高 橋 信 次 著 「悪 霊(Ⅰ)」の 要 約

 

(1)はじめに

 

 霊の世界というのは、実際には、日常生活と密接に関係している。夢を見る、直感が働く、以心伝心、噂をすれば何とやら、という事柄は、すべて霊の世界に関係がある。三次元はいわば立体の世界で、光と影の混ざり合った世界である。霊の世界はどうかというと、光と影の明暗がはっきり分かれた世界である。地獄に堕ちた霊人は自分の心を自分で縛っているので、その行動範囲は狭く、ある一定の場所に屯することになっている。例えば、墓とか家とか、自殺者の多い場所にいる。(いわゆる地縛霊になっている。)彼らはこの範囲内の3次元は自由である。

 

 私たちが心の中で、物を考えたり、思ったり、念じたりすることによって、先ほどの霊人たちと関係してくる。私たちの心は、あの世の霊人たちとツウツウなのである。つまり、テレパシーとか、透視とか、読心術、念力などの働きは、霊人たちの作用で起こるものなのである。守護霊が背後で働いて、人の心に示唆を与えたり、力を貸したりするからである。

 

 思うこと、念ずることが正しくないと地獄霊(悪霊)がその人を支配してしまう。正しくない心とは、人を憎む思い、怒り、嫉み、愚痴、中傷、足る事を知らぬ欲望などの想念行為をいう。何故、正しくないかというと、自己保存が主体になっているからである。私たちの生活は自然界の意思に沿って生活することが大事で、他を生かし、助け合う協調互恵の心が必要であり、自己保存ではない。

 

 ところが文明社会の中で育つと、内向的な人は孤独になり、ノイローゼ、精神病になっていく。反対に外交的な人は、唯物思想にかぶれ、物を主体にした考えに陥り、闘争は激化していく。この本で扱っているのは、主に内向的な人たちの姿である。高橋信次先生のところに来てノイローゼから救われた者、病気が平癒した者、様々であるが、その根本は自己保存に基づく怒りや、憎しみが発端になっている。悪霊に憑依されると、元の自分に戻ることは難しい。なぜなら、一度憑依されると、憑依の道筋が出来、その道筋を完全に塞ぐには絶えざる努力と勇気がいるからである。こうした病気にならない人は、憑依されていないかというと、そうではなく、憑依されている時間が短いというだけのことである。つまり、自己保存の強い人は、誰も悪霊の影響を受けており、鬱病にならないものは、躁病の気質を持ち、いつでも病気になりうる要素があるということである。闘争に明け暮れている者の背後には、阿修羅という悪霊がおり、それらが嗾けているのである。

 

 

(2) 呪われた家庭

 

 石田ハル(仮名)、53歳の家庭は、三代にわたって忌まわしい事件に巻き込まれ、苦悩に喘いできた。彼女の夫・亀太郎(仮名)は結婚3年目に自動車事故で急死している。事故が起こる数日前、ハルは不吉な予感が胸をかすめ独り悩んだ。夫が何かにうなされて、苦しそうに何度も寝返りを打っていた。二度と帰らぬ夫の無残な死と、呪われた石田家の供養の為、ハルは15年間、行者や新興宗教を歩き、小児麻痺の子を抱えながら、ひたすら念仏供養に生きてきた。

 

 亀太郎の父、功(仮名)は県会議員をするほど政治好きであった。彼は酒癖が悪く、酒を飲むと人が変わり暴れ出すことが多かった。功が転んだはずみで頭から池に落ち、心臓麻痺を起して死んでしまった。妻の君江(亀太郎の母)は、夫の功が急死すると、どういうわけか酒を欲するようになった。そうしているうちに、急に気が触れ出し、発狂してしまった。功が急死して1年目である。亀太郎はまだ12歳になったばかりだった。

 

 君江の精神異常は夫に似て暴力をふるうが酒が無ければおとなしかった。正月3日は朝から大雪となった。翌朝になって、君江が部屋にいないので大騒ぎとなったが、どこへ行ったか分からなかった。ひょっとしたら、雪の下に埋もれていないかと除雪した結果、梅の木を背に、うずくまって凍死していた。それも一糸まとわず裸のままで、目は一点を睨むようにして死んでいた。

 

 石田家の忌まわしい事件は祖父の代から起こっている。亀太郎の祖父・源之助(仮名)は家代々の庄屋を継ぎ、村や町の信望が厚かった。源之助がある信仰に凝りだしてから、性格が変わってしまった。信仰というより女教祖に魅せられてしまったからである。女教祖は33才の女盛りであり、40才を過ぎたばかりの彼は毎夜、そこへ通った。いつしか女教祖と同衾する仲となり、女教祖の虜となった。女教祖の元へ通うようになって1年目に、その女教祖は肺炎にかかり死んでしまった。源之助の行状は大きく変わった。酒は浴びるほど飲むようになり、酒を飲むと女を求めた。彼の手込めにあった女性は何十人にものぼった。誰一人として源之助を諌めることが出来なかった。

