高 橋 信 次 著 「悪 霊(Ⅰ)」の 要 約
(1)はじめに
霊の世界というのは、実際には、日常生活と密接に関係している。夢を見る、直感が働く、以心伝心、噂をすれば何とやら、という事柄は、すべて霊の世界に関係がある。三次元はいわば立体の世界で、光と影の混ざり合った世界である。霊の世界はどうかというと、光と影の明暗がはっきり分かれた世界である。地獄に堕ちた霊人は自分の心を自分で縛っているので、その行動範囲は狭く、ある一定の場所に屯することになっている。例えば、墓とか家とか、自殺者の多い場所にいる。(いわゆる地縛霊になっている。)彼らはこの範囲内の3次元は自由である。
私たちが心の中で、物を考えたり、思ったり、念じたりすることによって、先ほどの霊人たちと関係してくる。私たちの心は、あの世の霊人たちとツウツウなのである。つまり、テレパシーとか、透視とか、読心術、念力などの働きは、霊人たちの作用で起こるものなのである。守護霊が背後で働いて、人の心に示唆を与えたり、力を貸したりするからである。
思うこと、念ずることが正しくないと地獄霊(悪霊)がその人を支配してしまう。正しくない心とは、人を憎む思い、怒り、嫉み、愚痴、中傷、足る事を知らぬ欲望などの想念行為をいう。何故、正しくないかというと、自己保存が主体になっているからである。私たちの生活は自然界の意思に沿って生活することが大事で、他を生かし、助け合う協調互恵の心が必要であり、自己保存ではない。
ところが文明社会の中で育つと、内向的な人は孤独になり、ノイローゼ、精神病になっていく。反対に外交的な人は、唯物思想にかぶれ、物を主体にした考えに陥り、闘争は激化していく。この本で扱っているのは、主に内向的な人たちの姿である。高橋信次先生のところに来てノイローゼから救われた者、病気が平癒した者、様々であるが、その根本は自己保存に基づく怒りや、憎しみが発端になっている。悪霊に憑依されると、元の自分に戻ることは難しい。なぜなら、一度憑依されると、憑依の道筋が出来、その道筋を完全に塞ぐには絶えざる努力と勇気がいるからである。こうした病気にならない人は、憑依されていないかというと、そうではなく、憑依されている時間が短いというだけのことである。つまり、自己保存の強い人は、誰も悪霊の影響を受けており、鬱病にならないものは、躁病の気質を持ち、いつでも病気になりうる要素があるということである。闘争に明け暮れている者の背後には、阿修羅という悪霊がおり、それらが嗾けているのである。
(2) 呪われた家庭
石田ハル(仮名)、53歳の家庭は、三代にわたって忌まわしい事件に巻き込まれ、苦悩に喘いできた。彼女の夫・亀太郎(仮名)は結婚3年目に自動車事故で急死している。事故が起こる数日前、ハルは不吉な予感が胸をかすめ独り悩んだ。夫が何かにうなされて、苦しそうに何度も寝返りを打っていた。二度と帰らぬ夫の無残な死と、呪われた石田家の供養の為、ハルは15年間、行者や新興宗教を歩き、小児麻痺の子を抱えながら、ひたすら念仏供養に生きてきた。
亀太郎の父、功(仮名)は県会議員をするほど政治好きであった。彼は酒癖が悪く、酒を飲むと人が変わり暴れ出すことが多かった。功が転んだはずみで頭から池に落ち、心臓麻痺を起して死んでしまった。妻の君江(亀太郎の母)は、夫の功が急死すると、どういうわけか酒を欲するようになった。そうしているうちに、急に気が触れ出し、発狂してしまった。功が急死して1年目である。亀太郎はまだ12歳になったばかりだった。
君江の精神異常は夫に似て暴力をふるうが酒が無ければおとなしかった。正月3日は朝から大雪となった。翌朝になって、君江が部屋にいないので大騒ぎとなったが、どこへ行ったか分からなかった。ひょっとしたら、雪の下に埋もれていないかと除雪した結果、梅の木を背に、うずくまって凍死していた。それも一糸まとわず裸のままで、目は一点を睨むようにして死んでいた。
石田家の忌まわしい事件は祖父の代から起こっている。亀太郎の祖父・源之助(仮名)は家代々の庄屋を継ぎ、村や町の信望が厚かった。源之助がある信仰に凝りだしてから、性格が変わってしまった。信仰というより女教祖に魅せられてしまったからである。女教祖は33才の女盛りであり、40才を過ぎたばかりの彼は毎夜、そこへ通った。いつしか女教祖と同衾する仲となり、女教祖の虜となった。女教祖の元へ通うようになって1年目に、その女教祖は肺炎にかかり死んでしまった。源之助の行状は大きく変わった。酒は浴びるほど飲むようになり、酒を飲むと女を求めた。彼の手込めにあった女性は何十人にものぼった。誰一人として源之助を諌めることが出来なかった。
60才を過ぎても源之助の病気は収まらなかった。源之助は功の妻・君江に近づき、功が留守中に君江を自由にしてきた。源之助の妻・トメは夫の乱交に悩んでいた。幸いなことに、この密事は、功を除いて3人だけが知ることになった。というのは、源之助が不慮の死を遂げたからである。源之助は首つり自殺したのである。警察が長期にわたって調べたが、自殺した原因はどうしてもわからなかった。源之助が死んでからトメは70才まで生きたが、それ以来、家の中は暗くなっていった。
ハルが亀太郎と知り合って一緒になった時は、代々続いた大きな家はいたみ、東京に移っていた。石田家の財産は父・功の政治好きが祟り、こじんまりした家を作るのがやっとだった。ハルが石田家の呪われた家系を知ったのは、亀太郎と一緒になった時であった。でもそんなことは気にしなかった。ハルは亀太郎と楽しい家庭を築いていけば満足だった。しかし、亀太郎が交通事故で死に、残された小児麻痺の武雄(仮名)を見たとき、石田家にまつわる呪いというようなものを感じ、恐ろしくなったのである。
ハルは働きながら新興宗教を転々とした。自分を納得させ、自分の心と子供の病気を癒してくれるところはなかった。どこへ行っても「先祖供養が足りない」「あなたは気が強すぎる。夫を粗末にした。感謝が不足している」ということだった。しかし、自分を振り返った時、教団が言うほど自分は人を騙し、悪いことをしたとは思わなかった。むしろ、自分より勝手気ままに生きている人の方が健康で家の中もうまくいっている。この矛盾をどう解決すればいいのだろうかと考えさせられた。
ハルは、自分の信心が足りないから不幸が続くと自分に言い聞かせ、ある教団の信仰生活に入って5年目に、一心こめて念仏を上げていると、体が軽く振動を起こし、耳元で人の声が聞こえてくるのだった。「よくやった。お前はこれから幸せになる。もう心配はいらない。我は稲荷大明神であるぞ。これからは、わしの言うようにすれば、お前の不幸はきれいに払われる」 ハルは、初めて神の声を聴いたと思った。ハルはそれ以来、教団行きは止めた。ハルは武雄が寝ると、神の声に一心に耳を傾けたが、3か月するうちに神の声に乱れが生じるものを感じた。ハルが疑問を抱くと、きまって神は怒った。神は武雄がいるからお前は不幸なのだと言ったので、ハルは「あなたはいったい何者です。姿を見せなさい。あなたの言うことは出鱈目です。私は騙されません」というと、神は大声で笑いだしたが、その夜は黙ってしまった。
ハルは女学校時代の友達と喫茶店で会い、その友達から霊現象にも真実なものと、そうでないものとがあると聞き、高橋信次先生の講演会場に姿を見せることになる。
会場は、あるお寺の広間を使い、150人ほど集まっていた。ハルは後ろの方に座り、話を聴いているうちにウトウトしてしまった。話を聴き逃すまいと気を取り直すのだが、睡魔が襲ってくる。それは、憑依現象の特徴である。1時間余りの話だったが、高橋信次先生がハルを演壇の方に来させ、「あなたはずいぶん苦労しましたね。…あなたの後ろにいる稲荷大明神と称する狐を取ってあげます。体が重いでしょう」
「はい、体が重く困っています。ここ数日、夜も寝られません」
「そうでしょう。あなたはこれまで変な信仰をしてきたからです。体を楽にして目を閉じてください」
すると、急に、ハルの意識は自分の体から飛び出し、座っている自分の体を下から眺めるような格好になった。第3者には見えないが高橋信次先生にはわかるのである。同時にハルの体は、あの世の狐が彼女の意識を支配し、語り始めてくるのである。
「お前は誰か、名を名乗りなさい」
「俺はなあ、俺はだなあ」
「俺ではわからん。名は何というのか」
「誰でもいいだろう」
「皆さん、この女性の肉体を支配しているものは狐です。あの世の狐が、この女性を支配しています。しかも、一族郎党を連れて、何十匹もこの人を支配しています。これでは体が重くて仕方がありません。神経痛にもなってしまいます」
高橋先生は会場の皆さんに説明し、
「お前たちは、この人の心に巣をつくり、不調和な原因を作り出してきた。このままでは済まされない。さあ、この人の体から離れるか、それとも離れないか、どうする」
「・・・・・」
「私が今、稲荷大明神を呼ぶから、大明神に連れて行ってもらい、よく神理を学びなさい。わかりましたね」と言ってから光を与えた。光を与えたその時だった、黒く大きい影のようなものが反対側の方からハルの体に滑り込んできた。
「お前は何者だ。魔王か。お前は、この女性をどうしようというのか」と高橋先生が言うと、会場に轟きわたるような大きな笑い声がハルの口からあふれ出てきた。会場は一瞬、この笑い声に度肝を抜かれた形だった。
「魔王、よく聞け、私の言うことをよく聞きなさい」
「なんだ、なんだ」と大きな声が答える。
「お前は今、この人に憑いているが、この人の家庭を三代にわたって不幸をもたらしてきた。その罪は許されない。お前自身も、過去世はこの地上界に肉体を持ち、人生を学んできたことがあろう。盲目の人生を歩む人間の心を狂わせれば、その果てはどうなるかは、お前もよく知っているはずである。にもかかわらず、お前は、この女性に憑き、否、石田家三代にわたって、多くの人々を不幸にしてきた。・・・・インドの時も、お前は、私の前に現れた。あの時、お前は、罪の意識に目覚め、人々を救うと約束したではないか。ところがどうだ、この有様は」
ハルの意識は、この言葉を下の方からじっと聞いている。ハルからみると、黒い大きな影は、ハルの体を通して前後に揺れているように見える。高橋先生が光を与えると、魔王は、
「ウウッ、ウウッ」と唸った。先ほどの威勢はどこへ行ったのか。攻守所を変えたような感じであった。
「どうするのか。そなたも人の子であろう。人の子である以上、罪の意識に目覚め、人々を救う心がなぜ持てないのか」
この時魔王は、ハルの体から飛び出す格好をし、逃げようと身構えた。
「そなたがいくら逃げようとしても、逃げられない。逃げるなら逃げてみよ」
魔王の影は大きく揺れるが、ハルの体から外に出ることが出来ない。
「光でそなたの体を包んであるからだ。どうだ。心から詫びるか。それとも同じ間違いをまだ続ける気か。もしそうならば、私はお前をここで封印する。どうなのだ」
ハルの意識は、見守っている。この先どうなるのだろうかと。これまで稲荷大明神といった姿なき声の主が、自分の肉体を支配している悪魔とは、彼女には想像できなかった。さらに、悪魔だと聞き、身の毛もよだつ恐ろしい思いにかられ、震えていた。
「魔王、どうした。言葉を出しなさい。さあ、もう言葉が出るはずだ」
「ウーン。あの時、俺はまた来ると言った。あのことを忘れたか」
「それはお前が前非を悔い、人々を救う人間になってくるということではなかったか」
「・・・・・・」
「事実、お前は、その後、日本で生まれたではないか。魔王のままでは人間として生まれ出ることはできない。お前は日本で生まれ、ずいぶん苦労した。小さい時から艱難辛苦したお前の苦労は、私にはわかっている。しかし、その苦労がアダになり、心が鬼になってしまった。心が鬼になっては人間には救いはない」
「そうだなあ。あの時は苦労した」
「さあ、お前も神仏の子だ。動物といえども神の子だ。お前が来て、怯えている狐たちを連れ、この女性から素直に離れるのだ」
「俺は動物じゃない。俺は魔王だよ」
「魔王でも人間以下の行動をしているじゃないか。魔王なら魔王らしく前非を悔い、人々を導く神の子の自分に返ることだ」
「わかった。言うとおりにする。ああ、疲れた」
ハルの意識は、魔王が、しおらしい人間の姿になっていくのを眺め、あの世があるということを知ることが出来た。魔王は最初、黒い大きな影のように見えたが、次第にその姿を現し出すと、口は耳元まで裂け、目はらんらんと輝き、頭には角のようなものが生えていた。それが、こうして会話しているうちに、口も、目も、頭も普通の人間らしくなってしまい、不思議なことがあるものだと思うのであった。
「稲荷大明神を呼ぶから、そこにいる狐たちをまず出しなさい」
「怒られちゃうな。この間、大明神に叱られたばかりだ。困ったなあ」
「心配しなくていい。大丈夫だ。私からよく言っておく」
「はい、はい」
魔王と狐たちは、ハルの体から腕へ、そして指先を通って、ハルの肉体から出て行った。ハルの意識は、それまで第3者の立場で眺めていたが、魔王が肉体から離れる段になると、意識が引っ張られるようになり、無意識状態になった。ハルは無意識の状態の中で、温かい、そよ風のようなものを感じ、ある空間を、何かに支えられながら移動し、気が付いてみたときは、自分の肉体に自分自身がいるのだった。高橋先生は盛んに光を送っていた。
「あなたの背後に、魔王や狐が沢山いた。これは、あなた自身が人を憎んだり、嫉妬したりする心が強かったからです。そうした心で信仰をしてしまったため、いろいろな憑依霊を呼び込んでしまいました。原因はあなた自身にあったのです。あなたの心に人を愛する心があれば、こういうことにはならなかった。・・・・・幸せは自分の心が作り出します。石田家三代にわたる不幸の原因は、誰でもない、石田家三代の人々の心の在り方にあった。人の心は、善も悪も作り出すことが出来る。ですから、思うこと、念ずることは、直ちに現れることになる。・・・・石田家三代の不幸は、三代の自己保存、自我我欲、偽善に翻弄された人々の生活の記録だったのです。あなたのご主人であった亀太郎さんは、おとなしい人だが、他人に対しては非常に冷たく、いつも孤独でした。暗い家庭の中で育ち、小さい時から酒飲みの父(功)が恐ろしく、いつもビクビクしていた。孤独と恐怖の心が自分の心を小さくさせ、不幸を作り出した。夫を天上界に昇華させるには、あなたの心が調和されることです。正しい生活をすることです。子供さんの小児麻痺も、あなたが変わればきっと奇跡が起こるでしょう。今日から頑張ってください」
ハルは大声で泣き出していた。
彼女はそれ以来、持ち前の強い気性から姿なき声を聴こうともしなかったし、善なる自分の心に自分の気持ちを向けるようにした。念仏もやめた。精神統一の思念の針をそれまでとは向きを変え、いつも元気に仕事に励み、家庭にあっては16歳になった小児麻痺の武雄と明るく語ることに意を尽くした。心の針を暗い面から明るい面に向きを変えただけで爽やかな気持ちになるとは自分でも気づかなかった。ハル自身が明るくなると、子供の武雄も明るくなった。足の不自由な武雄の体に回復の兆候が見えてきた。武雄は小児麻痺の為、進学が遅れて孤独だったが、今では進んで体操にも参加していた。武雄が運動会の時、二人三脚で1位入賞したため、ハルは感激と興奮から泣き崩れてしまった。ハルにとって、正しく生きる者の幸せをこの時ほど強く感じたことはなかった。新生の自分を心から神に感謝するのであった。
(3)物質文明の罠
環境破壊の原因はなんであろうか? 自然の流れだったのか、それとも人々の恣意の結果なのだろうか。人々の底にあるものは、限りない欲望に翻弄されたからであり、様々な歪みを作り出したのである。私たちの心は常に愛に満ち、人々と協調協力し、互いに他を助け、敬い、安らぎのある生活を望んでいる。一寸先は盲目の人生であり、私たちの魂を育むまたとない修行の場と言える。心を中心とした生活行為を続けるならば、私たちの魂は限りなく前進を遂げることが出来るはずである。
山村智子(仮名)、中学1年生。この物語の主人公である。外見からは、純真そうな顔をしており、異常な性格を見出すことはできない。だが、智子の後ろには、口が大きく裂け、乱れた白髪は肩まで垂れ下がり、目が異様に光る鬼神が寄り添っていた。智子の口を突いて出る言葉は、
「ざまみろ、わしはこの娘を殺してやる。お前たちをとことん苦しめてやるのだ。智子はわしのものだ。こんな所につれてきやがって、今にどうするか見ておれ」
両親が悲しんでいるのに、鬼神は言いたいことを口走った。
「智子は、本当にやさしい子だったのですが、この様な悪態を私たちに言って苦しめるのです。どうか助けてください」
母親の桂子(仮名)は、高橋信次先生に哀願し手を合わせるのだった。桂子の夫である剛(仮名)は、智子の傍らに座り、変わり果てた娘を横目で見ながら、涙を浮かべていた。
「奥さん、智子さんがこのような精神状態になるには、何か原因があるのですよ。その原因を除かない限り、同じような現象が起こってきます。原因を取り除くことです」
高橋先生が、夫婦の顔を見ながらこう言うと、智子は、顔をゆがめながら上半身を起こし、「わしは家に帰りたい。こんなところに来たくないのに、この男と女が無理やり連れてきやがった。わしは帰るのだ」
智子に憑いた鬼神は大声を上げ、喚き立てた。しかし、衰弱しきった智子の体は、鬼神といえども思うようにいかなかった。
「智子、お前のために、こちらまで来たのだ。お前はもう中学生、親の気持ちを少し考えてくれてもいいじゃないか」父親の剛は思い余って、智子の顔を打擲した。その勢いで智子の体は崩れるように倒れた。父親は自分のなした行為に驚き、智子の肩に手を置き、その場で泣き出してしまった。だが、智子の口から出てきた言葉は、
「何しやがるのだ。お前なんかに文句を言われる筋はない。俺様を誰だと思っているのだ。この唐変木が」であった。もはや両親の手におえる智子ではなかった。智子の人格は既に鬼神の手中にあり、可愛い智子ではなかった。智子の性格異常は子供の頃から芽を吹きだしていた。両親は仕事の忙しさから、智子の面倒を他人任せにしてきたし、智子の心の動きについては、観察を怠ってきた。愛情があれば、子供は素直に成長するものである。桂子と剛はそれを怠り、仕事を理由に子供の心から離れていたのである。桂子は言った。
「私は、姑や主人と子供のために懸命に働いてきました。真面目で悪いことなどしていません。それなのに、どうしてこんな苦労をしなければならないのでしょうか。このような災難に会う理由を教えて下さい」 彼女は涙を浮かべ、高橋先生に訴えてきた。
「奥さん、あなたが言おうとすることはわかります。心を落ち着けてください。今の苦しみは必ず原因があります。昔からまかぬ種は生えぬという諺があるでしょう。苦楽の種は撒かなければ生えてこない。いったいその種はどこで撒いたのでしょう」というと、桂子は首をかしげ考え込んでしまった。
「奥さん、あなたは人を恨んだり、僻んだり、怒ったり、愚痴を言ったり、見栄を張ったり、嘘をついたり、他人を見下したり、自分の都合が悪いと逃げ出したりしたことはないですか」
「それはあります。自分で自分が嫌になることがあります。愚痴はつい出てしまいます」
「今あなたの苦悩は、そのようなところに原因があるのです。智子さんにも同じようなことが言えるでしょう。智子さんの育った環境、教育、思想、習慣の中に起因しているのです。すべて心の在り方に問題があるのです」
「しかし、あの娘は何不自由なく育ったはずです。お小遣いも、着る物も、学用品も、お友達と比較して別に恥ずかしい思いをさせたことはありません。それなのに、親を親と思わぬような言葉で罵り、何が不足なのでしょうか」
「奥さん、智子さんには真実の親の愛が不足しているのです。愛情不足なのです。小さい時からの教育に問題があったのです。そのために本当に自分が分からなくなり、地獄霊に支配されてしまったのです。智子さんは自分の肉体を自分で支配できないのです」
「そんなバカなことがあるのでしょうか」と大きな疑問をぶつけるのだった。
