高橋信次先生の悟りに至るまでの要約


 高橋信次先生の著書「心の発見」等によれば1927年9月21日に信州佐久高原に生まれた。家は貧しい農家で10人兄弟の次男であった。(男3人、女7人の真ん中に生まれた。)10人の子供を育てる両親のご苦労は経済的にも肉体的にも大変なものがあった。そんな環境の中でも「心まで貧しくなってはいけない。常に与えられた環境の中で努力し続けることが人間である」と教えたのはご母堂であった。「自分自身に厳しく、出来るなら他人に慈悲を施せ。悪い心は持つな」「雨滴によっても石に穴はあく。いつの日には」不断の努力ということを彼女は子供達に常に教え続けたのである。殺生についても「一寸の虫にも五分の魂」、他人の悪口を言えば「人を呪えば穴二つ」などと無学なりにことわざを引用して人の心の偉大さ、尊さを教えくれたという。ご尊父は黙々と働く人だった。ただ子供の育成に力を注ぎ、華やかなものは何一つない地味な生活を送り75歳の生涯を終えた。

 信次先生のご尊父の生命はブッタの父であったシュットダナー大王であり、源頼朝である。頼朝のときに地獄に行ってしまい反省の結果、今生は農業を選んできたと守護霊が語っていたという。他界して7次元菩薩界にいるという。

 ご母堂はイエスの母であった聖母マリアであり、日蓮の母でもあった。それゆえ、信次先生が偉大なる悟りに至ったと思うのである。

 信次先生が10歳の時、不思議な現象が起きた。10歳の9月3日の夜8時頃、原因不明の病気にかかり死線を越える不思議な体験を繰り返していた。「毎夜8時になると定時的に呼吸が止まり、心臓が停止して五体の自由を失ってしまうという奇妙な病気になり、学校にも満足に行けなくなった。『もうひとりの私』が肉体を抜け出し、狼狽している家族の様子を見ているようになった。『もうひとりの私』は自由自在な私であった。しかし、不自由な私をなんとかしようとするがどうすることも出来なかった。1時間から2時間近く不自由な私から抜け出した『もうひとりの私』は間違いなく新しい肉体(光子体)を持った私自身であった。光子体の体は壁などの障害物でも自由自在に自分の意志で通り抜けることが出来た。そして、不自由な肉体に戻るときには何か強い薬草の匂いが鼻をつき、大きな呼吸とともに心臓が動き出して一体になるとともに意識は蘇るのであった。」と語っている。

 ある時、信次先生は成田山へ詣でたことがあった。その時、黒染衣を着て顔を深く隠したまんじゅう笠姿の旅僧に行き会い「病気のことは心配するな。近々に治る。お前の目は二重孔であるので、一生懸命勉強すれば必ず霊力をもつようになろう。」と言われた。そのあと、先に出会った旅僧と同じ姿の方が近寄ってきて正しい心のあり方を教えてくれるのであった。


 「神とは何者だろうか?祈りとは何であろうか?」疑問は何一つ解決することなく時は過ぎていった。小学校から中学校に進んだ。剣道は人生に大きな転換を与えた。剣の修行を縁として心身の浄化を計るということが本来の姿である。軍国主義の日本において中学を中退して軍人志願に踏み切ってしまった。軍隊では躾が厳しく規則正しい生活であり、中学時代不勉強だった先生も日が経つにつれ要領を得、学問も理解できるようになり、極微の世界を学ぶに従って、ミクロからマクロが完成されていくことに気がついていく。この時代の片寄った教育思想も抵抗なく先生の心に調和されていった。それは、父母のため、天皇のため、国家のためという儒教的思想であり思考一筋という教育であった。

 しかし、貧乏人の子せがれにとって国から給料をもらいながら学ぶのであるからありがたい環境であったという。上級学校に行くに従って飛行機乗りに必要なものに変わっていった。電気工学、磁気学というものである。先生は集団生活を通してわがままな心は調和し、人間的に進歩していた。小さい頃から厳しい環境でたたかれたせいか、しっかりした人間が作られていったのである。先生は実践訓練のために初めて祖国を離れることになったが敗戦の色は日増しに濃く上級幹部の間には不安の暗い雲が漂った。先生が軍隊で得たものは社会意識の一員としての犠牲的精神と行動であった。

