞれ数百名ずつ配置されている。アラーを信奉したマホメットはガブリ・エル大天使の直接指導を受けた。アラーはエル・ランティーを指した呼び名である。そして、高橋信次先生の高次元の名はエル・ランティーと呼ばれている。

大天使ミカ・エルはアポロとして生まれ正法を説いた。また、エリアとしてバールの邪神と戦っている。近年にはルターとして宗教改革をした。大天使ガブリ・エルも舎利仏としてブッタの一番弟子として活躍した。近年にはカルビンとして宗教改革をした。さらに、ワシントンとしてアメリカ初代大統領として生き、日本においては西郷隆盛として生まれ、高橋信次先生の弟子・園頭広周師として生まれている。園頭広周師を言霊法で解明すると「エデンの園の頭として正法を周囲に広める人」であり、ガブリ・エル大天使の役割が正法流布であり、諸菩薩・諸天善神の指導であることを示している。パヌ・エル大天使は聖徳太子として生まれている。ラファ・エル大天使はルネッサンスの画家ラファエロとして生まれている。ラファエロは芸術のあるべき姿を絵画によって示した。芸術とは高次元の意識を3次元に投影したものであり、心に感動を与えるものでなければならないことを示したのである。地獄界の諸相を投影したものは芸術ではない。文学や音楽に地獄の諸相を投影したものが沢山あるので再考が必要である。


(5)次元意識

「太陽系霊団の系図」により、初めて高次元の世界の意識が示された。それまでは、6次元の意識までが解明されていた。高橋信次先生によって初めて7次元以上の意識が示されたのである。各次元の意識の本質を示すと次のようになる。


①9次元宇宙界は救世主の世界であり、救世主として全人類を救うことが使命である。真のメシアが肉体を持ったことにより、初めて9次元の意識が明らかにされた。それが「信」である。指導者のあり方を示し、全人類に最も分かりやすい方法(「光の道」と「道しるべ」)を示され、ブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信として示された。「光即道」の実践が出来ることが真のメシアの条件である。「高次元の世界から信という架け橋をかける人」が高橋信次先生であり、真のメシアの証明である。

②8次元如来界はエル・ランティーの光の直系として衆生を済度する役割を持っている。3次元現象界に肉体を持ち、慈悲と愛を説き、衆生を救って天上界に真っ直ぐに還って来るので如来といわれている。如来は宇宙の法を説くことにより、多くの衆生を救っていくことが使命であり、「行即光」を実践できる世界が8次元である。8次元の意識はブッタの説いた慈悲である。

③7次元菩薩界は神理伝道の長としての役割を持った世界であり、現象界に肉体を持った時には如来の補助者として活躍し、如来が出生していない時には如来に代わって正法を説くことになる。7次元は如来の補助者として神理伝道に精進することが本質である。地獄界を救済することが菩薩の最大の使命である。神理伝道の為に自らを犠牲にして他人のために奉仕する行為が菩薩の行為なのである。「法即行」の実践が7次元である。7次元の意識はイエスの説いた愛である。愛の意識によって菩薩行をすることが使命である。

④6次元神界は光の天使の予備軍として3次元進化の推進者としての役割を持っている。光の天使になる為には自己確立が必要であり、神理伝道がスムーズに出来るように神理学習が課題となっている。徳を積まなければ神理伝道は出来ない。「実るほど頭の下がる稲穂かな」の心境が必要である。6次元の本質は「敬」と判断できる。目上を立て、敬い、秩序を重視し、「道即法」を実践できる世界が6次元である。真のメシアが示された「光の道」を発見し、その道を真っ直ぐに進むことが法の確立に繋がるからである。

⑤5次元霊界は非常に多くの霊が住んでいる世界であり、霊性開発を目的としている。この世界は自分で殻を破ることが必要で、勇気を出して己に克つ努力をする世界である。5次元の本質は「勇気」であり、「正義」である。この世界の住人は、真のメシアが示された「光の道」を早く発見することが課題である。「光の道」を発見できない霊人は心の在り方が分からず反省が出来ない為、いつまでも5次元以上には進めない。自分の中に神と霊子線で繋がっている自分の心を発見すれば6次元に進化できる。

⑥4次元幽界は、まだ完全に霊性に目覚めていない為、不調和な世界をも創造してしまった。幽界の一部に地獄界を創ったのも心の調和を図っていなかったからである。8次元の大天使であったルシフェルも3次元に執着を持った為に、天上界に帰れなくなり、地獄の帝王として君臨している。3次元が混乱すればするほど地獄界にとっては生活の場が広がる為、破壊作用をしているのである。4次元の本質は心の調和を図ることであり「調和」である。

⑦3次元現象界の目的は、神の国・ユートピアを創ることであり、己のカルマを修正することである。ユートピアの具現は究極の芸術である。芸術の目指すところは美であり、3次元の意識は「美」といえる。

⑧2次元の世界は善悪二元論の世界であり、道徳の完成を目的とする。それゆえ、悪を捨て、善を取る意識が大切であり、2次元の意識は「善」といえる。

⑨1次元の世界は一元論の世界であり、真理(神理)追究しかない。それゆえ、1次元の意識は「真」である。


(6)三体理論


①高橋信次先生の著書「大自然の波動と生命」の中で三体理論が説かれている。この理論は、すべての物質は三体から構成され、陽性(肉体)、陰性(表面意識)、中性(潜在意識)に分類される。陰陽五行説は中性の存在を度外視した為、6次元以上の「光の道」には繋がらない。中性は潜在意識を意味し、天上界との繋がりを示したものである。また、波動のリズムは年の波動を9年周期としている。12年周期の占いは根本的に間違っているので修正が必要である。月の波動は12ヶ月周期である。日の波動は年の波動と同じ9日周期となっている。時の波動は「大自然の波動と生命」には書いてなかったが、月の波動と同じく、12時間周期であると考えられる。

②三体理論は将来に起こりうる現象の近似値を見つけ出す為の説明であり、神理と科学の一致を証明するものである。それゆえ、三体理論を絶対視することは無く、あくまでも近似値であることを忘れてはならない。完全に予測できるのは如来以上のレベルが必要であり、観自在力を発揮し、潜在意識の中の想念帯を読まなければならないからである。その時、潜在意識の中の守護霊が、全ての情報を伝える仕組みになっているからである。守護霊の情報により完全な預言が可能となるのである。

③大自然の三体現象に数を代入し、波動の近似値を知ることが出来る。近似値というのは過去世のカルマや後天的なカルマや肉体の持つ因果による内部抵抗があり、100%の生命力が発揮できない為である。しかし、自然の理法を悟って自分の使命を知り、慈悲と愛の調和された環境を創っていけば運命に左右されず自由自在に活動することが出来る。それゆえ、従来の間違った占いに惑わされてはならない。間違った占いに限って占いを絶対視していることを指摘したい。結論として、大自然の循環やその他の事象と関連している問題を観察することにより、未来に起こりうる現象の近似値を見出すことが出来る。大自然の波動と生命の関係を解き明かしたのが三体理論である。私は三体理論を基にして「誕生日占いー生年月日の波動と数意」を出版している。


(7)心の領域


①霊子体の中に心があり、心には形がある。

脳神経回路に神が存在すると言っている人がいるが残念ながら間違いである。脳は肉体にあり、心は肉体に無い。霊子体に心がある。神は心の中に存在する。心は本来、丸く大きな風船のように立体的なものである。心の中心に「想念」があり、左に「本能」、右に「感情」、上に「智性」、下に「理性」があり、それが「意志」に伝達されるのである。表面意識と潜在意識は想念帯という壁に遮られている。想念が記憶されるのは想念帯である。表面意識と想念帯が浄化されると想念帯の壁が崩れ、心の内部の潜在意識が表面意識に流れ出してきて、これまで学んだことの無い過去世の言葉や智慧が生じてくる。これが霊道を開くという現象である。しかし、心の悟りが無い状態で霊道を開くと、動物霊や地獄霊に憑依される可能性が高いので八正道による反省が必要なのである。

②心を立体的に見ると、心の根元部は想念をはじめ本能、感情、智性、理性の各機能が一つに集約されてしまう。宇宙即我の大我は心の根元部に表面が繋がり発現された姿である。

③心の各機能の説明

1.想念とは円である心の中心部に位置し、エネルギー活動の場のことである。あの世で補給したエネルギーが貯えられ、その貯えたエネルギーを放出しながら想念活動をしていく。人間の想念も神から与えられたエネルギーを動力とし、肉体を動かし意識活動が出来るように仕組まれている。

2.本能とは生物が、この地上で生きていく上において、神が与えた最低の必須条件である。飲食本能と性本能を基本に、この地上を調和させていく為の原動力である。表面意識は欲望につながっている。本能的欲望は本能を軸に感情と智性が働くので起こる。潜在意識の本能は地上のユートピアを造る基礎である。本能には喜びがあり、この喜びを報恩の行為に繋げることが本能の姿である。

3.感情は行動の源泉であり、表面意識は喜怒哀楽を現わしている。潜在意識は感動・感謝の豊かな情操と調和である。

4.智性とは考える能力であり、表面意識は知識である。表面意識は五官という感覚を基礎にしているので混乱の原因となる。潜在意識は智慧であり、理性の働きが強く作用する時に現われる。

5.理性は物の道理を判断する能力であり、表面意識は経験的だけに視野が狭い。潜在意識は転生の経験があるので正しい判断が出来る。

6.意志は具体的行動を意味する。(表面意識の場合)本能が意志に伝わると愛欲、エゴ、闘争に流れる。感情が意志に伝わると争い、怒り、衝動的になる。智性が意志に伝わると独善に流れる。(潜在意識の場合)ユートピアの実現に対する自覚があり、心の各機能が相互に関連し、理性を通して意志に伝わると本来の使命に目覚める。


第3節 心の負債

心の負債は、カルマの浄化度の状況及び自我我欲と自己保存の黒い想念行為によりカルマの発生状況を示している。つまり、過去世のカルマと現世のカルマの状態と浄化度を示している。人間は、生まれた時から恩を受けて育っているのであり、その恩をお返しする義務を自動的に負っているのである。報恩の行為が心の負債を返済する条件なのである。人間は報恩行為、社会に対する報恩行為をしない限り心の負債は残高として残ったままになる。少しでも報恩行為で心の負債を返済することが望まれる。

  1. 自我我欲と自己保存の発生するプロセス

    人は、この世に誕生し、0歳~2歳ぐらいまでは自我(エゴ)は発生しない。この時期の子供は、前世で修正されていないカルマが残っていて、そのカルマに影響されて、いろいろな性格が発生してくる。2歳~6歳ぐらいにかけて、自我(エゴ)の方向性が定まっていく。家庭環境により、我儘な子供と我慢強い子供に分かれてくる。さらに、我儘な子供は、自分の我儘を他人にまで及ぼす自信過剰なタイプと自分の範囲内に止める自己満足なタイプに分けられる。我慢強い子供は、防御意識から他人を攻撃するタイプと自分を責めるタイプに分けられる。

    自我(エゴ)―陽性のエゴ(我儘)―自信家→自信過剰、ワンマン、支配欲、誇大妄想

                         地位・名誉欲、自己中心

                    ―怠惰者→大勢順応、日和見的、甘え、あきやすい、

                         移り気、注意散漫、平和主義

          ―陰性のエゴ(我慢)―被害者→敵愾心、暗い性格、人を信じない、

                         すぐ怒る、意志が強い、他人を攻撃する

                    ―卑下者→閉鎖的、内向的、現実から逃避、孤独

                         おとなしいが強情、自分を責める

  1. 陽性のエゴ(我儘)=自我我欲の発生プロセス

    家庭環境が裕福で大事に育てられた場合は、我儘に育つ。

    6歳~10歳→(自信家)好き嫌いが激しくなる。自己中心的となる。

           (怠惰者)人にすぐ甘える。物にあきやすい。移り気である。勉強を

                したがらない。

    10歳~20歳→(自信家)物事の是非を好き嫌いで決めてしまう。人柄は開放的で

                 外にばかり興味を示し、直情傾向となる。

            (怠惰者)注意力が散漫になり、意志が弱い。

    20歳~30歳→(自信家)物に感謝すること無く、劣等感や優越感にすぐ浸る。

                 虚栄心が強い。

            (怠惰者)人を信じ、人の顔色を見る。日和見的である。

    30歳~40歳→(自信家)地位・名誉に執着を示す。自己宣伝したがる。

                 人と話が合わないとすぐ怒り出す。

            (怠惰者)意見は言うが、多勢の意見に従う。すぐ妥協する。

    40歳~50歳→(自信家)ワンマンになりやすく、短気となる。建前を重んじ

                 物に執着する心が強くなる。

            (怠惰者)人とは争わず平和主義を貫く。

    50歳~70歳→各年代別に出てきた性格が発生してくる。最も心に根ざした性格が

            70歳になると表面化する。子供と衝突し孤独に陥る。

  2. 陰性のエゴ(我慢)=自己保存の発生プロセス

    家庭環境が厳しく冷たい家庭に育つと忍耐強く我慢強い性格が育つ。

    6歳~10歳→(被害者)友達が少なく閉鎖的で敵愾心が強い。

           (卑下者)妬みが強く、おとなしいが強情

    10歳~20歳→(被害者)出世して友達を見返してやりたいという気持ちが強い。

                 意志が強く、人一倍勉強する。

            (卑下者)自然と無口になり冷たい人柄になっていく。内向的

                 性格が表面に出てくる。

    20歳~30歳→(被害者)暗い子供時代を過ごしてきたので人を信じない。孤独と

                 なり、職業も個人の能力が伸ばせるものを選択する。

            (卑下者)物事は控えめだが、好奇心が強い。心の安定を望んでいる。

                物事が逃避的傾向となる。

    30歳~40歳→(被害者)仕事中心主義で家庭にあっては厳しい父親、冷たい母親

                 ができる。強情な性格なので怒り出すと止まらない。

            (卑下者)困難になっても忍耐強く内向的性格のため計画性に富む。

    40歳~50歳→(被害者)自己中心の傾向が強く、人と妥協せず、人の失敗を許さ

                 ない。家庭は冷たく、いつも孤独である。男の場合は

                 仕事が生きがいになる。

            (卑下者)自分の人生を振り返り、失意の念にさいなまれる。

                 何かあると、すぐ落ち込む傾向がある。

    50歳~70歳→各年代別に出てきた性格が発生してくる。我慢の性格が出ると子供は

            自然に離れていき、晩年は子供時代の暗い環境と似た心境で一生を終

            える。

     

    人はこの両方の性格を合わせ持ち、失敗と希望の人生の中で、その性格を造り上げていく。現在の欠点が、どの年代に造られたのか見ていくと、自分のエゴが陽性(我儘)か陰性(我慢)か把握できる。陽性のエゴは楽観的思考(プラス思考)の自我我欲であり、神の心(中道)から外れている。それは、積極的な自我我欲である自信過剰の自信家タイプと消極的な自我我欲である自己満足の怠惰者タイプに分けられる。陰性のエゴは悲観的思考(マイナス思考)の自己保存であり、神の心から外れている。それも積極的な自己保存である被害者タイプと消極的な自己保存である自虐者意識の卑下者タイプに分けられる。

  1. 陽性のエゴ(我儘)=自我我欲のチェックリスト

    (子供時代)

  1. 人の物が欲しくて、よく母親を困らせた。(自信家)

  2. 遊びに夢中になり、勉強などしなかった。(怠惰者)

  3. 勉強の出来ない子を、いつも見下していた。(自信家)

  4. 両親から褒められるより、学校の先生に褒められる方がうれしかった。(自信家)

  5. 友達同士の間では自分が常にリーダーでないと気がすまなかった。(自信家)

  6. 人から褒められることを願い行動した。(自信家)

  7. 友達の前では知らないことでも知っている振りをした。(自信家)

  8. 大げさな事を平気で言い、自己顕示欲が強かった。(自信家)

  9. 友達に自分の考えを押し付けた。(自信家)

    10、勉強が嫌いなので早く大人になりたいと思っていた。(怠惰者)

    11、泣いて訴えれば母親は何でも聞いてくれた。(怠惰者)

    12、勉強するより遊んでいる方が好きだった。(怠惰者)

    13、嫌いな子が来ると仲間外れにした。(自信家)

    14、学校が終わっても、夜遅くまで友達と遊んでから家に帰った。(怠惰者)

    15、母親は何でも言うことを聞いてくれたので、我儘になっていた。(自信家)

    16、いつも自分が中心でないと気持ちが悪かった。(自信家)

    17、何でも自由になったので人を見下す癖がついてしまった。(自信家)

    18、友達の心を傷つけるようなことを平気で言った。(自信家)

    (親の立場からの自分と子供の関係)

  1. 子供の勉強が気になって仕方がない。子供にいい学校に入れてやりたい。(自信家)

  2. 子供が泣かされてくると相手の家に怒鳴り込んでしまう。(自信家)

  3. 我が子でも好きな子供と嫌いな子供がいる。(自信家)

  4. 子供の成績は気にならない。人生はなるようにしかならないと諦めている。(怠惰者)

  5. 子供の前でも平気で夫婦喧嘩をする。(自信家)

  6. 子供を自分の枠に引き入れる。(自信家)

  7. 自分の人生観を子供に聞かせる。(自信家)

    (夫婦・男女問題)

  1. 愛情は肉体関係が主であると考える。(自信家)

  2. 夫婦は喧嘩するほどに密度を増すものと考える。(自信家)

  3. 仕事に夢中な夫は、私を少しも構ってくれない。(怠惰者)

  4. 気の優しい夫より暴力をふるっても逞しい男が好きだ。(怠惰者)

  5. 女は黙って男についていけば良い。(自信家)

  6. 夫を自分の思う通りになれば良いと思う。(自信家)

  7. 経済的能力のある男だけが夫たる資格者だ。(自信家)

  8. 夫に何か言われると弁解しなければ気がすまない。(自信家)

  9. 女は子供と同じで時には体罰を加えないと言うことを聞かない。(自信家)

    10、地位の高い男性を見ると憧れてしまう。(怠惰者)

    11、好きな女性を見ると行動的になる。(自信家)

    12、女性を見ると自然に想像が働いてしまう。(怠惰者)

    13、女性を見ると、つい騙したくなる。(怠惰者)

    14、女性を見ると軽蔑したくなる。(怠惰者)

    15、女の幸福は男次第だと思っている。(怠惰者)

    16、金を儲けるのは好きな女性を独占したいからだ。(自信家)

    17、女性の関心を得るには金が一番早いと考えている。(自信家)

    18、男性の前では出来るだけいいところを見せる。(自信家)

    19、朝と晩では思うこと考えることが違っている。(怠惰者)

    20、気の優しい女性よりも容姿の美しい女性に気が引かれる。(自信家)

    (職場と自分)

  1. 学歴と能力不足から、いつも劣等感に悩み続けた。(怠惰者)

  2. 計画を立てても思い通りにいかない。だから、思いつきで仕事をする。(怠惰者)

  3. 人の上にどうしても立ちたい。(自信家)

  4. 人に使われているのが堪え難い。(自信家)

  5. 仕事に熱中するが、すぐ冷めてしまう。(怠惰者)

  6. 自尊心から抜けきれない。(自信家)

  7. 自分はすぐ自信過剰に陥る。(自信家)

  8. 失敗しても相手が女性だと寛容になる。(怠惰者)

  9. 肩書きがいつも気になる。(自信家)

    10、自分の利益につながらないとやる気が起きない。(怠惰者)

    11.職場では虚栄を張ってしまう。(自信家)

    12、相手が上司だと考えもせず、すぐ信じてしまう。(怠惰者)

    13、上司のいる時は仕事をし、いない時には手抜きをする。(怠惰者)

    14、上司に注意されると、つい言い訳を言ってしまう。(怠惰者)

    15、人の顔色を見て話す。(怠惰者)

    16、同僚や上司の噂に興味を持つ。(怠惰者)

    17、弁舌に自信があるので、つい多弁になってしまう。(自信家)

    18、自分の知識をひけらかしてしまう。(自信家)

    19、自己満足に陥りがちである。(怠惰者)

    20、行動と考えがいつも違っている。(怠惰者)

    21、人と議論をするのが好きだ。(自信家)

    22、不用意な発言が多く、いつも悔いてしまう。(自信家)

    23、職場では、いつも活気に満ちた振りをしている。(怠惰者)

    24、交際の範囲は利害打算により決めている。(怠惰者)

    25、公的な場でも私情が入ってしまう。(怠惰者)

    26、学歴のない人を見ると見下してしまう。(自信家)

    (自分の欠点と性格)

  1. 働くことに興味が持てない。(怠惰者)

  2. 人を信じてしまい、後で後悔する。(怠惰者)

  3. 自分に甘く相手に厳しい。(自信家)

  4. 思い通りにならないとイライラする。(自信家)

  5. 地位・名誉が気になって仕方がない。(自信家)

  6. 金銭欲から離れなれない。(自信家)

  7. 個人の金銭欲が世の中を動かしている。(自信家)

  8. 親子でも夫婦でも金だけは別だ。(自信家)

  9. 物事はすべて金で解決される。(自信家)

    10、他人には厳しいが身内には寛容になる。(自信家)

    11、変わった洋服を見るとすぐ買いたくなる。(怠惰者)

    12、自分が考えるよりも他人に考えてもらった方が楽だし、間違いがない。(怠惰者)

    13、人前に出ると自分の意識を飾ってしまう。(自信家)

    14、人前に出ると自己主張が強くなる。(自信家)

    15、人前に出ると話さなくても良いことまで話してしまう。(自信家)

    16、人の話を横取りして話を独占してしまう。(自信家)

    17、経済的観念が乏しい。(怠惰者)

    18、好き嫌いの感情で意志を決めてしまう。(自信家)

    19、人の話を真面目に聞いた振りをして、腹の中で笑ってしまう。(自信家)

    20、物事に執念を燃やす。(自信家)

    21、自分は、すぐ駄目と諦めてしまう。(怠惰者)

    22、物事に決心が容易につかない。(怠惰者)

    23、情に流されてしまう。(怠惰者)

    24、大勢の前だと自分の考えが言えず、多勢に押し流されてしまう。(怠惰者)

    25、欲望がなければ世の中は進歩しないと考える。(自信家)

    26、人におだてられると乗ってしまう。(自信家)

    27、欲望がなければ生活できない。(自信家)

    28、決心しても人の話を聞くと決心が変わる。(怠惰者)

    29、新しいものに気が奪われる。(怠惰者)

    30、将来よりも現実の目先のことに心が奪われる。(怠惰者)

    31、本を読むより話を聞く方が楽だ。(怠惰者)

    32、他人が困っていても知らない振りをしてしまう。(怠惰者)

    (3)陰性のエゴ(我慢)=自己保存のチェックリスト

    (子供時代)

  1. 弟(妹)ばかり可愛がる父親(母親)が憎かった。(被害者)

  2. 兄(姉)が良く意地悪するので喧嘩ばかりしていた。(被害者)

  3. 友達から意地悪されると腹が立ち喧嘩をした。(被害者)

  4. 友達が遊んでくれなかったので家の中で絵本ばかり読んでいた。(卑下者)

  5. 学校の先生に指名されるのが怖くて教室では小さくなっていた。(卑下者)

  6. 学校での出来事は家では話さなかった。(卑下者)

  7. 学校の先生は両親より怖かった。(被害者)

  8. いじめっ子がいたので、いつも小さくなっていた。(卑下者)

  9. 母親は愚痴ばかりこぼしていた。母親が可哀想で父親が憎かった。(被害者)

    10、父親は怒りっぽく怖かった。(被害者)

    11、父親を見ると闘争心が沸いてくる。(被害者)

    12、学校から家に帰っても母親がいなかったので淋しかった。(被害者)

    13、両親が喧嘩をすると母親の味方をした。(被害者)

    14、父親の前では自由に話が出来なかった。(卑下者)

    15、貧乏な家庭に育った私は、金持ちになり見返してやろうと思った。(被害者)

    16、父親は仕事で家にいないので、他人のように見えて仕方がなかった。(卑下者)

    17、遊んでいるより勉強している方が好きだった。(卑下者)

    18、体が弱かったので友達と遊ぶことも出来ず、皆がうらやましかった。(卑下者)

    (親の立場からの自分と子供の関係)

  1. 子供の養育は妻の責任と考え、すべて任せっ放しだった。(被害者)

  2. 子供が我儘なのは妻のせいと考えていた。(被害者)

  3. 子供の前では嘘をついてしまう。(卑下者)

  4. 子供は厳しく躾けるものだ。(被害者)

  5. おとなしい子供に好意を持ってしまう。(卑下者)

  6. 自分の言うことを聞かない子供が憎くて仕方がない。(被害者)

  7. 子供のためなら何でもしてやる。(卑下者)

  8. 子供の学校で成績が気になり、成績が良いと安心し、悪いと不安になる。(卑下者)

  9. 子供に勉強を強要する。(被害者)

    10、PTAに一度も出たことがない。(卑下者)

    11、子供の教育、躾は学校に一任しておけば良い。(被害者)

    12、我が子だけは安心といった子煩悩である。(卑下者)

    (夫婦・男女問題)

  1. 夫の浮気は許せない。(被害者)

  2. 掃除も満足に出来ない妻にいつも悩む。(被害者)

  3. 家に帰ってくるまで夫が心配で苦しんでしまう。(卑下者)

  4. 何としても「有難う」と言わない夫が憎くて仕方がない。(被害者)

  5. 家庭に閉じ込められた妻の私は不満でたまらない。(被害者)

  6. 男に勝つには口で言い負かすしかない。(被害者)

  7. 私さえ我慢すればと、いつも悩み続ける。(卑下者)

  8. 私ほど不幸な者はいないと被害者意識に襲われる。(被害者)

  9. 妻の顔を見るのがいやで仕方がない。(卑下者)

    10、夫の賭け事に悩むがダラダラと苦しい生活を続けている。(卑下者)

    11、私に優しい夫を傷つける者は誰であろうと憎んでしまう。(卑下者)

    12、家庭こそ女の幸せと考える。(卑下者)

    13、相手が女性だと警戒心が出てくる。(卑下者)

    14、男性の前に出ると思うように話が出来ない。(卑下者)

    15、女性の前に出ると思うように話が出来ない。(卑下者)

    16、男性の前だと言えるが女性同士だと遠慮しがちになる。(被害者)

    17、好きな男性が他の人と話していると嫉妬心が沸いてくる。(卑下者)

    18、精神的な思いやりだけが愛だと考えている。(卑下者)

    (職場と自分)

  1. 同僚が仕事に追われ困っていても自分の仕事だけやっていれば良い。(卑下者)

  2. 出世のためには同僚の陰口を多く話してしまう。(被害者)

  3. 同僚や後輩に先を越されたくないと思い、仕事に夢中になっていた。(被害者)

  4. 自分は学歴がないから人の二倍も働いて上司から認められたいと願っていた。(被害者)

  5. 学歴が気になって仕方がない。(被害者)

  6. 上司の前に出ると自分の思っていることの半分も説明できない。(卑下者)

  7. 自分の思うようにならない部下を見るとガミガミ言ってしまう。(被害者)

  8. 人と共同して仕事をするのは苦手だ。(被害者)

  9. 会社の同僚には決して自分の胸のうちを明かしたことがない。(卑下者)

    10、職場に対する不満が絶えない。(被害者)

    11、生活のために、いやな職場でも我慢するより仕方がない。(卑下者)

    12、口は災いの元だから、余り話さないことにしている。(卑下者)

    13、人の欠点が目に付いて仕方がない。(被害者)

    14、友人が失敗すると胸がスーッとする。(被害者)

    15、人との競争意識から抜け切れない。(被害者)

    16、理屈で相手を言い負かす癖がある。(被害者)

    17、仕事の鬼と言われると気持ちが良い。(被害者)

    18、自分の真面目さを人にも求める。(被害者)

    19、人の後にいて眺めている方が安心できる。(卑下者)

    20、どういうわけか独り合点になりがちである。(卑下者)

    21、上司に断りもなく、独断専行してしまう。(被害者)

    22、自分さえ我慢すれば平和であると思っている。(卑下者)

    23、褒められるとうれしく、貶されると相手が憎くなる。(被害者)

    24、失敗しても、頬かぶりしてしまう。(卑下者)

    25、自分の弱点は上司でも同僚でも見せたことがない。(被害者)

    26、自分は貧乏くじを引き、人の嫌がる仕事を引き受けていると思う。(卑下者)

    (自分の欠点と性格)

  1. すぐ人を責めてしまう。(被害者)

  2. 消極的、否定的、悲観的発言が多い。(被害者)

  3. 悪い事をしたと思っても子供や妻の前では誤れない。(被害者)

  4. 人の幸せが嫉ましい。(被害者)

  5. 心配や後悔に、つい多くの時間をかけてしまう。(卑下者)

  6. 自分の立場を守る為に嘘をついても正当だと思っている。(被害者)

  7. 家庭で妻や子供と話し合うことが少ない。(卑下者)

  8. 商売で金を儲けるためには、人を騙しても平気である。(被害者)

  9. 身内には厳しいが他人だと寛容になる。(卑下者)

    10、ぼろを着ていても、少しも気にならない。(卑下者)

    11、人の話は疑ってかかることにしている。(被害者)

    12、人前に出ると悪ぶる癖がある。(被害者)

    13、人前に出ると遠慮してしまう。(卑下者)

    14、人はよく頑固だと言うが自分ではそう思わない。(被害者)

    15、物事は理屈が立たないと割り切れない。(被害者)

    16、世の中が悪の塊のように思えて仕方がない。(被害者)

    17、霊的関心が人一倍強い。(卑下者)

    18、現実的事柄の解決に霊的因果関係を結びつけ手解決する癖がある。(卑下者)

    19、猜疑心が強い。(被害者)

    20、人の話が直に聞けない。(卑下者)

    21、人の悩みより自分の悩みに追われてしまう。(卑下者)

    22、一度思い込むと、その考えから離れられない。(卑下者)

    23、悲しいことは、いつまでも心から離れない。(卑下者)

    24、自分の意志に逆らう者はいつまでも頭から離れない。(卑下者)

    25、人に悪口を言われるとすぐカッとなる。(被害者)

    26、理屈で理解できないことは認めないことにしている。(被害者)

    27、金のない者、地位の低い者の近くには寄らないことにいている。(卑下者)

    28、家に帰るとやっと自分に戻る。(卑下者)

    29、人に命令するよりも命令されている方が楽である。(卑下者)

    30、自分の弱味に関係がある話題が出ると、たまらない屈辱感に襲われる。(被害者)

    31、使えるものでも、すぐ捨ててしまう癖がある。(卑下者)

    32、一人でいると空想にふけってしまう。(卑下者)

     

    これ以上にも自我我欲と自己保存は、まだ沢山考えられる。自我我欲と自己保存のカルマを浄化する対策は、八正道以外に無いが、自分のカルマと反対の行為をすることにより、カルマを中和させることも考えられる。それが、次の対策である。

    自我我欲でプラス思考が強いのが自信家タイプであり、プラス思考が弱いのが怠惰者タイプである。自信家対策として、相手の立場を尊重して行動することが求められる。具体的には、相手が伝えたいことに耳を傾け、相手の立場を尊重し、一緒に物事に取り組んでみることである。自分にとって損であると思えることも、全体のために心を尽くすことをすることによって、自信家のカルマは中和される。

    怠惰者対策としては、集中して仕事を継続していくことである。自分の気持ちを言葉にして相手に伝え、本当に大事なことに集中して継続していくことによって、怠惰者のカルマは中和される。

    自己保存でマイナス思考が強いのが被害者タイプであり、マイナス思考が弱いのが卑下者タイプである。被害者対策としては、和願愛護で心を開くことが必要である。愛する気持ち、大切にする気持ちで、全ての人と対処し、感情をコントロールし、怒りや不満を鎮め、相手に心を開いて信頼関係を築いていくことが、被害者のカルマを中和することになる。

    卑下者対策としては、諦めず、自信を持って頑張ることが必要である。自分が主体的に自己責任で必ず実現するのだと強く心の中に念じて、頑張っていくことである。そして、自分の方から出かけて、相手のために貢献することが卑下者のカルマを中和することになる。

    こうした対策は、八正道の実践と同時並行して行うことが、カルマの浄化につながると思われる。

    さらに、呼吸法を学ぶ必要がある。呼吸法については、いろいろな人が伝えているが、私は、合気道の達人・藤平光一(とうへいこういち)師の気の呼吸法をお勧めしたい。藤平師は、合気道の名人・植芝盛平師の弟子で、植芝師から十段位を授けられた天才である。植芝盛平師は武道の立場から宇宙即我の境地を体験した神人である。その一番弟子が藤平師なのである。


(藤平式気の呼吸法)

まず、統一体で正座する。足の両親指を重ね、両膝は拳が二つ入るぐらい開き、両手は股の上に軽く乗せる。背筋を伸ばし、臍下の一点に心を鎮め、全身の力を抜く。次に、目を閉じ、口を軽く開き、「ハー」の音を小さく出して、静かに息を吐き始める。二十五秒か三十秒、そのままの姿勢を崩さずに吐いて、体中の隅々の息を吐き切ったと思ったら、さらに足の爪先の息まで吐き出すように、軽く上体を前に倒して、最後の息を静かに吐き出す。吐き終わったら、軽く上体を前傾させたままの状態で、今度は鼻からスウーッと静かに吸い始める。足の爪先から、脚、腰、腹、胸年も半身から順々に思い浮かべ、それらに息を送り込むかのように充分に吸い込んで、体に息を充満させる。ここまで大体二十秒ぐらいかける。充満したと思ったら、上体及び頭を起こし、最後に頭部まで息を吸い入れる。吸い終わったら臍下の一点に心を静めて五秒ほど待つ。その間、酸素はくまなく全身に配られる。そして、また吐き出す。これを繰り返すのである。血液が心臓を出て、体を一巡してまた心臓に戻る時間は二十二秒といわれる。つまり、一呼吸四十五秒ということは、全身から心臓に集まってくる炭酸ガスを一回り分そっくり吐き出して、次に新しい酸素を全身に満たすのに充分な時間である。そのため、気の呼吸法を行うと、全身くまなく酸素が行き渡り、完全燃焼させることが出来るのである。

(4)八正道の心

高橋信次先生が他界されてから30年以上が経過した。しかし、高橋信次先生の教えを忠実に守っている宗教団体は少ない。後継者争いがあり、分裂したからである。私自身も事実誤認して現在に至った。その原因は、正しく見るという八正道の心を見失ったからであると思える。八正道の心が6次元の壁だったのである。つまり、八正道が理解できない人は、6次元の壁は破れないということである。八正道の実践により、誰でもアラハンの境地(菩薩界に入る前のレベル)に到達できる。八正道は無念無想になるのではなく、正しいという基準で自らを反省していく行為である。それゆえ、反省せず無念無想になると地獄霊に憑依されるので注意をしなければならない。

 ①八正道とは何か?

ブッタが中道への道は八正道以外に無いと悟った。八正道の目的は慈悲と愛の心で自己本位の不調和な見方、生活の誤りを正すことにある。人間が、この世に誕生する目的は、己の心を丸く豊かに育て、この地上界に菩薩界を顕現させることにある。ところが、人間は肉体五官に翻弄され、自我我欲・自己保存の執着に没入し、苦しみを造り出してしまう。本来の神の子の自分に帰るためには八正道しかない。善なる人間としての自覚の生活こそユートピア実現の基礎といえる。

 ②八正道の目的

八正道の目的は、正法の精神である慈悲と愛の行為、中道の心を養うことにある。八正道に基づく反省的瞑想により生老病死の迷いや煩悩が取り除かれ、神の子としての生活が出来るようになる。八正道を実践出来る事が6次元以上の意識である。逆に言えば、八正道が実践出来ない事は、5次元以下の意識しかないという証明でもある。

 ③八正道の内容

八正道は正見(しょうけん)、正思(しょうし)、正語(しょうご)、正業(しょうぎょう)、正命(しょうみょう)、正進(しょうしん)、正念(しょうねん)、正定(しょうじょう)の八つの正しい道のことである。

 

(イ)正見(しょうけん)とは正しく見ることである。

自己中心の立場を捨て、善意なる第三者の立場で物事を見ることである。公平に見ることである。心にわだかまりがあり、自我我欲・自己保存の心から邪見は生まれる。従って、物事を正しく見る為には、既成概念を白紙に戻して、全く新しい立場から物事を見るように努めることである。正見の目的は、①感謝の心を持つ。②事象の一切の原因は人の心にあって、現われたことは結果であることを理解する。つまり、原因と結果の関係を知ることである。③既成概念を白紙に戻し、物事の真実を知るようにする。つまり、真実から目をそらさないで勇気を持って真実を知ることである。④第三者の立場に立ち、自我(エゴ)の思いを捨て、正しく見る努力をする。⑤人間神の子としての目で全てを見ていく。


(ロ)正思(しょうし)とは正しく思うことである。

思うことは考えることでもある。思い考えることは創造行為でもあり、自己の運命を良くしたいと思うならば、正しく思うことをしなければならない。不調和な思いは苦しみを多くするだけである。思うことは、行為そのものであることを知らねばならない。

正思の目的は、①自分の非が認められない場合は、相手のために祈ってやる広い心が必要である。②我慢は苦しみを腹の中に詰め込むことであるが、忍辱とは耐え忍ぶことであり、腹の中に詰め込まない。それゆえ、話しても分からない場合は、忍辱の心で相手の心の安らぎと調和を祈ることが必要である。③今日一日の考えや思いを反省し、過失があれば訂正していくことである。正しい思いは、ゆったりとした余裕があり、片寄らない心から生まれる。


(ハ)正語(しょうご)とは正しく語ることである。

言葉は言霊といって相手に伝わる。言霊は光と音の波動である。それゆえ、心からの言葉は光の波動となって伝わっていく。過ぎたお世辞や横暴な語り方は、光の波動に黒い塊を付着させている為、相手の心を傷つける。売り言葉に買い言葉で町中や電車の中で口論している人は互いに黒い塊を発散させ、それを食べあっている。心に黒い塊を造り出し拡大させている為、病気や怪我をする。相手が怒っても反発してはいけない。反発は自己保存であり、反発する前に自分を第三者の立場で見て考えてから結論を出せば良い。怒った人の言葉は、怒った人の心に帰っていく。第三者の立場で反省し、いわれなきものであれば「可哀想な人だ」と相手を思いやれば良い。言葉が足りない、言葉が過ぎるというのは感情が入るからである。それは、心の底に慈悲と愛がないからである。慈悲と愛を根底として言葉を発するようにしていれば、不足の言葉があっても相手が補ってくれる。心に愛があれば、言葉以前の言葉が相手に伝わり、こちらの意思が正しく伝わっていく。正語の目的は、愛の言葉を語ることである。心に愛があれば、相手に正しく伝わる。


(ニ)正業(しょうぎょう)とは正しく仕事をすることである。

現在の社会生活は、それぞれが業務を分け合い、互いに生活を補い合い助け合っている。私達が仕事をし、働くことは、自分の生活を維持し人々の生活を支えることである。仕事をし、働くことは、他を生かすことだから愛の行為なのである。正業のあり方は、地上界の調和に役立てることであり、愛であり奉仕の心である。正業の目的は、①心を開き、魂を豊かにすること。②地上の目的は、魂を磨くこととユートピアを実現することである。前世の職業が今世につながっている人もいるが、全く違った職業を持って今世を送る人も多い。人生の目的を自覚し、中道の心を知れば、足ることを知った生活ができる。大事なことは、獲得した利益をどのように配分するかである。自分だけに使うのか、家族や従業員に分け与えるか、不幸な人々に愛の手を差し出すかどうかである。足ることを知った生活環境は、相互扶助、愛に満ちた世界である。③職業を通じて人々との調和を図ることである。④菩薩行(人のために奉仕すること)が出来ることである。仕事を金儲けの手段と考えてはいけない。


(ホ)正命(しょうみょう)とは正しく生活することである。

正しい生活を送るには、自分のカルマを修正することである。正しい神理に適う各人の心の悟りが社会集団を構成し、その中から調和のとれた相互関係が生まれてくる。全ての不幸の原因は己自身であり、生活の不調和がもたらしたものである。短所は自分の心を騒がし、人の心をも傷つけるものであり、長所は自他共に調和をもたらす性格といえる。長所を伸ばし、短所を修正することが正命の目的である。正しい生活は、自分自身の調和から始めなければならない。欠点を修正するに第三者の立場から自分の心を思うことと考えることの視点から反省することである。正しい生活とは中道の物差しで、自分のカルマを修正し、中道に適った生活をすることである。正命の目的は、①調和ある精神的・肉体的生活が目的である。②自分の長所と短所を見極め、カルマを修正する努力をすること。短所は自分を孤立させ、自分の運命を不幸にしていく。正しい生活は自分の短所を長所に変えていくことから始まる。③自己中心から離れ、物事に片寄らない正しい生活をすることである。


(へ)正進(しょうじん)とは正しく道に精進することである。

私達は両親の愛、兄弟姉妹の協力、隣人・友人の助け合いの中で生活している。正しく道に精進するとは、私達が複数という社会の中で他を生かし助け合っていくことによって魂を進化させることである。正進の目的は、①対人関係と地上の環境を整備し調和させることである。この世に生まれた魂の修行の機会を与えてくれた両親を安心させるような人物に成長することである。夫婦にしても前世で夫婦であることが多い。そのため、互いに助け合う愛の環境を造ることが大事である。動物・植物・鉱物・資源を整備し活用していくことも必要である。②人間関係を調和させるには、他を生かし助け合う愛の心が必要である。人間関係とは夫婦・親子・兄弟姉妹・友人・隣人そして個人と社会の関係をいう。夫婦関係は、互いに足りないものを補い合い良き子孫を育て上げていくこと。親子関係は、過去世の縁によって生じたもので、親は子を慈しみ、子は親を敬うのは当然である。兄弟姉妹は互いに向上し合う切磋琢磨する関係であり、友人は社会生活の協力者である。


(ト)正念(しょうねん)とは正しく念ずることである。

念とは思い願うエネルギーにことである。私達の想念は、すべて記録し保存されているが、不調和な念は反省することによって改善されるのである。反省は神が与えた慈悲である。地球そのものも神の体の一部であり、大神殿であるから、正しい念は必ず守護霊に通ずる。守護霊は魂の先祖のことであり、肉体先祖の霊ではない。本体1、分身5の生命の構成は変わらない。守護霊は変わることなく、一生を見守り続ける。「守護霊は変わる」といっている霊能者は、偽者であると断言できる。変わると言っている霊能者は、自分自身が動物霊や地獄霊に憑依されているからである。神社仏閣の中には霊域の高い場所もあって、実在界の諸天善神(ケル・ビム)が常に連絡場所として一念が現象化される場合もある。しかし、神社仏閣はどこでも霊域が高い所だと信ずることは危険であり、不幸を呼び込むことも有り得る。それゆえ、神社に光の宮柱が立っている所だけ参拝することをお願いしたい。

高橋信次先生は「日本の神道について少しも触れていない」との質問に対して、「今、神道のことを書くと日本人は神社神道のことだと思っているから誤解する人が増える。国粋主義の右翼が騒いで危ない。古神道の神理は正法である。」と語った。正念の目的は、念の方向が自分本位であればあるほど苦悩が多く、心にカルマを造ってしまう。人の幸・不幸の分かれ目は、心の中で思うこと念ずることによって決定されていく。正しい目的意識を持って念ずることが大切である。信仰のある祈りが正念である。


(チ)正定(しょうじょう)とは正しく反省することである。

正定のあり方は日常生活における正しい想念で生活が行えることである。正道に反したことは神に詫び、明日からは二度と同じ失敗を繰り返さないように努力することである。正 定の第一歩は禅定という反省的瞑想であり、次に禅定の心がそのまま日常生活に生かされていくことである。正しい神理の実践生活の中で定に入ることにより、私達の体が宇宙大に拡大され、宇宙即我の境地となり、神と調和され、心の安らぎを味わうことが出来る。イエスは愛を説き、その罪を懺悔する事であると言っている。ブッタは6年の苦行の末、36年間の過去を反省し、一切の苦しみというものは自分が造り出し、苦しみから開放されるには苦しみの原因を造らないことだと発見していく。反省した時に間違いを発見したならば、その間違いの原因はどうして起こったのか追求していき、苦しみの原因を取り除くことである。正定の目的は、反省によって心が安定し、不動心が養われてくる。不動心が日常生活の中に生かせなければ正定の目的は半減する。正定には1から9の段階がある。

1段階→反省

2段階→反省後の心の統一

3段階→守護霊・指導霊との交流

4段階→守護霊・指導霊との対話

5段階→5次元レベルの瞑想

6段階→6次元レベルの瞑想

7段階→菩薩レベルの瞑想

8段階→如来レベルの瞑想。これは、座していながら外界の動きが手に取るように分かってくる境地である。(如心の境地)

9段階→ブッタ・イエス・モーセの瞑想。これは神と直接交流できた人の境地である。

 

過去世の修行により、今世でも徳を積むことにより、誰でも6次元レベルの瞑想までは上

がれる。しかし、それ以上になる難しいといわれている。


 ④八正道の活かし方

  1. 冷静であること。善意な第三者の立場で物事を見ること(正見)

  2. 親切であること。愛を心で思い念じ語り自己中心の立場から離れること(正思、正語、正念)

  3. 感謝報恩の行為をする。人々の協力で社会も個人も成立していることを知り、奉仕と協調の心を忘れないこと(正業)

  4. カルマの修正をする。長所を伸ばし、短所を修正し、人々と手を取り合って生きること(正命、正進)

  5. 反省する。中道の尺度で一日の言動、心の動きを反省し、想念の浄化・修正に努力を続ける。反省後の瞑想は心と肉体のバイブレーションが神に近づき、スッキリした気持ちになる。その気持ちで一日の生活を送ること(正定)

     


第4節 心の資本

(1)心の資本は光子量の蓄積度を示している。

心の資本は、心の資産から心の負債を控除した光子量の蓄積状況を表わしている。つまり、心の資本は3つのケースに分類できる。

  心の資産>心の負債・・・・・・光子量がプラスのため、天上界へいける。

  心の資産=心の負債・・・・・・精霊界へ行く。

  心の資産<心の負債・・・・・・光子量がマイナスの為、地獄界に行く。

(2)スウェデンボルグの霊界探訪

4次元以降の世界については、スウェデンボルグが「霊界探訪記」で詳細に記載されている。スウェデンボルグは「この世」と「あの世」の関係を次のように表現している。「この世とは、霊界という広大な空間の中にポッカリと浮かんでいる一つのゴムマリのようで、このゴムマリである「この世」の周囲は、全て霊界で取り囲まれている。実は、ゴムマリの中(この世)だけは例外的に物質界と霊界の二つの世界が同じ空間に共存している。空間の性質が違うだけである。死後の世界(霊界)は、「この世」の背後にピッタリと寄り添って実在している。「この世」の人の意識も霊界へ影響を与えているが、それ以上に霊界のエネルギーは「この世」に強く干渉している。霊界全体から見れば、物質界の方が特別な世界である。人間が死後に自分の霊質に合致した霊界に入る。人間であった時の意識と記憶のままに死後の世界を決めてしまうのである。「この世」での肉体生活の精神成長レベルによって自分が適応する霊界レベルへの割り振りが確認される。」

スウェデンボルグが言っている霊界とは、広義の意味での表現であり、4次元以降の世界を霊界と表現したものである。実際には幽界、霊界、神界、菩薩界、如来界、宇宙界の段階があり、光子量によって自動的に決定されている。さらに、スウェデンボルグは、人間が死んで最初に行く場所が精霊界であるとして次のように言っている。「人間は死後、ただちに霊となるわけではなく、いったん精霊となって精霊界に入った後、そこを出て霊界へ入り、永遠の生を送る霊となる。精霊界は人間界と多くの点でそっくりなので、自分がまだ人間として生きているのだと錯覚する精霊が多い。そういう精霊達を霊界の経験豊富な先輩霊が教えることになっている。そして、人間として生きてきたことの映像が再現され、次第に霊としての自覚が出てくる。善良な霊は、美しい心の姿が光り輝き始めるが、凶悪であった人間の場合は、醜い姿を曝け出すことになる。」光子量がプラスで多量にある場合は、5次元霊界以上に移動できる。光子量がマイナスの場合は、黒くなっているので地獄界にしか行けない。スウェデンボルグは霊界の太陽のことを次のように語っている。「霊界の太陽は霊界全体にエネルギーを与え、全ての生命を維持させている。眼に見えないが霊流という特別なエネルギーを放っている。霊流こそ霊たちの霊能力の元になっているのである。つまり、全ての霊も霊界も霊界の太陽なくしては存在できないのである。霊界の太陽は、その光で霊界を照らして、霊たちに物を見せ、また物を考える理性の基礎であり、そのエネルギーは霊たちに生命を与えている。その上、霊流を霊界全体に放ち、霊界全体の秩序を保ち、霊特有の霊的能力の根元である。」霊界の太陽とは、9次元宇宙界の真のメシアであるエル・ランティーのことである。エル・ランティーが太陽系霊団の秩序を維持しているのである。スウェデンボルグは地獄についても次のように語っている。「地獄は実在していた。あくまでも霊界の中の一つの世界としての地獄である。暗い穴倉のような通路を下りていくと、霊界と同じような広大な世界があるが、怪奇な姿をしているし、我慢できない異臭がする醜い世界である。全ての凶霊たちが地獄の責め苦にあえいでいる。下に降りる程、それが醜悪な地獄となっている。地獄に行く精霊は、人間界にいた時、物質的欲望、色欲、世間的名誉欲、支配欲といった人間の外面的・表面的な感覚を喜ばすことのみに心を用いて、本当の霊的な事柄を極端に蔑ろにした者達なのである。彼らは、霊的事物に全く眼が開かれなかった為、精霊界に入っても開かれない者が多く、精霊としての心は霊界の太陽の光や霊流を自分の内部に吸収できないのである。彼らは、地獄界の火に心を魅かれ、凶霊たちに親しみを感じるようになり、結果として彼らは自分の希望する通り、地獄界に入って行くのである。地獄霊の生命の源は彼ら自身の欲望であり、欲望が彼らの光なのである。」しかし、霊界の真の力の源泉は霊界の太陽であり、地獄界の凶霊といえども霊界の太陽こそが生命の根元であることは間違いない。


(3)悟り度チェック

これが最後のチェックです。現在の自分の心境に該当しているものに○を付けて下さい。

  1. 闘争心、怒る心、謗る心、妬みが強い。

  2. 金銭欲が強く、この世に未練や執着を持ち、足ることを知らない。

  3. 情欲のみで他人より自分だけの欲望の心が強い。

  4. 他人の心を踏みにじり、多くの人々を犠牲にして、反省がない。

  5. 多くの人々を犠牲にして、我欲を果たした。

  6. 神仏を信じ、不調和な考え方は無く、反省できる。

  7. 人間として自分に足ることを悟った。

  8. 肉体行をし、神理を悟ったが、自己保存が強い。

  9. 肉体行により自分自身を悟っているが、慈悲がない。

    10、神理を悟り職業を通して社会的に貢献している。

    11、問題解決行為の実践ができる。

    12、八正道の実践ができる。

    13、6次元の意識が理解できる。

    14、神理を悟り、慈悲と愛の教えを伝道する行為をしている。

    15、霊道を開き、いながらにして外界の状況が分かる如心の境地を体験している。

    16、宇宙即我の境地を体験している。

    17、霊子(心)を発見している。

    (採点基準)

  1. 修羅界の意識であり、マイナス10.

  2. 餓鬼界の意識であり、マイナス10.

  3. 動物界の意識であり、マイナス10.

  4. 煉獄地獄の意識で偽善者、エゴイスト、狂思想家などがいる。マイナス20.

  5. 無間地獄の意識で恨みの想念が晴れるまで無限に苦しまなければならない。マイナス30.

  6. 4次元の意識であり、プラス10.

  7. 6次元の意識であり、プラス10.

  8. 天狗界の意識であり、マイナス7.

  9. 仙人界の意識であり、マイナス3.

    10、5次元の意識であり、プラス10.

    11、6次元の意識であり、プラス10.

    12、6次元に意識であり、プラス10.

    13、6次元の意識であり、プラス10.

    14、7次元の意識であり、プラス10.

    15、7次元の意識であり、プラス10.

    16、8次元の意識であり、プラス10.

    17、9次元の意識であり、プラス10.

     

    (判断基準)

    プラス  81~100  8次元如来界

         61~80   7次元菩薩界

         21~60   6次元神界

         21~57   仙人界

         21~53   天狗界

         11~20   5次元霊界

          0~10   4次元幽界

    マイナス 10~80   地獄界 


第2章  自我(エゴ)の分析

(1)自我(エゴ)の分類

  陽性のエゴ→自我我欲→我儘・・・楽観的思考(プラス思考)

    積極的・外向的な自我我欲→自信家・・・対策(聞く行、同伴の行、陰徳の行、思いやりの行、譲与の行)

     自分の人生は「それなりのものである」と胸を張れる。(自信過剰)

     自分がやりたいようにやりたい。(我儘)

     自分はやり手であると思う。(自信過剰)

     自分の立場が上がったり、世間に認められたりすることに、充実を感じてきた。(地位と名誉)

     「自分にさせてくれればもっと出来るのに」とよく思う。(誇大妄想)

     人に負けるのは絶対に嫌である。(ワンマン、支配欲)

     歴史上の人物(英雄、天才、奇才)に憧れる。(誇大妄想、支配欲)

     いつも自分が中心でないと気持ちが悪い。(我儘)

   消極的・内向的な自我我欲→怠惰者・・・対策(率直に語る行、回帰の行、持続の行、刻印の行、収斂の行)

     問題がないことが重要であり、無風であることが平和である。(日和見的、大勢順応的)

     自分の人生を振り返って「とりあえず平和な人生だった」と思う。(日和見的)

     人から「ボーッとしている」と言われることがある。(注意散漫)

     「自分は温厚な性格である」と思っている。(自己中心、人を信じやすい)

     人に嫌われる事が嫌なので、率直に意見することが出来ない。(人の顔色を見る。嫌われたくない。)

     いつも自分を守ってくれる人がいた。(甘え)

     何かを実現することよりも、皆が和気藹々として楽しいことが重要である。(外面的興味)

     自分には、それほど強い執着がないと思っている。(飽きやすい、移り気)

 陰性のエゴ→自己保存→我慢・・・悲観的思考(マイナス思考)

  積極的・外向的な自己保存→被害者・・・対策(和願愛護の行、内省の行、献身の行、調御の行、心を開く行)

    人から苦言を呈され、それが理不尽だと感じると、怒ったり、開き直ったりする癖がある。(敵愾心)

    父や母に対して許せない想いがある。(暗い、敵愾心)

    すぐに理不尽な気持ち(被害者意識)に襲われる。(内向的、人を信じない)

    「人間には表と裏がある」と言う気持ちが強い。(人を信じない、悲観的思考)

    人から怖いとよく言われる。(敵愾心)

    人生を振り返って、どうしても許せない人がいる。(敵愾心、人を信じない)

    「怒り」がすぐ顔や態度に現われてしまう。(怒ると心が晴れない)

    「屈しないことが強いことである」と思う。(意志が強い)

  消極的・内向的な自己保存→卑下者・・・対策(持続の行、止悪の行、挑戦の行、喚起の行、貢献の行)

    何かあると、すぐ落ち込んでしまう。(暗い、閉鎖的)

    自分の人生を振り返ると、失意の念に苛まれる。(閉鎖的、孤独)

    「人から何か言われるのではないか」といつもびくびくしている。(閉鎖的、人を信じない)

    「一生懸命ならば、出来なくても仕方がない」と思う。(内向的、おとなしいが強情、意志が強い)

    失敗することが怖いので、逃げてしまうことが多い。(現実逃避的)

    「自分はどうしようもない」と自己否定してしまう。(内向的、閉鎖的)

    「自分なんか出来ない」と最初から諦めてしまうことが多い。(現実逃避的)

    「迷惑をかけるくらいなら、何もしないほうがましである」と思う。(現実逃避的)

 

(2)自我(エゴ)対策


1.自信家対策

聞く行→自分の言いたいことよりも、相手が伝えたいことに耳を傾ける。

同伴の行→相手と同じ目の高さで、一貫して相手を優先して関わる。実際に一緒に物事に取り組んでみる。

陰徳の行→見えないところで他人や全体のために心を尽くすこと。陰で徳を積むこと。

思いやりの行→相手のことを中心に想い、いつもその念を送り尽くすこと。相手の立場で考えてみる。

譲与の行→相手のために自分の時間や能力を使う。積極的に周りの方のために自分が損だと思うことをしてみる。

2.怠惰者対策

率直に語る行→自分の本当の気持ちや本心を言葉にして相手に一生懸命伝える。

回帰の行→「今、自分は本当に何を大切にしなければならないのか」と心に尋ねる。自分の確信に基づいて仕事をする。

持続の行→本当に必要なことを一つ決めて、そのことについて、ずっと持続的に行っていく。

刻印の行→失敗を刻印する為に「私は、こういう形で失敗した」と紙に記録し、「自分は絶対に失敗しない」と願いも同時に書く。

収斂の行→意識を一つのことに集中していく。自分の中で目的を確認し、その目的に対して意識を集中させていく。

3.被害者対策

和願愛護の行→隣人を愛する気持ちで全ての人を平等に思い、大切にする気持ちで全ての人に出会うこと。

内省の行→他人や事態を責めたり非難する前に自分を見つめ振り返ること。

献身の行→誰かのために身をもって尽くすこと。小さなことでも良いから具体的に何かをしてあげること。

調御の行→感情をコントロールし、怒りや不満の想いを深呼吸して鎮め調御する。

心を開く行→不信感や孤独癖を自らが砕いて、相手に心を開き、新たなる信頼関係を築いていく。

4.卑下者対策

持続の行→自分が主体的に行い、それが成就するまで自らの責任を持って行い続けること。

止悪の行→自分では意識しないうちに周囲が愚痴をこぼしたり、自分の心の中にある諦めの想いや虚無感を言葉にして外に出さないこと。

挑戦の行→諦めず、少し高いハードルにも身を投げ入れて取り組んでみる。本当に自分が大切にしたいことや願いは自らの心に問い、そのために「何としてでも実現しよう」と心の中心に念じ続けること。

喚起の行→深く大きく深呼吸して「頑張れ」と喚起してみる。諦めないで、この願いを持って向かっていく。

貢献の行→自分の方から相手の方に出かけて貢献する。自分の方からなにが必要なものがないか探してみる。


 (あとがき)

1、「ヨハネの黙示録」の解読は日本人にしか出来ない。

 「ヨハネの黙示録」の解読はヨーロッパを中心に行われてきた。欧米人は表意文字を使い、その文化はギリシャを発祥とする自然科学に基礎を置く。西欧文化圏の人間が象徴と比喩を日常的に使うアジア文化圏の記録を解読してきた為、理解できなかったのである。「ヨハネの黙示録」の解読に最も適した民族は日本人ということになる。

 2000年前、ヨハネの黙示録を書き送った7つの教会の人々にとって、その内容は比較的容易に理解できた。彼らはアジア文化圏の人々であり、何度も12使徒から指導を受けていたからである。イエス・キリストは自らを天の父の子であると表明することで、天上界の三神構造を明らかにして、受胎前の自分を絶対神ヤハウェだと宣言した。当時のユダヤ人にとって許しがたい冒涜であり、サンヒドリン(国会)を構成した権力者はキリストを磔刑に処した。「三位一体」を標榜するカトリック教会やプロテスタント教会も三神を中核とするカッバーラの奥義から外れている。「三位一体」とは父と子と聖霊が同一の存在だということで、ユダヤ教の唯一神と同じことを言っているに過ぎない。これは、「生命の樹」からも明らかに間違いである。神は別々に3柱存在する。イエス・キリストもその事を明らかにした。キリスト教会が定義する三位一体には大きな矛盾がある。だから多くのキリスト教会は未だに黙示録を解読できない状態にある。カッバーラの奥義は「三位三体」である。古事記では「造化三神」、日当ホームページ紀では「元初三神」と表記している。日本はカッバーラが連綿と伝えられた国である。神道はイエス・キリストが生きていた頃の原始キリスト教に最も近い宗教である。神道の最高神は天照大神であり、天照大神の岩戸隠れの記述はイエス・キリストの磔刑である。

2、ホピ族の「聖なる石板」は、もう一つの聖書である。

 「ユダヤの木である聖書の外に別のエフライムの木である聖書がヨセフの直系から出てくる」という預言がある。イエス・キリストは復活後、ユダヤの地でない別の場所に降臨したと思われる。それは、古代アメリカ大陸である。そこには、マヤ文明やインカ文明があり、ケツァルコアトルという絶対神が天から降臨し、救いの教義を伝えて再び天に戻ったと伝えられている。ネイティヴ・アメリカン(インディアン)は失われたイスラエル10支族の一つでヨセフの末裔である。その古代アメリカから聖書と同格の聖典が世に出て聖書と一つになるという預言が「エゼキエル書」の一節にある。その書は原始キリスト教徒によって見付け出され、世界中に知れ渡る。聖書の預言どおり2つの木から出た聖典は一つになる。

 アメリカ南西部の4州(コロラド州、アリゾナ州、ユタ州、ニューメキシコ州)が変わる地域に未来の記録を世が終わるまで守護するよう絶対神から委ねられた人々がネイティヴ・アメリカンであり、その名をホピという。ホピが守っている「聖なる石板」の謎をすでに飛鳥昭雄氏は解読している。(参照:飛鳥昭雄・三神たける著「木星大赤斑の謎とベツレヘムの星」学研)

 ネイティヴ・アメリカンはモンゴロイドであり、日本民族と同じアジア系人種である。インディアンたちはユーラシア大陸からやって来たのである。最古のインディアンであるホピの伝承は、日の昇る方向に向かって船をこぎ続け、アメリカ大陸へとやって来たという。ホピの預言は世界の終末を示しているが要約すると次のようになる。

  1. 白い肌の人間が大陸に来て雷で敵を打つ。→コロンブスの新大陸発見と銃による白人の虐殺行為。

  2. 声で満ちる糸車が押し寄せる。→白人の幌馬車による西部開拓の始まり。

  3. バッファローに似た角の長い獣が現れる。→白人が連れてきたホワイトヘット種の牛のこと。

  4. 鉄の蛇が大平原を疾走する。→アメリカ大陸の東部と西部を結ぶ大陸横断鉄道が完成する。

  5. 巨大な蜘蛛の巣が大陸を覆い尽くす。→アメリカ中に電線が蜘蛛の巣のように張られた。

  6. 大陸中に石の川が現われ交差していく。→アメリカ全土にコンクリートとアスファルトのハイウェーが走る。

  7. 海洋が黒く変色し、多くの生物が死滅する。→環境破壊を預言したものであるが、まだ成就していない。(第2の天使がラッパを吹いた時に現われる現象である。)

  8. 大勢の長髪の若者が支族に加わり、ネイティヴ・アメリカンの古代記録を知る。→世界の終わりを察知した人々が、ホピを含めた古代アメリカの聖典を求める。ホピ族の石板の謎は全て解き明かされ、重要な預言と教えが世界中の人々の前に示される。

  9. 天の住居が定まった後、青い星が出現する。→太陽系第12番惑星ヤハウェはベツレヘムの星として出現した時は真っ赤な色をしていた。しかし、2000年間で変色し、真っ青な色になっている。それゆえ、青い星は惑星ヤハウェではないかと考えられるが、そうではない。木星から新しく誕生する太陽系第13惑星ケツァルコアトルである。ケツァルコアトルとは古代メキシコの白神で地上に戻ってくると約束した絶対神である。ケツァルコアトルは誕生して8日以内に地球に超接近することになる。これにより、未曾有の天変地異が引き起こされることになる。ケツァルコアトルはイエス・キリストである。イエス・キリストは白い兄弟パハナとして、失われた石板の一部を携えてホピ族の前に現われるはずである。

  • ホピ族の預言壁画と石板の謎についての概要

①ホピ族の預言壁画

 神聖なる巨大な岩に絵が刻まれている。この線刻画は絶対神マサウの預言を描いている。マサウは人間が生活していくにあたり、いくつかの戒めを与えた。これらの戒めを守れば祝福を与え、人々は幸福で繁栄する。しかし、守らなければ破壊が待っているという。

 一人の人物が描かれている。これが絶対神マサウである。右手に大きな斧、左手に一本の樹を持っている。ホピ族の人々は「生命の道」と呼ぶ。「生命の道」とは人類が進むべき道を示している。「生命の道」を上昇すると道は二股に分かれる。上に道は破滅の道であり、下の道は繁栄の道である。下の道は永遠の生命へと至る道における出来事を示している。イエス・キリストが誕生し、十字架に磔となり、3日後に復活したことが示されている。最後にイエス・キリストの再臨があり、イエス・キリストの再臨により、地上の悪は一掃され、平和な至福千年王国が到来すると示されている。上の道に描かれた4人の人物はメルカバーの4人の天使である。4人の天使は人間の三分の一を殺す為に解き放たれた為、堕落した人々を虐殺するために用意されている天使である。ホピ族の預言壁画の4人の人物が暗示するのは4つの世界大戦を示している。「生命の樹」を手にしているマサウは「生命の樹」を手にしているイエス・キリストを意味している。

②石板の謎

絶対神はホピ族に聖なる石板を与えた。その数は全部で4枚である。1枚は火族に与え、残る3枚は熊族に与えた。マサウが与えた火族の石板は、その一部が欠けている。それは、マサウが引き裂き、それを白い兄弟パハナに与えたからである。パハナは石板の一部を携えて、東の海へと船で旅立った。いつの日かホピ族が迫害され、世の終わりが近づいたとき、パハナがやってきて、欠けた石板を修復し、ホピ族を解放するのだという。火族の石板は「生命の樹」を示していた。熊族の石版は熊族に課せられた使命が重いことを物語っている。特に熊族の第3石板は、この世は閉じられた世界であり、どこまで行っても人間の世界であることを示している。6人が股間に両手を当てていることから人間の世は6000年間続くことを示している。失楽園からイエス・キリストの誕生・死・復活までがやく4000年。イエス・キリストの誕生・死・復活から現在までが約20000年。よって、失楽園から計算して現在が6000年前後に当たる。最初の6000年間が「星の輝き」、至福千年王国が「月の輝き」、そして至福千年王国が終わった時、地球そのものが終わりを迎え、「太陽の輝き」の時代へと突入することが示されている。

3、「ヨハネの黙示録」は来るべき二者択一の時の「道しるべ」を示していた。

 現在の日本はアメリカの属国同様であり、アメリカの世界戦略の中にどっぷりと首まで浸かった状態である。それゆえ、日本の自衛隊もイスラエルのメキドへ向かうことになる。グローバル化の終着点はアメリカであり、未来の世界政府へと繋がる。世界総統の席に座る男は、最初世界の人々から熱狂的に愛され支持される。ところが、途中で豹変する。獣の出現と偽預言者の出現が避けられないなら、選択する道は一つしかない。イエス・キリストに従うしかないのだ。今後、バチカンを中心とする「世界宗教会議」は平和の名の元に宗教の統一へと向かう。一人の法皇に権力が集中する。やがて、法皇は豹変し、世界中の信徒たちに向かって世界総統を褒め称え、世界を救う救世主と宣言する。イスラム原理主義者たちは世界を13世紀に戻すことを「ジハード」の目的と考えている。世界が「ヨハネの黙示録」を無視し、地上に救いを見出せなくなったとき、世界は滅びる。既にメルカバーは降りている。(1999年8月11日のグランドクロス現象は、メルカバーが降りたことを意味している。)もうすぐ来たる二者選択の時に決して道を誤らないようにしなければならない。


4、私の最後の疑問

飛鳥昭雄氏は偽キリスト(海からの獣)の出現がいつなのか明らかにされなかった。そこで、飛鳥氏の説を要約してから私の考えを述べてみたい。

飛鳥氏はアダムのエデン追放がおそらくB・C40000年頃とし、そこから1000年ごとに封印が解かれると考えている。つまり、第1の封印はB・C4000年~B・C3000年、第2の封印はB・C3000年~B・C2000年、第3の封印はB・C2000年~B・C1000年、第4の封印はB・C1000年~紀元元年、第5の封印は紀元元年~A・D1000年、第6の封印はA・D1000年~A・D2000年、第七の封印はA・D2000年~A・D3000年としている。飛鳥氏は第6の封印が解かれたが、まだ地球がひっくり返るような大異変は起きてないという。さらに、第6の封印と第7の封印の間に訪れる半時間ほどの沈黙は、わずか30分そこそこであるというのである。2012年12月22日までに第7の封印による大異変が起こる可能性が高く、その30分後に7つの封印が解かれ、7つのラッパ(7つの鉢)の災いが起こると解釈している。ハルマゲドンは第6のラッパ(第6の鉢)から第7のラッパ(第7の鉢)に起こるとしている。

第1の災いは第1のラッパ(第1の鉢)から第5のラッパ(第5の鉢)までの災いである。第2の災いは第6のラッパ(第6の鉢)と第7のラッパ(第7の鉢)の災いとなる。第三の災いは「ダニエル書」に記されている。「日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられ、これから1290日が定められている。1335日に至るものはまことに幸いである。」

「憎むべき荒廃をもたらすもの」とは海からの獣である。獣が支配するのは1260日(三年半)だから1290日というのは30日の隔たりがある。「日ごとの供え物が廃止され」で獣が完全に支配するに至る予兆と解釈できる。つまり、獣(偽キリスト)が完全支配するまでの約一ヶ月前に予兆が現われるということである。ダニエルは、それを含む1335日まで生きたものは幸せだと記している。悔い改めた者には待ち遠しいが、そうでない者には断頭台への秒読みとなる。二人の証人が「獣につくのか、イエス・キリストにつくのか」ということを突きつけたので、世界中が見守る中で公開処刑された時、世界最大の祭りとして盛り上がる。世界はソドムとゴモラの状態となり、灼熱の業火に滅ぼされるのを待つばかりになる。一方、大天使ミカ・エルが地球を奉献する為に、神の国シオンに降り立ち、イエスの再臨の下地を作る。その後、密かにイエス・キリストが舞い降りて、先に自分の原始キリスト教会(古神道)に姿を表わす。イエス・キリストは原始キリスト教会の本拠がある高い山の上に降り立つ。(京都の船岡山と思われる。)そのことは獣(偽キリスト)も法皇(偽預言者)も世界中の人々も知らない。気付くのは真っ赤な血の衣を着けたイエス・キリストがイスラエルのオリーブ山に舞い降りる時である。地上には神の福音を説くバプテスマを授ける神権を持つ者もいなくなる。主であるイエス・キリストに取り上げられるからだ。斧が振り下ろされ、醜い死の樹はそこに群がる人々と共に切り倒される運命にある。その役目を担うのが殺戮の天使である。切り倒される人々は自らの意思で神から離れ、世界総統を救世主として崇め、その権力の下で生きようとした者達である。神か獣かを選ぶ時、獣を選んだ人々はその責任を自分で取らなければならないからである。

飛鳥氏は第6の封印と第7の封印の間に訪れる半時間を地上界での30分と解釈したが、私は天上界での半時間を地上界での20年に相当するのではないかと考えたのである。(天上界での1日は地上界での1000年に当たると考えられるため、1000年÷24H÷2で約20年とした。)それは、ノストラダムスの言うアンゴルモアの大王を育てる期間ではないかと考えたのである。第6の封印の大異変が2012年12月22日までに起きたとすると、第7の封印が解かれるのは、それから20年後の2032年~2033年と推定できる。さらに、飛鳥氏は21世紀で全てが終わってしまうような書き方をしているが、私は21世紀で人類が滅亡することは無いと考えている。ノストラダムスは諸世紀で次のように預言している。「月の輝きに支配され20年は過ぎ行き、七千年目から別の人々が王国を築くであろう。太陽はその時代には存在せず、これより我が預言も必要なくなるのだ。」(「諸世紀」第1章48節)

この預言が成就するのがA・D3797年であり、人類は生存していることを示している。高橋信次先生は、「大自然の波動と生命」の中で「真の光明に満ちた地上極楽界が生まれる時が来ている。・・・・21世紀の中期から22世紀には神意が実現されていくのであります。」と言っている。それゆえ、人類が21世紀で終わってしまうことは無いと確信している。さらに私は、何故、高橋信次先生が48歳という働き盛りに天上界に帰還されたのか非常に疑問でした。しかし、その疑問はインターネット宗教を知り解消されました。その理由は次のようです。「ソ連が原爆を使う危険があり、原爆戦争になれば地球は破滅してしまう。地球が破滅したら人間の魂の修行の場がなくなるので絶対に破滅させてはならない。肉体を持っていると肉体に制約されて思うように行動できない。だから、肉体を脱ぎ捨てて、あの世に還りあの世からソ連の指導者が原爆のボタンを押さないようにしなければならない。」その結果、1989年5月25日にゴルバチョフがソ連最高会議議長となり、天上界の指導のもとにソ連は1991年12月25日に解体し消滅した。私は、もう一つ理由があったと思っている。高橋信次先生は仏教の観点から正法を明らかにし、ブッタの悟りを現代に蘇えらせてくださいました。さらに、イエスの愛とは何かを説き、真の指導者としての在り方を示されました。そして、キリスト教やユダヤ教の本質をも解き明かそうとしていました。もし、聖書の謎を解き明かしてしまうと聖書の預言にズレが発生する可能性がありました。そのような時に天上界からミカ・エル大天使が降臨し高橋信次としての使命を明らかにし、高次元の秘密を初めて明らかにしたのである。それが、「太陽系霊団の系図」である。ミカ・エル大天使も高橋信次先生がやり過ぎないように帰還を促したと思われる。真のメシアが、いつまでも3次元にいては天上界の秩序が維持できないからである。ブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信を説いた時点でミカ・エル大天使が出現したのである。