横で話を聴いていた智子は急に、言葉も荒々しく、「もう帰るのだ、恐ろしいよ。もう帰るのだ」と喚き、這うようにしてその場から逃げだそうとした。そこで高橋先生はすかさず、
「地獄の悪魔よ、逃げようとしても、お前は逃げることはできない。こちらに戻りなさい。」と激しく叱った。智子の肉体を支配している悪魔は、高橋先生の顔を睨みつけながら元の位置に戻った。
「お前は智子の肉体を支配して、家族の者たちに心配させているが、それは許されないことだ。私はお前の姿を見破っている。もう観念することだ」
「良くも見破ったな。わしの邪魔をするな。わしはこの娘が好きなのだ。絶対に離れてやるものか。そこにいる2人は親らしいことを何一つしたことがない。産みっぱなしじゃないか。今更、何を言っているのだ。本当にあきれてものが言えない」
息も苦しそうにこうまで言った。だが目だけは異様にらんらんと光り、妖気を発している。それが悪魔の特徴である。
「地獄の悪魔よ。お前が智子を支配すれば智子はどうなる。お前は智子を不憫と思わないか。地獄界ではそれでも通るが、この地上界では通らない。お前は苦しく喘いでいるではないか」
「俺が苦しいって、とんでもない。面白くて仕方がない。俺様は、聴いて驚くな。俺様は鬼子母神様じゃ」 悪魔は、たいてい時代かかった言葉を平気で口走る。古い悪魔ほど、現代には通用しない時代かかったことを平気で口にする。
「鬼子母神、お前はいつから地獄に堕ちたのか。お前はどこで生まれたか言ってみなさい」
「わしは地獄界などにいない。日蓮宗の寺に祀られて住んでいるのだ」
「私はお前がどこで生まれたかを聞いているのだ」
「私はインドの神だ」
「インドの当時の名前は何というか」
「だから鬼子母神だ」
「嘘もいい加減にしなさい。インドの神に鬼子母神などいない。本当のことを言ったらどうだ。鬼子母神というお前は、生前、鬼子母神を信仰の対象にしていたのだろう。鬼子母神というのは、インドの時代ブッダの弟子、ハリティーと呼ばれた比丘尼の名前なのだ。ハリティーは地獄などにいない。ハリティーは気の毒な子供を拾いあげ育てていった立派な人だ。そうして、この世を去った。ところが、お前は地獄から出てきて、この娘を不幸にしている。お前のやっていることは、鬼子母神の反対のことをしている。お前は、人生において、ブッダの説かれた正しい心と行いの道を守らず、地獄界で厳しい生活をしていた。何とか地上の人間の心を支配して、智子に憑いたのではないか。お前も私の言うことを実行すれば、必ず救われよう。なぜなら人間はみな神の子だからだ」
悪魔は黙ってしまった。地獄霊は正しい言葉、優しい言葉が一番恐ろしいのである。
「神よ、私たちはこの地上界に両親の縁により、人生行路の修行を目的とした肉体舟をいただき、その魂を磨き、神の体であるこの地上界に、調和のとれた平和なユートピアを築かんがため、生まれてきました。しかし、私たちの生まれた環境・教育・思想・習慣の中から、人を恨み、妬み、誹り、怒り、愚痴り、足る事を忘れ、ある時は偽りを、ある時には盗みを、また感謝することを忘れ、報恩の行為を忘れ、多くの罪を犯してきました。今、私たちは正しい片寄らない中道の道を心と行いの物差しとして生活します。今までの罪をお許しください」
「この智子を支配している地獄の霊よ。お前たちにも自分自身に嘘の付けない心があろう。その心こそ神の子の証なのだ。この智子の体を支配して、混乱させ、家庭に心配をかけることは、神の子のなすべき道ではない。これ以上、罪を犯してはならない。何故、地獄に堕ちたのかは、お前たちが、この地上界で生活した時に、自分本位の欲望のままの人生を送ったからである。自分の心の中に暗い曇りを作り出し、神の慈悲の光をさえぎってしまった。今までの過ちを反省し、間違いがあれば、心から神に詫びなさい。その時にお前たちの心の曇りが晴れ、安らぎのある神の光に満たされるのだ。さあ、智子の心と肉体から離れなさい」
祈りを終えると、智子の体に振動が起きた。支配していた地獄霊が抜け出したので、智子の意識は呼吸困難となり、意識不明の状態が続いた。間もなく意識が戻り始め、智子の幼い顔が蘇ってきた。
桂子は1953年、美容師として、その技術を磨いてきた。若い桂子が技術を習得しているとき、近くに来て励ましの言葉をかけてくれる青年(剛)がいた。剛は町の小さな会社に勤めており、経済的には恵まれていなかった。しかし、桂子は美容師という仕事に自信があったので、剛の人柄がすべてであった。やがて二人は結婚した。しかし、剛の両親の意地悪にあい結婚生活は暗い日々の連続であった。桂子は自分の店を持ちたかった。桂子は良い嫁になろうと必死だったが、姑は反って反感を募らせた。姑の心は剛を取られたという気持ちで一杯で桂子が憎くて仕方がなかった。桂子の毎日は重労働で朝早くから夜遅くまで美容院勤めで、家に帰れば、剛の弟、姑夫婦の洗濯物が待っており、食事の世話どころではなかった。剛は桂子の忙しい毎日を見ていながら協力しようとはしなかった。桂子が姑から罵られても仲に入ろうともしなかった。中に入ればかえって母親の感情を刺激し、桂子との仲を裂いてしまうと思ったからである。剛も桂子も、稼いできた金は残らず姑に渡した。このため桂子は自分の化粧品や衣類も買うことが出来なかった。そればかりか、姑は実入りが少ないと言って、桂子を叱りつけるようになった。桂子に対する姑の憎しみは激しくなり、桂子の食べ物まで家族と差別するようになった。桂子は泣きながら剛に訴えた。剛は「自分は長男だし、この家を出ていくわけにいかない。もう少し辛抱してくれ」というと、剛の言葉を障子越しに聞いていた姑は「剛、お前は男だろう。嫁に唆されて家出するつもりか。お前をそんな弱虫に育てた覚えはない。嫁の言いなりになるお前なんか、もう見たくない」といい、姑は2人が寝ていた布団を引き剥いでしまった。さすがに剛も我慢できず、母親に初めて反抗の言葉を吐いた。「お母さん、何をするのです。私達のことを干渉することはないでしょう。部屋から出て行ってください」すると、母親はいきりたち、「お前は嫁とグルになって私に出て行けというのか。お爺さん、私たちに嫁が出て行けと剛に焚き付けているのですよ。お爺さん、何とか言ってください。本当にひどい」目を吊り上げて、怒りのやり場を失った母親は、若夫婦と奥の部屋を交互に見回しながら興奮していた。お爺さんと呼ばれた義父は、姑と一緒になってすでに30年も経つが、妻の性格には手を焼いていた。「婆さん、子供たちの部屋まで行って、文句を言うことはないだろう。若い者のいいようにしてやればいいだろう」
「あんた、パチンコばかりやって、家のことなど考えたこともないくせに、子供たちと一緒になってこの私に注意しようというのですか。あんたのような能無しでも私だから一緒に暮らせたのだ。この意気地なし」「婆さん、お前は何ということを言うのだ。もう一度言ってみろ」「なんだ、この意気地なし。嫁や息子に頭が上がらないくせに、偉そうな口をきくんじゃないよ。何度でも言ってやる、この意気地なし」嫁いびりから今度は老夫婦の喧嘩となった。こうした言い争いは年がら年中だった。
桂子は妊娠していた。もう5か月だった。子供を産んだらこの家を出たい。主人が反対してもこの家にはいたくない。残された子供はかわいそうだが、そうするより仕方がないと覚悟を決めていた。桂子は千葉にある新興宗教の門をたたいた。そして信者となった。姑との苦しい争いは、すべて過去世からの業がさせているのだ。すべては消えていく姿として、常に自分に言い聞かせ、自分を慰めることで苦悩に耐えてきた。やがて長女が生まれた。「嫁は憎いが、孫は可愛い」と言いながら姑は孫に対して特別可愛がった。次いで男子が生まれ、次女もできた。一度は離婚を決心した桂子であったが、剛の優しさ、姑の孫の可愛がりようが、桂子の心を落ち着かせることになっていた。孫たちにとっては、姑は良いお婆ちゃんであったが、老夫婦の口汚く争う生活は孫たちの心の中に、暗い影を落としていった。
桂子は働いた。火曜日が来ると、多忙な時間を割いて千葉の生き神様の元に通った。この頃には老夫婦とは別居していた。働いた金で自分の美容院を経営するようになり、生活も楽になっていた。しかし、3人の子供は実家の姑の家で養育されていた。姑は孫たちに決まってこう言った。「お前たちの母親は、私たちを放り出して、一つも面倒を見てくれない。あんな母親はないよ。子供たちを私に預けて勝手な事ばかりしている。本当にお前たちの母親は悪いのだよ」長女の美智子(仮名)はお婆ちゃんの言葉を信じていた。次女の智子も小さい時からお婆ちゃんに育てられたので、桂子を信用しなくなっていた。桂子が実家に帰り、お菓子や洋服を持ってきても冷たい目で母親を眺める子になっていた。桂子が帰ってしまうと、また姑の愚痴が口をついた。「お前たちの母親はだらしがない。自分の好き放題のことをしている。お前たちの父親は可愛そうな男だ。母親の尻に敷かれてこの家にも来ない。とにかく悪いのは母親だよ」
姑はこうした悪口を子供ばかりか他人にまで話した。次女の智子にとっての災難は姑夫婦の争いの中で成長したことであった。彼女の心は、知らぬ間に歪み、人を憎むのが当たり前のようになっていた。
桂子は千葉の生き神様に、休みのたびに通い続けた。世界平和を祈ることによって自分を救いたいと狂信していった。ある時、智子の眼を見たとき、桂子は震えあがった。他人でもこんな眼を向けないのに、どうしてあんな娘になったのだろうと思ったのである。桂子は世界平和を心の中でつぶやいたが、智子の異様に光るまなざしは一向に収まる気配がなかった。桂子は、世界平和の祈りに初めて疑念を抱いた。いくら祈っても姑ばかりか、智子までもが桂子を敵視する。桂子はふと思った。自分を救う者はやはり自分でないだろうか。いくら祈っても観念の遊戯に陥る自分を見ると、祈りの神示はどうも勝手が違うようである。家庭の平和が出来ないのに、どうして世界を調和させることが出来よう。祈りの言葉にも矛盾が感じられた。家庭の調和は対話から始まる。愛情ある対話が子供の成長を助け、明るい家庭の基礎となろう。桂子はこう思うと、千葉行きを止めた。だが、智子の病気は抜き差しならぬものになっていた。
智子は病院でビタミン注射をしてもらったが、回復は意外に早く、血色もよく、先ほどのようなどす黒い廃人のような顔つきが消えていた。
「智子さん、気分はどう」
「何か重いものがとれたようで、すっきりしました。お父さん、お母さんすみません」と素直な子供に返っていた。心の動きが、暗い世界にも、明るい世界にも、すぐ通じてしまうからである。
「智子さん、私の言うことをよく聞いてください」
「はい・・・・」
「智子さんは、お母さんを信じていませんね」
「はい、信じていません。母とは名ばかりで、私はお婆ちゃんに育てられたので、母は信じません」
「智子さん、手を出してごらん」 高橋先生は智子の右手を人差し指を軽くつねった。
「痛い」 今度は親指をつねってみた。
「痛い」
「智子さんの5本の指は、つねれば痛いでしょう。何故でしょう」
「・・・・・・」
「つねればどの指も痛い。あなたが生まれて今まで来られたのは誰の力ですか。お腹を痛めて生んだお母さんは、智子さんのことを可愛いのですよ」 智子は黙ってしまった。
「智子さん、どう思う。あなたをここまで連れてきたのは誰ですか。お母さんでしょう。そしてお父さんです。あなたを心配して連れてこられた・・・・・」
「だけどお母さんは、私のことを思ってくれていません」
「それはおかしい。あなたは小さい時から他人の悪口ばかり聞かされてきたために、人を信じることが少なくなってしまったからです」
「はい、お婆ちゃんは他人をほめたことがない人で、他人を口汚く罵ります」
「智子さんは、小さい時からおばあちゃんの暗い言葉にすっかり心の中に毒をため込んでしまった。わかりますか」
「智子さん、お母さんは仕事に追われて今日までやってこられた。そのために智子さんと楽しく話をする機会がなかった。それだけにお母さんの愛が分からなくなってしまった。人を許すということも大事な愛だということを知らねばなりません」
「・・・・」
「智子さん、ここ4,5日は自分であって自分ではなかったでしょう」
「わからなくなったのです。寒くて、寒くて、体が重くて、自分の体なのに自分で自由にならなかったのです」
「東京の私のところに来ることは知っていましたか」
「私は、どうしても来たくなかった。私の心の中で、行ってはいけない、行ってはいけない と聞こえてくるのです。そうして行ったら殺してやるという声がするのです。だから怖くて、怖くて・・・・」
「そうでしたね。智子さんを支配していたのは地獄の悪魔だったのです。その悪魔がここに来ることを邪魔した。わかりますか。今、体の具合はどうですか」
「だいぶ気分もよくなりました。体が自由にならなかったので、私は死んでしまうのではないかと思っていました。来てよかったと思います」
父親の剛、それに母親の桂子はこの対話の模様をじっと聞いている。
「どうして、智子の口調が私の母に似ているのでしょうか」 剛が不思議そうに聞いた。
「それは、お婆ちゃんにとっては、智子さんは可愛いし、お婆ちゃんの悪心である恨みと嫉妬の心が魔界に通じ、智子さんの心の中にもそれが通じていたからです。しかし、温かい豊かな心があれば、お婆ちゃんに憑いている悪魔は智子さんには憑依することが出来ないのです。ですから、心に恨みや妬み、怒り、自分さえよければよいという自己保存の心は恐ろしいものです。心は非常に精妙にできており、思うことも、片寄ってはいけないのです」
智子も桂子も剛も、高橋先生の説明に納得したようであった。智子の頭の周囲を淡い光が覆い始めていた。高橋先生の言葉に納得が出来た証拠であった。頭部に光が出始めると、心が調和された証拠である。その心が再び暗い思いに転換し、憎しみや怒りに変わると、地獄霊に支配される。事実、その後、1か月ほど経ってから、智子は再び精神異常をきたしていた。智子はふとした隙にお婆ちゃんの所に行ってしまい、「智子、お前も私を捨てていくのか、本当に恩知らず、親子そろって私を捨てていく。お前は桂子から入れ知恵されたね」と言い智子は返事のしようが無かった。やがて、智子はお婆ちゃんが可愛そう、と考え込むようになり、眠れぬ日が続いた。そのうちに智子の意識に悪魔が再び乗り移り、ついに分裂病という最悪の状態を迎えるに至った。
(4)信仰の落とし穴
「信ずる者は救われる」の言葉は神理である。だが、この言葉を鵜呑みにすると危険である。真に信ずるということは、自分の生命を投げ出さないと本当の信にはつながらない。信仰は間違うと、狂信、盲信になりがちであり、自分を失ってしまう。そのようにならないために正しい法を柱として、その心と行いを正していかねばならない。
他力信仰は、病気直しや生活苦を救済しようという御利益信仰がほとんどであり、教祖やその取り巻きの食い物にされる場合が多い。「信ずる者は救われる」の信は、自分の中にある正しい心、嘘の付けないその心を信じ、生きることであり、うまい話には必ず大きな落とし穴がある。
1974年1月、九州の宮崎市郊外の公民宿舎で、300人近く希望者によるGLA主催の研修会が開かれ。二泊三日の研修会の参加者は、九州地方を中心としたGLA会員である。そのほとんどはなんらかの信仰を持ち、いわば信仰体験者であった。彼らの多くは、御利益他力信仰であり、神仏の実態を知らない宗教指導者によって、あるいは肉体業を続けていた者、あるいは先祖供養に明け暮れた者、題目闘争に身をすり減らした者などさまざまであった。それだけに真実の信仰を知りたいと思う心も人一倍強いようであった。参加者の8割は不調和な地獄霊と交渉を持っている気の毒な人々であった。ある女性は、心の曇りを除くことなく神想観に夢中になった為、地獄霊に支配されていた。このため、廃人同様であった。また、法華経の行者となり、先祖供養の意味も知らず、肉体先祖に憑依されている者もいる。自分の耳元で地獄霊のささやきが聞こえ、自分を失った者も何人かいた。
山田友子(仮名)は、夫や子供をつれ、はるばる神戸からここにきている。友子は法華経による先祖供養を主体とした宗教団体の熱心な信者であった。20年以上にわたる信仰歴を持っており、彼女の下には彼女に折伏された多くの会員がいた。友子は法華経こそ絶対無二の正法であると信じ、信仰のない生活は1日とてなかった。そんな友子がふとしたことから、高橋先生の本を読み、自分の歩んできた道がしっくりこないと感じたからである。友子は勇気をもって高橋先生の門をたたいた。一人では来られなかったので夫の久雄(仮名)の介添でやってきた。会場には多くの人たちが集まっていた。前の宗教での神の罰が当たるのではないかという考えが脳裏をかすめるのだった。友子は久雄に頼んで夕食後、高橋先生の居室を訪ねてきた。
「私の足は、入院しても治りません。痛いので退院もあきまへん。今日はこの足が治るか治らないか、はっきりすればそれでいいのや。よろしくお願いします」
友子はこう言って挨拶した。高橋先生の目には背中から腰、足の関節にかけて、地獄霊が憑いているのがはっきり見える。不自然な信仰をしていると、血色が悪くなる。友子の傍らにいる地獄霊は、魔王である。この魔王が友子の心と肉体を支配すると、人格が変わり魔王になってしまう。これを防ぐには友子自身が高橋先生に絶対の信頼を寄せなければならない。そのために何か現象を友子に見せなければならない。
「山田さん、よくきましたね。今あなたの足を治してあげます。どうぞこちらに来てください」部屋の中に入れ、楽な姿勢で座ってもらった。
「山田さん、あなたは竜神様を拝んだことがあるでしょう」
「はい、身延山の七面山へは修行に行きましたが、それがどうしましたか」
「あなたの足は、動物霊に憑依されています。それはお医者さんでも治せません」
「へえー」友子は不思議そうに高橋先生の顔を見た。高橋先生は関節に憑依している動物霊を除いた。どうして除くことが出来るかというと、心が光明に満たされている限り動物霊は憑くことが出来ないからである。関節に憑依している動物霊は蛇だった。友子のように、あの世の蛇が関節に巻きつくのは人を呪ったり、怒ったりするからである。つまり、人の心は、この世とあの世を同時に、合わせもって生活している。友子の関節に巻き付いている蛇は、この地上界の蛇と違わないが、その在り方がまるで違うのである。友子は高橋先生が何かをつまみ出すような仕草を不思議そうに見ていた。
「山田さん、いかがですか。もう除きましたから、自分で確かめてください」
友子の心はまだ不安であったが、立ち上がり歩いてみた。
「ああ、奇跡や。お父さん、ほんまに痛く無いや。歩けるわ、ああ不思議だ」
夫の久雄は妻の奇跡を眺めて目を丸くした。
「山田さん、あなたが不調和な心を持てば、別の地獄霊が来て、あなたの肉体の弱っている部分にまた憑依しますよ。あなたの心の在り方を正すことが大事です。正しい法を心と行いの物差しとすることです。」
「へえー、わかりました。不調和な心とはどんな心ですか、教えて下さい」
「あなたは法華経を学んでいますね。法華経がちゃんと教えています。怒り、愚痴、誹り、妬み、恨みの心です。嘘も他人を傷つけるでしょう」
「へえ、そんなことですか」
「あなたは、そんなことかと簡単に言われるが、難しい事ですよ。怒りを持たないというだけでも大変難しい。悪は思ってもいけない。こうなると、あなたにはできますか」
「私は、すぐ感情的になってしまう」
「そうでしょう。自分に都合が悪くなるとつい他人に強い言葉が出てしまう。そして自分の心の中を炎で燃やし、他人の心に毒を作らせてしまう。怒りに燃えて自分の都合だけで怒りだすと、心臓は早鐘のように鼓動します。こうした時には、正しい判断が出来ないばかりか、心の平安を乱してしまう。あなたはそんなとき、正しい判断が出来ますか」
「怒っている時ですか」
「そうです」
「それはできません」
「そうでしょう」
「私は感情をむき出しの生活だった。これはいかん」
多くの信者を導いてきただけに、友子は能弁であり、はっきりしていた。友子の横に座っている彼女の夫が、高橋先生の顔を見て、