 1946年に人生の大転機が訪れてきた。敗戦のショックは神国日本、不敗の日本精神を叩き込まれた先生が初めて体験する人生航路の衝撃だった。復員の時渡された2300円、それにご尊父から貰った牛一頭が全財産であった。先生はもう一度勉強しようと科学書や物理学書を紐解き、極微な世界から極大の世界へと物理的な研究を進めた。大学入試の認定試験も無事通過した。技術系は軍隊の当時、それが生活に直結していたため、理科系の学問に集中できた。物質というものを主体として追求していったのである。25歳の時、電気関係の仕事をするため小さな工場を借りて5~6人の従業員とともに生活のためにスタートを切った。製造品目は自動卸御装置が主体であったが学校は仕事の暇などに行き、社会における体験から様々な事柄を吸収することに努め、神仏のことを追求しているので理科系の人とは話が合わなかった。学友の間では全くの気違い扱いであった。「神的エネルギーはアメーバから大宇宙まで」という論文は当初馬鹿にされたが、後日、大学教授の名で発表されてしまったという。

 1954年12月に結婚して新しい人生を踏み出し、独身生活に別れを告げた。この年、事業に失敗して一文無しになってしまったのである。アパート暮らしであったが、身軽なもので近隣との付き合いにも親しみがあった。この頃から不思議な現象が始まり、預言はほとんど適中し、相談に来る人が狭いアパートいっぱいに溢れることもあった。なぜ預言が当たるのか答えられなかった。(これはモーセの指導によるものと思われる。)

 再び生活のために大森に100坪ばかりの工場を建て、昔の得意先の協力を得て電気会社を設立した。事業は順調に伸び神奈川と長野に小さな生産工場を設備した。経済力がなくては人々を救うことも出来ないと思い金儲けに専念した。浅草でビル建設が始まり、サウナ風呂や超音波温泉を始めようと事業は着々と進んでいった。そして1968年7月3日に霊的現象が始まるのである。


 1968年2月3日に灯明の炎の高さが25cmになり、灯明の炎の光が二つに割れて生きているように燃えているのであった。これが霊的現象の始まりである。そして1968年7月3日に義弟を通して本格的な霊的現象が起こるのである。義弟の口を通して「この者が昭和40年2月に自動車事故を起こして7日間意識不明になっていた時、この者を助けたのはわしである。」と重大なことを語りだした。(確かに義弟は中学3年の3学期に自動車とオートバイの正面衝突という事故に見舞われ頭部を打って意識不明のまま5日間を過ごし、生死の境をさまよったことがあった。)1968年7月7日の夜、義弟を通してワンツースリーといわれる外人の霊が信次先生の今までの行動を叱ったのである。信次先生は心の中を全て見通して指摘されるので、自分自身を信じ、悪い点を修正しなければならないと決心がつくのであった。7月8日の夜、ワンツースリー(実はモーセ)から今日一日の心の動きをすべて指摘され、信次先生の守護霊と称するワン・シン・フワイ・シンフォー(実はイエス)から「今日から3日間で悟れ」と言われてしまったのである。信次先生は3日間苦しんだが何も分からず、約束の7月12日が来てしまったのである。信次先生は「独りよがりな考え方、欲望のとりこ、確かに今までの自分はそうであった。もう地位も名誉も捨てよう。死んでもいい。今義弟を支配している霊は悪魔かもしれない。もし彼らが悪魔であるならば私が善に変えてやろう」と決心するのである。すると、信次先生の心の中からシンフォーの声がした。「今のような心を忘れるな。謙虚な心、執着を捨てた心、そして自分というものは中道を心の物差しとした自らの智慧と勇気と努力の中から生まれるのだ」と語りだしたのである。ワンツースリーが義弟の口を通して「今晩は、お前の心が正しく変わったことで実世界(天上界)では光に満たされ、お祝いがある。こちらでもお祝いをしよう」と語った。その言葉は非常に慈愛に満ちていた。信次先生41歳の波動の強い年に悟りを開いた。