高橋信次先生は、2753年頃エジプトに転生すると預言された。その頃のエジプトはユートピアになり光や磁気を利用したUFOによって、他の天体に自由に行くことの出来る大宇宙ステーションがアフリカの大西洋岸に出来るという。2753年頃には地球がユートピアになり最も進化した霊達は、この地球での学習を卒業して、他の天体へ生まれ変わって学習することになると預言された。3億6千年前にベータ星からやって来たように、エル・ランティーを中心とした諸如来、諸菩薩達が他の天体に移動することになるということである。イエス・キリストの生命は2153年頃にシカゴに生まれると預言されている。イエスの分身5であるフィリッピンに生まれた心霊手術者のトニーが増長慢となり天上界に戻ってきた為、本体がその修正のために肉体を持つといわれている。また、正法は日本よりもアメリカに広がる為、イエスが誕生するシカゴも正法の受け入れ準備が出来ていると考えられる。このような預言がある以上、聖書の預言が成就するのは21世紀から22世紀であり、人類が滅亡することはないと信じるものである。


自我の壁を破るチェックリスト

(自我の壁チェックリスト)

1、          アインシュタインは光速を超える物質はないとしたが、超光速のエネルギーが存在している。
2、          人間の体は肉体・光子体・霊子体の三体によって構成されている。
3、          霊子の存在は発見されていないが、霊子こそ心であり神と繋がっている。
4、          宇宙空間には、宇宙エネルギーが充満している。
5、          死後の世界(4次元以降の世界)が存在している。
6、          人間は光子を生産するメーカーであり、光子量によって次元が決定される。
7、          プラス思考も神の心(中道)から外れると自我我欲となり、マイナス思考でも神の心に合えば謙虚な心で足ることを知る生活が出来る。
8、          自我我欲と自己保存がエゴ(自我)の正体であり、カルマを造っている。
9、          神が与えた最大の慈悲は、八正道による反省である。
10、     ムー大陸・アトランティス大陸の陥没原因は、当時の人々が欲望と狡猾さに支配され、多くの光の天使達を死刑にしたことにある。
11、     地球は木星から誕生し、木星は太陽から誕生した。
12、     太陽も木星も地球と同じ地殻天体である。
13、     2012年12月22日にフォトン・ベルト(プラズマ・フィラメント)に突入し、地球自体が5次元にアセンション(次元上昇)する。そのため、心の浄化されない人や5次元以下のレベルの人達は、反作用を受けることになる。
14、     地球内部には亜空間世界があり、日本人と同じ遺伝子を持つアルザル人が住んでいる。彼らは、すでにアセンションを経験し5次元レベルである。
15、     ロズウェル事件の真相は、亜空間世界のアルザル人がUFOを飛行させたものだった。
16、     ロスチャイルド家とロックフェラー家の対立が20世紀の歴史をつくった。
17、     日中戦争拡大の既成事実を作ったのは日本海軍である。
18、     東京裁判のA級戦犯など存在しない。
19、     戦後教育が自虐的史観になったのはGHQと東京裁判の影響である。
20、     日本人は失われたイスラエル10支族である。
21、     日本の三種の神器はイスラエルの三種の神器である。
22、     契約の箱は伊勢神宮の内宮にある。
23、     古神道は、原始キリスト教であり、イエス・キリストの教えが生きている。
24、     天照大神の正体は、イエス・キリストである。(伊勢神宮の外宮にヤハウェが祀られ、内宮にイエス・キリストが祀られている。)
25、     3世紀前半の日本列島は、現在よりも90度時計回転した逆転日本列島だった。これは、「混一彊理歴代国都之図」(こんいつきょうり れきだいこくとのず)に描かれている。そのため、「魏志倭人伝」の記述は正しく邪馬台国は、三輪山の麓に広がる大和地方となる。
26、     ノアの大洪水の原因は、木星から誕生した太陽系第12番惑星ヤハウェが地球に超接近したとき、月の内部にあった水をスプラッシュし、そのまま地球へ降り注いだ為である。
27、     モーセの紅海割れの奇跡とヨシュアの太陽運行停止の奇跡は、木星から誕生した金星が地球に超接近した為である。
28、     旧約聖書に記載されたイザヤの太陽逆行の奇跡は、金星により軌道を乱された火星が地球に接近したことにより起きた。
29、     「ヨハネの黙示録」の中で「第5の天使がラッパを吹き鳴らした時、一つの星が天から落ちてくる。」と記されているが、これは木星から誕生する太陽系第13番惑星ケツァルコアトルである。
30、     1999年8月に地球を中心として太陽系惑星が四つの星座に集合する現象(グランドクロス)が起きた。つまり、占星術でのホロスコープ上の水瓶座に海王星と天王星が、蠍座に火星と冥王星が、獅子座に太陽と月と水星と金星そして太陽系第12番惑星ヤハウェが、牡牛座に木星と土星が配置されていた。これは、地球が十字架に磔になったことを示し、世界は破滅に向かって突き進むことを意味している。
 
 
以上のチェックリストで知っているもの、理解できるものには○をつけなさい。
  が25~30の場合は、自我の壁を破れる。地球が5次元にアセンションしても耐えられる。
  が10~24の場合は、もう少しで自我の壁を破れる。真実のパラダイムをもっと知って下さい。
  が0~9の場合は、自我の壁は破れないので「バカの壁を破る真実のパラダイム」を参考にして下さい。

バカの壁を破る真実のパラダイム

(はじめに)

 私は高橋信次先生という偉大な人物に出会い真の宗教のあり方を知った。それ以来、偽物の宗教に惑わされることは無くなったと思っている。宗教や占いを生活の手段としているプロの宗教家や占い師は偽物であることを知ったからである。何故なら彼らは宗教や占いを金儲けの手段として、嘘(偽のパラダイム)を言うことによって信者を食い物にしている実態を知ったからである。私は、高橋信次先生の霊的自覚により占いにおける判断基準を確立することが出来た。それが数霊次元説である。
 高橋信次先生亡き後、私は二人の菩薩の著書に出会い、真実のパラダイムを知らされた。つまり、現在常識とされているパラダイムは偽のパラダイムであり、真実の情報が隠されていることに気付かされたのである。それゆえ、二人の菩薩が発信している情報を正しく伝えなければならないと思うに至ったのである。現在の日本国民は完全に養老孟司先生が指摘している「バカの壁」の中にいる。「バカの壁」を破らなければ、日本民族の使命を果たすことが出来ないと強く思っている。
 二人の菩薩とは明治天皇の孫で国際政治評論家の中丸薫先生とサイエンス・エンターテイナーの飛鳥昭雄氏である。中丸薫先生は天からのメッセージとUFOからのメッセージと地底人からのメッセージを受けられる霊道者である。天からのメッセージではエル・ランティーからのメッセージも受けられ、エル・ランティーが高橋信次先生であることを確認している。中丸薫先生は霊道を究め、遂に人類最高責任者であるエル・ランティーに辿り着いた。飛鳥昭雄氏は「聖徳太子の預言書」や「ヨハネの黙示録」をカッバーラと霊的能力で解明した。また、裏天皇と言われる裏神道の総元締めから日本の秘密を解き明かしても良いというお墨付きを得た唯一の人物である。飛鳥昭雄氏はカッバーラを神の証明の為だけに使用して、金儲けの為に使用していない。これは菩薩の生き方である。カッバーラをプロの占い師のように金儲けの手段としていないということである。カッバーラを神の証明だけに使用している生き方が菩薩なのである。宗教も占いも神の証明の為だけに使用すべきなのである。二人の菩薩は神の証明のために霊的能力を使用している。
 二人の菩薩は多くの著書を出版している。その著書の要約をして伝えなければならないと感じ、ホームページやワープロで纏めたものを整理してみようと思ったのである。中丸薫先生も2012年12月22日に地球がアセンションすると主張している。勇気を持ってバカの壁を破らなければ、その困難な事態を乗り越えることは出来ない。是非一読することをお勧めしたい。
*  パラダイムとは一時代の支配的な物の見方であり、特に科学上の問題を取り扱う前提となるべき時代に共通な体系的想定を言う。
*  アセンションとは次元上昇という意味であり、中丸薫先生はUFOや地底人からのメッセージにより、地球は現在の3次元から5次元に次元上昇すると主張している。次元上昇において、3次元の肉体とは異なる半霊半物質の世界に入っていくということになる。地球は優良の星に変わるプロセスでもある。アセンションに備えて心の浄化を実施しなければならない。特に日本人は特別の使命を担っている為、真実のパラダイムに目覚めなければならない。

 

(1)現代科学の限界


現代科学はニュートン力学と相対性理論と量子力学を合わせた理論体系の科学である。3次元現象界を支配する物理学はニュートン力学であり、4次元世界を支配するのはアインシュタインの相対性理論であり、5次元世界を明らかにしたのが量子力学である。現代科学では物質の根源である原子・素粒子についての状態は説明できても、その状態を生み出しているエネルギーそのものが分かっていない。このエネルギーこそ、霊子である。原子を動かしているものは光子(フォトン)である。光子を作っているのが霊子であり、人間の心なのである。つまり、人間は三体によって構成されている。人間の肉体は原子細胞から出来ている。同時に光子体というものがあり、その光子体を維持する霊子体から成立している。原子細胞体(肉体)、光子体(意識の殻)、霊子体(意識の中心である心)の三体から人間の体は構成されている。3次元現象界では、肉体と光子体が一体となっている。立体的には人間の五体は原子と光子が重なり合って出来ているが、霊子は次元の異なる世界で、霊子線という糸を通して人間の五体に生命を与えている。現代科学では、光子(フォトン)は発見できても、霊子を発見することは出来ない。霊子こそ神仏であり、エネルギーそのものである。(霊子の発見は22世紀になると預言されている。)光子の速度は光速度であるが、霊子の速度は超光速度である。つまり、人間の心は霊子で出来ているので想念は超光速度で伝達される。高橋信次先生は霊子の存在につき明確に認識しており、心に形があることを証明した。心を具体的に認識できることは9次元宇宙界レベルであることを示している。霊子の存在が発見されれば6次元世界を明らかにする霊子力学が開発される可能性がある。


(2)量子力学の世界


光が波の性質を持つという発見はトーマス・ヤングによってもたらされた。粒でもあるという発見はマックス・プランクによってもたらされた。光の持つ2つの性質(粒と波)のうち、粒の方に着目して量子としたのである。つまり、量子も光子の側面のひとつであり、量子力学は光子力学でもある。量子力学の結論は「意識(想念)が現実を創造する。」ということであり、「宇宙エネルギー(波動)は宇宙の隅々まで無限に広がっている。」ということである。一個の粒子(波動)が宇宙の隅々まで存在を広げ、宇宙全体が一個の粒子(波動)に向けて収斂されているということである。これは、ブッタの宇宙即我の境地である。ブッタは宇宙即我の境地を体験し、人間は神の子であり、自分の内に宇宙の全てが存在していることを悟ったのである。量子力学の第一基本原理は「ミクロの物質は確率法則によって支配されている」である。量子力学の第二基本原理は「人の意識が、この世の現実を創造する」である。第一基本原理につき、粒子の動き回る位置と運動スピードの両方を見ることは出来ない。個々の粒子が将来どうなるかという運命を予測することが出来ないということを示した。アインシュタインは粒子の位置と運動速度の両方を同時に測定できると考えていたが、間違いであった。つまり、超光速の波動の存在(霊子の存在)を認めざるを得なかった。(アインシュタインの間違い)

  1. 光速を超える物質は存在しないと考えていたが、超光速の波動(霊子)の存在があった。

  2. 当初、エーテルの存在を否定していたが、後年になり、エーテルの存在を認めた。真空間に宇宙エネルギー(波動)が存在しているからである。空間こそ万物を生じさせる母体であると認識された。

    第二基本原理の行き着く先は仏教思想である。仏教は、この世の万生万物の根源は「空」であり、「空」から万物が創造され、再び「空」に還ると教えている。量子力学も「空間が物質を生じ、また空間に還元させる母体物質である。」としている。

    (まとめ)

    人間神の子という認識を持っていれば、5次元の意識である。この世は自分が創り出した「仮想の世界」であり、自分の想念を変えることによって、世の中(仮想の世界)の事象は変えることができるという意識が5次元である。4次元の意識は、自分を変えることによって自分の運命を変えられることを知らない。仏教の本質は6次元にある。6次元の意識は自由な想念を神の意識(慈悲と愛、中道)に合わせようとすることである。神の意識が分からなければ、いつまでたっても5次元止まりである。神の意識とは①慈悲と愛 ②転生輪廻 ③永遠の生命を知ることである。さらに、この世に生まれる目的は①この世をユートピアにすること ②自分のカルマ(転生輪廻の過程で創り出された心と行動の癖)を修正することである。7次元の世界は菩薩の世界であり、神理伝道行為や衆生済度行為や問題解決行為が使命となる。8次元如来界の世界は衆生済度行為のみであり、宇宙即我の体験をし、初めて神の意識と同通する。9次元宇宙界は真のメシア(救世主)の世界であり、エル・ランティーがいる。イエス・ブッタ・モーセはエル・ランティーの分霊である。「高橋信次先生はエル・ランティーの分身である」と中丸薫女史が紹介している。(分霊は分け魂であるが、分身は生命体そのものである。)つまり、エル・ランティーが初めて地球上に肉体を持ち、9次元の意識である信という慈悲と愛を総合した指導者の意識を示したのである。量子力学の意識は、5次元の意識である。「良いことを想えば良いことが起き、悪いことを想えば悪いことが起きる」という心の法則は、量子力学でいう「意識が現実を創造する」ということである。霊性を最高度に発揮するためには、神の意識に合わせることであり、6次元の意識を学ぶことである。

(3)裏NASAからの情報


NASA (アメリカ航空宇宙局)は、全米各地に11の巨大施設を持つ国家組織の為、アメリカの国益に反することは、すべての情報を隠蔽し情報操作している。NASAは表向きに旧態依然とした学者達を置き、革新的な頭脳を持つ学者が裏からNASAの探査計画を推進している。表NASAはビックバン宇宙理論(宇宙は爆発によって生じたとする仮説)を主張しているが、裏NASAはイマヌエル・ヴェリコフスキー理論を前提にしてプラズマ宇宙理論を展開している。その情報を飛鳥昭雄氏が入手して、分かりやすく解説しながら公開している。それゆえ、NASAからの真実の情報は裏NASAからもたらされたものである。裏NASAは極秘裏に木星を電磁波によって詳細に探査した結果、大赤斑の下に巨大な火山が存在することを突き止めた。コードネーム「クロノス」と命名された。クロノスが大噴火した場合、そこから噴出した物質が天体を形成しうると判断し、金星が誕生したと考えた。裏NASAは地球の他に水星、金星、火星も木星のクロノスから誕生したと推測している。また、表NASAは公式に認めていないが、裏NASAは破壊されて小惑星帯となった惑星フェイトンと太陽を挟んで地球と反対側を点対称の位置で公転している反地球ヤハウェも、木星のクロノスから誕生したと推測している。裏NASAは、木星がガス惑星ではなく地殻を持った天体であったように、太陽も地殻天体であることを突き止めている。太陽にも超巨大火山があり、コードネーム「ヴァルカヌス」と呼んでいる。太陽系に存在する木星、土星、天王星、海王星といった巨大惑星は、みな太陽が噴出した天体だった。最初、太陽から巨大惑星が誕生し、その後、巨大惑星の一つの木星から地球型惑星が誕生したのである。地球温暖化の原因は一般的に二酸化炭素が原因であると言われているが、その影響は非常に小さい。実際は、太陽そのものが熱くなっている。太陽の活動が激しくなると太陽風も激しくなり、太陽系惑星はすべてプラズマに覆われることになる。これにより、地球でもオーロラが見られるようになり、最終的には大気が発光することになる。つまり、地球は灼熱地獄と化すと予想される。しかし、地球もプラズマを内部に宿す天体であり、地球内部のプラズマも強くなり地球表面に出てくると予想される。太陽からのプラズマと地球内部のプラズマが重なった時、亜空間世界が形成され、異次元に繋がるプラズマ・トンネルが開くという。


(4)ヴェリコフスキー理論


ヴェリコフスキーは今から4000年前に木星から金星が誕生したと発表した。灼熱の巨大彗星だった金星は、地球を始め太陽系の惑星に超接近を繰り返し、様々な天変地異を引き起こした。ヴェリコフスキーは、旧約聖書の出エジプトの暗黒や紅海割れの奇跡やヨシュアの太陽運行停止の奇跡は、巨大彗星だった金星が地球に接近した為に引き起こしたものであるとした。裏NASAは、さらに500年前の紀元前2500年頃、木星のクロノスが大噴火し、大赤斑から巨大惑星を放出したと推測している。それが、太陽系第12番惑星ヤハウェである。惑星ヤハウェは太陽系内を突進するうちに様々な異変を起こした。その最大な事件が木星と火星の間にあった太陽系第11番惑星フェイトンを木っ端微塵に破壊したことである。その破片は小惑星帯となって、現在も太陽の周囲を回っている。その後、惑星ヤハウェは火星に壊滅的打撃を与え、地球にはノアの大洪水を発生させた。さらに惑星ヤハウェは、超楕円軌道を描いて一時は太陽系から離れていったが、イエス・キリストの誕生の頃、ベツレヘムの星として太陽系に戻ってきた。惑星ヤハウェの誕生から約500年後に木星から巨大惑星が生み出された。裏NASAはコードネーム「メノラー」と名付けたが、現在の金星である。メノラーは真っ赤なダストを身にまとっていた為、火星の側をかすめた時に、そのダストを振りまいた。火星の重力に引かれて真っ赤なダストは、火星に降り注ぎ、その大地を赤く染めてしまった。そのため、火星は赤い惑星となった。メノラーは地球にも赤いダストの被害を与えていた。モーセの奇跡といわれる紅海割れの奇跡もメノラーが引き起こしたものだった。メノラーが火星に近づきすぎて火星の軌道を狂わせた為、今度は火星が地球に異常接近することになった。そのため、火星は軍神マースとなり、災いを運ぶ凶星となった。しかし、超楕円軌道を描いていた惑星も軌道が安定し、メノラーは金星として、火星も再び現在の軌道上に落ち着くことになった。メノラーより500年前に誕生した惑星ヤハウェは太陽の裏側を地球と点対称軌道を描いている。公転速度が地球より少し速いため太陽の端から顔を覗かせることになる。1999年8月11日に太陽系惑星がグランドクロスを示し、惑星ヤハウェも顔を出していた。


(5)地球内部の亜空間世界


プラズマとは原子を構成する原子核と電子がバラバラになった状態のエネルギーである。プラズマは障害物を透過することが出来る。障害物の方もプラズマに包めばプラズマに包まれた物体も透過することが出来る。つまり、複数の物体をプラズマに包んでぶっつけると互いにすり抜けてしまう。これをプラズマ・トンネルと呼ぶ。壁にプラズマを重ねた時、そこには特異な空間(亜空間)が出来る。亜空間は、この世の3次元空間と同じ空間であるが重なっている。ただし、亜空間へ侵入する為には、侵入する物体もプラズマで包み込み、亜空間を形成しなければならない。亜空間同士が重なった時、この世とあの世を繋ぐプラズマ・トンネルが開く。しかし、それはプラズマが発生している間だけ存在し、プラズマが消滅した瞬間、亜空間は消滅する。二つの空間に存在した物体は原子レベルで合体し、融合してしまうのである。プラズマは亜空間を形成し、プラズマが複数存在すると、その間にはプラズマ・トンネルが生じる。もし、プラズマ・トンネルの先が全く別な場所に出来た亜空間であるならば、瞬時にそこに移動することも出来る。つまり、瞬間移動テレポーテーションが可能となる。アメリカ軍がフィラデルフィア実験で駆逐艦エドリッジをフィラデルフィアの海軍工廠からノーフォーク軍港へテレポートした。これは、テスラコイルによって複数のプラズマが生じ、互いの亜空間がプラズマ・トンネルによって複雑に結びつき、偶然にもノーフォークの軍港に出口が出来てしまった為である。地球内部にもプラズマによって形成された亜空間世界がある。地球には地磁気があり、地球内部には高エネルギーの塊である外核がある。外核がプラズマ状態となっていれば、その内部には亜空間が生じる。地球の両極には、目に見えない大穴(プラズマホール)が存在する。この両極のプラズマホールは、そのまま地球内部のプラズマ亜空間に直結するプラズマ・トンネルとなる。地球内部には亜空間が存在し、そこには地球の表面とよく似た環境の世界(アルザル人の世界)が広がっている。リチャード・バート少将が地球内部天体アルザルに侵入した。バート少将がアルザル人を目撃しているが、髪が長くアジア人のようであったと語っている。また、巨大な葉巻型UFOを目撃している。アルザル人は高度の文明を築き、アジア人のような容貌をしている。地球内天体アルザルの空には太陽が無い。空自体がプラズマによって光っているからである。バート少将がプラズマ・トンネルを通って地球内部天体アルザルに瞬間移動したように動物達も地球上からやって来た可能性がある。ヴェリコフスキーは紀元前2000年頃、木星が大爆発して現在の金星が誕生したと主張した。巨大彗星だった金星は何度か地球に大接近して天変地異を引き起こした。その時、ポールシフト(軸移動)が起こった。灼熱の巨大彗星が地球に超接近した時、プラズマが乱舞し、地球内天体アルザルに通じるプラズマ・トンネルが開いた。地球上の動物のいくつかは集団で亜空間にある地球内天体アルザルの地表に移動したと思われる。ノアの大洪水を引き起こしたのは木星から誕生した太陽系第12番惑星ヤハウェである。惑星ヤハウェが地球に超接近した時、相当な磁気嵐をもたらした。惑星ヤハウェは月にも衝撃を与え、月の地殻が破壊され、月の内部の水が宇宙空間へスプラッシュし、膨大な水が地球を直撃したのである。これが、ノアの大洪水の真相である。


(6)ロズウェル事件の真相


1947年7月2日にニューメキシコ州ロズウェルでUFOが墜落した。墜落したデルタ型UFOに乗っていたエイリアンは人間だった。それも日本人と同じ遺伝子をもつモンゴロイドだった。墜落したUFO内部からエイリアンの住処に関するデータが手に入った。その文字の解読に成功し、彼らが地球内部のプラズマ領域からやって来たことが判明した。エイリアンが地球の中心部の亜空間に存在し、地球の両極にある亜空間トンネルを通ってUFOで出入りしていることが確認できたのである。エイリアンはプラズマが作り出した亜空間トンネルから地球内部のプラズマ領域(地球内天体アルザル)へと入り込んだ人類だったのである。バート少将が目撃した地球内天体アルザルに住む人間の容貌は黒い髪をしたアジア人のようであった。ロズウェル事件で墜落したデルタUFOから回収されたエイリアンは人間でモンゴロイドであった。つまり、エイリアンの正体はアルザル人だったのである。エイリアンの遺伝子を分析したところ、「YAP因子」なるものが発見された。「YAP因子」とは男性の染色体の一つでY染色体に存在する特殊な因子のことである。Y染色体の因子を持っている民族は日本人だけである。「YAP因子」は「YAP(+)因子」と「YAP(-)因子」に分けられる。「YAP(+)因子」をもっているのは縄文系の人々で、「YAP(-)因子」は弥生系の人々であることが判明した。縄文人はアイヌを含む日本列島の先住民で、弥生人は大陸からやって来た渡来系の人々である。エイリアンが持っていた遺伝子は「YAP(-)因子」であった。つまり、エイリアンは日本民族と兄弟であり、弥生系の人々に近いということである。エイリアンの目は一重まぶたで蒙古襞も確認されたというので平坦な顔立ちで一重まぶたの多い弥生系に近い。日本人に「YAP(-)因子」をもたらした弥生人は朝鮮半島からやって来たことが徐々に明らかになってきた。朝鮮半島に「YAP(-)因子」を持った人々がごっそり大移動したのである。4世紀頃、大陸の騎馬民族が朝鮮半島を南下し、九州に上陸し、圧倒的な機動力で先住民を征服する。そこから機内へと侵入し、西日本一体を制圧し、大和朝廷を開いたのである。日本列島に侵入したのは応神天皇その人であった。応神天皇こそ、朝鮮半島から日本に渡来した辰王「沸流」である。籠神社の極秘伝によれば、応神天皇は朝鮮半島からやって来た渡来人であるという。先住民の王家に入り婿することによって大和朝廷を開いた者と考えられる。日本人の中に「YAP(-)因子」を持ち込んだのは応神天皇が率いてきた騎馬民族集団だった。その実体は失われたイスラエル10支族だった。地球内天体アルザルに住む人間はモンゴロイドである。しかも、失われたイスラエル10支族の末裔とされる日本人と同じ遺伝子を持っていた。エイリアン=アルザル人の正体は失われたイスラエル10支族だった。アメリカ軍は決定的証拠を発見していた。それは、エイリアン・バイブルである。分析の結果、古代ヘブライ語に似ていることが判明した。エイリアン・バイブルは地球上の聖書と全く同じではなかった。始めのところは同じだが、後半に入ると全く違う内容が記されている。聖書は南朝ユダ王国の視点で書かれているが、エイリアン・バイブルは北朝イスラエル王国の視点で書かれていたのである。アッシリア帝国が滅亡した後、失われたイスラエル10支族は一人の預言者に導かれて長い旅をしている。北極に向かった時、そこで北の道を通り、現在の世界へとやって来た。失われたイスラエル10支族は北極圏に移住し、そこから極北を目指して旅を続けた結果、プラズマ・トンネルが開き、地球内天体アルザルへと入った。アルザル人の人口は、およそ10億人であり、預言者が国を統治している。「トーラー」における「十戒」を尊重し、崇高なまでの倫理観を持つアルザル人は人類が実現できなかった理想社会を築いている。そして、近い将来に彼らは地球表面に帰ってくる。アルザル人が国ごと大挙してやって来る時が来る。なぜなら、聖書に預言されているからである。アルザル人即ち失われたイスラエル10支族は遠い未来に回帰すると預言書にある。聖書に「失われたイスラエル10支族が終末の日に姿を現わし、再びイスラエル12支族が揃う時が来る」と預言されている。エレミアの預言では遠い未来に失われた10支族は「北の国」と「地の果て」からやって来るという。「地の果て」については預言者イザヤが「東の島々」と表現していることから、日本と考えて間違いない。「北の国」とは極北に出入り口のある地球内天体アルザルのことである。失われたイスラエル10支族は地球内天体アルザルから帰還する。アルザル人の地上帰還は「ヨハネの黙示録」に預言されている。「第5の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が地上に落ちてくるのが見えた。この星に底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、それが底なしの淵の穴を開くと大きな竃から出るような煙が穴から立ち上がり、太陽も空も穴からの煙のため暗くなった。そして煙の中からイナゴの群れが地上に出てきた。」(「ヨハネの黙示録」第9章1~3節)


(7)「ヨハネの黙示録」の概要


「聖書の預言」とは「ヨハネの黙示録」のことを意味する。それは、ヨハネがパトモス島で霊視したことを書き記したものであり、人類の終末に至るまでの大異変と千年王国以後の物語である。7つの封印が封じられている巻物の封印をイエス・キリストが解くことにより、終末に向けての物語が始まる。封印を解くたびに新しい異変が準備され、第7の封印が解かれると、7つのラッパが次々と吹き鳴らされて恐るべき大戦争や大異変が起こる。次いで7つの鉢が地上に傾けられ、さらに大規模な災いが襲いかかり、人類は最後の審判を受けた後にイエスの再臨があり「千年王国」が始まる。千年の終わりにサタンは再び解き放たれ、最後の反逆を試みるが神に再び敗れる。サタンは地獄に投げ込まれ永遠の苦しみを受ける。天から下ってきた「聖なる都」新しいエルサレムでは神と人が共に住み、人は神の民となる。夜は無く太陽の光を必要としない「聖なる都」で神の統治が始まる。7つのラッパと7つの鉢は同じ異変を別な角度から見たものであり、同じ異変であることに変わりは無い。終末を告げる天の徴がある。それは、木星の大赤斑から再び巨大な天体が飛び出して地球に大接近する。巨大な灼熱の天体を裏NASAは「太陽系第13番ケツァルコアトル」と名付けた。ケツァルコアトルの意味は羽のある蛇だから絶対神の化身とされている。惑星ヤハウェがメシアを象徴する約束の赤星(ベツレヘムの星)なら、再び地球に接近してくる灼熱の巨大彗星は再び戻ると約束したケツァルコアトルの象徴となる。惑星ケツァルコアトルが向かう方向は太陽の巨大な吸引圏に引かれた内惑星となり、地球目掛けて突進してくることになる。その姿は、灼熱に燃える血に染まった星で長く尾を引く姿は真っ赤な鳥である。原始天体ケツァルコアトルの超接近で、凄まじい潮汐作用と磁気嵐が起こり、地球の全都市は壊滅され、海洋の水は盛り上がり巨大津波となって陸地を襲う。宇宙空間から降り注ぐ大異変が世界を滅亡させる。地球自体はポールワンダリング(極移動)を起こしてひっくり返ってしまう。地球を史上最大の大地震が襲い、一瞬にして世界は壊滅する。地球内部に大異変を起こし、地球は一挙に縮まりはじめ島々と大陸はプレートというベルトコンベアに乗った荷物のように逆行していく。昔の一つの巨大大陸だったパンゲアの姿に戻るのである。惑星ケツァルコアトルが放射する磁力線の渦は地球の磁場と反応するや世界規模の超高熱プラズマを発生させる。しかし、生き延びる人々は存在する。プラズマは過去に預言者エノクが住む街ごとプラズマ・トンネルを通して亜空間世界へと導いた。同様に絶対神を信じ、獣(偽キリスト)つまり世界を支配する世界統一政府の総統に従わなかった人々はプラズマ・トンネルを抜けて亜空間世界へと導かれることになる。地球内部の亜空間からも失われたイスラエル10支族の一団が巨大なUFOに乗って戻ってくる。


(8)ロスチャイルド家とロックフェラー家の対立


日本の幕末から明治維新にかけて日本はロスチャイルド家の傘下に入っていた。しかし、新興石油財閥のロックフェラー家が勃興し、世界覇権を手にしようとしていた。ロスチャイルド家からロックフェラー家に世界覇権が移ったのは1929年の世界恐慌からである。これは、ロスチャイルド家を叩く為にロックフェラー家が仕組んだ罠だった。アメリカは株式を大暴落させて、クズ値になった株式をロックフェラー家が底値で買い集めていった。これにより、アメリカはイギリス貴族達の支配から、ようやく脱出したのである。1913年連邦準備銀行(FRB)がロスチャイルド家主導で作られたが、ロックフェラー家がFRBの仕組みを乗っ取ってしまった。そして、1914年、仕組まれたようにヨーロッパで第一次世界大戦が起きる。サラエボ事件はロックフェラー家が政治的暗殺をやらせた。これで、欧州全体が火の海になった。1915年5月7日、米国人客を乗せた船が大西洋で撃沈した。これをキッカケにアメリカがヨーロッパ戦線に参戦する。しかし、事件はアメリカの自作自演だった。第一次世界大戦の真相はロックフェラー家による世界覇権の強奪劇だった。世界帝王になったアメリカの中央銀行を握ったロックフェラー家は、金融でも世界を支配し始め、1929年にロスチャイルド家に次の打撃を加えた。世界恐慌である。ロスチャイルド家を叩く為にロックフェラー家が仕組んだものだった。大暴落してクズ値になったアメリカ企業の株式を底値で買い集めて、イギリス貴族に打撃を与えたのである。日中戦争と太平洋戦争もロックフェラー家が仕組んだものだった。概して、ロスチャイルド家は平和的であるが、ロックフェラー家は攻撃的である。その性格が日本にも大きな影響を与えた。世界の世論が日本の中国侵略を非難し始めるのは1937年の盧溝橋事件の後からである。1937年7月8日からの北京、上海での日本軍の全面攻撃開始までは、欧米列強は日本を非難していない。なぜなら、欧米列強も中国各地に軍隊を置いていたからである。日本は遅れて来て、列強の真似をしただけである。盧溝橋事件(1937年)の後の総攻撃から8年間(1945年)までを本当の日中戦争とすべきなのである。外国によその軍隊がいたら、それを侵略という。それが、国際法の理解である。つまり、日本を含めた欧米列強も全て侵略国なのである。戦前は軍事官僚である軍人達がアメリカに操られていたが、民間人の右翼達も利用されるようになった。今でも官僚や政治家達がアメリカに操られている。特に、官僚達はアメリカの意向を忖度してアメリカの国益を優先させている。満州国建国はロスチャイルド家の支援を受けた事業であった。ロスチャイルド家は、亡命ユダヤ人達のために、今のイスラエルのような国を満州に作る計画を立てていた。この満州建国計画を「フグ・プラン」と呼び、岸信介ら革新官僚と石原莞爾ら関東軍が共に推進していた。石原は計画通り満州を占領した。しかし、中国全土には手を出す考えはなかった。しかし、関東軍が暴走した。そして、禁じての中国侵略を開始した。それを唆したのがロックフェラー家である。ロックフェラー家は広大な中国を狙っていた。邪魔なのはイギリス・ロスチャイルド家の勢力である。日本に中国侵略させて、ロスチャイルド家の勢力を追い落としにかかった。日露戦争後、ロスチャイルド系のハリマンは南満州鉄道を日本と共同経営する計画を立てた。しかし、その計画はロックフェラー系の小村寿太郎外相によって潰された。1921年12月にはセオドア・ルーズベルト米大統領によって日英同盟が破棄された。日本とロスチャイルド権益を戦争で破壊し、極東をイギリスから奪い取るのがロックフェラー家の計画だった。この手先となったのが帝国海軍である。平和主義と伝えられている海軍三羽烏(米内正光、井上成美、山本五十六)こそ、日本を戦争に引きずり込んだ張本人達である。ロスチャイルド家は日本に戦争をさせたくなかったが、ロックフェラー家の策略に乗せられて、中国全面侵略をするまでに泥沼に引きずり込まれた。そして、ABCD包囲網の罠にはまっていった。日本を中国への侵略戦争に駆り立てたのは、ロックフェラー系のフランクリン・ルーズベルト大統領達の綿密な計画があったからである。真珠湾攻撃も米内正光海軍大臣と井上成美中将、山本五十六連合艦隊司令長官らがアメリカに操られてやらされたことだった。大正から昭和にかけて相次いだテロ事件で殺された政財界人の大部分は、三井・ロスチャイルド系の政友会の人々である。原敬は1921年11月4日に暗殺された。犬養毅は1932年5月15日に暗殺された。(5・15事件)高橋是清は1936年2月26日に暗殺された。(2・26事件)彼らは国民に愛された指導者達だった。「中国には経済援助せよ。軍事進出はするな」と主張した。この政友会の優れた政治家達が次々にテロで倒されたのである。ロックフェラー(三菱)対ロスチャイルド(三井)という現代史の大きな対立構図を取れば明快である。日本を何としても侵略戦争に引きずり込もうと企んだロックフェラー系の人々がテロ事件の背後にいた。血盟団の井上日召もこうした勢力に操られていた。大アジア主義者の正義の民族主義は、こうして捻じ曲げられていった。日本はやがて、アジア圏への無謀な戦争に引きずり込まれる。2・26事件の青年将校達は純粋な動機で政治家達を暗殺したが、大きくは中国侵略戦争への国内体制固めであった。1937年2月、米内正光が海軍大臣に就任し、山本五十六が海軍次官に留任する。彼らはアメリカの手先であり、政府の中枢でおかしな動きをはじめた。1937年8月15日、海軍は中攻機による渡洋爆撃で戦争拡大の既成事実を作った。長崎県大村から出発した96式陸上攻撃機20機が南京を空襲した。台北からの14機も江西省南昌を空襲した。日本の無残な無差別爆撃はやがて世界中に報じられる。日本海軍機による爆撃は中国奥地の都市・武漢や重慶にまで及んだ。特に重慶には執拗に戦略爆撃が続けられた。非戦闘員を含む無差別爆撃の先鞭をつけたのは日本だった。後に日本はアメリカの大空襲に苦しめられる。多数の市民殺傷を生んだ重慶爆撃を指揮したのが井上成美である。米内が主導した海軍による初の渡洋爆撃作戦が当時の国際社会に日本軍の残忍さを決定的に印象付けたのである。この無差別爆撃で日中戦争の停戦協議のチャンスが失われたのである。1941年11月22日に日本海軍空母機動部隊は択捉島の単冠湾に集結し、11月26日にハワイに向けて出港した。日本時間12月8日、ハワイ近海において真珠湾攻撃を開始した。連合艦隊司令部では山本五十六が作戦を指揮していた。真珠湾攻撃には軍令部が皆反対していた。しかし、山本は受け入れなければ司令長官を辞職すると軍令部を脅して押し切ったのである。日本の暗号は解読され、真珠湾攻撃の正確な日時まで把握されていた。イギリスのチャーチル首相が英諜報機関からの情報をルーズベルト大統領に提供していた。全ては巧妙に仕組まれ計画されていたのである。日本軍の行動はアメリカ政府に全て察知されていた。日本軍の攻撃はハワイ時間で午前7時55分から午前9時45分まで続けられた。大破した戦艦は旧式のものだった。山本は明らかに手抜き攻撃をしてアメリカの戦力を温存させたのである。ルーズベルトは上院議会に日独伊への宣戦を要請し、圧倒的多数で承認され宣戦布告した。ルーズベルトはロックフェラー家の操り人形となって真珠湾攻撃を仕組んだ。そして、戦争反対のアメリカ世論を覆したのである。イギリス・ロスチャイルド家とアメリカ・ロックフェラー家の世界覇権を巡る抗争から日本は中国と泥沼の戦争に追いやられた。そして、アメリカにおびき出されて太平洋戦争を始めた時点で日本は、すでに敗北していたのである。日本を世界の孤児にしたのは米内光政である。米内光政はロックフェラー家に操られていた。米内は日米開戦直前に日本の首相にもなっているし、何度も海軍大臣をしている。普通、これは絞首刑確定のA級戦犯ものの経歴である。だが、海軍大臣だった米内をはじめ海軍軍人は一人も絞首刑になっていない。米内は巧妙にも対中国開戦直前の第二次、第三次近衛内閣と日米開戦に直接関与した東条英機開戦内閣には関与していない。東京裁判では一貫して戦争開始責任が問われている。首相を務めたこともある広田弘毅は軍人ではなく外務官僚出身の政治家だったが、日中戦争が始まった時の第一次近衛内閣の外務大臣だった為、戦争責任を問われ絞首刑になった。米内だって同じ第一次近衛内閣の海軍大臣であった。しかし、米内は軍人であったのに絞首刑になっていない。やはり、米内こそはアメリカのルーズベルトとロックフェラー家の傀儡だったのだ。阿南惟幾陸軍大臣は米内や山本達の動きは怪しかったと感じていた。彼らはアメリカと繋がっていたのだと理解したが既に遅かった。阿南は自害することで天皇や国民に大罪を謝罪したのである。この戦いの張本人である米内を「斬れ」と叫んで死んでいった。


(9)東京裁判の真実

①A級戦犯など存在しない。

日本は無条件降伏をしたのではなく、ポツダム宣言を受諾したのである。ポツダム宣言が発せられた当時、戦争犯罪について戦争を計画したり準備をしたり始めたりしたことを平和に対する罪として定めたが、それは国際法にもどこにも無かった。すなわち、「平和に対する罪」は戦争犯罪には当てはまらないのである。東京裁判がポツダム宣言によるものでないならば、裁判管轄権はどこにあるのか? この陳述に答えられる者はいない。裁判管轄権を示せないような裁判は裁判ではない。A級戦犯に対する告訴は直ちに棄却すべきである。結局、これらの陳述に回答が無いまま裁判は強引に進められ、連合国側はポツダム宣言に基づかず東京裁判を行った。東京裁判以後、戦争犯罪に対する裁判は何度か行われているが、東京裁判のA級戦犯に対するような「戦争を準備した罪」や「戦争を始めた罪」で裁かれた例は一つも無い。未だに、これらを戦争犯罪とする規定は国際法には無い。いかなる文明国にも、これらを戦争犯罪にする概念は無いのである。つまり、A級戦犯とされた罪状は何の根拠も無いのである。昭和26年9月にサンフランシスコ講和条約が調印され、昭和27年9月に発効した。これにより、日本は被占領状態を脱して独立主権を回復した。日本は講和条約が発効すると第11条の規定に基づき、国会決議を経て、関係11カ国の同意を得て、A級戦犯とされた人達を釈放した。(第1条は日本が要請し、関係国の過半数が同意すればA級戦犯を赦免しても良いという規定である。)これにより、A級戦犯とされた人達は国際法的根拠も無く判決を受け拘禁されたのだからA級戦犯など存在しないということである。


A級戦犯の解釈を捻じ曲げてしまった。日本の国会も国際社会もA級戦犯は無くなったと認めている。しかし、いつの間にか中国に擦り寄るために外務省の解釈を捻じ曲げてしまったのが、後藤田正晴官房長官だった。日本は東京裁判を受諾したという日本にとって極めて不利な解釈を求め、外務省の当時の小和田恒氏が、これに応じて日中関係をはじめとする外交理論に整合性をつけたというのが真相のようである。そして、日本の政治家達は、この捻じ曲げられた解釈に引きずられ、東京裁判史観(自虐的史観)を振り払うことが出来ないでいる。

パール博士の判決書が真実である。東京裁判で日本の人道に反する罪が糾弾された時である。ブレイクニー弁護人は「都市に原爆を落とし、無差別攻撃を加えた国が誰に向かって人道に背いたなどと言えるのか」と反論している。アメリカの東京大空襲や広島と長崎への原爆投下はホロコーストだった。「原爆投下は戦争を早期終結のためで、それによって多くの生命が救われた」などと言うのは、原爆投下を正当化するために後からつけた屁理屈に過ぎない。紛れも無くホロコーストである。ホロコーストという反人道の極限をやったアメリカに日本を裁く資格があるのかと言いたい。インドのパール博士は唯一の国際法専門家である。パール博士はパール判決書を書き上げたが、一度も法廷で読み上げられることも無く、出版することも許されなかった。パール判決書には「日本は自衛の為の戦争をしたのであり、侵略戦争をしていない。日本は無罪である。」と明記されている。日本に押し被さっている問題は、全て東京裁判に根源を発している。その日本人が東京裁判を知らないことが、日本をさらにおかしくしているのである。


(10)真実の日ユ同祖論

多くの日ユ同祖論者達が「失われたイスラエル10支族は日本民族である」と結論付けている。ラビ・マーヴィン・トケイヤー著「日本・ユダヤ封印の古代史」やヨセフ・アイデルバーク著「大和民族はユダヤ人だった」を読めば、そのことが良く分かる。しかしながら、彼らが提出した証拠は状況証拠であり、決定的証拠ではなかった。状況証拠とは民族の習慣・風習の類似性、神社と幕屋の類似性、日本語とヘブライ語の類似性、「記紀」の物語と聖書の物語の類似性、契約の箱と御神輿の類似性などである。決定的証拠とはイスラエルの三種の神器(モーセの十戒石板、マナの壷、アロンの杖)と契約の箱の行方と所在を明らかにすることである。決定的証拠を明確にしたのは飛鳥昭雄氏である。飛鳥氏は裏天皇といわれる大烏と二度に亘り会談し、大烏から突きつけられた厳しい質問に全て回答し、大烏を感心させた為、「日本の歴史の秘密を解き明かしても良い」とのお墨付きを得た唯一の人物である。裏天皇とは、天皇が背負う使命の全てを担い、神道界を仕切る総元締めであり、その正体は八咫烏である。八咫烏は12人の秘密組織であり、そのうち3人が大烏と呼ばれる。3人の大烏で1人の金鵄を形成し裏天皇といわれている。つまり、3人の大烏=金鵄=裏天皇である。八咫烏は天照大神のご神託に基づき、日本の国の全てにカッバーラにより国仕掛けを行った為、それを打ち破り秘密を解き明かす者が現われるまで守り続ける使命を持っている。また、八咫烏は皇室の人間と同様に戸籍の名前も無い為、現在の法律が適用されない。極端な話、人を殺しても罪に問われることは無い。昭和初期まで大烏との会談が許された者でも、奥義を授けるに値なしと判断された場合は、例えどのような人であっても、すべてこの世から抹殺されたといわれている。

  1. 失われたイスラエル10支族とは何か?

     アブラハムの一族は遊牧民の為、「さまよえる人」と言う意味で「ヘブライ人」と呼ばれた。アブラハムにイシマエルとイサクという名前の子供がいた。アブラハムとエジプト人の間に生まれたイシマエルから後のアラブ人が誕生する。イスラム教の正当性はここにある。旧約聖書によると神の預言者の系譜はアブラハムからイサクへと受け継がれる。さらに、イサクからヤコブ(イスラエル)へと受け継がれる。預言者ヤコブは神の御使いに出会い、ひょんなことから格闘するはめになり、ついに御使いに勝ってしまった。そのため、ヤコブは「神に勝った者」と言う意味の「イスラエル」と名乗り、彼の子供はイスラエル人と称した。ヤコブ(イスラエル)に12人の息子がいた。「ルベン」「シオメン」「レビ」「ユダ」「イッサカル」「ゼブルン」「ヨセフ」「ベンヤミン」「ダン」「ナフタリ」「ガド」「アシュル」という。彼らの子孫から「イスラエル12支族」が誕生する。一般的には「レビ」を祭祀専門の氏族として別格に扱う。神への神聖な儀式を行う人々として独立させ、それぞれの子孫が独自の支族を形成する。即ち「ルベン族」「シオメン族」「ユダ族」「イッサカル族」「ゼブルン族」「エフライム族」「マナセ族」「ベニヤミン族」「ダン族」「ナフタリ族」「ガド族」「アシュル族」である。

    イスラエル12支族は古代エジプトに寄留していたが、救世主モーセと預言者ヨシュアの指導によりパレスチナ地方に定住し、イスラエル王国を築く。最初の大王はユダ族の「ダビデ」であった。ダビデの子「ソロモン」時代にイスラエル王国は繁栄する。しかし、3代目の「レハブアム」の時代にエフライム族の「ヤロブアム」と「レハブアム」が対立し、紀元前931年にイスラエル王国は「北朝イスラエル王国」と「南朝ユダ王国」に分裂する。北朝イスラエル王国は「ルベン族」「シオメン族」「イッサカル族」「ゼブルン族」「エフライム族」「マナセ族」「ダン族」「ナフタリ族」「ガド族」「アシュル族」の10支族から成る。南朝ユダ王国は「ユダ族」「ベニヤミン族」から成る。ただし、「レビ族」だけは祭祀人のため両国それぞれに帰順した。

    ソロモン王が建設した神殿はエルサレムにあった。エルサレムは南朝ユダ王国にあった為、北朝イスラエル王国は「ゲルジム山」に別の聖地を設けて神殿を造った。しかし、その神殿で祀られていたのは異教の神であった。そのため、北朝イスラエル王国は紀元前722年にアッシリアにより滅亡した。旧約聖書には北朝イスラエル王国が滅亡したのは偶像崇拝したからだと記されている。偶像崇拝した為、天罰として滅亡したのである。南朝ユダ王国も偶像崇拝を始めた為、預言者「イザヤ」の警告も虚しくイスラエル人は堕落していく。新バビロニア王国の攻撃により紀元前586年にソロモン神殿は破壊され、南朝ユダ王国は滅亡し、イスラエル人は補因されてしまうのである。紀元前538年にペルシャは、新バビロニア王国を滅ぼし、補因されていたイスラエル人が故郷へ帰ることを許した。補因から開放されたイスラエル人は故郷のパレスチナへ向かいソロモン神殿を再建する。これが「ソロモン第二神殿」である。国を滅ぼされたのは自分達の背教にあると信じ、戒律中心のユダヤ教を確立させた。同時にバビロン補因の屈辱から「タルムード」を作り、神の心から離反してしまうのである。新バビロニア王国に補因されていた南朝ユダ王国の人間がパレスチナ地方へ戻ってくると北朝イスラエル王国の人間の姿は無かったのである。彼らは一体どこへ行ってしまったのか? 記録らしい記録は殆んど残っていない。そのため、イスラエル10氏族の蒸発は世界最大の謎とまで言われているほどである。彼らを「失われたイスラエル10支族」と呼ぶ。

  2. イスラエルの三種の神器と契約の箱とは何か?

    イスラエル12支族は古代エジプト王国で奴隷生活を送っていたが、救世主モーセが現われ、数々の奇跡を示し、イスラエル人をエジプトから脱出させる。モーセはシナイ山の山頂で絶対神ヤハウェから十戒を受ける。モーセが授かった十戒石板が第一の神器である。第二の神器はマナの壷である。エジプトを脱出して約束の地カナンに入るまで、イスラエル人の食料として絶対神ヤハウェはマナを降らせた。マナとは白いウエハウスのようなもので食べると非常に甘い蜜のような味がしたという。マナを入れた壷がマナの壷である。第三の神器はアロンの杖である。この杖は古代エジプトのファラオの前で生きた蛇になったことは有名である。以上の三種の神器を納めていたのが契約の箱である。契約の箱を担ぐのはレビ族でなければならなかった。彼らは永遠の主に仕える為に、主によって選ばれた者である。「レビ族以外の者が契約の箱を手にしたら、死は免れない」と言われている。契約の箱は、プラズマ兵器のように危険な存在でもあるからだ。

  3. 契約の箱はどのように日本に運ばれたのか?

    アッシリア帝国が侵攻して、北朝イスラエル王国を滅ぼした時のことである。その時、天使が現われ、アッシリア軍を防いだ為、エルサレムは陥落しなかった。預言者イザヤは、神から紀元前587年に南朝ユダ王国が滅びることを知らされていた。ソロモン神殿が破壊されることも知らされていた。そこでイザヤは、契約の箱をソロモン神殿からレビ族を使って組織的に持ち出した。偶像崇拝で汚れる前に、とりあえず神殿から運び出すことが目的だった。イザヤと入れ替わるようにして預言者エレミアが現われた。エレミアはイザヤの使命を継承した。エレミアはソロモン神殿の外にあった契約の箱を遠くへと運び去った。エレミアはモーセが神から約束の地を示されたネボ山に隠した。メシアが現われて、全イスラエル人を救う時こそ、契約の箱が出現する時である。イエス・キリスト直系の弟子でユダヤ人原始キリスト教徒達から成るエルサレム教団は、常にソロモン第二神殿で祈りを捧げていた。そのエルサレム教団が紀元後66年に勃発した第一次ユダヤ戦争の直前、突如エルサレムを放棄し、ペラという町に集団移動している。それは、絶対神ヤハウェからの預言だった。エルサレム教団がペラに長居せず再び何処かへ消えた。彼らは契約の箱と幕屋を手にし、臨在した神の御霊が導くままに東方に向かった。ユダヤ人原始キリスト教徒達は、秦氏となって日本に渡来してくるのである。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に行ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」(マタイによる福音書第10章5節)

    エルサレム教団が向かった先はイスラエル10支族の住む地である。紀元後1世紀頃、西アジアから大量の遊牧民が流入してくる。中国人から秦人(しんじん)と呼ばれた。秦人は数多くの民族から成っていた。その一つがユダヤ人原始キリスト教徒である。彼らは、西アジアの動乱を避け、シルクロードを通ってやってきた。

    紀元後4世紀に北方の騎馬民族が南下してくると再び朝鮮半島は混乱し、戦火を逃れた民族が日本列島へと大量に渡来してくる。その中心がユダヤ系秦氏である。日本にやってきた渡来人の多くは新羅からやって来た。ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏を朝鮮半島から招き入れたのが応神天皇である。応神天皇は朝鮮半島出身の渡来人の大王で騎馬軍団を率いて九州へ上陸し、九州にあった物部王家に婿入りすることで大和朝廷を開いた。高句麗の王チュモンに2人の息子がいた。兄を沸流、弟を温祚といった。温祚の国は発展し、百済となったが、沸流の国は衰亡し、沸流は自殺してしまったと百済本記に書いている。しかし、自殺ではなく、沸流は朝鮮半島を南下し、伽耶から九州へ上陸して応神天皇になった。「マナの壷」はガド族が継承した。応神天皇はガド族であった。ミカドと呼ばれるのはガド族出身ということである。「マナの壷」は籠神社(このじんじゃ)に存在していたことが判明している。失われたイスラエル10支族である応神天皇にとって秦氏は遠い兄弟である。北朝イスラエル王国が滅亡した時点でイスラエル10支族は背教していた。応神天皇も異教徒になっていた。秦氏は原始キリスト教徒であり、ユダヤ教の本質を忘れていない。また、契約の箱を持っていた為、一目置かざるを得ない。応神天皇は秦氏を配下に置き、日本列島へと乗り込んできた。応神天皇は秦氏によって改宗して原始キリスト教徒になった。その理由は、応神天皇の前にイエス・キリストが降臨したからである。イエス・キリストが応神天皇の前に降臨して王権を授けた。そのため、天皇は代々天孫降臨の奥義を伝える為、大嘗祭を行ってきた。大嘗祭はイエス・キリストの霊と一体になり、正式に王権を継承する儀式である。応神天皇は朝鮮半島で成長し、大人になってから日本に渡来してきた。応神天皇が洗礼を受けて、原始キリスト教に改宗したのは九州である。イエス・キリストから王権を授かった時点で、応神天皇は秦氏の携えている契約の箱を手中に収めた。

  4. まとめ

  1. 紀元前722年に北朝イスラエル王国から10支族が消える。「マナの壷」と「アロンの杖」も消える。ユーラシア大陸の彼方へと姿を消してしまう。日本の建国は紀元前660年であり、失われたイスラエル10支族が建国したと考えられる。

  2. 紀元前587年、南朝ユダ王国が新バビロニア王国により滅ぼされる前に、契約の箱と十戒石板とレビ族が消える。それは、イザヤとエレミアによって契約の箱はネボ山に隠された。

  3. 紀元前538年、アケメネス朝ペルシャが新バビロニア王国を滅ぼした為、補因されていたイスラエル人はパレスチナ地方に帰ることが許された。破壊されたソロモン神殿を再建する。それがソロモン第二神殿である。国が滅ぼされたのは自分達の背教にあると反省し、戒律中心のユダヤ教を確立する。しかし、バビロンの補因の屈辱から「タルムード」を作ってしまい、本来の宗教から離れてしまうのである。

  4. 紀元後66年、エルサレムから2支族(ユダ族、ベニヤミン族、一部のレビ族も含む)の原始キリスト教徒が脱出する。ペラから先は不明となる。これは、イエス・キリストからの神託があり、契約の箱と十戒石板を持って、失われたイスラエル10支族を追って東方に向かう。彼らは秦氏となり日本に渡来する。

  5. 応神天皇に絶対神ヤハウェが降臨し、イエス・キリストであることを告げた為、先に王国を築いていた物部氏は応神天皇に従った。絶対神ヤハウェが各地に現われ、応神天皇に聖霊が降りるのを見たからである。しかし、機内の物部氏は「自分達は裏切られた」と思い込み、信仰を捨てた応神天皇に対して反乱を企てる。畿内では旧約の神ヤハウェを唯一の神とする強い信仰があったからである。天からヤハウェが光り輝きながら戦闘の真ん中に降臨した為、古い旧約の神は新しい新約の神に全権を譲ることになったのである。こうして、応神天皇は大和朝廷を開き、「契約の箱」、「十戒石板」、「マナの壷」、「アロンの杖」の全部を手中に収めたのである。

  6. 「マナの壷」は「八坂瓊勾玉」として天皇が所持しており、現在、皇居内部の賢所に安置されている。「アロンの杖」は「草薙の剣」として熱田神宮の御神体として安置されている。「十戒石板」は「八咫鏡」として伊勢神宮の内宮に祀られている。「契約に箱」は明治天皇によって封印され伊勢神宮の内宮にある。

    (11)天照大神はイエス・キリストである

    ①「記紀」の「天岩戸開き神話」はイエス・キリストの復活の場面のことである。

    神話学的に見て、天岩屋に籠もる天照大神は、そのまま横穴式墓に葬られた天照大神の遺骸を意味する。天皇が死ぬことを「お隠れになる」と表現するように天照大神もまた死んで天岩屋に隠れたのだ。よって、天岩屋から出てきた天照大神は、そのまま復活したことを意味する。これは、イエス・キリストの死と復活そのものである。類似性を列挙する。

  1. 天照大神が天岩屋に籠もった時、天宇受売命が裸踊りをした。イエス・キリストが死んだ時、すぐ側にいて、さらに復活した時、最初に対面したのはマグダラのマリアである。(エウゼビオスの教会史はマグダラのマリアはイエス・キリストの妻だったという記録がある。)

  2. 天照大神が天岩屋から出てくる時にかかわったのは布刀玉命と天手力男神の2人である。イエスが復活した時、そこにいたのは2人の天使である。

  3. 天岩屋の前にいたのは常世の長鳴鳥という鶏でコケコッコーと鳴いていた。イエスが磔にされる時、鶏が2回鳴いている。

    ②大嘗祭は天照大神からの王権神授の儀式である。つまり、イエス・キリストからの王権神授の秘儀である。王権を授けるのは地上と天上を支配している天照大神であり、新しい天皇は天照大神から王権を授けていただく必要がある。また、大嘗祭はイエス・キリストの最後の晩餐を再現している。「死と復活」が大嘗祭の秘儀である。天皇は「イエス・キリストの死と復活」につき身をもって疑似体験をする。これによって王権を継承するのである。

  1. 決定的証拠

    イエス・キリストが磔になった聖十字架が伊勢神宮の内宮地下殿にある。伊雑宮にはイエス・キリストの罪状板が保存されている。将来、伊雑宮が伊勢神宮の本宮になり、聖十字架に罪状板が据え付けられ、その下に契約の箱が置かれるからである。イエスの再臨の時期は伊勢神宮(内宮、外宮、伊雑宮)に三種の神器が揃った時である。

  2. その他の状況証拠

    1、中矢伸一著「日月神示 岩戸開きの始動」に世界一の超能力者の異名をとるブルガリアのベラ・コチェフスカ女史が伊勢神宮参拝した時の興味深い証言が紹介されている。

       (イ)伊勢神宮の外宮にヤハウェが祀られている。

       (ロ)伊勢神宮は大変な聖地であり、世界中の誰もが参拝し、祈りを捧げなければならない。

       (ハ)日本列島の周辺は聖的なバリヤーのようなものがあり、バリヤーで覆われている。

       (ニ)日本は地球の臍のようなもので宇宙エネルギーを一番ストレートに受ける特別な聖地である。

       (ホ)日本は21世紀に人類が平和を取り戻している過程で重要な役割を果たす。

       (へ)イスラエル10支族のうち、いくつかの支族が日本に来ている。

       (ト)4代目の女帝に子供がいなかったので密かにユダヤの末裔と婚姻が行われた。

    ((イ)に対する説明)

    伊勢神宮の外宮には豊受大神が祀られている。豊受大神は天之御中主神と同一神である。籠神社の極秘伝によると奈良時代以前の日本には唯一神の信仰が存在したとされている。つまり、豊受大神を絶対神としていたということである。古代日本に失われたイスラエル10支族と原始キリスト教徒が渡来したことを考えると豊受大神=絶対神ヤハウェであり、ベラ女史の霊感は正しかったといえる。

    ((ト)に対する説明)

         4代目の女帝は持統天皇である。初代の女帝は推古天皇(中丸薫女史の生命であることが判明している。)、2代目は皇極天皇、3代目は斉明天皇、4代目が持統天皇である。(皇極天皇と斉明天皇は同一人物である為、持統天皇は3人目である。)持統天皇は天武天皇の「記紀」編纂事業を継承し、ブレインである藤原不比等と国仕掛けを施した。天照大神が皇室の祖先の神であるとする信仰は、天武・持統天皇の時代に成立し、朝廷は伊勢神宮の内宮に天照大神を祀った。さらに、唯一神信仰から八百万の神々への信仰へと無理やり変更させたのである。持統天皇の孫である軽皇子が文武天皇となり、その后に藤原不比等の娘・宮子がなっている。また、文武天皇と宮子の子が聖武天皇となり、その后に藤原不比等の娘・光明子がなっている。聖武天皇と光明子の子が女帝・孝謙天皇である。藤原不比等は大化の改新の立役者である藤原鎌足の子であり、ユダヤの末裔である。天皇家とユダヤが結ばれたことは明らかである。

    2、国仕掛けを命じたのはイエス・キリストである。

    (イ)イエス・キリストの命によって日本は築かれた。

        「私は、イスラエルの失われた子羊以外には遣わされていない。」(マタイによる福音書第15章24節)「私は、この囲いに入っていない他の羊もいるので、その羊も導かねばならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして羊は一人の羊飼いに導かれて一つの群れになる。」(ヨハネの福音書第10章15~16節)このイエスの言葉は、失われたイスラエル10支族を導くと宣言しているものである。失われたイスラエル10支族はイエスの声を聞き分け、一人の指導者(応神天皇)に導かれて大和朝廷を築くと宣言しているのである。応神天皇はヤハウェが降臨し、自分はイエスである告げた為、応神天皇はヤハウェ=イエスと認識できたのである。応神天皇は神(イエス)の命に応じた天皇と言う意味である。

    (ロ)イエス・キリストが国仕掛けを命じたのは、日本の存在を世界の目から隠す為であった。

         イエスはアカシックレコード(過去・現在・未来の出来事がイメージにより記録されているもの)を熟知している為、ルシフェル(サタン)の目を欺く為、日本に国仕掛けを命じたのである。もし、三種の神器や契約の箱の存在を隠さずにいて、日本人が失われたイスラエル10支族であると世界に向かって発信していたら、間違いなく闇の権力により秘宝は強奪され、闇の権力が契約の箱の占有権・所有権を主張して世界の王であることを宣言するかもしれない。そのようになれば、サタンの思う壺であり、聖書の預言は実現しないかもしれないのだ。聖書の預言の中で最も重要なイエスの再臨が実現するには条件がある。契約の箱、三種の神器、その他の要件を完備しなければイエスの再臨は実現しない。それゆえ、終末の日まで世界の目から隠す必要があったのである。ちなみに、ベラ女史が失われたイスラエル10支族につき話そうとした時、天上界から「まだ話してはならない」と言われたそうである。天上界でも秘密にすることはあるのである。


3.伊雑宮の秘密

(イ)イエスが磔になった十字架はT形をした十字架だった。T形十字架の上に罪状板を掲げた為、全体で十字のような姿になったのが真相である。ローマ人は十字架を処刑の道具としか考えない。しかし、ユダヤ人原始キリスト教徒にとっては全人類の贖罪の象徴であり、イエス・キリストのシンボルである。それゆえ、聖十字架はエルサレム教団と共に第1次ユダヤ戦争勃発直前にエルサレムからヨルダン河東岸のペラへ持ち込まれたと見て良い。そして、シルクロードを東に進み、日本列島に持ち込んだのである。

(ロ)現在、聖十字架は伊勢神宮の内宮地下殿にある。聖十字架は2000年たっても全く腐敗せず、真新しい木材のままである。伊勢神宮が絶対三神にちなんで三宮から成立っている事を隠す為に、伊雑宮を封印したのである。本当の伊勢神宮は伊雑宮である。伊雑宮を「生命の樹」の右側(慈悲の柱)とする為に内宮と外宮を設置した。その上で慈悲の柱そのものを封印したのである。奥義を解き明かす鍵を内宮と外宮の「心御柱の正中はずし」として暗示したというのが真相だった。

(ハ)聖十字架において、イエス・キリストの名前を記していたのは罪状板のみである。現在、伊雑宮に納められている御神体は罪状板である。罪状板には「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてある。伊雑宮が本宮になるのは天照大神(イエス)の名を持っているからである。

(ニ)伊勢神宮が三種の神器を全て所持した時、伊勢神宮の構造そのものが大変革する可能性がある。伊雑宮に聖十字架があった以上、最終的には聖十字架は伊雑宮に戻される。そして、聖十字架には罪状板も据え付けられる。その下には、契約の箱が置かれる事になる。三種の神器が伊勢神宮の内宮に「アロンの杖」、本宮となる伊雑宮に「十戒石板」、伊勢神宮の外宮には「マナの壷」が安置されると考えられる。これらの条件が整った時、イエスの再臨(天照大神の降臨)がなされるのである。八咫烏の情報によると、「イエスの再臨は伊勢神宮ではなく、京都の船岡山である」と言われている。


4.日本と言う文字の秘密


日本の国旗は日の丸である。赤い丸は太陽を意味し、天照大神=イエス・キリストを表わしている。旗竿の先にある金玉は金鵄、柄の部分の白黒のストライブは八咫烏を象徴している。「日本」の文字には十字架が隠されている。「日」は太陽であり、「本」という文字は「大」と「十」から成る文字である。それゆえ、十字架に人体を意味する「大」が磔になった状態を表わしている。つまり、日本という文字は天照大神(イエス)が十字架に掛かったことを象徴しているのである。また、日は「○」であり、本は「+」である。陽と陰である。阿吽の「あ」と「ん」は日本語の50音では最初と最後の言葉となる。イエス・キリストは自らを指して「アルファにしてオメガである」と述べている。したがって「日本」と言う文字はイエス・キリストを意味しているのである。それゆえ、イエス・キリストと千年王国を築くのは日本人が中心にならざるを得ないのである。伊勢神宮の護符には「蘇民将来」が必ず記されている。漢字の意味を解くと「未来において、この民は再び目覚める」という意味である。蘇民とはヤハウェによって選ばれたイスラエル人に他ならない。(日本人を意味している。)自分達の国にヘブライの奥義が無限に隠されていることに気付くということである。日本人がイスラエルの血を引く者であり、重大な使命を担っていることを知る時が来るということである。なお、現在のイスラエル国はアシュケナジーユダヤ人が大部分であり、真のユダヤ人ではない。聖書の民は日本人のことである。


5.多次元同時存在の法則

神道の神々には多くの別名がある。伝説や神話が成立する過程で、一人の神が複数の神になっていく。このような日本神話の構造を「多次元同時存在の法則」と言う。つまり、別名により元初の神を復元する手法のことである。具体的に「天照大神」の本来の名は「アマテルクニテルヒコ アメノホアカリ クシミカタマ ニギハヤヒノミコト」という男神である。この中に含まれている「ホアカリ(火明命)」と「ニギハヤヒ命」を独立した神として「古事記」と「日本書紀」に登場する。このうち、火明命を祀る丹後の籠神社の極秘伝によれば、この神の別名には「ホホデミ命」があるという。「記紀」には「ホホデミ命」という名を持つ人物が登場する。それは、初代天皇の「神武天皇」である。「多次元同時存在の法則」は基本的には神と神の間だけに適用でき、人間と人間の間には適用できない。しかし、例外として、神と人間が一体になる場合のみ、神と人間の間にも適用可能となる。天皇の場合は「大嘗祭」によって天照大神と一体になる。そのため、「天照大神=神武天皇」となる。初代の神武天皇こそ、古代日本における最大の英雄にして神道の最高神として位置づけられる人間・天照大神なのである。しかし、神武天皇の物語は現実の歴史とは考えられない。東大名誉教授の井上光貞氏は第14代まで架空と見做し、本当の初代は第15代・応神天皇であるとした。これは、応神天皇を渡来人とする籠神社の極秘伝とも一致する。第14代までの天皇を架空の存在とすると「多次元同時存在の法則」により、「神武天皇=崇神天皇=応神天皇」となる。つまり、諡号に「神」という文字が含まれる天皇は一人の騎馬民族の大王を3人に分割して創作された人物である。


6.神々が住む「高天原」とは太陽のことである。

高天原の支配者は天照大神であり、天照大神を太陽神とすれば、高天原は太陽ということになる。アダムとイブが楽園を追放された時、絶対神はエデンの園の東にケルビムときらめく剣の炎を置かれた。(創世記第3章24節)イエス・キリストが天照大神と命名されたのは、太陽を出入りする世界に住んでいることも示唆している。太陽の表面は無数の磁力線の交差によって脈動し、それによってプラズマが発生している。しかし、対流圏の下には地殻が存在している。太陽はプラズマ大気に隠された超弩級天体であり、裏NASAのコードネームは「ソル」と呼んでいる。太陽の周りのコロナは超高温になっているが、その内部世界は温度が低く、生物が存在できる環境が広がっている。太陽のプラズマ大気の下には、地球と同じように大陸と海洋が存在する。そのコードネームは「ナタン」と「ダーマ」である。プラズマ下の世界が地球と同じ環境であれば、生物の存在も考えられる。太陽にはプラズマ生命体が住んでいる可能性がある。

7.キネシオロジーテストで最近の日本人の意識レベルは620である。

キネシオロジーテストという意識のレベルを測定する方法がある。キネシオロジーテストの開発者はデビッド・ホーキンズ氏である。彼は地球の全てのものを1から1000までのレベルで測定できるテストを確立した。何百万回のテストを行った結果、力には人の心身を強くするパワーと人から活力やエネルギーを奪い心身を弱めるフォースがあるという。そして、フォースはレベルの低い力であり、パワーに凌駕されることも分かってきた。彼は全米各地で実験をしたが、このテストは極めて高い信頼性が与えられた。彼が全人類の意識レベルの平均値を調べたところ207という数値が出た。最近の日本人の意識レベルは620と言う結果が出た。この数値は「平和」と「至福」の意識レベルに相当するという。彼のテストでは、アインシュタインやニュートン、デカルト、フロイトといった科学者は499という意識レベルであるという。これに比べて、日本人の平均値は、科学者達よりもはるかに高いということである。しかし、日本の政治家の意識レベルは410しかないという。原始キリスト教、仏教、ヒンドゥー教、古神道などの教えのレベルは、すべて1000であり、ユダヤ教も985という高いレベルだったそうである。しかし、時代が下がるにつれて、レベルが下がってしまったという。仏教やヒンドゥー教は今でも高いレベルを維持していて、現在の大乗仏教は960、小乗仏教は890、ヒンドゥー教は850ということである。しかし、現在のキリスト教は498、ユダヤ教も499にまで下がっているという。イスラム教のコーランのレベルは720と測定されたがテロを続けている原理主義者達の平均は130~125のフォースレベルまで下がっているという。日本人の意識レベルの平均値が620という高さになった理由は、神道の影響である。欧米のキリスト教は原始キリスト教とは完全に異質な宗教になっている。つまり、欧米のキリスト教は他力信仰のパウロ教になっているからである。原始キリスト教はペテロのエルサレム教団であり、アラム語を話していたので「ヘブライスト」と呼ばれ、その性格は極めて保守的であった。これに対して、アラム語以外の言語(ギリシャ語)を使うユダヤ人は「ヘレニスト」と呼ばれ、「アンティオキア教団」を形成した。その中心はパウロである。エルサレム教団とアンティオキア教団の間には布教の活動方針で大きな相違があった。現在のキリスト教はパウロによるアンティオキア教団によって編纂された。一方のエルサレム教団は歴史の表舞台から姿を消してしまうのである。エルサレム教団は失われたイスラエル10支族のいる極東の地に移動したのである。エルサレム教団は神の命により、秦氏となって契約の箱、モーセの十戒石板、聖十字架を持ち込んだ。それゆえ、原始キリスト教は古神道として生き続けたのである。そのため、キネシオロジーテストで神道が最も高い950のレベルを維持しているのである。(仏教は平均すると925になる。)