「愚痴はどうして悪いのですか。心の中のしこりを取るには、これに限ると思っていました」
「愚痴は自分の欲望が満たされない時に出るもので、これは心の中に垢を作り出し、他人の心にも、毒を食べさせることになる。また、自分の非を他人に転嫁しており、これでは平和な心は得られない。愚痴の原因は必ず自己保存によっている」
「理解できません。自己保存まで否定されては、人間生きていかれないのではないですか」
「自己保存というのは、自分さえよければ他人はどうでもよいという心です。こういう人たちが地上を覆うと、天変地異を起こす原因になります。人間社会はもともと調和していかねばならないように仕組まれている。大自然を見てください。太陽があり、この地上には動物・植物・鉱物があって、互いに補い合い、助け合って生きている。これらの一つが欠けても全体の調和はできない。大自然界は常に他を生かすことを前提に成り立っている。別の言葉で言うと愛なのです。自己保存は独りよがりで、他を省みない心です。これでは自分を滅ぼすことになります。大自然界は人間の生活の在り方を無言のうちに教えています。生かされているということについて、私たちは感謝を持って表すことが必要です。これが報恩行為です。報恩行為によって正しく輪廻するのです」
久雄は高橋先生の話を黙って聞いていたが、心の中でこれこそ真実だと思った。彼は友子に「お前、今までの信仰こそ絶対と思っていたが、とんでもない遠回りをした様だ。もう一度出直しだ。本当に来た甲斐があった」
「本当に、私の体が軽くなり、足の痛みは忘れたように取れました。ありがとうございました」
二人は頭を軽く下げると部屋を出て行った。
二人には娘がいた。名は君子(仮名)といった。君子は結婚しており、夫と二人で両親に連れられて研修会に来ていた。二人が高橋先生の部屋を訪ねてきた時、姿を見せなかったが、高橋先生には彼女の後ろに魔王が憑依しているのが分かった。その魔王は、不思議なことに母親の友子に憑いていた同じ魔王であった。これまでに二人の間を行ったり来たりしていたようである。母娘の心の状態で、二人の間を渡り歩くのである。顔は夜叉そっくりで、般若の面を想像すればよい。色は蒼白く、眼は大きく飛び出し、赤く燃えている。服装は行者の白装束である。背後にこの様な魔王が存在するということは、母娘の心が正しくないからであり、魔王の心になったからである。間違った信仰に入ると、魔王や動物霊に憑依されやすい。なぜなら、間違った方向で心を統一すると、
魔界の生物と同通してしまうからである。怒りや愚痴の心を持ったままで統一すると、自己保存の心が魔王やその配下の動物霊の憑依を受けやすくなる。したがって、憑依された人は、善悪の区別がつかなくなり、独りよがりの感情のままに生活が流されてくる。家庭の平和など考えられず、言行が不一致となり、矛盾した生活が激しくなってくる。
朝夕に仏壇に向かってあげる題目も、魔王の波動に合わせるための想念の振動となり、自分を失う機会が大きくなってくる。つまり、題目は関係なく、一つの精神統一であり、心を曇らしたままで精神統一をすると、曇りのままの結果しか出てこない。題目をいくらあげても効き目はない。他力本願の恐ろしさは、盲目的信仰にある。指導者の心に不純なものがあると、この傾向は顕著なものになってくる。たいていの指導者の背後には、古手の魔王が憑いているため、信者は罰の恐ろしさにますます心を小さくし、身も心も指導者に売り渡すことになっていく。信仰すればするほど、不安と矛盾が広がるが、疑問は背徳につながり、他力信仰にとって疑いはタブーである。
他力信仰の落とし穴は、自分から安心を得たものではなく、与えられたものだけに自己陶酔に陥りやすく、真の平安は得られないようにできている。選民意識に自分が酔い始めた時には、真の信仰は影が薄れてしまうのである。なぜなら、選民意識は驕る気持ちが心の底にないと起こらないものなので、信仰とは関係なくなる。
他力信仰に対して、一方の極に、神を認めない唯物思想がある。彼らの生活は人間も物の一形態と見ているので、生活の不平等を是正するには動物界と同じように闘争に訴えるしかないと考える。このため、闘争と破壊が唯一の手段となり、常に混乱と憎悪の生活を繰り返すことになる。彼らの背後には、阿修羅が跳梁する。闘争を繰り返していると、権力欲が芽生え、口と心が離れたものになってくる。もともと争いにしか訴える手段を持たぬ論理で組み立てられているので、こうした運動者の心は平安を得ることが出来ず、次第に落伍者という形で離れていく。平和が目的ならばその手段も平和でなければならない。
人間にとって、真に安らぎのある生活は、中道を根本とした八正道を、心と行いの物差しとする自力の道しかない。八正道を尺度に、これまでの人生行路において、犯した罪について、神に詫びている人々の体からは、薄黒い煙のようなスモッグが出ている。これは心の中の不調和な想念の曇りを吐き出しているのである。ノイローゼで自分の心を地獄霊で支配された者は、自分の丸い心を想像させ、本来の自分に帰るための方法を高橋先生が個別指導した。心が比較的安定しているときに、反省することが大事である。反省が出来てくると、地獄霊が本人の心に憑依できなくなるからである。
君子は何も反省することもなかった。うつらうつらと居眠り、時折自分に戻ると、姿勢を正し正面を向くが、また居眠りを始める。
反省の時を終えた。高橋先生は君子を相手に霊現象を現して見せることにした。
「君子さん、私の話が分かりましたか」
彼女は面食らって言葉も出ない。君子の眼鏡の奥の眼は怯えているようだった。
「君子さん、あなたは法華経の題目を唱えると、守護神があなたの体を通して語るのではないですか」
「ええ、守護神が出ます。厳しい修行を積んできた私だからね」
守護神の話をすると急に君子は得意になった。そして高橋先生の方に眼を据え、じっと見た。その眼は射抜くように鋭い。厳しい修行をしてきたせいか、年以上に見える。だが、彼女の心には魔王が支配しており、心はいつも安定を欠き、増長慢と怒り、支配欲に揺れている。
「君子さん、いつも出てくる守護神を出して下さい」
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・」
君子は忘我の状態を仏教でいう「空」に違いないと思っていた。題目は繰り返し唱えられた。魔王は題目の波動に乗って吸い込まれるように彼女の意識を支配していた。
「ワッハハハ・・・、ワッハハハ・・・」 ドスの利いた笑い声が急に彼女の口から漏れ、会場いっぱいに響き渡った。
「魔王、お前は魔王だな」
「なんだ、なんだ、それがどうした」 君子の口から出る言葉は女性ではなく男の声である。
「お前は山田家の守護神と言っているが、本当か」
「その通りだ、山田家の先祖代々の守護神だ」
「守護神ならなぜ家族を病気にしたり不幸にしたりするのだ」
「それは先祖の供養が足りないからだ。懺悔が足りないからだ。」
魔王は一人で得意になっている。
「供養とはどういうことか」
「先祖に良い戒名を贈り、題目を一生懸命に唱えることよ」
「それが供養か」
「そうだ」
魔王は君子の体を左右に振らせ、前後にも振らせている。イライラしているようだった。
「山田家の守護神が地獄に堕ちているのに、先祖供養とはどういうことか。地獄に堕ちているものに功徳を教えることがどうしてできよう。お前自身、なぜ地獄に堕ちているのか、それを知っているか。お前は守護神でもなければ、ただの地獄霊ではないか」
「ばれたか・・・・」魔王は見破られたせいで、急にうつむき加減になった。
「魔王、どうした。急に元気が亡くなったようだが」魔王は何も言わず黙っている。
「魔王よ、よく話を聴くのだ。地上界の親たちが自分たちの育てた子供を憎いと思うだろうか。いないはずだ。亡くなった肉体先祖だって、自分の子孫が不幸になることを喜ぶ者はいない。もし、不幸を喜ぶとすれば、それは人生において欲望のままに生き、足る事を忘れ去った人非人ということになる。地獄に堕ち、地獄の苦しみに耐えられなくなって、同じ不調和な地上界の子孫に憑依する者は先祖でもなんでもない。…自分を本当に愛するなら、人の不幸を喜ぶようなことはできないし、人の心に入って、その人の一生を台無しにするようなことはできないはずだ。お前にもこの程度の道理ならわかるだろう。どうだ、魔王よ」
この時、魔王は逃げ出そうとする。
「魔王、お前は逃げられない。そこにいなさい」
「だから、俺はこんなところに来るなと君子に言ったのだ。それなのに、この女がきやがって・・・」 今度は君子のせいにしている。
「魔王、両親に孝養を尽くすとはどういうことか知っているか。私たちは両親から肉体をいただいた。地上界で修行できる肉体をいただいた。そうして立派に育ててくださった。そ恩に報いるには、精神が健全で、肉体は健康であり、さらに、経済的にも安定した調和された毎日を送る事ではないか。亡き肉体先祖に対しても、これと同じことが言えるのだ。健康で心は明るく、調和された家庭環境を作ることが、立派な先祖供養になるのではないか。・・・・法華経の意義をよく理解して生活するならば地獄などへ堕ちることはない。お前たちも救われたいなら、なぜ自分が地獄へ堕ちたのかその原因を反省したらどうか」
「ウム…。反省・・・。そんなもの当の昔に忘れた」魔王はいくらか聞く耳を持っていた。
「魔王、お前はこの女性を自由に支配することはできないだろう。どうだ」
「悔しい。もうこの者は、わしの自由にはできない。正しい道を知ってしまったらどうにもならん」
「魔王、お前も正しい心と行いを実際にやってみればいいのだ」
「俺はダメだ。仲間に邪魔される」
魔王は胸をかきむしるように泣き出してしまった。しばらくそうしているうちに、魔王の後方に一段と大きい黒い影が近づいてきた。高橋先生は大魔王だと直感した。その刹那、大魔王は君子の体を支配してしまった。君子の体は小さく振動した。山田家の守護神を名乗る地獄霊は、この大魔王に外へ放り出されてしまった。
「お前は誰だ。名を名乗りなさい」
「わしは、薬王大文大菩薩」 先ほどの魔王と違っていうことが大振りである。地獄界にも組織があって、その組織を牛耳る大魔王のような風格がある。
「薬王大文大菩薩とやら、お前はいつ地獄界に堕ちたのだ」
「わしは、地獄界などに堕ちてはいない。わしは大菩薩だ」
「大菩薩とはなんだ。光の天使という者はもっと謙虚で人前で反り返って威張るようなことはしない。私はお前の姿をこの目で見ているのだ。お前は日蓮宗の行者ではないか。何も悟ることなく動物霊に支配されて地獄界に堕ちてしまった。多くの人々を迷わせてはならない。お前が本当の大菩薩ならブッダの時代のインド語を語ってごらん」
「そんなもの、とうの昔に忘れた」
「そうだろう。地獄に堕ちて心まで腐らしてしまったのだから…お前は信者から集めた多くの金をどうするのだ」
「それはわしの物だ」
「地獄界でそれをどう使うのだ。使いようがないではないか」
「それは女だ。女だ・・・。」
君子の大魔王はかき集めた不浄な金を自分の懐に入れる仕草をして見せる。地獄界に堕ちた霊は単純で普通より頭が劣っているとみられがちである。これは霊界では思ったこと行ったことがストレートに現れてくるからである。現象界では時間の壁があり、思っても現象がすくに現れないので、誤魔化しがきくが、霊界では心のままの世界が現れてしまうので悪い心の人は地獄界が実現してしまうのである。
君子を支配している大魔王は、仏教を知と意で学び、人の心の根本を理解していないため、自己保存の欲望がむき出しになっていた。大魔王は、密教を学んでいるので、高橋先生の動きを封じるため、密教の手刀を持って切りつけてきた。高橋先生は即座に、両手を魔王に向けて、神の光を投げ与えた。すると、魔王は口をパクパクさせながら、念力は空を切り、その力を失ってしまった。
「魔王どうした。お前は法力があると思っているようだが、お前の法力にはなんの力もない。口もきけなくなったではないか」
「ウー、ウー」魔王はただうなっていた。
「お前は今どこにいるのだ」
「ウー、ウー、真っ暗で何も見えぬ」
「魔王、お前が怒る程自由を失ってしまうだろう。心を静めて正しい法につくことだ」
君子の肉体は、魔王が占領しており、魔王の苦しみは君子の苦しみに通じている。高橋先生はこの魔王を改心させたいと願ったが、君子の体が心配になってきた。
「魔王、お前はこの女性の体から外に出なさい。」
こう言った途端、君子は座ったままドスンと倒れてしまった。魔王が君子の体から抜け出す時、君子の意識を持って行ってしまったのである。君子は失神状態になり、呼吸困難を起こしている。高橋先生は君子の心臓に光を与えた。掌で温めればすぐに戻ることが出来る。
「ああ、体が非常に軽くなりました。肩の凝りもなくなりました」
君子は自分の意識が戻った。顔色も赤味がさし、若々しい女性に戻っていた。一度、魔王の意識とコンタクトをした人々は、不調和な心になると、魔王が再び寄ってくる。このために、魔王の波動を断ち切る努力が必要である。私たちの生活の基本は家庭にある。家庭がすべての出発点である。真の信仰は正しい法則に従って、心と行いを正す生活にある。苦しみや悲しみの減少が出てきたならば、立ち止まってその原因を取り除くことが大事であり、二度と同じ過ちを犯さないようにすることが信仰なのである。
(5)人の心の不思議
心こそ本当に自分自身である。人に心は、どこへでも自由に行くことが出来る。あまり自由すぎて危険も潜んでいる。思うこと、考えることは自由であるが、その事由に中にも厳然とした法則がある。この法則を無視した時から、人々に心の中に苦悩を作り、小さな自分を生み出してしまった。その証拠に、この地上界はエゴと欲望が渦を巻き、争いが尽きない。私たちの心は、肉体を背負った時から、中道という神の子の本性を現していかねばならない。その中道の本性は常に善我に裏打ちされている。五官を通して様々なことを思うもう一人の自分は、この善我のもとにあるにもかかわらず、次第に、その善我を心の奥へ押しやり、五官に基づく我(偽我)が心の中心を占めていくようになる。偽我の自分は自己本位である。欲望に翻弄される。「自分さえよければよい」という考えが社会を覆い、地上は混乱に輪をかけることになる。物質中心の思想が生まれ、人々はますます真実が不明になってくる。
1972年12月、高橋先生のところに幼い二児を連れた若い婦人が訪ねてきた。一見しただけでも生活苦が体全体からにじみ出ていた。
「奥さん、よく私の所へ来ましたね」
「はい、親戚の叔母が一度相談に上がりなさいと何度か言われましたので、お伺いしてしまいました。失礼とは思いましたが、叔母の手前もありましたので」
「奥さん、無理して来たのですね」
「・・・・・」
「まあいい。せっかく来たのだから、来た甲斐が必ずありますよ」
「どうもすみません」 頭を軽く下げたが、そっけない返事であった。高橋先生はこのままだと、一家心中を選んでしまうと思い、
「奥さん、生きることは大変でしょう。今に環境に負けてはいけません。このかわいい子供たちの為にも」
「そうです。この子供たちのことを考えるとしっかりしなくてはと、自分を叱咤しているのです」
この婦人は虚栄心の強い性格である。自分の生い立ちや、教養というものに心が縛られ、自分の心を裸にすることが出来ないでいた。婦人の名は山崎弘子(仮名)、24歳。弘子は中央線沿線の高級住宅地で生まれた。父は有名病院の外科部長をしており、長女として恵まれた環境の中で成長した。子供の頃は明るく素直で、学校の成績も上位にあった。進学もトントンと進み、有名私立大学の夢も叶い、のびのびと大学生活を楽しんでいた。同じ大学に山崎佳一(仮名)という同級生がいた。彼はおとなしく無口な学生であったが、成績は抜群で将来が嘱望されていた。彼の父は大学の教授であり、佳一の希望いかんでは大学に残り学者になれるかもしれなかった。弘子はその佳一に親切にしてもらい、わからないことがあると彼から教わった。こんなことから、弘子と佳一は学園でも評判になった。佳一の両親はそんな交際があろうとは全く知らなかった。佳一も弘子の事は家では一切語らなかったからである。佳一の父親は学園でも噂を耳にしたとき、烈火のごとく怒った。学生は勉強が第一で弘子との交際は断じて許さないと申し渡した。佳一の家庭はエリート家庭であり、厳格な父に一言言われると、心臓までピリピリした。佳一は父の叱責を受けると、それに反駁することが出来ず、ますます孤独に陥った。佳一は両親に隠れて弘子と交際した。佳一は一流企業に就職した。そして弘子と結婚し、新しい人生のスタートを切った。両親の反対を押し切っての結婚であるので、経済的負担が重荷になった。そのうちに子供が生まれ、二人目の子供もでき、海外出張が重なると、仕事と家庭の重荷が佳一の肩に食い入るようにのしかかってきた。佳一は強度のノイローゼになった。夜は眠れず、昼間は頭が重く仕事どころではなかった。佳一は会社を休むことが多くなり、医者に行ってもノイローゼは良くならなかった。佳一の心には両親に対する反発が大きな輪を描いて動いていたのである。しかし、弘子には夫の心が分からない。無口な夫をどうすれば快活にできるかわからなかった。こうして弘子は高橋先生に事務所を訪ねてきたのである。
「あなたのご主人は、ノイローゼのようですね」
「はい、強度のノイローゼになっています。主人の病気は治りますか」
「会社は休職中ですね」
「そうです」
「精神科の医者に通院していますね。医者は何と言っていますか」
「精神疲労だと言っています。精神安定剤と胃の薬をいただいています」
「今のところ、それ以外に方法はないと思いますね」
高橋先生は弘子の件は夫を交えないと解決がつかないと思い、一度彼女に家に帰ってもらうことにした。それから数日後、佳一を連れた弘子が現れた。痩身の佳一の頭部は白くボンヤリして見え、地獄霊が支配している様子が窺える。
「パパ、ここに落ち着いて座って下さい。病気を早く直さなくては子供たちが可哀想でしょう」 弘子は顔をゆがめて佳一に訴えた。だが、佳一は一言も語らない。彼は心の中で「なんだ、こんなところに連れてきて・・・」とつぶやき、人を小ばかにした態度を示していた。佳一は子供の頃からエリート家庭の犠牲者になっていた。知識の詰め込みがいかに人間性を失い、自分自身を含めてその周囲を破壊していく、その見本が佳一である。彼は完全に、地獄霊(死神)の虜になっていた。佳一の心は両親に対する憎しみと自己喪失であり、長年の間に自分の心を腐らしてしまったので、簡単には立ち直せることは難しい。人の心は一念三千であり、その一念三千の心の針を、人間として正しい在り方に向ける努力がなされないと、苦悩は常に自分から離れることはない。苦しみ悲しみは、自分が創作しているのである。どんな環境にいても幸せを生み出していく人もいる。幸、不幸の分かれ目は、本人の心の持ち方であり、現れている事柄を本人の心がどう受け止め、どう咀嚼していくかにかかっている。受け取り方、咀嚼の基準は、物に執着しているか、執着していないかによる。佳一の後ろに憑いている地獄霊に高橋先生は光を送った。そして、その地獄霊に佳一から離れるように教え、地獄霊が離れた途端、佳一は初めて言葉を発した。
「なんだか頭が軽くなった。胸のあたりも楽になったように思います」
彼の頭を包んでいた白い地獄霊はもういない。いなくなったから身も心も自分になったのである。
「佳一さん、あなたは本来の自分を取り戻すことです」
「本来の心とはどういうことですか」
「それは、あなたが会社での将来のことや両親に対する憎しみなど、頭に詰まって混乱しています。それを全部捨ててしまうことです。今のあなたは、精神的なお荷物を抱えすぎている。こうしたものを捨てると、本来のあなたに戻るのです。心を失った知識など何の役にも立ちません。・・・・お荷物とは、自分の思っていることであり、解決できないいろいろな問題を言います。無駄なことを考えすぎると、神経も疲れ、心の中がいら立ち、胸が苦しくなってくる。自分はどうも考えすぎると思ったら、そうした性格を直す努力が必要です。つまり、自分の欠点を修正していくことです。勇気と決断、努力を持って自分の欠点を直していくことです。自分の欠点とは片寄りすぎた考えと行動です。その片寄りを嘘の付けない心で修正するのです。別な言葉で言えば、第3者の立場で自分の考えていることと行動について反省することです。反省して、自分に間違いがあったら、神に素直に詫びることです。そして二度と同じ過ちを犯さない決心が大事なのです」佳一は黙って聞いている。