 フワン・シン・フワイ・シンフォーは暗い想念に包まれていた信次先生に義弟を通してショック療法をしたのだと語った。義弟は精神的ショックを施し反省の機会を与え、信次先生が探し求めていたもう一人の自分を実証するための使命を持っていたのだと語った。

 信次先生が宇宙即我の境地になった状況は「人間釈迦」に反映されている。1968年11月24日午前1時に信次先生が7次元菩薩界で「物質と生命」と題して講演している。その内容の要旨は次のとおりである。

 "宇宙空間に体積と容量を有するものを物質と名づけている。この物質もエネルギー粒子の集中度合いによって固体、気体、液体の姿に分かれて存在している。宇宙空間もエネルギー粒子が分散されている世界なのである。熱、光の作用による電気力、磁気力、恒星・惑星の存在、その質量や重力の差は天体の運動によって異なってくる。私たちの住む地球も、その太陽エネルギーやわずかな地熱によって存続し、相互の運動の中で春夏秋冬の四季という環境を形成している。植物、動物は大自然の環境によって現象界を生きる肉体を存続することができている。

 私たちの肉眼で捉えうる空間世界は3次元のものであるが、物質は物質としてのエネルギーの次元を持っている。生物の体は有機質の成長する細胞集団によって成立している。その細胞集団によって構成されている生物は万象万物の相互の作用の中において安定し3次元世界に適合して存在している。細胞は核分裂により生物としての機能を発揮し、一つの体を構成して生命を保っている。私たちの五体は約60兆からなる細胞によって成立しているが、細胞は各機能に適合して諸器官を作っている。肉体は大自然の相互関係の中で保存されている。その子孫、種族保存の本能も神仏から与えられている。

 細胞集団によって構成されている肉体を考えたとき、この物質の支配者は何かと考え、それが在ると思うに至るのである。(それが心である。)物質とエネルギーの共存不二の姿が物質的に実証されている以上、私たちの五体の成立も、それが物質のすべてだということは否定できない。同時に肉体の支配者である意識すなわち魂の存在についても物質エネルギーとは異なる次元の存在として認識せざるを得ない。「物質と別次元のものとの併用によって人間は成立している」と考えるのが自然である。なぜなら、肉体物質が睡眠中に記憶機能が働かないことは誰にも否定できない。私たちの脳細胞は万能の記憶装置ではなく五体の通信、受信、指令の機関であり、意識・魂こそ、これらの機能を操作する肉体舟の支配者である。意識魂(心)が永遠不変の本当の自己であると認識できるのである。

 「意識が肉体を支配し、その意志に基づいて肉体舟は操作される」という事実を誰も否定できない。この意識の中心を心と呼ぶ。心は物質エネルギーの次元より高い意識の次元に存在して物質エネルギーのかたまりである大宇宙体の支配者たる神仏の意識の世界にも通じている。心は想念意志の発信所である。この意志によって物理的な肉体行為は現れる。悲しい時、嬉しい時、胸にこみ上げてくるものこそ心の実態である。肉体労働によって疲労する現象は肉体エネルギーの消耗によるものであるが、心的エネルギーも精神的苦悩によって消耗され、肉体的な病的原因にまでつながっていく。心的疲労はその苦悩を調和することによって回復するが根本的解決がなされない限り苦しみは持病のように芽生えてくる。こうした苦しみの原因は大宇宙の支配者である神仏の意志に反することから人間自身が作り出していったものである。神仏の意志こそ神理であり、人間の心の中には誰も過去世で学んだ記憶が記録されている。それは自分自身に対して絶対に嘘のつけない事実である。他人に嘘を言うのは自己保存、自我我欲を通す場合のみである。私たちの心には常に善と悪が同居しており、利己的な己の心の中の悪に打ち克つ生活が私たちの人生における修行の一つである。