8.ジョー・マクモニーグルの未来透視と預言の違い

 預言は神の意識を言葉(言霊)で表わしたものである。これは、如来の使命である。如来はアカシックレコードを霊視し、それを解釈できる能力を有しているため預言となる。アカシックレコードは個人の想念帯を読むためのシステムではない。8次元の世界に存在するアガシャーの記録のことである。アガシャーの記録を個人の想念帯と同じように思われては知識が無さ過ぎる。霊能者の江原啓之氏が個人の想念帯のことをアカシックレコードと言っていたが間違いである。4次元で個人の光子量を判断する時、想念体を明らかにするシステムがあるが、それはアカシックレコードではない。何度も言うが、アカシックレコードは8次元にあり、宇宙即我を体験した如来の霊格でなければ霊視出来ないものである。ジョー・マグモニーグルはアカシックレコードを霊視できるが、それを解釈する能力が不足しているので、まだ菩薩のレベルであると考えられる。その証拠に彼はフェアな態度で自分の間違った透視も、自分に不利な点も削除せず原文のまま残している。その間違った点とは、「2000年~2005年にロシアと日本の北方領土問題が解決する」としたことである。これは、現在でも未解決問題である。新ローマ法王の透視も不正解だった。「現在のローマ法王は1999年に他界する。次の法王はイタリア人でピウス13世と名付けられる。」これは、完全な間違いであった。不利な点とは離婚2回し、3回結婚していることであり、これも公表している。つまり、「未来透視できるなら、自分の結婚が何故透視出来なかったのか」と言うことである。それを承知で公表しているので菩薩の限界を示そうとしている。彼は、未来透視の難しさを次のように語っている。「ごちゃごちゃになった断片的な情報を首尾一貫した文脈に並べ直すのは困難な作業である。」「バラバラの情報を組立て直す過程で、しばしば誤った結果を出してしまうこともある。」如来は一瞬にして、その状況を読み取れる能力があるが、菩薩レベルでは、そこまで読み取ることが出来ないからである。彼は、過去を透視して大和朝廷を開いた神武天皇を霊視したと言うが、実際に霊視したのは応神天皇であった。また、卑弥呼を霊視し、現在の山口県で誕生したと言っている。邪馬台国が現在の奈良県であることを霊視し、それは正しいが、当時の日本列島は逆転日本列島になっていたはずである。邪馬台国の時代では、中国人の頭には逆転日本列島という地理観があり「魏志倭人伝」に反映されていた。「魏志倭人伝」の記述が現在の地理と整合性がないというなら日本列島の方が動いたということになる。事実、古地磁気を分析した結果、東日本列島は青森県を中心にして反時計回りに回転し、西日本列島は九州北部を中心として時計回りに回転したことが判明している。北海道は東北アジアから時計回りに分離し、東日本列島と同じく一気にフィリピン沖まで南下し、そこから反時計回りに大きく回転していたことが読み取られている。邪馬台国時代の日本列島が南北逆転していたことは事実である。それゆえ、「魏志倭人伝」の記述どおり進むと三輪山の麓に広がる纏向遺跡こそ邪馬台国の中心地だったことが判明したのである。邪馬台国論争の元凶は「魏志倭人伝」の記述と現実の地理が一致しないことにあった。しかし、過去の日本列島が現在の日本列島より約90度時計回りに回転した状態にあったことに気づけば邪馬台国の所在地は畿内説が正しいことが分かるのである。二つの日本列島が太平洋上にあった時代、東日本列島にはインカ系のインディオが中心となり、エスキモーを吸収すると共に縄文文化を形成し、狗奴国(くなこく)連合を形成していた。西日本列島にはマヤ系のインディアンたちが中心となって弥生文化を形成していたが、中国の稲作を導入することによって邪馬台国連合を形成していた。しかし、卑弥呼が邪馬台国の女王として担ぎ出さる直前、日本列島に大事件が起き、東西の日本列島が回転しながら衝突したのである。フォッサマグナは東日本列島と西日本列島が衝突して出来た構造線である。皮肉なことに最終的に東西の日本列島を手中に収めたのは狗奴国でも邪馬台国でもない第三の勢力が瞬く間に日本列島を征服していった。日本列島が急激に移動を開始したことは地球規模で地殻変動が起こったことを意味している。この状況を勝機と睨んだ夫余系騎馬民族は朝鮮半島南部から九州へ上陸し、そこから畿内へと侵攻してきたのである。瞬く間に邪馬台国を征服し、王家は邪馬台国の王族に婿入りする形で王権を継承し、大和朝廷を開くことになる。日本列島を征服した騎馬民族は夫余族である。夫余族は高句麗や百済の王家と連なる民族でモンゴロイドである。中でも重要なことは古代イスラエルの血統であったことである。マクモニーグルは応神天皇のことを神武天皇と勘違いしたのである。


(12)失われたムー大陸は超大陸パンゲアだった。

ムー大陸(超大陸パンゲア)は地球上に最初に人類が誕生した母なる大地であり、現代文明を凌駕するほど高度な社会が築かれ地上の楽園だった。祭司にして支配者である太陽王「ラ・ムー」が平和の名の下に統治していたムー帝国は、人口6400万人を擁し、巨大な石造建造物をはじめ都「ヒラニプラ」は金や銀や象牙など不思議な金属で溢れていた。その影響力は海を越えて古代エジプトやアメリカ大陸そしてインドにまで及んだ。しかし、今から約1万2000年前、突如襲った天変地異によって超古代文明は崩壊し、ムー大陸は一夜にして大地震と大津波によって海の底へ姿を消した。天変地異の原因は、当時の人々の心が欲望に支配され、自我我欲と自己保存のままに生活がなされ、神理を伝道する菩薩達を死刑にしたことにある。その反作用として天変地異を引き起こしたのである。残ったのは高い山頂のみで、それがポリネシアの島々になった。昔の栄光はイースター島のモアイ像やポンペイ島のナンマドール遺跡に、その記憶を残すだけとなった。ムー大陸とは太平洋上に存在した大陸のことであるが、この太平洋を現代人が見ている太平洋だとすればムー大陸は存在しない。太平洋の海底を分析すると大陸を構成する地殻が存在しないのである。それゆえ、地球科学者がムー大陸の存在を認めることは無い。地球上に唯一存在する大陸があった。それが、超大陸パンゲアである。太平洋上に存在し、失われた大陸をムーと呼ぶならば、それは超大陸パンゲアに他ならない。原始地球において超大陸パンゲアは一度完全に水没している。地球規模の大洪水が起こったからである。これを如実に伝えるのが「旧約聖書」に記されていた「ノアの大洪水」である。創世記の伝承はムー帝国に遡るものであり、ノアの大洪水はムー大陸の沈没を伝えたものである。月は内部に大量の水を抱えた氷天体だった。今から4500年前、突如地球に接近した月は潮汐作用により地殻が破壊され、内部の水がスプラッシュし、宇宙空間で急速に冷却された熱水が地球上へと降り注ぎ超大陸パンゲアを水没させてしまった。同時に天体の異常接近によって地球内部のマントルが相転移を起こし、急膨張を開始したのである。世界中の大陸や島々が、全てムー大陸の一部だったのである。アジアの文明の源泉は太平洋に沈んだムー大陸にあり、日本はその超古代文明の継承者であった。天皇は天照大神の子孫であり、祭司にして王の現人神である。それは、太陽王ラ・ムーそのままである。


(13)ノストラダムスの預言は、まだ生きている。

ノストラダムスはイスラエル12支族のうち「イッサカル族」の末裔である。ノストラダムスは天啓を受けていた。彼も預言者の一人なのである。「1999年第7番目の月 天から地に落とされた驚愕の大王 アンゴルモアの大王を甦らさんと その前後にマルスは平和を楯に支配に乗り出す」(「諸世紀)第10章72節)「1999年第7番目の月」とは現代の暦に直すと1999年8月となる。「天から地に落とされた驚愕の大王」とは堕天使ルシフェルのことである。大天使ミカエルに敗れたルシフェルは地に落とされ大魔王サタンとなった。「アンゴルモアの大王」は世界政府を樹立して、自ら神と名乗る男のことで「偽キリスト」もしくは「獣」と呼んでいる。「偽キリスト」はサタンの霊が注がれたことでカリスマ性を備えていることは間違いない。マルスとは火星のことであり、軍神と言う性格から戦争を意味する。つまり、1999年前後を境にして軍事的な動きが激しくなっていく。それを示す決定的な徴が1999年8月11日に起きている。それは、地球を中心にして太陽系の惑星が四つの星宮に集合するという現象が起きた。具体的にホロスコープ上の水瓶座に海王星と天王星が、蠍座に火星と冥王星が、獅子座に太陽と月と水星と金星そして太陽系第12番惑星ヤハウェが、牡牛座に木星と土星が配置されていた。いわゆる占星術でいう「グランドクロス」である。四つの宮は、ちょうど十字架を形成するような位置にあり、そこに惑星が集合することで太陽系には巨大な十字架が出現したことになる。十字架に磔になったのは地球である。太陽系12番惑星ヤハウェはイエス・キリストが磔になった十字架の天辺に相当する。それは「罪状板」が掲げられていたことを示していた。地球上の全人類が十字架に磔にされ、大量に殺戮される日が近いことを意味する。「その顔は人間のようであり、四つとも右に獅子の顔、左に牛、そして四つとも後ろは鷲の顔を持っていた」(「エゼキエル書」第1章10節)「この王座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のよう顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。」(「ヨハネの黙示録」第4章6~7節)これらは、預言者が示現によって見た天使の幻である。顔が四つの動物「四獣」になっていることから実在の天使ではなく象徴である。カッバーラでは、これを神の戦車「メルカバー」と呼んでいる。ここに登場する四つの顔は、一般に「人間」「獅子」「雄牛」「鷲」になっている。(蠍座は、鷲座と呼ばれていたこともあり、鷲は蠍を意味する。)四つの星座のシンボルは、聖書でメルカバーと呼ばれる。四つの星座は十字架を形成するので、地球がメルカバーに縛られたことを意味する。この世の四方にメルカバーの天使が配置されたのである。それは、黙示録の殺戮の天使と呼ばれる恐怖の存在なのである。「四人の天使は人間の三分の一を殺す為に解き放された。この天使達は、その年、その月、その日、その時間のために用意されていたのである。」(「ヨハネの黙示録」第9章15節)メルカバーの殺戮の天使が動き出すと、世界は破滅に向かって突き進む。戦争が繰り返され、ついに世界中を巻き込む大戦争へと発展する。仏典によると、弥勒菩薩が現われるのは、ブッタ入滅から56億7000万年後とされているが、重大なトリックが隠されている。「年」の字は「成熟した人」を意味する。10年といった場合、10人という意味がある。つまり、56億年7000万年の隠された意味とは、56億7000万人なのである。世界の人口が56億7000万人になった時、弥勒菩薩が降臨すると考えられる。驚くべきことに世界の総人口が60億人を突破したのは1999年だったのである。注目されるのは天空にグランドクロスが描かれた1999年8月11日に世界人口が60億人を突破したのである。人類が滅亡の淵に立った時、天から弥勒菩薩すなわちイエス・キリストが降臨すると考えられる。


(14)フォトン・ベルトは、プラズマ・フィラメントのことである。

ビックバン宇宙理論は、宇宙を支配しているのは重力であると考える。これに対してプラズマ宇宙理論は電磁気力に重きを置く。地球上にいて重力が大きく感じるのは電磁気力が圧倒的に少なく、その及ぶ範囲が局所的にとどまっているからに過ぎない。電気伝導度の大きいプラズマが乱舞する太陽の表面では電磁気力が現象を規定している。プラズマが満ちている宇宙空間ならなおさらである。宇宙の真の支配者はプラズマである。裏NASAの科学者達は、プラズマ宇宙論を根幹に据えている。電磁気力こそ宇宙を支配している。プラズマが電磁気エネルギーを全宇宙に運ぶ媒体なのである。宇宙空間はプラズマで満ちている。大量の電気が縦横無尽に流れていることが判明した。電気が流れると、そこに磁場が生じる。電磁場はプラズマを生じさせる。ビルケランド電流があると、それを中心にプラズマが生まれる。ビルケランド電流によって生じるプラズマ流のことを「プラズマ・フィラメント」と呼ぶ。プラズマ・フィラメントが銀河を形成し、銀河から噴出するプラズマ・ジェットがフィラメントとなって宇宙空間に広がる。漆黒の闇に見える宇宙空間にはプラズマが満ちている。太陽系の外側には、よりエネルギーの高いプラズマが存在し、かつ巨大なプラズマ・フィラメントが縦横無尽に走っている。これが、真のフォトン・ベルトである。フォトン・ベルトは存在しないがプラズマ・フィラメントは存在する。フォトン・ベルトで喧伝された現象が、そっくりプラズマ・フィラメントによって引き起こされている。


私の姓名の秘密



2013年1月15日に、不覚にも私は雪の為、滑って転倒し左の足を骨折してしまった。そのため身動きできず、仕事が出来なくなった。それで、家族の協力を得て最小限の仕事を実施している状態である。左足の骨折の状態で何も出来ないので反省を実施した。その中で「私の使命とは何か?」を反省している中で、私の姓名の秘密について公表しようと思ったのである。


(1)私が自分の名前で姓と名がイコールになっていることに気付いたのは中学1年の時だった。


姓→東郷(TOGO) 名→郁三(いくぞう)


つまり、次のような関係になることを発見したのである。


TO GO = いくこと = いくぞう 


この関係を発見した時は、「名前って面白いものだ」と思った程度で深く追求してみようとは思わなかったのである。


(2)ところが、18歳の時にふとしたことから自分の名前をバラバラに分解して遊んでいるうちに自分の似顔絵が出来てしまったのである。


東郷郁三→分解して、とうゴういく三で似顔絵を作ると次のようになる。


名前を分解し組み立て直しているうちに自分の似顔絵が出来てしまったので姓名には何か大きな秘密が隠されているのではないかと思うようになったのである。


(3)2つの発見が姓名の秘密を探究してみようとするキッカケを作ったのである。それ以来、私は市販されている姓名学の本を乱読し、ある程度の判断基準をマスターしていった。

そのような時に、友人の塚本君から北海道に住む丹羽透涯という宗教家が姓名判断をすると聞き、是非会ってみたくなったのである。塚本君の紹介で面会することが出来たが、器の大きさの違いの為に圧倒されてしまった。先生は次のように私を評して言われました。


丹羽先生「君は大地に足をつけていない。フラフラしている。理想を追うことも必要だが現実を見つめなければ足元をすくわれてしまう。」

私「・・・・・・・・・・」


私は自分の一番気にしていることを指摘され何も反論することが出来ませんでした。


丹羽先生「うむ。真面目すぎる。もっと心を楽にして,おおらかな気持ちで人の接することが必要だ。」

この指摘も多くの人達に忠告されていたので修正しなければならないと気にしていたのである。ところが、先生はズバリと私の弱点を指摘したので恐れ入りながら聞いていました。


丹羽先生「君は大志を抱いているようだが、その前途は多難である。私と一緒に山に登ろう」

私「えっ。山に登るとはどういうことですか?」

丹羽先生「私は全国各地にある12の霊山に縁があって毎年、霊山に登拝している。その霊山とは次の山のことだ。

①赤倉山(岩木山)・・・青森県 ②太平山・・・秋田県 ③出羽三山・・・山形県

④戸隠山・・・長野県 ⑤白山・・・石川県 ⑥大山・・・鳥取県

⑦英彦山・・・九州 ⑧阿蘇山・・・九州 ⑨石槌山・・・四国

⑩熊野三山・・・紀伊 ⑪御嶽山・・・木曽 ⑫富士山・・・静岡県

私の関係者は必ずこの12霊山に関係している。東郷君もどれかに関係があるはずだ。」

私「あのう。僕の先祖は御嶽山に登っています。」

丹羽先生「やはり、そうか。御嶽山も12霊山の一つだ。よし、それでは早く登ろう。」

結局、丹羽先生の迫力に圧倒され登拝という修行を経験することになった。この登拝により、粗塩の効果を発見できたのである。(登拝については省略する。丹羽先生との登拝は赤倉山と太平山でした。後に私個人で御嶽山に登拝している))

登拝が終了し、私はしばらくの間、丹羽透涯先生宅に居候することになった。その時、初めて丹羽式姓名学を学んだのである。

丹羽式姓名学は1から9までの数字で判断する為、私がマスターしていた伝統式姓名学(1から81までの数字で判断する)とは全く異なる感じがしたのである。

しかし、因縁の指摘については、丹羽式姓名学のほうが鋭いと思った。伝統式姓名学ではピンボケの部分を明確にしているからである。概して丹羽式姓名学は因縁の指摘が多く、暗い判断になっていた。私は、そのことを丹羽先生に言うと、先生は次のように話してくれたのである。

丹羽先生「私の仕事は人の業(カルマ)を切ってやることであり、占いは、その業を判断する為に過ぎない。君は、占いの才能があるようだから私の大雑把な理論にとらわれず自由に研究してみることだ。」

私「僕は別に才能があるとは思っていません。しかし、自分は暗い判断よりも明るい判断の方が好きです。伝統式姓名学と丹羽式姓名学を統合しようと思っています。」

丹羽先生「そうか。頑張ってみたまえ。」

私「はい。頑張ります。」


丹羽先生にとって人の因縁を切ってやることが仕事であり、どのような因縁かを探し出す役割を果たしているのが占いであると考えているようであった。

そのため、占いが暗くなるのは仕方がないことであった。


(4)丹羽先生の所で8日間の断食をした次の年(昭和49年)にCPA2次試験に合格することが出来た。7回目の挑戦でやっと合格できたのである。

受験から開放され、のんびりしていた時、ふとしたことから高橋信次著「悪霊」という本が目についたのである。パラパラとページをめくってみると普通の宗教家ではないことに気付き、早速本を買って読んでみたのである。

((これは、大変な本だ。僕が理想としている仕事を既に実践している。これは、只者ではない。))と思うや否や神田の本屋に行って高橋信次という人が書いた本を全部買ってきて読みました。「心の発見」「心の原点」「人間釈迦」「原説般若心経」等々を私は一気に読んだのである。そして、次のように感じた。

((もしかしたら、高橋信次という人は、釈迦の本体ではないだろうか。そうだとすれば大変なことだ。僕が捜し求めていた師かもしれない。早速講演会に参加してみよう))

昭和50年4月8日に高橋信次先生の大講演会が日比谷公会堂で行われました。私は、本に書かれていることが事実かどうか真剣な気持ちで聴いた。講演の内容はすばらしいものであり、本物であると確信した。そこで、私は心の中で次のような質問をしたのである。

((先生は、お釈迦様の生まれ変わりですか? もしそうならハッキリと自分は釈迦であると言ってください))

勿論、何の返答もありません。講演の方は信次先生の指導による転生輪廻の証明を実演していました。弁護士で司会をしていたT氏とN婦人が過去世において友人であった時の状況を想い出して当時の言葉(中国語)で語っています。信次先生が同時通訳をしてくれたので理解できましたが、目の前で過去世の言葉を聞く事は「永遠の生命は事実である」ことを実感として理解できたのであった。

N婦人によるアトランティス時代の言葉は非常に美しい響きがあり、ギリシャ時代の言葉やインド時代の言葉も何となく懐かしい気持ちがしたのであった。私の心の中にも、そのような言葉が記録されているからだろうと実感したのであった。

日比谷公会堂の大講演会の後に私は、三度信次先生の講演会に参加した。浅草の本部での講演会の時でした。どういうわけか信次先生が私の前に来て、10分間に亘って講演したのである。その時、私はこれ以上の感動は無いという体験をしました。心の底からこみ上げてくる感動が頭の頂上を突き抜けてドカーンと火山が爆発した時のように破裂したのである。その凄まじい感動の破裂が数回となく続いたのである。私の目からは涙が止め処も無く流れ落ちてきたのである。顔はクシャクシャになってしまったのであった。

信次先生は、再び元の場所に戻り講演を続けました。その時、驚くべきことに次のようなことを言ったのである。

信次先生「先日の講演会の時、私に対して「お釈迦様ですか?」と呼びかけた者がいた。イヤー、びっくりした。私はただの電気屋です。もし私の過去世を知りたかったならば、自分がアラハンの境地になって自分を知った時、私が誰であるか分かります。それまでは、私はただの電気屋です。イヤー、本当にびっくりした。」


信次先生はユーモアを交えて笑い飛ばしていましたが、私の心は全て見抜かれている感じがしました。そして、無性に恥ずかしかったのでした。

やはり、自分自身が悟らなければ神理は沈黙していると思ったのである。アラハンの境地に到達した多くの者は信次先生のことを「ブッダ」と呼んでいる。勿論、過去世の言葉を語っている時にである。そのことから「ブッダ=信次先生」ということは明白であった。しかし、信次先生は、アラハンの境地に到達していない人に対しては、多くの誤解を防ぐ意味もあって「ブッダ」とは呼ばせないように思えたのである。


(5)私は以上のように2人の師との出会いを通して丹羽式姓名学と高橋信次先生の正法を学ぶようになったのである。

そして、遂に自分の姓名の秘密を知ることが出来たのである。それは、信次先生の教えの中に含まれていた。


東郷→東の国→古代インド語でジャブドーバーと言う。

つまり、「ジャブドーバーにいくぞう」と宣言している名前であったのである。これは何を意味するのであろうか?

私は次のように考えたのである。

今から2500年前に中インドのカピラバウストという所にゴーダマ・シュッタルダというシャカ族の王子が生れました。それが後のブッダである。29歳の時、妻子を捨て出家し35歳の時、八正道による反省的瞑想をした結果、宇宙即我の境地に到達したのである。悟りを開き、その後40年間に亘り神理を具体的に分かり易く説いていったのである。その中で、ブッダが多くの弟子達に未来の世界を霊視させたことがある。黄金で出来た建物にはダイヤモンドやルビーがちりばめられて美しい世の中である。居ながらにして遠くの者と話をすることも出来る。空を自由に飛ぶことも出来るのが未来の世界であると20世紀の都市の生活状態を霊視させたのである。

(この事をマイトレーヤー(弥勒菩薩)は後世の人に書き残した為、未来仏とされたと言われている。)

ブッダは多くの弟子達に20世紀の未来を現象として霊視させた後、次のように語ったのである。

ブッダ「私達は転生輪廻を繰り返しています。今度、私が生れる所は先程霊視しましたジャブドーバーという所です。今度、会う時はジャブドーバーのケントマティでお会いしましょう。」


ジャブドーバーとは古代インド語で東の国という意味であり、ケントマティとは都市という意味である。つまり、東の国の都市にブッダが生れると宣言したのである。当然、ブッダの弟子達も生れてくるはずである。

東の国の都市にブッダが生れ変わるということは何を意味するのか?

東の国=日本であることは極東といわれていることから理解できる。日本の都市=東京であることも理解できる。つまり、ブッダは日本の東京に再び出現するということを示していたのである。

私は、自分の姓名が東郷ということからジャブドーバーに生れたくて出生してきたのだと感じたのである。

高橋信次先生=ブッダであると思ったのも当然の結果であった。信次先生の正法を実践していくうちに、ある閃きがあり、ついに数霊次元説のヒントをつかむことが出来たのである。(これについては、「次元の壁」と「高橋信次先生の悟りのプロセス」を参照してください。)


(6)その後、高橋信次先生はブッダ意識からエル・ランティー意識へと目覚められ、死の3ヶ月前に「太陽系霊団の系図」を発表された。

「太陽系霊団の系図」は天上界の機密の一つであり、ミカエル大天使が出現しなければ絶対に公開されることは無かったものである。ミカエル大天使は聖書に出てくる天使なのでキリスト教関係者にとっては非常になじみの深い天使である。サタンとなったルシフェルを地獄界に突き落としたのもミカエル大天使の功績である。

私は「太陽系霊団の系図」が何を意味しているのか分からなかったのである。高橋信次先生は「新復活」という本を書いておられましたので、その中で聖書の原典を解き明かそうとしたのだと思われる。しかし、残念ながら「新復活」は未完となり本は出版されなかったのである。

そうした状況において、O氏によって修正された「太陽系霊団の系図」が発表された。O氏は高橋信次先生の後継者であると宣言していた。私はO氏の霊言集を読み、信次先生の後継者かもしれないと思い、K会に入会した。そのため、O氏の次元構造論に従って数霊次元説を修正してしまったのである。

O氏の次元論では9次元神霊が10人いるという説であったので、私の数霊次元説も修正してしまった。間違った理論を伝道することは生命の退化を意味する。O氏は、その後、F事件を引き起こし世間の注目を集めた。私は、それ以前にO氏の言行不一致を理由にK会を脱会していた。間違った数霊次元説を本で出版してしまった為、私は占いをしばらくの間、封印することにしたのである。その間、本業のCPAと税理士業に励んだ。世の中はバブル崩壊後の経済状況下にあり、非常に厳しい経済環境になっていた。

そんな時、飛鳥昭雄氏の著書を読みカッバーラの本質が「生命の樹」にあることを知り、突然閃きがあったのである。「太陽系霊団の系図」は「生命の樹」でもあったのである。「生命の樹」の三本の柱こそがイエス・ブッダ・モーセの三神だったのである。私の心の中の封印が解けたような気がしたのだった。数霊次元説も「生命の樹」の証明であると感じたのである。高橋信次先生の幻の著書「大自然の波動と生命」に公開されている三体理論も「生命の樹」を証明していることが判明したのである。「生命の樹」はカッバーラの本質であり、カッバーラは聖書の解釈を補足するものである。それゆえ、「数霊次元説もまた聖書の解釈を補足するものでなくてはならない」という命題が発生してきたのである。

私は、丹羽透涯先生により古神道を学び、高橋信次先生によって仏教を中心とした正法を学び、そして聖書を中心とした正法をこれから学ぼうとしている。今後の展開は「聖書」がキーポイントになると思える。「聖書の預言」(「ヨハネの黙示録」)は無視できないはずである。その中でも最も重要な鍵が「太陽系霊団の系図」であると思っている。

姓名分析の体系(8つの技法)

(1)行動数式

画数法によって性格、運勢、相性、転換期を判断する。

名前の画数によって13項目のデータが算出される。

(天格、人格、地格、晩格、外格、守護数、指導数、a波動、b波動、a捕格、b捕格、a分身数、b分身数)


(2)ナイングラフ

画数法と音波法によって名前二秘められている9つの潜在能力のポイント数を算出し、一目で分かるグラフに表わしたものである。

どういう分野の才能に恵まれ、どの分野が不足しているかが分かる。


(3)努力関数

行動数式に表れた数を基本として「エネルギー不変の法則」を応用して努力関数を算出する。

この関数を折れ線グラフにすると、効率性を求めるタイプか、無駄な努力をするが社会的には貢献するタイプかが分かる。


Y1=α1・X1(α1=a分身数÷人格) (0≦X1≦25)

Y2=α2・X2(α2=b分身数÷地格) (25≦X2≦50)

Y3=α3・X3(α3=守護数÷晩格) (50≦X3)


(4)ナインリズム

波動理論に行動数式kら満足係数を求めることにより、一生の感情の起伏と運勢のリズムをグラフに表わしたものである。

年齢ごとに感情の振幅がどのように変化するかが表れる。


Y1=-β1cosθ (β1=(外格+人格)÷(指導数+外格) 0≦Y1≦24)

Y2=-β2sinθ (β2=(指導数+地格)÷(外格+指導数) 24≦Y2≦48)

Y3= β3sinθ (β3=(指導数+晩格)÷(外格+指導数) 48≦Y3 )


(5)努力分岐点

経営分析における損益分岐点の計算法を応用して、努力と効果が均衡する努力を求める。一つの目標が達成するためにどれだけの努力をするのか見るものである。


努力分岐点=(努力係数×満足係数)÷生産性=努力係数×満足係数×指

導数)÷守護数


*生産性=守護数÷指導数


*生産性が1以下の場合は1を使用する。しかし、守護数が5ポイント以上あれば、「守護数の転換」が出来る。

*「守護数の転換」は努力分岐点=(努力係数×満足係数×守護数)÷指導数として計算できる。


(6)努力負担率

経営分析の固定比率の算出法を導入したもので、必要とされる努力量に対して、その要求にどれぐらいの比率で応えられるかを見るものである。


努力負担率=努力分岐点の総数÷粘着力のポイント数


(7)努力疲労度

これは努力負担率に自己実現率、収益率、他人利用率を導入することにより負担率をどれだけ軽減できるかを見るものである。


努力疲労度=努力負担率÷(自己実現率×収益率×他人利用率)


*自己実現率=a補格÷b捕格

収益率=外格÷地格

他人利用率=a波動÷b波動


(8)努力不安度

負担率や疲労度が高いと将来に対する不安も大きくなる。また、安らぎ意識が高めれば、それだけ保守的になり不安感が強くなる。その反対に社会優先意識が高めれば将来に対する意欲もあり、不安を感じることは少なくなる。これは、努力に対する将来の不安を見るものである。


努力不安度=努力負担率×防衛度


*防衛度=晩格÷指導数

数霊次元説による使命の発見

数霊次元説は高橋信次先生の霊的自覚により、私が開発した数意理論である。1から9の数字で占うことは丹羽透涯先生に指導を受けた。1から9までの数字で占っていたが、数意の本質を追求していた結果、高橋信次先生の「太陽系霊団の系図」によって次元が9次元まであることに気付き、1から9までの数字と次元の意識を対比させたことが始まりである。(「次元の壁」に詳しく書いてあるので参照してください。)

初めは、神を信じることから始まる。(9の数意が信である)

次に、神の心を自分の心として生きることである。(2の数意が善であり、良心に従うこと。善我なる心を信じることである。)

3次元の世界にあって自分の使命を発見し、ユートピアの実現と自分のカルマの修正が課題となる。(3の数意が美であり、この世を菩薩界にすることが使命であり、その前に自分のカルマを修正することが必要になった。)

自分のカルマを修正するためには、知恵(1)と勇気(5)と努力(4)が必要であり、ユートピアの実現の為には、謙虚(6)に愛(7)と慈悲(8)の実践が必要になる。

つまり、9(信)→2(良心)→3(使命の発見)→自己確立(カルマの修正)に必要なことは、知恵(1)と勇気(5)と努力(4)によって反省を通してなされていくことになる。さらに、ユートピア実現の為に、謙虚(6)に愛(7)と慈悲(8)を実践することで菩薩行がなされる。1から9の数意がすべて自分の使命の発見に結びついていることを知るべきである。

*1→創意工夫、神理知識、潜在能力、真理追究、論理的思考

2→善意識、良心、合理性、企画性、判断力、決断力、道徳

3→美意識、芸術性、ユートピア実現、創造性、先見性、

4→調和、安らぎ、誠実、努力、健康、温和、エネルギー、持続力

5→正義、勇気、開拓精神、冒険性、闘争心、好奇心、革新、克己心

6→秩序、礼節、敬、徳、理性、管理、中道、自己確立、地位、名誉

7→愛、利他、奉仕、献身、貢献、再建、自己犠牲、菩薩行、布施

8→慈悲、法、社交性、強調、自由、平等、公平、平和、繁栄、営業、幸福

9→信、救世、信仰、指導力、統制、苦労、転向、変身、政治性、歓喜、宗教

波動理論の補足的説明

(1)誕生日は決定的瞬間

人は父親から送られる精子と、母親の胎内にある卵子が結合して受胎する。受胎後6ヶ月ぐらいになると胎児は五体の諸器官が備わってきて、9ヶ月目に母親の胎内を離れて、この世に誕生する。この世に生れた位置は波動のリズムの決定的瞬間であり、重要な意味を持つ。生れた年は、その年の太陽の位置のエネルギーを示している。生れた月はその月の位置のエネルギーを示し、生れた日は地球の位置のエネルギーを示している。


年の波動は、最初の3年間は停滞期(波動の弱い時期)であり、次の3年間は生長期(波動の強い時期)となり、次の3年間が収穫期(変動の時期)となる。このように9年サイクルで動いている。


次に月の波動リズムであるが、月は12ヶ月あるので、12ヶ月サイクルで動く。

最初の3ヶ月は停滞期(弱い波動)であり、次の4・5ヶ月が生長期(強い波動)となり、次の4・5ヶ月が収穫期(変動の波動)となる。

日の波動リズムは、最初の3日間は停滞期(弱い波動)であり、次の3日間が生長期(強い波動)であり、次の3日間が収穫期(変動の波動)となる。日のリズムは9日サイクルである。


(2)強・弱の波動と転換の波動

そこで波動をどのように考えたらよいのか? 弱い波動の期間は停止の状態からスタートダッシュする期間である。全力を出し切る為の助走期間といえる。トップスピードに乗せるために不可欠な期間である。弱い波動の時は、悪い種を蒔かないことである。新しい仕事を始めることは慎むべきであるが、今までやってきたことは実行するように努めるべきである。また、この時期と転換の時期は、疲労や入院などの現象が起こりやすいので要注意である。

強い波動の時期は、トップスピードに乗った時期であり、全力を出し切れる期間である。波に乗って自分の使命を達成する期間である。この時期は新しい計画、仕事、就職、移転、開店、見合い、交際、取引、旅行、結婚など全てに良い結果をもたらしてくれる。

変動の波動の時期は、トップスピードが減速してくる期間であり、無理をしないで徐々にスピードを落とす事が大切である。ゴールに向かって努力の成果を収穫する期間である。新しく種をまく期間ではない。人生における課題を集結させる期間でもある。


(3)波動が強い時期は無敵

強い波動の期間は何をやっても好調であるため、この期間に自分の使命を達成してしまうことが大切である。ただ助走期間に努力しないと、トップスピードに持っていけないため、使命の達成は出来なくなることもある。いずれにしても、スタートダッシュからトップスピードに持っていくには努力が必要である。トップスピードになれば、あまり努力しなくてもスピードが維持できるからである。

変動の波動の期間はトップスピードを徐々に減速して、ゴールのテープを切る準備をする期間である。収穫で言えば刈入れの時である。この時期にトップスピードで走ると、怪我する危険があることを意識してギアチェンジして減速することが大切である。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の心境が必要である。

弱い波動の時期を乗り切るコツは、人生のテーマを模索することである。シルベスタ・スタローンのように自分自身を鍛え抜くことも一つの方法である。自己確立の為の訓練期間であるという認識も必要である。この期間は、トップスピードに持っていくための助走機関であるという認識が必要である。

(4)年数早見表

年数1→1900 1909 1918 1927 1936 1945 1954 1963

1972 1981 1990 19992008 2017 2026 2035

年数2→1901 1910 1919 1928 1937 1946 1955 1964

1973 1982 1991 20002009 2018 2027 2036

年数3→1902 1911 1920 1929 1938 1947 1956 1965

1974 1983 1992 20012010 2019 2028 2037

年数4→1903 1912 1921 1930 1939 1948 1957 1966

1975 1984 1993 20022011 2020 2029 2038

年数5→1904 1913 1922 1931 1940 1949 1958 1967

1976 1985 1994 20032012 2021 2030 2039

年数6→1905 1914 1923 1932 1941 1950 1959 1068

1977 1986 1995 20042013 2022 2031 2040

年数7→1906 1915 1924 1933 1942 1951 1960 1969

1978 1987 1996 20052014 2023 2032 2041

年数8→1907 1916 1925 1934 1943 1952 1961 1970

1979 1988 1997 20062015 2024 2033 2042

年数9→1908 1917 1926 1935 1944 1953 1962 1971

1980 1989 1998 20072016 2025 2034 2043


*年数算出法

昭和X年・・・・・(X-1)=年数。または1925年+X→1桁にすると年数が出る

大正Y年・・・・・(Y+3)=年数。または1911年+Y→1桁にすると年数が出る

明治Z年・・・・・(Z+4)=年数。または1967年+Z→1桁にすると年数が出る

平成T年・・・・・(T-1)=年数。または1988年+T→1桁にすると年数が出る


(5)数意理論の体系

数意理論はカルマ判断ではなく、使命判断が目的である。(過去世からの因縁により、3次元世界の成功が出来るか否か判断する方法がカルマ判断であり、使命判断はあくまでも自分の使命を発見することにある。)

生れた年を「年数」として把握する。年数は全て西暦に直してから、1桁になるまで足し算する。2013年の場合は、2+0+1+3=6で6が年数となる。

生れた月を「月数」として把握する。月数は1から9までの月はその数が月数になり、10月は1+0=1で1が月数となる。11月は1+1=2で2が月数になる。12月も同様に1+2=3で3が月数になる。

生れた日は「日数」として把握する。年数と同じように生れた日を1桁にしたものが日数である。誕生日が25日ならば2+5=7で7が日数となる。

誕生日を全て合計したものを私は「基本数」として把握している。私は1947年5月31日の誕生日である為、1+9+4+7=21であり、21は2+1=3で基本数は3となる。(私の場合、年数が3で、月数が5で、日数が4で、期本数が3となる。)

年数は太陽のエネルギーを示し、使命の目標になる。月数は月のエネルギーを示し、使命の対応、つまり実際に行動することを示している。日数は地球のエネルギーを示し、使命の自覚が発生することを示している。

(年数の数意)

1→知の追求→頭脳が優秀で集中力がある。真理を究めようとする意識が、この世の現象を知的かつ論理的に追求する。化学の知識を活用して、神の存在を証明しようとする。それが疑問と追求の繰り返しとなり、真理の発見に結びつく。「知的な生活行為を実践すること」が1の人の使命となる。

2→善の追求→アイディアに富み、企画力がある。対立する善と悪のなかで、悪を捨て善をとる意識が2の意識である。判断の基準となるのは善であり、善に基づく決断力となる。善の意識が教育に向けられると、道徳の完成を目指し、多くの人に善の必要性を説くことになる。2の人は「道徳の完成を目指す」事が使命である。

3→美の追求→美意識が高く、創造力がある。3の本質は「美」にあり、ユートピアの具現意識である。この世をユートピアにしようとする意識は、1(真)と2(善)を総合した美となって現われる。美意識は具体的に創造力を派生し、芸術性となる。芸術性の本質は神の心を心として生活に生かすことにある。3の人は「人生を芸術にまで昇華させること」が使命となる。

4→調和の追求→調和と安らぎを好む誠実な努力家である。4の本質が調和にあり、争いごとを好まないからである。どんなに不調和な状態にあっても、次第に調和させていく努力を続け、またその能力にも恵まれている。「和をもって尊しとなす」ということを知っているからである。心を調和させる努力が持続力となり、粘り強さを派生させる。平常心を持続させる努力が4の人の使命であり、最終的には「神との調和をはかること」が目標になる。

5→正義の追求→好奇心に富み、冒険を好む。5の本質は正義であり、勇気である。神の心に忠実で邪悪な心を憎む。邪悪な心を正しい心に修正しようとする意識が義の意識である。それを大胆に行おうとする為に、非常に男性的な行動力となる。「正義は力なり」を実践する為には神の心を知らなければならない。そこで5の人の使命は、神の心を知った上で「正義を実践すること」である。

6→敬の追求→自然を愛し、人徳が備わっている。いつも心が穏やかで、秩序と礼節を重視する。6の本質は敬であり、徳である。人を敬い、謙虚に行動すると礼節を守るようになり、自然に秩序正しい生活をするようになる。その結果として徳が派生してくる。また6の意識は自己確立の意識でもあり、真の自分を発見しようとする。6の人は「謙虚な行動を前提として自己を確立すること」が使命となる。

7→愛の追求→人を愛し、自己犠牲の精神に恵まれている。7の本質が愛であり、その意識はイエスの愛を実践することにある。どのような状況にあっても、他人のために尽くすことが出来る能力を愛という。知を超えるのが愛である。理論的でないと思われがちな自己犠牲の精神が知を超える。7の人は「この世において愛を実践すること」が使命である。

8→慈悲の追求→人に愛される社交家である。8の本質は慈悲である。慈悲は無償の愛であり、太陽が無償で人類に光熱を供給している姿をいう。ブッダは慈悲を説き、悟りの法を明らかにした。このため、ブッダの慈悲を実践することは、悟りの法を実践することであり、8の人は悟りの法を追求し、体得する使命がある。そして、法を体得したら次に「悟りの法を多くの人に伝えること」が使命となる。

9→信の追求→指導力はあるが苦労性である。9の本質が信であり、救世意識である。信とは苦悩を歓喜に変える力である。神に対する信仰が信である。救世意識は9次元の意識の反映であり、指導力の根源となる。救世主が持つ意識であり、凡人がもつと苦労で終わることがある。9の人は神への信仰を持ち、「指導者となるべき救世主の意識をもつこと」が使命となる。


(月数の数意)

1→集中力→直接的に行動するため、周囲が目に入らなくなる。集中すると他の存在を忘れてしまうからである。また思ったことをすぐに口出してしまう癖がある。ものの本質をズバリと言うので、煙たがられるが、それだけ貴重な存在でもある。自分から進んで交際範囲を広げないので社交性は無いが、気の合う仲間とは末長く交際する。

2→決断力→自分の意志がストレートに出るので、社交性は無い。仲の良い友人とは良く話すが、知らない人とは全く話さない傾向がある。表現をオブラートに包めないので、無口になりがちである。相手のことを思いやりすぎて、どう話したら良いか分からないので無口になる。得意な場合は、意外なほど雄弁だが、不得意な場合は無口になる。

3→先見性→新しいものに対する興味と情報の収集によって先見性に優れている。新しい言葉を使用したり、新しい知識を駆使することを好む。人とは情を持って付き合うので社交性はあるほうである。

4→調整→誰に対しても円満だから敵を作らないが、そのため妥協することが多くなる。それが誤解を招くことになる。人当たりも良く、付き合いも良いので社交性はあるほうである。調整役としては最適なタイプである。

5→冒険→自分の能力以上の仕事を引き受けては苦労する。それだけ世話好きで、他人の世話を良くする。投機的な仕事に興味を持つ傾向がある。社交性はあるが、自己本位になりがちである。

6→尊敬→言葉に艶があり、目上の人に可愛がられる。言葉と態度に気品があるので、目上の人の注目を集める。穏やかな態度で折衝するので社交性に富み、渉外関係やセールスマンに向いている。

7→奉仕→他人と調整を図ることが出来るので、人に好かれる。他人からの援助がある。環境に適応することが得意なので、特技を身につけてスペシャリストとして社会に貢献し、奉仕することになる。

8→社交性→社交性は抜群である。陽気で賑やかで、明るい雰囲気を好む。誰とでも仲良くするので人気者になる。営業的なセンスも抜群である。

9→統制→他人の苦労を押し付けられやすい傾向がある。交渉ごとは直感でするので上手である。政治的な活動や宗教的な活動はストレートに出ると悲劇になる傾向がある。人を統制しようとする意識が強く働き、多くの人の反発を買う。人の苦労は自らの苦労と受けとめ、それを歓喜に転換させる行為が必要である。信とは愛と慈悲を統合した救世の意識であり、その対応が「愛」「慈悲」でなければならないと知るべきである。苦労は自分の心の仲で昇華させればよいのである。


(日数の数意)

1→知性→物事を建設的に深く考えるので、頭脳労働に向き、知的リーダーとなる。複雑なものを単純化して考えることが得意で、問題の解決能力に優れている。

2→分析力→二律背反の性格をしている。得意な場合は決断も早いが、苦手な場合は優柔不断になる。不得意なことをなくそうと努力し、深くは無いが幅広い知識を武器として駆使する。自分に厳しく、他人にも厳しい態度をとる傾向がある。

3→芸術性→ユートピアを実現しようとする意識が強く、これを目指して努力する為、創造性や芸術意欲も高まる。また衝撃的な行動に走りやすく、投機的な事業に興味を示す。理想を現実に近づけようと努力する為、創造力が発揮される。

4→誠実→仕事を頭脳よりは身体で覚える為、精力的に働く。感覚は鋭いところが無く、迫力に欠けるが、相手に安心感を与える。誠実で円満な性格である。

5→開拓→突発的な事故に遭っても挫けないで前進していく。性格は厳しく頑張り屋である。内心はクヨクヨして苦労が絶えない。何事に対しても好奇心が旺盛で、つねに欲求不満の状態にある。正義に反することは厳しく追求する。

6→管理力→家庭を中心に考える傾向があり、円満で穏やかな生活を築く。良識派で世渡りが上手で、トラブルを起こすことは無い。責任感が強く、管理力もあり、仕事面でも信頼される。

7→貢献→相手の立場を考えて話す。家庭を中心に考え、円満な家庭に恵まれる。ただ、他人の為に尽くすので、自分の仕事はそれほど伸びないという欠点がある。

8→幸福→お金に縁がある。しかも、このお金は他人との交際や付き合いに使うので人間関係は円満に運ぶ。心もまろやかで行動も明るいので、自然に人が集まってくる。

9→政治力→病気か家庭苦で苦労する傾向がある。政治性があり、自分が希望しなかった仕事で伸びることがある。単純なことでも複雑に考えることが出来るので、問題が起こっても、色々なケースを想定することが得意である。

(基本数の数意)

1→独立心旺盛な理論家(探究心)→科学的に物事を考え、追求していく能力を持っている。そのため、周囲の人たちから頼りがいのある人だと思われ、自然とリーダーシップを取っていくタイプである。晩年は社会の変化に対応しようとせず、自分の考え方を固執する。他人との関係を大切にするよりは、自分自身を知ろうとする意識が働き、孤高の人となる傾向がある。本人はそれほど感じていないが、周囲の人は孤独で寂しいだろうと心配するほどである。

2→良心あるアイディアマン(決断力)→興味の延長になる仕事や専門的な知識を活かした仕事に進むと良い。善と悪を対立させて、おもむろに結論を出すタイプなので、優柔不断に陥りやすいのが欠点である。晩年は自我が極端に強くなる。他人と関係を持ちたいと願っているのに自分の体験や知識を強く主張するので、反発されてしまう。対人関係がうまくいかないと寂しがるのも2の特徴である。他人を意識するのは良いが、あまり善を押し付けない事がポイントである。

3→新しいものを創造するエリート(創造力)→常に目的をもっており、その目的実現の為には、他人の目にどう映ろうが差し支えないと思っている。自分で一応の納得がいったところで自己満足してしまう傾向がある。晩年は感情が穏やかで、情緒ある生活を創造する。情緒ある生活こそ最高の芸術ともいえる。新しい言葉や情報を駆使して、さまざまな状況に対応する。いつまでも青年のような若々しい気持ちを持ち続ける。

4→誰とでも仲良くできる調整役(安定)→勤勉で堅実で、人から信頼される。生活も生き方も保守的で安全第一である。周囲とうまく合わせていくことが出来る素質は十分だが、ユーモアに若干欠けている。働くことが好きで、一生を通して働き続ける。健康にも恵まれ、精神的にも安定しているので充実した晩年を送る。調和の具現とは精神的な安定であり、心の安らぎをいう。

5→新しい分野を開拓する行動派(改革)→一般的に自己顕示が強く、平凡なことには満足しない。いろいろなものにも関心を示し、冒険と行動を求めるが、計画を立てることは苦手である。考えることより実行するタイプである。晩年になっても欲求不満が残る。これを解消するには、自分の欠点を修正する勇気を持たなければならない。周囲の者に対して不満を抱きがちであるが、不満の根が自分の足元にあることが多いからである。

6→自然を愛する理性派(成功)→思いやりがあり、与えられた仕事を忠実に守っていこうとする。何をするにも秩序を重んじ相手のことを考えるので、人の嫌がることは口にしない。晩年は人に愛され、地位と名誉にも恵まれる。いわゆる成功するタイプである。期本数が6の人は他に凶数があっても、苦労が報いられ運勢は上昇する。

7→使命感に燃える補佐役(経済力)→与えられた仕事に責任を持ち、最後までやり通す実行力た使命感がある。礼儀正しい真面目人間である。目上の人に対しての言葉使いも丁寧である。晩年は自己を犠牲にしてまで社会への貢献度が高くなり、慈善事業やボランティア活動に熱中する傾向がある。愛の具現は自己確立されていないと効果が上がらない。まず自己確立して、愛を実践するのが理想である。この状況で経済力を有効に活用することである。

8→自由と平和を愛する営業マン(繁栄)→出世運、商売運が最も強いタイプである。そのため、自分で仕事を始めて、大成功することが多い。何でも金にしてしまう能力があるため、金運がある。また、仕事に命をかける頑張り屋でもある。晩年は経済的、物質的に恵まれる。周囲には沢山の人が集まってくるので、何時も賑やかで物質的な繁栄と心の繁栄がえられる。

9→信を追求する指導者(指導力)→9は完成を表すものであり、救世の意識を示すものである。秘密主義となり、自己の姿を見せようとはしない。現実の世界に絶望しやすく、芸術や宗教の世界に逃避する事が多い。自分の心の中の高い意識を他人に理解してもらえないという苦痛がともなう。一生を通じて悲しみが多い。しかし、政治力があるので、その悲しみを乗り越えることが出来る。指導者の条件は人の苦労をわかってあげることである。自らも苦労を体験することで、信の必要性を多くの人に知らせることが出来る。

「三体理論」が「生命の樹」であることの証明

(1)カッバーラの本質を明らかにする

私は、かって姓名学の本を書きましたが、それは数理論としての数意理論を展開したに止まり、波動理論は九星のリズムに触れただけでした。その後、十数年が経過し、ふとしたことから最も尊敬する高橋信次先生の幻の著書「大自然の波動と生命」が手に入りました。高橋信次先生の展開する三体理論は理路整然とした科学的根拠に基づく理論であることが分かり、愕然としました。三体理論の応用として展開している波動のリズムと私が展開した九星のリズムが逆になっていたからである。((これは、とんでもない間違いをしてしまった。私が間違えた所は修正しなければならない))と決心したのである。

そこで、私は占いの本質につき、再び考えることにした。占いの源流とされているのが古代イスラエルのカバラである。(カッバーラは飛鳥昭雄氏が神の証明にだけ使用している姿を見て、それが正しいやり方であると確信したからであり、単にカバラは占いの道具として、金儲けの手段として使用されているので、区別したかったからである。)

カッバーラとは神が与えた秘密の教えを意味している。カッバーラの体系において、紀元後の数世紀は非常に単純なものだったようである。ところが、3~6世紀に「創造の書」(イエツィラ)が成立し、言語に隠された意味を知ることが課題となっていた。12世紀後半に「光明の書」(バヒル)が南フランスのプロバンスのカバリストにより集大成され、「生命の樹」(セフィロトの木)の全貌が明らかになったのである。「生命の樹」とは3本の柱と10個の球体と22の小径からなっているものである。13世紀になると「光輝の書」(ソバル)がスペインのラビ・モーシュ・レオンにより集大成され、「創造の書」「光明の書」「光輝の書」がカッバーラの3大教典とされている。また、16世紀になるとラビ・イッハク・ルリア・アシュケナシーが転生輪廻をはじめ新しいカッバーラの教義を説き、7という数字を強調したのである。(7が完成された神の徴とした)

私は、高橋信次先生の三体理論が「生命の樹」の3本柱を意味しているのではないかと直感しました。それは、次の理由による。

高橋信次先生は昭和51年6月25日に自らの預言どおり48歳9ヶ月の若さで他界しました。イエスの伝道は3年という短いものでしたが、高橋信次先生の伝道も7年余りであった。非常に短かく感じられますが7という数字は宇宙創造の完成を意味し、神の休息を指している。信次先生は伝道生活7年で宇宙の法を明らかにし、他界されたのである。

私が最も驚いたことは、死の直前に「太陽系霊団の系図」を明らかにされたことである。高次元世界の仕組みが初めて明らかにされたからである。それによると、太陽系霊団は大神霊の光がエル・ランティーという人格を持たれた方を中心として成立し、霊太陽、真のメシアとして存在しているということである。

エル・ランティーの光の分霊としてアガシャー(イエス)、カンターレ(ブッダ)、モーセの三神がおられる。地上に出たイエスはエル・ランティーを指し、エホバと呼びアガシャー系を形作っている。ブッダはブラフマンと呼び、カンターレ系を作っており、モーセはヤハウェと呼びモーセ系を作っている。現代文明の源流は文証(ブッダ)、理証(イエス)、現証(モーセ)による宇宙の法の確立にあった。しかし、この三神の背後にはエル・ランティーの光があったからである。光の直系はエル・ランティーの下に7大天使が配置されている。エル・ランティーの光がプリズムを通すと7色の光がそれぞれの人格を持たれた姿になる。7大天使の天使長がミカエルであり、太陽界(8次元如来界の上段階)に存在している。6人の天使の筆頭にガブリエルがおられる。次いでウリエル、サリエル、ラグエル、パヌエル、ラファエルの大天使がおられる。大天使の側面からの助力者としてガブリエルの下にセラビム(菩薩)とケルビム(諸天善神)の光の天使がそれぞれ数百名ずつ配置されている。また、アラーを信奉したマホメットはガブリエルの直接指導を受けた。アラーはエル・ランティーを指した呼び名である。そして、高橋信次先生は、高次元の名をエル・ランティーと呼ばれている。

(これについて、中丸薫女子が霊的能力で高橋信次先生がエル・ランティーの分身であることを突き止めている。)

私は、高橋信次先生の著書「心の発見」「心の原点」「心の指針」「人間釈迦」「原説般若心経」などを読み、ブッダではないかと思っていた。しかし、信次先生の霊的自覚が進み、ついにミカエル大天使が出現され、エル・ランティー意識に目覚められた。(それは、昭和51年3月頃である) 

私もビデオテープでしたが、その現場を目撃しました。非常に感動的で涙が止めども無く溢れ出て、日本人に生れたことに感謝したのであった。

これをカッバーラで検証すると、3,7,12というカッバーラの秘儀に該当していることが判明したのである。

ヘブライ文字(22文字)は3つの母文字(A,M,Sh) 7つの複音文字(B,G,D,K,P,R,Th) 12の単音文字(H,V,Z,Ch,T,I,L,N,S,O,Tz,Q)により構成されている。

3と7を合計すると10になり、10個の球体と対応する。さらに3と7と12を合計すると22となり、22の小径に対応し、3,7,12という数字は「生命の樹」でもあるのである。

イエス、ブッダ、モーセの三神は3人のメシアを意味する。7大天使は7という数字そのものである。問題になるのは12という数が何処から来るのかという疑問である。(イスラエル12支族という考え方もある。また、イエスの12使途という考えもある)

私は次のように推理しました。

8次元の下は7次元菩薩界であり、セラビム、ケルビムが存在している世界である。菩薩界も三区分され上段階、中段階、下段階に分けられる。7次元の下は6次元神界であり、同様に3段階に分けられる。6次元の下は5次元霊界であり、やはり3段階に分けられる。5次元の下は4次元幽界であるが、3段階に分けられる。7次元から4次元の段階の数が4×3=12となり、3次元世界から8次元如来界に至る段階は12段階あるということである。3人のメシアと7大天使を合わせると10となり、「生命の樹」の10個の球体が発生する。

10個の球体は次の通りである。

①ケテル(王冠)→頭のてっぺん→メシア→9次元

②コクマー(知恵)→右脳→7大天使→8次元上段階

③ビナー(理解)→左脳→如来→8次元

④ケセド(慈悲)→右心室(右心房)→セラビム→7次元(上段階、中段階、)

⑤ケブラー(峻厳)→左心室(左心房)→ケルビム→7次元(中段階、下段階)

⑥ティファレト(美)→自己(心)→神界→6次元(上段階、中段階、下段階)

⑦ネッァー(勝利)→右足のつけ根→霊界→5次元(上段階、中段階)

⑧ホド(栄光)→左足のつけ根→霊界→5次元(中段階、下段階)

⑨イエソド(基礎)→性器→幽界→4次元(上段階、中段階、下段階)

⑩マルクト(王国)→足元→現世→3次元


3次元から如来界に至るには12のプロセスを上昇する必要がある。

結論として、カッバーラの究極の目的は宇宙の真理の追究と真のメシアの存在証明にあると考える。高橋信次先生の場合は、ミカエル大天使が出現したことにより、高次元の秘密を自ら明らかにした。ミカエル大天使、真のメシアたるエル・ランティーが直接示して下された「太陽系霊団の系図」と「三体理論」はカッバーラを超えた理論であると確信している。(「太陽系霊団の系図」は天上界に最高機密であり、「三体理論」はモーセからの霊示であり、9次元宇宙界の機密である。しかし、カッバーラは9次元宇宙界の絶対三神の証明に過ぎない。それゆえ、カッバーラを超えたものであると確信している。)


*「太陽系霊団の系図」は、高橋信次先生によって明らかにされたものである。いずれ信次先生により「新復活」という本に纏められるであろうと思っていたが、本は出版されずに他界されたのである。そのため、この高次元の仕組みは誰かが継承してくれるだろうと思っていた。しかし、この高次元の仕組みはO氏により修正され発表されてしまった。当初、私はO氏が信次先生の後継者であろうと錯覚し、数霊次元説をO氏の理論に合わせてしまったのである。それが、大失敗であったことが分かり、後悔しているのである。それで、カッバーラにより検証した結果、9次元神霊はイエス、ブッダ、モーセの3神としましたので聖書の記述とも一致したのである。聖書の預言を真剣に考えることが大事であることは身を持って体験したのである。


(2)「生命の樹」による占いの検証

私は、占いを大別して数理論と相理論に分類し、数理論をさらに数意理論と波動理論に分類されると考えている。数意理論だけでは静的占いに止まり、波動理論だけでは天中殺のような理論展開を許してしまう結果になる。2つの理論をバランス良く展開して初めて人間学としての占いが可能となるだろう。

占いの源流は、古代イスラエルのカッバーラにあることは疑う余地が無い。多くの占い師がカバラと称してカッバーラの本質とかけ離れた技法に終始している現状を見るとやりきれない思いがしたのである。そこで、私は高橋信次先生の霊的自覚から次元が9次元まであることに着目し、数霊次元説という数意理論を構築してきた。

しかし、カッバーラにより検証しなかった為に、いくつかの理論上の間違いがあった。最大のミスは、O氏の理論をそのまま適用して9次元神霊を10人としてしまったことである。カッバーラでは3人の絶対神の存在を示している。メシアはカッバーラが示しているように3人にしなければならなかったのである。次のミスは、九星のリズムが波動理論のリズムと逆になってしまったことである。何故、九星のリズムを取り入れたのかと言うと、私が公認会計士第2次試験に合格した年が27歳で九星のリズムでは良いとされていた事から、九星のリズムは正しいと錯覚してしまったからである。しかし、波動理論で言えば27歳は今までやってきたことを終了させるということで公認会計士第2次試験の勉強を終わらせることが出来たというわけだったのである。

以上の2点を修正し、数霊次元説による数意理論と三体理論による波動理論を紹介していくことが私の使命であると感じたのである。しかし、波動理論を学んでいくうちに、ある問題が発生してくることに気付いたのである。波動理論の特異点をどのように解消すべきかということである。波動理論の特異点とは強い波動の時期は良いが、悪い波動の時期をどのように乗り越えたら良いかという問題である。この問題を解消できない限り、天中殺を許すことになる。

私は、波動理論の特異点を解消するには数意理論によらざるを得ないと考えたのである。あるいは最悪の波動を持った時期に成功した事例を探すことであると思ったのである。「生命の樹」で⑥ティファレト(美)により、特異点を乗り越えることが可能になると閃いたのである。自己確立に必要な意識が6次元の意識であるからである。ベートーベンの交響曲が1番から9番まであり、数霊次元説を証明していることに気付いたのもその頃である。特に、ベートーベンの交響曲6番「田園」を聴いていると音の波動により、ある程度の特異点は解消されると思ったのである。

また、波動理論の事例を探していくうちにシルベスタースタローンの事例に出会い感動した。彼は最悪の波動の時期にロッキーの脚本を3日間で書き上げている。逆に考えると、波動の悪い時期ほど内面に向けたエネルギーを爆発させることが出来、創作活動や自己確立の訓練期間であると考えたのである。


私の九星リズムと波動理論のリズムの違いを示すと次のようになる

*数霊次元説による次元意識の理解と波動の弱い期間は自己確立の訓練期間と考え努力することにより、困難や人生の壁を乗り越える

死後の世界(4次元以降の世界)と次元意識

(1)はじめに

これは、2005年6月に私のホーム・ページに記載したものを修正したものである。基本的考え方に変更は無い。

私は、多くの「死後の世界に関する本」を読んだが、高橋信次先生を超える本は見当たらなかった。多くの本は、4次元から5次元までの説明しかなかった。

6次元以上の解説は皆無であった。特に感じたことを列挙すると次のようになる。

①3次元(現象界)ほど良い所は無いと本気で思っていること。

②先祖供養することが幸せになる道であると主張していること。

③霊的能力があっても、4次元(幽界)までしかいっていないこと。それゆえ、6次元以上の世界を知らない為、3次元世界が一番良いと信じていること。

④中には4次元(幽界)と5次元(霊界)の法則は書けても、6次元以上の世界については、全く判らない為、本人は悟っていないと感じざるを得なかったこと。

⑤昔の悟られた偉人の言葉を多用する為、本人の悟りではないと感じざるを得なかったこと。

⑥基本的に宇宙即我の境地を自分の言葉で表現できない人は、まだ悟ってはいないということである。(これが出来る人は如来レベルである。)


本物といわれる人は、6次元意識についても判りやすく解説できるものである。高橋信次先生の「心の発見」「心の原点」「人間釈迦」や「大自然の波動と生命」「太陽系霊団の系図」を一読することをお勧めします。

私は、高橋信次先生の次元意識を追究し、占いにおける「数霊次元説」という占いにおける判断基準を確立した。


仏陀は宇宙即我の境地を体験した後、7次元菩薩界に行き、「縁生と悟り」について講演している。

高橋信次先生も宇宙即我を体験した後、菩薩界で「物質と生命」という題で1時間30分ほど講演したことがある。

イマニュエル・スウェデンボルグは「霊界探訪記」で霊界に行き、7次元までのことを書いているが、それ以上の次元については、光が強すぎて行けなかったと書いている。

宇宙即我の境地に至った人物は、モーセ、仏陀、イエスそして高橋信次先生がいる。彼らは、9次元宇宙界にいて、メシア(救世主)といわれる存在である。

そこで、高橋信次先生の教えを参考にしながら、死後の世界について纏めてみようと思った次第である。


*宇宙即我とは反省的瞑想により、もう一人の自分が宇宙大に拡大した結果、全ての神理が一瞬のうちに理解できる心境であり、大宇宙大神霊と同通した心境である。仏陀の宇宙即我は有名である。

*仏陀が菩薩界で講演した内容

「全ての物は縁によって生じ、縁によって滅びるものだ。人生の苦しみは、自らの心が作り出したもの。それは、5官6根を縁として生じ、この苦しみから解脱するには、八正道の実践によって救われる。そして、一切の執着から離れ足ることを悟るならば、心は安らぐのだ。人類は、皆兄弟であり、正道の実践によって神の心と己の心が調和された時、正しい光明の道が開かれる。・・・・・」


(2)死後の世界(4次元以降の世界)の概要

高橋信次先生の著書「心の発見・・・科学篇」「大自然の波動と生命」「太陽系霊団の系図」に4次元から9次元の世界が記載されている。

1、4次元の世界(幽界及び地獄界)

2、5次元の世界(霊界)

3、5次元~6次元の裏側の世界(仙人界、天狗界)

4、6次元の世界(神界)

5、7次元の世界(菩薩界)

6、8次元の世界(如来界)

7、9次元の世界(宇宙界)


1、4次元の世界(幽界及び地獄界)

(幽界の特徴)

スウェデンボルグは「霊界探訪記」の中で、死者の霊が最初に行くところを精霊界と書いているが、幽界のことである。(スウェデンボルグは幽体離脱により霊界を探訪している。)

死は霊にとって3次元(現象界)から死後の世界への旅立ちである。死と同時に肉体の中にある霊が目覚め、導きの霊により幽界に導かれていく。死者の霊が霊性に目覚めるまで過ごす所が幽界である。

現象界と多くの点でそっくりなところがあるため、自分はまだ人間として生きているのだと錯覚する霊が多い。そのため、神界や霊界の経験豊富な指導霊たちが教え諭している。

幽界に入ってしばらくの間は人間であった時と顔つきもほとんど変わらないが、次第に霊としての感覚が出てくる。この霊性が磨かれてくると霊界へ行く準備が出来たことを意味する。

幽界は90%が表面意識となり、10%が潜在意識となるため、善良な心を持っていた霊は、その美しい心の姿が光り輝き始める。逆に霊的本性が凶悪であった人間は、比較にならないほどの凶悪さを現わし始め、その醜い姿をさらけ出す。善霊は霊界へ旅立ち、悪霊は地獄へと堕ちていく。


*幽体離脱とは、現象界の肉体からもう一つの体(幽体)が抜け出て、自由に動き回る現象をいう。人間は睡眠中に幽体が離脱して、霊子線と呼ばれる白い線に引かれながら幽界や霊界を周遊している。目覚める時、4次元以降の世界の印象を忘却する仕組みになっている。多くの人は、夢を見たと思っている。

*霊子線とは、霊太陽からのエネルギーを現象界の肉体に供給する為のパイプのような役割をしている。霊子線が切れた時が死となる。死者は死後3日間くらいはそっとしておき、その間は火葬しない方が望ましい。霊子線が切れていなければ、生き返る者がいるからである。

(幽界の正しさの基準)

自己本位であり、ご都合主義である。そのため、自分が主体で人のことは構わないところがある。


(地獄界の特徴)

人生航路における修行の結果、自ら作り出した不調和な想念に比例した世界である。地獄界にも自然界の太陽のあかりがあるが、暗く赤みを帯びている。

地獄界も下に行くほど、凶悪な霊が住む恐ろしい世界になっている。

地獄と一口に言っても千差万別の違った世界がある。

例えば、金銭欲の強い人々、この世に未練や執着を持つ人々、己自身に足ることを知らぬ人々は餓鬼地獄に陥る。

情欲のみ他人より自分だけの欲望の心を持つ人々、動物的本能丸出しの人々は動物界に陥る。

栄達だけを望む人々、闘争に明け暮れている人々、不調和な教義を諸人に説く指導者、組織の細胞と化している人々、心に平和の無い人々は阿修羅界に陥る。

他人の心を踏みにじり怨まれている人々、多くの人々を犠牲にし、自己保存をしたり、反省の無い人々、神仏の本性を捨てた人々は偽善者であり、エゴイストであり、狂思想家である。彼らは、煉獄地獄に陥る。

現世において、多くの人民を犠牲にして、我欲を果たした人々は、無間地獄に陥る。スターリンやヒットラーが無間地獄にいる。

全ての地獄に共通していることは、いずれも醜悪さに満ちた凶悪な霊たちの住む世界であり、常に憎悪・軽蔑・復讐の念と争いに満ちている。これは、90%が表面意識となるためである。

彼らの心は、霊界の太陽の光や霊流を自分の内部に吸収できない。逆に地獄の火に心が開かれ凶悪たちに親しみを感じるようになっている。

地獄界の例の生命の源は彼ら自身の欲望であり、この欲望が彼らの光なのである。

地獄界の上には常に黒い雲が浮かんでいる為、霊界の太陽の光と霊流が妨げられている。黒い雲の正体は、地獄界の凶霊たちの想念が集まって作られたものである。

もしその霊が我欲の迷いから目が覚め、地獄から逃れたいと願うなら、その時には地獄から出ることが出来る。それを決定するのは霊自身であるからだ。

菩薩達が地獄救済作戦の責任者となってか活動している。


2、5次元の世界(霊界)

(霊界の特徴)

スウェデンボルグは「霊界は、表象の世界である」と言っている。つまり、霊界は想念の世界であり、霊能力を駆使できる世界である。

霊界にも現象界にあるものは全て同じように存在している。

霊の体も、光子体と呼ばれる想念としての体なのである。それゆえ、霊的感覚・霊的能力が備わっている。念を統一して念の力で自己実現をしている。

霊界の住人は「人類みな兄弟」というような統一された世界であり、幽界より精妙化され霊域が高い。霊界は似た魂が集まって集団を作っている。

徳の高い霊(中心霊)がいて、その団体の秩序を維持している。幽界が感情生活を主とすれば、霊界は知的生活を主とする。

霊界のシンボルは、霊太陽である。その光で霊界を照らして、霊たちに生命を与えている。霊界の太陽が霊界全体の秩序を保ち、霊的能力の根源となる。

分身や本体というような魂の兄弟達とも常に連絡を取ったり、共同生活をしている住人も多くいる。

生命の構成は、本体1人、分身が5人で構成されている。

本体は分身のカルマ(転生輪廻における心と行動の癖)も修正し、悟る使命を持っている。生命の分身や本体が3次元現象界へ出るときは、守護霊となり、3次元の人間を指導している。


霊界から見れば、3次元はガラス張りで、お見通しである為、煩悩に支配されている人々の心も良くわかるのである。それゆえ、分身や本体の人生航路の変化に霊界の人たちが共に苦しい修行をする場合もある。

肉体修行をしている人々に不調和な心があるときは、あの世の本体や分身は悲しんでいることが多い。現象界の修行者が黒い想念に蔽われ、そのことを修行者に教えることが出来ず悲しむのである。


(霊界の正しさの基準)

正しさが相対的であり、見返りを期待する考え方が大半を占めている。

外交の尺度は幽界や霊界の正しさである。

私の考えであるが、北朝鮮の外交は幽界の正しさを基準にしていると思われる。


3、仙人界と天狗界

神理を悟っていても自己保存が強く、慈悲と愛の行為が無い世界である。

地獄界ではないが、霊界と神界の裏側の世界である。

仙人界は技巧派が多く、天狗界は力自慢が多い。


(仙人界の特徴)

山中での肉体行の中から自分自身の孤独な悟りを開くが、慈悲と愛が無い。過去世においても同様に肉体行をしている為、生活は独善的で自己本位で心が狭く、その生涯の果ては哀れなものが多い。

肉体的荒行をしている生命も霊的現象を起こすことは出来る。しかし、悩める衆生の心を救うことは出来ない。六根清浄は言葉のみで心の調和は出来ていないからである。

(天狗界の特徴)

肉体行をし、神理を悟っても、自己保存が強い為、光の天使の住んでいる世界に行くことは出来ない。人生航路の乗り船に翻弄され、遂に慈悲と愛の心を持つ事無く、衆生にもそれを与える事無く、この世を去ってしまった人々が多い。

1800年以前には、仙人界や天狗界の住人達が、肉体修行の実力試験の為、この3次元現象界に姿を現わし、人間を連れ去っていく者が多かった。

そして、その人間達を戻す事が出来ず、大変な騒ぎを起こしたことがあった。

その事件の為、実在界の指導者である上段階の指導霊(菩薩)や光の大指導霊(如来)によって、その力を封印されるということがあった。最近は、取締りが強化された為、いたずらはなくなった。


4、6次元の世界(神界)→天使の世界

(神界の特徴)

神理を悟り、自己確立はしたが、自己犠牲(愛)の実践が不足している人々がいる世界である。

指導者・学者・科学者のように智で悟って、実在界に帰られた天使達が生活している。専門的な研究家が多く、ドクターと称されている天使達が多いところである。

幽界や霊界を指導している者も多い。しかし、上段階光の指導霊(菩薩)を見ると、神様だ仏様だと手を合わせたり、十字を切ったりしているところでもある。

仏教でもキリスト教でも常に教示している世界であり、正しい人間としての生活を送っていれば、誰にでも確認できる世界である。

仏陀の八正道の正しさの基準は6次元神界の基準である。

神界の指導者は病気を治したり、ある程度の法を説く。しかし、現象界の人々の自己慢心によって法力を失うこともある。

作詞・作曲家には神界の人々が調和の取れた波動を教えている。また、現象界にいた時、果たせなかった仕事を誰かに代わってやってもらいたいと思っている霊が沢山いるので、波動の合う人間を見つけると喜んで援助している。

(神界の正しさの基準)

人を批判する前に自己反省する。

自分に落ち度があれば、修正する。

八正道の正しさは、神界の尺度から出発する。

中道の心は、神界から始まり、神界以下(霊界・幽界・地獄界)では通用しない。

神界において、アラハンに達した者は菩薩界に入ることが許される。


5、7次元の世界(菩薩界)→上段階・光の指導霊の世界

(菩薩界の特徴)

正法(神理)を悟って、多くの人々を救ったり、自分の使命を悟って、慈悲と愛を説き、実践した人々の世界である。

スウェデンボルグは菩薩界を次のように表現している。

「大宮殿があり、宮殿を取り巻く庭園には銀の樹木に、黄金の果実がなっている。それにすばらしい花々。全てが光り輝いている。霊達の顔も至福に輝き、高い理性と悟りが現れている。」

仏陀が菩薩界に上段階(梵天界)で講演する為に訪れた時の感想は、つぎのようである。

「目も覚めるような緑の丘は、地上界では見ることの出来ない景観であった。丘陵は雄大なスロープを伴って幾重にも連なっている。遠望には森の一角が見える。その森の緑も鮮やかに色づき、黄ばんだり、白けてもいない。芝生の色もグリーン色であり、足を踏みつけることが気になるほど生きている感じなのである。上を見ると太陽は黄金色に輝いている。地上のそれは、赤々とした灼熱の炎を思わせるが、実在の太陽は安らぎと穏やかな光を放っている。」


菩薩界には、3次元世界に存在する一切の文明も存在しているが、その文明の高さは、創造を絶するほど薫り高く、次元の違いを感じざるを得ない。

指導霊達は現象界(3次元)と実在界(幽界・霊界・神界)の住人を指導すると共に、自分自身も8次元(如来界)に上がる為に、生活の中で修行をしている。

スウェデンボルグが見たという「天人の舞い」は菩薩界から如来界に行くことを許された新如来の舞いなのである。これは千年に一度くらい行われる。

(菩薩界の正しさの基準)

人々の喜びを喜びとし、悲しみがあれば、その悲しみを取り除いてゆこうとする慈悲と愛の心が正しさの基準である。

愛という相互扶助の心が強く、自我心が希薄で、上段階に行けば行くほど全なる心に近づき大自然の意思である慈悲と愛の心になっていく。

6、8次元の世界(如来界)→上段階・光の大指導霊の世界

(如来界の特徴)

神理を説き、行為が調和され、正法を悟り、宇宙即我を体験し、肉体的な諸現象に惑わされず、いつでも身を捨てられる人々の世界である。慈悲と愛の塊である。

宇宙即我の心を持ち、全てにこだわりの無い万象大調和を根本とした社会を造り、この世とあの世の指導をしている。


*仏陀の宇宙即我の内容(高橋信次著「人間釈迦」偉大なる悟り・・・から抜粋)は次の通りである。


『瞑想に入ろうとしてふと自分に気付くと座している己の体が次第に大きくなっているのであった。ゴーダマの意識は刻々と拡大していった。・・・暁の明星が足元に見えた。・・・ゴーダマは宇宙大に広がり宇宙が自分の意識の中に入っていくのだった。・・・ゴーダマは大宇宙の意識と同体になった。大宇宙の意識と同体になると森羅万象の生い立ち、宇宙と人間、神の存在、人間のあり方、魂の転生輪廻などが一瞬のうちに明らかになるのであった。ゴーダマの開眼を文字によって表現すると次のようになる。