「反省は母について、母からしていただいた事、してやった事の一つ一つを思い出して心の中の曇りを除いていくことです。母と自分との関係だけでも何日もかかる。このようにして学校の先生、同窓生、社会に出てからの対人関係などを反省していくと、心の中の曇りが晴れ、神の光に満たされてくる。大事なことは、自分の心を正す為には、知恵と努力、そして勇気と決断が必要でしょう」
佳一は心の中で
「この苦しみは心ではなく、頭だ、頭の中だ。頭が重いからすっきりしない。神がかりなことを言っても俺は信じない」とつぶやいていた。しかし、佳一がどんなに反駁し、否定しようとも、精神分裂、ノイローゼの原因は、心の重荷以外にないのである。これを直すには、自分の心の在り方を修正するしかない。佳一は成績が優秀であった。しかし、知性は豊かでも、その知性ゆえに増長慢の心が芽生えると、学んだ知識がアダとなり心に毒を作り出してしまう。学んだ学問はこれを実践し、体験することによって智慧に変わることが出来る。佳一の場合、知識だけで判断してきた。だから、心を正せと言ってもきく耳を持たなかった。彼の心に再び増長慢が頭をもたげてきた。これと同時に佳一の近くに再び地獄霊が寄ってきた。心の針が動く方向によって、即座に現象化してしまう。地獄霊は先ほどとは違う職人風をした人相の悪い悪魔である。佳一は頭を抱えて体が振動している。
「佳一さん、体は大丈夫ですか」佳一の顔は引きつり返事もない。
「佳一さん、自分にかえりなさい」彼の顔を見ると、地獄霊と心の中で語り合っている。
「佳一さん、今、心の中であなたに話しかけているのは、この地上界の人間ではない。地獄霊です。あなたはその話を信じてはいけない」
「いや、僕の友達です」
「そんなことはありません。あなたの友達はここにはいない。」
「いや、先ほど、私の背を叩いて、私に知らせたのです」
「それは地獄に堕ちている悪魔です。信じてはいけません」
「友達は何も悪い事をしていません。面白い話をしてくれるのです」
「あなたは生きている人間と話をすることです。地獄霊の甘い言葉に心を売ってはいけない。地獄霊と話をすればするほど自分の心を乱してしまいます」
「そんなことはないよ。お前、信じるな。僕たちは友達だ。こんな部屋から早く出てしまえ」地獄霊が佳一に語っている。佳一さん、自分の心を丸く想像しなさい。そこにいる地獄霊よ、お前は佳一さんに近づいてはいけない。お前は佳一を地獄の仲間にしようとしている。神よ、佳一さんの心に安らぎをお与え下さい。この哀れな地獄霊に光をお与えください」佳一の体は再び前後に揺れた。地獄霊は後方に移動した。
「佳一さん、あなたは自分の心を地獄霊に売ってはいけません。彼らと話してはいけません」
「ああ。いなくなった。話声が遠くなってしまった。しかし、別に悪いことを話していたのではない」
「それがいけないのです。あなたは肉体を持った人と話をすることです。彼らを信じればあなたは生きながら廃人になってしまう」
内向的で孤独な佳一は、地獄霊の甘い言葉に引っかかり、自分の心を彼らに売っていたのであった。彼らは慈悲も愛もない。自分の都合だけしか考えない。しかし、地獄霊を呼び出してしまったのは、佳一自身であり、心の歪みである。だから、そこから抜け出すには自分の思うこと、考えることを正さねばならない。
「佳一さん、先ほどあなたと話していた者は、自殺した男です。あなたを仲間にしようと付きまとっているのだ。私の言うことに疑問があるなら、もう一度心の中で聞いてみて下さい」すると、彼は伏し目がちとなり、自問している様子だった。
「幸夫君、君は自殺して地獄に堕ちたのか。本当のことを言ってくれ。幸夫君、本当のことを言ってくれ」
佳一は幸夫という先ほどの地獄の友達に盛んに話しかけた。→(佳一が声を出さなくても彼の心の中で何を言っているのかわかる。佳一は地獄霊(死神)に話しかけていたのである。)
地獄霊は佳一の心の中でこう語った。
「俺は本当に自殺した。ここは確かに地獄だ。うす暗くじめじめしたところだ。お前も来ないか、友達にはいいやつもいるぜ」
高橋先生はすかさず、
「どう佳一君、間違いないだろう。君は絶対にあの世の地獄霊を信じてはならない。対話してはいけない」と呼びかけると、佳一は初めてうなずき頭を下げたのである。
人の心というものは、執着に揺れ動き、不調和になってくると、直ちに地獄に通じる。反対に、人々の為に奉仕の心が芽生えて慈悲と愛の心に満たされてくると、光明の天国に通じる。本当の自由な心というものは、とらわれのない明るい心であり、常に第3者の立場に立ち、嘘の言えない真実な心で毎日を生活することである。佳一は幼い二人の子供を連れて部屋を出て行った。弘子は、心の作用が一つ間違うと、とんでもない結果になるということを信じざるを得なかった。
「奥さん、しっかりしないといけませんよ。自分たちの心と生活を正道に基づいて送ることです。お気の毒ですが、御主人の佳一さんは非常に危険です。私が説く正道を理解するにはまだ時間がかかります。奥さんだけでも、しっかりと、それを知って実行してほしいものです」
「はい、何とか勉強をしてみたいと思います」
弘子にも地獄霊が寄っていた。しかし、今はいなかった。弘子は、主人が非常に危険だということが心配になり、
「主人はどうなのでしょうか」と尋ねた。
「それは、はっきり言うと、自殺するということです。それも家族を道連れにする危険があるのです」
弘子はハッとした気持ちで高橋先生の顔を見つめた。
「どうしたらよいのでしょう。私困りますわ」
「まず、あなたの上のお子さんを、あなたの実家に預けなさい。ガスは元栓を締めて寝ることです。刃物、紐類、凶器になるような物は、すべてご主人にわからないように隠して寝ることです。御主人には、上の子は実家に預けて、私はパパの看病に専念しますと伝えておくことです」
「何とか救っていただけないでしょうか。方法はないものでしょうか」
「それはあります。御主人の両親、あなたの両親が協力して、佳一さんの心の中に作り出した不信感、恨みの心、焦りの心を除いてやることです。心の中にある一切の執着を解きほぐす以外にないのです」
「主人の両親は、佳一が病気になったのは嫁の所為だと言って、私とはまともに話をしてくれません。本当に困っています」
「ともかく、対話以外にないのです。責任を転嫁している時ではありません。このままいけば必ず自殺するでしょう。その気配があったら、直ちに入院させる以外ないでしょう。心が静まれば元に戻ります」
それから4か月が過ぎた。4月のある夜のこと、佳一は力なく、弘子にこう訴えるのだった。
「弘子、一緒に死んでくれ。子供を道連れにしていこう。僕は生きていく自信が亡くなった。精も根も尽きてしまった。どうか一緒に死んでくれ」
来るものが来たのだった。佳一はガス栓をひねっていた。彼はベッドに力なく横になると目を閉じた。
「パパ、何を言うのです。子供まで道連れにすることはできません。どんな苦しみがあっても、子供のために生きてください。私が働きます。パパの病気が治るまで、私が頑張ります」
弘子は涙をぬぐわず、幼児を抱きしめ、直ちに実家に連絡し119番にも通報した。ガス栓は元栓が締めてあったのでガスは出てこなかった。しかし、佳一はそれを知らない。ガスが部屋に充満して救急車が駆けつけるまでには、一家は全滅するだろうと思っていたのである。弘子の両親、救急車が駆けつけた。佳一は救急車に乗せられると、精神病院に直行した。家に帰った弘子はほっとした。日頃の用心をしていなければ、一家心中したかもしれなかったからである。ところが、1週間後、警察から電話がかかってきた。佳一が飛び込み自殺をしたというのである。家に用事があると言って病院を抜け出すと、父親が勤めている大学近くの駅付近で飛び込み自殺をしたのであった。佳一の遺骸を引き取りに弘子は現場に行った。教育者の両親も顔を見せたが、無残なわが子を見ても死体の処理に手を貸さぬばかりか、まるで他人事のような素振りでただ眺めているだけだったという。こうした冷たい両親の下で育った佳一は不幸であった。結局、「この親にしてこの子あり」ということになろう。心を失った生活の終着点は、見るも無残な結末しか残されていない。佳一は地獄霊(死神)に連れ去られてしまったのであった。
(7)荒廃する人の心
敗戦という未曽有の混乱期と焦土と化した都会にも、復興の兆しが見えてきた。いたるところで闇市が立ち、生きるために活動がどの家庭にも始まっていた。食糧事情はアメリカからの援助で、何とか切り抜けられる見通しとなり、生活不安はあっても働いてさえいれば死ぬことはなかった。ただ、敗戦というショックは様々な波紋を投げ、虚脱状態から抜け切れない者もいた。
1949年3月、小林里子(仮名)は、東京下町の二男一女の一人娘として生まれた。子供の頃は明るかったが、成長するにしたがってだんだん暗くなった。それでも学校の成績は悪い方ではなく、B都立高校に入ったが、2年の頃から、友達がいなくなり、自分の部屋にこもりっきりで、兄弟や両親との対話は絶えてしまった。高校卒業後は、就職したが、長く続かず、職場を転々と変えた。この間、精神病院を出たり入ったりして、両親も手を焼いていた。1973年4月、里子の父・健一(仮名)が、高橋先生の事務所を訪ねてきた。健一は事務用品を製造する会社に20数年も務めている従業員であった。50を過ぎたばかりのおとなしそうな腰の低い男であったが暗い感じがした。
「実は、娘の里子のことで伺ったのですが、ノイローゼでして、困っています。何とか良い手立てはないでしょうか。わしらまでおかしくなってしまいます。何とか救ってください」
「小林さん、ちょっと待って下さい。私は医者でも何でもありませんよ。精神科の医者に行くことが大事です」
健一の言葉を突っぱねたのは、高橋先生が「わしらまでおかしくなる」という健一の無慈悲な言葉に、違和感がしたからである。
「わしの友人からあなたのところに行けば、里子は治ると聞いたのです。この通りだ。私たちを救ってください」
「私には、あなたたちを救う力はありません。精神科の医者を訪ねることです」
「精神病院で治らないから来たのです。何か良い知恵でもあれば貸していただきたいのです。経済的にも大変なのです。私たちを救ってください」
「小林さん、私に時間を下さい。里子さんの病気は7~8年になるでしょう。あなたが私のところに来たと言ってもすぐ治るわけにはいかないのです」
「そうかもしれませんが、治す方法だけでも教えて下さい」
「小林さん、感情的になってはいけません。今から私の話すことについて・・・・」
「はいわかりました。私たちが救われるのなら何なりと・・・」
「里子さんの病気には家族全員に責任があるのです」
「言葉を返すようですが、私たちは一生懸命働いて、子供を育ててきました。悪い事もしていません。それなのになぜですか」
「小林さん、感情的になってはいけません。里子さんの病気の原因はご両親の家庭内でも教育態度にあります」
「そんなことはありません。私は娘を高校まで出しました。学校の成績だって悪くありません」
「小林さん、数学、英語、国語の成績が良くても、人間に情緒がなく、善悪の区別が分からない人が多いのです。里子さんの情操教育に意を用いましたか」
「そうだ、珠算や華道をやらせました」
「では珠算や華道で里子さんの情緒が豊かになりましたか」
「一人娘ですから、女としての教養を身に付けさせました」
「教養が里子さんの心の中に見栄としてあったならば、どのようになりますか。珠算や華道を教えてくれた先生の心の状態が問題になってくると思います。教養がアダとなり、自己慢心、増長慢な心を作り出すこともあります」
「そういうものでしょうか」 健一は呑み込めないらしい。
「あなたは短気ですね」
「私は短気ではありません。釣りが趣味で、60年近くやっています。釣りは気長でないとできません。それと子供の病気とどう関係があるのですか。私はそんなことで来たのではありません。それより子供はどうなるのでしょう」子供にとって親の影響は絶大であるが、健一には高橋先生の話がピンとこないらしい。里子のノイローゼは健一に関係が大きいのに、彼は関係がないと思っている。
「一度娘さんに合わせてもらいますか。良ければ近々お宅に伺います。今日は無駄足になったようですが、良い結果が出るでしょう。奥さんによろしく伝えてください」
「そうですか。ここに来れば大丈夫と友人から聞いたのですが、今日は無理なのですね」
「あなたは自分だけのことしか考えないようですが、病人は娘さんですよ。娘さんが私の事務所に来ればいいのですが、まず来ないでしょう。恐ろしいと思っているから・・・」
「そんなことはありません。それなら強引にでも連れてきます」
「それはいけません。本人が自発的に来られるならいいが、そうでないといくら話しても無駄です。娘さんの心は地獄霊が支配しているため、恐ろしがってここまで来させないようにするからです」
「娘にそんなものが憑くのですか。私の娘はノイローゼなのですよ。そんなものが憑くはずがないじゃないですか」
「いずれわかります。お宅に行きますから、その節はよろしく」この男といくら話しても空転するばかりなのでここで打ち切ることにした。無知というものは本当に恐ろしい。だが、人は盲目の人生を歩いている。苦しみの種を自らまいて苦悩している。素直な気持ちになり自分自身を振り返ることが出来れば、盲目と苦悩の人生にピリオドを打つことが出来る。だが、人によってそれが出来ない。「縁なき衆生は救い難し」という言葉があるが、袖すりあう縁が生じても、その縁を素通りする人があまりにも多い。人の心はわが子でさえ自由にはできない。ものの道理を教えることは親の務めだが、それに沿って生きるか生きないかは子供の意思にかかっている。子供の心は白紙であり、親の在り方いかんで右にも左にも動かすことが出来る。要は、その子供が自分に目覚め、自分の意思で動き始めた時に、これまでの親の生活態度が子供の心にはっきりと残され、様々な人生を歩むことになる。
人の心は神につながっており、善なる言葉が心に蘇る時が必ず訪れるからである。
数日後、高橋先生は彼の家を訪ねた。家の中から女の読経の声が聞こえてくる。
南無妙法蓮華経の題目が威勢よく、単調なリズムで聞こえてくる。
「こんにちは、こんにちは」と声を張り上げてみると、題目はピタリと止まり、年増の女性が現れた。健一の妻・初子(仮名)である。
「娘さん、本当にお気の毒ですね」
「ええ、本当に厄介者で家中が困っています。入院しても治らないのです。私たちは本当に疲れました。これも皆、前世からの業なのでしょうね」
初子と名乗る健一の妻は、いかにも道理にかなったような言い方で、自分で自分の心に言い聞かせているようだった。しかし、初子の口から出た前世からの業という宗教的判断には、不安な気になった。この人に真実を語っても反発してくるのがオチと思えたからである。
「前世の業とはどういうことです」と高橋先生が質問すると、初子は微笑しながら、
「あなたも法華経の教学を学べば分かりますよ」と得意になった。
「いやありがとうございます。前世の業とはどのようなことですか」
「前世の業とは、この世に生まれる前の世であまり良いことをしなかった悪行のことです。この悪行の為に、私たちは現在苦しんでいるのです。そこで、その悪行をご本尊様にお願いし、払っていただく。つまり、題目を唱えることによってご供養しているということです」
「すると、娘さんの病気も過去世からの悪行が出ているということですか」
「その通りです。ですから、一生懸命に題目闘争しているわけです」
「へえー、そうですか」高橋先生はあまりにも馬鹿げているので言葉が出なかった。
「奥さん、御主人の性格は短気ですか」
「ええ、うちの人の性格は気難しく、すぐ暴力をふるうのです。私も今までよく辛抱してきたと思っています」
「すると奥さんは主人の顔色を見てからでないと、物が言えないこともあるわけですね」
「そうです。私さえ我慢すればと、今までそれの生活でした」
「ところで話は変わりますが、奥さんは糠漬けを作られたことがありますか」
「糠漬けですか。いつもやっています」
「その糠漬けは、かき回さないで1週間くらい放っておいたらどうなりますか」
「それは、臭くてたまりません」
「そうでしょうね。すると奥さんの我慢も糠漬けのように臭くなりますね。体の調子も悪いし、心配ばかりしているでしょう。心の安らぎなど無いようですね」
「いつも体の調子が悪くて困っています。肩は凝るし、頭はいつも痛いです」
「そうでしょうね。すると、それも過去世の業ということになるわけですか」
「そうだと思います。だから題目を上げれば楽になるのです」
「それは違います。あなたの心に安らぎが無い。御主人の顔色ばかり見ていつもオドオドされている。娘さんの病気の心配も・・・・そのほかいろいろありますね。そうしたものの原因を除かねば、除く努力をしなければ奥さんは救われないでしょう」
「それはそうですが・・・」と言いながら初子は考え込んでしまった。
過去世の業は里子については納得できても、現実の自分の悩みについては過去世の業というには飛躍がありすぎた。題目を上げても最中は気晴らしになるが、これを終えると、現実に戻ってしまう。(確かに高橋先生の言う通りだ)と初子は心の中で思うと、
「ではどうすれば良いのでしょう。何か良い名案でも・・・・」
「根本は、奥さん自身が、思うこと、考えること、行うことにあるのです」
「どうしろと言うのです」
「あなたは御主人を恨んだことがあるでしょう」
「それはいつもです。私は我慢の連続ですから」
「いつ頃からですか」
「結婚して2か月頃の時でした。主人がこんなもの食えるかと言って、食卓をひっくり返し、私をぶったのです。私は恐ろしい人と思いましたが、長男がお腹の中におりましたので、我慢しました。それ以来、ずっと我慢のし通しです」
「里子さんが生まれて5,6歳頃の家庭はどうでした。子供たちの前で暴力を御主人は振るいましたか」
「酒を飲んでいつも私を叱りつけ、子供たちもビクビクしていました」
「御主人は里子さんやほかの子供たちと話し合うことがありますか」
「ほとんどありません。子供が怪我をすると、私は打たれたり、蹴られたり、本当に短気なので家の者は黙っています。話し合いなど全くできません」
「道楽もありましたね」
「よく釣りに行きます。私は前世でよほど悪い事をしたのでしょうか」
「奥さん、前世ではありません。現世の原因が様々の問題を生み出しているのです。あなたは御主人や他人から心の中に毒を食べさせられています。里子さんについても同じです。里子さんの場合は、御両親に責任があります」
「どうすれば良いのでしょう」
「奥さん、あなたは色心不二という言葉を知っていますか」
「よくわかりませんが、色とは物でしょう。心とは生命のことでしょうか」
「その通りです。色とは目に見える全てです。肉体も色であり、肉体は人生行路の乗り舟です。その舟の船頭さんが永遠に変わらない私達であり、その中心にあるのが心なのです。肉体と心は不二一体となって、今ここにいる。苦しみの原因は肉体舟である五官(眼、耳、鼻、舌、身)に、自分の心が振り回されてしまい、真実なものと、そうでないものとの判断が出来ないために苦しみを作り出している。心の中で自分に嘘がつけますか」
「いえ、つけません」
「では、他人には・・・」
「自分に都合が悪いと、嘘をついてしまいます」
「そうでしょうね。嘘のつけない正しい心こそ、あなたの善我つまり、仏の心、神の心というわけです。他人に嘘を言うのは地獄の心です。これを偽我と言います。偽我の心は苦しみを作り出します。仏教では一念三千と言って、私たちの心の中で思うことは無限に変わるので、心はいつも正しい方向に向ける努力を怠ってはならないのです。」