 私たちの心は本能、感情、智性、理性という区域に分かれ、その想念によって意志という働きの区域に連絡されている。その内部には次元の異なっているあの世とこの現象界を転生輪廻し続けてきた過去の想念、本能、智性、理性、意志の先天的善悪の業も受け継がれている。さらに、この現象界で作り出したての後天的業も自身の心の姿として同居している。この心が「神理に適した生活をすることによって自分自身の平和な安らぎにつながっていく。球体のように、そうした心の中の区域が調和された状態の人を円満な人格者といい、そうした人の意志は常に柔軟である。心は無限大に広い人もいるし、特定の思想などによって自らの心の枠を作っている小さな心の人もいる。物質経済の奴隷と化してしまった心の持ち主もいれば、足ることを悟って物質文明を支配している心の人もいる。

 キリスト教の神理もブッタの神理も長い歴史の経過の中で過去の弟子たちや学者、現在の関係者の智性、感情、意志など誤った心によって歪曲され宗派の乱立を見るような結果になっている。神理を失った宗教は人の心を救うことができない。『神理は一つであり今も変わることがない』ことを悟るべきである。この現象界は肉体舟に乗っての修行場であるため善と悪が混ざり合っているが、次元の異なった意識の世界は善と悪の区域が分離していて個々の心の調和度によって段階が決まっている。『人生航路の苦楽は私たちの心が作り出しているもの』と語らなくてはならない」以上が高橋信次先生の菩薩界での講演である。信次先生は宇宙即我の境地を「人間釈迦」の中で次のように語っている。

 「瞑想に入ろうとしてふと自分に気がつくと座している己の体が次第に大きくなっているのであった。ゴーダマの意識は刻刻と拡大していった。暁の明朝が足元に見えた。ゴーダマは宇宙代に広がり宇宙が自分の意識の中に入っていくのだった。ゴーダマは大宇宙の意識と同体となった。大宇宙の意識と同体になると森羅万象の生い立ち、宇宙と人間、神の存在、人間のありかた、魂の転生輪廻などが一瞬のうちに明らかになるのであった。ゴーダマの開眼を文字によって表現すると次のようになる。この大宇宙は神によって作られた。大宇宙が発生する以前の宇宙は光明という神の意識だけがそこにあった。神はその意識の中で意思を持たれた。大宇宙の創造は神の意思に始まった。意識の働く宇宙と物質界の宇宙の2つの世界を創造した。意識界の宇宙はその意志を持って物質界の宇宙を動かし、そうしてこの2つの世界は光と影という相関関係を通して永遠の調和を目指すことになった。神の意識は永遠の調和を目指し、そうして2つの世界にあって調和の要である中道という法秩序の中に住まわれることになった。人間は天地創造とともに神の意識から別れ、神の意志を受け継ぐ万物の霊長として産声を上げた。人間の誕生は意識界という実在の宇宙にまず姿を現した。そうして神の意志を調和を目指す神の子として物質界に降り立ったのである。物質界に降り立った最初の人間を地上の眼で見るならば、大地の一隅に忽然と物質化されたといえるだろう。人間以外の動物、植物、鉱物もこうしたプロセスを経て大地に姿を現した。こうしてあらゆる生命物質は実在界(意識界)と現象界(3次元)の間を輪廻することになった。地球に生物が住むようになったのは今から数億年も前である。