この大宇宙は神によって作られた。大宇宙が発生する以前の宇宙は光明という神の意識だけがそこにあった。神は、その意識の中で意思を持たれた。大宇宙の創造は、神の意思により始まった。意識の働く宇宙と物質界の宇宙の2つの世界を創造した。意識界の宇宙はその意思を持って、物質界の宇宙を動かし、そうしてこの2つの世界は光と影という相関関係を通して永遠の調和を目指すことになった。神の意識は、永遠の調和を目指し、そうして2つの世界にあって調和の要である中道という法秩序の中に住まわせることになった。

人間は、天地創造と共に、神の意識から別れ、神の意思を受け継ぐ万物の霊長として産声を上げた。人間の誕生は、意識界という実在の宇宙にまず姿を現わした。そうして、神の意思である調和を目指す神の子として物質界に降り立ったのである。物質界に降り立った最初の人間を地上の眼で見るならば、大地の一隅に忽然と物質化されたといえるだろう。人間以外の動物・植物・鉱物もこうしたプロセスを経て、大地に姿を現わした。こうして、あらゆる生命物質は、実在界(意識界)と現象界(3次元)の間を輪廻することになった。

地球に生物が住むようになったのは、今から数億年も前である。最初の生物は、太陽の熱・光と大地と海水と空気とそれに意識界と表裏一体の宇宙空間の相互作用によって地上に現れた。微生物の誕生である。続いて、植物が発生し、動物が姿を見せ始めた。やがて、爬虫類時代を迎えた。・・・今から約2億年前に人類は特殊な乗り物に乗って他の天体から飛来した。当時の移住者はかなりの数に上った。人類は神の意思に基づいて調和という仏国土を作り始めた。・・・人々は次元の異なる意識界と自由に交流が出来た。文明は高度に発達した。しかし、やがてその文明も終焉を迎える時がやって来た。人々の間に自我が生まれ、国境が造られ、争いが始まったからである。人々の不調和・暗い想念の曇りは偉大なる神の光を遮った。・・・天変地異は人類がこの世に住み着くようになってから、何回となく繰り返されてきた。天変地異は人類の心と行為が作り出したものであった。・・・人類は仏国土を建設する前に、己のカルマを修正しなければならなくなった。・・・人類の歴史は己を知ることよりも、我欲を満たす為の歴史であった。闘争と破壊はそのために繰り返された。己を知り、人間の目的を悟れば、現象界の小さな自分に心を奪われることがなくなる。・・・中道の神理は神に通じた嘘のつけない己の心を信じ、八正道という生活行為をすることにある。真の安心は、自己満足や逃避ではない。自分の生死を見られる自分の自己確立が出来てこそ、安心というものが得られる。人間は神の子である。神は天地を創造された。人間もまた己の天地を調和させ、自己の置かれた環境を調和していくものである。・・・人類は迷いの中に埋没している。この迷いから人類を救うには正法という法灯を点じ、大自然の慈悲に目覚めさせなければならない。法は慈悲と愛を喚起する力である。神は無限の慈悲とその力を持って、正法を信ずる者の行く手に光明の道を開いてくれよう。・・・』


(如来の正しさの基準)

衆生救済のみとなり、慈悲の心しかない。生物が生きるに必要な環境を与え、与えて生かすのみしか知らないのが如来の正しさである。


7、9次元の世界(宇宙界)→真のメシアの世界

(宇宙界の特徴)

「太陽系霊団の系図」によれば、太陽系霊団は大宇宙大神霊の神の光(太い黄金色の霊子線)がエル・ランティーという人格を持たれた方を中心として成立している。

エル・ランティーは客観的には霊太陽として、地上にあっては万生万物を生かす中天に輝く太陽のようなエネルギーの塊である。

次元的には宇宙界に位置され、人間の眼から見れば太陽のような存在である。

エル・ランティーの光の分霊として、イエス、仏陀、モーセがいる。イエスはエル・ランティーを指してエホバと呼び、仏陀はブラフマンと呼び、モーセはヤハウェと呼んだ。(アラーを信奉したマホメットはガブリエル大天使の直接指導を受け、様々な奇跡を現わしたが、アラーはエル・ランティーの別名だった。)

光の直系としてエル・ランティーの下に7大天使が配置されている。つまり、エル・ランティーの光がプリズムを通すと7色に変化し、7大天使とはその色の光がそれぞれ人格を持たれた姿である。

7大天使の長が7色の翼を持つミカエル天使長である。ミカエル天使長は、如来界と宇宙界をつなぐ光の直系であり、真のメシア(エル・ランティー)の助力者である。ミカエル天使長の下に6人の大天使が配置され、如来界の大指導霊の役割を果たしている。

6人の筆頭にガブリエル大天使がおり、ミカエル天使長、イエス、仏陀、モーセに報告する為の通信・伝達の業務を担当している。

次いでウリエル大天使は政治・経済・自治を担当している。

サリエル大天使は医学・薬学を担当している。

ラグエル大天使は立法を担当している。

パヌエル大天使は科学全般を担当し、ラファエル大天使は芸術・文学・歴史を担当している。

大天使の側面からの助力者として、ガブリエル大天使の下にセラビム(菩薩)とケルビム(諸天善神)の光の天使がそれぞれ数百名ずつ配置されている。

現代文明の源流は文証(仏陀)、理証(イエス)、現証(モーセ)による正法の確立があった。

しかし、3人のメシアの背後にはエル・ランティーの光があってこそ仏教、キリスト教、ユダヤ教が実現したのである。

高橋信次先生は高次元の名をエル・ランティーと呼び、この名を知るものは高次元の世界でもわずかの人々である。

*明治天皇の孫で国際政治評論家で霊道者でもある中丸薫女史は霊能力でエル・ランティーの存在を確認している。それにより、高橋信次先生はエル・ランティーの分身であることが判明している。(エル・ランティーの存在は始めて全世界に示したということであり、エル・ランティーの人格が高橋信次として始めて肉体を持ったということである。)


(3)各次元の意識の本質

1)9次元宇宙界は救世主の世界であり、自ら人間としての行き方を示すことで8次元以下の世界を指導する使命を持っている。

それゆえ、「信」が本質であると考える。

求道者としての在り方を示し、救世主として全人類を救うことが使命である。

そこで、9次元の意識は、「信」と「救世意識」であると考えられる。

2)8次元如来界は、エル・ランティーの光の直系として衆生救度する役割を持っている。

3次元現象界に肉体を持ち、「慈悲」と「愛」を説き、衆生を救って天上界に真っ直ぐに還って来るので「如来」といわれている。

如来は宇宙の法を説くことにより、多くの衆生を救っていくことが使命であり、法を慈悲と把握できる為、8次元の意識は「慈悲」である。

3)7次元菩薩界は、神理伝道の長としての役割を持った世界であり、現象界に肉体を持った時には、如来の補助者として活躍し、如来が出ていないときには、如来に代わって法を説くことになる。

7次元は如来の補助者として神理伝道に精進することが本質である。

神理伝道の為に自らを犠牲にして、他人のために奉仕する行為が大切である。それゆえ、7次元の意識は、「愛」である。

4)6次元神界は、光の天使の予備軍として3次元進化の推進者としての役割を持っている。

光の天使になるためには、自己確立が必要であり、神理伝道がスムーズに出来るように神理習得が必要である。

徳を積まなければ神理伝道は出来ない。「実るほど頭の下がる稲穂かな」の心境が必要である。

6次元の本質は、「仁徳」であり、「敬」と判断できる。

5)5次元霊界は、非常に多くの霊人が住んでいる世界であり、霊性開発を目的としている。

この世界は、自分の殻を破ることが必要であり、勇気を出して己に克つ努力をする世界である。

5次元の本質は、「勇気」であり「正義」である。

6)4次元幽界は、まだ完全に霊性に目覚めていない為、不調和な世界も創造してしまった。幽界の一部に地獄界をつくったのも心の調和を図っていなかったからである。

8次元の大天使であったルシフェルも地上に執着を持った為、天上界に還れなくなり、地獄の帝王として君臨している。

それゆえ、地上が混乱すればするほど、地獄界にとっては生活の場が拡大できる為、破壊作用をどんどんしていくことになる。

4次元の本質は、心の調和を図ることであり、「調和」である。

7)3次元現象界の目的は、神の国ユートピアを創る事であり、己のカルマを修正することである。

ユートピア具現は、究極の芸術である。

芸術の目指すところは、美であり、3次元の意識は「美」といえる。

8)2次元の世界は、善悪二元論の世界であり、道徳的完成を目的とする。

それゆえ、悪を捨て、善を取る意識が大切で、2次元の意識は「善」といえる。

9)1次元の世界は、1元論の世界であり、真理追究しかない。それゆえ、1次元の意識は、「真」である。

(4)各次元の法則

各次元を貫いている法則は「心の法則」である。

それは、原因・結果の法則とも言われている。

心を微分することにより、高次元へと進化できる。

心を微分するということは、心を精妙にすることであり、善念の維持と精神統一によりなされる。

反省的瞑想(八正道に基づき、日々の生活を反省していく方法)により、光の量を増加させることが出来る。(光子量を増加させることである。)

具体的には、心を乗せる乗り船が進化していくことである。

(肉体→幽体→光子体→光神体→神体→エネルギー体へと精妙化していく。)


1、3次元の場合は、心が表面意識10%で潜在意識90%の為、原因と結果における期間がある。そのため、心の持ち方が非常に重要になる。

善念を維持することで、自己実現が可能となる。そのため、精神統一や集中力を養うことが大切になる。

「善念の維持」と「精神統一」が最大の修行課題である。(この2点は、神界上段階でも修行課題であるといわれている。)

2、3次元の世界は非常に粗い波動で造られているため、自己実現の念いは時間がかかる。

しかし、4次元以降の場合は、心が表面意識90%、潜在意識10%となるため、「念い」が即座に現れる。それゆえ、3次元世界に執着を持ち、その念を持続して他界すると、その意識に適応した地獄界が待っている。

それらの悪念を止めない限り、永遠に地獄界で苦しむことになる。悪念を止めて、自分の霊性に気付き、善念を持ち続けていくと、地獄界から幽界へと上がることが出来る。

*日蓮は600年間地獄界で反省していた。他宗派を罵詈雑言、誹謗中傷し、仏陀の教えに反する折伏までした為、聖徳太子の預言どおり、地獄に堕ちた。

何が正しいのかわからないため、地獄にいる多くの者がもがき苦しんでいる。悪念を止めることである。八正道に基づき反省することである。自分の心を信じることである。そうすれば、守護霊に関係する霊が助けてくれるはずである。

3、幽界はスウェデンボルグが言っている聖霊界のことであり、調和された世界である。

しかし、のんびりした世界なので、魂の進化が遅れる為、守護霊が来て導いてくれる。

4、霊界では、全て善良であり、霊性開発に励んでいる。

神仏の存在というものを認めているが、神理の知識が不十分である。5次元を指導している諸天善神である大黒天などは、いろいろな方便を使って霊界人を導いている。刺激を与え、興味を持たせながら、神理を伝える方法が取られている。

5、6次元神界では、神理学習意識が高く、学者や専門家が多くいる。

神界の修行方法は「念の維持」と「精神統一」であり、善念をコントロールできることが必要である。

神界の境地はアラハンの境地に到達することである。

神界の人々は、霊界や幽界に行くき、説法の実地訓練をし、自分の専門領域で地上の人間を守護・指導する役割も負わされている。

神界は菩薩になるために、非常に厳しい修行場となっている。

6、7次元菩薩界は神理伝道を使命としている。

菩薩の境地は、如心の境地である。菩薩の役割は、地上界に肉体を持ち、指導者として多くの人々を導くことであり、如来の補助者として奉仕することであり地獄霊を救済する責任者としての役割がある。

7、8次元如来界は観自在力を持ち、宇宙即我の悟りに到達している。

それゆえ、霊としては、神の分光であり、神体といえる。

如来は諸菩薩、諸天善神の指導者としての役割がある。

8、9次元宇宙界は、太陽系霊団の霊太陽としての責任がある。

神と一体の境地であり、観自在力も最高の物である。

地上を浄化する救世主としての役割や人類の進化の推進者としての役割、救世主として地上に出たものを実在界から指導する役割がある。

*太陽系霊団における人類最高責任者であるエル・ランティーはモーセが救世主として出たときに、「ヤハウェ」と名乗り、イエスがイスラエルに出たときに、「エホバ」と名乗り、仏陀がインドに出たときは、「ブラフマン」と名乗った。マホメットがアラブに出たときには、大天使ガブリエルを通して、「アラー」を名乗った。

その真実は、真のメシア「エル・ランティー」であった。

(5)次元と数意の関係

次元の意識あるいは、法則を一言で表現すると数意になる。

次元の意識を数意にするプロセスを紹介してみたい。

数意は光の部分と影の部分があり、私が開発したのは光の部分である。

影の部分は、丹羽透涯先生に教えていただいた数意を基本としている。

1)9次元の数意

太陽系霊団には、神の光をプリズムにかけるエル・ランティーがいる。

そのエル・ランティーが地上に肉体を持たれ、数々の奇跡や多くの著書を残して1976年6月25日に9次元に還っていった。

私は、当初、高橋信次先生を仏陀であると思っていた。

しかし、他界される直前にミカエル大天使が出現し、真の悟りを得た。

それが、「太陽系霊団の系図」である。

私は、「高橋信次先生は、求道者の在り方を復活する為に出てきたのであろう」と思っている。

それは、高橋信次という名前にヒントが隠されていた。

「高次元の世界から信という架け橋をかける人」

これが、高橋信次先生の使命なのである。

高橋信次先生は、信の在り方を身をもって体現されたのだと実感している。

また、「仏陀の慈悲」と「イエスの愛」を総合した「信」として自らの生き方を示された。(仏陀は都合により、「慈悲」しか説けなかった。イエスも「愛」しか説け無かった。だから、「慈悲と愛」を説いたのである。)

それゆえ、9=信=エル・ランティーという関係式が成立する。

2)8次元の数意

如来は、正法を説くことによって衆生を済度することが使命である。

慈悲の塊が如来である。

慈悲とは無限の愛でもあり、その人が存在しているだけで、私達を回心に導くような愛である。

慈悲を説いたのは仏陀であり、8=慈悲=仏陀という関係式が成立する。

3)7次元の数意

菩薩は、自分を犠牲にして神理を伝道することが使命である。

自分を犠牲にして、他人のために尽くすことが菩薩の使命なのである。

それは、愛であり、イエスが十字架にかかったのも、自己犠牲(愛)の姿を身をもって示したからである。

それゆえ、7=愛=イエスという関係式が成立する。

4)6次元の数意

神界では、神理知識を得ることがテーマであり、神の秩序を学び、徳が高くなることが進化の条件である。

神の秩序や礼節を説いた人物は孔子であり、学問をすることの大切さを教えている。

孔子は「敬の教え」といわれ、仁や徳についても教えている。

そこで、6=敬(仁・徳)=孔子という関係式が成立する。

5)5次元の数意

霊界では精神革命がテーマとなっている。

自分に克つことが、真の勇者であることを知っている世界である。

モーセは「義と正義の教え」を説いたといわれている。

正義とは正しい者が強くなくてはならないという教えであり、勇気の教えでもある。

それゆえ、5=義(勇気)=モーセという関係式が成立する。

6)4次元の数意

幽界では、自分が霊であるという自覚が不十分な為、地上に執着している。

それゆえ、高い次元に進化できないでいる。

特に、幽界の一部にはルシフェルを頂点とした地獄界もあり、心の調和を図ることが最大のテーマとなっている。

心の調和といえば、弥勒菩薩(マイトレイヤー)という関係式が成立する。

7)3次元の数意

この地上界は、ユートピア具現を目的とした世界であり、価値ある人生を送る為には美意識が必要である。

この世をユートピアにする事が最高の芸術である。

7大天使のうち、芸術を担当するのは、ラファエル大天使であるため、3=美=ラファエル大天使という関係式が成立する。

8)2次元の数意

2次元とは善と悪の2元論の世界である。

ルシフェルを悪の代表とすると、善の代表はミカエル大天使である。

それゆえ、2=善=ミカエル大天使という関係式が成立する。

9)1次元の数意

1次元は真の世界であり、真理追究の世界である。

7大天使のうち、科学全般を担当するのは、パヌエル大天使である。

それゆえ、1=真=パヌエル大天使という関係式が成立する。


以上により、光の部分の次元と数意の関係は次の通りである。


1→パヌエル→科学・真理・発明発見・知恵→真

2→ミカエル→善悪二元論・道徳的完成・良心→善(良心)

3→ラファエル→芸術・創造・発展・ユートピア具現→美

4→弥勒菩薩→調和・エネルギー・調整→調和

5→モーセ→正義・勇気・改革・開拓・冒険→義(勇気)

6→孔子→敬・秩序・礼節・仁・徳・中道→敬(秩序)

7→イエス→愛・自己犠牲・如心・利他・貢献→愛(利他)

8→仏陀→慈悲・無限の愛・自由・法→慈悲(法)

9→エル・ランティー→信・救世・求道・指導・歓喜→信(救世)


影の部分については、丹羽透涯先生に教えていただいた数意を使用している。

1→知・知恵・思考→知

2→意・自我・我欲→意

3→情・感情・情熱→情

4→働・肉体労働→働

5→好奇心・闘争→闘(すべる)

6→徳・地位・名誉→徳

7→流・利己主義→利(流)

8→金・社交性→金

9→苦・政治・病気→苦


(光の部分と影の部分との関係)

1は真理を追究し、直線的に行動する。真理を追究するには知が必要であり、「真」の影は「知」となる。

2は良心(善我)の確立が本質であるが、意思の力が強くなければならない。

「善」の影は「意」となる。

3はユートピア具現が本質である。まさに英雄の世界であり、英雄はロマンを追求すると共に、情にもろい点も特徴である。それゆえ、「美」「ユートピア具現」の影は「情」となる。

4は心の調和が本質である。安らぎと安定が追求される。体を動かすことにより、心と体のバランスを図ることが必要であり、「調和」の影は「働」となる。

5は義(勇気)が本質である。冒険心も旺盛でバイタリティあふれる行動力となる。ところが、過激な行動の為、すべることが多くなる。それゆえ、5の影は「すべる」となる。すべる理由は闘争意識を持つからである。

6は敬(秩序)が本質である。神の秩序を具現すれば、自然との調和となり、自己確立もスムーズに出来る状態となる。丹羽先生は、影の部分でありながら、6については徳という言葉を使用し、自然との一体感を示していた。それゆえ、6の影は「徳」なのである。

7は愛が本質で報いを求めない自己犠牲の行為である。しかし、疑惑を感ずると自己犠牲が難しくなり主体性が無い為、流されている自分を発見し、利己的に生きようとする。7の影は「流」または「利己」となる。

8は慈悲であるが存在しているだけで、多くの人が集まってくる。人との交際も多くなり、お金も必要になってくる。それゆえ、8の影は「金」である。法で衆生を救うべきところ、影となると「お金」で衆生を支配しようとする。

9は信が本質で苦悩から歓喜に転換できる力を信と考える。しかし、多くの者は、苦悩のままの状態で終わってしまう為、9の影は「苦」となる。


(6)おわりに

私が開発した「数霊次元説」とは、高橋信次先生が示された次元意識を1から9までの数意として表現したものであり、それに基づいて新しい占いの判断基準としたものである。

従来の占いに関する判断基準は、整理されておらず低レベルになっていたが、数霊次元説によって整理すると本来の占いである使命判断が可能となる。

私は、姓名分析で名前から、その人の使命を判断し、三体理論に基づき9年周期の誕生日占いから、波動の良い時期・悪い時期を明らかにしてアドバイスをしている。

三体理論は、高橋信次先生により、「大自然の波動と生命」で明らかにされているので参照してください。

私は、三体理論を採用したことにより、三体理論が自然の法であると実感できた。

ちなみに「六星占術」や「0学占い」は、12年周期説を採用している為、占いの判断に差異が発生している。どちらが正しいかは、読者の判断にお任せするが、私自身12年周期説は間違いであると思っている。

間違った説を流布することは、幽界下段階で厳しい反省することになっている。

それゆえ、間違って本を書いてしまった人は、生きているうちに修正する必要がある。私の場合は、三体理論に出会うまでは、間違って書いてしまったことが2回あり、その度に修正してきた。あまり本が売れなかったことが幸いしている。売れてしまったのであれば、間違いを読者に知らせ、修正する必要がある。

「今生、肉体を持った光の天子達は全て事業を持って出ています。宗教でメシなど食いません。」と高橋信次先生が講演の時語っていたが、プロの宗教家に本物はいないと宣言しているのである。ましてや、プロの占い師に本物などいるはずが無いと断言できる。

お金を要求してくるプロの占い師や宗教家にだまされてはならない。

最後に高橋信次先生が1976年6月25日午前10時20分に天上界に帰還された時の最後の言葉を紹介して終わりにしたい。

「あなた達は自分の使命を果たしなさい。これからどの様なことがあっても心を動かしてはいけません。私があなた達の心の中に生きていることを知りなさい。私の地上の生命はまもなく終わります。しかし、悲しんではいけません。自分の心の中にしっかりと法灯をともして行きなさい。これからはあなた達の本当の使命を果たすときです。あなた達はもっと多くの人々を救ってゆかなければなりません。私はまもなく地上界を去ります。しかし、必ず天上界から働きかけます。たとえ、関係は無くとも、あなた方といつでも通信できる事を知りなさい。あなた方はなぜ悲しがるのです。生命の永遠を知りなさい。あなた達は自分の心を作りなさい。自分の心の中の様々の誤りを正し、真実の自分を作り、その愛を広めていくのです。これが私のあなた方への最後の言葉です。」

(7)補足・・・次元意識に関する質問

あなたの次元意識度をチェックします。次ぎの質問に答え、該当しているものに○をつけなさい。それにより、現在のあなたの心境がどの段階にあるかわかります。真剣に取り組んでください。


1、幸福とは地位・名誉・財産・お金を獲得することである。

2、男女の愛(SEX)こそ、愛の本質である。

3、自分さえ幸福ならば、他人が不幸でも気にならない。

4、自分より優れた人(美しい人)を見ると、嫉妬を感ずる。

5、他人の不幸を見ると嬉しくなる。

6、奉仕しても見返りがないと面白くない。

7、他人の欠点ばかり目に付き、すぐ口に出してしまう。

8、この世は、一回限りなので、面白おかしく生きたい。

9、他人の悪口、不平不満、愚痴を言うと胸がスッキリする。

10、自分が中心でないと面白くない。

11、働くことに興味が持てない。

12、人に嫌われたくなくて、率直に意見を言うことが出来ない。

13、人を信じてしまい、後で後悔することが多い。

14、人に文句を言われると怒りを感ずる。

15、すぐ人を攻めてしまう。

16、失敗することが恐く、いつも問題から逃げてしまう。

17、消極的、否定的、悲観的な発言が多い。

18、自分はどうしようもないと自己否定してしまう。

19、人の幸せが非常に妬ましく思う。

20、どうしても許せない人がいる。

21、他人に厳しく、自分に甘い。

22、いつも人に頼ってしまう。

23、心配や後悔に多くの時間をかけてしまう。

24、自分ならもっと出来ると思う。

25、思い通りにならないとイライラする。

26、受験戦争に勝ち、立身出世することが人生の勝利者である。

27、あの世(4次元以降の世界)があると思っている。善い事をしなければ、地

獄に堕ちると思っている。

28、人間はあの世(4次元以降の世界)から自分が望んで生まれてきた。

29、いつもプラス思考、ポジティヴ(積極的思考)を神の心に合わせようと意識 

している。

30、人生の目的と使命を知り、日々努力している。

31、足ることを知っている。


(採点基準)

1、自我我欲(自信家)のため、マイナス2。

2、自我我欲(自信家・怠惰者)のため、マイナス1。

3、自我我欲(自信家)のため、マイナス2。

4、自己保存(被害者)のため、マイナス1。

5、自己保存(被害者)のため、マイナス2。

6、自己保存(被害者)のため、マイナス1。

7、自己保存(被害者)のため、マイナス1。

8、自我我欲(怠惰者)のため、マイナス1。

9、自己保存(被害者)のため、マイナス2。

10、自我我欲(自信家)ため、マイナス1。

11、自我我欲(怠惰者)のため、マイナス1。

12、自我我欲(怠惰者)のため、マイナス1。

13、自我我欲(怠惰者)のため、マイナス1。

14、自己保存(被害者)のため、マイナス1。

15、自己保存(被害者)のため、マイナス1。

16.自己保存(卑下者)のため、マイナス1。

17、自己保存(卑下者)のため、マイナス1。

18、自己保存(卑下者)のため、マイナス1。

19、自己保存(被害者)のため、マイナス1。

20、自己保存(被害者)のため、マイナス1。

21、自我我欲(自信家)のため、マイナス1。

22、自我我欲(怠惰者)のため、マイナス1。

23、自己保存(卑下者)のため、マイナス1。

24、自我我欲(自信家)のため、マイナス1。

25、自我我欲(自信家)のため、マイナス1。

26、自我我欲(自信家)のため、マイナス1。

27、4次元の意識のため、プラス1。

28、5次元の意識のため、プラス2。

29、5次元の意識のため、プラス2。

30、6次元の意識のため、プラス2。

31、6次元の意識のため、プラス3。


(判断基準)

プラス(6~10)

5次元霊界の意識(霊的自覚が進んでいる。これから正法神理の学習が

必要になる。

プラス(1~5)

4次元幽界の意識(霊的自覚がある。物質的な現象に惑わされずに生き

ること。)

プラス(0)

3次元現象界の意識(今後、努力してプラス要因を学習すること。)

マイナス(1~10)

地獄界上段階の意識(プラス要因を学習することで天上界の意識になれ

る。)

マイナス(11~20)

地獄界中段階の意識(よほどの反省をしない限り、地獄かは脱出できな

い。)

マイナス(21~30)

地獄界下段階の意識(今までの行き方を徹底的に反省しない限り、救わ

れない。)

菩薩行について

私が、数霊次元説を開発したのは、高橋信次先生の霊的自覚によるものである。高橋信次先生の著書「大自然の波動と生命」に1から9次元の諸相が図解されていた。さらに、高橋信次先生が死の直前に悟られた「太陽系霊団の系図」によって、高次元の意識が具体的に解明されたのである。

当時の私は、丹羽式姓名学によって1から9の数字で判断していたので、1から9の数意の根拠を追究していた。「1から9の数意は次元の意識に求められるのではないか」と閃き、丹羽式姓名学と次元意識を比較対照してみた。その結果、判明したことは、丹羽式姓名学で学んだ数意はカルマを示していることが分かったのである。つまり、次元意識を光とすれば、カルマは3次元に投影された影であった。ベートーベンの交響曲は次元意識を反映したものであると気付いた。特に第5交響曲(運命)は、既成の概念を覆す改革の意識を表現していた。第6交響曲(田園)は、ベートーベンの神秘体験を表現していたのである。神との一体感を音楽に表現していたのである。第9交響曲は全人類への呼びかけの音楽として意義がある。終楽章が異例のわかりやすい音楽で、苦悩から歓喜へと導く真のメシアの意識を表現したものであった。真のメシアは最後に最もわかりやすい方法で人類を導く。それが、「歓びの歌」である。

私は、ベートーベンの交響曲をヒントに占いの判断基準は次元意識によって決定されることを突き止めた。つまり、1から9までの数意は1から9までの次元意識によって決定されるということである。それをまとめたのが、「数霊次元説」である。数霊次元説は占いの判断基準になるばかりでなく、宗教においても正法神理の「道標」として役立つことがわかってきた。次元意識を理解できれば、6次元の壁は突破できる。真のメシアが示してくれた「光の道」が正法神理であり、その「道標」が次元意識であり三体理論なのである。三体理論は「大自然の波動と生命」の中でモーセによって霊示された「道標」である。真のメシアは第9交響曲のように人類に最もわかりやすい方法(「光の道」と「道標」)を示されたのである。高橋信次先生を言霊法で解明すると、「高次元の世界から信という架け橋をかける人」となる。信を示せるのは真のメシアだけである。(ブッダは慈悲を説き、イエスは愛を説いたが、信は示せなかった。)高橋信次先生は、真のメシアとしての役割を果たしたのである。

中丸薫女史は、霊的能力によりエル・ランティーにつながった。そして、高橋信次先生がエル・ランティーの分霊であることを確認している。飛鳥昭雄氏は「ヨハネの黙示録」や「聖徳太子の大預言」を霊的能力で解明している。それゆえ、菩薩であると確信している。ちなみに、菩薩の条件は、神理伝道と衆生済度行為である。神理伝道には、真実の情報を伝えることも含まれる。現代は、神理伝道というよりも、真実を国民に知らせる行為の方が重要であると思える。真実を隠蔽する権力者に立ち向かう姿こそ菩薩の姿である。ベンジャミン氏も菩薩であると感じたのは、やはり神秘体験をしていたことによる。自己確立→霊的能力(神秘体験)を通過儀礼になされたものが菩薩である。それに対して、真実を隠蔽する勢力は、死後の世界で地獄での反省が待っている。日蓮上人ですら、地獄で600年間反省していたのである。凡人である我々が、闇の権力の要求の言いなりになっているようでは、地獄での反省をせざるを得ない。バカの壁(思考停止の状態)を破り、真実の情報を知る努力が必要な時である。TPPにしても闇の権力が要求している世界戦略であり、勇気をもって断固反対運動を展開しなければならない。

みのもんた氏の次男が窃盗未遂容疑で逮捕された。さらに、みのもんた氏にもセクハラ疑惑がネットを騒がしている。みの氏は、闇の権力の操り人形になって、世論誘導をするという悪行をし続けている。特に、郵政民営化については、郵政民営化の偽装に気付いた有識者を潰すのが、みの氏の役割だった。みの氏は闇の権力の意を受けた電通の命に従い、人気電波芸者(故・高橋博彦氏の言葉)としての司会者の地位を利用し、郵政民営化の誘導を煽った犯罪的なテレビ人である。それゆえ、二つの事件が自分自身に降りかかったのである。みの氏は反省をし続けなければ、地獄で反省せざるを得なくなる。残念ながら、日蓮ですら地獄で反省しているのだから、みの氏もそうせざるを得ないのである。みの氏が闇の権力からの圧力を断ち切ることができるのかにかかっている。

菩薩の役割は、神理伝道と衆生済度行為である。これは、自己確立がなされていなければ、全くできない行為である。神秘的体験も必ずついてくる。この神秘体験が菩薩行を支えている。菩薩は、全人類のために自己を犠牲にして、愛と慈悲の意識を伝えることを目的としている。現代では、隠蔽された真実を国民に伝えることが使命となっている。闇の権力の手先となっているマスコミなどは菩薩たちを排除しようとしている。菩薩の行為でよい手本となる最近の事例は、宮沢賢治である。飛鳥昭雄著「ロマン・サイセンスの世界」によると、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に、宇宙の星のすべてが、無数の「脂油の玉」になっていると記している。これは、1986年に発見された銀河が集合した「超銀河複合体(グレートウオール)」のことである。まだ、世間には知られていない情報であった。大正時代に生きた宮沢賢治は、間違いなく宇宙構造を霊視できた人物だったのである。「銀河鉄道の夜」に最大の見せ場は、ジョバンニがカムパネラと別れた後、機関車ごと突入する「石炭袋」のシーンである。「石炭袋」とは空の孔(穴)のことで、天の川(銀河系)の中心に開いた真っ黒な穴のことである。これは、「ブラックホール」である。ジョバンニは、「石炭袋」に突入した後、一瞬にして故郷の丘の上に舞い戻っている。これは、ワームホールにより、時空の壁を破る最新科学理論とも一致してくる。さらに、本文にはないが、宮沢賢治の宇宙観がアニメーション映画版のラストシーンで使われているので紹介しておきたい。

「わたくしという現象は、仮定された有機交流電燈の一つの青い照明です。(あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなと一緒に せわしくせわしく明滅しながら いかにも確かにともり続ける 因果交流電燈の 一つの青い照明です。(光は保ち その電燈は失われ) これらは二十二箇月の 過去と感ずる方角から 紙と鉱質のインクを連ね(すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの) ここまで保ち続けられた 影と光のひとくさりづつ そのとおりの心象スケッチです。」(宮沢賢治「春と修羅」より)

銀河全体を覆う淡いプラズマ現象が観察されたのは、ごく最近のことである。巨大な銀河を回転させる、凄まじい電流の存在が示唆されたのも最近のことである。宇宙を支配するプラズマの電流的性質(電波の霧)を、銀河間宇宙に漂う電磁的フィラメントの集合体と表現する以上、宮沢賢治の詩は、それと同じことを表現していたことになる。 

宮沢賢治は、自己顕示欲がなく、謙虚に献身的に行動していた。彼の本質が見いだされたのは、死後のことである。報いを求めない行為、これが本当の菩薩行である。

テレビで有名になったある霊能者がいたが、自分は生前に良いことをしたので天国に行けると思っていたらしい。ところが、死後、迎えに来たのは地獄霊だったのである。自分のことは客観的に見られないのが90%以上いる。宮沢賢治のように謙虚に人類のために行動すればよいのである。地位や名誉は全く無関係である。むしろ、地位や名誉が邪魔になるかもしれないのである。知らず知らずのうちに闇の権力の手先になっているマスコミや政治家や官僚たちは反省しなければならない。菩薩の行為の邪魔をする者たちは、死後地獄で反省することになる。現代の菩薩たちは、命がけで真実を提供している。私たちは、それに応えて真実を周囲の者に伝えていかなければならない。バカの壁(思考停止の状態)を破り、菩薩たちが行動しやすい環境を作っていきたいと思っている。

「特定秘密保護法案(秘密保全法)」は、典型的な言論弾圧法案である。天木直人氏のブログでは、法律の正体が法文を読んでもわからない仕組みになっているという。秘匿対象とされる情報の定義であるが、防衛、外交、スパイ、テロの4分野を「特定秘密」としている。しかし、どの情報がそれらに該当するのかの解釈は、政府・官僚に白紙委任されている。ただでさえ法案の解釈は、政府・官僚が大きな裁量権を持っているのに特定秘密保護法案については、あまりにも極端すぎるのである。真実を知らせる立場にあるメディアさえも分からない法案をどうして国民がわかることができるのかである。

神州の泉の故・高橋博彦氏のブログでは、日本をコントロールしているのは、CSIS(米戦略国際問題研究所)であるという。CSISは、対日経済謀略を含めて、軍事、産業、経済、政治、外交など広範囲で包括的な対日マターを踏襲する組織である。このCSISが日本の足場として利用しているのが日本経済新聞である。日本経済新聞は、このシンクタンクに完全に取り込まれ、斯界の有望な若者を洗脳し、親米にマインドコントロールすることに加担している。

「特定秘密保護法案」は、アメリカの対日戦略部隊であるCSISが主体になって、政権与党や高級官僚に圧力をかけている。

ワンマンで有名だった元首相が、地獄にいる。院殿大居士の戒名を持っているが、そんな名前は知らないと言っている。そして、自分は日本を救ったのだと今でも思っているのである。なぜ自分が地獄にいるのかわかっていないようであった。(これは高橋信次先生が不空三蔵をつれて地獄を訪問した時の出来事である。)つまり、地獄に落ちた人間は、自分は悪くないと全員が思っているのである。自己保存と自我我欲の塊になっているからである。反省することができれば、4次元の上段階・天国に行けることになっている。地獄霊には反省の機会が少ないからである。

闇の権力は自らの保身のため、全世界の人々を支配しようとしている。それに加担する者は、地獄で反省せざるを得ない。菩薩や如来が出ているのに気付かずに過ごしている人たちも反省すべきだろう。菩薩や如来の行為を阻む者たちは、さらに罪が重くなるだろう。現在のマスコミ、メディア、政治家、官僚たちはアメリカの圧力に負けず、日本のために身を犠牲にして働いてほしいものである。

TBS放映の半沢直樹という番組がある。最終回は多くの人が意外な展開に驚いたという。しかし、数霊次元説の立場から言うと、頭取の判断は正しかったのである。つまり、半沢直樹の決め言葉「やられたら、やり返す。倍返しだ」ということに原因がある。「やられたら、やり返す」意識は5次元の意識であり、正義の意識である。しかし、倍返しという発想は、怒りや憎しみの意識を含んでおり、4次元下段階・地獄に通じる意識である。それゆえ、大和田常務の悪行を明らかにすることまでは正しかった。だが、頭取が止めるのを振り切って土下座させてしまったことが、中道の意識を踏み外すことになったのである。テレビの視聴者は、半沢直樹が昇進して部長になるものと思っていたと思える。そこは、原作者の中道の精神が発揮されたということである。結局、大和田常務の思い通り、半沢直樹は子会社に出向になったのである。もし、大和田常務の悪行を許すことが出来たら、土下座させることはなかったに違いない。どんなに酷い目にあった人に対しても許すことができる人は菩薩である。残念ながら、半沢直樹は5次元の意識どまりであったが、今後の人生で6次元の意識を持ち得るかが見ものである。

多くの経営者は、6次元の意識で経営している。6次元とは、心をコントロールできる人のことである。松下幸之助氏は経営の神様と呼ばれ、多くの尊敬を集めた偉人である。高橋信次先生は、松下幸之助氏の過去世を見通して、「ルカ」であると言った。ルカとは、新約聖書を書いた医者であり、菩薩である。その魂が、松下幸之助となって、菩薩としての使命を果たしたのである。

次元意識をチェックするテストがある。「あなたは、青い鳥をどのように探しますか?」というものである。青い鳥の存在を知らない人は、残念ながら4次元である。青い鳥を、自分以外の外に探し出す人は、5次元である。青い鳥は、自分の心であると悟っている人は6次元である。自分の心が神の心につながっていることを認識し、多くの人々を救っていこうという人たちが7次元・菩薩である。如来は宇宙即我の境地に到達しており、神の心と繋がっている。心とは、霊子のことであり、心を発見でき、具体的に描ける人は9次元宇宙界の救世主(メシア)しかいない。高橋信次先生は、心の状態を立体的に描き解説している。(「心の発見」・「心の原点」参照)

ちなみに、如来以上は宇宙即我の境地に到達しており、菩薩たちを天上界から指導している。天上界の最高機密である「太陽系霊団の系図」は、ミカエル大天使が出現したことで高橋信次先生によって明らかにされた。(「太陽系霊団の系図」は私のブログを参照してください。)ミカエル大天使は、ギリシャ時代ゼウスの子・アポロとして生まれ、宇宙即我の境地に到達している。また、マルチン・ルターとして宗教改革をしている。ガブリエル大天使も、カルヴァンとして、宗教改革のために出生している。ガブリエルは、ブッダの弟子・舎利仏として出生し、宇宙即我の境地に到達している。舎利仏の親友であるマハーモンガラナー(大目連)は、坂本竜馬として日本に生まれている。ガブリエル大天使も西郷隆盛として出ている。驚いたことに、ブッダの生命も桂小五郎として生まれている。桂小五郎、西郷隆盛、坂本竜馬の3人は幕末のスターである。スターにはそれだけの資質があったということである。

ブッダの生命の構成は、本体がブッダ、分身は不空三蔵、天台智顗、最澄、空教、桂小五郎である。ブッダの前の生命は、リエント・アール・クラードと呼ばれ、南米のアンデス山脈のふもとに生まれている。さらにその前の生命は、アトランテス帝国時代にアガシャー大王として神理を説かれたお方である。(これは、心の発見「科学篇」の記述であるが、「太陽系霊団の系図」が判明してからは、アガシャー大王の生命はブッダではなく、イエス・キリストの生命であるとしている。)

イエスの生命の構成は、本体がイエス・キリスト、分身はクラリオ(BC4千年頃 エジプト)マグガリス(AD2百年頃 イスラエル)、フォアイ・シン・フォアイ・シンフォ(AD4百年頃 中国)、バロイン(AD1千5百年頃 英国)、マグネチオ(BC2千年頃 エジプト) である。分身5がフィリピンに心霊手術のトニーとして生まれたが、増上慢で帰天したため、本体が修正するために世に出るといわれている。

*太陽系霊団の系図では、大神霊の神の光が、エル・ランティーを中心として成り立っている。エル・ランティーは霊太陽として、地上にあっては、太陽のようなエネルギーの塊りであり、次元的には9次元・宇宙界に位置される。エル・ランティーの光の分霊として、アガシャー(イエス)、カンターレ(ブッダ)、モーセがいる。イエスは、エル・ランティーを指し、エホバと呼び、ブッダはブラフマンと呼び、モーセはヤハウェと呼んだ。アラーを信奉したマホメットは、ガブリエルの直接指導を受け、さまざまな奇跡を現したが、アラーはエル・ランティーの別名である。エル・ランティーの下に7大天使がいる。7大天使の長がミカエルである。ミカエル天使長の下に、ガブリエルがいる。次いで、ウリエル、サリエル、ラグエル、パヌエル、ラファエルがいる。ガブリエルの下にセラビム(菩薩)とケルビム(諸天善神)の光の天使がそれぞれ数百名ずつ配置されている。エル・ランティーの分身が高橋信次先生である。これについて、中丸薫女史が霊的能力で確認している。

ブルガリア人のべラ・コチェフスカ女史は、中丸薫女史と同様霊道者である。霊能者の多くは、心の窓を開いて霊的能力を身に着けたが、反省を忘れ八正道の実践を怠っていると、心の窓にススがついてしまうのである。このススをいつもきれいにしていないと、地獄霊が憑依することがある。それにより、多くの霊能者は転落してしまうのである。ところが、中丸女史やべラ女史のように毎日精進をしている人はいつでも霊的能力を発揮することができるのである。それは、守護霊や指導霊が常に導いているからである。

べラ女史が伊勢神宮に参拝した時のことである。誰も言わなかったのに、自分から外宮の方に歩いて行かれ、多賀宮(豊受大神の荒御霊をお祀りしている宮)に来ると涙を流し何度も何度もお辞儀をするのであった。後で、べラ女史に聞くと、ヤハウェが祀っているというのである。伊勢神宮は大変な聖地であり、世界中の誰もが参拝に来て祈りをささげなければならない。ここは、人類のすべてにとって聖地であると証言している。日本列島の周辺は聖的なバリヤーのようなものがあって、それで覆われている。日本は地球のへそのようなもので宇宙からエネルギーを一番ストレートに受ける特別な聖地であるとも証言している。(内宮にはイエス・キリストが天照大神として祀られている。)旧約聖書の神・ヤハウェと新約聖書の神・イエス・キリストが伊勢神宮に祀られていることは事実である。(これは、現在日本の最高機密である。)

日本には多くの菩薩や如来が出ている。それゆえ、聖書の預言が成就されるのは日本人の心意気にかかっているのである。

私は数年前に、伊勢神宮に参拝したことがある。飛鳥昭雄氏の著書「心の御柱の謎」を読んで、どうしても確かめたくなったのである。内宮にはイエス・キリストである天照大神が祀られている。外宮にはヤハウェが祀られている。しかし、伊勢神宮の本宮になるのは伊雑宮(いざわのみや)であるというのである。飛鳥氏は「伊雑宮にはイエス・キリストの罪状版がある」と主張している。それゆえ、私個人としても確かめておきたかったのである。さすがに、内宮と外宮は管理が厳しく、地下殿にある三種の神器を見ることはできなかった。ところが、伊雑宮の方は若い神主と話をすることができた。私は飛鳥昭雄氏の本を読んで伊雑宮に来たことを告げた。すると、若い神主は「罪状版を見ている。」と答えたのである。それには「ナザレのイエス ユダヤ人の王」とヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書いてあるということであった。イエス・キリストの罪状版がイエス・キリストの顔である。罪状版があるからこそ、伊雑宮が伊勢神宮の本宮になるというのである。伊雑宮が本宮になる時期は聖書の預言が成就するときであり、まだ先のことである。それまでは、国民には秘密にされているのである。

内宮には、イエスを磔にした聖十字架(Tの形をした十字架である)があり、ヤタノ鏡(モーセの十戒石版)、契約の箱が封印されて保管されている。外宮には、モーセの旗竿が祀られている。イスラエルの三種の神器であるアロンの杖、モーセの十戒石版、マナの壺は、日本の三種の神器のことである。つまりアロンの杖は、草薙の剣であり、熱田神宮に祀られている。マナの壺は、勾玉として現在、皇居内部にある「賢所」に安置されている。ヤタノ鏡(モーセの十戒石版)は伊勢神宮の内宮にある。イスラエルの三種の神器が日本の伊勢神宮の周辺に保管されていることは、何を意味しているかということである。結論は、聖書の民は、日本人であり、日本人こそ、真のユダヤ人であるということなのである。現在、イスラエルの住んでいる人たちは、アシュケナジーユダヤ人であり、本当のユダヤ人ではない。ユダヤ人は黄色人種であるからである。イエス・キリストも黄色人種だった。白人ではない。白人ならば、真のユダヤ人ではないからである。欧米のキリスト教は、真のキリスト教ではなく、パウロによってもたらされたパウロ教(他力信仰)である。本当のキリスト教は、ペテロの流れを支持するユダヤ人原始キリスト教徒達によってもたらされた古神道である。古神道の中にキリスト教が生きているのである。

これは、私感であるが、古来から天照信仰が行われていると思えるが、神々習合(神仏習合)によって天照=イエス・キリストとして摩り替えられたのではないかと思料している。(これは、キリスト教においてもミトラ神とイエス・キリストを融合させてイエスの誕生日をミトラ神の誕生日にした事と似ている。イエスの誕生日は12月ではなく4月ごろであると推測されている。)

日本にイスラエルの三種の神器がもたらされた経緯を簡単に整理してみたい。

B・C722年→北朝イスラエル王国から十支族が消える。マナの壺とアロンの杖も消える。ユーラシア大陸の彼方へと姿を消してしまう。日本建国はB・C660年であり、失われたイスラエル十支族が建国したと考えられる。

B・C587年→南朝ユダ王国が新バビロニア王国により滅ぼされる前に、契約の箱と十戒石版とレビ族が消える。それは、イザヤとエレミヤの2人預言者によって契約の箱はネボ山に隠された。

B・C538年→アケメネス朝ペルシャが新バビロニア王国を滅ぼした為、補因されていたイスラエル人はパルスチナ地方に帰ることを許された。破壊されたソロモン神殿を再建する。(ソロモン第2神殿)

国を滅ぼされたのは自分たちの背教にあると反省し、戒律中心のユダヤ教を確立する。しかし、バビロンの補因の屈辱から「タルムード」を作ってしまい、本来の宗教から離れてしまうのである。

A・D66年エルサレムから二支族(ユダ族、ベニヤミン族、一部のレビ族も含む)の原始キリスト教徒が脱出する。ペラから先は不明となる。これは、イエス・キリストからの神託があり、契約の箱・十戒石版をもって、失われた十支族を追って東方に向かう。彼らは秦氏となって日本に渡来する。

応神天皇に絶対神「ヤハウェ」が降臨し、イエス・キリストであると告げた為、先に王国を築いていた物部氏は応神天皇に従った。絶対神「ヤハウェ」が各地に現れ、応神天皇に聖霊が降りるのを見たからである。しかし、畿内の物部氏は「自分たちは裏切られた」と思い込み、信仰を捨てた応神天皇に対して反乱を企てる。畿内では、旧約の神ヤハウェを唯一の神とする強い信仰があったからである。

天からヤハウェが光り輝きながら先頭の真ん中に降臨した為、古い旧約の神は新しい新約の神に全権を譲ることになったのである。

こうして応神天皇は大和朝廷を開き、契約の箱、十戒石版、マナの壺、アロンの杖の全部を手中に収めたのである。

聖徳太子の預言書「未来記」に、日本を滅ぼす3人の悪僧の名前が出ている。親鸞、一遍、日蓮である。親鸞の生命はパウロであり、菩薩である。しかし、パウロには正法をメシア信仰にしてしまうという癖がある。親鸞も同様に「南無阿弥陀仏」と唱えれば、天国に行けると吹聴した。阿弥陀仏とは、アミーのことであり、イエス・キリストを指している。つまり、「イエス・キリストに帰依します」と唱えているのである。唱えてもイエス・キリストの教えを実践しなければ、何にもならないということは真実である。パウロもイエス・キリストの教えをあまりにも神聖化した為に、他力信仰にしてしまったのである。本当のキリスト教は、偶像崇拝ではない。メシア教でもない。自力を基本として、愛の行為を多くの人にすることである。マリア像やイエス像を拝むことではない。欧米のキリスト教は、本当のキリスト教(正法)から逸脱しているのである。親鸞もパウロと同じ過ちをした。阿弥陀仏を拝ませてしまったことである。一遍も親鸞と同様に踊る宗教で多くの人々を惑わせた。一遍も他力宗教を民衆に押しつけた。それでも地獄には落ちてはいない。地獄に落ちたのは、日蓮である。日蓮は、他宗を誹謗中傷、罵詈雑言の言いたい放題だった。そのため地獄界と同通してしまったのである。日蓮は600年間地獄で反省をさせられたのである。地獄に落ちている人たちの全員が自分は悪いことをしていないというのである。自分で、そう思っても客観的に見て悪かったからこそ、地獄に落ちているのである。つまり、光子量が少なく心の状態がススだらけであり、真黒くなっていることを認識する必要がある。それには、ブッダが開発した八正道が大切である。八正道に基づき心の状態を浄化させることが一番大切であり、菩薩行の前提条件なのである。

高橋信次著「大自然の波動と生命」における現象論の要約

第1章 人生航路の波動

(1)人類の歴史と波動

私たちは、何の目的で、この世に生まれてきたのか? 古代人は原始共産社会を営んでいた。それは、天変地変から、また外敵から部族を守る為に、個々の力ではどうすることも出来無い環境であった。一族の集団が、殖えるに従って不平不満が募り、闘争の第一歩が始まった。智力と腕力の強い者が支配者となり、この様な環境においても、まだ共存共栄的な生活は続けられていたのである。

平和の楽園も、他の部族によって侵され、他の部族との戦いによって、敗者は支配され、部族は権力を持った、豪族によって統一されていった。豪族は一族を守る為に、武力を生み、武力は武将を生み、原始共産体制は、武将の権力によって崩壊し、遂に、封建社会の出現となった。古代人は天候の変化や、天変、地変、外敵、その他の生活に対して、本能的予知能力が強かったのである。

人間性の発見は、宗教を生み、神意を悟る環境を生み出した。人々の自覚によって、武力の力は、自己保存と、自我我欲の心が、自ら破壊を呼び、科学的集団は国家を形成し、学問は更に深く、物質文明の進歩は続き、戦争は拡大されて、国家間の問題に発展し、経済物質戦争へと、変わっていった。

宗教も、哲学も、また人としてなすべき真理も、解明されているにもかかわらず、幾度かの争いを、繰り返さなくてはならない。ある時は、宗教戦争に、ある時は、経済戦争に、更に、集団化されて、思想戦争へと進んでいく。科学兵器は、大きな犠牲者を出し、人種的偏見も、思想的経済戦争も、やがては人間一人一人が自覚して、戦争の無益を悟るようになる。物質文明の向上に従って、政治経済、人間性の向上、即ち、精神文明が確立されてこそ、平和な社会が建設されていく。

一時の争いが生じても、人間は理性を持って、新しい経済機構の中で、共存共栄、原始共産体制より、更に、次元の高い、個人個人の人間としての使命に生きる、真の共存共栄の社会が、完成されるのである。マルクスの共産主義は、地上より滅び、唯物論は、人心を離れ、独裁者の犠牲にならない、真の光明に満ちた、地上極楽界が生まれる時が来ている。21世紀の中期から、22世紀には神意が実現されていく。自覚された、人間一人ひとりの力によって、築き上げられていくのである。

肉体は進化し、私たちの生命即ち魂も、転生輪廻の法則に従って、肉体という舟に乗り、魂は磨かれてきたのである。小さな波動から、大きな波動へ、歴史は変わっていく。大自然における、現象界の輪廻は、一時も休む事無く、過去から現在、現在から未来へと循環されていく。過去に説いた聖人の教えも、総て真理であり、あらゆる人生航路の試練の中に、自らを悟り、魂は進化されていくのである。

現代の肉体に宿った生命は、その時代の同級生であり、総て経験してきた過去世の実在を、現象界に具現することが出来るのである。それは、過去の約90%の潜在意識である。

物質と生命の一体を知り、地上界の極楽浄土が建設されていくのである。それまでには、幾度かの天変地変を経て、真の人のみが現象界に生存することが、許されるのである。精神・物質両文明発達の推移は、地磁気の波動と、太陽の熱・光の波動が調和している場所に、影響されるものである。昔はエジプト文明も、インド及びインカ文明も、現代緯度の南側に発達していた。現代文明の中心は、アメリカのワシントン・東京・パリ・ローマ・北京・ロンドン・モスコーと北側に、文明発達が推移している。それは、気象条件の寒暖に影響がある。即ち、肉体条件と気象条件の波動が、調和している民族が、発展しているのである。しかし、人心は、物質偏重主義の陥り、唯物的思想が、人間本来の霊性を失い、資本主義は大自然界の、万物を独占的支配に落としいれ、常に対立的闘争によって、平和な社会を、破壊に至らしむのである。

人類は霊性に目覚めよ。自然の姿に還るべし。自由と平等、平和な楽園を、地上界に造らなくてはならない。今や、現象界と実在界の謎が、解き明かされる時が、到来している。科学は、生命の実在を証明し、地球外の惑星に、他の天体へと発展し、高等動物の存在を知り、真の人々は、無限の現象界へ発展していくのである。

(2)人生の指針と波動

私たちは、万物の霊長として、大自然生命本体大神霊(仏)の子として、肉体生命を持ち、その慈悲の中で生存している。それは、現象界の万物を人類に貸し与え、人類は預かっている万物を支配している。

勿論、国家の独占物でもなく、個人の独占物でもない。神と表裏一体である実在界の光の大指導霊が魂修行のために、私たちに与えているのである。

私たちは、神の子として万物に感謝し、大神霊即ち仏に対し、報恩の精神で応えなくてはならない。過去世において、修練を積んできた生命が、再び現世において修行の為、肉体に宿ったのである。

正しい真の正法による一念のエネルギーは、神(仏)の意識に調和し、心身の安らぎが与えられ、霊感によって自分自体の指針を自覚することが出来る。

悩みは山積みしている。それは、魂の修行の為、約10%の表面意識によって生活しているからである。過去世における生命が、自分自身の指針を意識しているが、生命(魂)が肉体の舟に乗って、人生航路の波浪を乗り越え、修養に向かうため、五官に作用され、自己保存、自我我欲、魔によって自らを苦難に陥し込むのである。類は類を呼び、友は友を呼ぶ法則の如く、自分自身が総て定めているのである。一旦、人生航路の暗闇に堕ち込むと、自分の本性を見失うのである。また過去世におけるカルマによって、魂修行の苦行が、定められている人々もいる。如何なる苦楽も、過去世の約束であると、自分自身が悟り、反省の日々を送り、一念力の努力と実行で体当たりすることが出来たなら、総て自分の未来は解明されるのである。

運命という言葉は、過去には存在しても、将来には正法を得れば空である。

大自然の理法を悟って、自分の運命を知り、慈悲と愛の調和を作り、自由自在に活動することが出来るのである。私たちの指導霊によって、教えられた人生航路の流転における盛衰の波動について次章から述べる。

(3)大自然と人生航路

船舶は、海洋航海に対し、あらゆる諸条件について、研究されてきた。進路を定める羅針盤・緯度計・速度計・海流・気象・航路の海図等に関し、私たちの頭脳が物質化した必需品である。更にレーダーも私たちの脳内には既に与えられている本能を、物質化したに過ぎないのである。船舶の装備品が、如何に優秀でもそれを動かす指令、最終的責任者は、如何に自動化した船舶も、操作の意思は人間以外には出来ないのである。渡り鳥は、何千キロの海や山を越えて、目的地に到着する。私たちは大空に揚がれば方向を誤るが、考える力がある。鳥は神の保護を受けて、目的に応じた本能を与えられている。生物総てが環境に適応され、大神霊(仏)の慈悲なくしては一秒たりとも生存は不可能である。如何なる生物も、大自然界に目的を持って、生命活動を続けている。大自然界の循環やその他の事象と、非常に関連している問題を観察することにより、私たちの未来に起こりうる現象の近似値を見出すことが出来るのである。

第2章 人生航路波動の原理

大自然界における諸現象は、規則正しく循環の法則に従って存在している。

私たちに関係のある太陽・月・地球も莫大なエネルギーによって、太陽は太陽の黄道を、地球は太陽を中心にした一定の軌道を、月は地球の軌道を自転公転して、運動を続けている。太陽の光も熱も電磁波も音も総て波動によって永遠の運動を続けている。地球の四季も小宇宙である私たちの人生航路における盛衰も大自然の諸現象を無視することは出来ない。なぜならば、私たちは細胞体の集まりによって諸器官が造られ、五体を形成しているからである。

この五体は、自分自身の意思によって、吸収した動物・植物・鉱物の原料を何億何千万かのバクテリア・酵素の働きによって、細胞分裂を助けている。

大自然界は神体であり、この神体は神意によって、支配しているものであり、この支配者こそ大自然生命本体大神霊(仏)である。大宇宙・小宇宙は一定の波動によって連動されている。そのために、人生航路の波動も大自然の波動を組み合わせることによって、将来起こりうる現象をある程度見通すことが出来るのである。具体的に大自然と私たちの相似点を組み合わせて、人生航路の波動を研究し、羅針盤を造り出せるのである。その一番の鍵は、私たちと自然を知る為に、大自然三体現象を考えてみることであり、それは大自然の法則である。

(1)大自然の三体現象

大自然界における万物の現象を、大別すると殆ど三組に分類される。この三組、即ち三体が複雑多岐な現象や変化を造って、万物を安定した姿に置き換えているのである。

1、太陽系の三体

太陽と地球と月が地球磁場内に生存している私たちや他の生物に大変深い関係を持っている。動物・植物・鉱物の三体も私たちの生存に深い関係を持っている。あらゆる現象界の三体を、陽性・中性・陰性に区分して考えてみる。

(A)陽性

太陽は熱・光のエネルギー源であると同時に、地球や他の惑星に対して、自転公転のエネルギーを与えている。この大自然の姿を陽性と考える。

(B)中性

地球は月を衛星として、太陽のエネルギーと、地球自体のエネルギーによって、生物生存の環境を与えている。太陽と月の中間的相互関係にあるので中性と考える。

(C)陰性

月は地球の引力と、太陽のエネルギーによって安定した運動を続けている。海が満潮、干潮の現象を起こしたり、私たちの生と死や、女性の生理的現象に周期的な相互関係を与えている。この大自然の姿を陰性と考えることが出来る。


大自然界は、陰陽中間的因子によって安定しており、中性的環境においてこそ、生物の生存が可能である。陽性である太陽は熱エネルギーに因って、私たちの肉体生命細胞の保存を可能にして、地球、月と共に陰中陽、相互関係があってこそ、万物に安定した環境を与えているのである。

2、地球の三圏

地球を大別すると、気圏・水圏・岩圏の産圏によって構成され、生物生存の環境に適合した、光と熱のエネルギーを吸収している。

(A)気圏

地球は大気と呼ばれる厚い空気の層で包まれている。地表から、平均11キロ付近までは、対流圏と呼ばれている大気圏であり、高さに従って気温は下がる。高気圧、低気圧、雲等が地球上に、いろいろな気象現象を起こすのである。この対流圏の上、約50キロまでは、成層圏と呼ばれている。この成層圏は高さに関係なく、気温は一定しており、最も安定している層である。成層圏の上80キロまでは、中間層と呼ばれる所である。この中間層の50キロ付近は、かなり高温で、地表の気温とほぼ同じである。60キロ以上から、気温は徐々に下がっていく。80キロ以上は、電離層と呼ばれ、気温は次第に上昇していく。その原因は、太陽からの輻射してくる紫外線やX線を吸収して、そのため空気分子が分離して電子が出来るからである。

気温の下部層の大気は、化学的に窒素と酸素を主成分とする混合気体で、少量のアルゴン・炭酸ガス・水蒸気を含んでいる。酸素は動植物の生存に、欠くことの出来ない元素である。水蒸気は場所によって、異なるが気象現象に深い関係がある。また、雷によってできるオゾンや窒素は、植物に対して、成長のエネルギーを供給している。地上より11千キロくらいまでの気圏は、太陽の強い紫外線や宇宙線、流星塵の大部分を遮っている為、生物の生存を保護している。

(B)水圏

地球の表面は、71%が海洋及び陸地内の河・川・湖・沼であり、これを含めて水圏と呼ばれている。

(C)岩圏

地球は固体であり、その構成物は岩石からなっている。この部分を岩圏という。岩圏には火成岩・水成岩・変成岩がある。水成岩は、地表の75%を覆っているが、岩圏を地下16キロまでとすると全質量の95%は火成岩となる。その主成分を見ると酸素が46・7%、珪素27%、アルミニウム8・1%、鉄5%、カルシウム3・6%、ナトリウム2・7%、マグネシウム2・1%等8元素となっている。

鉱物は、岩圏全体としては、比較的少量である。このように気圏・水圏・岩圏の三体に分類され、水圏も硬水・中性・軟水に分類され、さらに酸性・中性・塩基性の三性に分けられる。

ギリシャのターレスは「地球上の万物は、総て水から出来、水に還る」と考えていた。ピタゴラスも地球上の総ては「地水火風」の四元素の割合によって造られると唱えていた。しかし、地球の構成物質についての古代人の考え方は、科学の急速な進歩によって、17世紀以後は、全く姿を消してしまったのである。

地球表面における岩石の比重は、平均2・7グラムであるが、地球全体の比重は5・5グラムである。これから見ても、地球内部の比重はかなり大きな物質から出来ている。隕石の成分は、超塩基性岩と呼ばれ、深成岩の成分に似ており、隕石は鉄とニッケルが主成分で、鉄9%にニッケル8・2%程度の割合である。

地殻の上部を化学的に見ると、アルミニウム・ナトリウム・カリウムが多く、下部はカルシウム・マグネシウム・鉄が多く、カルシウム・マグネシウム・鉄のように重い比重の物質の上に、軽い物質があって、地殻の均衡が保たれている。

私たちの肉体が、骨格と柔らかい肉体細胞が組み合って、安定されているのと同じである。地球の中間層は、比重3・4~5・5グラムの鉄や、マグネシウムに富んだ超塩基性岩から成っている。地球の核、全部は液体ではなく、中心部は固体であるという学説が有力である。中間層は、地球全体の82%余りで、全質量の68%を占め、核の体積は16・2%、質量は、約31・5%を占めている。

地下の温度は、地表の温度に余り影響されない。逆に地球全体の熱伝導は、地下から地表に供給されていて、その熱量は1秒間に焼く6兆カロリーと計算され、地球が太陽から与えられている熱量の役2500分の一に当たる。

日本だけ見ると、約70億カロリーの熱が、地球の内部から放出されていると計算され、石炭を一秒に約5000トン燃焼している熱量に相当する。

私たちも、太陽の熱・光のエネルギーを、体内外に受けているが、体温は自分自身の内部から発生している熱エネルギーである。地球も、大自然の法則通りの仕組みによって構成されている。

3、固体・液体・気体の三体

固体は、一定の形態を保ち、それを変形しようとする外力に対して、抵抗を有する特性を持っている。それは、期待や液体の比べて、引力が遥かに大きい為である。液体は、一定の形を保有しない。また、温度や圧力の変化に伴う、体積変化が小さい。体積変化が小さいことは、分子相互間の距離が極めて小さい為である。このことは、摂氏百度の水を同じ百度の水蒸気にするとき、その体積が約千七百倍となる事実を見てもよく分かる。気体は非常に大きい圧縮率を持っている。

常に与えられた空間に充満している。その性質はいずれの部分をとっても同一である。他の気体の充満する器の中に押し込めれば、よくそれと均一に混合する性質を持っている。物質によっては、固体・液体・気体に変化する。例えば、氷点下の水は凍って、固体となり、温度上昇に従って液体に循環し、温度を沸点まで上昇すると水蒸気となり、冷却されると再び水に循環される。

このように液体は、物理的化学的変化を与えることにより、固体にも気体にも変化する。これらの三体を大自然の陰中陽に代入すると、

(A)陽性は固体

(B)中性は液体

(C)陰性は気体
となる。液体は固体にもなり、気体にも変化する中間的な物質であるから中性と定めたのである。固体は、目で見ることが出来、また、分子間の引力が液体・気体と比べて遥かに強い集団で構成されており、陰陽的性格を持っている。気体は分子が個々の運動をしている集団であり、一つの気体を目視することが非常に難しい。この気体も周囲の温度の冷却・気圧の変化によっては液体となり、更に個体的変化を生ずる性格を持っており、固体・液体・気体は循環の法則を、具体的に示す良い実例である。気体は、陰性的性格を持っているので陰性と考えたのである。



4.液体の三性

液体は、一般的性質として温度・圧力等の変化によって固体化したり、気化する性質を持っているので中性と定めたが、この中性的液体も化学的性質で分類すると、酸性の強い液体・塩分の強い液体に分けると、酸性・中性・塩基性の三性になる。

(イ)陽性は酸性液体

(ロ)中性は中性液体

(ハ)陰性は塩基性液体


5、波動

静かな水面に石を落とす時は、その点より輪状の波紋が四方に伝播する。これは、水波である。

この時、水面に浮かぶ物は振動するのみで波と共に進行はしない。振動のエネルギーのみ進行する。波の進行方向に相隣れる点は、次々遅れた状態にある。弾性物質の一部に振動を与える場合にも、波の有様は四方に伝播する。

このような現象を波動という。

波動を伝播する物を媒質という。

音波・光波・電波等も波動の一種であり、空気は音波の媒質である。

私たちが日常使用している電球に交流の電気を流す時、50サイクルまたは60サイクルの波動によって一秒間に点滅回数が50または60回行われている。

私たちの眼は、残像という現象によって、前の光が残っている為、連続点灯されているような錯覚を起こしているのである。

私たちの生命現象も総て、波動によって続けられている。光も私たちの視覚と調和されなくては、物を見ることも出来ない。即ち、光と私たちの視覚の波動が調和されてこそ安定しているのである。

耳も視覚と音波の調和によって事象を判断することが出来るのであり、私たちの諸器官の作用は、総ての波動が調和されて完全である。


6、光の三原色

互いに余色をなす二種の色の光を混ぜると白色が得られる。また、赤・緑・藍の三色を適当の割合にして一箇所に集めても白色が得られる。

光の三原色のうち、赤と緑を混ぜると、赤の余色である紅が得られる。このように光も三種に分けられる。

(イ)陽性は赤色

(ロ)中性は緑色

(ハ)陰性は藍色


7、色の三原色

絵の具の色は、光と異なり、色光を出している場合は殆ど無い。

ある色の絵の具に含まれる白色の部分には、光を吸収して、その他の色の光を反射して出す為に、生ずるものがある。即ち吸収する色の光の余色を呈する。従って、絵の具の混合によって得られる色は、光の場合とは違うのである。

例えば、黄色と青の光は余色に近いから、これを混ぜると白っぽい色が得られるのであるが、絵の具の黄色と青を混ぜると緑色になる。それは、黄色の絵の具は青・藍・黄の光を吸収し、青色の絵の具は赤・橙・黄の光を吸収するので、二つを混ぜるとどちらにも吸収されない緑を反射するからである。

青・紅・黄の三原色の絵の具を、適当な割合で混ぜると任意の色が得られるから、これを色の三原色(青・紅・黄)という。この三原色は、光の三原色(赤・緑・藍)とは違う。

絵の具の三原色の青と紅を混ぜると藍が得られる。

紅と黄を混ぜると、赤が得られる。黄と青を混ぜると緑が得られる。

このことから、絵の具の原色は、丁度それぞれ光の三原色の余色になっている。

(イ)陽性は紅色

(ロ)中性は黄色

(ハ)陰性は青色

紅色は暖かさを感じ、炎のように陽性であり、黄色は中間色であり中性、青色は冷たさ・清浄さを感ずるので陰性と考えられる。


8、原子の三性

物質は、分子から構成され、分子は数個の原子から成立している。この原子は陽電子と中性子から成る原子核と、その周囲を回転する陰外電子からなっている。

電子の質量は極めて小さく、水素原子の質量等は1800分の一に過ぎない。

この電子は、陽電子を持った原子核との間の引力によって、その周囲に拘束され、安定な軌道を運動している。このような電子を束縛電子または軌道電子という。

陽電子から、陰外電子にエネルギーが流れると中性子は陽電子に変わり、陰外電子に作用して核と陰外電子が、調和されている時は、安定している。15ミリの飴玉を地球の表面に伸ばして約ピンポン玉位の大きさの物が原子の大きさである。

(イ)陰性は陰外電子

(ロ)中性は中性子

(ハ)陽性は陽電子

太陽系の惑星と同じ陽に、原子核を中心に陰外電子が運動を続けており、エネルギーをはらんでいる。


9、電気の三性

三相交流の場合、電気の流れは、陽性(+)より、陰性(-)に流れ、各相の中間は地中にアースされている。陰性・中性・陽性の極によって回路が成立している。

(イ)陽性は(+)

(ロ)中性は(N)

(ハ)陰性は(-)

大自然界の三体現象と同じように、電力も三性をもっており、電動機は三相電力を使っている。


10、細胞の三体

物質は原子から出来ているように、生物は生活体の最小単位である細胞から出来ており、細胞は原子から出来ている。

細胞を大別すると動物の場合、次のようになる。

(イ)原形質

(ロ)細胞質

(ハ)核

細胞質は一個の核があってその周囲には、ミトコンドリア・中心体・コルジ体・脂肪粒がある。

ゾウリ虫・アメーバー等の原生動物や藻類のうち、クロレラ・ミカバキモ等は、体が一個の細胞からなっていたり、ある藻類は四個、八個の少数細胞からなっているものもある。しかし、一般の動物・植物は多くの細胞の集まりから出来ている組織や、器官が組み合わさって一つの体を造っている。私たちの血球や生殖細胞の卵子や精子は遊離した一個の細胞である。皮膚や筋肉は、沢山の細胞が集まって出来ている組織であり、このような組織が組み合っていろいろな諸器官が出来ている。細胞の大きさは生物の種類によって異なるが、同じ生物でも体の部分によってはその大きさが異なる。

私たちの体を造っている細胞の中でも、卵細胞は直径230ミクロンで、最も小さい細胞は6ミクロン位で、平均17ミクロン位の大きさである。細胞の形は、卵細胞は球形、神経細胞は糸状、白血球は無定形であり、いろいろな種類がある。細胞は、生物や組織の種類によって色素体・液胞・中心体等がある。それぞれの細胞は、特別な機能を持っており、細胞器官と呼ばれている。

ミトコンドリアの顆粒には、細胞が呼吸するのに必要な酵素があり、細胞が生活に使うエネルギーを生み出している。

細胞は、その分裂によって一個より二個またはそれ以上の細胞になり、細胞分裂は、一般に核分裂から始まる。生物は受精した卵細胞から始まって、一生を終わるまでの間、常に体の何処かで細胞分裂を続けていき、細胞は核が死ぬと総ての機能が停止する。

生物と物質の相違は、大自然のエネルギーを自分の意思によって吸収して成長するか、しないかである。

物質は物理的化学的外力によって、含有する相対的なエネルギーを出すことである。生命は、物質を支配しており、物質は肉体・生命の保存上に欠くことのできないものである。生物も、物質も共にエネルギーをはらんでおり、大自然界において循環し、生命も物質もまた意識(心)即ち精神的作用も物質科学も根本は一体である。


11、私たちの三体

私たちは大自然の中に生存し、時間と空間のある現世において、肉体的に生と死の循環を繰り返している。物質は時間と空間に影響を受け、私たちの生命(意識・魂)は、現世の時間空間を超越して、転生輪廻の法則の中で保存されていく。私たちの考えるエネルギーは、物を造り物質の如何なるエネルギーをも支配することが出来る莫大なエネルギーである。

E=∞ エネルギーは無限大の大宇宙生命に調和することが出来る。

物質のエネルギーは相対性理論により、現世の時間と空間及び地球上の制約を受けて、E=MC2であり、光の二乗で計算される。

私たちの理性・品性・教養・徳を兼ね備えた誠実な人間は総ての支配者である。私たちを大別すると次のようになる。

(イ)陽性 肉体(原子細胞)

(ロ)中性 指導生命(意識は霊子)又(過去世の生命即ち守護・指導霊)潜在

意識の90%

(ハ)陰性 生命(意識は霊子)(魂又は意識)表面意識の10%

この三性が調和してこそ、立派な人間として、社会の調和を実現していくことが出来るのである。肉体は両親の先天的・後天的因果の結晶体であり、現象界で人生航路の修行を目的として、与えられた生命の舟であり、生命流転の修行船である。指導生命は守護・指導をする次元の異なる霊人であり、現象界の師匠である。