「あなたは法華経の教学を知っているのですか。先ほどは大変失礼しました」
里子の病気を治すには、親の初子の心を変えぬ限り難しいのである。里子の心は、これを取り巻く人たちの理解が絶対必要であり、初子の信仰の毒もすべて吐き出さねばならない。つまり、既成の観念を白紙に戻して素直な心になってもらうことである。初子の心に光が射し始めたので、訪ねた目的が半ば果たされた。初子は言葉を続けた。
「そうしますと、今の私の心は地獄に通じているのでしょうか」
「そうです。心の中のダイヤルの針が地獄を指しているのです。一念の心が地獄に通じているのです。里子さんも同じです」
「では、どうしたらよいでしょう」
「東京の空はスモッグに蔽われています。自動車や工場から吐き出す煤煙で。昔はそうではなかった。スモッグは人間が作り出した。人間の欲望が作り出したわけです。私たちの心にも恨み、妬み、誹り、怒り、足る事を忘れた欲望のような感情や本能的欲望が、つまり、人はどうでも自分さえよければいいという自己保存によってスモッグを作り出したわけです。苦しみの原因は、このスモッグの所為です」
「なるほど、すると、私たちの心は自然界のそれと変わりないというのですね」
「そうです。大自然が私たちの生活を教えています。大自然の姿こそ、神の心の現れです。ですから、これに反した生活をすると、その反した分量だけ結果となって、現れてくるのです。作用、反作用と言います。原因と結果と言ってもよいでしょう。ですから、悪い結果を出さないような生活が大切です。それにはものに偏らない、五官に振り回されない生活、つまり、中道の生活をしていくことです。中道とは自分本位にならないで常に第3者の立場で自分を見、相手を見ることです。そうすると正しい判断が生まれてきて、苦しみから解放されてきます。他力では絶対ダメです。題目をいくらあげてもダメです。他力というのは、自分が一生懸命に正しい生活をした結果、与えられるからです。最初から他力を求めるのは欲が深いのです。何もしないで棚ボタ式にお願いするだけですから。何事も自分で汗をかいて求めたものでないと本当の幸せはやってこないのです」
「すると、私たちの考えも生活も間違っていることになりますね」
「その通り。御本尊様の慈悲を受けられるような自分の心と行いを正すことが大事であり、題目を上げることではないのです」
「では、罰についてはどうでしょう」
「今、奥さんの家庭に起こっている現象は罰ですか。自分たちが作り出したものですね。神仏は罰など与えないのです。まず、自分の心のスモッグを払うことです。思うこと、行うことを正すことによって心のスモッグが一掃され、神の慈悲の光を受けるのです」
「そのとおりです。・・・・」初子は初めて膝を乗り出し、目に涙を浮かべている。初子の心はうれし涙に大きく揺れていた。
「奥さん、あなたは非常に愚痴っぽく、自分に都合が悪いと、すぐ怒り出してしまう。その原因はどこにありますか」
「それは主人です。給料は少ないし、暴力は振るうし・・・」
「それは違います。あなたは人のせいにしてはいけません。苦しんでいるのはあなたです。御主人に対して感謝することもなく、形だけの行為だったようですね。仕方がないからやっているのだという気持ではなかったのですか」
「その通りでした。確かに私は結婚してから主人に対して形だけの行為しかしておりません。私は弟のことや両親のことで苦労しましたからね。ですから主人に尽くす余裕がなかったと思います。実家で苦労しなければ、昔に離婚していたでしょう。しかし、自分さえ我慢すればと思って、今日まで我慢してきました」
「里子さんが幼いころに、里子さんに愚痴を言ったり、感情的になって当り散らしたりしたことがあったでしょう」
「ありました。里子を連れて何度か家を出たこともありました。そのたびに里子に言い聞かせました。主人の悪口を・・・・」
「そうです。里子さんは小さい時からあなたたち夫婦の不調和な言葉や行為の毒を食べているのです。本当の愛情を受けることが無かったのです。今の里子さんの心は、その時に作られたのです」
「そのようなことがあるのすか」初子は、また疑問にぶつかったようである。
「奥さん、ゴキブリはどんな場所に出ますか」
「ジメジメした場所です」
「そうですね。家の人の心がジメジメして暗い家庭には地獄霊が集まってきます。地獄霊はゴキブリと同じです。ゴキブリが嫌なら家の中を明るくすることです」
「では我慢はどうしたらよいでしょう」
「我慢はいつの日か爆発します。心の中で不完全燃焼していますから、他人にも自分の心の中でもイライラが起こり、肉体的に不調和をきたします。我慢より、忍辱が大事です。忍辱とは、どんな辱めを受けても、その毒を心の中に食べず、よく耐えることです。それには見たり、聞いたり、思うことの一つ一つを、八正道という中道の物差しで生活することです。つまり、八正道のフィルターにかけ、反省し、間違いがあったら、神仏に詫びることです。そして同じ過ちを繰り返さないことです。愚痴は自分の欲望が満たされないために出るものであり、自分の毒を他人に食べさせるばかりか、自分の心の中に垢を作り、スモッグを作り出してしまうものです。一切の苦悩の原因はここにある。だから、まず感謝をすることです。感謝には報恩という心からの行為が必要ですが、今から反省し、奥さんの態度、心の在り方を修正することです」
「私が悪いのでしょうか」
「もちろん、あなたばかりではありません。御主人も心の中の偽我を捨てることです。御主人が病気をされたことはなかったですか」
「そういえば、8年前のことです。声が出なくなり、1年間ぐらい元気がありませんでした」
「その時、あなたはどう思っていましたか」
「口汚く罵った罰だと思っていました。しかし機嫌が悪いので本当に困りました」
「御主人はオートバイで通勤していたでしょう」
「そうです。私、本当に疑問が解けました。私たちはあまりにも無知でした」
「オートバイに乗っていたから、冷たい風がのどを刺激して炎症を起こしたのです」
「そうだったのでしょう。今は何も申しませんから」
「そのほか、御主人との関係はありませんか」
「ええ、別居したいと思っていました。子供たちと一緒に生活しようと思っていましたから」
「あなたは逃げようと考えていた。それも手遅れなのに。しかし、いくら場所を変えても心の苦しみは消えませんね」
「そうだと思います」初子の心はようやくほぐれてきて、苦しみの原因がどこにあるのかわかりかけてきた。
「ところで信仰については、どうすれば良いのでしょうか」
「信仰とは、あなたの善なる心を信ずることなのです」
「しかし、拝む対象物がないのに、どうすればいいのですか」
「拝む対象物とは・・・」
「私たちは拝む対象物、曼荼羅があります」
「曼荼羅・・・」
「ええ、御本尊様です」
「ちょっと待って下さい。奥さん、あなたは生まれてきた時、曼荼羅をぶら下げてきましたか。曼荼羅は人間が作ったものです。人間に必要なものは、すべて、神様は私たちに与えています。この立派な体が小宇宙である曼荼羅ではないですか」
「はあ、そうです。その通りです。なるほどそうでした。それで曼荼羅の意味もよくわかりました。」
「盲信、狂信は自分を失ってしまいます。正しくものを見ることが出来なくなるからです」
「では南無妙法蓮華経の題目はどうしたらよいのでしょう」
「奥さんや里子さんが生まれてきた時、南無妙法蓮華経と言って泣きましたか。鶯ならホーホケキョと鳴くでしょう」
「言われてみると、その通りと思いますが、題目は20年もやっていますので、止められません」
女の性というものが感じられた。女性の心と行動には理性でコントロールできない何かがあるようである。しかし、信仰の中身をたどっていくと、そこには感情に溺れた怪しいまでの女心がうずいており、強烈な独占欲と自己満足が交錯する自己保存の醜悪な感情が、心の奥に腰を下ろしている。他力信仰には不思議とこうした傾向が現れる。自己喪失こそ、仏に帰一する信仰であると思い込んでいるからである。初子にもそれが見られた。
「あなたの気持ちはわからぬではない。しかし、仏教に闘争などありません。仏教はどこまでも平和であり、闘争などありません。南無とは古代インド語でナーモという言葉であり、これは帰依するということです。法とは宇宙の神理を指しています。ブッダは無学文盲な当時の衆生に方便を持って教えたのです。もろもろの比丘、比丘尼よ。あの蓮の華をごらんなさい。本当に美しい。しかし、その美しい華も水面下の泥沼の中から咲かせているのです。そなたたちの体を見ても、目から目くそ、耳から耳くそ、歯から歯くそ、が出るではないか。私たちの肉体舟はあの華のように、美しく調和された安らぎのある境地に到達することが出来よう。こう言って教えたものが今日のように難しい法華経になり、題目になってしまった。題目闘争などとんでもないことです。闘争は修羅の世界であり、身を滅ぼすことになります」
「なるほど、私の疑問が解けています」
「家族全員が正しい心と行いの規準を持って生活することが、里子さんの病気を治し、家庭を明るくすることです。それも自力です。自力で正すことによって、他力的な救いが得られるのです」
「よくわかりました。私が間違っていました」
「奥さん、心を裸にして夫婦仲良くやって下さい」
「そうですね。そうします」
高橋先生は里子のいる2階の部屋に上がった。里子は見向きもしない。
「里子、お客さんだよ」母親の言葉に顔を向けたが、目に生気がなく、何の反応も示さない。里子は植物人間のようであった。
「里子、お客さんが見えたのだよ。挨拶ぐらいしなさい」普段のきつい言葉に初子は戻っていた。現実にぶつかると、これまでの初子に返っているのである。里子の自閉症は初子や家の者たちの思いやりのない心がそうさせてしまったことを、家中の者が心と体で理解しなければならない。
「里子さん、あなたは頭が重いでしょう。昨晩はよく眠れなかったでしょう」
「そうよ・・・」と言い、編み物の手を休めない。里子にとって母親もお客も関係なかった。たまりかねた初子は、
「里子、返事ぐらい、はっきり言ったらどうなの。お前を心配して来て下さったのだよ。はっきりしなさい」
「里子さんは病気です。あまりきつい言葉で言ってはいけません。もっと優しい言葉で言ってください」
「いつもは、こうじゃないのです」と言いながら初子はお茶を運ぶために階下に降りて行った。
「里子さん、あなたは自分の心の中にいっぱい苦しみを詰めていますね。それを全部吐き出しなさい。このままでは灰色の青春ですよ。頭もすっきりしないし、胸の中も重いでしょう」
里子は初めて肯いた。高橋先生は里子の頭に両手をあて、心から神に祈った。さらに胸と背に両手を当て祈った。
「気分はどう、よくなった・・・」
「何か軽くなったようで気持ちがいい」
「それは良かった」
「私、自分で何をしているのか度々分からなくなってしまうのです。本当に苦しい・・・・」
里子は語り出した。先ほどまで植物人間だった里子に感情が蘇り、意志が働きはじめたのである。彼女の心を支配していた悪霊が一時、彼女の体から離れたからである。
「自分に戻りたいと思うのです。でもすぐ自分がどこかへ行ってしまう。あとは何が何やら分からなくて、苦しみだけが長く続くのです・・・」
「自分をしっかり持つ事です。人を憎む思いが少しでも出ると、そういう状態になるでしょう」
「そうです。すぐ人を非難してしまいます」
ノイローゼ精神病は被害者意識が強く、人を恨む思いが非常に強い。原因をたどると家庭の環境にある。子供の心は良い悪いにかかわらず、それに染まりやすく、成人後の性格を形成する。15歳ぐらいまでは、人は精神的、肉体的に自立できない。したがって、それまでは両親や兄弟たちの影響を受けて育っていく。家庭が揺れ動き、夫婦げんかが絶えず、躾が厳しいと、子供の心は小さくなり、伸び伸びと育たなくなってくる。両親を憎む思いが強くなり、内向的反抗心が高まり、早い者は精神的、肉体的に自立できる15歳、16歳から、遅い人では40歳過ぎになって表に出る。つまり発病する。里子の場合は、家庭内が深刻だっただけに、発病も早く、中学井2年生頃から、既に自閉症にかかってしまった。
病気の期間が長くなるほど、治療が難しくなる。一度、憑依され、心が空白になる習慣を作ると、憑依の道筋が出来てしまい、常人と同じように人を憎み、怒りを抱いても自分を失ってしまう。つまり、心を悪魔に占領されてしまうのである。常人でも心の針の方向いかんによって、憑依されるが、常人の場合、心の転換
(気分転換)が早く行われるから、憑依時間が少なくて済む。ところが、精神病は、この気分転換が容易にできない。一つの事柄をいつまでも思い続けてしまう。そのため、憑依の時間が長くなり、自分の心を悪魔に占領され、人格が変わっていくのである。里子の場合は、中学2年から始まり、高校を出てから本格的な精神病に発展していった。
彼女と話を続けようとした矢先、階下の玄関の方で男の声が聞こえた。
「お客が来ているのか」健一が帰ってきたようだった。里子は、その声を聴いただけでベッドにもぐりこんでしまった。
「俺が帰ったのに返事ぐらいしたらどうだ。お前のような女だから、里子が狂ってしまったのだ。馬鹿野郎」健一の声は一段と大きくなった。どこかで一杯ひっかけてきたらしい。
「うるさいね、私は仕事をしていたので帰ってきたのか分からなかったのだ。私だって忙しいのだから」
「俺は1日働いて帰ってきたのだ。誰に食わしてもらっていると思うか、考えろ」
「帰る早々あれだから、本当にうるさい親父だ。私こそ逃げ出したくなる」初子は一人で愚痴を言った。しばらくして初子はバナナを持って上がってきた。
「何もなくてすみませんね」
「何も心配いりません」
「里子はどうしました?」
「隣の部屋に入っていきましたよ」
「エー、そうですか」初子は立ち上がりふすまを開けた。
「里子何しているさ。どこまで私を苦しめれば気が済むの」と言いながら、ベッドにもぐりこんだ里子の掛け布団をはがし、髪の毛をわしづかみにすると、里子をベッドから引きずりおろした。
「何するのよ。お父ちゃんに叱られたと言って私に当たることはないでしょう。私を馬鹿にしないで」里子の眼は吊り上り、母の初子に飛びかかろうと身構えた。ただならぬ状況に高橋先生は、
「奥さん、感情的なってはいけません。里子さん、あなたは寝ていなさい。心配しないで」と言うと、
「あんた誰なのさ。家から出ていけ」里子の手が高橋先生の顔を思い切りたたいた。女と言うより男の手であった。
「里子、お前は何ということを」初子の心が高ぶり里子の髪の毛をつかもうとする。
「奥さん、落ち着いて」高橋先生が初子を制すると、初子はその場に崩れるように泣き出してしまった。高橋先生は初子の背に手を当てた。里子を見ると、冷ややかな目で母親の初子を眺めている。里子の口から出た言葉は、もう里子自身ではなかった。
「ちぇ、母親だって。ふざけるじゃないぞ。お前のような女が俺の母親。笑わせないでくれ。おとなしくしてりゃ付け上がり、怒れば泣き出しやがって。なんだ、俺には親父もお袋もいない。小さい時に捨てられ、拾ってくれた両親は貧乏人だ。俺を売り物にして、それで食っていた。俺の苦労など知ってたまるか。お前ら夫婦は今更、俺を子供だと思っているから間違いなのだ。親父は、屋台で酒をくらい、お前のことなんか考えてはいない。もっと苦しめ、もっと泣け」里子の人格は変わり、地獄霊が里子の口を借りて語り出している。
「立っていないで、そこに座りなさい。そんなに怒らないで、さあベッドに腰を下ろしてゆっくり話しましょう。ところであなたが生まれたところは・・・」
「うるさい。お前は誰だ。他人の家に勝手に上り込んで。とっとと失せろ」里子のただならぬ言葉に初子は泣くのを止め、行動を見守るばかりである。
「奥さん、あなたは黙って見ていてください。里子さんを支配しているものは地獄霊です。大丈夫ですから、心配しないで」
「お前は誰だ。俺に殴られても怒らないのはどういうわけか。お前はよほど馬鹿だなあ。」
「あなたは、私の顔を殴ったことを覚えているの」
「そりゃそうだ。何故、お前は怒らない」
「私は怒らないよ。あなたも手が痛かっただろう」
「そりゃ痛いさ。あの女が勝手なことをするから、俺も頭に来たのさ。お前も人の邪魔をするしなあ」
「奥さんや私を怒って気分がいいか」
「俺は怒っている方が気分はいい。弱かったらこの世は生きていけないからなあ」
「あなたはいつ死んだの。私に教えてほしい」
「俺か」
「そうです」
「俺は死んではいない。このように生きている。お前狂ったか。俺は生きている」地獄霊は小首をかしげ、さらに言葉を続ける。
「お前、よく、この俺を見つけたな。お前は不思議な男だ。今まで俺たちのことを見破った者はいない。しかし、俺たちに深入りしない方が身のためだぞ。お前のために注意しておこう」地獄霊は脅迫してきた。理由は簡単である。彼らの住家が奪われると思って脅迫してきたのである。もし高橋先生に不調和な心が芽生えたら、高橋先生でも地獄霊に蹂躙されてしまうという。
「あなたはこの世の人ではないでしょう。いつ地上を去ったの」
「俺は生きている。俺を馬鹿にするな。俺を殺すつもりか」
「そんなに怒るな、怒ると体に悪いよ。さあ落ち着いて。君は何という名前なの」
「俺は名前なんか忘れた。名前を知ったからと言ってどうにもならないだろう。お前は物好きだな。放っといてくれ」
「君を放っとくわけにはいかない。君が幸福になる為にね。昔の記憶がよみがえるようにしてあげよう」高橋先生は里子の横に座ると、里子の頭の前後を手のひらで暖めるようにして祈った。
「神よ、この者の心に調和と安らぎをお与えください。光をお与えください。私達は、この地上界に両親の縁により、肉体舟をいただき、偏らない中道の道を、心と行いの物差しとして豊かな心をつくり、神の体であるこの地上界に、人々の心と心の調和のとれたユートピア・仏国土を築かんがために生まれてきました。しかるに、生まれた環境、教育、思想、習慣の中で、生かされている一切の環境に対して、感謝することもなく、人を恨み、妬み、誹り、怒り、愚痴をこぼし、足る事を忘れ去った欲望のままに、正しい心と行いを忘れ、多くの罪を作ってきました。神よ、私たちの罪をお許しください。私達は、今から、神の心である正しい法を規準として、思うこと、行うことの正しい生活をしてまいります。小林里子に憑依している地獄霊よ、あなたたちは、人生において、正しい道を忘れ、欲望のままに一生を送り、自ら作り出してしまった不調和な想念と行為により、心の中に曇りを作り、神の光をさえぎって、暗い地獄界を自ら作り出して苦しんでいる。そなたたちにも、自分に嘘のつけない善なる心があるであろう。その善なる心は、神の子、仏の子の証なのです。自分の心に嘘のつけない善なる心で、人生においてなしてきた、その思いと行いの一つ一つを振り返り、間違いがあれば、神に詫び、二度と心の中に歪みを作らないようにしなさい。大宇宙・大神霊仏よ、諸如来、諸菩薩、光の天使よ、迷える霊をお許しください。心に光をお与えください」
その時だった、里子の顔に血色が蘇り、自分に戻ったのである。
「ああ、私の耳元で男の声が聞こえる・・・」と言いながら、神経を耳元に集中させている。
「里子さん、声が聞こえても、心の中で語りかけてはいけません。絶対、対話してはいけません」高橋先生が言うと、里子は初めて高橋先生の存在に気づき、高橋先生の顔を眺めている。
「失礼ですが、どなた様ですか」里子はやっと自分に戻った。
「里子、お前の病気のことで、わざわざお見えになった高橋さんですよ」
「高橋です。よろしく」
「里子、よかったね。早く元気になって」母親の初子も、ようやく、心が落ち着き、笑顔に戻った。
「里子さん、まだ、声が聞こえますか」
「ええ、何人かの声が私の耳元で聞こえます。先ほどの男の人の声も聞こえます。光が来ているから離れよう、光が来ているから危ないよ、逃げよう、逃げようと言っています」