 最初の生物は太陽の熱・光と大地と海水と空気とそれに意識界と表裏一体の宇宙空間も相互作用によって地上に現れた。微生物の誕生である。続いて植物が発生し、動物が姿を見せ始めた。やがて爬虫類時代を迎えた。今から約2億年前に人類は特殊な乗り物に乗ってほかの天体から飛来した。当時の移住者はかなりの数に上った。人類は神の意志に基づいて調和という仏国土を作り始めた。人々は次元の異なる意識界と自由に交流できた。文明は高度に発達した。しかし、やがてその文明も終焉を迎える時がやってきた。人々の間に自我が生まれ、国境が作られ争いが始まったからである。人々の不調和・暗い想念の曇りは偉大なる神の光を遮った。天変地異は人類がこの世に住み着くようになってから、何回となく繰り返されてきた。天変地異は人類の心と行為が作り出したものだった。人類は仏国土を建設する前に、まず己の業(カルマ)を修正しなければならなくなった。人類の歴史は己を知るよりも、我欲を満たすための歴史であった。闘争と破壊はそのために繰り返された。己を知り、人間の目的を悟れば現象界の小さな自分に心を奪われることがなくなる。中道の神理は神に通じた嘘の付けない己の心を信じ、八正道という生活行為をすることにある。真の安心は自己満足や逃避ではない。自分の生死を見られる自分の確立ができてきてこそ安心というものが得られる。人間は神の子である。神は天地を創造された。人間も己の天地を調和させ、自己のおかれた環境を調和していくものである。人類は迷いの中に埋没している。この迷いから人類を救うには正法という法灯を点じ、大自然の慈悲に目覚めさせなければならない。法は慈悲と愛を喚起させる力である。神は無限の慈悲とその力を持って、正法を信ずる者の行く手に光明の道を開いてくれよう。」


 高橋信次先生は1976年6月25日に天上界に帰還されたが、その3ヶ月前に真のメシアの悟りを開いている。それが太陽系霊団の系図である。太陽系霊団は大宇宙大神霊の神の光(太い黄金色の霊子線)がエル・ランティーという人格を持たれた方を中心として成立している。エル・ランティーは客観的には霊太陽として、地上にあっては万象万物を活かす中天に輝く太陽のようなエネルギーの塊である。次元的には宇宙界(9次元)に位置され、人間の眼から見れば太陽のような存在である。エル・ランティーの光の分霊として、イエス、ブッタ、モーセがいる。イエスはエル・ランティーをさしてエホバと呼び、ブッダはブラフマンと呼び、モーセはヤハウェと呼んだ。(アラーを信奉したマホメットはガブリエル大天使の直接指導を受け、様々な奇跡を現したがアラーはエル・ランティーの別名だった。)光の直系としてエル・ランティーの下に七大天使が配置されている。つまり、エル・ランティーの光がプリズムを通すと七色に変化し、七大天使とはその七色の光の色がそれぞれの人格を持たれた姿である。七大天使の長が七色の翼を持つミカエル天使長である。ミカエル天使長は如来界と宇宙界をつなぐ光の直系であり、真のメシア(エル・ランティー)の助力者である。ミカエル天使長の下に6人の大天使が配置され、如来界の大指導霊の役を果たしている。6人の筆頭にガブリエル大天使がおり、ミカエル天使長、イエス、ブッタ、モーセに報告するための通信・伝達の業務を担当している。次いで、ウリエル大天使は政治・経済・自治を担当している。サリエル大天使は医学・薬学を担当している。ラグエル大天使は立法を担当している。パヌエル大天使は科学全般を担当し、ラファエル大天使は芸術・文学・歴史を担当している。大天使の側面からの助力者としてガブリエル大天使の下にセラビム(菩薩)とケルビム(諸天善神)の光の天使がそれぞれ数百名ずつ配置されている。現代文明の源流は文証(ブッタ)理証(イエス)現証(モーセ)による正法の確立にあった。しかし、3人のメシアの背後にはエル・ランティーの光があってこそ仏教、キリスト教、ユダヤ教は実現したのである。高橋信次先生の高次元の名はエル・ランティーと呼び、この名を知る者は高次元の世界でもわずかの人々である。


 高橋信次先生の神理を集約したものが「心行」「祈願文」である。「心行」の柱となるものは①大自然という神の心 ②永遠の生命体を維持する循環の法 ③慈悲と愛の三つである。この三つが「心行」を形成している。「心行」の派動は8次元の波動であることが証明されている。

心       行

 