肉体は、現象界において生命を確認する代名詞であり、目視することが出来る為、陽性と考えられる。

生命は、その人の意識(魂)智徳であり、肉体的現象によって示されたあらゆる業績であり、客観的な姿であり、陰性と考えられる。

指導生命は、肉体生命の指導者であり、その人間の意思と大宇宙生命本体の意思を調和させる為の霊人であり、左右に片寄らない真理を守る中道的生命であるから中性と考えられる。

指導生命は、その人々の生命修養の段階によって、上段階の霊人から、下段階の霊人と千差万物である。(殆ど自分の過去世の生命である)

如何なる諸問題に関しても、指導生命が決定を下すことは出来ないので、小宇宙生命即ち私たちの魂の意思によって、総ての行動が決定されるのである。守護・指導霊が決定することは出来ない。

死後の世界においては、

(イ)陽性 生命(意識は霊子) 潜在意識の約10%

(ロ)中性 指導生命(意識は霊子)(過去世の意識の連帯者) 表面意識の 

約90%

(ハ)陰性 肉体(光子細胞)

生命は、意識界に入って、自分自体の表面意識が90%と潜在意識が10%となり、陽性に変わり、指導生命は現象界と変わらない生命で中性と考えられる。現象界の肉体は物質界に置き去り、生命の流転に持ち歩くことが出来ない。あの世の肉体は、自分の意識が支配する更に精妙な肉体を造りだすことが出来るが、光子細胞故に現象界においては陰性と考えられる。

このように、私たちは三体によって人格を形成し、過去世・現世・来世と循環が続けられていく小宇宙生命体なのである。


12、三世の流転

生命の流転は永遠に続き極限が無い。大自然界における春夏秋冬のリズムも、昼夜のリズムも何万年と繰り返されてきたのであり、生命も滅することなく保存されてきた。何万年もの間には地磁気の波動により、幾多の天変地変を経て、現代文明が発達してきた。歴史的にはエジプト・インド・インカの全盛時代から、現代は東京・北京・パリ・ロンドン・モスクワ・ニューヨーク・ワシントンのように文明の中心は北側に移って来たのであり、太陽と地球の関係によって、気候の変化が人類の文明度に影響してくる。

私たちの生命は、人体に入る前から、魂の修行を積んでいるのであり、人体に入ると共に、過去の修行は意識の中に隠されて、五官の抵抗の中で、新たに魂を磨く為、現象界に生まれて来たのである。人生航路を、肉体と共に航海し、苦楽の修行が続き、来世へと循環されて行く。肉体とは異なり魂の流転である。

(イ)過去世

(ロ)現世

(ハ)来世

総てが神の意思によって、万物が使命を帯びて過去から現代へ、現代から来世へと流転し進化を続けている。


13、世界の人類

現象界に生存している私たちは、人類の差別無く平等に大自然の慈悲の中で、生活を営んでいる。然るに人類は、文明の尺度や経済的尺度または皮膚の色によって、人間自身が不平等な差別意識を持ち、敢然と対立意識を造りだしている。神は平等に、現象界へ使命を与えて、生存を許している。差別待遇の最も大きな問題は、人種問題である。

この人種も大別すると、白色・黄色・黒色人種となるが、知能・気質・性格のような精神的特徴の点で、人種間に差があるということは理論的には証明されていない。また、異なった人種間の混血、それ自体が生物学的に悪い結果を生むという正確な証拠が無いのである。

人種は生物学的に扱われるべきである。

多くの人は人種という言葉を国籍、地域、宗教、言語等文化を等しくする人間を誤って、人種と呼んでいる。日本人は国籍を同じくする国民であり、ユダヤ人はユダヤ教徒であって、日本人もユダヤ人も人種とは言えないのである。

人種に関する誤った考え方は、歴史的に見ても恐ろしい闘争を繰り返してきた。このように、地球上の人種も、皮膚の色のみで白色・黄色・黒色の三人種に区別されても、人間的には相違が無い。自我我欲を捨て、同じ人間同士として平和な社会建設のため、専念することが神への報恩であり、宗教でも、思想でもない、人種でもない、神の子として、平等に生活をすることである。

大自然の三体現象を人心開発の根本として、過去の聖人君子は哲学的に真理を解明してきたのである。

「智・情・意」の真理も、「真・善・美」の解明についても、「天・地・人」と自然の哲理を説いてきたのである。しかし、時代の進歩と文明の変化のよって「美・利・善」とその説き方も変わって来たのである。

現代社会における真の幸福は、精神的・肉体的・経済的の三要素を充実することによって得られるものである。

それは真の正法による、自我我欲を捨て、徳を施し、万物を独占せず、他人に大善を尽くすことこそ神への報恩の生活である。

人類の幸福は、人類自身が分かち合うことにより、平和がある。平和な生活は、理屈ではなく神意である。

大自然界は、「大宇宙生命と、私たち生命の波動が調和されるには、正法を悟り、自分自身の一念力による実行努力が総てを解決する。」ということを教えている。

エネルギー恒存も、物質の質量不変説も、また生命不変の輪廻も大自然の波動である。私たちの日常欠くことの出来ない数も、極大から極小まで限界無く組み立てられていく。この数も、大自然の三体現象に代入してみると波動の近似値を知ることが出来るのである。


14、数と波動

数は私たちの日常生活から切り離すことは不可能である。軽量・測量総て日常に密着されており、生活に基準となっている。

万物の諸現象も数によって示され、私たちは納得することが出来る。数も大自然の真理を教えており、不変妥当性であり、欠く事が出来ない。そのため、人類が何処に行っても通用する唯一の通達法である。この数を、大自然の法則に代入して考えると、私たちの波動がどのように変化してくるか予測することが出来るのである。

(A)変化数

大自然界の万物は大別して三体三性に区分される。この三体三性は物理的・化学的・心理的・霊的にそれぞれが組み合って変化する。そして相互関係も持っている。このように「3」の組み合わせは、あらゆる諸現象によって変わるので「変化数」と言う。

(B)基本数

大自然は陰陽中間的因子によって安定を保っている。この順位を1・2・3に分類し、万物の基準として考える。

陰性・中性・陽性の三性に数を代入すると、月は陰性で地球を中心に運動を続けており、「1」のグループと考える。

地球は太陽と月の中間的存在であり、中性と考えられ「2」のグループに定める。

太陽はエネルギーの源であり、地球は太陽の惑星として、三番目に当たる居住遊星である。この太陽を陽性と考える。「3」は陽性のグループとして1・2との関係が強い位置を占めている。1・2・3を基本数と言う。


(C)根本数

数の基本数1・2・3を延長していけば、数は無限大に伸びていく。

どんな大きな桁の数も、単数の総和を出すと一桁の数になる。

この一桁の数を根本数と言う。

1・2・3・4・5・6・7・8・9を根本数といい、この組み合わせによって電子計算機も出来ている。

例題→67の場合は6+7=13、13→1+3=4・・・・・・根本数4

108の場合は1+0+8=9・・・・・・・・・・根本数9

1960の場合は1+9+6+0=16、16→1+6=7・・・・根本数7

太陽系惑星・・・・・・9星

人体の関節・・・・・・108=9

三角形の角度の総和・・・180度=9

四角形の角度の総和・・・360度=9

根本数の最高は9であり、二桁以上の数は、その数を逆にして引いた差の単数の和は9になる。

例題→96-69=27。27→2+7=9

561-165=396。3+9+6=18.。18→1+8=9


15、数の組み合わせ

基本数1・2・3にそれぞれ変化数3を加算すると、1の組・2の組・3の組に分類され、この三組の基本数に、変化数を加算し、二桁の数を根本数に直すと基本数に循環することになる。1の基本数に変化数3を加えると4になる。4の根本数に変化数3を加えると7になる。7の根本数に変化数3を加えると10になる。1+0=1となり、根本数は基本数に循環する。

2の基本数に変化数3を加えても、また、3の基本数に変化数3を加えれば、根本数は基本数に還ることになる。

大自然界の輪廻と変わるところが無く、この配列は不変妥当性を持っている。

各数の配列の縦線・斜線・横線の総和の根本数は、総て陽性であり、大自然界の神より与えられた太陽のエネルギーの源の姿である。

1の同属数(3を加え続けた数)は永遠に伸び続ける。2の同属数(3を加え続けた数)も、3の同属数(3を加え続けた数)もそれぞれ不変で循環をしている。


16、数と大自然

大自然界の陰性・中性・陽性を基本数に当てはめると、陰性に属する「1」の系列を1の同属数と呼び、中性に属する「2」の系列を2の同属数、陽性に属する「3」の系列を3の同属数と言う。

陰性「1」の同属数は、1(+)・4(N)・7(-)に分類されて陰性の性質を持っている。この中には更に(+)(N)(-)の性質を含んでいる為に記号を含めたものである。

中性「2」の同属数は、2(+)・5(N)・8(-)に分類されて、中性の性質を持っている。同属数の中にも位置のエネルギーの差があり、(+)(N)(-)の波動差がある。

陽性「3」の同属数は、3(+)・6(N)・9(-)であり、陽性の性質を含んでおり、同属の中でも位置のエネルギー差があり、(+)(N)(-)の波動差がある。

このように、大自然界の中に太陽があり、更に地球が存在し、その衛星として月が運動を続けている。地球の中にも分析すると陰性分・中性分・陽性分の含んだいろいろな物質が存在している。また、物質界の一部を分析しても、やはり陰中陽に分類することになる。当然、陰性分に中にも、更にその強弱即ち波動差の生ずることは、大自然の理法であり仕組みである。


17、生年月日の秘密

私たちの肉体は、両親の先天的・後天的因果によって、母親の排卵と父親の精子の結合によって、神より生命を与えられ、胎児の第一歩が始まる。

小宇宙である私たちに春夏秋冬のスタートである。受胎はその小宇宙の春であり、大自然界における、陽春の環境に若芽の出るが如く、生命の躍動が始まる。胎児は、母親のエネルギーを吸収して、細胞分裂を生じ、五体は形付けられ、大自然界の植物も、太陽のエネルギーを吸収するように、地中母体のエネルギーを吸収して、細胞分裂は活発化し、生長を続けていくのである。

胎児も小宇宙の春は過ぎ、夏の季節に入って行き、受胎後六ヶ月となり、五体の諸器官は完成されていく。

植物は、二酸化炭素と強い光のエネルギーによって澱粉・脂肪・蛋白質・その他の有機物質を造り出し、実りの秋を迎える。私たちの生命も、このような大自然の波動と調和しつつ、九ヶ月目に胎児は母体より、現世に生まれて来るのである。植物は秋の収穫時には、地中に果実と共に眠り、再び地上界に成育するリズムの到来を待ち、寒い冬を迎えるのである。

乳児も、その生まれた現世に位置は、冬のリズムで、自分自身の意思はない不自由な姿であり、生命保存に対して、最も不安定なシーズンである。

この現世に生まれた位置は、私たちに人生航路波動の決定的瞬間であり、最も重要な意味を持っている。即ち、生年月日の生まれた年は、その年の太陽の位置のエネルギーを示している。

生まれた月は、地球を中心に運動している、その月の位置のエネルギーを示している。

生まれた日は、その日の地球の位置のエネルギーを示している。

大自然界と私たちはあらゆる関連によって結ばれている。三体性も私たちの将来に起こり得る現象の近似値を見付け出す為の説明であり、真理と科学との一致を見出す為である。

私たちの絶対位置である生年月日と春夏秋冬の波動が組み立てられて、人生航路の波動を見出すことが出来るのである。

自分自身の絶対位置と自分以外の絶対位置を総合して、人生航路の波動を知ることが出来るのである。

しかし、人生航路の波動を自分自身が確認しても、自分自身の一念力と実行力を無視してはならない。危ない波動を知ったなら、自分自身の進路を誤らないように気をつけて進まなくてはならない。大自然の真理を悟れば、自らの肉体生命を神の光によって保護され、霊感によってあらゆる事象を未然に知ることが出来る。しかし、肉体人間は五感の作用によって自然のリズムを外すことが多い。その為には自分自身の日常生活を反省し、二度と間違いを繰り返さない生活を続けていくならば、人生航路を平穏無事に過ごすことが出来る。

第3章 波動の法則

私たちの過去・現在・未来の盛衰を生年月日によって具体的に知り、人生航路を科学的に霊的に調整して行く事が幸福な人生を送る第一歩である。

私たちは生まれながらにして、自分の生涯の波動を持っている。その波動は次の方法によって示される。

法則(1)

(生年月日の陰・中・陽)

根本数を陽性・中性・陰性に区分して、太陽・月・地球の位置のエネルギーとして考え、循環してくるその年月日のエネルギーの波動を比較対象して決定する。

この組み合わせをトランスのエネルギー方式に考えてみると、生命力の波動が具体的に示される。

私たちに意識より与えられた考えるエネルギーは、脳電流に関連しており、脳波という波動が生じる。脳波は電気的現象であり、考える時は、一つの複雑なトランスと考えられる。

生命の流転の経過に積み重ねた過去のカルマ、また、後天的のカルマと肉体の持つ先天的、後天的因果による内部抵抗があるため、100%の生命力を発揮することが出来ないのである。

この問題は自分の波動を調和する以外に方法は無い。

(1)生れ年の根本数と陰・中・陽

世界各国の年号を一つに統一して、その年の太陽の黄道のポテンシャル・エネルギーを決定する。

例題→西暦1946年の根本数は、1+9+4+6=20、20→2+0=2となる

2は中性(+)である。昭和21年(1946年)は2中性(+)という太陽の

位置のエネルギーを持っていると定める。

*昭和は根本数から「1」を引く。大正は根本数に「3」を加える。明治は根本数に「4」を加える。年代の根本数を調整すると西暦の根本数も日本の皇紀の根本数も全部同じ太陽の位置のエネルギーとなる。

(2)生れ月の根本数と陰・中・陽

生れ月の根本数はその時における月の位置のエネルギーと考える。

例題→2月生れは2中(+)の月の位置と考えられる。6月生れは6陽(N)の月 の位置と考えられる。10月生れは1陰(+)の月の位置と考えられる。

*1月は1陰(+)。2月は2中(+)。3月は3陽(+)。4月は4陰(N)。5月は5中(N)。6月は陽(N)。7月は陰(-)。8月は中(-)。9月は陽(-)。10月は陰(+)。11月は2中(+)。12月は3陽(+)となる。

(3)生れ日の根本数と陰・中・陽

生れ日はその時の地球の位置のエネルギーと考えられる。

例題→25日生れの地球の位置のエネルギーは25→2+5=7となり、7陰(-)の位置と考えられる。

*1,10、19,28→陰性(+)

2,11,20,29→中性(+)

3,12,21,30→陽性(+)

4,13,22,31→陰性(N)

5,14,23、→中性(N)

6,15、24→陽性(N)

7,16,25→陰性(-)

8,17,26→中性(-)

9,18,27→陽性(-)

例題→大正8年9月23日の陰・中・陽

大正は根本数に3を加える。8+3=11→1+1=2。すなわち2中性(+)

という太陽の位置を示す。

9月は9陽性(-)という月の位置を示す。

23日→2+3=5であり、5中性(N)という地球の位置を示す。

この人は次のような位置を持っている。

年は2中性(+)、月は9陽性(-)、日は5中性(N)となる。

例題→昭和16年4月8日(1941年4月8日)生の陰・中・陽

昭和は根本数(1~9)から1を引く。昭和16年であるから1+6=7。

7-1=6となり、6陽性(N)という太陽の位置を示す。

4月の根本数は4であり、4陰性(N)という月の位置を示す。

8日の根本数は8であり、8中性(-)という地球の位置を示す。

この生れの人は、年は6陽(N)、月は4陰(N),、日は8中(-)である。

例題→西暦1927年2月9日生の陰・中・陽

西暦1927年の根本数は、1+9+2+7=19。19→1+9=10。

10→1+0=1であり、1陰性(+)という太陽の位置を示す。

2月の根本数は2であり、2中性(+)という月の位置を示す。

9日の根本数は9であり、9陽性(-)の地球の位置を示す。

この生れの人は、年は1陰(+)、月は2中(+)、日は9陽(-)である。


法則(2)

(私たちの生年月日の春夏秋冬)

私たちは小宇宙であり、大宇宙現象界の波動の影響を受ける。

生れ月は、現世における慈悲を受けていない時であり、始めて大自然に肉体生命の実在を示し、人生航路の第一歩である。

母体内で春夏秋冬の九ヶ月を経て、小宇宙の第一歩は、冬のリズムに入る。

即ち大自然現象界に、魂の修行を目的として、修養道場入門の新入生である。この三ヶ月は、自分の意思を持たず、神の意思によって母体からのエネルギーを吸収し、また、その他の栄養分で、生長を続ける。

生後三ヶ月を過ごした乳児は、体もしっかりとして感情を示すようになる。

この生後三ヶ月は、私たちの一生に色々な変化を起こす時である。私たちは、赤信号を使って、あらゆる事象に注意を喚起する。

(イ)冬のリズム赤信号

凍結している大地に草木は繁茂しない。私たちの日常生活の中にも思わしくない諸問題が発生する時である。このような時に、悪い原因を造らないことが必要である。新しいことは一切慎むことである。今までのことは実行するように勤めることである。新築・増築・見合い・就職・開店・新たな取引等、将来の暗雲を示している。学校の成績等も一年を通じて、余りよくない時である。また、思いがけない病気等に見舞われ入院等の現象が生ずる。

従来から行って来ていることは、良いのであるから、無理をしない生活が必要である。運が悪いと嘆く人は、このような月に原因・結果を現わしている。

自分のリズムを知ることである。

(ロ)春夏のリズム青信号

春の訪れは、私たち小宇宙にも救いが与えられている。大自然界の春は、若芽の成長によってやがて花が咲き、蜂や蝶の天国が再現される。

この春は、青信号と名付けられる。私たちの魂が躍動する時である。

新しい計画・就職・移転・開店・見合い・交際・取引・旅行・結婚等、総てに良い結果を生ずる時である。しかし、赤信号の冬に悪い原因を造れば結果となって現象が生ずる。

青信号の時には、少しくらいの難題も解決される。循環してくる年の波動と自分の生れ年の波動によっても違うので、法則(1)と法則(2)の相互関係を研究することである。大自然の春夏は、大自然界が賑やかになるシーズンである。

若葉は、強い太陽のエネルギーを吸収し、緑は大自然を覆う。万物の生命は躍動し、子孫保存の本能に燃えている時である。蝶や蜜蜂等の媒介や自然の風雨によって、草花は実を結ぶ時が来たのである。

(ハ)秋のリズム黄信号

やがて、秋の訪れである。秋は収穫のシーズンであり、私たちは黄信号と言っている。黄信号(秋のシーズン)は、今までの結果を出す時であり、新たに種を蒔く時ではない。また、冬の準備をする時でもある。私たちの波動も、大自然と変わってはいない。

大自然界の春夏秋冬は、各国それぞれ地球・太陽の自転・公転によって異なる。私たちも、この世に生を受けたその瞬間から、私たち自身の春夏秋冬がある。リズムの変転・波動の原理は少しも変わっていない。(波動の図示については、私の著書「誕生日占いー生年月日の波動と数意」を参照してください。)

例題→1月生れの春夏秋冬の波動

1陰(+) 4陰(N) 7陰(-) 10陰(+)の月は同属の反発を招きやす

い。

例題→5月生れの春夏秋冬の波動

5中(N) 8中(-) 11中(+) 2中(+)の月は同属数で反発が起こり

やすい。


法則(3)

(陰・中・陽の相互関係)

大自然界における現象が電気・磁気のように陰性分・中性分・陽性分、又は、N極・S極によって相互の変化が起こるように、私たちにも、大自然界と同じような変化が起こるのである。

私たちの体内に流れている血液も、血液型によっては受け付けない現象が起こる。

脳の電気的変化も物質と生命との差こそあっても、大自然の法則を無視して考えることは出来ない。私たちの考えるエネルギーは、教養・品性・徳及び環境とその目的によって、差異のあることは当然である。

感応力も人それぞれ異なり、その人の努力の一念の実行力によっても異なっている。大自然の三体現象を根本にした陰・中・陽も、陰性・陽性と中性と陽性・中性と陰性このように異性との変化が生ずる。

また、同性間の(+)(N)・(N)(-)・(+)(-)も位置のエネルギーと考えれば、物理的現象と同じような変化が起きる。

例題→物理的な電界について

帯電体の周囲において、電気力の作用する所を電界という。電気力は帯電体から、離れていても多少は作用する。

電界は無限の限界まで広がっており、電気力の作用は、距離の二乗に反比例して減るもので、帯電体の近くの部分だけである。

(+)と(+)の場合は反発し、(+)と(-)の電界は相互に引き合い、電界が強いことを示している。

例題→物理的磁界について

磁界にある、鉄粉は誘導によって磁界の方向に向き変えられ、互いに連なりあって多くの曲線を作る。この曲線を磁力線という。

磁力線は常にN極からS極に向かっている。同種の極から出た磁力線は互いに反発し、異なる極から出た磁力線は互いに引き合う。

例題→電動機(モーター)

モーターは電気エネルギーを磁石のエネルギーに変えて電動子を回転している。 電気エネルギーを供給しない限り、電動子は回転しない。電流が流れるとN極からS極へ、S極からN極へと回転する。N極とN極で停止している電動子も反発してS極に回転し、NS極へ循環されて行く。モーターもエネルギーの供給によって連動されるのであり、私たちの肉体も動物・植物・鉱物のエネルギーによって肉体生命を保っている。

以上のように、同性は反発し、異性は相吸引する姿が自然界である。

例題→雷雲

温度の上昇変化によって生ずる帯電した雷雲も、陽性(+)の電荷を帯びている所には、同性の電荷が集まっている。陰性(-)の電荷を帯電している場所は陰性のみが集まっている。風の外圧によって陰陽の電気が莫大なエネルギーと化すのである。

例題→蓄電池

希硫酸と鉛の格子によって、外装は絶縁物によって覆われている蓄電池も、一定電圧の直流を流して充電すると(+)(-)の電力を蓄えることが出来る。

(+)イオンは一箇所に集まり、(-)イオンは陰性の場所に集まっている。

(+)と(-)を負荷に接続すると電気エネルギーは光・熱・磁力等のエネルギーに変わっていく。

以上の物理的な例から見ても、私たちの生年月日の陰・中・陽もこの現象と同じような結果が起きる。それは、私たちの生年月日もその時の位置のエネルギーとして考えられるからである。

(法則3の1) 夫婦の場合

男女は陰陽自然の組み合わせであるが、各生年月日の陰・中・陽は同属でない方が良い。年の陰・中・陽、月の陰・中・陽、日の陰・中・陽がそれぞれ同属で無いことが理想である。

夫婦は互いにエネルギーの交渉を持つ。生れた年月日の陰・中・陽が同属で無い場合は、反発的現象は起こさない。但し陰陽同属の場合は、子供の年月日の陰・中・陽によって家庭の調和が図れる。

(法則3の2) 友人又は会社の場合

妻以外の交際者は、自分の生年月日の陰・中・陽が合致し、即ち同属の方が良い。肉体的エネルギーの交渉を持たないからである。丁度同性の電荷を帯電している雷雲のように、バッテリーの(+)(-)のように、同属同志の集まりは安定している。会社の上役との関係も同じ結果になる。

(法則3の3) 循環してくる月日

私たちの生年月日の陰・中・陽と循環してくる年月日の陰中・陽は同属で無い場合が良い。同属であると反発現象が起こり易いからである。今までのあらゆる不運な人々の現象を見ると、100%結果は合致している。不幸な結果は必ず自分の生年月日の陰・中・陽の波動と合致している。


第4章 自分の波動を知る法

(1)自分の生年月日の陰性・中性・陽性を確認する。

(2)自分の春夏秋冬の赤信号・黄信号・青信号を確認する。


同じ生年月日の人は世界中に沢山いるが、全員が同じリズムとは限らない。

つまり生れた時間を入れてないからである。時間の何分何秒が必要であるが、そこまでは確認できないからである。そこで、自分ひとりで生れてきたのではないことに気付き、両親や兄弟や子供の生年月日との関係を確認にすれば、正確な判断が出来る。家庭の一人に不幸が起これば、家族全員が不幸な要素を持っているのである。家族の不幸は、家族全員の最も悪い一日か、月か、年の波動に現われてくる。それゆえに、最も起こりうる一日を警戒することによって、災難から免れることが出来る。

波動による日常生活が異なるのは、家族環境と過去世のカルマによって違うことを記しておく。また、自分自身の波動も近似値にしかすぎない。それは、自分自身の努力によっても、また人生航路上の諸現象の結果によっても、転換するからである。電子計算機の原理や大自然の三体性を考えるとこのような現象が結果として出てきたのである。

例題→昭和2年9月6日の波動を求める。

この人の陰中陽を定める。

昭和2年(1927年)の根本数は、2-(1)=1。(又は、1+9+2+7=19→

1+9=10→1+0=1)

生れ年は1陰性(+)の太陽の位置のエネルギーを持っている。

月は9月で、根本数は9である。生まれ月9は、陽性(-)の月のエネルギーを持っている。

日は6日で根本数は6である。生れ日は6陽性(N)の地球の位置のエネルギーを持っている。

1陰性(+)の年の位置と、9陽性(-)は位置の差が大きい。(+)と(-)を持っているから、生命力の強い人であり、人の上に立つ生命力を持っている。

例題→アイゼンハワー元米国大統領(1890年10月14日生)

9陽性(-) 1陰性(+) 5中性(N)

ドゴール・フランス元大統領(1890年11月12日生)

9陽性(-) 2中性(+) 3陽性(+)

指導者的人物に多い(+)(-)が生年月日に含まれている人は、生命 

力は強いが盛衰の変化も多いことになる。


1陰性(+)・9陽性(-)・6陽性(N)の年の波動と月の波動と日の波動は、次の通りである。(図示できないので図示は私の著書「誕生日占いー生年月日の波動と数意」を参照してください。)

(生年1陰性(+)の波動)

波動の弱い年→昭和11年、12年、13年、20年、21年、22年、29年、30

年、31年、38年、39年、40年、47年、48年、49年、56 

年、57年、58年、平成2年、3年、4年、11年、12年、13

年、20年、21年、22年

転換の年→昭和14年、23年、32年、41年、50年、59年、平成5年、14年

23年

波動の強い年→昭和15年、16年、24年、25年、33年、34年、42年、43

年、51年、52年、60年、61年、平成6年、7年、14年、15

年、24年、25年

転換の年→昭和17年、26年、35年、44年、53年、62年、平成8年、17年

26年

変動の年→昭和18年、19年、27年、28年、36年、37年、45年、46年、

54年、55年、63年、平成1年、9年、10年、18年、19年、27年

28年

(生月9陽性(-)の波動)

波動の弱い月→9月、10月、11月

同属転換の月→12月

強い波動の月→1月、2月、4月

同属転換の月→3月

変動の月→5月、7月、8月

同属転換の月→6月

*9月生れの人は8月・9月・10月・11月頃には体に故障が生じたり、思いがけない問題が起こったり、余り良くない結果が出る時である。このようなときには見合い、新しい取引、移転、就職その他一切を青信号まで見送ることが懸命である。12月の入れば、今までの暗雲も晴れて上昇運に乗る月である。青信号の中でも同属の月3月は変化が起こるので、慢心してはならない。4月の入学の友達とは非常に縁が深い人々が多い。強いリズムの月に自分の目的に対し、一念力のエネルギーを燃やして、努力・実行して弱いリズムのつきを乗り切るような波動を自分自身で造り上げる生活こそ成功の秘訣である。

黄信号の月は、収穫の月であるが、大自然界と同じ台風現象の起きる時である。幸、不幸が突然起きる月であり、用心して生活することが大切である。この月に病気すると、永引く場合が多い。特に波動の弱い年は注意しなければならない。自分の身近な親子・兄弟のリズムの強い時に突発的な災害は起こらない。家族が悪い波動の重なった場合に起きるので、注意することが必要である。

(生日6陽性(N)の波動)

波動の弱い日→6,7,8,15、16、17,24,25,26日

転換の日→9、18、27日

波動の強い日→1、2、10、11、19、20、28、29日

転換の日→3、12、21、30日

変動の日→4、5、13、14、22、23、31日

*生れた日の波動は自分の年・月・日の陰中陽が同属の場合は、特に反発的現象が生ずる場合が多い。このような時に、風邪を引いたり思わぬ事故が起きる時である。変動の波動や弱い波動の日と、弱い波動の月、弱い波動の年が重なった日は一日の行動に注意して暮らすことが大切である。自分の波動を知った場合において、自分自身が波動に支配されるようではいけない。波動の良否に拘わらず、自分自身の意識の中に強い波動の支配力を持つことが必要である。

第5章 生命力と波動

私たちが小学校に入学した時は、殆ど同じ考え方をしていた友達も、学校を卒業する頃には人間的に常識も発達してくる。更に中学校に入り、上級学校に進むに従って、人それぞれの道も、考え方もその差を開いていく。社会人として人生航路の荒波にもまれるに従って、その人々の努力と実行の差は開いていく一方である。同じ会社に勤めていても、10年、20年と経過していくうちに、社長になる者と相変わらず下級幹部でいる者もいる。実力と環境がその社会にあっていたから差が出来たのである。しかし、人の上に立つ人間と、参謀的な人間等それぞれ目的の仕事に向いた生命力がある。

(1)陰・中・陽の生命力を持っている場合

この位置のエネルギーを持っている人々は、生命力が強大である。

自分の意思が強く、性格は孤独な人が多い。それは自己主張が強いからである。事故やその他で奇跡を起こす人も多い。それは生命力が強いからである。

政治家に多いタイプであり、指導者になる生命力を持っている。弁護士、検事、判事、組織の指導者に適している。

生命力が強い為に、目上の人との意見が食い違いを起こす場合が多いから、円満な人格を造ることによって偉大な人物になる生命力を持っている。

アイゼンハウァー(1890年10月14日)→9陽(-) 1陰(+) 5中(N)

アインシュタイン(1879年3月14日)→7陰(-) 3陽(+) 5中(N)

ニクソン大統領(1913年1月9日)→5中(N) 1陰(+) 9陽(-)

吉田松陰(1830年8月4日)→3陽(+) 8中(-) 4陰(N)

生年月日に陰性・中性・陽性の三性の位置を持って、更に(+)(-)(N)の位置で生れた人々である。(私は大物と呼んでいる。)

(2)同属の中に(-)と(+)又は異属の(N)の生命力を持っている場合

生年月日の各根本数に9陽(-)・8中(-)・7陰(-)のいずれかを含み、(+)又は(N)の組み合わせによる位置を持っている人は実行力があり、社会的に名声を挙げ、立身出世する人が多い。政治家・実業家に多い。

南原繁東大学長(明治22年9月5日)→8中(-) 9陽(-) 5中(N)

佐藤栄作(1901年3月9日)→2中(+) 3陽(+) 9陽(-)

五島慶太(明治15年4月18日)→1陰(+) 4陰(N) 9陽(-)

吉田茂(1878年9月22日)→6陽(N) 9陽(-) 4陰(N)

マッカーサー元帥(1880年1月26日)→8中(-) 1陰(+) 8中(-)

毛沢東(1893年11月26日)→3陽(+) 2中(+) 8中(-)

ドゴール大統領(1890年11月12日)→9陽(-) 2中(+) 3陽(+)


(3)一般的な生命力の場合

生年月日の陰陽のバランスが取れている人々で、盛衰の変化が少ない人々であり、努力しだいで安定した環境の中で平穏な生活のできる生命力である。

人望を集めて人の上に立ち、自分の意思により人の意見の上に自分の行動を律する人々であり、徳望家である。学者・医者・技術者・実業家等が良い。

鳩山一郎(1883年1月1日)→2中(+) 1陰(+) 1陰(+)

広川弘禅(1902年3月31日)→3陽(+) 3陽(+) 4陰(N)

金田一京助(1882年5月5日)→1陰(+) 5中(N) 5中(N)

松永安左衛門(明治18年12月1日)→3陽(+) 3陽(+) 1陰(+)


(4)同属の位置を持っている生命力の場合

生年月日の根本数が同属同性である生命力は、幼少時代に体の弱い人や、両親に縁の薄い人が多い。同性の生年月日を持っている人々は、頭の良い人たちが多く、同属同性の中に(+)(-)の位置を持っている人は、社会的にも名声を挙げる人が多い。強い意思と実行力で努力すれば、必ず成功する。変わり者扱いされる人が多い。芸術家・医学者・科学者・学者等が良い。

例→9陽(-) 3陽(+) 6陽(N)

8中(-) 5中(N) 5中(N)

8中(-) 2中(+) 2中(+)

9陽(-) 3陽(+) 3陽(+)

3陽(+) 3陽(+) 9陽(-)

6陽(N) 3陽(+) 9陽(-)

6陽(N) 3陽(+) 3陽(+)

7陰(-) 1陰(+) 1陰(+)

7陰(-) 7陰(-) 7陰(-)

1陰(+) 1陰(+) 1陰(+)

2中(+) 2中(+) 2中(+)

3陽(+) 3陽(+) 3陽(+)

同属の(+)と(-)又は(N)を持っている生命力は実業家として大成する人がある。


第6章 家族の波動

家族の構成は、殆ど肉身によって造られている場合が多い。それは、過去世における因縁による場合が多い。俗に言う仏縁というものである。

欲心の深い家族は必ず破滅する。家族の幸福は、精神面において親和力を持ち、他人に対して慈悲心を持ち、自分の魂の過去世に感謝し先祖や両親を敬い、このような家は笑いの絶えない家庭であり、明るい想念が満ち満ちている家族は、病魔に襲われず、肉体的にも、経済的にも、不安の無い家庭が築かれていく。心に欲心を持ち、人の幸福を妬み、不幸を喜び、一時の栄華に自己慢心し、先祖両親に対しても敬いの念はなく、自分自身の欲望を求めている家庭は、必ず精神的な安らぎを得ることは出来ない。大自然の万物を独占するような人は悪魔であり、必ず破滅を免れない。神は万物を平等に与えている。互いに報恩の心を持ち、互いに慈悲心を施しあわなくてはならない。

いかに波動の組み合わせが良くても、人の道を踏み外せば、不幸は訪れる。波動の組み合わせがあまり良くなくても、それぞれ神より与えられた使命であり、魂を修養するための修練場と自覚し、正しいく明るい家庭を造るために努力し、実行することが幸福を得る結果となる。

(1)子供は両親の波動を受ける

父親が3陽(+)即ち3月に生れた場合に、子供は3月、6月、9月12月の陽性で同属に生れてくることが多い。

年・日の根本数が同属の場合を含めて性格は父親に似ているものである。

この場合、陽性に拘わらず陰性・中性でも同属の場合は同じ結果になる。

母親が1陰性(+)即ち1月に生れた場合に、子供は1月、4月、7月、10月の陰性の同属で生れてくる場合が多い。

年・月・日の根本数が同属の場合を含めて性格は母親に似ているものである。

父母以外に祖父母系の波動に似る場合もある。

例題→父親(昭和3年6月3日生)、母親(昭和7年1月5日生)、長男(昭和31年10月11日生)、長女(昭和33年5月6日生)、次男(昭和35年11月4日生)の家庭の組み合わせを考えてみる。

長男は母親の生年月日の陰中陽が同属であるから性格は母系である。長男が将来家を見るようになり、次男は分家に出ることになる。長女は父親の生れ年と同属で、生れた日が同属であるから、父親の性格に似ている。次男は両親とも合致していない。祖父母系である。

長男と長女は性格が違う為、意見が合わない点があり、長女と次男は性格があっている。長男は陰・中・陽全部の波動を持っているからワンマン的性格がある。長女は中性分の強い波動を持っているから協調的性格である。長女は母親の胎教のよい時に生れている。それは、母体の春、青信号の波動を示しているからである。

母親は1,2,3,4、月まで冬の赤信号で、5,6,7,8,9月までは青信号

の強い時であるから安産であった。

家庭内において、母親が青信号の時、父親が赤信号というような組み合わせが理想である。一戸の家庭に誰か青信号の強い波動を持っている人がいれば、非常に良い組み合わせである。

この家庭は、長男が青信号の時に、母親が赤信号となっているから良いのである。長女と父親ハ赤信号が重なる。このような時には父親と長女が一所に旅行等をすることは避けることである。

常に青信号の家族がいることは幸福である。一般的に母親の青信号の時に生れる子供は胎教が良く、赤信号の場合は胎教が悪い。

そのため、小児麻痺、その他の奇病の子供を持っている母親は赤信号で子供が生れている場合が多い。

勿論、正しい心を持って生活している母親は赤信号であっても悪いということは無い。

(2)平穏な家庭の波動

平穏な家庭とは、生年月日の波動の組み合わせによって、構成された姿をいう。私たちはあらゆる波動を知らなくては正しい将来の進路を見出すことが難しい。大自然の春夏秋冬と同じ陽に私たちにもその法則が適応される。

例題→親子4人の波動を考える。父親(3陽(+)・1陰(+)・9陽(-))の年月日の位置を持っている。(+)(-)を持っているから生命力は強い方である。人の上に立つことの出来る方でもある。母親(7陰(-)・6陽(N)・5中(N))の年月日の位置を持っている。陰・中・陽の全部を持っているので性格的に強い方である。月に(N)と日に(N)がある為、調和性がある。長女(2中(+)・1陰(+)・5中(N))の年月日の位置を持っている。中性分が多い中に陰性(+)を持っているので調和が取れている。性格的にはおとなしい良い子で女性的である。両親とも調和されている。父親とは月が同属であり、母親とは日が同属である。

長男(6陽(N)・3陽(+)・5中(N))の年月日の位置を持っている。両親、長女とも調和が取れている。長女より強い性格を持っているが、姉弟は仲が良い。

(イ)年の波動

父親の弱い波動の年が32年、33年、34年であり、32年の時は母の波動が強く、34年には長女の波動が強いので、問題は33年は誰も波動が強くない為、問題の起こりやすいことを示している。

(ロ)月の波動

父親の赤信号の時、母親は黄信号に入る為、2月、3月は突発的な現象が生じやすい月である。父親は9月、10月は弱い波動になり、それをカバーする波動の強い者がいないので、問題の起こりやすい月となる。(家庭の場合は、中心になる人物の波動に影響を受ける場合が多い。)個人の弱い波動、赤信号の時には特に気をつけなくてはならない。

(ハ)日の波動

家族の生れ日のリズムは転換の日と7陰・2中が弱い波動の日である。(つまり、2日・11日・20日・29日及び7日・16日・25日が家族の波動が弱い日である。)年月日の三体の位置が弱い波動の時は特に警戒し、強いリズムの年月日に新築や見合い、移転その他の行事をすることが理想である。この家庭は家族全員が弱い波動に落ちこむことが無いので平穏な家庭である。

いかに良い波動によって合成された家庭であっても、報恩と慈悲の心を忘れては苦難が来る。人生航路は魂の修練道場であり、私利私欲に走ることを戒めている。

(3)変化の多い家族の波動

家族の波動が全部一致している家庭は、大自然生命本体より魂の修練を特に与えられていることを自覚し、弱い波動に打ち勝つための強い意思と努力によって、必ず神の光の保護を受けることが出来る。あくまでも、正しい目的のために一家族が一団となり、精神的調和を計る事が必要である。自らの一念力の想念で、正しい目的を達せられることを信じ、波動の弱い時には瞑想によって常に反省し、自分自体の一念で神の光を自分に与えることにより幸福が得られる。自分の意識即ち心で正法を悟り、自分の家庭及び自分自身を正しい神の光でカバーすることにより、光の保護を受けることが出来るのである。必ず幸福になるという自信を持つことである。自分自体が、自覚する以外には無いのである。不調和な組み合わせの家庭は、より良い魂を造るための修練場である。

例題→父(7陰(-)3陽(+)6陽(N))、母(7陰(-)3陽(+)6陽(N))、長男(1陰(+)2中(+)6陽(N))、長女(4陰(N)4陰(N)5中(N))

父と母は9歳違いで7陰(-)、月は同じく3陽(+)、生れ日は日違いの6陽(N)と年月日共に同属の位置に生れている。双子のような夫婦であり、このような夫婦は親の反対を押し切っても、結婚に踏み切る波動を持っている。

この夫婦と同じように、年月日のいずれかに同属の位置を持っている夫婦は、殆どが恋愛結婚に近い経過を辿る。逢引をしている間は良いのだが、家庭に入ると反発的現象が生じる場合が多い。生年月日の中に。同属の位置を持っている夫婦は、離婚率が高い。離婚は己の意識の中に黒い想念を生む。更に不幸になっていく。しかし、子供の生年月日によって夫婦の波動を正しい方向に持っていく場合が多い。また、同属同性の場合、心中するような現象が起こりやすい。

自殺等は人生の逃避であるが、来世に行って更に苦しみが倍加され、決して逃避にはならないことを悟らねばならない。地獄において魂を磨かねばならない。死は自らの意識によって自分の行為を裁かねばならない。地獄界・極楽界行きも自分自身が定めることになっている。生命は苦と楽の波浪の中で磨かれる。苦しみの後には楽が循環してくる。

年の波動は父・母は同じ年に弱い波動に見舞われ、特に昭和26年・27年・28年ハ変動期であり、長女の波動は上段に入り、強い波動に変わっている。

昭和30年・31年・39年・40年41年は良い波動を示している。長男は父母が下段に入り、弱い波動に移ると共に強い波動に入っている。このような時は、転換の年に特に悪い変動に注意することが必要である。

月の波動は、1・2・3・4・5・6月の前半は赤信号のリズムに重なっているから、体の状態が悪かったり、心配事の生ずる波動である。長女は母親の赤信号の波動に生まれていることは、胎教が悪く、難産の場合が多い。家の中で生ずる困難なことは、前半にあるから、強い青信号の月に家族が心を一つにして頑張ることにより、生活の向上が計れる。強い波動の月に良い原因を造り、弱い波動の月に結果の生れる生活が良い。如何なる苦楽も、神から与えられた試練であることを悟り、一家団結して自らを正しい想念の一念力で神にお祈り、神の光によって保護していただくことである。自分自身が与えられた弱い波動を強い意思によって、改めていくことである。赤信号の弱い波動のときは悪い原因を造らないように、保守して攻撃に出ない行動が理想である。真の正しい心の調和が出来ると、大自然界の意識即ち神仏に、波動が伝わり、困難な波動を自分自身の力で支配できることを忘れてはならない。

生れ日は殆ど同じ波動であり、5中(N)・6陽(N)・7陰(-)と同属の日は余り無謀な行動を慎むことである。

家庭内の波動の組み合わせは、一年を通して誰か青信号のリズムを持っているような姿が理想的である。波動が一致しているとどうしても弱い波動が一家を包んでしまう。また反発現象が起こる。

幸・不幸は自分が定めているのであり、魂の修練である。正しい反省の瞑想は、魂を磨き、人間性を高揚し、真の人間に成長していくものである。


第7章 男女の波動

現象界における肉体生命は魂修行の目的を達するために造られた仮の姿であり、魂流転の仮の宿である。男女の陰・陽の調和によって、中世として子供が生れ魂の宿(舟)を誕生させる。総て大自然生命本体より与えられている本能である。恋愛も結婚も因縁因果によって定められている。因縁因果によって、結ばれている男女自身が、自分自身の調和を忘れて、悩み苦しむことが多いのである。自我我欲が不調和を造り出すのであるから、自分の波動を知ることも調和を造るために良いことである。

(1)恋愛の波動

生年月日が同属の場合は、恋愛しやすい。例えば、9月生まれは9陽(-)だから、同属である3陽(+)、6陽(N)・9陽(-)12月は3陽(+)の為同属であり、調和しやすい。生れ日が10日だとすると1陰)+)であるから1日、4日、7日、10日即ち陰性の位置の波動を持っているため、意見が合うのである。

しかし、男女は陰・陽自然の波動の組み合わせであるkら、同じ年月日生まれ(同属の位置の波動)が結婚に結びつかないのである。つまり反発があるからである。

例題1 男女の生年月日と波動→男(6陽(N)・1陰(+)・2中(+)) 女(9陽(-)・10月の1陰(+)・5中(N))の場合は恋愛しやすいのである。

外で会っている時は良いのだが、家の中で同居すると反発を起こすからである。しかし、生年は陽(N)と(-)で、生月が1陰(+)と10月の1陰(+)で差があり、生日も中(N)と(+)の差があるから、救いがある。

盛衰の波動が男女同時期に来ると苦労する場合が多い。この組み合わせは、心中する男女が多いのである。この組み合わせに限って、冬の赤信号のリズムの弱い期間に交際を始めている場合が多い。恋愛の機会も生まれ月の春の青信号のリズムを選ぶべきである。

例題2 理想的な恋愛→男(9陽(-)・2中(+)・8中(-)) 女(4陰(N)・6陽(N)・4陰(N))の場合は、なかなか恋愛しにくい組み合わせである。このような場合は、生年が9陽(-)と4陰(N)の太陽の位置を持っており、陰・陽自然の姿である。生月の位置は2中(+)と6陽(N)で、中・陽自然の姿である。生日は地球の位置で8中(-)と4陰(N)で、自然の姿をしている。それゆえ、このような組み合わせは、恋愛から結婚へと進む理想的なリズムを持っている。

男性の弱い波動の時に、女性が強く、また女性の弱い波動の時に、男性が強いリズムを示しており、調和が取れている。

次の条件が備わった交際が良いのである。

1、春の青信号のリズムで交際を始めること。これは将来に幸福な結果が生れることを示している。

2、冬の赤信号のリズムで交際を始めないこと。特に女性は必要。

3、生年月日が男女陰陽自然の組み合わせを理想とすること。

4、年・月・日の波動が必ず合致しない組み合わせであること。(同属数でないこと)

5、男性の弱い波動のときに、女性の波動が強い組み合わせが良い。


(2)結婚と波動

結婚話が春のリズム青信号で来た場合は、非常に縁があることを示している。幸福になれるリズムである。逆に赤信号冬リズムの時に来る話は将来問題があることを示している。理想の時期は、春のリズム青信号で話を進めた場合が、まとまりやすい。この場合、女性の青信号を主体に考える。

自分の生年月日の陰・中・陽の組み合わせが、相手の生年月日の陰・中・陽と同属でない方が良い。夫婦は、調和する為にエネルギーの交渉があるので、陰陽、互いにバランスが取れている組み合わせが良いのである。また、年の位置・月の位置・日の位置が男女異なり、波動の上段と下段に別れていることが理想である。即ち、男性の波動が強い時に女性が弱く、女性の波動が強い時に、男性が弱い波動に位置するような組み合わせが良い。一年を通じて、家庭の中に常に男女いずれかの波動の強い方がいることが非常に良いのである。

トラブルは必ず、赤信号冬のリズムの時起こりやすい。

例題→男性(2中(+)・9陽(-)・3陰(+))女性(9陽(-)・2中(+)・5中(N)

女性の弱いリズムは9陽(-)、1陰(+)、2中(+)の年であり、男性も秋のリズムである。このような時は、不調和な結果が生れやすいので自我我欲を捨て神の光に満たされた生活をすることである。女性の強いリズムは4陰(N),、

5中(N)、6陽(N)、7陰(-)、8中(-)の年である。この年は男性も強い波動のなり、好調である。

月については、男性の波動の弱い時に女性の波動が強く、理想的である。

見合い・結婚の時期は、5中(N)、6陽(N)の月が最適である。女性としては1陰(+)、2中(+)、3陽(+)、4陰(N)の月は見合い・結婚を延ばしたほうが良い。

日の波動は、男女共に波動が強いのは8中(-)と9陽(-)の日である。このようなときに見合い・結婚をすることが望まれる。

例題→不調和を起こしやすい組み合わせ

生年が男女共に3陽(+)と3陽(+)は反発する。

生月が男女共に6陽(N)と3陽(+)は反発する。

生日が男女共に1陰(+)と1陰(+)は反発する。

同属・同性の場合は反発するが、恋愛型のコースを辿る。交際中は良いが、家庭に入ると反発し不調和な結果が出る。離婚の場合が多い。

別居して互いの道に進んでいる夫婦が多い。このような夫婦には子供が生れてくると変わった組み合わせになる。自分の波動を知って常に調和の取れた共同生活をすることによって、必ず幸福が獲られる。


高橋信次著「大自然の波動と生命」における物質論の要約

第1章 他界より見た地上界

大自然における地球は、人間及び動植物が生存している居住遊星の一つである。天体や遊星の配列や、相互関係は原子の電子構造や、元素の周期律と同じように精密である。地上界は神意によって、私たちの魂を磨き地上界に極楽を築く目的を使命として、肉体という舟に乗った生命の修行場である。この修行場は大自然生命本体大神霊より、万物を与えられている宝庫を、平和共存の理想を築く為、私たち人類が中心となり使用することによって報恩が神に通ずるのである。しかし、神より預かっている資源を、特定の国家や個人の独占物として私利私欲を貪っている人々が多いのである。その結果、経済的、物資的不平が争いの原因となっている。欲心は、自らの人間性を失い、暗い想念は闘争となり、破壊を呼ぶのである。私たちは、地上の万物を魂修行の目的に使用すべきであり、万物相互扶助の精神を忘れてはならない。石炭も石油も金・銀・銅総ての資源を、私たち一人一人の正しい想念による調和された社会を築き、大衆の幸福のために使用されるべきである。他界では、相互扶助による生計であり、闘争の無い極楽地である。私たちも過去世において誰でも魂を磨いてきた生命であるが、現象界に生まれると本性を忘れ、自我我欲に満足してしまう。人間は協力して平和な世界を地上に建設しなければならない。指導者は更に品性の高い境地に立って、慈悲心を持って指導しなければならない。


第2章 大自然の循環

(1)エネルギー

エネルギーの物理的定義は、仕事をなしうる能力と言う。仕事は加速度×質量を距離の積で測る。機械的エネルギーには運動のエネルギーと位置のエネルギーがある。運動のエネルギーは運動している物体の持つエネルギーであり、位置のエネルギーは物質の位置、形が変化している為に持っているエネルギーである。大宇宙も太陽系も莫大なエネルギー源によって、一定のリズムで自転、公転をなし、エネルギーの消失循環を続けている。エネルギーには質量がある。一定の秩序を持って循環しているその根元が大宇宙生命本体エネルギーの元である。

私たちも肉体を持ち、生命即ち意識を持っている。そして、自分自身の小宇宙を支配している。体内外の機能は、一定の秩序を持って働き、鉱物・植物・動物のエネルギー源よりエネルギーを吸収して成長している。私たちが物を考える場合、脳内の感応によって電気的現象が起きる。一念のエネルギーは脳内において、皮質の外側に「+」の電荷が、内側に「-」の電荷が帯電して脳波が変わる。心臓が止まり、諸器官が停止すれば、脳の波動も停止するのであり、生命は現象界より去るのである。精神的な問題で悩み、あらゆる問題を深く考えた場合も疲労する。この疲労もエネルギーの消失である。肉体労働も疲労するのでエネルギーを消費しているのである。音のエネルギーは空気その他を媒介として、耳の鼓膜に振動し、その波動は脳内の聴覚に伝わり、その音を知り、物を見るエネルギーは光の波動と目の波動により、物を見ている。臭覚も波動によって嗅ぎ分けるのである。私たちの声も波動によって発生し、波動によって伝わっていく。総てがエネルギーの作用であり、総て元があるはずである。この元こそ、自分自身の意識即ち生命・魂である。私たちは、生命のエネルギーと肉体のエネルギーによって送受作用をして生活を続けている。熱・光・磁力・電波等も波動であり、エネルギーである。

(A)仕事(作用と反作用即ち原因と結果の法則)

物体に力を作用させて、その方向に物体を動かした時、この力または力を加えた物は仕事をしたと言う。仕事の大きさを「W」 加えた力を「F」動いた距離を「S」とすると仕事は次の通りに表わせる。 W=F×Sとなる。


(B)加速度

物体に力を加える時、物体の速度を「Vo」 T秒後の速度を「V」とすると、加速度「A」は次のように表わされる。 A=(V-Vo)÷Tとなる。


(C)力

Mの物質に力「F」を加えると力の方向に加速度「A」を生じる。

F=MAで質量Mと加速度Aの積は力となる。仕事は総てエネルギーの移動であり、原因が発生して結果が生じるのである。


(2)エネルギー不変の法則

エネルギーを持っている物体が、仕事をすると同時に、そのエネルギーはいろいろ形を変えて、他の物体に移る。変化の時でも、変化の前後におけるエネルギーの総和には変化が無い。エネルギーは恒存され、不変である。


(3)エネルギーの源

地球上に起こる様々な自然現象は、殆ど太陽の熱エネルギーによって起こる。地球の自転・公転・月の自転・公転総て莫大なエネルギーが働いている。熱エネルギーは水圏の水を蒸発させ、空中で冷却して雲を作り、大地に雨を降らせ、生物に慈雨を与えて成長を助けている。太古に育成した生物は、熱エネルギーと物理的作用によって科学変化を起こし、石炭・石油となり熱エネルギー源として欠くことのできない大自然の恵みである。地上のエネルギーは太陽が源となっている。潮の干満は地球・月・太陽の運動による引力が原因となる。地球の火山や温泉は、地球自体の熱エネルギーが源になっている。相対性理論によると質量もエネルギーも同一のものであり、光の速度の平方に質量を乗じた数になり、莫大なエネルギーに変わるのである。 E=MC2

一グラムの物質が全部エネルギーに変化すると、一馬力のモーターを3800年間運転することが出来る。原子の質量が全部エネルギーに変わるように、現代科学は進歩を続けている。

(4)物質の生命

生物は細胞で構成され、細胞は原子で構成されている。私たちの各機能は適材適所に応じた細胞集団で構成され、骨格によって支えられており、各細胞もエネルギーを持って核分裂する小生命体である。意識は脳細胞に働き、生命体として感応作用を持ち、物を考えるエネルギーを持っている。このエネルギーは知性と理性を持つ生命力であり、小宇宙生命体である。大自然生命本体エネルギーの根本は、万物を支配しており、私たちの生命は生命本体の分身であり、一念のエネルギーは時間・空間を超越して大自然生命本体に通じている。万物のエネルギーは宇宙大自然生命本体が与えている。物質は総て現世の時間と空間に影響され、質量と空間を持っている。私たちの肉体は、死後において大自然に還元されて二酸化炭素その他の化合物となり、あらゆる分野に分解し、循環されて行く。原子は核と電子の組み合わせによって存在している。原子は原子としての生命を持ち、エネルギーを含有して、外力に影響を受けない限り、中性子のバランスが崩れない限り、安定を保っている。私たちの考えるエネルギーが、宇宙生命に通じ、無限大である為、万物を支配できなくてはならないのである。

(5)太陽系の循環

太陽系の惑星には水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星の九大惑星がある。(最近は冥王星を惑星から除外している。)木星は最大の惑星であるが、質量は太陽の千分の一に過ぎない。太陽系は太陽の引力によって整然と運行し、循環の法則に従っている。

第3章 太陽系の循環

太陽系の惑星は、太陽を中心として運動を続け、その軌道は、ほぼ円形に近く、水星と冥王星は楕円形の軌道を公転している。惑星を回る衛星の公転も、殆ど円形に近い軌道を同一方向に回っているが、一部は楕円軌道を描くものもあり、太陽より遠い距離にある天王星・冥王星等のように、特異な運動をするのが似ている。太陽系の惑星が一定の秩序を持っていることは、太陽系の成因に深い関係があって、大宇宙空間の中で太陽系も一定の秩序で公転している。

(1)太陽の運動

太陽は、太陽系の中心にあって、地球を始めとする、多くの惑星の運動を支配している恒星である。太陽系も銀河系の中心から、三十五万光年外れた恒星集団であって、主系列星の一つである。太陽に光と熱のエネルギーが無かったら、月も他の惑星も光を失い、大海は凍り、風も無く、川の水も無く、生物の生存は不可能な状態になる。人類の使用するエネルギーは、殆ど太陽から得られている。水力も風力も太陽が元である。しかし、潮の干満は太陽・地球・月の引力によって生ずるエネルギーであるが、火山・温泉・原子力等は太陽によらないエネルギー源である。太陽は貧富の区別無く、万物万人に平等な慈悲を分与している。この感謝を万物に対し、平和な環境建設のために努力することが、報恩の姿である。太陽は太陽系の惑星の集団を引き連れて一秒に十九kmの速さで、ヘラクレス座の方向に運動を続けている。


(2)地球の運動

地球の気候は、地球の公転・自転の運動と、太陽のエネルギーの結果である。

冬における太陽のエネルギーは、地球の地表に斜めに当たり、夏は直角に当たる為、地表面の単位面積に受ける熱量が変化して寒暖の差が生ずるのである。この寒暖が、地表の水分に循環作用として、雨や雪となって大地を潤すのである。土中の種子は、成長して地表に芽を出すと、大気中の酸素や二酸化炭素、その他の化合物と光のエネルギーが作用し、生育し、種子へと循環されていく。地球の自転・公転は、地表万物に作用し、私たちの肉体・生命もこの法則の中に秩序ある循環を繰り返している。私たちの住む日本は77・47度の角度で地球が軌道を公転している時が夏の季節であり、30・53度の時が冬の季節である。冬は地表に太陽の熱・光が低角度のため、照射の焦点がずれているために寒いのである。太陽の直径は約139万kmで、地球の直径の109倍、体積は地球の130倍である。地球は太陽から数えて三番目の惑星であり、他の惑星と比較して好条件に恵まれ、生命の発生、進化を繰り返している。地球は、南北軸の回りを自転し、太陽の回りを公転している。自転の周期は23時間56分4091秒であり、公転の周期は365・2422日である。

地球内外に起こる潮汐や、物質によって生ずる摩擦の為、百年につき千分の一程度の割合で誤差が出ている。地球が軌道を公転する速さは、地球と太陽を結び直線が一定の時間と一定の面積を描くように動いている。地球の地軸は、公転面に垂直でなく、66・5度の傾斜角度をしている。公転は、一年を周期として北緯35度の時点で、冬至の日は31・5度から夏至で78・5度と変化する。

中緯度では、春夏秋冬の四季が生まれ、北半球と南半球とでは逆になり、日射量に大きな変化を起こすのも、地軸の傾斜に起因している。公転は近日点近くで速く、遠日点付近では遅く運動している。暦は、一年の季節の春夏秋冬の移り変わりを知り、地球の公転周期は一日の整数倍ではなく、年々季節とのズレを生じている。そのために、365日の平年と366日の閏年とを組み合わせて調整している。地球上で物体を落とすと、加速度を生じて落下する。この加速度は980gで地表の位置によって多少異なる。これは、地球の運動に起因する為である。地球は、楕円体なので赤道に近づく程、地球の中心より遠くなり、引力は少なくなる。引力の法則は磁場内においては通用するが、原子核の中ではニュートンの法則は成立しない。引力以外の空間においても利用できないことが解明されている。地球は巨大な磁石であり、地表には磁力が働いており、地磁気と磁石には誤差があり、これを磁針誤差という。磁力は温度変化によって起こる電気作用が大きく地表の磁性体に働いている。


(3)月の運動

月は地球の衛星であり、地球に一番近い天体である。明るさも太陽に次いで明るい。月の一定周期による現象の中に月の満ち欠け現象は最も著しい天体現象である。月は地球の四分の一で、38万4403kmと計算され、直径は約3876kmである。引力も地球の六分の一に過ぎないので、月の面を出発する宇宙船は、秒速2・38キロで月の引力から脱出することが出来る。月は地球の回りを27日7時間43分1秒かけて一周即ち公転し、またこの間に月自身も一回転即ち自転している。月が地球に対して何時も同じ面を向いているのはこのためである。


(4)太陽・地球・月の関係

地球の引潮・満潮は月と太陽、地球の相対的な自転・公転による引力に起因した現象である。地球から見て新月から新月までは、太陽暦の一ヶ月に当たる。一遡望月は29日12時間44分28秒である。月は自転で約二週間毎に昼と夜がめぐり、昼は約150度の炎暑、夜は日没とともに冷えて零下150度の極寒となる。地球の引力によって月の運動が起こり、更に太陽や他の惑星の引力が月に作用して地球に向ける面にも揺れが生ずる。月の引力によって、地球上の太洋に潮の干満が生じて海水の運動を起こす。そのため、地球自体摩擦が生じ、地球の自転が遅れる効果が現われる。太陽・地球・月は、私たちの生と死に特に関係が深く、この三体の因果関係は総て莫大なエネルギーの循環である。地球上の生命は、この三体即ち神の意識が支配しているのである。

私たちも小宇宙である肉体の総てを自分の意識によって支配しているが、地球は地球としての意識即ち生命が月・太陽それぞれに関連し、更に太陽系内で関連し、銀河宇宙に通じ、大宇宙の根本にその波動は合致しているのである。


第4章 炭素の循環

炭素は、有機物の中核をなす元素であり、大気中には二酸化炭素の無機化合物として約0・03%容量が含まれている。この二酸化炭素は光合成の働きで植物体に吸収され、澱粉・蛋白質・脂肪などの有機化合物に変わる。その一部分は植物の呼吸に用いられ、その結果生じた二酸化炭素は、再び大気中に循環されていく。植物は、動物の食物として利用され、有機物は動物体の構成成分になる。動物の排出物や死体の有機物は微生物によって分解されて二酸化炭素になる。動物や植物その他の生物の一部は、地中に埋まって地熱や圧力によって石油・石炭になるが、これも、私たちの力で燃焼され大気に循環されていく。即ち自然の緩やかな酸化作用を受けて二酸化炭素となり、大気中に戻っていくのである。


第5章 物質

宇宙空間に体積を持ち、質量を持っているものを物質と言う。宇宙にある物質はそれぞれ特有な性質を持って、大自然の法則に従って、構成され循環している。鉱物・植物・動物の三体も物質よりなり、更に分子によって組織化され、分子は原子から造られている。植物・動物は有機物の合成によって、原子は細胞体を造って、細胞は分裂して成長を続けていき、特質な体を形成している。万物物質は、それぞれが一定の時間・空間の中で、目的に応じて一定のルールによって循環されていくのである。水も三体の相に循環される。この三体変化は、水の意思ではなく、熱の作用により、水は地中に入り、地球の熱を冷却し、地下水となってまた温水となり、あるものは清らかな清水となって小さな流れを作り、やがて谷間の流れに合流し、自然に逆わらず、多くの生物に慈悲を与え、いかなる障害も自らの力で乗り越え、ある時はダムに入って、電力のエネルギーの源となり、ある時は莫大なエネルギーと化し、自分の進路を自分の力で進み、平地に入った水も旅の疲れで濁り、大川となって、あらゆる処から集まってくる同志と共に一体となり、長い旅路を終えて大海に注ぐのは水である。私たちも人生航路の神理を水に学ぶべきものがある。物質は熱により、化合により物理的・化学的に変化するものであるが、総てエネルギーを含んでおり、素直に大自然に循環している。

第6章 原子

 原子は、科学的にこれ以上分割できない微粒子を言う。原子は原子核と電子から構成され、原子核はさらに陽子と中性子より成り立っている。原子は、太陽系の惑星と同様に、一定の軌道を描いて運動している。原子核に引き付けられて、その周囲を電子が、大変な速度で回っており、この電子を核外電子という。核外電子は、陰性の電荷を持ち、原子核の電子は陽性の電荷を持っている。原子全体は電気的に中和している。水素原子は核外電子陰性一個を持ち、同量の陽性電子を持つ微粒子が原子核となって中和している。水素以外の電子は、数個の陰外電子があり、核は、数個の陽子と中性子で、電気的に中和している。原子核の質量は陽子と中性子の質量の和に等しく、陽子と中性子の質量はほぼ等しくなっている。水素原子の核外電子の軌道は、太陽系と同じように一定の軌道を運動しているが、外部からのエネルギーが加えられると他の軌道上に移り、電子は一定の規則に従って、エネルギーを放出して再び元の軌道に戻ろうとする。原子の質量は、核外電子の数と一致するので、元素の原子番号と電子の数は一位する。元素の原子量及び化学的性質の大半は、核外電子の個数と配列によって決定される。真空の中より電子を生ずる過程の研究は、生命界も物質界も、その実在は一つであると科学者も結論を出す時が来る。万物の奥の真空、そして大宇宙万物の姿が大宇宙生命の本体であり、生命を自由に作り出すことのできるエネルギーの源である。


第7章 人体の構造と循環

(1)人体

太陽系は、極微の小宇宙原子核や電子と同じ法則に従って一定の軌道を循環している。私たちの身体も地球という大自然の環境において生存している。生命は意識であり、考えるエネルギーの源である。肉体の総ての細胞は小宇宙として小生命を持っているが、魂(生命の意思)によって支配されている。総て波動によって結ばれ、宇宙即ち自分自身(宇宙即我)であり、小宇宙生命体である私たちの生命意識の舟、五体を考えてみる。

大別すると、頭・同体・四肢の三部であり、頭部は耳・鼻・舌・眼・身の五官を持ち脳内の波動によって意識に伝わり総ての判断が下され、頭骨・椎骨・肋骨・四肢の骨を中軸として、多くの筋肉が付着し、その外側は、皮膚によって覆われている。皮膚は寒暖その他を感知し、身体の機能を保全している。内臓を見ると胸腔には左右に呼吸作用をする肺があり、酸素を吸入して、体内の炭酸ガスを排出して血液を浄化し、この血液は両者の左下方の心臓によって、体内の末端まで血液を送る循環ポンプの働きをしている。食道はこの中央を下って胃に通じている。食糧は口から食道を通過し胃に入り、酵素によって分解され、十二指腸・小腸・大腸を通じて肛門から対外に不要分が排出されている。横隔膜の左右には胃に接して肝臓があり、胆汁を分泌している。左には脾臓があり、膵臓は胃の後方にあって膵液を分泌している。脊髄の左右には腎臓があり、ここで血液から尿を取り出し、尿管によって、対外に排出している。大自然界の河川と法則は変わっていない。背後には脊髄があって、その上端は頭蓋骨となり、頭蓋腔を囲んでいる。この中に脳があり、脳の下方は脊髄で30余りの椎骨からなっている。臓器を細かく分割すると細胞に分けられ、心臓は心臓特有の細胞の集合体によって造られている。細胞小宇宙の集合体が私たちの人体を構成している。

(2)細胞

生物は総て細胞によって造られ、細胞は常に細胞核分裂によって生まれ循環している。人体の細胞は20ミクロン近くの直径を持って、他の生物より大きく厚みもあり、表面は細胞膜に覆われ、中には原形質という内容物と核からなっている。この核がなければ、細胞は生存して機能を営むことが出来ない。核が崩れると細胞は死んでしまうのである。神経細胞・皮膚細胞・筋肉細胞等は一定の場所に固定しており、血液中の血球等は固定せず、血管の中を流動している。細胞は、同一の働きをするもの同志が集まって、造ったものが組織であり、調和しあって活動をし、その組織に特有の機能を営ませている。これらの組織が集まって一定の働きをするものを、器官または臓器という。一つ以上の機能の異なる器官が、一定の組み合わせのもとに共同の働きをする場合、これを系統または系という。胃・腸・肝臓・膵臓等の消化器官が一緒になって消化系統とよばれる。神経系統や内臓や腺・血管等のように、自分の物理的作用によって自由にならない部分、即ち無関係で反応し、自動的に調整する神経を自律神経という。自律神経は生命に関する植物性機能に関する系統である所から植物性神経と言い、脳脊髄神経を動物性神経と言っている。動物性神経は、私たちの一念力のエネルギーによって植物性神経に作用することが多い。私たちの考える一念力の意識は自分自身の身体に強く影響し、五体を支配することは、自在である。私たちの意識は、自分自身の五体を支配し、物質界も支配することが出来るのである。筋肉と骨格が内臓を固定しており、71%が水分、29%が蛋白質、炭水化物、脂肪、カルシュームその他の化合物より成り立っている。

(3)血液の循環

血液は、体内の生きた細胞に対し、安定した生活環境を与えている。血液の循環は、体内の物質の輸送機関である。消火器より吸収した栄養素を体内の各諸器官や組織に送り、新陳代謝の原料や産物を体内の器官や細胞同志の間でやり取りする。体内の組織が排出する老廃物を腎臓まで運び出すのである。呼吸器を通して外気との間にやり取りされる呼吸が酸素を体内に送り、二酸化炭素を輸送する重要な機能になっている。また、各種のホルモン器官から血液中に放出され、体内の特定器官には働きかける化学的輸送もする。

循環系は、神経系と同様に体内の通信伝達の役割も果たしている。血液は対外から侵入した細菌や、ビールス等の病原体、異物に対して血清中に特殊な蛋白質である免疫体を造り出して毒素を中和・凝集・沈降・溶解等をして体内を防衛する重要な作用をする。体内の組織は、常に酸素が消費されて、含有量が低下しているので、血液中の酸素はモグロビンの結合から離れて細胞に供給される。血液の流れの原動力は心臓である。心臓は血液中の逆流止めの弁膜を備えた袋状の器官で周期的に収縮し、一分間に約70回繰り返す。心室から大動脈へと毎回60CC近くの血液を送り出し、各動脈に移動循環している。大動脈は動脈、更に小動脈へと分流を重ねて血液を体内の各器官や組織内毛細管へ循環されている。血圧は動脈内に保たれる水銀圧をいい、心臓の拍動と共に一定範囲、つまり壮年者で最高120、最低80位で年齢によって多少の差が出る。毛細血管から心臓に戻る血液の帰路は静脈系血管で、血圧は殆ど消失してしまう。血液も一つの波動で動いており、波長が合致しない時には体のいずれかに故障が生じている証拠である。

第8章 生命体の脳作用

人間の脳は大脳・間脳・中脳・小脳・延髄の五つから成り、これらの脳には神経単位が無数にある。大脳や小脳では細胞体が表層部に集まっている。これを皮質という。内部は髄質とか白質と呼ばれている。

大脳の皮質には約140億の細胞があり、各脳は部分ごとによって異なった働きをしているのである。皮質の部分が脳として、一番判断をする場所で、髄質の方は報告や命令の通り路の役をしている。大脳の前部は知覚中枢と呼ばれ、感覚器の報告を受ける所である。その前半部が運動中枢と呼ばれ、後半部が運動の指令を出す場所である。また、記憶することを分担する連合領の部分もある。感覚器から脳へ報告だ送られ、脳から筋肉に命令する報告や命令の通路役をするのが神経繊維と呼ばれるところである。この中を報告や命令が通るときは、一方通行で、一本の神経線が報告命令を併行させることは無い。この報告命令は、総て電気的な変化である。神経繊維は外側に「+」の電気を帯び、内側に「-」の電気を帯電している。感覚器に刺激を加えると帯電している「+」「-」に電気が中和して、零の状態が起こる。この状態は、興奮状態となる。一つの目的に対して努力する一念力は、眠っている感能力を呼び起こし、大自然の法則を捕らえて、発明発見と言う結果が生ずるのである。調和されない原因は物質経済が一つの抵抗となり、自己保存、自我我欲によって一時閉ざされているのであり、自己反省が足りないのである。

心の安らぎの波動は、正しい神理を得て神の光による保護を受ける。私たち小宇宙体の構成は、大宇宙体の恒星群と同じように何兆億という細胞体の集まりによって五体を形成し、諸器官によってエネルギーを吸収して肉体を生命は保存されている。病気の根元は80%以上正しい想念の光のエネルギーによって防ぐことが出来る。真の悟りの根源は頭で悟るのではなく、自分の意識即ち心で悟らなくてはならない。疑問は神理に近づく為の道程であり、疑問に対する回答の循環は神理に通ずる。私たちの意識の中には小宇宙の幽界(地獄・極楽)、霊界、神界、菩薩界、如来界、宇宙界の区分がある。

幽界には地獄・極楽があり、人の心は一秒一秒の中に意識界の姿が変わるのである。現象界の姿は自分自身が演出している活動写真(映画)である。現象界における私たちの意識は、殆どの人々は10%位しか意識が表面に出ていない。90%は潜在意識に秘められている。地球は大宇宙の細胞であり、太陽系も細胞体の集団である。太陽系は大神霊生命体本体の分霊であり、私たちの地球も分神によって治められている。私たちの来世は4次元以降の生命界に循環され、90%の表面意識と10%の潜在意識となるのである。悟れない生命は、自分自身の人生航路における意識を、寸分も間違いなく記憶された過去帳によって、自分の罪を償う為に、ある者は地獄界に、正しく生きた生命は極楽界で魂を磨くのである。太陽の熱光のエネルギーは、万物に平等である。神は人々を差別しない。真の正法は対立が無く自分自身の想念が自分の意識の中にある神界、菩薩界を悟り、大宇宙の根本の神・如来・菩薩の意識と調和した時こそ、自分自身の安らぎを感ずるのである。物質と生命の一体化こそ真の調和された社会が訪れてくる。私たちは目を開いて自らを反省し、人類の生まれて来た使命を悟らねばならない。