「そうです。地獄に堕ちた亡霊たちです。彼らは血も涙もない偽善者の集団です。生きている人々の心を狂わせ、肉体的に不調和を作り出している悪魔です。そのような不調和な波動を受けるようになった考えや行為を、正さなければなりません。里子さんの考えに間違いがあったのです」里子は、耳元でささやく地獄霊が気になると見えて、他人ごとのように聞いている。躁鬱病になれば、自分を失うが、地獄霊が先を争い、入れ替わり、立ち替わり心を支配しだすと、完全な精神分裂に陥ってしまう。
「里子さん、里子さん」
「はい、はい・・・」
「里子さん、彼らはどんな話をしていましたか」
「ええ、ここにいるとヤバイ、目の前に光がいる。分解されてしまうから、この場所から逃げよう。光がいなくなったらまた来るぞと話していました。私の幻覚かしら」
「里子さん、あなたは彼らに近づいてはいけません。あなたが彼らと話をすればするほど自分を失っていく。絶対に話してはいけません」
「そんなこと言っても、聞こえてくるのですからどうしようもありません。耳をふさいでも聞こえてくるのです。どうしたらよいでしょう」
「問題は、あなた自身が肉体を持った人の話だけを聞くようにすればよいのです」
「でも、そう悪い話だけではありません。いい事も教えてくれます」
「それはそうでしょう。彼らはあなたの心を自分たちの方に常に向けさせておけば、彼らはあなたの心を自由にすることが出来るからね。しかし、時折、自分を失った時は、暗い、苦しい自分に気づくでしょう」
「そうです。でも、あの人たちの所為ばかりではないと思います」
「もちろんです。あなたの心が憎しみや怒りに燃えるからそうなるわけです。あなたが、今のような状態になったのは、恐怖心と憎しみで自分の心を閉ざした時からなのです。今の自分を客観的にみて、あなたは自分を幸せ者と思えないでしょう。何故、私はこんな風になってしまったのか。外に出て、みんなと楽しく、どうして話をしたり、歌を歌ったりできないのだろうと考えるのではないですか。その時になると、きまって、部屋に人がいないのに、男の話声が聞こえてくるのでしょう。そうですね」
「そう言えば、そうですね。私は不幸せです」
「あなたが地獄霊の声に耳を貸さなくなると、彼らはあなたを脅迫してくるでしょう。恐れないでください。恐れると地獄霊のペースに乗ってしまいます。恐れなければ、彼らは何もすることが出来ません。そうしているうちに、あなたは、昔の自分に返ってきます。夜もゆっくり休むことが出来、頭もはっきりしてきます。彼らはいろいろとあなたの関心を集めようとしますが、絶対に心を許してはいけません」里子の苦悩の始まりは、両親との対話が途絶えた時からであった。年中、夫婦喧嘩が絶えないし、里子が何を言おうとしても、健一も初子も怒鳴り散らし、時には暴力に訴えてくるのであった。里子は、結局、自分の苦悩を誰にも打ち明けることが出来ず、自分の中に自分を閉じ込めてしまったのである。そのうちに、姿なき人の声が聞こえ出し、彼ら地獄霊と語るようになっていった。最初のうちは、幻覚のように思えるが、誰かが語るようにはっきりと聞こえ、その話題も自分に関心のあるものに限られてくるので、知らず知らずのうちに見えない世界に心が奪われていく。
「里子さん、肉体を持った人以外とは話をしないこと、聞かないことです。知っている人の声が聞こえてきても、地獄霊だと思いなさい」里子には得心がゆかないらしい。しかし、放っておいたら、自分に戻ることが出来なくなる。そればかりか、今度は自分が憑依霊になって、人々の心をかき乱す悪魔になってしまう。よく、電車やプラットホームで見かけるが、一人でニヤニヤ、時には怒ったり、ブツブツ言ったりしている人がいるが、これなど里子の場合とまったく同じである。ただ、多少違うのは、里子の場合は、常時そういう状態になっているし、ブツブツ、ニヤニヤの人たちは心の針が動いた時だけ地獄霊と会話が始まるのである。しかし、こういう人もやがて里子と同じようになっていく。また、巷の神々と称する人々の場合も、地獄霊がもっともらしい事を語っているに過ぎない。神仏を名乗った場合は、地獄霊と思えばよい。罰を与えると脅したり、祀りを強要したり、みだりに金銭を求めたり、生神様を気取る場合など、地獄霊は様々な形を現す。絶対に信じてはいけない。
「里子さん、あなたの思うことはすべて彼らにわかってしまう。だから、あなたの心が動きやすいように巧みに話しかけてくるのです。しかし、彼らの言うことは嘘の塊で、あなたは騙されています。あなたは身近な肉体を持った人たちの言葉を信じることです」
「本当に地獄霊でしょうか」
「現在のあなたは幸せですか。主観的にも客観的にも決して幸せではないでしょう。疑問があるなら側にいる霊に聞いてごらんなさい」
彼女は心の中で問答を始めた。普通はこういうことは危険だが、高橋先生が監視しているので心配はいらない。
「見破られては仕方がない。俺たちは地獄に住んでいるのだ・・・・」彼女の心の中でささやかれた言葉である。さらに「俺たちは今も生きている。人間の体の中や、家や墓場、寺院の中、墓場や寺は恐ろしいところが多いぞ。人間の体の中にいるのが一番楽さ。光のある人間には入れない。暗い心を持った者に入る以外ないのだ。人間を支配するには支配するだけの理由があるのだ・・・」里子は初めて恐ろしいと思った。
「わかりましたね。地獄霊とはそういうものです。しかし、恐怖心を抱いてはいけません。恐怖心は自己中心、自己保存が作り出すものです。人間を支配するにはするだけの理由があると地獄霊が言っていましたね。里子さんにもその理由があるのです」
「何かしら…、わからない」
「あなたが心の中で思うことや、毎日の生活に原因があります」
「原因は何かしら・・・」里子の心の中に疑問が芽生えてきた。精神病やノイローゼ患者は、この疑問を抱くことが全くなく、物事を客観的にとらえることが出来ない。だが、里子が、心をリラックスさせ、話を聞くようになり、疑問さえ抱くようになった。あとは根気よく、愛情を持って、閉ざした彼女の心を開かせるしかない。
「病気の種は、あなたが蒔いた。あなたは自分の心の王国の支配者であり、王様ですから、良くも悪くもできるのです」
「心って何かしら・・・」里子は自分の心をよく理解していないが、もし、心の実相を理解しておれば、争いや憎しみなど起こるはずはない。心を知らないから,その心を地獄霊に支配されてしまうのである。
「あなたの肉体舟を支配している船頭さんの中に心があるのです。あなたの病気は肉体舟ではなく船頭さんの心の病気なのです。心の病気は、思うことや行うことに正しい規準が分からないために自分自身が作り出してしまうのです。あなたは自分の心がどこにあると思っていますか」
「考えることや、思うことは頭でしょう。記憶も頭の中にあるし・・・。心は頭の中にあると思います。私が自分を失ってしまう時、いつも頭が重くなり、自分の思考能力が失われます」
「すると、里子さんは、悲しい時、うれしい時に涙を流したことがあるでしょう。その時に、頭からこみ上げてきたのですね」
「いいえ、頭からではなくこのあたりです」と自分の胸に手を当てた。
「そうでしょう。頭のてっぺんからこみ上げてくるわけはないでしょう。やはり、胸の中から感情はこみ上げてくるものです。心は頭ではなく、胸のあたりにあるということです」里子は高橋先生の話に耳を傾けている。今の里子は自分自身に返っていた。
人生の価値観を知るには、生まれてきた人生の目的と使命を理解することである。目的と使命が理解できないために、肉体舟の五官煩悩のままに、欲望を満たす人生に走ってしまうのである。自己保存の想いは、自己保存の想いを繰り返していく。どこかで停止しない限り、とどまることを知らない。自己中心の欲望は、相手を考慮に入れない。自分さえよければ他はどうでもよいということである。恨み、妬み、誹り、怒り、愚痴・・・。
この想念は闘争、破壊の道につながっていく。欲望の原因は自らが作り出した思念と行為にあるということを知ろうともしなかったからである。しかし、私たちの世界は、常に循環の法則が働いている。原因と結果、作用と反作用、因果は輪廻している。安らぎのあるものとするためには、その思念と行為が、他を生かし、助け合う愛の中道の理念を外してはならない。愛と言う中道の理念を外れると、苦悩が生じてくる。自由である思念についても、善は
善、悪は悪と言う循環の法が存在しており、中道は善悪を超えた愛によってバランスが保たれている。信仰の形態が他力化してくると、真実の心を理解することが困難になってくる。里子の両親を見てもわかるとおり、自己の煩悩のまま、感情の赴くままに生きており、自己本位の生活である。自分に都合の悪い事は一切拒否し、すべてがご都合主義である。こうした人達を偽我の生活者という。偽我の生活では安らぎは得られない。自分の思うようにならないからと言って、そこから逃避しようとしても、自分の心の世界から本来、人は逃げ出すことはできないのだ。里子の家庭は、両親をはじめとして家族間の対話がなく、それぞれ自己保存が強く、そして暗い、冷たい。親子の間に、慈悲の心、愛の行為がないのである。そのため、暗い家庭には、それに類した地獄霊が集まり、不調和な波動を家庭内にまき散らすことになる。家庭はますます混乱する。
合掌は、右にも左にも偏らない調和を意味し、それは中道を示している。合掌は自分自身が左右に偏らない中道の生活を行う中から生まれてくる。里子の両親も、自己中心の偏った思念と行為を自分の偽我を里子に押し付けて育ててきた。里子を救うためには両親の心を改造し、家の中を明るくする必要があった。
「里子さん、あなたは心がイライラしていて、自分自身でどうにもならないことが多いでしょう」
「はい、自分であって自分でなくて、他人のようで、自分を失ってしまう。なんでもない事なのに、急にイライラが起こり、怒りたくなり、自分でもどうしようもないのです」
「でも、イライラする原因を、里子さんが作り出しているのでしょう」
「ちょっとわからない」
「先ほど、お母さんが里子さんを叱った時、あなたは悔しいと心の中で思って反抗しましたね」
「そんなこと言っても、突然、私の髪の毛をつかんで寝台から引きずり降ろすので・・・悔しくなります。でも、その時、心がイライラすると、その瞬間もう自分を失ってしまうのです。そんなことが度々あります」
「里子さん、お母さんがあなたの髪の毛を引っ張った時、私はどうして叱られたのだろうと思えないのでしょうか。あなたの気持ちはわかるが、心まで痛くはないのです。むしろ、あなたの髪の毛を引っ張って、自分の気を紛らわそうとするお母さんの感情的な気持ちに、同情を寄せるくらいの心の余裕が欲しいですね。あなたの病気を治すにはこのことは極めて重要なことです」
「ええ、私って駄目なの。すぐ、頭に来ちゃうから・・」
「それがいけない。自分の感情を入れて判断すると、常に曲がった結果しか得られません。自分に都合の悪いことを言われると、怒りが出て、怒りは闘争を生み、闘争は破壊に発展する。破壊は苦しみでしょう。怒りの心は地獄の阿修羅を呼び、里子さんの体を支配してしまうことになります。そうして里子さんは、肉体的、精神的に、様々な苦悩を作り出してしまいます」
「私、わからない。頭が混乱してきた」
「里子さん、自分の心の中で思っていることで、自分に嘘がつけますか」
「自分に嘘ですか」
「そうです」
「自分の心には、嘘をつけません」
「その通りです。他人には嘘がつけますか」
「他人には嘘がつけます」
「そうでしょう。私の言いたいことは、自分に嘘のつけない正しい心で生活することが大事だということです」
「だって、父も母も私のことなど考えてくれないし、すぐ気違いとか、バカだとか言って、私のことを聞いてくれない。だから考え込んでしまう。すると自分が分からなくなってしまうの・・・」
「里子さん、あなたが、お父さん、お母さんから嫌なことを言われたり、叱られたりした場合、心の中でうるさいことを言っていると思った瞬間にあなたの胸のあたりがムラムラとして来て、自分を抑えられなくなってしまうでしょう」
「そう、いつも、頭がおかしくなってしまうのは、そのような時が多いです。心の中で思っただけで、自分がイライラしてくるの」
「そうでしょう。想うことが正しい心でなければ、即座に地獄霊に通じて、自分を失ってしまうのだよ。里子さん、あなたは心に正しい物の判断規準が無いからだよ」
「そんなこと言っても、いつもガミガミ言われたら頭に来てしまうのは当然でしょう」
「里子さん、頭に来てしまうのが当然でしょうということが、いけない事なのです。既に心の中に毒を食べている。心の波動は地獄界に通じてしまうのです。結局、自分を失ってしまうことになるのです。決して、感情をむき出しにしたり、心の中で恨んだり、妬んだり、怒ったり、嫉妬したり、謗ったりしてはならないのです。想っても行動しても、同じ結果になることを知らなくてはならないのです」
「でも親だからと言って、私を子ども扱いにして、私の意見も聞いてくれないので、感情のまま叱られても我慢しなければならないの」
「我慢・・。この場合、我慢するということは、心の中に反発の機会を狙っているということです。我慢ではなく、どんな辱めを受けてもそれに耐えて、冷静な心で毒を食べないようにすることが大事です。つまり、忍辱ということです。我慢は心の中にしこりを作り出してしまいます。叱られているのは、自分ではなく第三者だと思って、正しく判断することが大事です。第三者の立場に立っていれば、判断も正しいのです」里子は高橋先生の話をじっと聞いている。
「里子さん、私の著書を読んだことがありますか」
「父がこの本を読みなさいと置いていきましたが読めないのです」
「どうして」
「二、三ページ読み始めると目がチラチラしたり、頭が重くなってきたり、最近は持っただけで、気分がおかしくなってしまうの。あの本は恐ろしくて・・・」里子は首をすくめ、
「その本、本当に不思議な本だわ」と言うのだった。
地獄霊に取り憑かれている人々が、高橋先生の著書を読むことが出来ないというケースは非常に多い。何故かと言うと、地獄霊にとって、高橋先生の本は敵のようになっているからである。人の心が素直に明るくなると、地獄霊は憑依できなくなる。そのために彼らは手段を選ばなくなってくる。例えば、体を弱らせたり、のどを締め付けたり、胸を押さえつけたり、目をぼやかしたり、眠気を与えたりするようなことを平気でやるのだ。よほどの勇気と決断を持って、読まなければならないのだ。
「里子さん、あの本は「心の原点」でしたね」
「そう」
「里子さんの耳元で読んではいけないと言われたことがあるでしょう」
「あります」
「それは生きている人から、それとも、目に見えない世界の者から」
「そうね。男の子の声で、そんな本を読むな、読むと苦しくなるぞ、やめろ、捨てろと言って、私の胸を押さえつけるの。捨てれば父に叱られるし、押し入れの中に隠してあるの」
「そうですか、声の主は地獄霊ですよ。里子さんに読まれてしまうと、もう里子さんには憑けなくなってしまうので恐ろしいのです。私の著書は心と行いについて正しい在り方を書いてあるから怖いのでしょう」
「そうなの。でも私もあの本が怖い」
「里子さん、あなたは正しい心と行いの規準が分からないために、苦しんでいるのですよ。私が憑いているから、その本を押し入れから出しなさい」
「怖いから嫌。怖い、怖い」地獄霊の脅迫を怖がっている。しかし、里子は押し入れを指し、「あの布団の一番下にある」と子供っぽく言った。高橋先生は布団の中から数冊の著書を持ち出し、机の上に置き「心の原点」を手に取って、
「里子さん怖くないよ。私が持っていても何でもない。自信を持ちなさい。さあ、1ページでも声を上げて読んでごらん。絶対に大丈夫だ」里子は恐る恐る本を手にして、しばらく表紙を見つめていた。
「里子さんどうですか」
「あれー、何も聞こえないし、手もしびれてこない」と言いながら目次を追っている。
「不思議だ。字が読める。字が読める。不思議だ」里子の頬に涙が一筋、二筋・・顔色も赤身をさしてきた。こうして、里子はようやく自分に戻ることが出来た。里子にとって大事なことは自分に自信を持つ事だった。心の中にスモッグが無ければ神の慈愛の光を受けて、安らぎのある人生を送ることが出来る。人の心は「一念三千」である。私達の心は無限に想像できるが、心を乱す不調和な波動を発信すれば、その不調和に比例した地獄界に通じ、心の中を攪乱されてしまうのである。里子は、その後、高橋先生の本が読めるようになり、自分の過去24年間の歳月を八正道で修正した。つまり、思ったこと、行ったことの一つ一つを反省し、自己確立していくことが出来たのである。小林家にもようやく春がめぐってきた。精神病の追放には、これしか方法がないのである。
(8)行(ぎょう)について
仏教は長い歴史の中で様々に変化した。その教えと行は、現れては消えて行った個性の強い指導者たちにより、彼らの知や意によって創作された為、仏教本来の、目的と手段が分からなくなってしまった。本来の行とは,私たちの日常生活の中にあるはずである。人里離れて、山や寺院にこもり、霊的な何かを得ることによって悟った、悟らないというものではない。大自然の法則にあった生活が行なのである。私達が朝早く起きて、顔を洗い、感謝の心で一日が始まる。昼は職場にあって、報恩と奉仕を持って働く。夜、我が家に戻り、一日の安らぎと、家族の健康と調和を喜び合い、反省と感謝の一日を終える。自然は、中道と言う調和の、愛の生活を、私たちに教えており、そうした生活を営むことが行なのである。毎日の生活にこそ行がある。
心の在り方を忘れた肉体行は、やがて地獄霊の食い物にされ、取り返しのつかない人間失格への道をたどることになる。1974年6月の関西方面の研修会のことである。一人の中年婦人が質問した。
「私は20年近く冷え症で困っています。今日も京都にくるのに、毛布を膝にかけて、寒さをしのいできました。どうぞこの苦しみを救ってください」と言うのである。背の低い頑丈そうな体格をした婦人が、毛布を腰から膝に巻かなくては、寒くていられないというのである。高橋先生の心眼には、夫人の後ろに、白い着物を付けた修験者が、はっきりと立っているのが見える。まさしく地獄霊である。
「あなたは信仰をしていますね」
「はい」
「20年くらい前から厳しい肉体行をされましたね」
「そうです。滝行もやりましたので、それから冷え症になったのです」婦人の後ろに立っている地獄霊は夫人の心を混乱させて、高橋先生の言葉を聞こえないようにしていた。
「お前は、神の子としての自覚を忘れて地獄に堕ち、この女性に取り憑いているが、それは許されません。この女性から離れるのです」と言った途端に、女性の人格が変わり、男性の声になってしまった。
「いかにもわしは修験者だ。この者が一生懸命に、滝行をして修行をしているのを見て、力を貸してやりたいと思って協力しているのだ。それがなぜ悪い」
地獄霊は女性の体を支配して女性の口を通して、反問してくる。
「お前が地獄界に堕ちて、この女性を救ってやろうとは、とんでもない事だ。お前が浮かばれていないのに、他人を救うことがどうしてできよう。あなたは生前、家族を放り出して家族の者を露頭に迷わせ、間違った信仰の道に入り、修行中に山道から、谷底へ落ちて死んだのだろう。この女性に憑くとは、とんでもない間違いだ」
「光が強くて、お主を見ることが出来ない。ちょっと待ってくれ」と言いながら、その場にひれ伏してしまった。
「修験者。そなたは自分が地獄の冷たい世界に堕ちていることを知っているのか。人を救う前に自分を救うことが大事ではないか。いわんや、この女性に憑依して、精神を混乱させている張本人はお前ではないか。私に見つかった以上はどこにも逃げられないのだ。どうする」
「わしは、この女子に神の道を教えているのじゃ。この女子が憐れなのじゃ。不憫なのじゃ。わしが救ってやりたいのじゃ」
「ちょっとまって、お前は、この女性を救ってあげたいと言っているが、本当は自分の行く場所がないので、この女性に憑いているのではないか。本当のことを言いなさい」