 心行は 宇宙の神理 人間の心を 言霊によって表現したものである

 それゆえ心経は 拝むものでも 暗記するものでもなく これを理解し 行うものである

 正法は 実践の中にこそ 生命が宿ることを知れ


 われいま見聞し 正法に帰依することを得たり 広大なる宇宙体は 万生万物の根源にして 万生万物相互の作用により 転生輪廻の法に従う 大宇宙大自然界に意識あり 意識は大宇宙体を支配し 万生万物をして調和の姿を示さん 万生万物は広大無辺な大慈悲なり 大宇宙体は意識の当体にして 意識の中心は心なり 心は慈悲と愛の塊にして当体・意識は不二なることを悟るべし この大意識こそ 大宇宙大神霊・仏なるべし 神仏なるがゆえに 当体は大神体なり この現象界における太陽系は 大宇宙体の 小さな諸器官のひとつにすぎず 地球は 小さな細胞体なることを知るべし 当体の細胞なるがゆえに 細胞に意識あり かくのごとく 万物すべて生命にして エネルギーの塊なることを悟るべし 大宇宙体は大神体なるがゆえに この現象界の地球も神体なり 神体なるがゆえに 大神殿なるべし 大神殿は 万生 魂の修行所なり 諸々の諸霊 みなここに集まれり 諸霊の輪廻は 三世の流転 この現象界で己の魂を磨き 神意に添った 仏国土・ユートピアを 建設せんがためなり さらに 宇宙体万生が 神意にかなう 調和のとれた世界を建設せんがため 己の魂を修行せることを悟るべし 過去世 現世 来世

の三世は 生命流転の過程にして 永久に不変なることを知るべし 過去世は 己が修行せし前世 すなわち 過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり 現世は生命・物質不二の現象界 この世界のことなり 熱 光 環境いっさいを含めて エネルギーの塊にして われら生命意識の修行所なり 神仏より与えられし 慈悲と愛の環境なることを感謝すべし 来世は次元の異なる世界にして 現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり 意識の調和度により 段階あり この段階は 神仏の心と己の心の調和度による 光の量の区域なり 神仏と表裏一体の諸霊は 光明に満ち 実在の世界にあって もろもろの諸霊を善導する光の天使なり 光の天使 すなわち 諸如来 諸菩薩のことなり この現象界は 神仏よりいっさいの権限を 光の天使に委ねしところなり 光の天使は慈悲と愛の塊にして あの世 この世の諸霊を導かん さらに 諸天善神あり 諸々の諸霊を いっさいの魔より守り 正しき衆生を擁護せん 肉体を有する現世の天使は 諸々の衆生に正法神理を説き 調和の光明へ導かん この現象界におけるわれらは 過去世において 己が望み 両親より与えられし 肉体という舟に乗り 人生行路の海原へ 己の意識・魂を磨き 神意の仏国土を造らんがため 生まれ出てたることを悟るべし 肉体の支配者は 己の意識なり 己の意識の中心は心なり 心は実在の世界に通じ 己の守護・指導霊が 常に善導せることを忘れるべからず 善導せるがために 己の心は 己自身に忠実なることを知るべし しかるに 諸々の衆生は 己の肉体に意識・心が支配され 己が前世の約束を忘れ 自己保存 自我我欲に明け暮れて 己の心の魔に支配され 神意に反し この現象界を過ぎ行かん また 生老病死の苦しみを受け 己の本性も忘れ去るものなり その原因は煩悩なり 煩悩は 眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が根源なり 六根の調和は 常に中道を根本として 己の正しい心に問うことなり 己の正しい心に問うことは反省にして 反省の心は 己の魂が浄化されることを悟るべし 己自身は孤独にあらず 意識の中に己に関連せし 守護・指導霊の存在を知るべし 六根あるがゆえに 己が悟れば 菩提と化すことを悟るべし 神仏の大慈悲に感謝し 万生相互の調和の心が 神意なることを悟るべし 肉体先祖に報恩供養の心を忘れず 両親に対しては 孝養を尽くすべし 心身を調和し 常に健全な生活をし 平和な環境を造るべし 肉体保存のエネルギー源は 万生を含め動物・植物・鉱物なり このエネルギー源に感謝の心を忘れず日々の生活の中において 己の魂を修行すべし 己の心・意識のエネルギー源は 調和のとれた日々の生活の中に 神仏より与えられることを悟るべし 己の肉体が苦しめば 心悩乱し わが身楽なれば 情欲に愛着す 苦楽はともに正道成就の根本にあらず 苦楽の両極を捨て 中道に入り 自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし 一切の諸現象に対し