八正道の心

(1)はじめに

高橋信次先生が他界されてから30年以上が経過した。

しかし、高橋信次先生の教えを忠実に守っている宗教団体は少ない。

確かに後継者争いがあり、それにより分裂してしまったからである。

私自身も事実誤認して現在に至った。

その原因は、正しく見ると言う八正道の心を見失ったからである。

八正道の心が6次元の壁だったのである。

つまり、八正道が理解できない人は6次元の壁を破れないと言うことである。

八正道の実践によりアラハンの境地に到達できる。

菩薩行はアラハンの境地を経験しなければ、効果が上がらない。

自己確立せずして菩薩行をすれば、流されてしまい自分を見失ってしまうからである。

(2)八正道は6次元の意識である

6次元の意識とは「波動の法則」と「人生の目的と使命」と「心の領域」のことを理解していることである。

1、波動の法則

①人間の生命体の構造を知ること

人間の体は、三体構造になっている。

原子体(肉体)、光子体(意識の殻)、霊子体(意識の中心である心)の三体から構成されている。 

立体的には人間の五体は、原子と光子(フォトン)が重なり合って出来ている。

しかし、霊子は次元の異なる世界で霊子線という糸を通して人間の五体に生命を与えている。

人間は神と霊子線でつながっているため「神の子」と言われる。

3次元の肉体は、原子体で構成されている。

4次元以降の体つまり、幽体(4次元)、霊体(5次元)、光子体(6次元)、光神体(7次元)は光子(フォトン)で構成されている。

神体(8次元)、エネルギー体(9次元)は霊子で構成されている。

神智学ではエーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体、ブッティ体、アートマー体、モナド体、アーディ体と呼ばれている。

エーテル体は半物質とも言われ肉体と残りの体をくっつける役割をしている。

アストラル体は幽体と呼ばれる。 

メンタル体は霊体と呼ばれる。

コーザル体は光子体と呼ばれる。 

ブッティ体は光神体と呼ばれる。 

アートマー体、モナド体は神体と呼ばれる。

アーディ体はエネルギー体と呼ばれる。

②霊子こそ神仏であり、エネルギーそのものである

原子(肉体)を動かしているものは光子(フォトン)であり、光子(フォトン)を構成しているのが霊子である。

今日の科学では光子(フォトン)は発見できても霊子を発見することは出来ない。

霊子の発見は22世紀になると高橋信次先生は預言している。

③宇宙は光子(フォトン)から出来ている

人間の意識が肉体を離れると光子体という体になり、その光子体は肉体が死ぬと大気や大地に還元されてゆくと同様に宇宙に充満した光子群(フォトンベルト)の中に同化してゆくのである。

④光子量に比例した世界がある

自我我欲の意識や自己保存の意識は、善なる意識を曇らせ業想念となる。

潜在意識と表面意識との間に想念帯という膜があり、想念帯にススがたまることになる。

その想念帯にススがたまったままあの世に帰ると光子量に比例した世界で生活することになる。

意識の層は幽界(4次元)、霊界(5次元)、神界(6次元)、菩薩界(7次元)、如来界(8次元)、宇宙界(9次元)となっている。

人間の意識は光子(フォトン)と言うガス体が軽ければ上に上がり、重ければ下に沈む。

光の天使が諸霊を導くことが出来るのは、地上よりも高い世界にあって地球全体を一望の下にのぞむことが出来るからである。

⑤波動(光子・霊子)には法則がある

(1)円運動の法則(円満の法則)

森羅万象は円運動によって支配されている。

原子を構成するのは固有の回転を続ける原子核とその周囲を回る電子である。

量子力学では、原子核を構成する陽子や中性子・電子さらにクオークやレプトンなどの粒子としての性質を持つと同時に波動としての性質を持つと考えられている。

波動の性質は往復運動であり、その描く軌道は円運動の部分である。

波動と言う視点に立てば、光や電磁波などのエネルギーもすべて円運動である。

(2)循環の法則(転生輪廻の法則)

万生万物は生まれて成長し、消滅するというサイクルを持つ。

転生輪廻も人間の魂があの世とこの世を循環して魂を磨くことが目的である。

波動理論の三体理論も9年周期のサイクルを持ち循環している。

人間の転生輪廻の目的は、この世をユートピアにすることと自分のカルマを修正することである。

(3)共鳴の法則(類は類を呼ぶ法則)

同じような波動のものは共鳴し、引き寄せあうと言うことである。

例えば、酒好きな人の所には酒飲みが集まり、静かな人の所には穏やかな人が集まってくる。

地獄霊が憑依するのも共鳴の法則である。

重要な発明・発見が別な場所で別の人間によって同時期に成し遂げられたりするのは、波動をキャッチしたからである。

(4)作用反作用の法則(原因と結果の法則)

結果があることは必ず、原因があることを意味している。 

また、発信したものと同じものが返ってくると言うことである。

原因を起こしてもストレートに結びつかないのは3次元世界の波動が粗い為である。

正しく念じ、正しく思って持続することが原因と結果の法則を支配できるコツである。 

現在の自分を反省して、まだ欠点があると言うのなら、それはこれからの将来において学ばなければならないものがあると言うことを示している。

過去の想念の総決算が現在の自分であり、現在のあり方が未来の運命を決定することになる。

原因と結果の法則を超える道が八正道の生活である。

(5)慣性の法則(カルマの法則)

心が一定の傾向性(癖)を持つと無意識にそのことを行ってしまう。

人によって性格が違うのは、その人がそれまで考えてきた心の癖によって造られてきたからである。心の癖を仏教ではカルマと言い、キリスト教では原罪という。

地上での修行の目的は、自分のカルマを修正することである。

カルマは執着から生まれる。 

自己中心の考え方、自我我欲の思いが執着を生みカルマを造っている。

カルマは先天的なもの、肉体遺伝のもの、環境によるもの(教育・思想・生活環境)により造られた。

カルマの三割は過去世からのものであり、七割は今世で造られたものである。

(6)フラクタルの法則

部分の中に全体像が存在すると言う幾何学理論で、全体から部分を取り出すと、その形が全体とそっくりである(近似値である)。

三体理論はフラクタルの法則により開発されたものである。

出口王仁三郎師は菩薩界の人で日本の宗教の誤りを覚醒させるために生まれてきたと高橋信次先生は語っておられた。

出口王仁三郎師は「日本は世界の縮図である」として示した。(北海道は北アメリカ大陸、本州はユーラシア大陸、九州はアフリカ大陸、四国はオーストラリア大陸)

(7)エントロピーとシントロピーの法則(他力信仰と自力信仰の法則)

物質とエネルギーは常に一つの方向へのみ変化する。

使えるものから使えないエネルギーに変わっていく度合いをエントロピーと言う。

宇宙に存在するものはエントロピー増大の方向性を持って変化変動している。

秩序を緩やかに崩していく。 

他力信仰はエネルギーをマイナスにする。

逆にシントロピーとは生命活動でエントロピーを克服し、エントロピーを減少させている。

シントロピーを心がけることでリフレッシュし、体質を変えて新しい環境に対応できるようになる。

自力信仰はエネルギーをプラスにする。

エネルギーをプラスにすれば健康幸福となり、マイナスにすれば病気不幸がやってくる。

自力信仰のみが正しい信仰である。

(8)自滅の法則(ケリッポトの穴)

賞賛を受け、増長慢になると自滅の落とし穴に堕ちる。

自滅は賞賛の二乗に比例する。

カバラの「生命の樹」のケリッポトの穴に堕ちるのは増長慢となり自己保存、自我我欲が増大したからである。

ルシフェルであるサタンもケリッポトの穴に堕ちて堕天使となった。

宗教や占いを金儲けの手段としている宗教家や占い師は自滅の道を進んでいる。

2、人生の目的と使命

①人間は神の子である

人間は神の子であり、この地球上にユートピアを実現するために生まれてきた。

そして、転生輪廻の過程で造り出された心と行動の癖(カルマ)を修正するために生まれてきたという自覚が必要である。

人間は転生輪廻の循環の法則を正しく生かすことによってのみ心の解放がある。

②神の摂理を知る

「まかぬ種ははえぬ。まいた種は刈り取る」ことが神の摂理であり、人間が神から与えられた自由意思を有効に活用し、自己責任で行動しなければならない。

③人間は自分で生まれる環境を選んで生まれてきた

人間が、この世に生を受ける時は、両親を指名し自ら選んで生まれてきている。

あの世とこの世における計画が綿密に行われ、あの世に存在する魂がこの世に生まれるように仕組まれている。

各人の魂が最も修行しやすい環境と両親を選んで出ている。

しかし、現象界に出ている人達の意識が低下し、それに類似した魂が引き寄せられるため、この現象界は混乱してきている。

高橋信次先生は自分が生まれる300年前に、自分の父親になる人と母親になる人を選んだ。

しかし、仏陀の父であるシュットダナー大王は了解したが、仏陀の母であったマヤは断ったのである。

そのため、仏陀はイエスを生み、日蓮を生んだ聖母マリアに母親になっていただいたのである。

また、自分の妻になるべき人は、ヤショダラ姫に断られた為、仏陀の弟子であったマイトレーヤー(弥勒菩薩)になっていただいたと言う。(これは後日わかったことであるが、ヤショダラ姫の過去世の生命は中丸薫女史であった。中丸薫女史は現在、高橋信次先生の弟子として闇の権力と戦っている。)

仏陀でも断られるのであり、あの世もこの世も基本的には変わらないものだと実感したのである。

④地獄を救済するには慈悲と愛の行為が必要である

あの世の地獄は現象界の善の姿を学ぶことによって浄化されていく。

それゆえ、現象界に出ている人達の善意識(慈悲と愛の想念行為)を日常生活に生かしていくことが急務なのである。

人間の苦しみは自分の心の中に潜む悪魔の声に振り回されることにあり、その声に振り回されないようにすれば、人間神の子と言える。

⑤与えられた環境に感謝する

「人間はエネルギー源として植物・動物の生きた生命を食べているため、感謝の心を持って食べなければならない。」

「神は将来において人造食物が出来るまで許しておられる。」と高橋信次先生は語っている。

感謝の心は感謝になって帰ってくるのが循環の法則である。

大自然に調和し、肉体先祖、両親に対しては報恩の行為をして、万生万物には感謝する生活が神の子の生活と言える。

⑥反省は神が与えた最大の慈悲である

八正道の目的は生老病死の迷いを消滅させ、正法の精神である慈悲と愛の行為が自然と行えるようになることであり、中道の行き方を示している。

2億年前の人類は地上をユートピアにすることだけが目的だった。

しかし、現在の人類は、その前に想念帯に記憶された諸々のカルマや原罪を修正していくことが急務となった。

六根を清浄することにより、想念体の膜が開き、表面意識と潜在意識が同通すると本来の人間神の子に戻っていく。

六根の調和は反省の生活であり、反省は神の与えた慈悲であり、人間生活向上の最大の贈り物なのである。

⑦自己確立から菩薩行の実践が本当の使命である

努力のうち効率性を求める努力が漏尽通力である。

菩薩行は最終目標であるが、その前に自己確立しなければ菩薩行の成果が上がらない。

自己確立していなければ、菩薩行に流されてしまい、自分を見失ってしまう可能性が高いからである。

それゆえ、漏尽通力を活用して自分を見つめる努力が必要である。

自分の使命を理解せず菩薩行に走ると、自分を見失ってしまう。

相手を生かし、相手を許す行為があれば、使命は達成できる。

仏陀は宇宙即我を体験し「人間神の子」を証明した。

私達は神の子としての自覚を持って、ユートピア実現のために生まれてきたのである。

それゆえ、神の意思を体現した神の子としての自分の心を見つめ、何をなすべきか明確にすることが大切である。

3、心の領域

①霊子体の中に心があり、心には形がある

脳神経回路に神が存在すると言っている人がいるが、残念ながら間違いである。

脳は肉体にあり、心は肉体に無い。

霊子体に心がある。

神は心の中に存在する。

肉体には存在しないと言うことである。

心は本来丸く、大きく風船のように立体的なものである。

心の中心に「想念」があり、左に「本能」、右に「感情」、上に「智性」、下に「理性」があり、それが「意志」に伝達されるのである。

表面意識と潜在意識は想念帯という壁に遮られている。

想念が記憶されるのは想念帯である。

表面意識と想念帯が浄化されると想念体の壁が崩れ、心の内部の潜在意識が表面意識に流れ出してきて、これまで学んだことの無い過去世の言葉や智慧が生じてくる。

これが霊道を開くと言う現象である。

しかし、心の悟りが無い状態で霊道を開くと、動物霊や地獄霊に憑依される可能性が高いので、八正道による反省が必要なのである。

②心を立体的に見ると、心の根元部は想念をはじめ、本能、感情、智性、理性の各機能が一つに集約されてしまう。

宇宙即我の大我は心の根元部に表面意識がつながり、発現された姿である。

③心の各機能の説明

(1)想念とは円である心の中心部に位置し、エネルギー活動の場のことである。

あの世で補給したエネルギーが貯えられ、その貯えたエネルギーを放出しながら想念活動をしていく。

人間の想念も神から与えられたエネルギーを動力とし、肉体を動かし意識活動が出来るように仕組まれている。

(2)本能とは生物がこの地上で生きていく上において、神が与えた最低の必須条件である。

飲食本能と性本能を基本に、この地上を調和させていくための原動力である。

表面意識は欲望につながっている。

本能的欲望は本能を軸に感情と智性が働くので起こる。

潜在意識の本能は地上のユートピアを造る基礎である。

本能には喜びがあり、この喜びを報恩につなげることが本来の姿である。

(3)感情は行動の源泉であり、表面意識は喜怒哀楽を現している。

潜在意識は感動・感謝の豊かな情操と調和である。

(4)智性とは考える能力であり、表面意識は知識である。

表面意識は五官という感覚を基礎にしているので混乱の原因となる。

潜在意識は智慧であり、理性の働きが強く作用する時に現れる。

(5)理性は物の道理を判断する能力であり、表面意識は経験的だけに視野が狭い。

潜在意識は転生の経験が現れるので正しい判断が出来る。

(6)意志は具体的行動を意味する。

表面意識の場合→本能が意志に伝わると愛欲・エゴ・闘争に流れる。

            感情が意志に伝わると争い・怒り・衝動的になる。

            智性が意志に伝わると情操が失われ手段を選ばなくなる。

            理性が意志に伝わると独善に流れる。

潜在意識の場合→ユートピアの実現に対する自覚があり、心の各機能が関連し、

           理性を通して意志に伝わると本来の使命に目覚める。

(3)八正道とは何か

1、八正道の意義

仏陀が中道への道は八正道以外ないと悟った。

八正道の目的は慈悲と愛の心で自己本位の不調和な見方、生活の誤りを正すことにある。

人間が、この世に誕生する目的は己の心を丸く豊かに育て、この地上界に菩薩界を顕現させることにある。

ところが、人間は肉体五官に翻弄され、自我我欲、自己保存の執着に没入し、苦しみを造り出してしまう。

本来の神の子の自分に帰るためには八正道しかない。

善なる人間としての自覚の生活こそユートピア実現の基礎といえる。

2、八正道の目的

八正道の目的は正法の精神である慈悲と愛の心、愛の行為、中道の心を養うことにある。

八正道に基づく反省的瞑想により、生老病死の迷いや煩悩が取り除かれ、神の子としての生活が出来るようになる。

八正道を実践できることが6次元以上の意識である。

逆に言えば、八正道が実践できなければ5次元以下の意識しかないという証明でもある。

3、八正道の内容

八正道は正見(しょうけん)、正思(しょうし)、正語(しょうご)、正業(しょうぎょう)、正命(しょうみょう)、正進(しょうじん)、正念(しょうねん)、正定(しょうじょう)の8つの正しい道の事である。

①正見(しょうけん)とは正しく見ることである。

自己中心の立場を捨て善意なる第三者の立場で物事を見ることである。

公平に見ることである。

心にわだかまりがあり、自我我欲・自己保存の心から邪見は生まれる。

したがって、物事を正しく見るためには既成概念を白紙に戻し、全く新しい立場から物事を見るように努めることである。

(正見の目的) 物事の正確な判断であり、それに基づく正しい見解を持つことである。

(1)感謝の心を持つ。

(2)事象の一切の原因は人の心にあって、現れたことは結果であることを理解す

  る。つまり、原因と結果の関係を知ることである。

(3)既成概念を白紙の戻し、物事の真実を知るようにする。

(4)第三者の立場に立ち、自我の思いを捨て正しく見る努力をする。

(5)人間神の子としての目で全てを見ていく。

②正思(しょうし)とは正しく思うことである。

思うことは考えることでもある。 

思い考えることは創造行為でもあり、自己の運命を良くしたいと思うならば正しく思うことをしなければならない。

不調和な思いは苦しみを多くするだけである。思うことは行為そのものであることを知らなければならない。

(正思の目的)

第三者の立場に立って考え思うことである。

他を生かす愛の思いが正思の根底である。

(1)自分の非が認められない場合は、相手のために祈ってやる広い心が必要である。 

(2)我慢は苦しみを腹の中に詰め込むことであるが、忍耐とは耐え忍ぶことであり、腹の中に詰め込まない。

それゆえ、話しても相手がわからない場合は、忍耐の心で相手の心の安らぎと調和を祈ることが必要である。

(3)今日一日の考えや思いを反省し、過失があれば訂正していくことである。

正しく見えないのは自分の心にわだかまりがあるからである。

正見・正思の目的は慈悲と愛を根底にした中道の思いにある。

正しい思いは、ゆったりとした余裕があり、片寄らない心から生まれる。


③正語(しょうご)とは正しく語ることである。

言葉は言霊と言って相手に伝わる。

言霊は光と音の波動である。

それゆえ、心からの言葉は光の波動となって相手に伝わって行く。 

過ぎたお世辞や横暴な語り方は、光の波動に黒い塊を付着させているため、相手の心を傷つける。

売り言葉に買い言葉で町中や電車の中で口論している人は、互いに黒い塊を発散させ、それを食べあっている。

心に黒い塊を造り出し拡大させているため、病気や怪我をする。

相手が怒っても反発してはいけない。

反発は自己保存であり、反発する前に自分を第三者の立場で見て考えてから、結論を出せば良い。

怒った人は怒った人の心に帰っていく。

第三者の立場で反省し、いわれなきものであれば「哀れな人だ」と相手を思いやれば良い。

言葉が足りない、言葉が過ぎると言うのは感情が入るからである。 

それは、心の底に慈悲と愛が無いからである。

慈悲と愛を根底として言葉を発するようにしていれば、不足の言葉があっても相手が補ってくれる。 

心に愛があれば、言葉以前の言葉が相手に伝わり、こちらの意思が正しく伝わっていく。

(正語の目的)

愛の言葉を語る。心に愛があれば、相手に正しく伝わる。

④正業(しょうぎょう)とは正しく仕事をすることである。

今日の社会生活は、それぞれが業務を分け合い、互いに生活を補い合い助け合っている。

私達が仕事をし、働くと言うことは自分の生活を維持し人々の生活を支えることである。

仕事をし、働くことは、他を生かすことだから愛の行為なのである。

正業のあり方は地上界の調和に役立てることであり、愛であり、奉仕の心である。

(正業の目的)

(1)心を開き、魂を豊かにすること。

(2)地上の目的は魂を磨くこととユートピアを実現することである。前世の職業が今世につながっている人もいるが、全く違った職業を持って今世を送る人も多い。人生の目的を自覚し、中道の心を知れば、足ることをしった生活が出来る。大事なことは獲得した利益をどのように配分するかである。自分だけに使うか、家族や従業員に分け与えるか、不幸な人々に愛の手を差し出すかどうかである。足ることを知った生活環境は相互扶助、愛に満ちた世界である。

(3)職業を通じて人々との調和を図ることである。

(4)菩薩行(人のために奉仕すること)が出来ることである。仕事を金儲けの手段と考えてはいけない。

⑤正命(しょうみょう)とは正しく生活することである。

正しい生活を送るには自分のカルマを修正することである。

正しい神理に適う各人の心の悟りが社会集団を構成し、その中から調和の取れた相互関係が生まれてくる。

全ての不幸の原因は己自身であり、生活の不調和がもたらしたものである。

短所は自分の心を騒がし、人の心をも傷つけるものであり、長所は自他ともに調和をもたらす性格といえる。

長所を伸ばし、短所を修正することが正命の目的である。

正しい生活は自分自身の調和から始めなければならない。

欠点を修正するには第三者の立場から自分の心を思うことと考えることの視点から反省することである。

正しい生活とは、八正道の目的である中道の物差しとして自分のカルマを修正し、中道に適った生活をすることである。

(正命の目的)

調和ある精神的、肉体的生活が目的である。

自分の長所と短所を見極め、カルマを修正する努力が必要である。 

短所は自分を孤立させ、自分の運命を不幸にしていく。

正しい生活は自分の短所を長所に変えていくことから始まる。

自己中心からはなれ、物事に片寄らない正しい生活をすることである。

⑥正進(しょうじん)とは正しく道に精進することである。

私達は両親の愛、兄弟姉妹の協力、隣人・友人の助け合いの中で生活している。

正しく道に精進するとは、私達が複数という社会の中で他を生かし助けあっていくことによって初めてその意義が生まれ、本来の目的に適ってくる。

(正進の目的)

(1)対人関係と地上の環境を整備し、調和させることである。

この世に生まれた魂の修行の機会を与えてくれた両親を安心させるような人物に成長することである。

夫婦にしても前世で夫婦であることが多い。

そのため、互いに助け合う愛の環境を造ることが大事である。

動物、植物、鉱物資源を整備し活用していくことも必要である。

(2)人間関係を調和させるには他を生かし助け合う愛の心が必要である。

人間関系とは夫婦、親子、兄弟姉妹、友人、隣人そして個人と社会の関係を言う。

夫婦関係は互いに足りないものを補い合い、よき子孫を育て上げていくこと。

親子関係は過去世の縁によって生じたもので、親は子を慈しみ、子は親を敬うのは当然である。兄弟姉妹は互いに向上し合う切磋琢磨する関係であり、友人は社会生活の良き協力者である。

⑦正念(しょうねん)とは正しく念ずることであり、正しい目的意識を持つことである。

念とは思い願うエネルギーのことである。

私達の想念は全て記録し保存されているが、不調和な念は反省することによって改善されるのである。

反省は神が与えた慈悲である。

地球そのものも神の体の一部であり、大神殿であるから正しい念は必ず守護霊に通ずる。

守護霊は魂の先祖のことであり、肉体先祖の霊ではない。

本体1、分身5の生命の構成は変わらない。

守護霊は変わることなく、一生を見守り続ける。

守護霊は変わると言っている霊能者は偽者であると断言できる。

変わると言っている霊能者は自分が動物霊や地獄霊に憑依されているからである。

神社仏閣の中には霊域の高い場所もあって、実在界の諸天善神が常に連絡場所として一念が現象化される場合もある。

しかし、神社仏閣はどこでも霊域が高いところだと信ずることは危険であり、不幸を呼び込むことも有り得る。

それゆえ、神社に光の宮柱が立っている所だけ参拝することをお願いしたい。

*高橋信次先生は、「日本の神道について少しも触れていない」との質問に対して「今、神道のことを書くと日本人は神社神道のことだと思っているから誤解する人が増える。国粋主義の右翼が騒いで危ない。古神道の神理は正法である」と語った。

1800年前の日本に大日如来(ヴェルシャーナー)が生まれた。

卑弥呼の時代に大日如来が天照大神として祭られたと言う。(本地垂迹説とは天照大神の本地仏は大日如来であるとする説である。) 

正しい念を持っている人々には必ず神仏の光によって保護され不調和な霊に支配されることは無い。 

不自然な新興宗教や不調和な仕事に専念しているため不幸になっている人々は多い。

人間は生き神様にはなれない。

神仏の心と調和することは自分自身の正しい念と行為以外に無い。 

念はエネルギーであり、そのエネルギーは必ず自分自身に帰ってくるので善念を発信することである。

(正念の目的)

念の方向が自分本位であればあるほど苦悩が多く、心にカルマを造ってしまう。

人の幸・不幸の分かれ目は心の中で思うこと、念ずることによって決定されていく。

正しい目的意識を持って念ずることが大切である。

信仰ある祈りが正念である。

⑧正定(しょうじょう)とは正しく反省することである。

正定のあり方は、日常生活における正しい想念で生活が行えることである。

正道に反したことは神に詫び、明日からは二度と同じ失敗を繰り返さないように努力することである。

正定の第一歩は禅定という反省的瞑想の対話となり、菩薩の心である慈悲と愛の行為が出来るようになることである。

次に禅定の心がそのまま日常生活に生かされていくことである。

正しい神理の実践生活の中で、定に入ることにより、私達は体が宇宙大に拡大され、宇宙即我の境地となり、神と調和され心の安らぎを味わうことが出来る。

イエスは愛を説き、その罪を懺悔する事であると言っている。

仏陀は6年間の苦行の末、36年間の過去を反省し一切の苦しみというものは自分が造り出し、苦しみから解放されるには苦しみの原因を造らない事だと発見していく。反省した時に間違いを発見したならば、その間違いの原因はどうして起こったのか追求していき、苦しみの原因を取り除くことである。

(正定の目的)

反省によって心が安定し、不動心が養われてくる。

不動心が日常生活の中に生かせなければ正定の目的は半減する。

正定には1~9の段階がある。

1)反省

2)反省後の心の統一

3)守護・指導霊との交流

4)守護・指導霊との対話

5)5次元レベルの瞑想

6)6次元レベルの瞑想

7)菩薩レベルの瞑想

8)如来レベルの瞑想→これは、座していながら外界の動きが手に取るようにわか

  ってくる境地である。

9)仏陀・イエス・モーセの瞑想→これは、神との直接交流できた人の境地である。

過去世の修行により今世でも徳を積むことにより、誰でも6次元レベルの瞑想までは上がれる。しかし、それ以上になると難しいと言われている。

4、八正道の生かし方

①冷静であること。善意な第三者の立場で物事を見ること。(正見)

②親切であること。愛を心で思い念じ語り自己中心の立場から離れること。(正思、正語、正念)

③感謝報恩の行為をする。人々の協力で社会も個人も成立していることを知り、奉仕と協調の心を忘れないこと。(正業)

④カルマの修正をする。長所を伸ばし短所を修正し、人々と手を取り合って生きること。(正命、正進)

⑤反省する。中道の尺度で一日の言動、心の動きを反省し、想念の浄化修正に努力を続ける。反省後の瞑想は心と肉体のバイブレーションが神に近づき、スッキリした気持ちになる。その気持ちで一日の生活を送ること。(正定)

(4)本物と偽者の見分け方

 1、プロの宗教家か?(プロの占い師か?)

プロの宗教家や占い師に本物はいない。

宗教や占いを職業にし、金儲けの手段にしている人達に本物はいない。

本物は、全て事業を持って出ている。

宗教や占いでお金を取ることはしない。

無償で奉仕する。

なぜなら、生活の糧は別の職業で得ているため、宗教や占いでお金を取る必要が無いからである。

今生、出生している光の天使達はプロの宗教家や占い師になるという計画書を出していないからである。

それゆえ、プロの宗教家や占い師のまま天上界に帰ったならば、地獄界での反省が待っている。

聖徳太子の「未来記」によると、日本を滅ぼす三悪僧の一人である日蓮は、他宗を誹謗中傷し罵詈雑言を浴びせ正法を歪めてしまった為、600年間地獄で反省していた事実がある。

たとえ、光の天使であっても誕生する前に書いた計画書と全く異なる場合には、猛反省する仕組みになっている。

 2、次元意識が明確か?

4次元以降の世界について明確な考えを持っているか?

霊能者の多くは神がかりになるが、その次元が何次元であるか不明となっている。

彼らの著書を読む限りでは6次元が限度であり、5次元以下の者が多い。

特に仙人界からの指導による場合は、5次元が多い。

占いにおいて運命論や先祖のカルマの解消を強調する人達は5次元止まりである。

著書を読むと、その人の文章や文体によって何次元か推定できる。

その人が特に強調している言葉を考えると、その人の次元意識が伝わってくるからである。

しかし、「慈悲や愛」を書いていながら文章そのものが無慈悲になっている場合がある。

これは、地獄霊の影響であり、4次元以下である。

その人の訴えたいものが何かということがわかれば、その人の次元意識が見えてくる。

文章が傲慢になっている場合は5次元であり、謙虚な書き方をしている場合は6次元である。

除霊ということを強調する人は5次元である。

修行や徳を積むことだけを強調し、この世に生まれる使命は、ユートピア実現の為であるということが欠如しているものも5次元である。

自己確立を中心に八正道や反省や気付きを強調するのは6次元である。

波動の法則を明確に言える人は6次元である。

人生の目的と使命を明確に言える人も6次元である。

八正道を実践している人は6次元以上である。

5次元以下の人は八正道で反省が出来ない。

それゆえ、、八正道で反省できることが6次元の条件である。

 3、宇宙即我を体験しているか?

宇宙即我の悟りを体験すれば、如来の二大能力である観自在力と漏尽通力が発揮され、預言が可能となる。

聖書の預言も解明できるレベルであり、世界人類を正しい方向に導く大指導霊でもある。

それゆえ、「ヨハネの黙示録」をどのように解釈するかで本物か偽者かわかるのである。

 4、仏陀とイエスをどのように評価しているか?

仏陀やイエスより自分が偉いと思っている人は偽者である。

「人間は神である」と断言している人も偽者である。

高橋信次先生は「人間は神にはなれない」と語っている。

「人間は神の子である」という表現が正しいのである。

 5、占いをどのように考えているか?

占いは仙人界で開発した技法である。

しかし、仙人界指導の運命論では人類の救済にはならない。

陰陽五行説の限界を超えなければ、真の自分は発見できない。

陰陽五行説は闘争原理を導入し、5次元の想念や念力による自己実現意識である。

そのため、自己中心の想念に拘束されて、自分のカルマから脱出できないのである。

しかし、三体理論や数霊次元説によれば、カルマから解放され自己確立から菩薩行への道が示されている。

①占いを金儲けの手段としているのは4次元である。

②占いを運命論として把握しているのは5次元である。

③占いを自己確立の手段としているのは6次元である。

④占いを神理伝道の手段としているのは7次元である。

⑤占いを救世主の存在証明の手段とするのは7次元上段階(梵天界)である。


 6、人生の目的と使命をどのように考えるのか?

(5次元の考え方)

神と自分の関係を考えるが、神を自分の外に求める意識は5次元である。

この立場では、神人合一は理解できない。人生とは前世のカルマを刈り取る場であり、来世に向かって徳を積む場であると考えている人は5次元である。

神理を探求し、世のため人のためになるように善徳を積み重ね、御霊を向上させるという意識はあるが、先祖のカルマと自分のカルマが全ての不幸の原因であり、二つのカルマを解消しなければならないと考える人は5次元である。先祖のカルマを子孫が代わりに解消してやることは出来ない。先祖の霊が反省して自分のカルマを解消しなければならないからである。

これは神の摂理である。

親が勝手に自分を生んだと思っている人、また自分は親を選べ権利は無いと思っている人は5次元以下である。

真実のパラダイムを知らない人は4次元であり、「バカの壁」の中にいる人である。

真実のパラダイムを知ることが出来れば、「バカの壁」は破れ、5次元に進化できる。


(6次元の考え方)

神を自分の心の中に求める意識は6次元であり、神人合一を理解できる。

人間は神の子であり、この地球上にユートピアを実現するために生まれてきた。

そして、転生輪廻の過程で造り出した心と行動の癖(カルマ)を修正するために生まれてきたと思っている人は6次元である。

先祖のカルマは解消できない。

なぜなら、先祖のカルマは子孫のカルマではないからである。

自分のカルマを修正することにより、健全な心と健全な体と健全な経済環境を造ることが真の先祖供養である。

子孫が神の子としての幸せな生活をすることにより、先祖の霊が4次元以降の世界からその姿を見て反省し、現在よりも高い霊域へと進むことが出来るからである。

自分で蒔いた種は自分で刈り取ることが神の摂理である。

自分が両親を選んで生まれてきたという意識は6次元である。

 7、言行一致しているか?

自分の言ったことと行動が一致するとは当然であるが、本に書いたことと行為が伴わない場合がある。

本を出版した人は八正道で点検する必要がある。

言行不一致は5次元以下である。

 8、八正道が実践できるか?

多くの霊能者は八正道が実践できない。

それゆえ、偽者である。

正見が出来ない霊能者が多い。

八正道の実践が出来ない人は指導者の資格は無い。

高橋信次著「大自然の波動と生命」における生命論の要約

「私たちの肉体は両親を含めて、先祖の先天的因果と自分自身の後天的因果により、肉体的諸条件が組み合っており、この肉体を支配する意識即ち生命(魂)が、修行する為に与えられた人生航路の舟である。」と断言し、さらに、「意識即ち魂は、過去世において神仏の子として、修行してきた生命であり、再びこの現象界に自分の魂を修行する為に生まれてきたのである。また、この現象界の修行が最も厳しく、来世における総ての基準になる。」と言っている。それは、肉体の支配者である意識(魂)は、表面意識が約10%で修行するため魂が磨かれるからである。約90%の潜在意識は、実在界(死後の世界)に通じている為に、殆ど間違った判断はしない。人間はやがて、現象界の肉体から魂が抜け出して修行を完了し、実在界(あの世)の肉体(光子体)をもって再び魂の生活に入るという生命の不変を解説している。

過去から現在、現在から未来へと修行をしていく生命すなわち意識(魂)を自覚し、最も人間らしい生活を営むべきである。私たちが、自分の過去世の魂を知ることが出来れば、この現象界における魂の修行に希望を見出し、魂の構成を悟り、未来に光を発見することが出来る。何の為に生まれてきたかを悟ったならば、私たちは自分の使命を自覚せざるを得ない。人生航路において、自分の表に出ている約10%の意識で判断せず、潜在している約90%の意識即ち自分の心に問い、常に反省の中に神の光が与えられるのである。

資本主義もマルクス主義も物質偏重主義である為、自己保存と黒い想念の塊の社会と化している。それゆえ、神仏の調和の取れた光を遮断するため、闘争が耐えないのである。人類に欠けているのは、心であり、神仏の存在を再認識する反省の時である。思想の対立解消は、人間同士の心の調和以外に解決できない。大自然の慈悲に対して報恩感謝の心を悟り、慈悲と愛による調和の取れた社会を建設することが私たちの本来の使命である。


第1章 宗教と科学

大自然界の現象は万物に遍く恵みを与え、万物の循環は寸分の誤差もなく、一定のリズムで、生死と盛衰が行われている。この輪廻の中で、宗教は大自然生命の神理を説き、道徳を教え、正しい秩序ある社会を造り、人間の幸せを教示している。科学は大自然の恵みを理論的に究明し実証付けている。宗教は生命の科学であり、物質科学より位相が一歩進んでいる。宗教の究極は大自然即生命の教理であり、現世における私たちの在り方を教えている。科学は現象界の時間と空間を超越して精神界に入り、正しい宗教の姿を実証していく。イエスも仏陀も偉大なる科学者であり、大自然の神理に到達した偉大なる先駆者である。諸聖人たちは、自我を没却して、人間性を高揚し、高い境地に立って、神即ち大自然生命本体エネルギーの源に通じ、万人に慈悲と愛の教理を現象によって示したのである。宗教と科学が一体に近づくに従って真の人間性が大宇宙生命と調和され、心の安らぎによる、自分自身の極楽浄土は意識の世界に築き上げられ、大衆の意識が正法を悟ることによって地球上に真の菩薩界が完成されるのである。


第2章 神の原理

神とは何であるか? その①は大宇宙の意識こそ、大宇宙の支配者であり、万物に慈悲を与えている絶対の神仏である。太陽系は宇宙の小さな諸器官であり、地球は細胞の一体に過ぎない。私たちの人体も9兆6千億という小さな細胞の集団によって五体を構成し、各器官は人体機構を維持する為の使命を持っており、神の慈悲によって、環境と熱光のエネルギーを含む万物が相互関係を持って、肉体保存に協力している。その五体も自分自身の意識によって支配している。大宇宙の意識は宇宙全体であり、私たちの意識は五体全体に関係しており、大宇宙の意識に通じている。神が私たちに与えられた慈悲と愛に対し、私たちは報恩感謝の心を持たなくてはならない。

その②の神は現人神としてこの世に肉体を持って、大自然大宇宙生命本体の神意に通じ、私たちに人間として生命活動を続けていく為の神理を教え、自我我欲を捨て、自ら多くの衆生に慈悲と愛を教えた為、その聖徳を称えて神と仰いだのである。現人神は大神霊と表裏一体であり、神の使者である。(如来や菩薩のことである。)私たちの心は体全体にあるが、見ることが出来ないように、宇宙の意識も現象界の人々には見ることが出来ないようになっている。

如来以上の方でなければ、実体を拝することは出来ない。実在界の光の天使には厳しい意識の段階があり、霊子によって意識は構成されて神と調和し、光子の体を持っている。魂の修行によって、体から出る光の量が異なっている為に、段階が区分されている。イエス・キリストは10歳の時に実在界に呼ばれ、現象界の邪法悪魔より人類を救うことを神より命ぜられ、アガシャー大王、モーセ、釈迦の上段階光の大指導霊の前に出て、人類救済の使命を与えられ、それを持ってイスラエルに戻ったのである。イエスは正法を説く暇もなく、自分を犠牲にして大衆を救ったが、焼かれている自分の姿を実在界から見られ、残した仕事を完遂する為に復活せられ、弟子達に正法を説かれたのである。人生航路の一生を慈悲と愛、神との調和で過ごしたのであり、全く神と同じである為、現人神として仰がれてきたのである。

その③の神と称されてきたのは、一般の動物霊である。現世において、犬や猫を飼うように実在界では使い姫として使う場合がある。そのため、狐、龍等の動物霊を崇拝する場合である。人類は動物霊を神として信仰の対象にしてはならない。自我我欲で求め自己保存のために、このような信仰に入ると、自分自身の意識が動物の本性に通じてしまう。神の意識と自分の意識が調和されれば動物霊に支配されることは無い。動物霊に憑かれると、いかに先祖供養をしても幸福は得られず、地獄に堕ち、その人間が狐の姿になっていることを知らなければならない。知識即ち頭でのみ悟り、滝に打たれて修行をしても、自我我欲の本性は動物霊を己の意識が呼び込む結果となるのである。

大宇宙生命本体大神霊こそ私たちの正しい神仏であることを忘れ、釈迦・イエス・モーセ・大日如来・阿弥陀如来・いわんや日蓮聖人までが御本尊と考えるのは間違いである。このような如来・菩薩は神と表裏一体であり、光の天使であることを知らなければならない。




第3章 大自然と生命

大宇宙大自然界は大神霊の本体である。本体あるがゆえに意識がある。動物・植物・鉱物を含めて万物が総て生命の塊である。生命のエネルギーは大自然生命本体エネルギーの塊によって調和し、一定の波動で循環を繰り返している。私たちの生命も過去世・現在・未来の三世をそれぞれ神より与えられた使命を持って、動物・植物・鉱物相互扶助の中で循環されている。大自然の恵み無くして生命の保存は不可能である。熱・光・環境・一切が神より与えられている慈悲なのである。それゆえ、万物に対して報恩感謝の精神を忘れてはならない。もし、太陽に対して熱・光のエネルギーの代償を支払うとしたならば、私たちは破産することになる。私たちは余りにも環境に甘えすぎている為、真実の姿を蔑ろにしている。現象界の未解決問題は、諸先輩の築き上げた研究成果を足場に、いつの日にか結果となって解明される時が来る。生命と物質の相互関係の仕組みも極大と極小の世界を極めていくに従って謎は解明され、私たちの使命を自覚する時が来る。

大自然の姿こそ慈悲であり、愛である。私たちは自分自身を反省する必要がある。肉体を与えられた両親の恩、神に対する感謝の心を忘れてはならない。

自慢・自信は自己保存になり、自我我欲の黒い想念と化すことを忘れてはならない。大自然生命本体大神霊から与えられている大慈悲の精神を持って、神・人・物に対し、生活をしていくならば、調和された神意の極楽浄土が完成されていく。不調和な衆生が多いところには、天変地変の原因となり、黒い想念の塊が爆発する。私たちの肉体に腫れ物が出来れば、切開するか、化膿して自然爆発するかである。これは、二酸化炭素のいたずらである。私たちの肉体と同じように地球も大宇宙体の細胞である。人々の黒い想念のエネルギーが大きく作用することを知らなくてはならない。エネルギーには資量があり、質量があれば当然空間が存在する。真の正法は、大自然生命本体大神霊及び本体である万物に報恩感謝を具現し、慈悲と愛の心を持って万物と調和し、自分の真心と頭・心・身体が一体となって悟ることである。真の正法を智・情・意で悟ってはならない。智と意で悟ると、自我に通じ黒い想念と化し、正法も逆法と化すことを悟らなければならない。肉体行をして滝に打たれたりすると、意識の中に肉体的自我が生じ、この自我が意識を支配すると黒い想念となり神の光が遮断され低級な動物霊を呼び込む結果となり、その動物霊に支配され、神の声の如き錯覚を起こし、神のようなしぐさをするため、神の使いの如く思ってしまうのである。

真の正法を逆法に導いた責任者は、黒い想念に包まれ、自らを地獄に導いてしまうのである。神は罰を与えない。罰は自分自身の黒い想念が自分自身に与えるのである。動物霊は必ず信者に対して、先祖供養をするように言う。

動物霊の指示によって先祖供養をすると私たちの生活に不幸を呼ぶ結果となる。現象界の動物霊を拝んでいる衆生は死者が動物になっていることが分からない。法華経の如き正法であっても、指導者が誤れば、逆法になることを悟らねばならない。キリスト教も同様であり、厳しい戒律は自我の温床と化すものである。先祖の霊は供養するもの、自分の過去世は自覚するものである。過去世は潜在意識の世界であり、魂の修行を積んできた己自身の意識である。正法である仏教は2500年の間に、歴代の僧侶達の自我が入り自己保存に変わり、末法となったことを悟らねばならない。実在界の如来・菩薩達も現象界の衆生に救いの手を差し出している。己の悟りの中から心が安らぎ、現象界の極楽浄土が出来るのである。

第4章 私たちの生命と指導生命

私たちは大宇宙大自然の本体の中で生活し、神意によって現象界で肉体を持ち、魂の修行をしている。生命は意識であり、意識の中心に心が存在し意識と心を霊魂という。五体の支配者は自分自身の霊魂であり意識である。霊魂の意思によって頭脳の細胞は活動し、物を考えることが出来る。考える一念はエネルギーであり、無限大の力である。五体生命は一念力の発電所であり、神に通ずる心の製造所である。私たちは肉体労働をしても、頭脳労働をしても疲労を感ずる。疲労することはエネルギーの消耗であり、このエネルギーも質量を持っている。肉体と生命はともにエネルギーの塊である。エネルギーの供給源は、大自然生命本体であり、神であり万物である。私たちは神の神意によって、この現象界に魂の修行のため先天的・後天的因果を持った肉体を与えられたのである。

私たちの魂を磨く過程において、意識の約10%が表面に出て約90%は潜在している。表面意識の10%で魂の修行をするため、幽界・霊界・神界など実在界の過去世の生命や過去世で友達である霊人が指導して下さるのである。この生命を指導生命という。自分自身の潜在意識は指導生命に通じている。眠っている時は五体の休息であり、自分の意識が五体を離れて次元の異なった世界に行くため、五体を支配することが出来ない。指導生命には守護霊・指導霊がある。私たちは肉体と生命にまつわる因果関係生命の集合体であり、自分自身の潜在している意識は時間・空間を超越した次元の異なる世界に通じている。意識はエネルギーの塊であり、質量がある以上、空間の異なる世界が存在することを否定できない。赤外線・紫外線・X線・宇宙線などは目で確認できないが存在していることは確かである。原子・電子も目視することは出来ないが存在している。疑問の解明こそ神理への近道である。正しい目的に対する努力こそ、私たちの肉体的・精神的心の修行である。神は私たちに慈悲として万物を与えている。その万物の応用こそ私たちの使命であり、研究努力の一念力によって神理を悟ることが出来る。悟りは自分以外には出来ないのである。

正法を悟り正しい目的に対して神に祈り、瞑想にふけることが出来れば、必ず指導生命が反応を与えてくださる。私たちの人格形成によって高位な指導生命が指導する仕組みになっている。高橋信次先生の指導霊は、紀元前235年3月生まれのモーセである。守護霊は紀元前2000年にエジプトに生まれた宗教政治家であり、医学者でもあった。その後イスラエルに生まれ多くの衆生を救ったイエス・キリストである。

現象界に肉体を持つときは、肉体的条件である眼・耳・鼻・舌・身・意の抵抗が大きい為、自分の過去を忘れ自己満足の人生を送り、指導霊や守護霊の教えを自分自身で悟ることは大変なのである。大日如来ですら中国で肉体を持ったとき、余り人を救うことが出来ず実在界に帰った時、如来席に案内され面食らったそうである。如来でも余り悟らずに帰る人がいるのである。正法によって己を知る以外にない。

思想は人間の自我で作ったものであり、黒い想念であり、己が苦しむ原因となる。私たちは自我を捨て、自分の意識の波動と大自然生命本体大神霊の波動を合わせることが重要であり、自己を自然の姿に還してこそ神理をつかむことが出来る。肉体は、先祖より続いている両親の先天的因果と、生命の過去世における先天的因果の上に、自分自身の意識が組み合って、私たちの人格が形成されている。潜在意識の世界に存在する過去世の宝庫を開くことこそ、現象界における成功の根本であり、この開発こそ、自分を自覚する重要な鍵である。幼少の頃より、特定の部門に天才的な力を示す小生命体は、先祖代々の肉体的遺伝と、過去世代々の霊的遺伝によるものである。しかし、自己保存と増長慢になると凡人と化してしまう。人生航路においても正法を悟らず、この世を去り、実在界に来た生命は、地獄に堕ちて苦しい修行をしなければ天上界に上ることは出来ない。

現象界が魂の修行場として最も厳しい所である。しかし、誰でも眠っている時は、実在界や地獄・極楽に自分の意識は行っている。魂の修行とはいえ、自分の本性を悟ることが出来ないのが人間である。指導生命を知ることが出来ないのは、自分自身の自我我欲が抵抗となり、正しい指導を受けることが出来ないからである。正法の悟りは自分自身の心に問い、反省の中から得られる。自分自身の使命を悟らない霊魂が多いため、地獄は一杯である。地獄霊は地獄の苦しみを離れようとして、現象界の衆生の黒い想念の中に入り込み、病気や闘争の不調和な現象を起こしている。智と意で悟るものではなく、慈悲と愛による己の心で悟らねばならない。心技体一致の姿こそ、悟りの極意である。自己保存は作用反作用の法則によって己に降りかかってくることを悟らねばならない。仏教も今は狐や蛇などの動物霊に食い荒らされている。人間が動物霊に支配され、動物霊は先祖の供養しか言わない。亡くなった先祖の霊は、亡くなった自分自身の生命が悟る以外に成仏が出来ない。先祖の霊に対して経文の意味も分からず、いかに供養しても成仏はしない。衆生が正法を悟ることによって先祖の霊も静まることを知らなければならない。慈悲から生まれる調和の心こそ、仏法の神理である。正法を悟った指導者は、哀れな人々に対して慈悲心を持って諭さなくてはならない。文証・理証・現証の三体が具現された法こそ正法という。物質文明も大自然の法則に従って築き上げられてきた。大神霊の慈悲に感謝し、90%の潜在意識の過去世の指導霊に自分の反省を問い、報恩の姿を慈悲と愛によって多くの人々に与えなくてはならない。調和な生活の中で、私たちに神の加護が与えられている。発明・発見総てに守護霊・指導霊が助力を与えているからである。

地球は大宇宙の細胞の一つである。天体や遊星の配列や相互の関係は、原子の電子構造や物質元素の周期律の如く精密であり、漸進的である。直接地球を包んでいる世界が、幽界である。幽界の性質は遊星人の意識の発達によっては清浄になる。幽界は平面ではなく、意識の程度の集団で構成されている。低級な生命の生存する領域の上には、暗い地獄の地帯と恐怖と苦悩に満ちた世界であり、地獄に堕ちた生命が住んでいる。幽界の環境は心の動きに、直ぐ反応する意識的世界である。自分自身の死を悟らず、黒い想念の塊となって、自分自身の欲望を満たしている世界で、何億何千の霊魂が生存している。色欲の生命は、男女が常にその中で自分の生命が悟るまで、取り合いや孤独の徹底的な現象で苦しんでいる。幽界は低段階の霊位の集まりであるが、この世界の中に極楽界が存在している。欲しいものは総て手に入り、自分の正しい目的完遂のために努力した一念力によって物質が出来る世界である。経済は物々交換が行われ、金銭売買ではない。幽界人との交流は、白いベールによって閉ざされており、特定の人によって対話が可能なのである。地獄にいる暗い世界の生命も、神の神意を自覚し、自分の魂に刻まれている罪の償いが終わる事により、光の天使が保護して、天国界へ光の波動によって進むことが出来る。幽界の生命も正法を確立することにより、さらに霊界、神界へと永遠の世界へ修行されて、魂は磨かれていくのである。魂の修行によって光の度合いで決まっている。地球上の人類と火星の生物が一番不調和な生活をしている。他の天体には、はるかに進歩した生物が存在している。人類は精神文明の回転ピッチを早めなければならない。天地一切、総ての権利を如来・菩薩が持っていることを悟らねばならない。高橋信次先生は実在界の如来の指導によって自分の本性を悟ることが出来た。自分の暗い想念を反省の中より常に自分の心に問うて行動をし、そして心の安らぎを得ることが出来たのである。

私たちは自己反省が必要であり、常に反省の瞑想にふけり、真の道を悟らなくてはならない。実在界の如来や菩薩の教えを日常生活に生かすことが出来たなら、悟りを開いたことになる。肉体を持った生命は五官の隙間に悪霊が入り、増長慢となり、己の本性を忘れてしまう為、非常に難しいのである。いかに大指導霊が指導しても、現象界における行動は、自分自身が決定する為、指導霊が決定できない仕組みになっている。自分自身が正しい目的に対し、一念力を集中して念ずれば、必ず一念の波動は実在界に通じ、生命本体に調和される。食べ物で苦しみ、お金で苦しんでいる姿は、己の心が餓鬼界に通じ、闘争の生活は修羅界に通じている。逆法を正法と信ずる衆生こそ目を覚まさなくてはならない。神仏は己の意識の中に厳然として存在している。法華経を看板にし、先祖供養を旗頭に立てて、信仰を強制している宗教も正法ではない。このような信者の多くは畜生界(動物界)に堕ちて心の安らぎがない。自分自身が生まれた目的も悟らず、「親が勝手に私を生んだのだ」と親不孝をし、神仏を信ずる事なく、自我我欲、己の本能のままに、日常を送る人々の心は地獄界そのものである。このような人々には、必ず地獄の迷える魂が、現象界に来て、黒い想念に救いを求めて生活している場合が多いのである。現象界における仏法の法力が、効力を減少している為、迷える魂が多くなったのである。それは、道徳の退廃からくる秩序の乱れに原因がある。

自分自身の中に謙虚な正しい調和した心を持ち、自らの力で物を考える者こそ、生命は躍動し、自分自身の中にある本来の神仏の知恵を自覚することが出来る。人間は何事にも熱心になれば疑問を生じ、一念力による正しい想念のエネルギーは、波動となって宇宙生命に調和され、霊感作用が起きるのである。究極における疑問の解決は神理であり、私たちが実践することにより真実となる。逆法になるのは、正法に自分の思想を入れて不自然な法を説くからである。信仰は自分自身の黒い想念を捨て去り、己の行動を心に問いて、反省の繰り返しの中に、魂は磨かれ、自分を含めて多くの衆生のことを考えてこそ神の光が受けられるのである。一秒一秒の生活の中に信仰があり、神の子として、恥じない生活こそ正法である。自分の生活の総ての中に信仰がある。いかに正法であろうとも、その教えを説く指導者が、指導方法を誤れば逆法となり、幹部の自我我欲による自己保存が作用して、自分の地位を固執し、団結という美名のもとに信者に信仰を強制している。慈悲と愛の調和を失った指導者は仏法を説く資格は無い。多くの衆生を迷わす結果となるからである。無知と狂信の組織は「ファッショ」と化し、恐ろしい暗黒の生活に堕ち込んでいる。正法を悟り、常に良い原因を作り、良い結果が循環されるように努力してこそ幸福が得られるのである。

第5章 生命不変の原理

肉体と意識は別々であり、意識の中心に心がある。これを、霊魂と言い、生命のエネルギーであり、質量がある。そして、指導生命が私たちの意識を指導しているが、自分の行動は自分の意思によって決定している。肉体と意識が一体となって私たちの存在と人格が形成されている。この姿を色心不二という。私たちの生命は質量不変の法則やエネルギー不変の法則と同じように、過去から現在・現在より来世と三世の世界を循環して、自分自身の魂の流転を続け不滅である。生と死は現象界の肉体と実在界の光子体の衣替えである。意識も変わらないし、死は現象界から実在界への次元移動であり、あの世とこの世は背中合わせのようなところである。あの世は現象界の地位や名誉のいかんに関わらず、実在界においては通用しないことを悟らなければならない。実在界の生命は表面意識が90%となり、潜在意識が10%である為、正法を殆ど悟っている。私たちは神意によって、魂の修行をするため、現象界へ肉体を持って生まれて来たのである。私たちの生命も実在界や幽界・霊界で修行をして来た生命であり、今度こそ立派に人間としての勤めを果たして来ようと約束してr生まれて来た人々ばかりである。しかし、肉体に入って、自分の意識で支配始めると、そのような約束は忘れてしまい不調和な生活をして、自分を苦しめる結果となるのである。それでも、眠っている時は、自分の意識が次元の異なる世界に行っており、肉体と生命の二重生活をしているのである。

人生航路の苦楽も盛衰も神より与えられている修行の手段であることを自覚しなければならない。そのため、正法を悟り、現世に極楽浄土を建設して、多くの衆生を幸福に導かねばならない。植物・動物のように生きた生命を私たちのエネルギー源として必要であり、野菜は野菜として私たちに供養する使命がある。人間のエネルギー源となることについて、私たちは感謝の心を持ってこそ、動植物の霊は喜んで自分を供養するのである。動植物の冥福を祈り心から感謝しなければならない。将来において、人造食物が出来るまで、神は許しておられる。

私たちは、大自然のエネルギーを吸収した両親の調和によって、母体内の卵子と精子が成長ホルモンの作用によって、受胎される。その調和の一念力のエネルギーが光となって次元の異なった世界に通じ生命が与えられる。この魂は極楽界以上の生命であり、地獄界の生命は入ることが出来ない仕組みになっている。肉体的欠陥は両親及び先祖の先天的因果によるものである。生命も類は類を呼び、それぞれの環境に応じて、肉体に宿る使命がある。肉体的欠陥は、先祖か両親の黒い想念によって生ずる現象である。意識の内10%は自分自身の後天的因果と先祖・両親の因果を受ける。90%は過去世の魂の因果である。意識は自分の肉体の支配者であり、正しい一念力のエネルギーによって、体質も変わるし、あらゆる精神作用、環境等の作用が、精神と肉体に影響するのである。受胎された細胞は、母体のエネルギーを吸収して、細胞分裂を起こし、肉体細胞は五体を完成していく。この間の生命は、次元の異なる世界と常に交渉している。九ヶ月を経て、胎児はこの現象界に生まれてくる。各細胞の生命は各諸器官と連絡されており、各諸器官は五体を維持する為に使命を持っている。動物・植物・鉱物のエネルギーを吸収して、五体は調和された環境を作り成長を続けていく。生後二~三日で初笑いをする。この時は、魂の次元が異なった世界から友達によって祝福されている時である。成長するに従って意識は肉体の支配を高めて行くが意思は、殆ど持っていない。目が見えるようになるに従って、次元の異なる世界と分離されて、完全に自分の10%の意識が支配していく。この時には、90%の潜在意識が大自然の生命と実在界に通じている。魂の流転は核である本体を中心に、分身が五人の意識によって組み合っており、現象界においての名前が異なるのみで、本性は変わらないのである。如来・菩薩の本体が現象界に出た時は、必ず上段階の光の天使(如来)や菩薩は悟りを開き、自分の目的を果たして実在界に帰る。本体は生命の核であり、五人の分身と調和されている。私たちは五分身と本体によって永遠の旅を続けている。五身が90%の潜在意識であり、10%は現象界での自分自身が作り上げている表面意識である。

肉体が成長するに従って、自分の意思を持つようになり、自我我欲が芽生えてくる。勿論、自分の過去世などは忘れてしまい、人生航路における魂の修行が始まっていく。守護霊も指導霊も暖かく見守っている。眼・耳・鼻・舌・身・意の五官が強くなるに従って自我が入り、自分を悟れなくしていくのである。守護霊は過去世の人々がついている場合が多い。

肉体だけは先祖の先天的因果を受けるが、過去世の人と性格が似る場合がある。過去世の中でも修行をした人が守護霊を勤めている。霊的感応が強い人々は、神界クラスの霊人が守護霊をしている。先天的因果の悪い人でも、自分の正しい努力の一念力で、必ず神の光の保護を受けられる。太陽の熱光のエネルギーは万物に平等に与えている。神は差別しない。

己の心が正法を悟れば、幸福になれる。現象界では太陽を中心として、地球と月の相互関係から年・月・日・時間を定めている。私たちの生命も現象界より実在界へ、循環を限りなく続けていくのであり、肉体も大自然の万物に循環されて行く。宗教団体が教祖の意思によって、政治を取ることは絶対に避けなければならない。宗教の名の下に、独裁を強行することが多いからである。いろいろな修行をした生命も、やがては自分自身の肉体を去らなければならない。

人生航路の成果を自分自身で調べ、ある者は地獄へ、ある者は天国へと自分で定めなければならない。現世に思いを残す執念のエネルギーは幽界の人ほど強い。そのため墓に執念のエネルギーがこもるのである。地獄界の霊魂は自分のことしか考えていないので、なかなか悟れないのである。光の天使によって指導され、悟った順から、天上界に導かれていく。極楽界より上段階(5次元以上の世界)になると精密な時間と空間の中で、生命意識は強くなり、正しい想念の考えるエネルギーは、光のエネルギーに変わり、肉体も光子体から出来ている。勿論、質量を持っている。人間生活の記録は総て、自分の意識の中に、寸分の狂いも無く記されている。

正しい想念による、行動力は精神・肉体・経済の柱を完全に造り、さらに反省の瞑想は光となって実在界の天使に通じ神に伝達されるのである。悟ることは、あらゆる事象に対して、自分の心に問い、自分自身が正法に基づいて生活していくことである。死は新しい門出であり、肉体は自然界に還しても、光子という安定した肉体を持って、再び実在界で生活を続けるのである。過ぎ去った原因は現在の結果となって現われ、現在の原因は未来の現象となることを悟らねばならない。日々の修行こそ、私たちに与えられている使命であり、その目的を果たしてこそ、心に安らぎが生まれる。魂と肉体の先天的・後天的因果である悪い内部抵抗は、自我の消滅によって大自然と調和され生命力は強くなり、自然のリズムに乗った能率的な生命体活動をするようになる。死は生命本体から、エネルギー供給の停止であり、肉体は大自然に還り、魂は生命本体エネルギーの来世に循環されて行くのである。

第6章 大宇宙と小宇宙

太陽系は、太陽を中心に9個の惑星が一定のリズムによって、自転公転を続けており、太陽系は全体としてヘラクレス座に向かって進んでいる。太陽系も大宇宙から見ると、小さな一恒星にしか過ぎない。恒星も一定のリズムで循環している。大宇宙は銀河系のような小宇宙がたくさん集まり、大宇宙を構成して、その循環は、大自然生命本体大神霊が支配している。太陽も九惑星を引き連れて運動を続け、各惑星も大きなエネルギーを持って、大自然の法則に従っている。大宇宙から極微の原子・電子及び生物の細胞に至るまで、総てエネルギーの塊である上に、秩序を保って、即応した環境の中で安定している。大宇宙は物質と生命から成り、渾然一体となって適合した環境を構成している。生物の生命は動物・植物・鉱物のエネルギーを吸収して、細胞生命を保ち、自己保存と子孫繁栄・保存の本能を持っている。地球は71%が水圏であり、29%が陸地からなっている。人体も71%が水分で、29%が蛋白質やカルシウムその他の成分よりなっている。血液循環も大自然の河川と同じように一定の速度で流れ、肉体細胞の核分裂を助けている。地球の衛星である月の公転は約28日で地球の干満潮に深い関係があり、女性の生理現象にも関係がある。物質界における極微の原子・電子の運動も、太陽系の惑星運動の極大も、その運動形態は一定法則に従って循環を続けている。生命体の細胞もこの法則を無視して生存は不可能である。私たちの小宇宙の四季は、受胎の月が春で、夏秋の九ヶ月を経て生まれ、冬を迎えるのである。人生航路の第一歩は冬の季節で、私たちが持つ大自然生命本体に従って定められた個人のリズムなのである。


第7章 生命と感応

私たちの脳は、生命即ち意識の正しい目的完遂の想念のエネルギーを集中すると、脳内に電気的反応が起こり、万物の目的に応じた感応現象が現われる。これを霊感と言い、殆ど守護霊・指導霊が感応作用を与える。その場合、意識の作用によって、脳内の神経繊維の外側に+、内側に-の電気が帯電し、あらゆる事象に電気的変化を起こし、常に受信・発信の機能を持ち、電気的変化が生ずる。私たちの生命を指導する霊は、大脳内の一室に入ることが出来る場所があると教えられている。脳波の波長も、自分の意識の発信する想念の力によって大きく変わることを示している。感応力の強い人は現世の時間・空間を超越して、未然に起こり得る現象を感知する能力を持っている。つまり、遠隔地の変化を見透したり、その結果を実証することが出来る能力を持っている。

感応作用「テレパシー」は、私たちの本能であり、古代人は自然の災害や外敵から身を守る為、強い感応力を持っていた。ネズミや猫は、火災の起きる前に、何処か他の安全な場所に移動する。動物の保護色も外敵から身を守る為の本能として大自然から授かったものである。釈迦やキリストの時代は、霊的感応の強い人が多数生存していた。彼らは自己の煩悩を捨て自然の姿に還り、大自然の神理に通じ、自分の意識と神の意識が調和され、自らを悟り、実在界に通ずることが出来た。当時の人々は精神修養をする環境に恵まれていた。現代人は経済的物質文明によって、心にゆとりが無くなり、物質至上主義に陥っていくから、心の安らぎが得られない。私たちは、精神文明と物質文明を再認識して、人間が神より与えられた使命を考え直し、真の道に入らなくてはならない。私たちの感応作用は、現世の時間・空間に影響されず、実在界まで通信されるのである。私たちの感応力は霊界との交信によって得られるものである。私たち人間にもそれぞれの人格、教養、専門の研究者によってレベルが違うように、感応力は人間と霊界通信者のレベルの高い霊人の交信は、その精度が高い。誰でも正しい目的に向かって、一念力のエネルギーは、必ず他界に通じ、感応現象即ち霊感が与えられるのである。正しい想念の波動は心を浄化し、清らかな波動は心に安らぎが与えられ、心の調和を生み出すことが出来るのである。


第8章 実在界と現象界

大宇宙は現象界・幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界・宇宙界に区分されている。霊界と神界の裏側に仙人界・天狗界がある。この世界は智と意で悟り、慈悲と愛が少なく正法を悟っていない。如来界・菩薩界の指導者は、現象や正法を説き、現象界の人々に心の安らぎを与える。狐や龍のような動物霊は如来・菩薩の姿を自分で変化して見せ、人々に恐怖を与えるようになる。さらにお金を信者に強制する。莫大な金をかけて、神仏を祀っても、私たちの魂を磨くことは出来ない。衆生の魂を救うことが先決である。釈迦やキリストも神殿や仏閣を造っていないと言うことである。釈迦の涅槃後、舎利仏・目連、富留那の三大弟子はすでに現象界を去り、文殊・迦葉・優波離・阿難・マイトレーヤー・カリナ・ラゴラその他の仏弟子達が口伝された正法を纏めて、仏教典を作った。その後、不空三蔵等が中国へ仏教を広めた。カリナは69歳で現象界を去り、実在界では観世音菩薩となり、イエスの分身であるクラリオから贈られた聖をつけて聖観世音と呼ばれたのである。マイトレーヤーは78歳で現象界を去り、実在界では弥勒菩薩の称号を与えられた。

現象界の自己や災難は総てが自分自身の黒い想念による不調和が原因である。自分自身の黒い想念が、神の光を遮断するため、意識の質量が重くなることを悟らなければならない。間違った集団の細胞になると、己の意識まで腐ってしまう。報恩感謝、慈悲と愛によって人々を救うことが大善である。正法にかなった心の置き方が、調和の取れた人間であることを神は教えている。光の量は自分の悟りのバロメーターであり、作詞・作曲家には、神界の人々が調和の取れた波動を教えている。不調和な作詞・作曲は必ず現象界を去ってから、自分自身で反省しなければならない。漫画家の創作の一念力に、実在界の指令が与えられる。テレパシー漫画などでも、現象界に起こり得る事実を予告し、人々の心を調和する為に実在界より指令されている。信じようが、信じまいが、魂は転生輪廻の法則に従っていることを悟らなければならない。

次元の壁ー真のメシアの存在証明

次元の壁(その1)-真のメシアの存在証明

(1)はじめに

私が次元という言葉を意識したのは、高橋信次先生の著書に出会ってからである。

特に「大自然の波動と生命」では、1次元から9次元までの諸相が図解されていた。

そして、高橋信次先生が死の直前に悟られた「太陽系霊団の系図」によって初めて高次元の内容が具体的に明らかにされたのである。

私は当時、丹羽透涯先生から丹羽式姓名学を学んでいたので、1から9までの数意の根拠を追究していた。

なぜなら、丹羽式姓名学は1から9までの数字で判断し、0を使わない姓名学であったからである。

それに対して、従来からの伝統式姓名学は1から81までの数字で判断していた。

高橋信次先生が示してくれた次元は、1から9までの次元であった。

そのため、1から9までの数意(数字が示す意味)は、1から9までの次元の意識に求められるのではないかと閃いたのである。

そのため、私は丹羽式姓名学で学んだ数意と次元意識を比較対照してみた。

(丹羽式姓名学の数意)

1→知 2→意 3→情 4→働 5→闘 6→徳 7→流 8→金 9→苦

(次元意識の数意)

1→真(智慧) 2→善 3→美 4→調和 5→勇気(正義) 6→敬 7→愛 8→慈悲 9→信


その結果、判明したことは、丹羽式姓名学で学んだ数意はカルマを示していることがわかったのである。

つまり、次元意識を光とすれば、カルマは3次元に投影された影であった。

そして、次元意識において光と影の関係を明確にすれば、占いの判断基準になるのではないかと閃いたのである。

そのような時にベートーヴェンの交響曲が参考になった。

例えば、第5交響曲(運命)は、既成の概念を覆す改革の意識を表現している。

自己改革の力が5次元の意識である。

第6交響曲(田園)は、ベートーヴェンが生涯を通してただ一度の感動的体験によって得た「自然との合一」であり、神との一体感を表現していた。

神との一体感は6次元にして初めて可能である為、田園は6次元の意識を表現していたのである。

第9交響曲は全人類への呼びかけの音楽として意義がある。

終楽章が異例の分かりやすい音楽であり、苦悩から歓喜へと導く真のメシアの意識を表現したものであった。

真のメシアは、最後に最も分かりやすい方法で人類を導く。

それが、「歓びの歌」なのである。

私は、ベートーヴェンの交響曲をヒントに占いの判断基準は、次元意識によって決定されることを突き止めた。

つまり、1から9までの数意は1から9までの次元意識によって決定されているということだった。

その結果、誕生したのが「数霊次元説」である。

数霊次元説は、占いの判断基準になるばかりでなく、宗教における正法神理の「道標」としても役立つことが分かってきたのである。

次元意識が理解できれば、6次元の壁は突破できる。

真のメシアが示してくれた「光の道」が正法神理であり、その「道標」が次元意識であり、三体理論なのである。

三体理論は「大自然の波動と生命」の中でモーセによって霊示された「道標」である。

真のメシアは第9交響曲のように人類に最も分かりやすい方法(「光の道」と「道標」)を示されたのである。

高橋信次先生を言霊法で解明すると「高次元の世界から信という架け橋をかける人」となる。

信を示せるのは真のメシアだけである。

それゆえ、高橋信次先生は真のメシアとしての役割を果たしたのである。

光の道=正法神理(イエスの愛・仏陀の慈悲・高橋信次の信)=心行と祈願文

道標=次元意識と三体理論(モーセの霊示)

「光の道」と「道標」は次元を貫く法則である。

それゆえ、不滅の法といえる。

私達にとって、この「光の道」を発見し、真っ直ぐに進むことが次元の壁を突破できる鍵となる。

なお、心行の波動は8次元の波動を示していることが証明されている。

(2)占いと宗教の統合

①占いと宗教は本来一体で心の安らぎを求めるために「光の道」として存在していた。

占いの役割は未来におけるリスクを事前に予測し対処することであった。

国家レベルでのリスク管理の手段として採用されていた。

しかし、国家レベルのリスク管理が個人レベルのリスク管理のために利用されることになり、その中で占いを金儲けの手段として悪用する者(プロの占い師)が出てきたのである。

②今から3億6千年前にベーター星から最初の人類が地球にやって来た。

エル・ランティーを中心とした調和された人類である。(それは、諸如来、諸菩薩であった。)

彼らは、エジプトのエルカンタラの地にユートピアであるエデンの園を建設した。

しかし、第2、第3の移民が地球に到着することにより、神理から離れて生活するようになった。

堕落した人達をエデンの園から追放したことが後のアダムとイブの神話になった。

天上界に帰還していたエル・ランティーは7大天使の一人であったルシフェルに堕落した者達を救済することを命じた。

しかし、ルシフェルは人間として生まれていくうちに次第に本来の目的と使命を忘れ、地獄界に堕ちてしまった。

これが、堕天使ルシフェル(サタン)の誕生である。

同時に4次元下段階の地獄界も創成されたのである。

③3次元世界は天上界からのユートピアを建設するために肉体を持った天使とそれを阻害する悪魔との戦いの場となった。

そのため、大天使でも悟りを得なければ本来の使命が果たせなくなったのである。

さらに、守護霊や指導霊をつけ間違いのないように指導する仕組みが出来た。

しかし、心の浄化が進まないと地獄霊に憑依され翻弄されてしまう厳しい環境が3次元世界である。

そこで、エル・ランティーは自分の分霊である3人のメシアを3次元に送り出し、正法神理を流布させたのである。

3人のメシアとは、イエス、仏陀、モーセである。

3人のメシアにより、「光の道」が示されたのである。

それが、キリスト教、仏教、ユダヤ教である。

④そのような3次元世界において何が一番大切なのか?

それは、心を発見し心を八正道により客観的に見つめ、反省し、修正することである。

高橋信次先生が示してくれた「光の道」をよりどころに生きていくことである。

「心行」と「祈願文」を吟味しながら生きていくことである。

地獄霊の誘惑に負けないことである。

慈悲と愛の行為をすることである。

それが、最終ユートピアを実現することになるからである。


⑤正法において文証・理証・現証があり、文証は神理を文章で証明することであり、仏陀の役割である。

理証は神理を科学的に証明することであり、イエスの役割である。

現証は神理を現象で証明することであり、モーセの役割である。

占いは現証の一部である。

「大自然の波動と生命」はモーセの霊示によっている為、次元意識も三体理論もモーセからの霊示により出来たものである。

⑥占いにおいて心を発見するとはどういうことか?

1、次元意識を知ること。(数霊次元説)

2、自分の心が神とつながっていることを認識する。(神の子の自覚)

3、人生の目的と使命を知る。(正法神理を知る)

4、自然の理法を知る。(三体理論)

以上のことを知ることが「光の道」を発見したことを意味し、6次元の壁を破ることになる。

つまり、真のメシアが示された「光の道」と「道標」を理解できることが6次元の壁を突破できる条件なのである。

(3)次元の壁とは何か?