「へー。恐れ入ります。わしも救われたいのじゃ。この通りだ」
「その言葉は真実か。そなたはこの女性に神じゃ、竜神じゃと言って、この女性の口を通して多くの人々を迷わせてきたではないか。その罪の償いをどうするのか言ってみなさい」
「へー。その通りです。多くの人間を迷わせたことについては、どんな罰でもお受けします。この寒い場所から救ってください。わしを助けてください。この通りです」
「それでは、なぜ、お前は地獄に堕ちたのか知っているか、答えなさい」
「はい、わしはこの女子と同じように家族が次々と不慮の死にあったり、気違いになったりでその因縁を断とうとして、修験者の道に入りましたが、この始末です」
「そなたは家族のことよりも、自分が救われたかったのではないか」
「へー。その通りです。」
「お前は働くことが嫌で、家族の生活苦を見て見ぬふりをしていた。違うか。家族に対してはもちろんのこと、他人のために心から尽くしてやったことがあるか。いつも自分のことしか考えないで、自分に都合が悪いと暴力をふるい、家族に温かい言葉すらかけたことが無い。どうだ、違うか」
「恐れ入りました。その通りです。良子、許してくれ。おれが悪かった。お前たちに何もしてやれないで,許してくれ・・・」地獄の修験者の心の中に、仏心が蘇ってきた。婦人の体を通して修験者は、大声を上げて泣いている。
「修験者よ。そなたは生前の行為を心から詫びている。さて、今、肉体を借りている女性に対して、今まで狂わしてきた罪については、どうするのだ」
「許して下され。わしは神だ、竜神だと言って、あなたを迷わせました。私は地獄にいる亡者です。今までの罪を許して下さい。この通りだ」修験者は夫人の体を使って、夫人に謝っている。婦人は、一人二役を演じているわけだが、はたで見ている人には不思議に思えたろう。しかし、不思議でも何でもない。肉体を持っていないのだから、肉体を持っている者を借りなければ自分の心を表現する方法がない。人格がコロコロ変わってしまう人は、地獄霊が支配していることが多い。正しい想念と行為を忘れ去った人々に起こる霊的現象なのである。
「修験者。あなたの心の中にこそ真の神があるのだ。あなたは自分自身を偽ることが出来るのか。どうだ」
「はい。偽ることはできません。わしは修験者として、神の名のもとに、多くの人を迷わせました。心にもない嘘をペラペラと言って、それが私を守っている神だと思わせ、そこまま伝えて、多くの人々に迷惑をおかけいたしました。私を許してください」
「すると、死後の世界には神はいなかったのか」
「へえー、私に神だ、仏だと言っていたのは狐でした。わしは恐ろしくて、恐ろしくて…、神様助けてください」
「生前は動物霊に騙されていたのか。あなたを救うことが出来るのは、仏性であるあなたの心の中の善我なる自分自身である。あなたが真実に間違った想念と行為をしたことを認め、二度とその間違いを犯さない決心が出来た時に、許されるのだ」
「有難うございます。体が温かくなってきた。神様有難うございます」頭を床にこすり付けて泣いている。
「修験者。あなたはこの女性に心から詫びて、体から出なさい。体内くぐりをして出なさい」婦人は両手を頭上にのばし、地獄の修験者は彼女の体から出て行った。
地獄霊が自分の非を悔い、それを改めることによって、天上の世界に帰って行ったのだ。婦人の顔色は紅潮して、今までの青ざめた顔とは違っていた。見ていた数百人の人は歓声を上げた。元気になった婦人が口を開いた。
「私の体にカイロが入っているようです。暖かいです。何か体全体が軽くなり、頭がすっきりしてしまいました。私に何か憑いていたのでしょうか」
「その通りです。地獄の修験者が、あなたを守っていたようですね」
「すると、今まで、私の口を通して、竜神だと申されていたのは地獄霊でしたか。ひやー、恐ろしい」婦人は目を丸くし頓狂な声を上げた。
「あなたも同じ類なのですよ。あなたの心が地獄霊を呼んでいたのです。思うことや行うことの正しい規準を知って生活しなければ、異なった地獄霊にまた憑かれてしまいますよ。あなたは今の信仰を止めることです」
「私の家は災難続きです。兄弟が気違いになり、父は納屋で自殺し、妹も自殺しました。この因縁を断ちたいと思って、今から20年前に信仰に入り、大峰山や修験者の山で滝に打たれ、厳しい修行をやってきました。私の信仰は間違っていたのですね」
「その通りです。心と行いの正しい規準を持たない信仰は間違いです。他力で人は救われないのです。昔の東京の空は真っ青で美しい太陽の光が私たちを包んでくれていました。文明の発達に従って、今の東京の空はスモッグで、太陽の光が受けられません。光化学スモッグによって、街路樹の葉が黒く焼けて落ちることがあります。スモッグは人間が作り出したものです。南無阿弥陀仏とか、南無妙法蓮華経とか、天にまします我らの父よ、と祈ったところで、公害が防げるでしょうか。私達が公害を出さないようにする以外にはないのです。・・・・恨み、妬み、誹り、怒り、愚痴、足る事を忘れた欲望、嫉妬、無慈悲な行為など、すべて自己保存、自分さえよければと思う行為が、公害のもとになっているのです。そのために私たちはブッダが説いた八正道による生活以外にはこれを取り除く方法がないのです。八正道を生活の中に導入した時に、心は丸く豊かに、安らぎのある日々を送ることが出来るでしょう。心の中に歪みがあっては正しい判断はできないのです。常に丸い豊かな慈愛に富んだ心だけが、万物の霊長である私たち人間の正しい生き方だと言えましょう」
「よくわかりました。今まで苦しい時の神頼みで、一生懸命に経文あげて頼みました。私が間違っていたようです」
「あなたは経文をあげると言われましたが、経文の意味が分かりますか」
「いいえ、般若心経は貴い経文であるから、神仏の前で、唱えていました。先輩から教えられたものですから。意味は唱えているうちにわかると言われていましたが、まだわかりません」会場から爆笑が起こった。しかし、笑っている人も、この婦人と同じような信仰をしていた者が多かったはずである。経文は人間の道の在り方を、かくあるべしと説いたもので、唱えることに価値があるのではない。多くの人は唱えることに功徳があると思っている。高橋先生はこの婦人にもう一度質問してみた。
「摩訶般若波羅蜜多心経とは、どういうことですか」
「はい。至彼岸と教えられました」
「至彼岸とはどういうことですか」
「神仏の境地に到達することです」
「では、神仏の境地に到達するとはどういうことですか」
「霊感を得て衆生済度することです」
「それはおかしいですね。それであなたは厳しい肉体行をやられて、至彼岸ではなく、地獄霊の至彼岸になってしまったのですね」
「どうもそのようです。私にもわかりません」
「至彼岸は間違いではありませんが、あまりにも略しすぎています。この言葉はインドの古代語を中国語で当て字したものです。摩訶とはマハー、すなわち偉大と言うことです。般若とはパニャー、智慧です。波羅とはパラー、行くとか到達する。蜜多とはミタ―、すなわち私たちの心に内在されている転生輪廻の長い過程を通して体験された偉大なる智慧と言う意味です。その偉大な智慧に到達するという心の教えを中国語に訳して摩訶般若波羅蜜多心経と言うわけです。私達の心の中には、あらゆる体験された智慧がある。肉体舟に乗ってしまうと、五官煩悩のスモッグによって、分からなくなってしまうため、盲目の人生を送り、苦悩を作ってしまうのです。・・・・・仏教で南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽浄土に帰れるという一派がありますが、唱えてもダメです。南無とは古代インド語でナーモ、すなわち帰依するという意味です。阿弥陀はアモンで、光の天使の名前です。仏は悟られた方の称号です。アモンは古代インドのバラモン教の神の名前である。また、古代インドのバラモンの教えは、エジプトが発祥地である。アモンの説いた方に帰依するということが、いつの間にか南無阿弥陀仏になっていった。念仏の根本は、仏の教えを実行することであり、他力によって人心を救済することは不可能なのである。自力によって、自分の心と行いの間違いを正してこそ、偉大なる神の光によって他力の力が与えられるということを忘れ去ってしまったのである。他力では人間は救われないということを知らなければならない。ブッダもイエス・キリストも人間の道を説いたもので、その道を実践した時、至彼岸になるということなのである。偶像や十字架を祀って拝みなさいなどとは一言も言っていない。しかし、長い歴史の過程で、仏教もキリスト教も人々の知と意によって、チリと埃の中にうずまってしまった。
現代の仏典を、無学文盲の二千五百有余年前のインドのシュドラー(奴隷階級)や、商工業者階級の衆生に理解させることが出来るだろうか。今日の聖書を持って、二千年前のイスラエルの衆生に真実の愛を教えることが出来るだろうか。非常に難しい事だ。現代人の義務教育を受けた人々でも正しく理解することはできないでいる。学者や専門職の人々でも、知識だけで行為がないから智慧の門を開くことが出来ない。かえってその知識が、増長慢を生み、地位や名誉に執着する引き金になっている。僧侶や宣教師の着物の色分けや、金襴緞子の高価な衣装の差によって、人間の価値が異なってくるのではない。イエス・キリストやブッダの、非常に粗末な着物を身にまとった像や写真などを見れば、容易に察せられよう。金の力で地位や名誉を買い、その地位に安住しようとしている者たちは言語道断である。彼らは偽善者の集団である。理解できない経文や、心を失った肉体行の中からは、安らぎと調和された真実の自分を発見することはできない。心を忘れた肉体行、他力信仰は非常に危険であり、そうした迷信から目覚めなければならない」
この婦人は20年間も厳しい肉体行と言う迷路にはまり込んで地獄霊に取り憑かれ、方向感覚を失ってしまったが、今では、毎日を人間らしく楽しく送っている。
高 橋 信 次 著 「悪 霊 (Ⅱ)」 の 要 約
(1)他力信仰の恐怖
信仰の形態を見ると、そのほとんどが他力信仰である。仏教、
1974年8月2日、志賀高原・
生き神様は決まって殿堂を建てたがる。
高橋先生は、壇上に立つと、全員の視線が集中した。
1)稲荷大明神
「先生、私は幼少の頃から神様の声を聞き、
「鈴木さん(仮名)、
「はい、その通りです。昨日も腰から足の関節が神経痛にかかり、
「あなたは小さい時から、両親とともに、
「はい、その通りです」
「お宮に祀ってある神様があなたを守っているのでしょう」
「小さい頃から私の耳元で、私は稲荷大明神であるぞ、
「あなたのお母さんは、とても熱心に信仰していましたね」
「はい、人助けの為に父が祀っていたのですが、
「うん、なるほど。しかし、
「信者の悪い業を全部背負ったから死んだのでしょう。
「ははあー、あなたの神様がねえ」高橋先生がこう言った途端、
イエスは十字架にかかった。
「鈴木さん、
「その通りです。神様が入っているときは、言葉も男のようで、
「神様がお母さんの中に入ると、人格が変わってしまうのですね」
「そうです。私もその時は、母親だと思っておりませんでした。
「小さな子供を、お父さんやお母さんが、叱り飛ばしたり、
「そういうことは、まずないです」
「そうですね。盲目の人生を歩いている人間に、
「すると、私の信仰してきたものは悪い霊だったのでしょうか」
「そうです。悪い霊だったのです。しかし、
「どうも納得がいきません。私は40数年間、毎朝毎晩、
「鈴木さん、あなたは悪い事をした覚えがないと言いますが、
「さあー、そういわれると困りますが、
「それだけでは正しい規準を理解しているとは言えないですね」
「でも他人に迷惑をかけなければ、それでよいではありませんか」
「他人に迷惑をかけないことは、もちろん正しい事です」
「私を指導している神様は本物でしょうか」
「それを確認したいと思うなら、あなた自身で確かめてください。
一見、健康そうな体つきだが、
「鈴木さん、体を楽にしてください。
「私、そんなことできません」
「鈴木さん、
「ホー、ホー、ホー」言葉にならない言葉が彼女の口から出た。
「鈴木さんを支配している守護神様、どうぞ、
「ホーホケキョー、ケキョ、ケキョ」と鳴き出した。
「あなたは鶯なの。あなたは本当に鶯ですか」
「お前は鶯の霊ではないはずだ。
「この女性の背後にしがみついている動物霊。
「申し上げます。申し上げます」
「本当のことを言いなさい」
「はい。私は稲荷大明神じゃ・・・」
「お前はまだ嘘をついている。どこの稲荷大明神だ」
「この者の屋敷に祀られているものじゃ」
「お前は本当の稲荷大明神だと思っているのか」
「間違いなくこの者の屋敷の神じゃ」
「なぜ神に祀られたのか。
「屋敷の神としてこの者の父親が祀ったのだ。
「稲荷大明神とやら、お前は盲目の人間に祀られながら、なぜ、
「不幸になどしていない。この者の母は、
「しかし、現実は、家屋敷は人手に渡り、
「この者の母親は、
人の業を受けるということは心の正しい法則を知らず、
地獄霊の多くは、表面的にはもっともらしい事を教えているが、
「お前は先ほどから、
「お前は現実に多くの人を迷わしてきた。
「本当に、嫌になっちゃうな。だから、
「稲荷大明神、ついに本性を出したな」
「それがどうした。本当にしつこい。もうわしは帰るよ」
「そう簡単にお前を帰すわけにはいかない。帰してしまうと、
「俺はこの屋敷に住んでいた狐さ。昔、
「地獄の狐よ。
「俺は殺された。
「狐でありながら稲荷大明神だの不動明王と名乗り、
「悪い人間が長生きしている。
「お前の気持ちはわかる。しかし、
すると、
「あら不思議、体が軽くなった。
「鈴木さん、あなたが小さい時から信仰していた神様は、
「どうしてです」彼女はキョトンとして聞き返すのであった。
「嘘だと思うなら、いつもの神様を呼んでください」
「あら、神様の声が聞こえない。どこへ行ったのでしょう。
「当然です。今のあなたは非常に平和です。
「そう言えば、本当に体がポカポカしています。
「ちょっと待って下さい。あなたは、
「はい、わかりました。では何を規準に反省するのですか」
「鈴木さん、あなたは子供の頃、
「尊敬していませんでした。何故かと言うと、
「しかし、あなたが現在あるのは、
「親がいなくとも子は育つというように、
「それはおかしいですね。
「生むことぐらい誰にでも出来ます。男と女がいれば・・・」
「人生行路の肉体舟を与えたのは両親です。しかも、
「しかし、それは当然でしょう。生んだのですから」
「あなたは自分一人で成長したのではないでしょう。
「鈴木さん、あなたの兄弟姉妹の中はうまくいっていますか」
「みんな自分勝手で仲が良いとは言えません」
「あなたは自分中心の考えを捨てなさい。
「それにはどうすれば良いのですか」
「私の著書(「心の原点」「人間釈迦」など)を一通り読んでくだ
「・・・・・・・」
「あなたは長い間、信仰の道を歩いてきました。そして、
「わかりましたね。
2)夜明け観音
高橋先生は汗を拭き、次の質問者を求めた。
「質問のある方は遠慮しないでください」会場は静まり返った。
「さあ皆さん、遠慮しないで気楽に質問して下さい」
「私の神様を見てくれ。今の婦人は八百長じゃないのか。
「どうぞ皆様の方に向かって座って下さい」この青年は林治一(仮
「林君、君を指導している神様を出してごらん。
「あなたは、どなた」
「私は天上界から来た神じゃ」
「水は高きより低きに流れる。お金もまた同じだ・・・」
「今までは、この者は、この様にして左右に金が流れていたため、
「あなたは神ではない。真実を言いなさい」すると林青年は、
「あなたは帰ってはならない。戻りなさい」
「魔王よ、あなたはなぜここに来たのか」
「またの名を教えてやろう。私は夜明け観音である」
「ここは何かしら心の休まる場所だな」
「私は光の天使としての使命を持って肉体を持ったのであるが・・
「エイ、エイ、エイ」魔王は九字を切り始めた。
「魔王、どうだ。お前の法力で私を倒せると思っているのか。
「ウォー、ウォー」と叫び声を上げ、言葉も出なくなった。
「魔王よ、そなたも神の子。
「何、反省だと。そんなもの、遠の昔に忘れてしまった。慈悲、
「お前は安らぎのある平和な生活をしたいと思わないのか。
林青年の顔色は血色が蘇り、素直な自分に戻っていた。
「林君、君は間違った信仰に気付きましたか」
「全く記憶がありませんが、先ほどと違って、心の中が、
「君は、魔王に心が支配されていた時に安らぎがありましたか」
「いえ、まったくありません。
「どちらで修行しましたか」
「仏教、神道、ある時は身延にいきまして肉体行もやりました。
「それであなたは進むべき道を発見できましたか」
「発見する為に宗教の門をたたいたのですか、「生命の実相」
「その結果はどうでしたか」
「神想観をしているうちに、
「林君、
「サビを落とします」
「それからどうします」
「サビ止めのペンキを塗ります」
「そうですね。しかしあなたは、
「どういう意味ですか」
「君はサビの落とし方を知らないのです」
「サビ落としの方法とは・・・」
「
「ああ、そうですね」
「そのサビを落とさない限り、
「すると、サビ落としは生まれた時からするのですか」
「そうです」
「それは大変だ。でも、
「その通り」
「しかし、厳しいですね」
「苦悩の始まりは、欲望を満たそうとする時から始まるのです。
「すると、生まれた環境、教育、思想、
「そう、その通り。正法とは中道、
「すると、今までの信仰は正しいものではなかったのですね。
「あなたは自動車に乗っていますね」
「ええ、10年以上乗っています」
「道路はどうですか」
「最近は良くなりました」
「交通事故はどうですか」
「私は事故を起こしたことがありませんが、
「どうして事故が多いのでしょう」
「車が多いからでしょう」
「車の所為ではないでしょう」
「それは交通法規が守られていないからでしょう」
「その通り。
「交通法規を無視するから事故が絶えないわけでしょう」
「無視するとは・・・」
「実行しないからではありませんか」
「そうです。
「題目や念仏はどうしていけないのですか」
「経文は人間の正しい生き方を教えているものです。
「やはり、
「公害のスモッグにしても、
「どうもありがとうございます。よくわからせていただきました」
「君は正法を実践することによって、
「もう魔王は来ないでしょうか」
「君が今のままなら、魔王はいつでも来るが、
「本当によくわかりました。ありがとうございました」
林青年は会場の人々に挨拶して降壇した。
(2)日本のエクソシスト
現代は科学の時代であり、妖怪変化、
「私は神奈川から来ました小林(仮名)と言う者です。
「小林さん、弟さんの手術は待った方がいいでしょう。明日、
「絶対安静だから入室できません」と断られた。
進はどんどん快方に向かい、自分の意識が蘇り、退院した。
「あなたは自分では神使える身と思っているが、あなた自身、
「私は家に祀ってある神様を信じて、
「では、あなたの家に祀ってある神様を、
「私は小さい時から信仰が好きで霊感がありました。
「神様を直接見ていないわけですね」
「見ないけれど、しっかりここから聞こえてくるのです」
「ではあなたは、
「ええ、いつも不平、不満が出て、
「イライラの原因はどこからきますか」
「信者や家族のことでしょうか・・・」
「イライラの状態でいて、心の中に安らぎ、平和がありますか」
「いや、苦しいです」
「苦しい状態で神様を拝んでいるのですか」
「拝んでいる時は別です」
「別と言うと・・・・」
「・・・・・」
「
「ですから、心身を浄める為、滝に打たれたり、
「どうして、滝行をしないと、あるいは水をかぶらないと、
「水をかぶると、心身を浄める働きをします」
「そういうものでしょうか」
「そうです・・・」
「私にはどうも納得できません。
「心とは何でしょうか」
「あなた、心も知らずに神様を信仰していたのですか」
「・・・・・」
進は肉体行を通して神主になっていた。彼は祝詞をあげ、