 

 60才を過ぎても源之助の病気は収まらなかった。源之助は功の妻・君江に近づき、功が留守中に君江を自由にしてきた。源之助の妻・トメは夫の乱交に悩んでいた。幸いなことに、この密事は、功を除いて3人だけが知ることになった。というのは、源之助が不慮の死を遂げたからである。源之助は首つり自殺したのである。警察が長期にわたって調べたが、自殺した原因はどうしてもわからなかった。源之助が死んでからトメは70才まで生きたが、それ以来、家の中は暗くなっていった。

 

 ハルが亀太郎と知り合って一緒になった時は、代々続いた大きな家はいたみ、東京に移っていた。石田家の財産は父・功の政治好きが祟り、こじんまりした家を作るのがやっとだった。ハルが石田家の呪われた家系を知ったのは、亀太郎と一緒になった時であった。でもそんなことは気にしなかった。ハルは亀太郎と楽しい家庭を築いていけば満足だった。しかし、亀太郎が交通事故で死に、残された小児麻痺の武雄(仮名)を見たとき、石田家にまつわる呪いというようなものを感じ、恐ろしくなったのである。

 

 ハルは働きながら新興宗教を転々とした。自分を納得させ、自分の心と子供の病気を癒してくれるところはなかった。どこへ行っても「先祖供養が足りない」「あなたは気が強すぎる。夫を粗末にした。感謝が不足している」ということだった。しかし、自分を振り返った時、教団が言うほど自分は人を騙し、悪いことをしたとは思わなかった。むしろ、自分より勝手気ままに生きている人の方が健康で家の中もうまくいっている。この矛盾をどう解決すればいいのだろうかと考えさせられた。

 

 ハルは、自分の信心が足りないから不幸が続くと自分に言い聞かせ、ある教団の信仰生活に入って5年目に、一心こめて念仏を上げていると、体が軽く振動を起こし、耳元で人の声が聞こえてくるのだった。「よくやった。お前はこれから幸せになる。もう心配はいらない。我は稲荷大明神であるぞ。これからは、わしの言うようにすれば、お前の不幸はきれいに払われる」 ハルは、初めて神の声を聴いたと思った。ハルはそれ以来、教団行きは止めた。ハルは武雄が寝ると、神の声に一心に耳を傾けたが、3か月するうちに神の声に乱れが生じるものを感じた。ハルが疑問を抱くと、きまって神は怒った。神は武雄がいるからお前は不幸なのだと言ったので、ハルは「あなたはいったい何者です。姿を見せなさい。あなたの言うことは出鱈目です。私は騙されません」というと、神は大声で笑いだしたが、その夜は黙ってしまった。

 

 ハルは女学校時代の友達と喫茶店で会い、その友達から霊現象にも真実なものと、そうでないものとがあると聞き、高橋信次先生の講演会場に姿を見せることになる。

 

 会場は、あるお寺の広間を使い、150人ほど集まっていた。ハルは後ろの方に座り、話を聴いているうちにウトウトしてしまった。話を聴き逃すまいと気を取り直すのだが、睡魔が襲ってくる。それは、憑依現象の特徴である。1時間余りの話だったが、高橋信次先生がハルを演壇の方に来させ、「あなたはずいぶん苦労しましたね。…あなたの後ろにいる稲荷大明神と称する狐を取ってあげます。体が重いでしょう」

 

「はい、体が重く困っています。ここ数日、夜も寝られません」

 

「そうでしょう。あなたはこれまで変な信仰をしてきたからです。体を楽にして目を閉じてください」

 

すると、急に、ハルの意識は自分の体から飛び出し、座っている自分の体を下から眺めるような格好になった。第3者には見えないが高橋信次先生にはわかるのである。同時にハルの体は、あの世の狐が彼女の意識を支配し、語り始めてくるのである。

 

「お前は誰か、名を名乗りなさい」

 

「俺はなあ、俺はだなあ」

 

「俺ではわからん。名は何というのか」

 

「誰でもいいだろう」

 

「皆さん、この女性の肉体を支配しているものは狐です。あの世の狐が、この女性を支配しています。しかも、一族郎党を連れて、何十匹もこの人を支配しています。これでは体が重くて仕方がありません。神経痛にもなってしまいます」

 

高橋先生は会場の皆さんに説明し、

 

「お前たちは、この人の心に巣をつくり、不調和な原因を作り出してきた。このままでは済まされない。さあ、この人の体から離れるか、それとも離れないか、どうする」

 

「・・・・・」

 