全世界の人類の66%は、4次元と5次元の出身者であり、残りの34%が6次元以上の人達であるといわれている。

私達は、まずこのことを認識しなければならない。

6次元の存在であるフォトンベルトに地球が完全に入る日が2012年12月22日であるといわれている。

フォトンベルトに地球が突入する前に次元上昇(アセンション)することが要求される。

このままでは5次元以下の人達にとって酷い苦痛が伴うことになるからである。

それゆえ、早く次元の壁を突破することが急務なのである。

フォトンベルトは質量がない為、存在しないとする説が主流になっている。

代わりにプラズマ・フィラメントが存在している為、同様の効果があるといわれている。

次元の壁を突破するには、それぞれの課題を解決しなければならない。

次元におけるそれぞれの課題をクリアーできれば次元上昇できるのである。

①4次元の壁ー人間は死によって4次元以降の世界に入る(原則)

人間は死によって3次元から4次元へと移動する。

人間の体は三体によって構成されている。

その中心は霊子体と呼ばれ神とつながっている心である。

霊子体の発見は22世紀になると高橋信次先生は預言している。

霊子体を光子体が包んでおり、光子体の光の量(フォトンの量)によって次元が決定される。

光子体の光の量が少なければ天上界(4次元上段階以上の世界)に進むことが出来ず、地獄界で反省しなければならない。

光の量が増加することによって5次元霊界、6次元神界、7次元菩薩界、8次元如来界へと上昇していく。

如来は神の心と同通している為、霊子体となっている。

霊子体で最も光明化しているのが9次元の真のメシアである。

高橋信次先生は、エル・ランティーであることを悟り、9次元宇宙界に存在している。

人間は3次元に住んでいる為、肉体を持って出生している。

肉体を脱ぎ捨てた状態が光子体の状態であり、人間は死によって4次元の壁を突破できる。

ただし、悟りの状態により生きているうちに高次元に行けるレベルの人もいる。

例えば、宇宙即我の境地になった仏陀は7次元菩薩界で「縁生と悟り」について講演している。

近年では、高橋信次先生が宇宙即我の境地になり、菩薩界で「物質と生命」について1時間30分講演している。

スウェーデンボルグは7次元までしか見聞できなかった。

宇宙即我の境地になれなければ、8次元如来界以上には行けないからである。

宇宙即我の境地にして初めて神の心が分かるのである。

人間は死によって3次元から4次元に移動する時、肉体を脱ぎ捨て光子体の体になる。

光子体に執着を持たせ光の量が減少していると高次元には移動できない仕組みになっている。

光子体の光の量によって次元が決定されている為、光の量が少ない場合は、それぞれの地獄界に移動しなければならない。

3次元にいる4次元レベルの人は、目的意識が不足しているので、自分とは何かを追求し、自己確立のために学習することが大切である。

その中で自分を磨いていくことが5次元の進化へとつながる。

②5次元の壁ー自分自身を進化させようとする意思があれば、念力や想念を強化させることにより、5次元の壁は突破できる。

5次元の壁は、4次元から5次元に進化する時に破らねばならない壁である。

突破する為には、

1、自分自身を進化させようとする意識があること。

2、何が正しいか判断することが出来ること。

3、現状の仕事を分析し、改善できること。

4、自分の得意技を開発しようとすることが必要である。

5次元は念力の強化や想念の統一が課題となっている世界であり、、それに耐えられることが条件となる。

5次元レベルの人は仕事が分かるので、面白くなっている状況であるが、まだ正しい方向性が分からないので正しい道を探すことが使命である。

③6次元の壁ー真のメシアが示してくれた「光の道」や「道標」を心で確認できることが条件である。

6次元の壁は、5次元から6次元に進化する時、破らねばならない壁である。

突破する為には、

1、正しい心を発見できること。(「光の道」の発見)

2、次元意識が分かること。(「道標」の理解)

3、人生の目的と使命がわかること。

4、自分の開発した手法が神理に基づいていることを確認できることが条件である。

3次元には多くの占いが開発されているが、「光の道」に照らし合わせてみれば、それらの手法は5次元以下でしか通用しない為、本物ではない。

本物は次元を通して通用する自然の理法であり、「光の道」と「道標」がそれの該当する。

プロの占い師に忠告したいことは、自分の開発した占いの手法が「道標」である三体理論や数霊次元説と異なる場合は、修正する必要がある。

生きているうちに反省し、修正すべきである。

そのままでいると、地獄界で数百年間反省しなければならないからである。

日蓮上人も地獄界で600年間反省していた。

日蓮は、他宗を全て見下し、罵詈雑言を浴びせ、他人を非難することに終始した為である。

この行為によって600年間、地獄で反省させられたと高橋信次先生は語っている。

12年周期に基づく占いや陰陽五行説に基づく占いも5次元以下しか通用しない。

私の場合は、3回くらい修正して現在に至っている。

高橋信次先生の三体理論を知らずに占いの手法を開発した為、9年周期は正しかったが、波動のリズムが異なっていたのである。

それゆえ、波動のリズムを九星術から三体理論へと変更したのである。

修正できないプロの占い師達の死後の世界は、厳しい環境にあるということを指摘しなければならない。

三体理論のリズムは、9年周期に基づくものであり、12年周期に基づく占いは間違っている為、修正しなければ大変なことになる。

6次元の世界は「道即法」の実践の世界である。

真のメシアが示してくれた「光の道」を法として確立することが6次元神界の使命である。

6次元の人は、正法神理が頭で理解できても行為が伴わない為、7次元には進化できないのである。

④7次元の壁ー正法を行為で示すことが7次元の壁を突破する条件である。

7次元の壁とは、6次元から7次元に進化する時に破らねばならない壁である。

突破する為には、

1、占いと宗教の統合がなされること。(仕事と正法神理の統合が出来ること。)

2、神理伝道の為に「道標」として占いを活用できること。

3、預言者を占いによって証明できること。(預言は如来の観自在力によりなされ、それを証明するのが占いによる漏尽通力である。)


4、文証・理証・現証のうち占いは現証の一部であると理解できること。

5、未来の出来事が予測できること。(悪魔の霊能力を駆使するので心が正しい方向に向いているか検証する必要がある。)

6、地獄の救済が菩薩の最大の使命であることを理解していることである。

7次元の世界は、仕事や行為により神理伝道をするレベルである。

つまり、仕事と宗教の統合がなされ、神理を行為で示し、地獄界を無くすことが使命である。

「法即行」を実践する世界が7次元である。

ガブリエル大天使の生命であるカルヴァンは職業と正法の統合を説いて宗教改革をしている。

自分の仕事が正法の実践であると認識できるレベルが7次元である。

⑤8次元の壁ー「行即光」の実践が出来ることが8次元の壁を破る条件である。

8次元の壁とは、7次元から8次元に進化する時に破らねばならない壁である。

突破する為には、

1、「行即光」の実践が出来ること。(行為が光になり行為そのものが神理伝道になっている。存在しているだけで神理伝道が出来るレベルである。)

2、霊的能力が最高となり観自在力と漏尽通力が最大に発揮される。

3、宇宙即我の境地を体験し神の心と同通していることである。

8次元の世界は、「行即光」の世界であり、如来のあり方を示している。

⑥9次元の壁ー最も分かりやすい「光即道」を示せることが9次元の壁を突破する条件である。

9次元の壁は、8次元から9次元に進化する時に破らねばならない壁である。

真のメシアだけが「光即道」を示すことが出来る。

暗黒の世界にあって神理の道を示すことが真のメシアの使命である。

それも最も分かりやすい方法で示さねばならない。

光の道=正法神理は「心行」「祈願文」によって分かりやすく表現されている。「心行」「祈願文」はベートーヴェンの「歓びの歌」に該当する。

道標」=次元意識と三体理論は「光の道」を進むときに役立つ指針となるものとして示されたものである。

真のメシアが示された「光の道」や「道標」を受け取れるレベルの人達が6次元以上である。

残念ながら、6次元以上のレベルの人は34%しかいないのである。

私は残りの66%の人達が次元上昇できるようにこれを書いている。

誰でも6次元までは次元上昇できると信じているからである。

(4)真のメシアの存在証明
私は高橋信次先生の著著に出会い「心の発見「心の原点」「人間釈迦」を呼んだ時、高橋信次先生はお釈迦様であると思った。

私が最初に高橋信次先生の講演会に行った時、心の中で「先生はお釈迦様ですか?」と質問した。

その時は何もなかったが、しばらくして八起ビルの講演会に参加した時に信次先生が私の顔を見て次のように言った。

「講演会の時に私に向かって、大きな声であなたはお釈迦様ですかと呼びかけた人がいた。」と言うのである。

私は驚いてしまった。

私は心の中で思ったことに過ぎなかったことが、信次先生にとって大きな声に聞こえたというのである。

しかも、信次先生はおどけた格好で「ビックリした。ビックリした.」と連発し、次のように語った。

「私はただの電気屋です。お釈迦様ですかと聞かれてビックリした。もし、あなたが心の窓を開いて悟ったならば、私が誰であるか分かります。それまでは、私はただの電気屋です。」

高橋信次先生はこのように語り、私の前に来てしばらく話されておられました。その時の私は言葉には表現出来ない感動がこみ上げてきて、これ以上無い感激を体験しました。私は、その時「信次先生はお釈迦様である」と確信したのでした。

1976年6月25日に信次先生は他界し、9次元宇宙界に帰還されました。

その直前にミカエル大天使が出現し、高橋信次先生は真の悟りを得られたのでした。

それが、「太陽系霊団の系図」である。

高橋信次先生は真のメシアの存在を全人類に示す為に出生してきたのである。

「高次元の世界から信という架け橋をかける人」と言霊法で解明できる使命を果たされ「光の道」と「道標」を示されたのである。

また、仏陀の慈悲とイエスの愛を総合した信として真の指導者の生き方を初めて人類に示されたのである。

そのため、9次元の意識も明確になったのである。

高橋信次先生は「道即法」「法即行」「光即道」と具体的に次元の鍵を示されました。

私は、この教えを悟られた人だけの専売特許であると思っていた為、深く追求しなかったのである。

しかし、「道即法」は6次元レベル、「法即行」は7次元レベル、「行即光」は8次元レベルの指針を示していた。

そして、真のメシアは「光即道」を示さなければならなかった。

それも最も分かりやすい方法で示さなければ真のメシアの使命は果たせなかったからである。

(如来レベルでも最もシンプルな方法を示すことは難しいのである。)

(5)太陽系霊団の系図

高橋信次先生の所にミカエル大天使が出現し、「主よ、主よ」と呼びかけた時、信次先生は全てを悟られたのである。

それが、ミカエル大天使が示した天上界最高機密・「太陽系霊団の系図」である。

太陽系霊団の中心に神の光りをプリズムにかけるエル・ランティーがいる。

エル・ランティーは人類最高責任者であるが、神ではない。

エル・ランティーは9次元宇宙界に霊太陽・真のメシアとして存在している。

エル・ランティーの光の分霊としてアガシャー(イエス)、カンターレ(仏陀)、モーセの三神(メシア)がおられる。

地上に出たイエスはエル・ランティーを指して「エホバ」と呼び、仏陀はブラフマンと呼び、モーセはヤハウェと呼んだ。

現代文明の源流は文証(仏陀)、理証(イエス)、現証(モーセ)による宇宙の法の確立にあった。

しかし、この三神(メシア)の背後にはエル・ランティーの光があったからである。

光の直系はエル・ランティーの下に7大天使が配置されている。

エル・ランティーの光がプリズムを通すと七色の光が、それぞれの人格を持たれた姿になる。

7大天使の天使長がミカエルであり、太陽界(8次元上段階)に存在している。

ミカエル天使長は、如来界と宇宙界を繋ぐ光の直系であり、真のメシアの助力者である。

6大天使の筆頭にガブリエル大天使がいる。

ガブリエル大天使は、ミカエル天使長、イエス、仏陀、モーセに報告するため通信・伝達の業務を担当している。

次いで、ウリエル大天使は政治・経済・自治を担当し、サリエル大天使は医学・薬学を担当し、ラグエル大天使は立法を担当し、パヌエル大天使は科学全般を担当し、ラファエル大天使は芸術・文学・歴史を担当している。

大天使の側面からの助力者としてガブリエルの下にセラビム(菩薩)、ケルビム(諸天善神)の光の天使が、それぞれ数百名ずつ配置されている。

アラーを信奉したマホメットはガブリエルの直接指導を受けた。

アラーはエル・ランティーを指した呼び名である。

そして、高橋信次先生の高次元の名はエル・ランティーと呼ばれている。

大天使ミカエルはアポロとして生まれ正法を説いた。

また、エリアとしてパールの邪神と戦っている。

近年には、ルターとして宗教改革をした。

大天使ガブリエルも仏陀の一番弟子・舎利仏として生まれている。

近年には、カルヴァンとして宗教改革をし、ワシントンとしてアメリカ初代大統領として生き、日本においては西郷隆盛として生まれ、そして、高橋信次先生の弟子・園頭広周先生として生まれている。

園頭広周先生は正法神理の立場から高橋信次先生の存在証明をした。

園頭広周先生を言霊法で解明すると「エデンの園の頭として正法を周囲に広める人」であり、ガブリエルの役割が正法流布であり、諸菩薩、諸天善神の指導であることを示している。

パヌエル大天使は聖徳太子として生まれている。

ラグエル大天使は徳川家光として生まれている。

ラファエル大天使はルネサンスの画家ラファエロとして生まれている。

ラファエロは芸術の在るべき姿を絵画によって示した。

芸術とは高次元の意識を3次元に投影したものであり、心に感動を与えるものでなければならない事を示したのである。

地獄界の諸相を投影したものは芸術ではない。

文学や音楽に地獄界の諸相を投影したものが沢山あるので再考が必要である。

(6)次元意識

「太陽系霊団の系図」により、初めて高次元の世界の意識が示された。

それまでは、6次元の意識までが解明されていた。

高橋信次先生によって初めて7次元以上の意識が示されたのである。

各次元の意識の本質を示すと次のようになる。

①9次元宇宙界は救世主の世界であり、救世主として全人類を救うことが使命である。

真のメシアが肉体を持ったことにより、初めて9次元の意識が明らかにされた。

それが、「信」である。

指導者の在り方を示し、全人類に最も分かりやすい方法(「光即道」と「道標」)を示され、仏陀の慈悲とイエスの愛を総合した信として示された。

「光即道」の実践が出来ることが真のメシアの条件である。

「高次元の世界から信という架け橋をかける人」が高橋信次先生であり、真のメシアであることの証明なのである。

②8次元如来界はエル・ランティーの光の直系として衆生済度する役割を持っている。

3次元現象界に肉体を持ち慈悲と愛を説き、衆生を救って天上界に真っ直ぐに還って来るので如来といわれている。

如来は宇宙の法を説くことにより、多くの衆生を救っていくことが使命であり、「行即光」を実践する世界が8次元である。

8次元の意識は、仏陀の説いた慈悲である。園頭広周先生はガブリエル大天使の生命である。

高橋信次先生の弟子として最後まで悪と戦った偉大なる生命である。

高橋信次先生の存在証明を「光の道」の観点からなされた唯一の人である。

それゆえ、「エデンの園の頭として周囲に正法を広める人」が園頭広周先生の使命であり、ガブリエル大天使の存在を示している。

③7次元菩薩界は神理伝道の長としての役割を持った世界であり、現象界に肉体を持った時には如来の補助者として活躍し、如来が出生していない時には如来の代わって正法を説くことになる。

7次元は如来の補助者として神理伝道に精進することが本質である。

地獄界を救済することが菩薩の最大の使命である。

神理伝道の為に自らを犠牲にして、他人の為に奉仕する行為が菩薩の行為なのである。

「法即行」の実践が7次元である。

7次元の意識はイエスの説いた愛である。

愛の意識によって菩薩行をすることが使命である。

④6次元神界は光の天使の予備軍として3次元進化の推進者としての役割を持っている。

光の天使になるためには自己確立が必要であり、神理伝道がスムーズに出来るように神理学習が課題となっている。

徳を積まなければ神理伝道は出来ない。

「実るほど頭の下がる稲穂かな」の心境が必要である。

6次元の本質は「敬」と判断できる。

「道即法」を実践できる世界が6次元である。

真のメシアが示された「光の道」を発見し、その道を真っ直ぐに進むことが法の確立に繋がるからである。

⑤5次元霊界は非常に多くの霊が住んでいる世界であり、霊性開発を目的としている。

この世界は自分で殻を破ることが必要で、勇気を出して己に克つ努力をする世界である。

5次元の本質は「勇気」であり「正義」である。

この世界の住人は、真のメシアが示された「光の道」を早く発見することが課題である。

「光の道」を発見できない霊人は心の在り方が分からず反省が出来ない為、いつまでも5次元以上に進めない。

自分の中に神と霊子線で繋がっている自分の心を発見すれば、6次元に進化できる。

⑥4次元幽界は、まだ完全に霊性に目覚めていない為、不調和な世界をも創造してしまった。

幽界の一部に地獄界を創ったのも心の調和を図っていなかったからである。

8次元の大天使であったルシフェルも3次元に執着を持った為、天上界に還れなくなり、地獄の帝王として君臨している。

3次元が混乱すればするほど地獄界にとってはせ勝つの場が広がる為、破壊作用をしているのである。

4次元の本質は、心の調和を図ることであり、「調和」である。

⑦3次元現象界の目的は神の国・ユートピアを創ることであり、己のカルマを修正することである。

ユートピアの具現は究極の芸術である。

芸術の目指すところは美であり、3次元の意識は「美」といえる。

⑧2次元の世界は善悪ニ元論の世界であり、道徳の完成を目的とする。

それゆえ、悪を捨て善を取る意識が大切であり、2次元の意識は「善」といえる。

⑨1次元の世界は一元論の世界であり、真理(神理)追究しかない。

それゆえ、1次元の意識は「真」である。

(7)三体理論

①三体理論は将来に起こりうる現象の近似値を見付け出すための説明であり、神理と科学の一致を証明するものである。

それゆえ、三体理論を絶対視することなく、あくまでも近似値であることを忘れてはならない。

完全に予測できるのは如来以上のレベルが必要であり、観自在力を発揮し、潜在意識の中の想念帯を読まなければならないからである。

その時、潜在意識の中の守護霊が、全ての情報を如来に伝える仕組みになっているからである。

守護霊の情報により、完全な預言が可能となるのである。

大自然の三体現象に数を代入して波動の近似値を知ることが出来る。

近似値というのは、過去世のカルマや後天的なカルマや肉体の持つ因果による内部抵抗があり、100%の生命力を発揮できない為である。

しかし、自然の理法を悟って自分の使命を知り、慈悲と愛の調和された環境を創っていけば、運命に左右されず自由自在に活動することが出来る。

それゆえ、従来の間違った占いに惑わされてはならない。

(間違った占いに限って占いを絶対視していることを指摘したい。)

②高橋信次先生の著書「大自然の波動と生命」の中で三体理論が説かれている。

この理論は、全ての物質は三体から構成され、陽性(肉体)、陰性(表面意識)、中性(潜在意識)に分類される。

陰陽五行説は中性の存在を度外視した為、6次元以上の「光の道」には繋がらないのである。

中性は潜在意識を意味し、天上界とのつながりを示したものである。

また、波動リズムは年の波動を9年周期としている。

12年周期である占いは根本的に間違っているので修正しなければならない。

月の波動は12ヶ月周期である。

日の波動は年の波動と同じく9日周期となっている。

時の波動は「大自然の波動と生命」では記載されていないが、月の波動と同じく12時間周期であると考えられる。

結論として、大自然の環境の循環やその他の事象と関連している問題を観察することにより、未来に起こりうる現象の近似値を見出すことが出来る。

大自然の波動と生命と関係を解き明かしたのが三体理論である。

(8)おわりに

①高橋信次先生は1976年6月25日に天上界に帰還された。

私は、何故、高橋信次先生が48歳という働き盛りに天上界に帰還されたのか非常に疑問でしたが、その理由をインターネット宗教で知った。

「ソ連が原爆を使う危険があり、原爆戦争になれば地球は破滅してしまう。地球が破滅したら人間の魂の修行の場が無くなるので絶対に破滅させてはならない。肉体を持っていると肉体に」制約されて思うように行動できない。だから、肉体を脱ぎ捨てて、あの世に帰りあの世からソ連の指導者が原爆の発射ボタンを押さないようにしなければならない。」

その結果、1989年5月25日にゴルバチョフがソ連最高会議議長となり、天上界の指導のもとにソ連は1991年12月25日に解体し消滅した。

私は、もう一つ理由があったと思っている。

高橋信次先生は仏教の観点から正法を明らかにし、仏陀の悟りを現代に蘇らせてくださいました。

さらに、イエスの愛とは何かを説き、真の指導者としての在り方を示されました。

そして、キリスト教やユダヤ教の本質をも解明しようとしていました。

もし、聖書の謎を解き明かしてしまうと聖書の預言にズレが発生する可能性がありました。

そのような時に、天上界からミカエル大天使が降臨した。

ミカエル大天使は、高橋信次としての使命を明らかにし、高次元の秘密を初めて明らかにしたのである。

それが、「太陽系霊団の系図」である。

ミカエル大天使は、高橋信次先生がやり過ぎないように帰還を促したと思われる。

(他の天使の使命まで奪ってしまう可能性があったからである。)

真のメシアが、いつまでも3次元にいては天上界の秩序が維持できないからである。

仏陀の慈悲とイエスの愛を総合した信を説いた時点でミカエル大天使が出現したのである。

高橋信次先生が「大自然の波動と生命」の中で「21世紀の中期から22世紀には、地球上のユートピアが実現されていく。」と預言している。

これは、聖書の預言と同じことである。

つまり、聖書の預言は21世紀の中ごろ成就するということである。

高橋信次先生がいつまでも3次元にいては聖書の預言が成就できなくなる可能性があった。

それで、ミカエル大天使が降臨し、天上界への帰還を迫ったと思われるのである。

②高橋信次先生は2753年頃、エジプトに転生すると預言した。

その頃のエジプトはユートピアになり、光や磁気を利用した反重力場の乗り物(UFO)によって他の天体に自由に行くことの出来る大宇宙ステーションがアフリカの大西洋岸に出来るという。

2753年頃には、地球がユートピアになり、最も進化した霊達は、この地球での学習を卒業して他の天体へ生まれ変わって学習することになと預言したのである。

3億6千年前にベーター星からやってきたようにエル・ランティーを中心とした諸如来、諸菩薩達が他の天体へ移動することになるということである。

私も、そのメンバーに参加したいと思っている一人であるが、大変な狭き門になることは間違い無い。

園頭広周先生は2273年頃にインドに肉体を持ち、華光如来としてカースト制度を改革すると預言されている。、

イエス・キリストの生命は、2153年頃にシカゴに生まれると預言されている。

イエスの分身であるフィリピンに生まれた心霊手術者のトニーが増長慢となり、天上界に戻ってきた為、本体がその修正の為に肉体を持つと言われている。

また、正法は日本よりもアメリカに広がる為、イエスが誕生するシカゴも正法の受け入れ準備が出来ていると考えられる。

③青い鳥を探す童話があるが、青い鳥を自分の外に探していては、いつまでたっても青い鳥は発見できない。

青い鳥は、自分自身の心の中にある。

自分の心の中に青い鳥を発見できる人は6次元である。

真のメシアが示してくれた「光の道」が青い鳥なのである。

青い鳥は心の中の霊子線で繋がれている。

青い鳥を探そうとする人は5次元レベルである。

4次元レベルの人は青い鳥の存在すら知らない。

しかし、青い鳥の存在を知らせてあげれば彼らも次元上昇することが出来る。

自分の心に「光の道」があることに気付くことが大切なのである。

④光子量を最大にする為の法則は神理に適った想念と行為を実践する以外ない。

また、想念よりも行為の方が光子量は増加する仕組みになっている。

「行即光」の実践が大切なのである。

「行為に拠らなければ光は出ない」ということである。


(光子量最大化の法則)

1、神理に適う想念と行為(中道)により光子量は増加する。

2、神理に外れた想念と行為(両極端な想念と行為)は光子量を減少させる。

それは、黒いスモッグとなり心の中に沈殿する。その黒いスモッグに悪霊が憑依し社会的犯罪が多発するのである。異常な犯罪は悪霊の憑依が原因である。それゆえ、解決方法として倫理道徳の教育を充実させなければならない。

3、根本的な解決法は反省(八正道による反省)しかない。反省は神が人類に与えた最大の慈悲だからである。

(ⅰ)心の領域を理解する。(想念、本能、感情、智性、理性、意志)

(ⅱ)八正道を理解する。(正しく見る。正しく思う。正しく語る。正しく仕事をする。正しく生きる。正しく道に精進する。正しく念じる。正しく反省する。)

(ⅲ)感謝の気持ち(神に対する感謝、先祖に対する感謝、両親に対する感謝、万生万物にたいする感謝)を再確認する。

(ⅳ)反省は行為によって完結する。中道に反する想念と行為をお祓いしてしまい、同じ誤りを繰り返さないことである。

(ⅴ)正しい想念と行為により光子量が生産される。

4、神理に適う想念と行為とは何か?

(ⅰ)菩薩行の実践(問題解決行為、神理伝道行為、衆生済度行為)

神理を行為で示すことが菩薩の使命である。分かりやすく神理を説明し、自ら模範を示すことが必要である。

(ⅱ)神理を行為の基準として示せることと。(「道即法」を具体的に示せること)

心の中に倫理道徳観を確立することである。これが出来れば、6次元である。

(コメント)

自由とは中道の中での自由であり、中道を外れた自由は悪霊の餌食となる。

サルトルは中道の自由を「自由の刑に処せられた」と表現したが、光子量を最大化するための条件であることを知らなかったからである。

3次元世界において「道即法」「法即行」「行即光」を実践することが中道の道を進むことを意味している。

真のメシアが示してくれた「光の道」を自分の心に発見し、自分の体験をとして神理の法として確立することが第一である。

次に、神理の法を行為とする為に自らの倫理道徳を確立することである。

そして、最後に中道の行為を通して光子量を生産することである。

これが、光子量最大化の法則である。

光子量が増加すれば、次元は上昇する。


3次元の最大の仕事は「行即光」の実践である。

これは、如来の行動基準でもある。

それゆえ、中道の行為を実践することが課題なのである。

高橋信次先生の悟りに至るまでの要約


 高橋信次先生の著書「心の発見」等によれば1927年9月21日に信州佐久高原に生まれた。家は貧しい農家で10人兄弟の次男であった。(男3人、女7人の真ん中に生まれた。)10人の子供を育てる両親のご苦労は経済的にも肉体的にも大変なものがあった。そんな環境の中でも「心まで貧しくなってはいけない。常に与えられた環境の中で努力し続けることが人間である」と教えたのはご母堂であった。「自分自身に厳しく、出来るなら他人に慈悲を施せ。悪い心は持つな」「雨滴によっても石に穴はあく。いつの日には」不断の努力ということを彼女は子供達に常に教え続けたのである。殺生についても「一寸の虫にも五分の魂」、他人の悪口を言えば「人を呪えば穴二つ」などと無学なりにことわざを引用して人の心の偉大さ、尊さを教えくれたという。ご尊父は黙々と働く人だった。ただ子供の育成に力を注ぎ、華やかなものは何一つない地味な生活を送り75歳の生涯を終えた。

 信次先生のご尊父の生命はブッタの父であったシュットダナー大王であり、源頼朝である。頼朝のときに地獄に行ってしまい反省の結果、今生は農業を選んできたと守護霊が語っていたという。他界して7次元菩薩界にいるという。

 ご母堂はイエスの母であった聖母マリアであり、日蓮の母でもあった。それゆえ、信次先生が偉大なる悟りに至ったと思うのである。

 信次先生が10歳の時、不思議な現象が起きた。10歳の9月3日の夜8時頃、原因不明の病気にかかり死線を越える不思議な体験を繰り返していた。「毎夜8時になると定時的に呼吸が止まり、心臓が停止して五体の自由を失ってしまうという奇妙な病気になり、学校にも満足に行けなくなった。『もうひとりの私』が肉体を抜け出し、狼狽している家族の様子を見ているようになった。『もうひとりの私』は自由自在な私であった。しかし、不自由な私をなんとかしようとするがどうすることも出来なかった。1時間から2時間近く不自由な私から抜け出した『もうひとりの私』は間違いなく新しい肉体(光子体)を持った私自身であった。光子体の体は壁などの障害物でも自由自在に自分の意志で通り抜けることが出来た。そして、不自由な肉体に戻るときには何か強い薬草の匂いが鼻をつき、大きな呼吸とともに心臓が動き出して一体になるとともに意識は蘇るのであった。」と語っている。

 ある時、信次先生は成田山へ詣でたことがあった。その時、黒染衣を着て顔を深く隠したまんじゅう笠姿の旅僧に行き会い「病気のことは心配するな。近々に治る。お前の目は二重孔であるので、一生懸命勉強すれば必ず霊力をもつようになろう。」と言われた。そのあと、先に出会った旅僧と同じ姿の方が近寄ってきて正しい心のあり方を教えてくれるのであった。


 「神とは何者だろうか?祈りとは何であろうか?」疑問は何一つ解決することなく時は過ぎていった。小学校から中学校に進んだ。剣道は人生に大きな転換を与えた。剣の修行を縁として心身の浄化を計るということが本来の姿である。軍国主義の日本において中学を中退して軍人志願に踏み切ってしまった。軍隊では躾が厳しく規則正しい生活であり、中学時代不勉強だった先生も日が経つにつれ要領を得、学問も理解できるようになり、極微の世界を学ぶに従って、ミクロからマクロが完成されていくことに気がついていく。この時代の片寄った教育思想も抵抗なく先生の心に調和されていった。それは、父母のため、天皇のため、国家のためという儒教的思想であり思考一筋という教育であった。

 しかし、貧乏人の子せがれにとって国から給料をもらいながら学ぶのであるからありがたい環境であったという。上級学校に行くに従って飛行機乗りに必要なものに変わっていった。電気工学、磁気学というものである。先生は集団生活を通してわがままな心は調和し、人間的に進歩していた。小さい頃から厳しい環境でたたかれたせいか、しっかりした人間が作られていったのである。先生は実践訓練のために初めて祖国を離れることになったが敗戦の色は日増しに濃く上級幹部の間には不安の暗い雲が漂った。先生が軍隊で得たものは社会意識の一員としての犠牲的精神と行動であった。

 1946年に人生の大転機が訪れてきた。敗戦のショックは神国日本、不敗の日本精神を叩き込まれた先生が初めて体験する人生航路の衝撃だった。復員の時渡された2300円、それにご尊父から貰った牛一頭が全財産であった。先生はもう一度勉強しようと科学書や物理学書を紐解き、極微な世界から極大の世界へと物理的な研究を進めた。大学入試の認定試験も無事通過した。技術系は軍隊の当時、それが生活に直結していたため、理科系の学問に集中できた。物質というものを主体として追求していったのである。25歳の時、電気関係の仕事をするため小さな工場を借りて5~6人の従業員とともに生活のためにスタートを切った。製造品目は自動卸御装置が主体であったが学校は仕事の暇などに行き、社会における体験から様々な事柄を吸収することに努め、神仏のことを追求しているので理科系の人とは話が合わなかった。学友の間では全くの気違い扱いであった。「神的エネルギーはアメーバから大宇宙まで」という論文は当初馬鹿にされたが、後日、大学教授の名で発表されてしまったという。

 1954年12月に結婚して新しい人生を踏み出し、独身生活に別れを告げた。この年、事業に失敗して一文無しになってしまったのである。アパート暮らしであったが、身軽なもので近隣との付き合いにも親しみがあった。この頃から不思議な現象が始まり、預言はほとんど適中し、相談に来る人が狭いアパートいっぱいに溢れることもあった。なぜ預言が当たるのか答えられなかった。(これはモーセの指導によるものと思われる。)

 再び生活のために大森に100坪ばかりの工場を建て、昔の得意先の協力を得て電気会社を設立した。事業は順調に伸び神奈川と長野に小さな生産工場を設備した。経済力がなくては人々を救うことも出来ないと思い金儲けに専念した。浅草でビル建設が始まり、サウナ風呂や超音波温泉を始めようと事業は着々と進んでいった。そして1968年7月3日に霊的現象が始まるのである。


 1968年2月3日に灯明の炎の高さが25cmになり、灯明の炎の光が二つに割れて生きているように燃えているのであった。これが霊的現象の始まりである。そして1968年7月3日に義弟を通して本格的な霊的現象が起こるのである。義弟の口を通して「この者が昭和40年2月に自動車事故を起こして7日間意識不明になっていた時、この者を助けたのはわしである。」と重大なことを語りだした。(確かに義弟は中学3年の3学期に自動車とオートバイの正面衝突という事故に見舞われ頭部を打って意識不明のまま5日間を過ごし、生死の境をさまよったことがあった。)1968年7月7日の夜、義弟を通してワンツースリーといわれる外人の霊が信次先生の今までの行動を叱ったのである。信次先生は心の中を全て見通して指摘されるので、自分自身を信じ、悪い点を修正しなければならないと決心がつくのであった。7月8日の夜、ワンツースリー(実はモーセ)から今日一日の心の動きをすべて指摘され、信次先生の守護霊と称するワン・シン・フワイ・シンフォー(実はイエス)から「今日から3日間で悟れ」と言われてしまったのである。信次先生は3日間苦しんだが何も分からず、約束の7月12日が来てしまったのである。信次先生は「独りよがりな考え方、欲望のとりこ、確かに今までの自分はそうであった。もう地位も名誉も捨てよう。死んでもいい。今義弟を支配している霊は悪魔かもしれない。もし彼らが悪魔であるならば私が善に変えてやろう」と決心するのである。すると、信次先生の心の中からシンフォーの声がした。「今のような心を忘れるな。謙虚な心、執着を捨てた心、そして自分というものは中道を心の物差しとした自らの智慧と勇気と努力の中から生まれるのだ」と語りだしたのである。ワンツースリーが義弟の口を通して「今晩は、お前の心が正しく変わったことで実世界(天上界)では光に満たされ、お祝いがある。こちらでもお祝いをしよう」と語った。その言葉は非常に慈愛に満ちていた。信次先生41歳の波動の強い年に悟りを開いた。


 フワン・シン・フワイ・シンフォーは暗い想念に包まれていた信次先生に義弟を通してショック療法をしたのだと語った。義弟は精神的ショックを施し反省の機会を与え、信次先生が探し求めていたもう一人の自分を実証するための使命を持っていたのだと語った。

 信次先生が宇宙即我の境地になった状況は「人間釈迦」に反映されている。1968年11月24日午前1時に信次先生が7次元菩薩界で「物質と生命」と題して講演している。その内容の要旨は次のとおりである。

 "宇宙空間に体積と容量を有するものを物質と名づけている。この物質もエネルギー粒子の集中度合いによって固体、気体、液体の姿に分かれて存在している。宇宙空間もエネルギー粒子が分散されている世界なのである。熱、光の作用による電気力、磁気力、恒星・惑星の存在、その質量や重力の差は天体の運動によって異なってくる。私たちの住む地球も、その太陽エネルギーやわずかな地熱によって存続し、相互の運動の中で春夏秋冬の四季という環境を形成している。植物、動物は大自然の環境によって現象界を生きる肉体を存続することができている。

 私たちの肉眼で捉えうる空間世界は3次元のものであるが、物質は物質としてのエネルギーの次元を持っている。生物の体は有機質の成長する細胞集団によって成立している。その細胞集団によって構成されている生物は万象万物の相互の作用の中において安定し3次元世界に適合して存在している。細胞は核分裂により生物としての機能を発揮し、一つの体を構成して生命を保っている。私たちの五体は約60兆からなる細胞によって成立しているが、細胞は各機能に適合して諸器官を作っている。肉体は大自然の相互関係の中で保存されている。その子孫、種族保存の本能も神仏から与えられている。

 細胞集団によって構成されている肉体を考えたとき、この物質の支配者は何かと考え、それが在ると思うに至るのである。(それが心である。)物質とエネルギーの共存不二の姿が物質的に実証されている以上、私たちの五体の成立も、それが物質のすべてだということは否定できない。同時に肉体の支配者である意識すなわち魂の存在についても物質エネルギーとは異なる次元の存在として認識せざるを得ない。「物質と別次元のものとの併用によって人間は成立している」と考えるのが自然である。なぜなら、肉体物質が睡眠中に記憶機能が働かないことは誰にも否定できない。私たちの脳細胞は万能の記憶装置ではなく五体の通信、受信、指令の機関であり、意識・魂こそ、これらの機能を操作する肉体舟の支配者である。意識魂(心)が永遠不変の本当の自己であると認識できるのである。

 「意識が肉体を支配し、その意志に基づいて肉体舟は操作される」という事実を誰も否定できない。この意識の中心を心と呼ぶ。心は物質エネルギーの次元より高い意識の次元に存在して物質エネルギーのかたまりである大宇宙体の支配者たる神仏の意識の世界にも通じている。心は想念意志の発信所である。この意志によって物理的な肉体行為は現れる。悲しい時、嬉しい時、胸にこみ上げてくるものこそ心の実態である。肉体労働によって疲労する現象は肉体エネルギーの消耗によるものであるが、心的エネルギーも精神的苦悩によって消耗され、肉体的な病的原因にまでつながっていく。心的疲労はその苦悩を調和することによって回復するが根本的解決がなされない限り苦しみは持病のように芽生えてくる。こうした苦しみの原因は大宇宙の支配者である神仏の意志に反することから人間自身が作り出していったものである。神仏の意志こそ神理であり、人間の心の中には誰も過去世で学んだ記憶が記録されている。それは自分自身に対して絶対に嘘のつけない事実である。他人に嘘を言うのは自己保存、自我我欲を通す場合のみである。私たちの心には常に善と悪が同居しており、利己的な己の心の中の悪に打ち克つ生活が私たちの人生における修行の一つである。


 私たちの心は本能、感情、智性、理性という区域に分かれ、その想念によって意志という働きの区域に連絡されている。その内部には次元の異なっているあの世とこの現象界を転生輪廻し続けてきた過去の想念、本能、智性、理性、意志の先天的善悪の業も受け継がれている。さらに、この現象界で作り出したての後天的業も自身の心の姿として同居している。この心が「神理に適した生活をすることによって自分自身の平和な安らぎにつながっていく。球体のように、そうした心の中の区域が調和された状態の人を円満な人格者といい、そうした人の意志は常に柔軟である。心は無限大に広い人もいるし、特定の思想などによって自らの心の枠を作っている小さな心の人もいる。物質経済の奴隷と化してしまった心の持ち主もいれば、足ることを悟って物質文明を支配している心の人もいる。

 キリスト教の神理もブッタの神理も長い歴史の経過の中で過去の弟子たちや学者、現在の関係者の智性、感情、意志など誤った心によって歪曲され宗派の乱立を見るような結果になっている。神理を失った宗教は人の心を救うことができない。『神理は一つであり今も変わることがない』ことを悟るべきである。この現象界は肉体舟に乗っての修行場であるため善と悪が混ざり合っているが、次元の異なった意識の世界は善と悪の区域が分離していて個々の心の調和度によって段階が決まっている。『人生航路の苦楽は私たちの心が作り出しているもの』と語らなくてはならない」以上が高橋信次先生の菩薩界での講演である。信次先生は宇宙即我の境地を「人間釈迦」の中で次のように語っている。

 「瞑想に入ろうとしてふと自分に気がつくと座している己の体が次第に大きくなっているのであった。ゴーダマの意識は刻刻と拡大していった。暁の明朝が足元に見えた。ゴーダマは宇宙代に広がり宇宙が自分の意識の中に入っていくのだった。ゴーダマは大宇宙の意識と同体となった。大宇宙の意識と同体になると森羅万象の生い立ち、宇宙と人間、神の存在、人間のありかた、魂の転生輪廻などが一瞬のうちに明らかになるのであった。ゴーダマの開眼を文字によって表現すると次のようになる。この大宇宙は神によって作られた。大宇宙が発生する以前の宇宙は光明という神の意識だけがそこにあった。神はその意識の中で意思を持たれた。大宇宙の創造は神の意思に始まった。意識の働く宇宙と物質界の宇宙の2つの世界を創造した。意識界の宇宙はその意志を持って物質界の宇宙を動かし、そうしてこの2つの世界は光と影という相関関係を通して永遠の調和を目指すことになった。神の意識は永遠の調和を目指し、そうして2つの世界にあって調和の要である中道という法秩序の中に住まわれることになった。人間は天地創造とともに神の意識から別れ、神の意志を受け継ぐ万物の霊長として産声を上げた。人間の誕生は意識界という実在の宇宙にまず姿を現した。そうして神の意志を調和を目指す神の子として物質界に降り立ったのである。物質界に降り立った最初の人間を地上の眼で見るならば、大地の一隅に忽然と物質化されたといえるだろう。人間以外の動物、植物、鉱物もこうしたプロセスを経て大地に姿を現した。こうしてあらゆる生命物質は実在界(意識界)と現象界(3次元)の間を輪廻することになった。地球に生物が住むようになったのは今から数億年も前である。

 最初の生物は太陽の熱・光と大地と海水と空気とそれに意識界と表裏一体の宇宙空間も相互作用によって地上に現れた。微生物の誕生である。続いて植物が発生し、動物が姿を見せ始めた。やがて爬虫類時代を迎えた。今から約2億年前に人類は特殊な乗り物に乗ってほかの天体から飛来した。当時の移住者はかなりの数に上った。人類は神の意志に基づいて調和という仏国土を作り始めた。人々は次元の異なる意識界と自由に交流できた。文明は高度に発達した。しかし、やがてその文明も終焉を迎える時がやってきた。人々の間に自我が生まれ、国境が作られ争いが始まったからである。人々の不調和・暗い想念の曇りは偉大なる神の光を遮った。天変地異は人類がこの世に住み着くようになってから、何回となく繰り返されてきた。天変地異は人類の心と行為が作り出したものだった。人類は仏国土を建設する前に、まず己の業(カルマ)を修正しなければならなくなった。人類の歴史は己を知るよりも、我欲を満たすための歴史であった。闘争と破壊はそのために繰り返された。己を知り、人間の目的を悟れば現象界の小さな自分に心を奪われることがなくなる。中道の神理は神に通じた嘘の付けない己の心を信じ、八正道という生活行為をすることにある。真の安心は自己満足や逃避ではない。自分の生死を見られる自分の確立ができてきてこそ安心というものが得られる。人間は神の子である。神は天地を創造された。人間も己の天地を調和させ、自己のおかれた環境を調和していくものである。人類は迷いの中に埋没している。この迷いから人類を救うには正法という法灯を点じ、大自然の慈悲に目覚めさせなければならない。法は慈悲と愛を喚起させる力である。神は無限の慈悲とその力を持って、正法を信ずる者の行く手に光明の道を開いてくれよう。」


 高橋信次先生は1976年6月25日に天上界に帰還されたが、その3ヶ月前に真のメシアの悟りを開いている。それが太陽系霊団の系図である。太陽系霊団は大宇宙大神霊の神の光(太い黄金色の霊子線)がエル・ランティーという人格を持たれた方を中心として成立している。エル・ランティーは客観的には霊太陽として、地上にあっては万象万物を活かす中天に輝く太陽のようなエネルギーの塊である。次元的には宇宙界(9次元)に位置され、人間の眼から見れば太陽のような存在である。エル・ランティーの光の分霊として、イエス、ブッタ、モーセがいる。イエスはエル・ランティーをさしてエホバと呼び、ブッダはブラフマンと呼び、モーセはヤハウェと呼んだ。(アラーを信奉したマホメットはガブリエル大天使の直接指導を受け、様々な奇跡を現したがアラーはエル・ランティーの別名だった。)光の直系としてエル・ランティーの下に七大天使が配置されている。つまり、エル・ランティーの光がプリズムを通すと七色に変化し、七大天使とはその七色の光の色がそれぞれの人格を持たれた姿である。七大天使の長が七色の翼を持つミカエル天使長である。ミカエル天使長は如来界と宇宙界をつなぐ光の直系であり、真のメシア(エル・ランティー)の助力者である。ミカエル天使長の下に6人の大天使が配置され、如来界の大指導霊の役を果たしている。6人の筆頭にガブリエル大天使がおり、ミカエル天使長、イエス、ブッタ、モーセに報告するための通信・伝達の業務を担当している。次いで、ウリエル大天使は政治・経済・自治を担当している。サリエル大天使は医学・薬学を担当している。ラグエル大天使は立法を担当している。パヌエル大天使は科学全般を担当し、ラファエル大天使は芸術・文学・歴史を担当している。大天使の側面からの助力者としてガブリエル大天使の下にセラビム(菩薩)とケルビム(諸天善神)の光の天使がそれぞれ数百名ずつ配置されている。現代文明の源流は文証(ブッタ)理証(イエス)現証(モーセ)による正法の確立にあった。しかし、3人のメシアの背後にはエル・ランティーの光があってこそ仏教、キリスト教、ユダヤ教は実現したのである。高橋信次先生の高次元の名はエル・ランティーと呼び、この名を知る者は高次元の世界でもわずかの人々である。


 高橋信次先生の神理を集約したものが「心行」「祈願文」である。「心行」の柱となるものは①大自然という神の心 ②永遠の生命体を維持する循環の法 ③慈悲と愛の三つである。この三つが「心行」を形成している。「心行」の派動は8次元の波動であることが証明されている。

心       行

 

 心行は 宇宙の神理 人間の心を 言霊によって表現したものである

 それゆえ心経は 拝むものでも 暗記するものでもなく これを理解し 行うものである

 正法は 実践の中にこそ 生命が宿ることを知れ


 われいま見聞し 正法に帰依することを得たり 広大なる宇宙体は 万生万物の根源にして 万生万物相互の作用により 転生輪廻の法に従う 大宇宙大自然界に意識あり 意識は大宇宙体を支配し 万生万物をして調和の姿を示さん 万生万物は広大無辺な大慈悲なり 大宇宙体は意識の当体にして 意識の中心は心なり 心は慈悲と愛の塊にして当体・意識は不二なることを悟るべし この大意識こそ 大宇宙大神霊・仏なるべし 神仏なるがゆえに 当体は大神体なり この現象界における太陽系は 大宇宙体の 小さな諸器官のひとつにすぎず 地球は 小さな細胞体なることを知るべし 当体の細胞なるがゆえに 細胞に意識あり かくのごとく 万物すべて生命にして エネルギーの塊なることを悟るべし 大宇宙体は大神体なるがゆえに この現象界の地球も神体なり 神体なるがゆえに 大神殿なるべし 大神殿は 万生 魂の修行所なり 諸々の諸霊 みなここに集まれり 諸霊の輪廻は 三世の流転 この現象界で己の魂を磨き 神意に添った 仏国土・ユートピアを 建設せんがためなり さらに 宇宙体万生が 神意にかなう 調和のとれた世界を建設せんがため 己の魂を修行せることを悟るべし 過去世 現世 来世

の三世は 生命流転の過程にして 永久に不変なることを知るべし 過去世は 己が修行せし前世 すなわち 過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり 現世は生命・物質不二の現象界 この世界のことなり 熱 光 環境いっさいを含めて エネルギーの塊にして われら生命意識の修行所なり 神仏より与えられし 慈悲と愛の環境なることを感謝すべし 来世は次元の異なる世界にして 現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり 意識の調和度により 段階あり この段階は 神仏の心と己の心の調和度による 光の量の区域なり 神仏と表裏一体の諸霊は 光明に満ち 実在の世界にあって もろもろの諸霊を善導する光の天使なり 光の天使 すなわち 諸如来 諸菩薩のことなり この現象界は 神仏よりいっさいの権限を 光の天使に委ねしところなり 光の天使は慈悲と愛の塊にして あの世 この世の諸霊を導かん さらに 諸天善神あり 諸々の諸霊を いっさいの魔より守り 正しき衆生を擁護せん 肉体を有する現世の天使は 諸々の衆生に正法神理を説き 調和の光明へ導かん この現象界におけるわれらは 過去世において 己が望み 両親より与えられし 肉体という舟に乗り 人生行路の海原へ 己の意識・魂を磨き 神意の仏国土を造らんがため 生まれ出てたることを悟るべし 肉体の支配者は 己の意識なり 己の意識の中心は心なり 心は実在の世界に通じ 己の守護・指導霊が 常に善導せることを忘れるべからず 善導せるがために 己の心は 己自身に忠実なることを知るべし しかるに 諸々の衆生は 己の肉体に意識・心が支配され 己が前世の約束を忘れ 自己保存 自我我欲に明け暮れて 己の心の魔に支配され 神意に反し この現象界を過ぎ行かん また 生老病死の苦しみを受け 己の本性も忘れ去るものなり その原因は煩悩なり 煩悩は 眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が根源なり 六根の調和は 常に中道を根本として 己の正しい心に問うことなり 己の正しい心に問うことは反省にして 反省の心は 己の魂が浄化されることを悟るべし 己自身は孤独にあらず 意識の中に己に関連せし 守護・指導霊の存在を知るべし 六根あるがゆえに 己が悟れば 菩提と化すことを悟るべし 神仏の大慈悲に感謝し 万生相互の調和の心が 神意なることを悟るべし 肉体先祖に報恩供養の心を忘れず 両親に対しては 孝養を尽くすべし 心身を調和し 常に健全な生活をし 平和な環境を造るべし 肉体保存のエネルギー源は 万生を含め動物・植物・鉱物なり このエネルギー源に感謝の心を忘れず日々の生活の中において 己の魂を修行すべし 己の心・意識のエネルギー源は 調和のとれた日々の生活の中に 神仏より与えられることを悟るべし 己の肉体が苦しめば 心悩乱し わが身楽なれば 情欲に愛着す 苦楽はともに正道成就の根本にあらず 苦楽の両極を捨て 中道に入り 自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし 一切の諸現象に対し

 正しく見 正しく思い 正しく語り 正しく仕事をなし 正しく生き 正しく道に精進し 正しく念じ 正しく定に入るべし かくのごとき正法の生活のなかにこそ 神仏の光明を得 迷いの岸より 悟りの彼岸に到達するものなり このときに 神仏の心と己の心が調和され 心に安らぎを生ぜん 心は光明の世界に入り 三昧の境涯に到達せん(この諸説は 末法万年の神理なることを悟り 日々の生活の師とすべし)


祈  願  文

 祈りとは 神仏の心と己の心の対話である 同時に 感謝の心が祈りでもある 神理にかなう祈り心で   

 実践に移るとき 神仏の光はわが身に燦然と輝き 安らぎと調和を与えずにはおかない

 

前     文

 私たちは神との約束により 天上界より両親を縁として この地上界に生まれてきました 慈悲と愛の心をもって 調和を目的とし 人々と互いに手を取り合って 生きていくことを誓い合いました しかるに 地上界に生まれて出た私たちは 天上界での神との約束を忘れ 周囲の環境 教育 思想 習慣 そして五感に翻弄され 慈悲と愛の心を見失い今日まで過ごしてまいりました 今こうして正法にふれ 過ち多き過去をふりかえると 自己保存 足ることを知らぬ欲望の愚かさに 胸が詰まる思いです 神との約束を思い出し 自分を正す反省を毎日行い 心行を心の糧として 己の使命を果たしていきます 願わくば 私たちの心に 神の光をお与えください 仏国土・ユートピアの実現に お力をおかしください

一、大宇宙大神霊・仏よ わが心に光をお与えください 心に安らぎをお与えください 心行を己の糧として日々の生活をします 日々のご指導 心から感謝します 

一、天上界の諸如来 諸菩薩(光の天使) わが心に光をお与ください 心に安らぎをお与ください 心行を己の糧として 日々の生活をします 日々のご指導 心から感謝します

一、天上界の諸天善神 わが心に光をお与えください 心に安らぎをお与えください わが心を正し いっさいの魔よりお守りください 日々のご指導 心から感謝します

一、わが心の中にまします 守護・指導霊よ わが心を正しくお導きください 心に安らぎをお与えください 日々のご指導 心から感謝します

一、万生万物 わが現象界の修行にご協力 心から感謝します

一、先祖代々の諸霊 われに修行の体をお与えくださいまして 心から感謝します 諸霊の冥福を心から供養いたします


 最後に高橋信次先生の最期の言葉を紹介したい。これは1978年6月25日午前10時20分に他界されたときの最後の言葉である。

 「あなた達は自分の使命を果たしなさい。これからどの様なことがあっても、心を動かしてはいけません。私が貴方たちの心の中に生きていることを知りなさい。私の地上の生命はまもなく終わります。しかし悲しんではいけません。自分の心の中にしっかりと法灯を灯して生きなさい。これからあなた達の本当の使命を果たすときです。あなた達はもっと多くの人を救ってゆかねばなりません。私はまもなく地上界を去ります。しかし、必ず天上界から働きかけます。たとえ関係はなくともあなた方といつでも通信できる事を知りなさい。あなた方はなぜ悲しがるのです。生命の永遠を知りなさい。あなた達は自分の心を作りなさい。自分の心の中のさまざまの誤りを正し真実の自分を作り、その愛を広めてゆくのです。これが私のあなた方への最後の言葉です。」

 


波動指数と格闘技

「波動指数」とは波動の強弱を一目でわかる指数で表したものであり、当初は選挙の有利・不利として開発した尺度です。波動指数を格闘技にも応用してみました。

(1)2019年12月24日の格闘技

①WBA世界ミドル級ミドル級タイトルマッチ

村田涼太(1986年1月12日→⑥①③)→26ポイント

スティーブン・バトラー(1995年9月2日→⑥⑨②)→27ポイント(トリプル転換点)

 村田はバトラーを5回2分45秒でTKO勝ちした。村田は序盤からワンツーを中心に圧力をかけ5回に右の連打から左のフックでバトラーを倒した。7月の王座復帰戦の初防衛を果たした。

 波動指数を見ると、バトラーはトリプル転換点であり、自分の実力を発揮できない状態であった。それゆえ、村田にとって有利に作用したと考えられる。

②WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ

寺地拳四朗(1992年1月6日→③①⑥)→23ポイント

ランディ・ペタルコリン(1991年12月31日→②⑫④)→10ポイント

 拳四朗は3回右のボディストレートでダウンを奪い、フックの連打で3回目のダウンを奪った。4回左のボディフックでKOした。これは波動指数通り,拳四朗の勝ちとなった。

③IBF世界フライ級タイトルマッチ

 八重樫東(1983年2月25日→③②⑦)→23ポイント

 モンティ・ムザラネ(1982年10月6日→②⑩⑥)→9ポイント

ムザラネは11年間無敗の強豪である。それに対して、八重樫は2年半のブランクがある。私は波動指数では八重樫が有利だが、2年半のブランクが問題だと思った。アスリートは練習を1日休むと元に戻るのに3日必要だと言われている。それゆえ、八重樫のブランクはどうなるのだろうかと思っていた。心配した通り、だんだんスタミナが切れて、8回でグロッキーになった。9回でレフェリーストップとなった。波動指数的に見れば、確かに八重樫が有利であるが、11年間無敗の強敵に勝つには、20ポイント以上の差が必要だったと思われる。

(2)大晦日の格闘技

①WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ

井岡一翔(1989年3月24日→⑨③⑥)→24ポイント(ダブル転換点)

ジェイビェール・シントロン(1995年2月8日→⑥②⑧)→35ポイント

 井岡は、1回~3回は様子を見ていた。シントロンの方が波動指数通り有利に試合を運んでいた。4回からは、井岡のジャブが当たるようになり、距離感をつかんできた。5回からは井岡のペースになり、余裕を持ってシントロンを挑発したりした。結局、キャリア(経験値)の差が出た試合だった、井岡はシントロンのボディを攻撃し、スタミナを奪う作戦に出た。シントロンは2度もテーピングがずれたことにより、体を休める作戦に出た。それほどボディを打たれ限界だったのである。波動指数はシントロンが有利だったが、シントロンのスタミナを奪い井岡のキャリアが上回った試合だったと言える。

②WBO世界フライ級タイトルマッチ

田中恒成81995年6月15日→⑥⑥⑥)→29ポイント(ダブル転換点)

ウラン・トロハツ(1993年3月5日→④③⑤)→24ポイント

 田中恒成は3階級制覇(ミニマム級、ライトフライ級、フライ級)している。1回から田中がプレッシャーをかけてトロハツをコーナーに追い詰める。3回に左右のボディ攻撃でトロハツはグロッキーとなる。3回ボデイィの連打と最後は左アッパーでトロハツをKOした。波動指数通り田中の圧勝であった。

③那須川天心対江端塁戦

 那須川天心81998年8月18日→⑨⑧⑨)→42ポイント 

 江端塁(1991年1月10日→②①①)→17ポイント

 那須川は昨年の大晦日にボクシング元世界5階級制覇者フロイド・メイウェザーとエキシビジョンマッチで1回TKO となった。しかしこれは、キック禁止のハンデマッチであり、誰が考えても那須川の勝利はなかった。キックボクサーにキックを禁止したら、メイウェザーにとっては赤ん坊の手をひねる様であったろう。体格差もあり、無謀なハンデマッチであった。那須川が日本人最強の刺客と言われる江端塁を問題にしなかった。同じ条件で戦えば、メイウェザーといえども那須川は互角に戦えたのではないかと思われる。江畑戦の試合は、波動指数通り那須川天心の圧勝であった。

④朝倉未来対ジョン・マカパ戦

 朝倉未来(1992年7月15日→③⑦⑥)→33ポイント

 ジョン・マカパ(1995年4月7日→⑥④⑦)→32ポイント(ダブル転換点)

 両者互角だったが、若干、朝倉の方が優勢だった。マカパはグランド(寝技)に持ち込もうとするが、朝倉がこらえた試合展開だった。結局、波動指数通り、朝倉の判定勝ちとなった。

⑤エメリヤー・エンコ・ヒョードル対クイントン・ランペイジ・ジャクソン戦

 ヒョードル(1976年9月28日→⑤⑨①→完全な大物)→24ポイント(ダブル転換点)

 ジャクソン(1978年6月2日→⑦⑥②→隠れ大物)→41ポイント

 ヒョードルは60億人分の1と称された最強の格闘家であり、生年月日に①⑤⑨を持つ完全な大物である。それに対してジャクソンも生年月日に②⑥⑦を持つ隠れ大物である。大物同志の戦いはどうなるかと思っていたが、ヒョードルの方が試合巧者だった。一方的な試合展開であった。これがヒョードルにとって、日本最後の試合となった。

⑥朝倉海対マネル・ケイプ戦

朝倉海(1993年10月31日→④⑩④)→17ポイント

マネル・ケイプ(1993年11月14日→④⑪⑤)→18ポイント

 これはバンタム級タイトルマッチで戦ったが、ケイプがグランド(寝技)に持ち込み、朝倉をTKOした。グランドに持ち込もうとするケイプに対し、打撃で応戦する朝倉の対戦だったが、波動指数通り、ケイプが勝った。兄の未来はグランドに持ち込ませなかったので判定勝ちしたが、弟の海はづランドに持ち込まれて負けた。

⑦浜崎朱加体ハム・ソヒ戦

浜崎朱加(1982年3月31日→②③④)→14ポイント(ダブル転換点)

ハム・ソヒ(1987年3月8日→⑦③⑧)→48ポイント

 浜崎はグランド(寝技)で攻撃しようとしたが、首を三角締めで苦しめられてしまった。そのため、判定で負けた。必ずしもグランドでは上にならなければ有利になるとは限らないことを示した試合だった。波動指数が及ぼした効果だった。

高橋信次著 「悪霊1」の要約

 

高 橋 信 次 著 「悪 霊(Ⅰ)」の 要 約

 

(1)はじめに

 

 霊の世界というのは、実際には、日常生活と密接に関係している。夢を見る、直感が働く、以心伝心、噂をすれば何とやら、という事柄は、すべて霊の世界に関係がある。三次元はいわば立体の世界で、光と影の混ざり合った世界である。霊の世界はどうかというと、光と影の明暗がはっきり分かれた世界である。地獄に堕ちた霊人は自分の心を自分で縛っているので、その行動範囲は狭く、ある一定の場所に屯することになっている。例えば、墓とか家とか、自殺者の多い場所にいる。(いわゆる地縛霊になっている。)彼らはこの範囲内の3次元は自由である。

 

 私たちが心の中で、物を考えたり、思ったり、念じたりすることによって、先ほどの霊人たちと関係してくる。私たちの心は、あの世の霊人たちとツウツウなのである。つまり、テレパシーとか、透視とか、読心術、念力などの働きは、霊人たちの作用で起こるものなのである。守護霊が背後で働いて、人の心に示唆を与えたり、力を貸したりするからである。

 

 思うこと、念ずることが正しくないと地獄霊(悪霊)がその人を支配してしまう。正しくない心とは、人を憎む思い、怒り、嫉み、愚痴、中傷、足る事を知らぬ欲望などの想念行為をいう。何故、正しくないかというと、自己保存が主体になっているからである。私たちの生活は自然界の意思に沿って生活することが大事で、他を生かし、助け合う協調互恵の心が必要であり、自己保存ではない。

 

 ところが文明社会の中で育つと、内向的な人は孤独になり、ノイローゼ、精神病になっていく。反対に外交的な人は、唯物思想にかぶれ、物を主体にした考えに陥り、闘争は激化していく。この本で扱っているのは、主に内向的な人たちの姿である。高橋信次先生のところに来てノイローゼから救われた者、病気が平癒した者、様々であるが、その根本は自己保存に基づく怒りや、憎しみが発端になっている。悪霊に憑依されると、元の自分に戻ることは難しい。なぜなら、一度憑依されると、憑依の道筋が出来、その道筋を完全に塞ぐには絶えざる努力と勇気がいるからである。こうした病気にならない人は、憑依されていないかというと、そうではなく、憑依されている時間が短いというだけのことである。つまり、自己保存の強い人は、誰も悪霊の影響を受けており、鬱病にならないものは、躁病の気質を持ち、いつでも病気になりうる要素があるということである。闘争に明け暮れている者の背後には、阿修羅という悪霊がおり、それらが嗾けているのである。

 

聖徳太子「未来記」の要約

聖徳太子の「未来記」が世に出たら必ず仏教が滅亡するとされている。「未然紀」が社会的預言であるのに対して「未来記」は政治・宗教関連の預言で占められている。「未来記」の真の呼び名は「日本国未来記」という。「未来記」は「未然紀」と同じように三義預言になっている。当時の過去・現代・未来を同時に預言していたのである。

(1)「未来記」序章の現代語訳

 これは日本の道義がすたれた時代を預言するものである。今から600年の時が過ぎ去った後より記す。

聖徳太子が亡くなったのが622年であり、「未来記」は、その600年後の1222年から起こる日本の出来事を預言している。何故、太子の死後600年後から預言を開始したのか?それは、1222年に日本人にとって重大な出来事が起きた年になり、日本を滅びに導く者の生誕を示すからである。つまり、日本を滅ぼす三悪僧(一遍・日蓮・親鸞)の中で最も悪僧である日蓮が誕生したのが貞応元年2月16日(1222年3月30日)である。(日蓮はその罪業により600年間、地獄で反省させられている。)日蓮の教えを継ぐ者(創価学会)も日本を滅ぼすものとして聖徳太子は預言している

(2)「未来記」第1章の現代語訳

 二人の王は位を争い、二人の家臣は政治について、とやかく口をはさむ。黒鼠(主家に忠実でない奉公人)は朝飯を食らい、黄龍(天子)は金殿において即位する。兄王は西の海に沈み、武士が宮中にまで入り込む。三種の神器の一つである宝剣を失い、なお、戦乱はおさまらない。弟王は王位を譲られないまま位に就く。神璽と明鏡は武士によって再び宮廷に戻る。

(歴史的事実)

 鎌倉幕府の北条義時と朝廷の後鳥羽上皇が争っていた。土御門天皇が即位してはいたが、実質的権力は院政により後鳥羽上皇が握っていた。北条義時は二代目の執権として鎌倉幕府で権力を握っていたが、「承久の変」(1221年)で大軍を京都に派遣し、三上皇の配流と天皇廃位を強行していた。その結果、六波羅探題が京都に置かれ、鎌倉幕府の執権政治を揺ぎ無いものとした。これ以後、天皇は飾り物に過ぎなくなる。聖徳太子は朝廷の三代に渡る院政が腐敗政治を生み、武家の台頭を招き寄せて、天皇自ら島流しにあう時代を先見していた。

(歴史的現代)

 黄龍である昭和天皇は1928年11月に金殿となる京都御所で即位の大礼を行い天皇となった。その直後、二つの武力勢力が動き始める。日本陸軍と日本海軍である。日本海軍の方が陸軍より先に設立しているので兄は海軍である。明治初期は海軍が主で陸軍が従だったが、西南戦争(1877年)で薩摩勢力が退行すると陸軍が勢力を持ち始める。海軍の青年将校らが1932年5月15日に首相官邸に乱入し、犬養毅首相を射殺する。このテロで日本の政党政治は瀕死の状態になる。次に1936年2月26日に陸軍の青年将校らが首相官邸を急襲し、高橋是清蔵相などを暗殺した。家臣である軍人たちが政治に介入し始めたのである。それを機に陸軍が一気に暴走を開始する。1937年7月7日「盧溝橋事件」を起こし、中国侵攻を開始した。その後、議会の命令を無視して結果的に「南京事件」を起こし、日本を泥沼に引き込んでいく。昭和天皇が臨席した御前会議にも陸軍・海軍の軍人が出席し時局の判断を誤っていく。大本営が発表する戦果も水増しデータで上層部が訂正を加えた出鱈目情報ばかりだった。弟である陸軍は太平洋戦争の主導権を握り続ける中、兄である海軍は西太平洋で全滅の憂き目にあう。昭和天皇のポツダム宣言を受諾した時、神璽である真の支配権は軍の手から離れ去ったのである。

(歴史的近未来)

 第二次世界大戦後に国際連合が設立された。それは世界の金殿であり、平和の旗印でもあった。国連自体が錦の御旗となったのである。軍事力で対峙するのはアメリカと旧ソ連(ロシア)である。旧ソ連はロシア帝国時代から連綿と続く歴史を持つ兄であり、歴史の浅いアメリカは弟となる。自由主義経済で豊かになったアメリカは旧ソ連を軍拡競争に巻き込み、旧ソ連を経済破綻させてしまう。結果的にアメリカは国連で主導権を握り世界最大の超大国として国連を牛耳るに至った。

(3)「未来記」第2章の現代語訳

 藤花はちりぢりに廃れ、源葉が太政大臣、左大臣、右大臣の位に就く。公家は年々衰え、武士はしばしば盛り栄える。日本国すべてが武家の占領するところとなる。はや三代が経過して、尼女が将軍となり、武道を支配する。三人の天皇は島流しとなり、武将が朝廷を包囲する。

(歴史的事実)

 栄華を極めた藤原氏による貴族政治も衰退する。代わって源氏が台頭し、太政大臣、左大臣、右大臣の位に就く。公家の勢力は年々衰え、武士の勢力は盛んになっていく。鎌倉時代は天皇中心の祭政一致政治を配下の者に乗っ取られた時代といえる。それは院政を敷き、朝廷を堕落させた側の責任ともいえるが武力集団に力で剥奪されたからである。鎌倉時代以降の日本は群雄割拠の時代となり戦乱の時代を迎え国土が荒れ果てていく。北条時政の娘だった政子は、源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流されて来た時に妻となり頼家と実朝を産んでいる。頼朝の死後は尼となり、頼家の将軍補佐として幕政に参加していた。政子によって朝廷の討幕軍が打ち破られ、三人の天皇が島流しの憂き目にあう。一人目は順徳天皇で佐渡に流され、二人目は後鳥羽天皇で隠岐へ流され、三人目は土御門天皇で土佐に流されている。

(歴史的現代)

 徳川幕府の末期の幕臣は武士ではなく遊興に現を抜かす者で溢れていた。薩長を中核とする討幕派は西洋戦術と砲術を学び軍事訓練を欠かさぬ武力集団と化していた。鳥羽伏見の戦い(1868年)により幕府軍は惨敗する。明治新政府が樹立されると薩長土肥で占められ、日本は彼ら新勢力の領土となった。その後、武力で国内外を支配する軍国主義が台頭する。その間、明治・大正・昭和の三代の時代が過ぎ去っていく。1991年にバブルが崩壊するや、2003年まで国内の土地株式などの資産は1389兆円の損失を被り、家計損失は623兆円に達した。(実際は800兆円を越えている。) 日本は一気に陽から陰の時代に突入し、異常なゼロ金利の時代を迎え男の時代は消滅する。

(歴史的近未来)

 アメリカは第一次世界大戦後に国際連盟を設立し、第二次世界大戦後に国際連合を設立したが、そのうち必ず三代目になる「世界政府」を樹立してくる。アメリカの同盟国でもアメリカに逆らう国は除外される。アメリカ国内でさえ、弱者切捨て政策が推し進められ、格差社会が確立している。世界政府樹立後、世界はアメリカの傲慢に業を煮やし、反アメリカ連合が結成される。それが、「ハルマゲドン」を招き寄せる。その直前、アメリカを含む世界中の軍隊がイスラエルに集結する。

(4)「未来記」第3章の現代語

 その時、仏教が盛んになり、僧道が繁栄することになる。法華経と秘密経の両宗派は勢力を増し、その勢いは天台宗の不空の時代を追い越す。戒律と仏心を重んじる両宗派は公平にして誤りが無く、曇無と達磨大師のときに勝るほどである。慧遠や善導のように出家して、浄土宗の僧となる者が多くなる。王臣は思い思いに信仰し、身分の高い人も低い人も一緒に身を寄せる。都や田舎のそこかしこに広まるが、ただ極楽往生のための経と戒めだけで、僧も尼も男も女も専ら念仏の一行だけを修めるだけだ。

(歴史的事実)

「未来記」が世に出れば日本の仏教が滅びると言われている。「未来記」の預言が開始された1222年に、中身の伴わない念仏だけの仏教(親鸞)、踊り狂うだけの仏教(一遍)、過激なだけの新興仏教(日蓮)が台頭し、旧来の仏教も土台が腐り始めていた。法華経は最澄により日本に伝えられ天台宗として発展を遂げている。一方、密教重視の真言宗も勢力を拡大している。仏教を発展させたのは最澄と空海であると聖徳太子は語っている。空海は「仏教」「道教」「儒教」の根本が一つの出所から派生したものとする奥義に到達した。しかし、鎌倉時代以降の仏教界は三教を三宝とし「仏」「法」「僧」と入れ換えてしまう。これが堕落の始まりである。念仏を唱えるだけで極楽浄土に行ける教えは安易なだけに口先の信仰を生み出した。宗教に欠かせない人徳を高める修行や他人のため働く行為、無償の奉仕が影を潜め、信者拡大が主流の仏教が幅を利かすようになった。

(歴史的現代)

 徳川幕府の方針で神仏混交が進み、神道行事に僧侶が、仏事に宮司が同席した。この時、寺は葬式を担当し、葬式仏教の習慣を確立させた。やがて、明治政府の神仏分離により、全国の寺は廃仏毀釈の波にさらされ衰退したかに見えた。ところが、全国の仏教は軍部と足並みを揃え法話を通して多くの兵士を戦場へと駆り立てたのである。江戸時代以降の葬式仏教は日本に再び復活し、敗戦と共に熱狂は冷めて現代に至っている。

(歴史的近未来)

ブッシュ大統領は全国のキリスト教徒に向かって対テロ戦争が平和を招くと演説し、イラクへの攻撃が聖戦であることを強調した。イスラエルのシオンの丘をキリスト教の聖地とし、異教徒は排除すべき対象となる。一方、イラクのサダム・フセインもアメリカを悪魔とし、アメリカと戦うことが聖戦と強調していた。オサマ・ビンラディンもジハード(聖戦)を旗印にアルカイダを組織し、アメリカと同盟国に対し、無差別テロを決行し続けている。アメリカは私利的判断でイラクを侵略し、非難を浴びても居座る構えを崩さない。現在の世界はアメリカを筆頭とするキリスト教国対イスラム教国の新十字軍戦争の状態にある。  (5)「未来記」第4章の現代語訳

 その時、魔王の波旬(はじゅん)が現れて、仏教の名の下に僧家を破壊し、日本国を奪い取って支配した後、鬼国(残忍な国)に貶めようとする。そこで、腹心の三人を僧の姿にさせ、邪道を伝授し、日本の国の全ての人を惑わして、三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)に堕落させようとする。

(歴史的事実)

「未来記」は日本を過たせる仏教僧が三人現れると預言する。(一遍・日蓮・親鸞のことである。) 鎌倉時代は、すべてに末法の時代に突入し、簡単に救いを与えられる浄土信仰が登場すると一気に日本全国に伝播し、関白だった藤原頼道が宇治の平等院に阿弥陀堂を建立するキッカケとなった。「新約聖書」は三善三悪について次のように伝えている。神界を構成するのが三善であり、天の父・子・聖霊であり、地獄を構成している三悪が龍・獣・偽預言者である。

(歴史的現代)

 日本の軍国主義は国内外を問わず大勢の人を地獄に落とし、飢え死にさせ、人を人とも思わぬ畜生に仕立て上げた。国土を焦土と化すまで戦争を継続させ、面子第一で己の身を守ろうとした「鬼」が日本の軍部だった。一億総玉砕を美徳と教え、人権蹂躙と人命軽視の軍国教育は人類最大の悪の極みだった。軍国主義の返礼が二発の原子爆弾だった。明治時代は徳川幕府による不平等条約で縛られ欧米列強の力を排斥する「怒りの時代」で、その頂点が日露戦争だった。大正時代は大陸侵出の野心を継続しつつ、ロシア革命に乗じてシベリア出兵を行い明らかな「貪りの時代」の幕開けとなる。昭和時代は世界が植民地の時代を終えつつあったにもかかわらず、長年の鎖国時代で時代を読めず、無謀な戦争に突入していった。昭和はその意味で「無知の時代」だった。

(歴史的近未来)

 悪魔の絵で最も数多く象徴されている人がアメリカのブッシュ大統領である。アメリカは日本を支配するため新たな占領政策に打って出てくる。アメリカが目指すのは日本本土全体の沖縄化である。仏教に「三善三悪」があるが、「戦争の放棄、戦力を保有せず、交戦権を有しない」とする平和三原則は三善となる。しかし、アメリカの策に乗って憲法第九条を破棄した瞬間、三善は三悪に変貌し、日本は預言どおり「鬼の国」となる。三悪の地獄道を背負うのがアメリカなら、イギリスは便乗して利益を受ける餓鬼道に陥り、日本はNOと言えない犬のような畜生道に陥っている。