 正しく見 正しく思い 正しく語り 正しく仕事をなし 正しく生き 正しく道に精進し 正しく念じ 正しく定に入るべし かくのごとき正法の生活のなかにこそ 神仏の光明を得 迷いの岸より 悟りの彼岸に到達するものなり このときに 神仏の心と己の心が調和され 心に安らぎを生ぜん 心は光明の世界に入り 三昧の境涯に到達せん(この諸説は 末法万年の神理なることを悟り 日々の生活の師とすべし)


祈  願  文

 祈りとは 神仏の心と己の心の対話である 同時に 感謝の心が祈りでもある 神理にかなう祈り心で   

 実践に移るとき 神仏の光はわが身に燦然と輝き 安らぎと調和を与えずにはおかない

 

前     文

 私たちは神との約束により 天上界より両親を縁として この地上界に生まれてきました 慈悲と愛の心をもって 調和を目的とし 人々と互いに手を取り合って 生きていくことを誓い合いました しかるに 地上界に生まれて出た私たちは 天上界での神との約束を忘れ 周囲の環境 教育 思想 習慣 そして五感に翻弄され 慈悲と愛の心を見失い今日まで過ごしてまいりました 今こうして正法にふれ 過ち多き過去をふりかえると 自己保存 足ることを知らぬ欲望の愚かさに 胸が詰まる思いです 神との約束を思い出し 自分を正す反省を毎日行い 心行を心の糧として 己の使命を果たしていきます 願わくば 私たちの心に 神の光をお与えください 仏国土・ユートピアの実現に お力をおかしください

一、大宇宙大神霊・仏よ わが心に光をお与えください 心に安らぎをお与えください 心行を己の糧として日々の生活をします 日々のご指導 心から感謝します 

一、天上界の諸如来 諸菩薩(光の天使) わが心に光をお与ください 心に安らぎをお与ください 心行を己の糧として 日々の生活をします 日々のご指導 心から感謝します

一、天上界の諸天善神 わが心に光をお与えください 心に安らぎをお与えください わが心を正し いっさいの魔よりお守りください 日々のご指導 心から感謝します

一、わが心の中にまします 守護・指導霊よ わが心を正しくお導きください 心に安らぎをお与えください 日々のご指導 心から感謝します

一、万生万物 わが現象界の修行にご協力 心から感謝します

一、先祖代々の諸霊 われに修行の体をお与えくださいまして 心から感謝します 諸霊の冥福を心から供養いたします


 最後に高橋信次先生の最期の言葉を紹介したい。これは1978年6月25日午前10時20分に他界されたときの最後の言葉である。

 「あなた達は自分の使命を果たしなさい。これからどの様なことがあっても、心を動かしてはいけません。私が貴方たちの心の中に生きていることを知りなさい。私の地上の生命はまもなく終わります。しかし悲しんではいけません。自分の心の中にしっかりと法灯を灯して生きなさい。これからあなた達の本当の使命を果たすときです。あなた達はもっと多くの人を救ってゆかねばなりません。私はまもなく地上界を去ります。しかし、必ず天上界から働きかけます。たとえ関係はなくともあなた方といつでも通信できる事を知りなさい。あなた方はなぜ悲しがるのです。生命の永遠を知りなさい。あなた達は自分の心を作りなさい。自分の心の中のさまざまの誤りを正し真実の自分を作り、その愛を広めてゆくのです。これが私のあなた方への最後の言葉です。」