「心を清浄にするにはどうしたらよいのでしょうか」
「心を清浄にするには、思っていること、
「イライラは清浄ではないのですね」
「その通りです。あなたは感情的な言葉や増上慢の心があり、
「なるほど、ところで現在の苦しみは、
「とんでもない。
「私は先祖に対する供養が足りないと思っていましたが、
「なぜそうするのですか」
「今生きているということは先祖があるからでしょう。
高橋先生は多くの宗教家や、信仰者にあってきたが、
彼は2月の初めに家で倒れた。
「今から数年前のことでした。信者が3人死んだという連絡があり
進は自分の体験を打ち切り、高橋先生に質問してきた。
「玄耳女は蛇の変化です。
「私は1974年6月に「人間・釈迦」「心の原点」「心に発見」
「やはり、1974年の3月、
「はい、ありがとうございます。
「私は倅の祭壇の前で不動明王の姿をはっきりと見ました。
「お婆ちゃんの見た不動明王は若葉色に光った不動明王でしょう。
「ええ、そうでした。私の家は真言宗でしたので、
「不動明王は悪魔を退治する神様だそうで、
「ちょっと待って下さい」高橋先生は老母の話を途中で遮った。
「お婆ちゃん、あなたの見た不動明王は本物ではないのです。
老婆には気の毒と思ったが、
(3)コックリさん
最近、子供の間でコックリさんなるものが流行っている。
袴田司(仮名)は、松戸競輪の第2レースと、第5レースに大穴が
「今帰った。富子、開けてくれ」夫の帰りを待ちわびていた富子(
「あなた、遅かったじゃない。どうしてなのさ」
「富子、よかったよ。お前の言う通りだった。今日は大穴が出て、
「あなた、また競輪に行ったの。
「お前のコックリさんはすごいものだ。よく当たる。
「あなたまだ懲りないの。仕方がないわね・・・」
「あなた準備はオーケーよ」富子の声は弾んでいた。
「あなた、コックリさんが来られたようよ。電気つけて」
「今度は馬鹿に早くお出ましだな」
「コックリさん、今日は誠にありがとうございました。
(あぶらあげ さんまい たのむ) 司はオヤッと思った。油揚げとは妙だなと考えたが、
「富子、油揚げ3枚あるか、
「あるわよ、冷蔵庫の中に・・・」富子はすぐ返事をした。
「こんな粗末なものでいいのかな」
「それでよい・・」コックリさんも簡単な返事をしてくれる。
「ああ、ありがたい事だ。これで明日もきっとうまくいく。
「コックリさん、3と6ですね。
「コックリさん、どうもありがとうございました。
「富ちゃん、今日は馬鹿に楽しそうね。何かあったの・・・」
「弓ちゃん、明日はあなたに御馳走してあげられるかもしれない。
「まあ、それは楽しい事。御主人、もう競輪止めたの・・・」
「まあね」急所を突かれて富子は返事に困った。
「良かったわね。それでは、明日の御馳走を楽しみにしています」
「今日はコックリさんに一杯食わされた。
「いいのよ。仕方がないわ。さあ夕食にしましょう」
「私は賭け事が大嫌い。もう今日限り止めてください。お願い。
「俺ばかりのせいにするな。お前だって責任があるじゃないか。
「そんなこと無いわ。八百長なんかやるわけがないでしょう」
「そうでなければ間違えるわけがない。
「あなた何するのよ。私まだ食べてないのよ」
「悔しかったら、コックリを呼んで聞いてみな。
司はコックリを信じて疑わなかった。
(コックリさん、どうぞ私を救ってください。
「わしはコックリの神じゃ。司、そなたはそこに控えなさい。
「司、わしはイエス・キリストの使いじゃ。今日、
「神様、危ないところをお助け下さいまして、
「司、お前は東京の平和島競艇に行く気はあるか、
「でも神様、賭けるお金がありません」
「この女がへそくりを隠している。それを使えばよい。
「私の勤め先の高野君のことでしょうか」
「そうだ。高野はお前と前世で兄弟であった。
「ハイ、左様でございますか。高野は私とは兄弟でしたか。
「わかったか。その通りじゃ。明日は妻を家に残し、
「ハイ、わかりました。仰せのように致します」
「おい富子、どうした。今帰ったよ」
「わかっておる。お前が帰ったぐらい知らないでどうする。
「司、今日の競艇レースを間違えたぞ。何故第2レース、第5レー
「神様、昨夜は確か第1レースと第4レースと言われましたが・・
「違う。それはお前の聞き違いだ。わしは第2と第5と言ったはず
「ハイ、ハイ、私の間違いでした。第2、第5でした」
「それで良いのだ」
(奥さんがレースの結果など知るはずもない。
「高野よ、そなたは素直な青年だ。今、
高野は三度驚き、恐縮して平伏した。富子は5日も眠っていない。
「奥さん、大分寝ていないようですね。
「神様はイエス・キリストと申される外人の方です」
「そうですか。私の所まで来るのに大分邪魔されたでしょうね」
「ええ、浅草の事務所に行ってはならぬ。
「御主人も神様だと思っているのですか」
「はい、私もそう思っています。しかし、
「では、私もその神様にお会いしましょう。奥さん、
「なんだか体がしびれて口がよく動かないのです。
「この夫人に憑いている霊よ。この夫人の口を通して語りなさい。
「わしは神だ。イエス・キリストの使いだ」
「あなたは日本人ですね。外人ではないでしょう。
「なぜ、答えないのです。では私が質問します。
それでも黙っている。
「あなたはイエス・キリストの使いでしょう。
「うるさい。わしは帰る」
「イエス・キリストの使いとやら、
「お前はうるさいやつだ。引っ込んでいろ」
「お前は地獄霊だ。イエス・キリストの使いではない。
「俺は、好き好んできたわけではない。毎晩、俺を呼んでおいて、
「地獄霊、よく聞きなさい。
「チェッ、聖人ぶるのではない。
「わかった。この女性から外に出なさい。
「奥さん、あなたたちは欲望のために、
「ハイそうです。神様ではありませんね。やっぱり・・・・。
「あなたが怖がっていてはいけません、
司は黙って肯いていた。
地獄霊が人に肉体を支配するプロセスは決まって睡眠不足からくる
富子の例でわかるように、こうした状況に追い込んできた理由は、
心の働きが正しく回復しないと、精神病は常に再発を繰り返し、
富子は高橋先生の話を聞いて帰った。
(4)被害妄想に憑かれた女
文明病の意最大の悪は、エゴである。つまり、
「自分ほど不幸な者はいない」
「誰かが私を狙っている」
「他人がうらやましい」
「死にたくない」
被害妄想に取りつかれた人は多いようである。
「もしもし、私です。助けてください。
悲痛な叫びが受話器を伝わって高橋先生の耳に入ってくる。夜中の
若山ハツ(仮名)のご主人とは30年来の付き合いであった。
「若山さん、どうしました」
「私の家の道路に外車が止まっており、
「はい、わかりました。夜が明けたら早速伺いますから、
ハツの被害妄想は警察でも評判になっていた。
「どうなさいました。昨夜は寝られなかったようですね」
「本当に警察は何もしてくれないのです。警察では、
「いや、若山さん、警察は見張ってくれていますよ。
「でもね、そんなこと言いますが、
「それはそうですが・・・」
「ねえ、聞いて下さい。私の耳に通信の音が聞こえ、
「若山さん、これは毒薬じゃないですね」
「じゃなんです」
「犬の小便です」
「まあ、ひどい、あなたまでそんなことを・・・。いいです。11
「ちょっと待ってください。
「どうぞ、家の中にお入りください」老女は一人住まいである。
20年前の3月頃だった。
「私はあなたに騙された。
「お前、いまさら何を言うのだ。お客さんが来ているじゃないか。
「仕事のことは家内と相談してやって下さい」と言って、
「どうぞよろしくお願いします」高橋先生は主人の利助と別れた。
「本当に亭主が無学なもので困ります。
「私も間違いばかりしています。私の無学なものですから・・・」
「アーラ、あなたはそんなことはありませんわ。お年は若いし、
「私は若い頃、好きな人がございまして、
「若山さん、御主人がいないと淋しいでしょう」
「私をおいて死んでしまった。あんなに恨んだ主人でしたが、
「いい人でしたよね。真面目でおとなしい方でした」
「何言っているのですか。私はね。
「あなたは誰だ。若山家の家族を混乱させた張本人、
「この女は、おまえの所に電話などして、このバカ女が・・・」
「あなたは、この老女の耳元や心の中から、
「私はこの女と付き合って長いのだ。お前の出る幕ではない。
「あなたは、人を苦しめて何が楽しい」
「そんな野暮なことを聞くな。楽しいからやっているのだ。
ハツの体は自分のものであって自分ではない。
「さあさあ、そんなに感情を高ぶらせると、体に毒だ。
「私はなあ、この地所に住んでいる者だ。
「ああ、そうだったのか。しかし、
「許すだって、とんでもない。お前考えてみろ、
「私なら話し合って解決します」
「嘘をつけ。ここは私の大事な土地だ。
「わかった。あなたの言い分は良くわかった。ところで、今、
「今か、そうだなあ、文久2年だ。江戸の頃だよ・・・」
地獄霊は死んだ時から時間が止まってしまう。
「名は何というの」
「そんなもの忘れた」
「あなたは死んでから、もう百数十年は経っているよ。
「ふーん、私にはよくわからない。そんなことより、
「ああ言ったよ」
「とんでもない。この通り、生きている。
「あなたはいつまで迷っているのだ。あなたの家はすでになく、
「お前、どうしてそれを知っている。お前は番所の役人か」
「違う。あなたの心の中が分かるのだ」
「恐ろしい人間がいたものだな」高橋先生の守護霊が、
「わたしは、人買いに買われて池上の宿に来たのさ。
「もうあなたの罪は許されたのだよ。
「池上の番所からもう追手はこないか」
「来ないよ。安心しなさい」
「本当か・・」
「時代が変わって番所も役人もいなくなったのだ」
「えー、それ本当?」
「嘘だと思うなら行って見てくればいいじゃないか」
「真っ暗で何も見えないよ」
「あなたは自分で犯した罪を一つ一つ振り返って、
「私はどこへ行ったらいいのでしょう。
「あなたは嘘のつけない自分の心で、
「ああ、私はどうしたのでしょう。何か重く感じたら、
「若山さん、気分はいかがですか」
「ええ。何か急に自分に返ったようでございます。
「この広い屋敷で一人暮らしは淋しいでしょう」
「ハイ、一時は7人家族でにぎやかでしたが、
「若山さん、不幸の最初から考えてみましょう。
「私は、いやいや結婚したのです」
「どうしていやいや結婚したのですか」
「主人は無学で電気会社の工夫でした。そのため、
「すると、御主人に対する愛情は全然感じなかったわけですか」
「好きでない人にどうして愛情など湧きますか」
「不思議な夫婦ですね。
「そんなこと言ったって、夫婦ですもの。
「私は何も悪い事をしていない。
「苦しんでいるのは誰ですか。あなたでしょう。原因は何であれ、
「そうですね。確かに私は苦しんでいます。しかし、
「今更どうにもならないでしょう。許してあげることです。
「そうでしょうか・・・」
「太陽はすべての人に平等に分け与えています。
「そうですね。あなたの言うことがよくわかりました。
ハツはこの時以来、被害妄想の電話をかけてこなくなった。
(5)蜘蛛の巣にかかった昆虫
京都には、いたるところに寺院や仏閣が建てられ、
京都では生き神様が至る所に現れ、人を集めている。
「私は先生のおかげで元気に過ごさせていただいています。
「私は大阪から参りました。今日は初めてなので、
「うちの先生は何でもお見通しでございます。
「今年18歳になる長男、山田道明(仮名)と申しますが、
「ウオーウオー」まるでライオンか虎である。
「神様、どうぞ私たちをお許しください。お許しください」
「わしは、不動明王じゃ。
「ああ、有りがたや、有りがたや」と涙を浮かべ神を讃えている。
「さあどうぞ、お不動様にもう一度お伺いなされてはどうですか。
「うん分かった。
「供養と言いましても、どうすればよろしいのでございますか」
「供養か、そんなことをこの不動に聞くのか。経文じゃ、
「わからぬか、供養じゃ、経文をあげるのじゃ、
「ハイ、ハイ、わかりました。供養いたします」
「本当に分かったのだな。本当だな」と念を押すのだった。
「ハイ、よく分かりました。
「なに、分からぬ。この不動を愚弄する気か。
「いえ、それは困ります。お不動様助けてください」
「子供は救ってやるから心配するな。
「有難うございます。どうぞ、よろしくお願いします」
「神様、いただきました」と、一礼し祭壇に上げた。
「母の病気を治したいのです。どうしたらよいでしょうか」
「お前の家の下水がつまり、不浄になっている。
「下水と言っても、どちらの下水でしょうか」
「お前は下水が分からないのか。わしは臭くてかなわんのじゃよ。
「ハイ、わかりました。早速、母に言い、連れてまいります。
「うん、お前は素直だ。気に入ったぞ。必ず連れてきなさい。
「有難うございます」これで2件片付いた。
「亡くなった祖父にお会いしたいのです。どうか、
「わしは、荒尾じゃ。苦しい。水をくれ。水を一杯くれ」
「お祖父さん、水です」と神様に渡した。
「お祖父さん、天国の生活はどうですか」
「天国、お前、そう簡単に天国へは行けんぞ。わしは今、
「お祖父さん、
「それはお前たちと同じで、こちらにも修行があるのじゃ。
「お祖父様、体の具合が悪いのですか。大分咳が出るようですか」
「うん、まだ、体の具合が良くない。
「お祖父様、私たちに何かできることがあったら、
「うん、苦しい。般若心経を上げてくれ」
「わかりました。
「あんたがあんな地獄霊をお願いするからいけないのよ。
「いやいや、本当にひどい目にあった。体が重くなって、
「先生、申し訳ありません。これからは気を付けます。どうぞ、
先生と言われる生き神様は、もうこの時は狐が憑いていなかった。
「今日は面白くない。お前たちの中に、
「誰だ。出て行け、信じない者は出て行かぬか」
「先生、私たちが悪いのです。どうぞ、許して下さい」
「あなた、初めてでしょう。先生を馬鹿にしていませんか。
「ちょっとお待ちなさい。私は別に何も思ってはいませんよ。
「だって、あなたがいなければ、
「皆さまが、
「先生は怒ると傍らにあるものは何でも叩きつけるのです。
「私はあなたに聞いているのです。
「いいえ、家ではしません」
「そうでしょう。神様が怒ったらおかしいですね。
「あなたはここに何のために来たの。もう帰りなさい。
すでに見てきたように、ここの神様は大変な神様である。
さて、高橋先生は生き神様の人となりについて調べてみた。
「お母さん、僕、
「それ本当。本当に見えるの。本当ならいいね」
「お母さん、本当によく分かるのだ。僕、
「あなた、隆元のことですが、
「うん、何とかしてやりたいと思うが、お金がない。これ以上、
「お父さん、眼さえよくなれば隆元の将来は心配ありませんよ。
「ふん、
盲学校中学の頃である。友達と悪い事を度々やり、
「隆元、お前には礼儀と言うものがあるのか。
「ふうん、俺はお前を師とは思っていない。
「何だ、この盲野郎。お前なぞ罰が当たって、
こうして隆元は師である木村八重の下を飛び出した。
(6)血の池地獄の拷問
現代人は地獄を信じたがらない。否定する理由として、
確かに、地獄絵は生きている者への見せしめであり、
大月光子(仮名)は、暗い自分の部屋で新聞を眺めていた。
「京都から、その体でよくきましたね」
光子は眩しそうに軽く会釈し、母親に抱きかかえられながら、
「死を覚悟してきましたね。しかし、心配は要りません。
「苦しくて仕方ありません。私を助けてください。
「正直言って、私にはあなたを助けることはできません。
「私はわざわざ京都から来たのです。どうか助けてください」
「お願いです。娘を救ってください。どうかこの通りです」
「私は、あなた方のアドバイザーであって、
「わかりました。よく分かりました」光子は必死だった。
「ちょっと待って下さい。あなたの心はまだわかっていません。
「あなたの肉体は、お父さん、
「はい、その通りです。私は虚栄心の塊のような女で、
「そうですね。
「あなたは死を覚悟して私の所にやってこられた。ならば、
光子は京都のある産院の一室で生まれた。
夫の一郎は寺の片隅の座敷牢で暮らしている。
澄子は若い頃、宝塚の女優にあこがれたので、
「あなたは普通の家庭の子供と違うのです。
祖父の雅之は大僧正として寺を護り、人望も厚かった。
「気違いの子、あの子と遊ぶな」と石をぶっつけられた。
「お母様、気違いの子ってどういうこと。教えて」しかし、
ある日、澄子は光子のことで祖母に相談した。
「光子の体が変です。医者に見せてもよく分からないと言う。
「あなたのような女だから子供までおかしくなるのですよ。
祖母や秋子の仕打ちは冷たく、他人以上だったが、
「何さ、平民の癖に、私は友達なんかできなくてもいい。
「お兄様、私のお父様はどこにいるの」
「お前、まだ知らなかったのか」
「そうなの、知らないの」
「お父様は、気が狂ってしまったのだ。
「お母様、光子が大変だよ」
「どうしたの、何があったの」
「お父様に事を話してくれと言ったものだから、
「光子、光子・・・・」恵一は医者を呼んで来ようとしたが、
「お母様、座敷牢にいる乞食のような人がお父様だなんて、
「あなたに本当のことを話さなかったことは悪かった。でも、
「お兄様、私はお嫁になど行けないね。
「さあね。僕なんかどうでもいいが、光子は可愛そうだよ。
光子は体が弱かったが、ずっと優等で高校にも進んでも2年の時に
「叔母様、神仏のお話を聞きたいのですがよろしいでしょうか」
「ああ、いいわよ。どんなこと・・・」
「叔母様は、神仏の存在を本当に信じていますか」
「あなた、何を言うの。お寺で育っていながら、
「私はね。あなたの年頃には、毎日のように神様が出てきて、
「その時、叔母様は怖くなかったのかしら」
「菩薩様が見えたのよ。何故怖いのかしら?」秋子は得意だった。
「叔母様、
「光ちゃんも、霊的な力があるのよ。
「でもね。叔母様。私怖いの。怖いのはどうしてかしら」
「光ちゃん、あなた仏様を怖がるなんて、
「でも。叔母様、いつも私の頭が、重い感じなの。
「それは、お父様の御先祖が、浮かばれていない証拠よ。
「わしは、そなたの父方の先祖じゃ。
「ハイ、母に伝えます」と答えた。母の澄子が、
「お前の父は可愛そうなやつじゃ。
「我は麻織姫なり。昔より、安住の場所として代々住んでいたが、
「お前たちが救われたいのなら、我らを祀れ。
「ああ苦しい。体が重い。ああ疲れた」
ある日の朝早く、澄子は拝み屋から帰ってきて、
「どうしたの、光ちゃん」
「あなたはそんなに生き神様が好きか。
「光ちゃん、どうしたの」
「うん、今夢を見ていたの。怖かった」と返事したが、
こんなことがあってから、光子は夜が待ち遠しくなった。
「光ちゃん、最近、あなたの体から異様な臭いがするわ。
「お母様、私の体そんなに嫌な臭いがするの」
「そうよ、カビのような臭いよ。どうしてかしら」
「お母様、注射で私を殺して」光子は何度も口走った。しかし、
「よく話してくれました。あなたの今までの間違いを「心の原点」
「あなたの子宮の中は、地獄界を作っています。
「あなたの驚きも無理はない。しかし、
「本当ですか」
「嘘を言ってもしょうがありません。
「失礼ですが、光子や光子の父が不幸なのは先祖の祟りと言われ、
「では、私の方から聞きたいのですが、
「よく分かりました。私達は間違った信仰をしていました。
「その通りです。
「明るすぎて何も見えない。これはどういうわけだ」また、
「大男のお化けが出た」と叫んだ。その叫びと共に、
「お前たちよ、よく聞きなさい。お前たちはなぜ、
「ああ、不思議です。私のお腹の中で何かが動き出しました。
「地獄霊との肉体交渉はどこに原因があったのでしょうか」
「光子さんは、本能的な想像をしながら寝たでしょう。
「どうしたらいいでしょう。地獄霊に謝るべきですか」
「謝ることはありません。
「思ってしまったらどうします」
「心を外に向けない事です。
「わかりました」
「それと、家に帰ったら、私の本をよく読んでください。
「すっきりしました。寺に帰ったら、
「そうですね。あなたが正法を理解し、
「よくわかりました」光子と母の澄子は礼を言うと、