(6)「未来記」第5章の現代語訳

 三悪僧の一番目は名前を一遍法師といい、念仏三昧(一心に仏名を唱えること)で自分個人の家を建て、偽りの道理を世の中に広め、僧が女性と交合することを許し、尼と一つの場所で寝起きする。鼠色の衣を身に付け黒衣を戒め踊り念仏を修めて、南無阿弥陀仏の六字の名号を貶める。人々を惑わし、死後極楽浄土に生まれ変われるというお礼を授ける。たちの悪い病気の人を集めては配下とし信敬を受けて施主(僧に物を施す人)を引き寄せ、そして、地獄に堕とそうとする。まさしくこの通りである。

(歴史的事実)

一遍は鎌倉時代中期の僧で、一心に仏名を唱えることで救われると説き、信者を率いて遊行を行い踊念仏で極楽浄土に行けると教えた。その教えは絶対他力である。人の努力など全て無駄と説き、南無阿弥陀仏の六文字を唱えるだけを実践とした。一遍は生涯、寺を持たぬ根無し草として生きた。ただ、念仏だけを唱えて踊り狂いながら国中を漫遊し、あちこちで食料を頂戴していただけである。これは、一種の宗教的ネズミ講であり、一遍の時宗は拡大していった。熊野詣に訪れる大勢の参拝者を狙い、参道で人目に立つ踊念仏を披露し、最後には伊勢神宮の参道でも踊り狂った。

(歴史的現代)

薩摩から生まれた日本軍部は日本を支配しやすいよう天皇を神に祭り上げて現人神とし、軍を皇軍として神聖視させた。さらに死ねば神となる神道の根源を悪用し、靖国神社を興し、死後の保障を安易に約束した。これが国家神道という神道の邪教だった。「軍の言葉を天皇陛下の言葉と思え」で日本を支配していった。これは一遍が仏名を唱えるのと同じ理屈だった。軍は伊勢神宮を要する天下無双の仕組みを汚してしまったのである。

(歴史的近未来)

ブッシュ大統領はユダヤ一辺倒のキリスト教原理主義者で、パレスチナ人をゴミとしか見ていない。対テロ戦争の美名を詔か免罪符のように連呼し、イスラム諸国を侵略している。ブッシュは世界中にアメリカ軍を派兵し、膨大な戦費と人間を無駄に使っている。アメリカと共に行き着く先は地獄である。


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「聖徳太子の大予言」の要約


  1. はじめに

     飛鳥昭雄・山上智著「聖徳太子の大預言」の中には、恐ろしい未来の出来事が詳細に預言されている。聖書の中にハルマゲドンを含む多数の悲惨な未来が預言されているのは、その預言を通して、人々の心と眼を神に向けさせ、最終的には救いを得させる為である。預言の存在は、預言が語る時代の人々に何らかの利益になる情報を与えるためである。馬小屋で誕生したイエス・キリストを象徴する「厩戸皇子」の名で呼ばれた聖人が後世の私達を恐怖に陥れるために預言を残すわけが無い。預言者が預言書を残すということは、その預言書がいつ世に出ることになるのか、未然に知っているからである。

    「未来記」が世に出れば、「日本の仏教界は滅亡するか衰退する」と言われて来た為、現在に至るまで世に出なかった。しかし、皇室とゆかりの深い山上智氏の協力があり、飛鳥昭雄氏の霊的解釈により「未来記」及び「未然紀」が解明されたのである。特に飛鳥氏は、現代日本の実情を探り、預言の隠された意図と世界規模の預言を解き明かし最終的な形にした。

    「未来記」は当時の最高権力者レベルでないと見ることが出来なかった。明治政府が「未来記」の写本を見つけ出し、当時の国会図書館に納めたが、一般の閲覧は禁じられた。「未然紀」の方は江戸時代の延宝年間に天領だった上野の国の不動寺の住職を務めていた潮音によって「先代旧事本紀大成経」72巻本の第69巻として世に送り出された代物である。しかし、伊勢神宮を中心に大弾圧が起こり、犬公方と嫌われた5代将軍徳川綱吉が「未然紀」を含む「先代旧事本紀大成経」の全てを焚書してしまった。しかしながら、8代将軍徳川吉宗の時代に「未然紀」の究明作業をさせた為、「未然紀」の写し乾・坤2巻が国会図書館に封印されていたのである。「未然紀」と「未来記」は聖徳太子の預言書である。前者を「未然本紀」といい、後者を「日本国未来記」という。「未然紀」も「未来記」もまだ起きていない将来のことを指し、その時代を事前に書き記してあるため共に預言書となる。聖徳太子は神から未然に知るための導きを受けていたと「未然紀」の中に記述されている。「未然紀」と「未来記」は合わせ鏡となっており、二冊で一対になっている。つまり、聖徳太子は「両方合わせて未来を未然に知らしめよ」と言っているのである。

    「未然紀」は千年先までの未来を未然に預言した書物である。622年(推古天皇330年)に始まり、1000年間の国事に関する事件や出来事を未然に書き残した書物である。しかし、622年から1621年までの1000年だけの俗事を記した預言ではない。なぜなら、「未然紀」の中に「過去一千年の世の中を知り、未来に起こる一千年のことを知る」と記されているからである。つまり、「未然紀」に一千年分の預言しかなくても、その先の預言をも内在されている。「未然紀」と「未来記」を共に解き明かす者は、未来の出来事を深く未然に知ることが出来るということである。聖徳太子が二種の預言書を書き残した理由は、現代に生きる私達に重要なメッセージを伝えることにあった。だからこそ、それまでの時代では隠されたまま表に出てこなかったのである。驚くべきことに、それは日本だけの預言ではなく、世界規模の預言にもなっているのである。さらに驚くべきことに、旧約聖書の預言者イザヤですら両義預言(「指定時代の預言」と「未来の預言」の二段構造になっている)しか出来なかったのに、聖徳太子の預言は三義預言(「指定時代の預言」と「現代の預言」と「未来の世界預言」の三段構造になっている)を行っていたのである。聖徳太子の「未然紀」と「未来記」がそろって出た年(1998年1月)から、この世の終わりを示す最終カウントダウンが開始されたことを示している。

    「聖徳太子の大預言」のほとんどは「未然紀」中心の解き明かしである。その理由は「未来記」の方は霊的側面が強く、どうしても部分的な公開にならざるを得なかったからである。現代を表している第千四百歳(1922年~2021年)は同じ「壬戌~辛丑」で共通する第次百歳(722年~821年)第五百歳(1022年~1121年)第八百歳(1322年~1421年)の預言部分を見れば良いことになる。カッバーラでは第五百歳を中心に置き、第次百歳、第八百歳は従属するものとなる。

  2. 楠木正成と「太平記」の謎

     楠木正成は南北朝時代の武将で、河内の一地方豪族に過ぎなかったが、今では皇居の正門前に「大楠公」としての像が立てられている。これは、楠木正成が皇室にとって掛けがいの無い人物であることを象徴している。楠木正成は後醍醐天皇の命令を受け、挙兵し数百の軍で赤坂千早城に立てこもり、智略と巧みな戦術で大軍を率いた北条軍と対峙し、結果的に籠城作戦が功を奏して鎌倉幕府は崩壊する。

     後醍醐天皇は聖徳太子を心の師と慕い、自らも太子のごとくなるよう努力した天皇であり、聖帝とも言われた。後醍醐天皇は天皇親政による政治体制に戻そうと比叡山を起点として討伐軍を起こそうとしたが、捕らえられて隠岐へ島流しになった。正成の挙兵は後醍醐天皇が島流しになった頃で、護良親王と共に鎌倉幕府に反旗を翻したのである。足利尊氏や新田義貞らの武将も挙兵し、鎌倉幕府は倒れたが、足利尊氏が裏切り自ら幕府を開こうと画策した。そして、九州から20万もの大軍で押し寄せて来た時、正成は湊川の地で壮絶な最期を迎えた。楠木正成は武人でありながら皇室への忠誠心が厚く「建武の中興」の祖とされている。

     楠木正成が天王寺(後の四天王寺)で陣を敷いていた時、そこに保管されていた聖徳太子の「未来記」を読んだという伝説がある。正成が四天王寺で「未来記」を閲覧させてもらい、そこに記されていた預言を見て自らの天命を悟り、破竹の勢いで戦いに向かったとされている。楠木正成は秋之坊当大僧正から門外不出の秘蔵の「未来記」を閲覧させてもらった。それは聖徳太子が未然に物事を知る力があったことや、それを記した預言書が四天王寺にあることを知っていたからである。正成が見た「未来記」の内容は現代語訳で次のような文面だった。

    「第95代後醍醐天皇になり、国家が乱れて来た。この時、東の魚が来て、四つの海を呑む。太陽が西の空に沈んで370日余り。西の鳥が来て、東の魚を食べる。その後、海に帰るが3年後である。大きな猿のような者が、30年余り国家を奪ってしまう。その後、災い変じて元に戻ることになったという。」

    (預言の内容)

     東魚とは北条高時である。太陽が西の空に沈むとは、後醍醐天皇が隠岐に島流しにあうということである。370日とは1年と少しの意味である。やがて、西の勢力が盛り返し、最終的に鎌倉幕府を打ち倒すことになる。その3年後に犬顔で猿のような足利尊氏が天下を奪い取ることになる。30年余りで南北朝が併合統一されると解釈される。

     しかし、楠木正成が実際に見たのは「未来記」ではなく「未然紀」だったのである。四天王寺には「未来記」だけではなく「未然紀」も保管していたからである。四天王寺が正成に「未然紀」の方を見せた理由は、「未来記」には日本の仏教界を震撼させる衝撃的な内容の預言が記されていたからである。「未来記」を世に出せば、四天王寺を含めた仏教界の多くが衰退しかねない内容となっていたからであり、世に出せなかったのである。法隆寺にも二種の聖徳太子の預言書が保管されていると推測できる。しかし、封印したまま隠し通してきた。それが世に出る時が、仏教が衰退する末法時代の始まりとなるからである。

     楠木正成が自分の姓名が書かれていた箇所は「未然紀」第八百歳第139章に出ている。

    (現代語訳)

     光が北方に沈むのに一年かかり、南の木に封じ込められるのに60日かかる。

    (歴史的事実(過去))

     後醍醐天皇が権威を奪われ、隠岐島に島流しにされる。正成は翌年の正月から60日間、鎌倉幕府の大軍から、わずかの手勢で守り抜き、3月の鎌倉幕府滅亡のきっかけをつくった。楠を南の木と漢字分解で表している。これにより正成は自分のことだと判断したのである。「太平記」の作者は誰かということであるが、南朝の後醍醐天皇寄りに書かれた歴史書であることから、南朝側に関わる誰かであり、楠木正成もそれに深く関与していたと推察される。正成の時代は「未然紀」でいう第八百歳(1322年~1421年)に当たり、現代に当たる第千四百歳(1922年~2021年)と全く同じ時代に位置している。このことから楠木正成の預言箇所が、どのように1922年から現代までの日本と呼応するか検討する。


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次元の壁を破る心の財産

「次元の壁を破る心の財産」

(まえがき)

 エハン・デラヴィ著「フォトン・ベルトの真実と暗黒星ネメシス」によると、①フォトン・ベルトは存在しない。②地球温暖化の原因は二酸化炭素ではなく、太陽の活動激化にある。③太陽の変化は、太陽系に近づきつつある褐色矮星ネメシスと呼ばれ恐れられた二ビルの接近により、電気的に刺激され猛烈に反応している。④2012年12月22日には何かが起こると警告している。

 エハン氏は褐色矮星ネメシス=惑星X=ニビルと考えている。しかし、飛鳥昭雄氏は超太陽系創造理論でネメシスを木星とし、ニビルは木星から誕生する太陽系第13惑星ケツァルコアトルであるとし、惑星Xは太陽系第10番惑星NOX(ノクス)としている。飛鳥氏のプラズマ宇宙理論は地球内部の亜空間世界にまで及び、聖書の預言を科学的な立場から解明している。飛鳥氏は真実のパラダイムを公開しているのである。

 養老孟司著「バカの壁」を読んで感じたことは、「バカの壁」は次元の壁で言うと5次元の壁であると思ったのである。自分の知りたくないことについては、自主的に情報を遮断している壁のことを「バカの壁」と言う。壁の内側だけが自分の世界であり、壁の向こう側が全く見えない。戦後の教育はGHQの影響もあり、我が国の人々は「バカの壁」の中にいる。確かに「バカの壁」の中に入れば思考停止となり楽である。しかし、「バカの壁」=「自我の壁」を自ら破らなければならない時期に来ている。真実のパラダイムを知ることによって「自我の壁」は破れる。

 藤原正彦著「国家の品格」は6次元の意識を明らかにした本である。欧米の合理的精神(5次元の意識)の誤りを指摘し、日本の武士道精神(7次元の意識)の復活を提唱している。武士道精神は不惜身命であり、菩薩の意識である。その中核が惻隠の情である。惻隠の情は6次元上段階の意識であり、この意識を実践できることが菩薩なのだ。戦後の日本人はアメリカの奴隷となり、欧米の合理的精神を正しいものと信じ、本来の日本精神を失ってしまった。5次元の限界は「論理を徹底すれば、問題が解決出来る」と信じてしまったことにある。論理だけでは世界が破綻する。論理の限界は次の通りである。

  1. 人間の理性や論理には限界がある。これは、カントも指摘しているが6次元の壁を破るには合理的精神ではなく神を信じる直観によるからである。②最も重要なことは論理では説明できない。ゲーデルが「不完全性定理」を証明し、論理に頼っては永久に判定できないことを証明した。③論理には出発点が必要であり、論理の出発点を選ぶのは情緒や形(6次元の意識)である。④論理は長くなりえない。⑤論理だけでは人間社会の問題の解決は図れない。⑥自由とか平和という概念は、欧米が作り上げたフィクションである。

     藤原氏は論理や合理的精神が信頼できないとすれば「情緒や形」を見直すことであるとしている。(「情緒や形」は一言で言うと日本の心である。日本には昔から道と言う修行道があり、武道、剣道、茶道、華道などがあり、自然と一体になった姿が形なのである。それは、「光の道」を進むことであり、6次元の意識なのである。情緒は神の心である片寄らない中道の心を意味していると考えられる。)

     霊の世界があると思っている人は4次元の意識を持っている。しかし、テレビで放映している内容は全て地獄霊専門であり、地獄霊に執着していると憑依されてしまうので要注意である。地獄霊は4次元下段階に住んでいる。4次元上段階は天国と言われている所であるが、まだ霊の自覚に目覚めていない者が多い。霊の本質に目覚めると5次元の世界に進化していく。5次元の世界は意識の世界であり、想う事が実現する世界である。精神統一が修行の目的となっている。6次元の世界は神の意識が分かり、神の心に則って生活している。7次元の世界は神の心を実現する為に地獄霊を救済する使命を持って活動している。8次元の世界は如来の世界であり、宇宙即我の境地に到達している為、衆生済度行為を中心に諸菩薩・諸天善神の指導をしている。9次元は真のメシアであるエル・ランティーが存在する世界であり、霊太陽として存在している。エル・ランティーの分霊にイエス・ブッタ・モーセがいる。しかし、地球存亡の危機であった20世紀にエル・ランティーが人間・高橋信次として誕生した。そのため、20世紀の危機は回避されたが、2012年12月以降に太陽のプラズマ直撃を受け、地球は大変なことになる。それを避ける為に「バカの壁」を突破して5次元レベルの意識になることが急務である。

     次元の壁は高次元から見ると膜の様な存在であるという。高次元から3次元を見ると、3次元は膜のようなものの上に貼り付いて住んでいるという。私たちは多次元構造の中で生きている。次元の壁を破れるかどうかは心の浄化によって決定される。私は次元意識を物差しにして、市販されている多くの本を読んで著者の意識を判定してみた。その結果、次のような感想を得た。

  1. 真実なパラダイムを知らずに自分の思想を書いている者は5次元止まりであると感じたし、真実のパラダムを無視している者も5次元止まりである。

  2. 6次元以上と思えたのは真実のパラダイムを知り、それを踏まえて多くの人に語っているレベルの人達である。例えば、藤原正彦著「国家の品格」や養老孟司著「バカの壁」は真実のパラダイムを知るべきだと訴えている本である。

  3. 真実のパラダイムを熟知し、心の浄化も進み、霊能力を駆使して多くの人々に真実を伝えようとしている人達が菩薩である。例えば、明治天皇の孫である中丸薫女史とNASAからの真実の情報を伝えている飛鳥昭雄氏がいる。彼らの著書には真実のパラダイムが書かれている。中丸薫女史は天からのメッセージとUFOからのメッセージと地底人(アルザル人)からのメッセージを受けられる霊道者である。天からのメッセージではエル・ランティーからのメッセージも受けられ、エル・ランティーが高橋信次先生であることを確認している。中丸薫女史は霊道を究め、遂に人類最高責任者であるエル・ランティーに辿り着いた。飛鳥昭雄氏は「聖徳太子の預言」や「ヨハネの黙示録」をカッバーラで解明した。また、裏天皇と言われる裏神道の総元締めから日本の秘密を解き明かしても良いというお墨付きを得た唯一の人物である。飛鳥氏はカッバーラを神の証明の為だけに使用して金儲けの手段としていない。これは、菩薩の生き方である。

  4. 菩薩以上のレベルが存在する。それが如来である。如来レベルは宇宙即我の境地に到達し、神の意識に同通している。それは、高橋信次先生の「心行」と「心の発見」が証明している。心は霊子の存在を認識していなければ発見できない。霊子は22世紀に発見されると預言されている。「心の発見」が出来ることこそ真のメシアの証明なのである。さらに高橋信次先生は「太陽系霊団の系図」を示し、真のメシアの存在を明らかにした。私は、高橋信次先生の名前から「高次元の世界から信という架け橋をかける人」と言霊法で解明した。高橋信次先生はブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信として真の指導者の生き方を初めて人類に示されたのである。そのため、9次元の意識も明確になったのである。高橋信次先生は「道即法」「法即行」「行即光」「光即道」と具体的に次元の鍵を示された。私は、この教えを悟られた人だけの専売特許であると思っていた為、深く追求しなかった。しかし、「道即法」は6次元レベル、「法即行」は7次元レベル、「行即光」は8次元レベルの指針を示していたのである。そして、真のメシアは「光即道」を示さなければならなかった。それも最も分かりやすい方法で示さなければ真のメシアの使命は果たせなかったからである。真のメシアが示された「光の道」や「道しるべ」を受け取れるレベルが6次元以上である。誰でも6次元までは次元上昇できるので「バカの壁」を破ることが先決である。

     現在のあなたの次元をチェックできる簡単な例題がある。それは、青い鳥を探す童話があるが、「あなたは、青い鳥をどこで発見しますか?」というものである。

  1. 青い鳥は存在しないので探さない

  2. 青い鳥は存在すると思い、家の外に探しに行く

  3. 青い鳥を自分の心の中に発見する

    3の自分の心の中に青い鳥を発見できる人は6次元である。真のメシアが示してくれた「光の道」が青い鳥なのである。青い鳥は心の中の霊子線で繋がっている。2の青い鳥を自分の外に探そうとする人は5次元レベルである。4次元レベルの人は1であり、青い鳥の存在すら知らないので探そうともしない。しかし、1の人でも青い鳥の存在を知らせてあげれば彼らも次元上昇することが出来る。いずれにしても、自分の心に「光の道」があることに気付くことが大切なのである。

    私は、あなた(読者)に挑戦する。私のチェックリストと質問に回答して下さい。その結果、5次元以下と判定された場合は、私の勝ちであり、ホームページを是非読んで下さい。5次元以上と判定された場合は、あなた(読者)の勝ちであり、ホームページを読む必要がありません。それでは、「自我の壁チェックリスト」であなたの現在の次元を判定して下さい。その結果、「自我の壁」を破れなかった人は「次元意識に関する質問」で自分の次元を判定して下さい。それで、5次元以下と判定された人はホームページを読んで「自我の壁」を破って下さい。


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波動指数と格闘技

「波動指数」とは波動の強弱を一目でわかる指数で表したものであり、当初は選挙の有利・不利として開発した尺度です。波動指数を格闘技にも応用してみました。

(1)2019年12月24日の格闘技

①WBA世界ミドル級ミドル級タイトルマッチ

村田涼太(1986年1月12日→⑥①③)→26ポイント

スティーブン・バトラー(1995年9月2日→⑥⑨②)→27ポイント(トリプル転換点)

 村田はバトラーを5回2分45秒でTKO勝ちした。村田は序盤からワンツーを中心に圧力をかけ5回に右の連打から左のフックでバトラーを倒した。7月の王座復帰戦の初防衛を果たした。

 波動指数を見ると、バトラーはトリプル転換点であり、自分の実力を発揮できない状態であった。それゆえ、村田にとって有利に作用したと考えられる。

②WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ

寺地拳四朗(1992年1月6日→③①⑥)→23ポイント

ランディ・ペタルコリン(1991年12月31日→②⑫④)→10ポイント

 拳四朗は3回右のボディストレートでダウンを奪い、フックの連打で3回目のダウンを奪った。4回左のボディフックでKOした。これは波動指数通り,拳四朗の勝ちとなった。

③IBF世界フライ級タイトルマッチ

 八重樫東(1983年2月25日→③②⑦)→23ポイント

 モンティ・ムザラネ(1982年10月6日→②⑩⑥)→9ポイント

ムザラネは11年間無敗の強豪である。それに対して、八重樫は2年半のブランクがある。私は波動指数では八重樫が有利だが、2年半のブランクが問題だと思った。アスリートは練習を1日休むと元に戻るのに3日必要だと言われている。それゆえ、八重樫のブランクはどうなるのだろうかと思っていた。心配した通り、だんだんスタミナが切れて、8回でグロッキーになった。9回でレフェリーストップとなった。波動指数的に見れば、確かに八重樫が有利であるが、11年間無敗の強敵に勝つには、20ポイント以上の差が必要だったと思われる。

(2)大晦日の格闘技

①WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ

井岡一翔(1989年3月24日→⑨③⑥)→24ポイント(ダブル転換点)

ジェイビェール・シントロン(1995年2月8日→⑥②⑧)→35ポイント

 井岡は、1回~3回は様子を見ていた。シントロンの方が波動指数通り有利に試合を運んでいた。4回からは、井岡のジャブが当たるようになり、距離感をつかんできた。5回からは井岡のペースになり、余裕を持ってシントロンを挑発したりした。結局、キャリア(経験値)の差が出た試合だった、井岡はシントロンのボディを攻撃し、スタミナを奪う作戦に出た。シントロンは2度もテーピングがずれたことにより、体を休める作戦に出た。それほどボディを打たれ限界だったのである。波動指数はシントロンが有利だったが、シントロンのスタミナを奪い井岡のキャリアが上回った試合だったと言える。

②WBO世界フライ級タイトルマッチ

田中恒成81995年6月15日→⑥⑥⑥)→29ポイント(ダブル転換点)

ウラン・トロハツ(1993年3月5日→④③⑤)→24ポイント

 田中恒成は3階級制覇(ミニマム級、ライトフライ級、フライ級)している。1回から田中がプレッシャーをかけてトロハツをコーナーに追い詰める。3回に左右のボディ攻撃でトロハツはグロッキーとなる。3回ボデイィの連打と最後は左アッパーでトロハツをKOした。波動指数通り田中の圧勝であった。

③那須川天心対江端塁戦

 那須川天心81998年8月18日→⑨⑧⑨)→42ポイント 

 江端塁(1991年1月10日→②①①)→17ポイント

 那須川は昨年の大晦日にボクシング元世界5階級制覇者フロイド・メイウェザーとエキシビジョンマッチで1回TKO となった。しかしこれは、キック禁止のハンデマッチであり、誰が考えても那須川の勝利はなかった。キックボクサーにキックを禁止したら、メイウェザーにとっては赤ん坊の手をひねる様であったろう。体格差もあり、無謀なハンデマッチであった。那須川が日本人最強の刺客と言われる江端塁を問題にしなかった。同じ条件で戦えば、メイウェザーといえども那須川は互角に戦えたのではないかと思われる。江畑戦の試合は、波動指数通り那須川天心の圧勝であった。

④朝倉未来対ジョン・マカパ戦

 朝倉未来(1992年7月15日→③⑦⑥)→33ポイント

 ジョン・マカパ(1995年4月7日→⑥④⑦)→32ポイント(ダブル転換点)

 両者互角だったが、若干、朝倉の方が優勢だった。マカパはグランド(寝技)に持ち込もうとするが、朝倉がこらえた試合展開だった。結局、波動指数通り、朝倉の判定勝ちとなった。

⑤エメリヤー・エンコ・ヒョードル対クイントン・ランペイジ・ジャクソン戦

 ヒョードル(1976年9月28日→⑤⑨①→完全な大物)→24ポイント(ダブル転換点)

 ジャクソン(1978年6月2日→⑦⑥②→隠れ大物)→41ポイント

 ヒョードルは60億人分の1と称された最強の格闘家であり、生年月日に①⑤⑨を持つ完全な大物である。それに対してジャクソンも生年月日に②⑥⑦を持つ隠れ大物である。大物同志の戦いはどうなるかと思っていたが、ヒョードルの方が試合巧者だった。一方的な試合展開であった。これがヒョードルにとって、日本最後の試合となった。

⑥朝倉海対マネル・ケイプ戦

朝倉海(1993年10月31日→④⑩④)→17ポイント

マネル・ケイプ(1993年11月14日→④⑪⑤)→18ポイント

 これはバンタム級タイトルマッチで戦ったが、ケイプがグランド(寝技)に持ち込み、朝倉をTKOした。グランドに持ち込もうとするケイプに対し、打撃で応戦する朝倉の対戦だったが、波動指数通り、ケイプが勝った。兄の未来はグランドに持ち込ませなかったので判定勝ちしたが、弟の海はづランドに持ち込まれて負けた。

⑦浜崎朱加体ハム・ソヒ戦

浜崎朱加(1982年3月31日→②③④)→14ポイント(ダブル転換点)

ハム・ソヒ(1987年3月8日→⑦③⑧)→48ポイント

 浜崎はグランド(寝技)で攻撃しようとしたが、首を三角締めで苦しめられてしまった。そのため、判定で負けた。必ずしもグランドでは上にならなければ有利になるとは限らないことを示した試合だった。波動指数が及ぼした効果だった。

高橋信次著 「悪霊1」の要約

 

高 橋 信 次 著 「悪 霊(Ⅰ)」の 要 約

 

(1)はじめに

 

 霊の世界というのは、実際には、日常生活と密接に関係している。夢を見る、直感が働く、以心伝心、噂をすれば何とやら、という事柄は、すべて霊の世界に関係がある。三次元はいわば立体の世界で、光と影の混ざり合った世界である。霊の世界はどうかというと、光と影の明暗がはっきり分かれた世界である。地獄に堕ちた霊人は自分の心を自分で縛っているので、その行動範囲は狭く、ある一定の場所に屯することになっている。例えば、墓とか家とか、自殺者の多い場所にいる。(いわゆる地縛霊になっている。)彼らはこの範囲内の3次元は自由である。

 

 私たちが心の中で、物を考えたり、思ったり、念じたりすることによって、先ほどの霊人たちと関係してくる。私たちの心は、あの世の霊人たちとツウツウなのである。つまり、テレパシーとか、透視とか、読心術、念力などの働きは、霊人たちの作用で起こるものなのである。守護霊が背後で働いて、人の心に示唆を与えたり、力を貸したりするからである。

 

 思うこと、念ずることが正しくないと地獄霊(悪霊)がその人を支配してしまう。正しくない心とは、人を憎む思い、怒り、嫉み、愚痴、中傷、足る事を知らぬ欲望などの想念行為をいう。何故、正しくないかというと、自己保存が主体になっているからである。私たちの生活は自然界の意思に沿って生活することが大事で、他を生かし、助け合う協調互恵の心が必要であり、自己保存ではない。

 

 ところが文明社会の中で育つと、内向的な人は孤独になり、ノイローゼ、精神病になっていく。反対に外交的な人は、唯物思想にかぶれ、物を主体にした考えに陥り、闘争は激化していく。この本で扱っているのは、主に内向的な人たちの姿である。高橋信次先生のところに来てノイローゼから救われた者、病気が平癒した者、様々であるが、その根本は自己保存に基づく怒りや、憎しみが発端になっている。悪霊に憑依されると、元の自分に戻ることは難しい。なぜなら、一度憑依されると、憑依の道筋が出来、その道筋を完全に塞ぐには絶えざる努力と勇気がいるからである。こうした病気にならない人は、憑依されていないかというと、そうではなく、憑依されている時間が短いというだけのことである。つまり、自己保存の強い人は、誰も悪霊の影響を受けており、鬱病にならないものは、躁病の気質を持ち、いつでも病気になりうる要素があるということである。闘争に明け暮れている者の背後には、阿修羅という悪霊がおり、それらが嗾けているのである。

 

聖徳太子「未来記」の要約

聖徳太子の「未来記」が世に出たら必ず仏教が滅亡するとされている。「未然紀」が社会的預言であるのに対して「未来記」は政治・宗教関連の預言で占められている。「未来記」の真の呼び名は「日本国未来記」という。「未来記」は「未然紀」と同じように三義預言になっている。当時の過去・現代・未来を同時に預言していたのである。

(1)「未来記」序章の現代語訳

 これは日本の道義がすたれた時代を預言するものである。今から600年の時が過ぎ去った後より記す。

聖徳太子が亡くなったのが622年であり、「未来記」は、その600年後の1222年から起こる日本の出来事を預言している。何故、太子の死後600年後から預言を開始したのか?それは、1222年に日本人にとって重大な出来事が起きた年になり、日本を滅びに導く者の生誕を示すからである。つまり、日本を滅ぼす三悪僧(一遍・日蓮・親鸞)の中で最も悪僧である日蓮が誕生したのが貞応元年2月16日(1222年3月30日)である。(日蓮はその罪業により600年間、地獄で反省させられている。)日蓮の教えを継ぐ者(創価学会)も日本を滅ぼすものとして聖徳太子は預言している

(2)「未来記」第1章の現代語訳

 二人の王は位を争い、二人の家臣は政治について、とやかく口をはさむ。黒鼠(主家に忠実でない奉公人)は朝飯を食らい、黄龍(天子)は金殿において即位する。兄王は西の海に沈み、武士が宮中にまで入り込む。三種の神器の一つである宝剣を失い、なお、戦乱はおさまらない。弟王は王位を譲られないまま位に就く。神璽と明鏡は武士によって再び宮廷に戻る。

(歴史的事実)

 鎌倉幕府の北条義時と朝廷の後鳥羽上皇が争っていた。土御門天皇が即位してはいたが、実質的権力は院政により後鳥羽上皇が握っていた。北条義時は二代目の執権として鎌倉幕府で権力を握っていたが、「承久の変」(1221年)で大軍を京都に派遣し、三上皇の配流と天皇廃位を強行していた。その結果、六波羅探題が京都に置かれ、鎌倉幕府の執権政治を揺ぎ無いものとした。これ以後、天皇は飾り物に過ぎなくなる。聖徳太子は朝廷の三代に渡る院政が腐敗政治を生み、武家の台頭を招き寄せて、天皇自ら島流しにあう時代を先見していた。

(歴史的現代)

 黄龍である昭和天皇は1928年11月に金殿となる京都御所で即位の大礼を行い天皇となった。その直後、二つの武力勢力が動き始める。日本陸軍と日本海軍である。日本海軍の方が陸軍より先に設立しているので兄は海軍である。明治初期は海軍が主で陸軍が従だったが、西南戦争(1877年)で薩摩勢力が退行すると陸軍が勢力を持ち始める。海軍の青年将校らが1932年5月15日に首相官邸に乱入し、犬養毅首相を射殺する。このテロで日本の政党政治は瀕死の状態になる。次に1936年2月26日に陸軍の青年将校らが首相官邸を急襲し、高橋是清蔵相などを暗殺した。家臣である軍人たちが政治に介入し始めたのである。それを機に陸軍が一気に暴走を開始する。1937年7月7日「盧溝橋事件」を起こし、中国侵攻を開始した。その後、議会の命令を無視して結果的に「南京事件」を起こし、日本を泥沼に引き込んでいく。昭和天皇が臨席した御前会議にも陸軍・海軍の軍人が出席し時局の判断を誤っていく。大本営が発表する戦果も水増しデータで上層部が訂正を加えた出鱈目情報ばかりだった。弟である陸軍は太平洋戦争の主導権を握り続ける中、兄である海軍は西太平洋で全滅の憂き目にあう。昭和天皇のポツダム宣言を受諾した時、神璽である真の支配権は軍の手から離れ去ったのである。

(歴史的近未来)

 第二次世界大戦後に国際連合が設立された。それは世界の金殿であり、平和の旗印でもあった。国連自体が錦の御旗となったのである。軍事力で対峙するのはアメリカと旧ソ連(ロシア)である。旧ソ連はロシア帝国時代から連綿と続く歴史を持つ兄であり、歴史の浅いアメリカは弟となる。自由主義経済で豊かになったアメリカは旧ソ連を軍拡競争に巻き込み、旧ソ連を経済破綻させてしまう。結果的にアメリカは国連で主導権を握り世界最大の超大国として国連を牛耳るに至った。

(3)「未来記」第2章の現代語訳

 藤花はちりぢりに廃れ、源葉が太政大臣、左大臣、右大臣の位に就く。公家は年々衰え、武士はしばしば盛り栄える。日本国すべてが武家の占領するところとなる。はや三代が経過して、尼女が将軍となり、武道を支配する。三人の天皇は島流しとなり、武将が朝廷を包囲する。

(歴史的事実)

 栄華を極めた藤原氏による貴族政治も衰退する。代わって源氏が台頭し、太政大臣、左大臣、右大臣の位に就く。公家の勢力は年々衰え、武士の勢力は盛んになっていく。鎌倉時代は天皇中心の祭政一致政治を配下の者に乗っ取られた時代といえる。それは院政を敷き、朝廷を堕落させた側の責任ともいえるが武力集団に力で剥奪されたからである。鎌倉時代以降の日本は群雄割拠の時代となり戦乱の時代を迎え国土が荒れ果てていく。北条時政の娘だった政子は、源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流されて来た時に妻となり頼家と実朝を産んでいる。頼朝の死後は尼となり、頼家の将軍補佐として幕政に参加していた。政子によって朝廷の討幕軍が打ち破られ、三人の天皇が島流しの憂き目にあう。一人目は順徳天皇で佐渡に流され、二人目は後鳥羽天皇で隠岐へ流され、三人目は土御門天皇で土佐に流されている。

(歴史的現代)

 徳川幕府の末期の幕臣は武士ではなく遊興に現を抜かす者で溢れていた。薩長を中核とする討幕派は西洋戦術と砲術を学び軍事訓練を欠かさぬ武力集団と化していた。鳥羽伏見の戦い(1868年)により幕府軍は惨敗する。明治新政府が樹立されると薩長土肥で占められ、日本は彼ら新勢力の領土となった。その後、武力で国内外を支配する軍国主義が台頭する。その間、明治・大正・昭和の三代の時代が過ぎ去っていく。1991年にバブルが崩壊するや、2003年まで国内の土地株式などの資産は1389兆円の損失を被り、家計損失は623兆円に達した。(実際は800兆円を越えている。) 日本は一気に陽から陰の時代に突入し、異常なゼロ金利の時代を迎え男の時代は消滅する。

(歴史的近未来)

 アメリカは第一次世界大戦後に国際連盟を設立し、第二次世界大戦後に国際連合を設立したが、そのうち必ず三代目になる「世界政府」を樹立してくる。アメリカの同盟国でもアメリカに逆らう国は除外される。アメリカ国内でさえ、弱者切捨て政策が推し進められ、格差社会が確立している。世界政府樹立後、世界はアメリカの傲慢に業を煮やし、反アメリカ連合が結成される。それが、「ハルマゲドン」を招き寄せる。その直前、アメリカを含む世界中の軍隊がイスラエルに集結する。

(4)「未来記」第3章の現代語

 その時、仏教が盛んになり、僧道が繁栄することになる。法華経と秘密経の両宗派は勢力を増し、その勢いは天台宗の不空の時代を追い越す。戒律と仏心を重んじる両宗派は公平にして誤りが無く、曇無と達磨大師のときに勝るほどである。慧遠や善導のように出家して、浄土宗の僧となる者が多くなる。王臣は思い思いに信仰し、身分の高い人も低い人も一緒に身を寄せる。都や田舎のそこかしこに広まるが、ただ極楽往生のための経と戒めだけで、僧も尼も男も女も専ら念仏の一行だけを修めるだけだ。

(歴史的事実)

「未来記」が世に出れば日本の仏教が滅びると言われている。「未来記」の預言が開始された1222年に、中身の伴わない念仏だけの仏教(親鸞)、踊り狂うだけの仏教(一遍)、過激なだけの新興仏教(日蓮)が台頭し、旧来の仏教も土台が腐り始めていた。法華経は最澄により日本に伝えられ天台宗として発展を遂げている。一方、密教重視の真言宗も勢力を拡大している。仏教を発展させたのは最澄と空海であると聖徳太子は語っている。空海は「仏教」「道教」「儒教」の根本が一つの出所から派生したものとする奥義に到達した。しかし、鎌倉時代以降の仏教界は三教を三宝とし「仏」「法」「僧」と入れ換えてしまう。これが堕落の始まりである。念仏を唱えるだけで極楽浄土に行ける教えは安易なだけに口先の信仰を生み出した。宗教に欠かせない人徳を高める修行や他人のため働く行為、無償の奉仕が影を潜め、信者拡大が主流の仏教が幅を利かすようになった。

(歴史的現代)

 徳川幕府の方針で神仏混交が進み、神道行事に僧侶が、仏事に宮司が同席した。この時、寺は葬式を担当し、葬式仏教の習慣を確立させた。やがて、明治政府の神仏分離により、全国の寺は廃仏毀釈の波にさらされ衰退したかに見えた。ところが、全国の仏教は軍部と足並みを揃え法話を通して多くの兵士を戦場へと駆り立てたのである。江戸時代以降の葬式仏教は日本に再び復活し、敗戦と共に熱狂は冷めて現代に至っている。

(歴史的近未来)

ブッシュ大統領は全国のキリスト教徒に向かって対テロ戦争が平和を招くと演説し、イラクへの攻撃が聖戦であることを強調した。イスラエルのシオンの丘をキリスト教の聖地とし、異教徒は排除すべき対象となる。一方、イラクのサダム・フセインもアメリカを悪魔とし、アメリカと戦うことが聖戦と強調していた。オサマ・ビンラディンもジハード(聖戦)を旗印にアルカイダを組織し、アメリカと同盟国に対し、無差別テロを決行し続けている。アメリカは私利的判断でイラクを侵略し、非難を浴びても居座る構えを崩さない。現在の世界はアメリカを筆頭とするキリスト教国対イスラム教国の新十字軍戦争の状態にある。  (5)「未来記」第4章の現代語訳

 その時、魔王の波旬(はじゅん)が現れて、仏教の名の下に僧家を破壊し、日本国を奪い取って支配した後、鬼国(残忍な国)に貶めようとする。そこで、腹心の三人を僧の姿にさせ、邪道を伝授し、日本の国の全ての人を惑わして、三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)に堕落させようとする。

(歴史的事実)

「未来記」は日本を過たせる仏教僧が三人現れると預言する。(一遍・日蓮・親鸞のことである。) 鎌倉時代は、すべてに末法の時代に突入し、簡単に救いを与えられる浄土信仰が登場すると一気に日本全国に伝播し、関白だった藤原頼道が宇治の平等院に阿弥陀堂を建立するキッカケとなった。「新約聖書」は三善三悪について次のように伝えている。神界を構成するのが三善であり、天の父・子・聖霊であり、地獄を構成している三悪が龍・獣・偽預言者である。

(歴史的現代)

 日本の軍国主義は国内外を問わず大勢の人を地獄に落とし、飢え死にさせ、人を人とも思わぬ畜生に仕立て上げた。国土を焦土と化すまで戦争を継続させ、面子第一で己の身を守ろうとした「鬼」が日本の軍部だった。一億総玉砕を美徳と教え、人権蹂躙と人命軽視の軍国教育は人類最大の悪の極みだった。軍国主義の返礼が二発の原子爆弾だった。明治時代は徳川幕府による不平等条約で縛られ欧米列強の力を排斥する「怒りの時代」で、その頂点が日露戦争だった。大正時代は大陸侵出の野心を継続しつつ、ロシア革命に乗じてシベリア出兵を行い明らかな「貪りの時代」の幕開けとなる。昭和時代は世界が植民地の時代を終えつつあったにもかかわらず、長年の鎖国時代で時代を読めず、無謀な戦争に突入していった。昭和はその意味で「無知の時代」だった。

(歴史的近未来)

 悪魔の絵で最も数多く象徴されている人がアメリカのブッシュ大統領である。アメリカは日本を支配するため新たな占領政策に打って出てくる。アメリカが目指すのは日本本土全体の沖縄化である。仏教に「三善三悪」があるが、「戦争の放棄、戦力を保有せず、交戦権を有しない」とする平和三原則は三善となる。しかし、アメリカの策に乗って憲法第九条を破棄した瞬間、三善は三悪に変貌し、日本は預言どおり「鬼の国」となる。三悪の地獄道を背負うのがアメリカなら、イギリスは便乗して利益を受ける餓鬼道に陥り、日本はNOと言えない犬のような畜生道に陥っている。

(6)「未来記」第5章の現代語訳

 三悪僧の一番目は名前を一遍法師といい、念仏三昧(一心に仏名を唱えること)で自分個人の家を建て、偽りの道理を世の中に広め、僧が女性と交合することを許し、尼と一つの場所で寝起きする。鼠色の衣を身に付け黒衣を戒め踊り念仏を修めて、南無阿弥陀仏の六字の名号を貶める。人々を惑わし、死後極楽浄土に生まれ変われるというお礼を授ける。たちの悪い病気の人を集めては配下とし信敬を受けて施主(僧に物を施す人)を引き寄せ、そして、地獄に堕とそうとする。まさしくこの通りである。

(歴史的事実)

一遍は鎌倉時代中期の僧で、一心に仏名を唱えることで救われると説き、信者を率いて遊行を行い踊念仏で極楽浄土に行けると教えた。その教えは絶対他力である。人の努力など全て無駄と説き、南無阿弥陀仏の六文字を唱えるだけを実践とした。一遍は生涯、寺を持たぬ根無し草として生きた。ただ、念仏だけを唱えて踊り狂いながら国中を漫遊し、あちこちで食料を頂戴していただけである。これは、一種の宗教的ネズミ講であり、一遍の時宗は拡大していった。熊野詣に訪れる大勢の参拝者を狙い、参道で人目に立つ踊念仏を披露し、最後には伊勢神宮の参道でも踊り狂った。

(歴史的現代)

薩摩から生まれた日本軍部は日本を支配しやすいよう天皇を神に祭り上げて現人神とし、軍を皇軍として神聖視させた。さらに死ねば神となる神道の根源を悪用し、靖国神社を興し、死後の保障を安易に約束した。これが国家神道という神道の邪教だった。「軍の言葉を天皇陛下の言葉と思え」で日本を支配していった。これは一遍が仏名を唱えるのと同じ理屈だった。軍は伊勢神宮を要する天下無双の仕組みを汚してしまったのである。

(歴史的近未来)

ブッシュ大統領はユダヤ一辺倒のキリスト教原理主義者で、パレスチナ人をゴミとしか見ていない。対テロ戦争の美名を詔か免罪符のように連呼し、イスラム諸国を侵略している。ブッシュは世界中にアメリカ軍を派兵し、膨大な戦費と人間を無駄に使っている。アメリカと共に行き着く先は地獄である。


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「聖徳太子の大予言」の要約


  1. はじめに

     飛鳥昭雄・山上智著「聖徳太子の大預言」の中には、恐ろしい未来の出来事が詳細に預言されている。聖書の中にハルマゲドンを含む多数の悲惨な未来が預言されているのは、その預言を通して、人々の心と眼を神に向けさせ、最終的には救いを得させる為である。預言の存在は、預言が語る時代の人々に何らかの利益になる情報を与えるためである。馬小屋で誕生したイエス・キリストを象徴する「厩戸皇子」の名で呼ばれた聖人が後世の私達を恐怖に陥れるために預言を残すわけが無い。預言者が預言書を残すということは、その預言書がいつ世に出ることになるのか、未然に知っているからである。

    「未来記」が世に出れば、「日本の仏教界は滅亡するか衰退する」と言われて来た為、現在に至るまで世に出なかった。しかし、皇室とゆかりの深い山上智氏の協力があり、飛鳥昭雄氏の霊的解釈により「未来記」及び「未然紀」が解明されたのである。特に飛鳥氏は、現代日本の実情を探り、預言の隠された意図と世界規模の預言を解き明かし最終的な形にした。

    「未来記」は当時の最高権力者レベルでないと見ることが出来なかった。明治政府が「未来記」の写本を見つけ出し、当時の国会図書館に納めたが、一般の閲覧は禁じられた。「未然紀」の方は江戸時代の延宝年間に天領だった上野の国の不動寺の住職を務めていた潮音によって「先代旧事本紀大成経」72巻本の第69巻として世に送り出された代物である。しかし、伊勢神宮を中心に大弾圧が起こり、犬公方と嫌われた5代将軍徳川綱吉が「未然紀」を含む「先代旧事本紀大成経」の全てを焚書してしまった。しかしながら、8代将軍徳川吉宗の時代に「未然紀」の究明作業をさせた為、「未然紀」の写し乾・坤2巻が国会図書館に封印されていたのである。「未然紀」と「未来記」は聖徳太子の預言書である。前者を「未然本紀」といい、後者を「日本国未来記」という。「未然紀」も「未来記」もまだ起きていない将来のことを指し、その時代を事前に書き記してあるため共に預言書となる。聖徳太子は神から未然に知るための導きを受けていたと「未然紀」の中に記述されている。「未然紀」と「未来記」は合わせ鏡となっており、二冊で一対になっている。つまり、聖徳太子は「両方合わせて未来を未然に知らしめよ」と言っているのである。

    「未然紀」は千年先までの未来を未然に預言した書物である。622年(推古天皇330年)に始まり、1000年間の国事に関する事件や出来事を未然に書き残した書物である。しかし、622年から1621年までの1000年だけの俗事を記した預言ではない。なぜなら、「未然紀」の中に「過去一千年の世の中を知り、未来に起こる一千年のことを知る」と記されているからである。つまり、「未然紀」に一千年分の預言しかなくても、その先の預言をも内在されている。「未然紀」と「未来記」を共に解き明かす者は、未来の出来事を深く未然に知ることが出来るということである。聖徳太子が二種の預言書を書き残した理由は、現代に生きる私達に重要なメッセージを伝えることにあった。だからこそ、それまでの時代では隠されたまま表に出てこなかったのである。驚くべきことに、それは日本だけの預言ではなく、世界規模の預言にもなっているのである。さらに驚くべきことに、旧約聖書の預言者イザヤですら両義預言(「指定時代の預言」と「未来の預言」の二段構造になっている)しか出来なかったのに、聖徳太子の預言は三義預言(「指定時代の預言」と「現代の預言」と「未来の世界預言」の三段構造になっている)を行っていたのである。聖徳太子の「未然紀」と「未来記」がそろって出た年(1998年1月)から、この世の終わりを示す最終カウントダウンが開始されたことを示している。

    「聖徳太子の大預言」のほとんどは「未然紀」中心の解き明かしである。その理由は「未来記」の方は霊的側面が強く、どうしても部分的な公開にならざるを得なかったからである。現代を表している第千四百歳(1922年~2021年)は同じ「壬戌~辛丑」で共通する第次百歳(722年~821年)第五百歳(1022年~1121年)第八百歳(1322年~1421年)の預言部分を見れば良いことになる。カッバーラでは第五百歳を中心に置き、第次百歳、第八百歳は従属するものとなる。

  2. 楠木正成と「太平記」の謎

     楠木正成は南北朝時代の武将で、河内の一地方豪族に過ぎなかったが、今では皇居の正門前に「大楠公」としての像が立てられている。これは、楠木正成が皇室にとって掛けがいの無い人物であることを象徴している。楠木正成は後醍醐天皇の命令を受け、挙兵し数百の軍で赤坂千早城に立てこもり、智略と巧みな戦術で大軍を率いた北条軍と対峙し、結果的に籠城作戦が功を奏して鎌倉幕府は崩壊する。

     後醍醐天皇は聖徳太子を心の師と慕い、自らも太子のごとくなるよう努力した天皇であり、聖帝とも言われた。後醍醐天皇は天皇親政による政治体制に戻そうと比叡山を起点として討伐軍を起こそうとしたが、捕らえられて隠岐へ島流しになった。正成の挙兵は後醍醐天皇が島流しになった頃で、護良親王と共に鎌倉幕府に反旗を翻したのである。足利尊氏や新田義貞らの武将も挙兵し、鎌倉幕府は倒れたが、足利尊氏が裏切り自ら幕府を開こうと画策した。そして、九州から20万もの大軍で押し寄せて来た時、正成は湊川の地で壮絶な最期を迎えた。楠木正成は武人でありながら皇室への忠誠心が厚く「建武の中興」の祖とされている。

     楠木正成が天王寺(後の四天王寺)で陣を敷いていた時、そこに保管されていた聖徳太子の「未来記」を読んだという伝説がある。正成が四天王寺で「未来記」を閲覧させてもらい、そこに記されていた預言を見て自らの天命を悟り、破竹の勢いで戦いに向かったとされている。楠木正成は秋之坊当大僧正から門外不出の秘蔵の「未来記」を閲覧させてもらった。それは聖徳太子が未然に物事を知る力があったことや、それを記した預言書が四天王寺にあることを知っていたからである。正成が見た「未来記」の内容は現代語訳で次のような文面だった。

    「第95代後醍醐天皇になり、国家が乱れて来た。この時、東の魚が来て、四つの海を呑む。太陽が西の空に沈んで370日余り。西の鳥が来て、東の魚を食べる。その後、海に帰るが3年後である。大きな猿のような者が、30年余り国家を奪ってしまう。その後、災い変じて元に戻ることになったという。」

    (預言の内容)

     東魚とは北条高時である。太陽が西の空に沈むとは、後醍醐天皇が隠岐に島流しにあうということである。370日とは1年と少しの意味である。やがて、西の勢力が盛り返し、最終的に鎌倉幕府を打ち倒すことになる。その3年後に犬顔で猿のような足利尊氏が天下を奪い取ることになる。30年余りで南北朝が併合統一されると解釈される。

     しかし、楠木正成が実際に見たのは「未来記」ではなく「未然紀」だったのである。四天王寺には「未来記」だけではなく「未然紀」も保管していたからである。四天王寺が正成に「未然紀」の方を見せた理由は、「未来記」には日本の仏教界を震撼させる衝撃的な内容の預言が記されていたからである。「未来記」を世に出せば、四天王寺を含めた仏教界の多くが衰退しかねない内容となっていたからであり、世に出せなかったのである。法隆寺にも二種の聖徳太子の預言書が保管されていると推測できる。しかし、封印したまま隠し通してきた。それが世に出る時が、仏教が衰退する末法時代の始まりとなるからである。

     楠木正成が自分の姓名が書かれていた箇所は「未然紀」第八百歳第139章に出ている。

    (現代語訳)

     光が北方に沈むのに一年かかり、南の木に封じ込められるのに60日かかる。

    (歴史的事実(過去))

     後醍醐天皇が権威を奪われ、隠岐島に島流しにされる。正成は翌年の正月から60日間、鎌倉幕府の大軍から、わずかの手勢で守り抜き、3月の鎌倉幕府滅亡のきっかけをつくった。楠を南の木と漢字分解で表している。これにより正成は自分のことだと判断したのである。「太平記」の作者は誰かということであるが、南朝の後醍醐天皇寄りに書かれた歴史書であることから、南朝側に関わる誰かであり、楠木正成もそれに深く関与していたと推察される。正成の時代は「未然紀」でいう第八百歳(1322年~1421年)に当たり、現代に当たる第千四百歳(1922年~2021年)と全く同じ時代に位置している。このことから楠木正成の預言箇所が、どのように1922年から現代までの日本と呼応するか検討する。


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次元の壁を破る心の財産

「次元の壁を破る心の財産」

(まえがき)

 エハン・デラヴィ著「フォトン・ベルトの真実と暗黒星ネメシス」によると、①フォトン・ベルトは存在しない。②地球温暖化の原因は二酸化炭素ではなく、太陽の活動激化にある。③太陽の変化は、太陽系に近づきつつある褐色矮星ネメシスと呼ばれ恐れられた二ビルの接近により、電気的に刺激され猛烈に反応している。④2012年12月22日には何かが起こると警告している。

 エハン氏は褐色矮星ネメシス=惑星X=ニビルと考えている。しかし、飛鳥昭雄氏は超太陽系創造理論でネメシスを木星とし、ニビルは木星から誕生する太陽系第13惑星ケツァルコアトルであるとし、惑星Xは太陽系第10番惑星NOX(ノクス)としている。飛鳥氏のプラズマ宇宙理論は地球内部の亜空間世界にまで及び、聖書の預言を科学的な立場から解明している。飛鳥氏は真実のパラダイムを公開しているのである。

 養老孟司著「バカの壁」を読んで感じたことは、「バカの壁」は次元の壁で言うと5次元の壁であると思ったのである。自分の知りたくないことについては、自主的に情報を遮断している壁のことを「バカの壁」と言う。壁の内側だけが自分の世界であり、壁の向こう側が全く見えない。戦後の教育はGHQの影響もあり、我が国の人々は「バカの壁」の中にいる。確かに「バカの壁」の中に入れば思考停止となり楽である。しかし、「バカの壁」=「自我の壁」を自ら破らなければならない時期に来ている。真実のパラダイムを知ることによって「自我の壁」は破れる。

 藤原正彦著「国家の品格」は6次元の意識を明らかにした本である。欧米の合理的精神(5次元の意識)の誤りを指摘し、日本の武士道精神(7次元の意識)の復活を提唱している。武士道精神は不惜身命であり、菩薩の意識である。その中核が惻隠の情である。惻隠の情は6次元上段階の意識であり、この意識を実践できることが菩薩なのだ。戦後の日本人はアメリカの奴隷となり、欧米の合理的精神を正しいものと信じ、本来の日本精神を失ってしまった。5次元の限界は「論理を徹底すれば、問題が解決出来る」と信じてしまったことにある。論理だけでは世界が破綻する。論理の限界は次の通りである。

  1. 人間の理性や論理には限界がある。これは、カントも指摘しているが6次元の壁を破るには合理的精神ではなく神を信じる直観によるからである。②最も重要なことは論理では説明できない。ゲーデルが「不完全性定理」を証明し、論理に頼っては永久に判定できないことを証明した。③論理には出発点が必要であり、論理の出発点を選ぶのは情緒や形(6次元の意識)である。④論理は長くなりえない。⑤論理だけでは人間社会の問題の解決は図れない。⑥自由とか平和という概念は、欧米が作り上げたフィクションである。

     藤原氏は論理や合理的精神が信頼できないとすれば「情緒や形」を見直すことであるとしている。(「情緒や形」は一言で言うと日本の心である。日本には昔から道と言う修行道があり、武道、剣道、茶道、華道などがあり、自然と一体になった姿が形なのである。それは、「光の道」を進むことであり、6次元の意識なのである。情緒は神の心である片寄らない中道の心を意味していると考えられる。)

     霊の世界があると思っている人は4次元の意識を持っている。しかし、テレビで放映している内容は全て地獄霊専門であり、地獄霊に執着していると憑依されてしまうので要注意である。地獄霊は4次元下段階に住んでいる。4次元上段階は天国と言われている所であるが、まだ霊の自覚に目覚めていない者が多い。霊の本質に目覚めると5次元の世界に進化していく。5次元の世界は意識の世界であり、想う事が実現する世界である。精神統一が修行の目的となっている。6次元の世界は神の意識が分かり、神の心に則って生活している。7次元の世界は神の心を実現する為に地獄霊を救済する使命を持って活動している。8次元の世界は如来の世界であり、宇宙即我の境地に到達している為、衆生済度行為を中心に諸菩薩・諸天善神の指導をしている。9次元は真のメシアであるエル・ランティーが存在する世界であり、霊太陽として存在している。エル・ランティーの分霊にイエス・ブッタ・モーセがいる。しかし、地球存亡の危機であった20世紀にエル・ランティーが人間・高橋信次として誕生した。そのため、20世紀の危機は回避されたが、2012年12月以降に太陽のプラズマ直撃を受け、地球は大変なことになる。それを避ける為に「バカの壁」を突破して5次元レベルの意識になることが急務である。

     次元の壁は高次元から見ると膜の様な存在であるという。高次元から3次元を見ると、3次元は膜のようなものの上に貼り付いて住んでいるという。私たちは多次元構造の中で生きている。次元の壁を破れるかどうかは心の浄化によって決定される。私は次元意識を物差しにして、市販されている多くの本を読んで著者の意識を判定してみた。その結果、次のような感想を得た。

  1. 真実なパラダイムを知らずに自分の思想を書いている者は5次元止まりであると感じたし、真実のパラダムを無視している者も5次元止まりである。

  2. 6次元以上と思えたのは真実のパラダイムを知り、それを踏まえて多くの人に語っているレベルの人達である。例えば、藤原正彦著「国家の品格」や養老孟司著「バカの壁」は真実のパラダイムを知るべきだと訴えている本である。

  3. 真実のパラダイムを熟知し、心の浄化も進み、霊能力を駆使して多くの人々に真実を伝えようとしている人達が菩薩である。例えば、明治天皇の孫である中丸薫女史とNASAからの真実の情報を伝えている飛鳥昭雄氏がいる。彼らの著書には真実のパラダイムが書かれている。中丸薫女史は天からのメッセージとUFOからのメッセージと地底人(アルザル人)からのメッセージを受けられる霊道者である。天からのメッセージではエル・ランティーからのメッセージも受けられ、エル・ランティーが高橋信次先生であることを確認している。中丸薫女史は霊道を究め、遂に人類最高責任者であるエル・ランティーに辿り着いた。飛鳥昭雄氏は「聖徳太子の預言」や「ヨハネの黙示録」をカッバーラで解明した。また、裏天皇と言われる裏神道の総元締めから日本の秘密を解き明かしても良いというお墨付きを得た唯一の人物である。飛鳥氏はカッバーラを神の証明の為だけに使用して金儲けの手段としていない。これは、菩薩の生き方である。

  4. 菩薩以上のレベルが存在する。それが如来である。如来レベルは宇宙即我の境地に到達し、神の意識に同通している。それは、高橋信次先生の「心行」と「心の発見」が証明している。心は霊子の存在を認識していなければ発見できない。霊子は22世紀に発見されると預言されている。「心の発見」が出来ることこそ真のメシアの証明なのである。さらに高橋信次先生は「太陽系霊団の系図」を示し、真のメシアの存在を明らかにした。私は、高橋信次先生の名前から「高次元の世界から信という架け橋をかける人」と言霊法で解明した。高橋信次先生はブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信として真の指導者の生き方を初めて人類に示されたのである。そのため、9次元の意識も明確になったのである。高橋信次先生は「道即法」「法即行」「行即光」「光即道」と具体的に次元の鍵を示された。私は、この教えを悟られた人だけの専売特許であると思っていた為、深く追求しなかった。しかし、「道即法」は6次元レベル、「法即行」は7次元レベル、「行即光」は8次元レベルの指針を示していたのである。そして、真のメシアは「光即道」を示さなければならなかった。それも最も分かりやすい方法で示さなければ真のメシアの使命は果たせなかったからである。真のメシアが示された「光の道」や「道しるべ」を受け取れるレベルが6次元以上である。誰でも6次元までは次元上昇できるので「バカの壁」を破ることが先決である。

     現在のあなたの次元をチェックできる簡単な例題がある。それは、青い鳥を探す童話があるが、「あなたは、青い鳥をどこで発見しますか?」というものである。

  1. 青い鳥は存在しないので探さない

  2. 青い鳥は存在すると思い、家の外に探しに行く

  3. 青い鳥を自分の心の中に発見する

    3の自分の心の中に青い鳥を発見できる人は6次元である。真のメシアが示してくれた「光の道」が青い鳥なのである。青い鳥は心の中の霊子線で繋がっている。2の青い鳥を自分の外に探そうとする人は5次元レベルである。4次元レベルの人は1であり、青い鳥の存在すら知らないので探そうともしない。しかし、1の人でも青い鳥の存在を知らせてあげれば彼らも次元上昇することが出来る。いずれにしても、自分の心に「光の道」があることに気付くことが大切なのである。

    私は、あなた(読者)に挑戦する。私のチェックリストと質問に回答して下さい。その結果、5次元以下と判定された場合は、私の勝ちであり、ホームページを是非読んで下さい。5次元以上と判定された場合は、あなた(読者)の勝ちであり、ホームページを読む必要がありません。それでは、「自我の壁チェックリスト」であなたの現在の次元を判定して下さい。その結果、「自我の壁」を破れなかった人は「次元意識に関する質問」で自分の次元を判定して下さい。それで、5次元以下と判定された人はホームページを読んで「自我の壁」を破って下さい。


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自我の壁を破るチェックリスト

(自我の壁チェックリスト)

1、          アインシュタインは光速を超える物質はないとしたが、超光速のエネルギーが存在している。
2、          人間の体は肉体・光子体・霊子体の三体によって構成されている。
3、          霊子の存在は発見されていないが、霊子こそ心であり神と繋がっている。
4、          宇宙空間には、宇宙エネルギーが充満している。
5、          死後の世界(4次元以降の世界)が存在している。
6、          人間は光子を生産するメーカーであり、光子量によって次元が決定される。
7、          プラス思考も神の心(中道)から外れると自我我欲となり、マイナス思考でも神の心に合えば謙虚な心で足ることを知る生活が出来る。
8、          自我我欲と自己保存がエゴ(自我)の正体であり、カルマを造っている。
9、          神が与えた最大の慈悲は、八正道による反省である。
10、     ムー大陸・アトランティス大陸の陥没原因は、当時の人々が欲望と狡猾さに支配され、多くの光の天使達を死刑にしたことにある。
11、     地球は木星から誕生し、木星は太陽から誕生した。
12、     太陽も木星も地球と同じ地殻天体である。
13、     2012年12月22日にフォトン・ベルト(プラズマ・フィラメント)に突入し、地球自体が5次元にアセンション(次元上昇)する。そのため、心の浄化されない人や5次元以下のレベルの人達は、反作用を受けることになる。
14、     地球内部には亜空間世界があり、日本人と同じ遺伝子を持つアルザル人が住んでいる。彼らは、すでにアセンションを経験し5次元レベルである。
15、     ロズウェル事件の真相は、亜空間世界のアルザル人がUFOを飛行させたものだった。
16、     ロスチャイルド家とロックフェラー家の対立が20世紀の歴史をつくった。
17、     日中戦争拡大の既成事実を作ったのは日本海軍である。
18、     東京裁判のA級戦犯など存在しない。
19、     戦後教育が自虐的史観になったのはGHQと東京裁判の影響である。
20、     日本人は失われたイスラエル10支族である。
21、     日本の三種の神器はイスラエルの三種の神器である。
22、     契約の箱は伊勢神宮の内宮にある。
23、     古神道は、原始キリスト教であり、イエス・キリストの教えが生きている。
24、     天照大神の正体は、イエス・キリストである。(伊勢神宮の外宮にヤハウェが祀られ、内宮にイエス・キリストが祀られている。)
25、     3世紀前半の日本列島は、現在よりも90度時計回転した逆転日本列島だった。これは、「混一彊理歴代国都之図」(こんいつきょうり れきだいこくとのず)に描かれている。そのため、「魏志倭人伝」の記述は正しく邪馬台国は、三輪山の麓に広がる大和地方となる。
26、     ノアの大洪水の原因は、木星から誕生した太陽系第12番惑星ヤハウェが地球に超接近したとき、月の内部にあった水をスプラッシュし、そのまま地球へ降り注いだ為である。
27、     モーセの紅海割れの奇跡とヨシュアの太陽運行停止の奇跡は、木星から誕生した金星が地球に超接近した為である。
28、     旧約聖書に記載されたイザヤの太陽逆行の奇跡は、金星により軌道を乱された火星が地球に接近したことにより起きた。
29、     「ヨハネの黙示録」の中で「第5の天使がラッパを吹き鳴らした時、一つの星が天から落ちてくる。」と記されているが、これは木星から誕生する太陽系第13番惑星ケツァルコアトルである。
30、     1999年8月に地球を中心として太陽系惑星が四つの星座に集合する現象(グランドクロス)が起きた。つまり、占星術でのホロスコープ上の水瓶座に海王星と天王星が、蠍座に火星と冥王星が、獅子座に太陽と月と水星と金星そして太陽系第12番惑星ヤハウェが、牡牛座に木星と土星が配置されていた。これは、地球が十字架に磔になったことを示し、世界は破滅に向かって突き進むことを意味している。
 
 
以上のチェックリストで知っているもの、理解できるものには○をつけなさい。
  が25~30の場合は、自我の壁を破れる。地球が5次元にアセンションしても耐えられる。
  が10~24の場合は、もう少しで自我の壁を破れる。真実のパラダイムをもっと知って下さい。
  が0~9の場合は、自我の壁は破れないので「バカの壁を破る真実のパラダイム」を参考にして下さい。

バカの壁を破る真実のパラダイム

(はじめに)

 私は高橋信次先生という偉大な人物に出会い真の宗教のあり方を知った。それ以来、偽物の宗教に惑わされることは無くなったと思っている。宗教や占いを生活の手段としているプロの宗教家や占い師は偽物であることを知ったからである。何故なら彼らは宗教や占いを金儲けの手段として、嘘(偽のパラダイム)を言うことによって信者を食い物にしている実態を知ったからである。私は、高橋信次先生の霊的自覚により占いにおける判断基準を確立することが出来た。それが数霊次元説である。
 高橋信次先生亡き後、私は二人の菩薩の著書に出会い、真実のパラダイムを知らされた。つまり、現在常識とされているパラダイムは偽のパラダイムであり、真実の情報が隠されていることに気付かされたのである。それゆえ、二人の菩薩が発信している情報を正しく伝えなければならないと思うに至ったのである。現在の日本国民は完全に養老孟司先生が指摘している「バカの壁」の中にいる。「バカの壁」を破らなければ、日本民族の使命を果たすことが出来ないと強く思っている。
 二人の菩薩とは明治天皇の孫で国際政治評論家の中丸薫先生とサイエンス・エンターテイナーの飛鳥昭雄氏である。中丸薫先生は天からのメッセージとUFOからのメッセージと地底人からのメッセージを受けられる霊道者である。天からのメッセージではエル・ランティーからのメッセージも受けられ、エル・ランティーが高橋信次先生であることを確認している。中丸薫先生は霊道を究め、遂に人類最高責任者であるエル・ランティーに辿り着いた。飛鳥昭雄氏は「聖徳太子の預言書」や「ヨハネの黙示録」をカッバーラと霊的能力で解明した。また、裏天皇と言われる裏神道の総元締めから日本の秘密を解き明かしても良いというお墨付きを得た唯一の人物である。飛鳥昭雄氏はカッバーラを神の証明の為だけに使用して、金儲けの為に使用していない。これは菩薩の生き方である。カッバーラをプロの占い師のように金儲けの手段としていないということである。カッバーラを神の証明だけに使用している生き方が菩薩なのである。宗教も占いも神の証明の為だけに使用すべきなのである。二人の菩薩は神の証明のために霊的能力を使用している。
 二人の菩薩は多くの著書を出版している。その著書の要約をして伝えなければならないと感じ、ホームページやワープロで纏めたものを整理してみようと思ったのである。中丸薫先生も2012年12月22日に地球がアセンションすると主張している。勇気を持ってバカの壁を破らなければ、その困難な事態を乗り越えることは出来ない。是非一読することをお勧めしたい。
*  パラダイムとは一時代の支配的な物の見方であり、特に科学上の問題を取り扱う前提となるべき時代に共通な体系的想定を言う。
*  アセンションとは次元上昇という意味であり、中丸薫先生はUFOや地底人からのメッセージにより、地球は現在の3次元から5次元に次元上昇すると主張している。次元上昇において、3次元の肉体とは異なる半霊半物質の世界に入っていくということになる。地球は優良の星に変わるプロセスでもある。アセンションに備えて心の浄化を実施しなければならない。特に日本人は特別の使命を担っている為、真実のパラダイムに目覚めなければならない。

 
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私の姓名の秘密



2013年1月15日に、不覚にも私は雪の為、滑って転倒し左の足を骨折してしまった。そのため身動きできず、仕事が出来なくなった。それで、家族の協力を得て最小限の仕事を実施している状態である。左足の骨折の状態で何も出来ないので反省を実施した。その中で「私の使命とは何か?」を反省している中で、私の姓名の秘密について公表しようと思ったのである。


(1)私が自分の名前で姓と名がイコールになっていることに気付いたのは中学1年の時だった。


姓→東郷(TOGO) 名→郁三(いくぞう)


つまり、次のような関係になることを発見したのである。


TO GO = いくこと = いくぞう 


この関係を発見した時は、「名前って面白いものだ」と思った程度で深く追求してみようとは思わなかったのである。


(2)ところが、18歳の時にふとしたことから自分の名前をバラバラに分解して遊んでいるうちに自分の似顔絵が出来てしまったのである。


東郷郁三→分解して、とうゴういく三で似顔絵を作ると次のようになる。


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姓名分析の体系(8つの技法)

(1)行動数式

画数法によって性格、運勢、相性、転換期を判断する。

名前の画数によって13項目のデータが算出される。

(天格、人格、地格、晩格、外格、守護数、指導数、a波動、b波動、a捕格、b捕格、a分身数、b分身数)


(2)ナイングラフ

画数法と音波法によって名前二秘められている9つの潜在能力のポイント数を算出し、一目で分かるグラフに表わしたものである。

どういう分野の才能に恵まれ、どの分野が不足しているかが分かる。


(3)努力関数

行動数式に表れた数を基本として「エネルギー不変の法則」を応用して努力関数を算出する。

この関数を折れ線グラフにすると、効率性を求めるタイプか、無駄な努力をするが社会的には貢献するタイプかが分かる。


Y1=α1・X1(α1=a分身数÷人格) (0≦X1≦25)

Y2=α2・X2(α2=b分身数÷地格) (25≦X2≦50)

Y3=α3・X3(α3=守護数÷晩格) (50≦X3)


(4)ナインリズム

波動理論に行動数式kら満足係数を求めることにより、一生の感情の起伏と運勢のリズムをグラフに表わしたものである。

年齢ごとに感情の振幅がどのように変化するかが表れる。


Y1=-β1cosθ (β1=(外格+人格)÷(指導数+外格) 0≦Y1≦24)

Y2=-β2sinθ (β2=(指導数+地格)÷(外格+指導数) 24≦Y2≦48)

Y3= β3sinθ (β3=(指導数+晩格)÷(外格+指導数) 48≦Y3 )


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数霊次元説による使命の発見

数霊次元説は高橋信次先生の霊的自覚により、私が開発した数意理論である。1から9の数字で占うことは丹羽透涯先生に指導を受けた。1から9までの数字で占っていたが、数意の本質を追求していた結果、高橋信次先生の「太陽系霊団の系図」によって次元が9次元まであることに気付き、1から9までの数字と次元の意識を対比させたことが始まりである。(「次元の壁」に詳しく書いてあるので参照してください。)

初めは、神を信じることから始まる。(9の数意が信である)

次に、神の心を自分の心として生きることである。(2の数意が善であり、良心に従うこと。善我なる心を信じることである。)

3次元の世界にあって自分の使命を発見し、ユートピアの実現と自分のカルマの修正が課題となる。(3の数意が美であり、この世を菩薩界にすることが使命であり、その前に自分のカルマを修正することが必要になった。)

自分のカルマを修正するためには、知恵(1)と勇気(5)と努力(4)が必要であり、ユートピアの実現の為には、謙虚(6)に愛(7)と慈悲(8)の実践が必要になる。

つまり、9(信)→2(良心)→3(使命の発見)→自己確立(カルマの修正)に必要なことは、知恵(1)と勇気(5)と努力(4)によって反省を通してなされていくことになる。さらに、ユートピア実現の為に、謙虚(6)に愛(7)と慈悲(8)を実践することで菩薩行がなされる。1から9の数意がすべて自分の使命の発見に結びついていることを知るべきである。

*1→創意工夫、神理知識、潜在能力、真理追究、論理的思考

2→善意識、良心、合理性、企画性、判断力、決断力、道徳

3→美意識、芸術性、ユートピア実現、創造性、先見性、

4→調和、安らぎ、誠実、努力、健康、温和、エネルギー、持続力

5→正義、勇気、開拓精神、冒険性、闘争心、好奇心、革新、克己心

6→秩序、礼節、敬、徳、理性、管理、中道、自己確立、地位、名誉

7→愛、利他、奉仕、献身、貢献、再建、自己犠牲、菩薩行、布施

8→慈悲、法、社交性、強調、自由、平等、公平、平和、繁栄、営業、幸福

9→信、救世、信仰、指導力、統制、苦労、転向、変身、政治性、歓喜、宗教