「私が今、稲荷大明神を呼ぶから、大明神に連れて行ってもらい、よく神理を学びなさい。わかりましたね」と言ってから光を与えた。光を与えたその時だった、黒く大きい影のようなものが反対側の方からハルの体に滑り込んできた。

 

「お前は何者だ。魔王か。お前は、この女性をどうしようというのか」と高橋先生が言うと、会場に轟きわたるような大きな笑い声がハルの口からあふれ出てきた。会場は一瞬、この笑い声に度肝を抜かれた形だった。

 

「魔王、よく聞け、私の言うことをよく聞きなさい」

 

「なんだ、なんだ」と大きな声が答える。

 

「お前は今、この人に憑いているが、この人の家庭を三代にわたって不幸をもたらしてきた。その罪は許されない。お前自身も、過去世はこの地上界に肉体を持ち、人生を学んできたことがあろう。盲目の人生を歩む人間の心を狂わせれば、その果てはどうなるかは、お前もよく知っているはずである。にもかかわらず、お前は、この女性に憑き、否、石田家三代にわたって、多くの人々を不幸にしてきた。・・・・インドの時も、お前は、私の前に現れた。あの時、お前は、罪の意識に目覚め、人々を救うと約束したではないか。ところがどうだ、この有様は」

 

ハルの意識は、この言葉を下の方からじっと聞いている。ハルからみると、黒い大きな影は、ハルの体を通して前後に揺れているように見える。高橋先生が光を与えると、魔王は、

 

「ウウッ、ウウッ」と唸った。先ほどの威勢はどこへ行ったのか。攻守所を変えたような感じであった。

 

「どうするのか。そなたも人の子であろう。人の子である以上、罪の意識に目覚め、人々を救う心がなぜ持てないのか」

 

この時魔王は、ハルの体から飛び出す格好をし、逃げようと身構えた。

 

「そなたがいくら逃げようとしても、逃げられない。逃げるなら逃げてみよ」

 

魔王の影は大きく揺れるが、ハルの体から外に出ることが出来ない。

 

「光でそなたの体を包んであるからだ。どうだ。心から詫びるか。それとも同じ間違いをまだ続ける気か。もしそうならば、私はお前をここで封印する。どうなのだ」

 

ハルの意識は、見守っている。この先どうなるのだろうかと。これまで稲荷大明神といった姿なき声の主が、自分の肉体を支配している悪魔とは、彼女には想像できなかった。さらに、悪魔だと聞き、身の毛もよだつ恐ろしい思いにかられ、震えていた。

 

「魔王、どうした。言葉を出しなさい。さあ、もう言葉が出るはずだ」

 

「ウーン。あの時、俺はまた来ると言った。あのことを忘れたか」

 

「それはお前が前非を悔い、人々を救う人間になってくるということではなかったか」

 

「・・・・・・」

 

「事実、お前は、その後、日本で生まれたではないか。魔王のままでは人間として生まれ出ることはできない。お前は日本で生まれ、ずいぶん苦労した。小さい時から艱難辛苦したお前の苦労は、私にはわかっている。しかし、その苦労がアダになり、心が鬼になってしまった。心が鬼になっては人間には救いはない」

 

「そうだなあ。あの時は苦労した」

 

「さあ、お前も神仏の子だ。動物といえども神の子だ。お前が来て、怯えている狐たちを連れ、この女性から素直に離れるのだ」

 

「俺は動物じゃない。俺は魔王だよ」

 

「魔王でも人間以下の行動をしているじゃないか。魔王なら魔王らしく前非を悔い、人々を導く神の子の自分に返ることだ」

 

「わかった。言うとおりにする。ああ、疲れた」

 

ハルの意識は、魔王が、しおらしい人間の姿になっていくのを眺め、あの世があるということを知ることが出来た。魔王は最初、黒い大きな影のように見えたが、次第にその姿を現し出すと、口は耳元まで裂け、目はらんらんと輝き、頭には角のようなものが生えていた。それが、こうして会話しているうちに、口も、目も、頭も普通の人間らしくなってしまい、不思議なことがあるものだと思うのであった。

 

「稲荷大明神を呼ぶから、そこにいる狐たちをまず出しなさい」

 

「怒られちゃうな。この間、大明神に叱られたばかりだ。困ったなあ」

 

「心配しなくていい。大丈夫だ。私からよく言っておく」

 

「はい、はい」

 

魔王と狐たちは、ハルの体から腕へ、そして指先を通って、ハルの肉体から出て行った。ハルの意識は、それまで第3者の立場で眺めていたが、魔王が肉体から離れる段になると、意識が引っ張られるようになり、無意識状態になった。ハルは無意識の状態の中で、温かい、そよ風のようなものを感じ、ある空間を、何かに支えられながら移動し、気が付いてみたときは、自分の肉体に自分自身がいるのだった。高橋先生は盛んに光を送っていた。

 

「あなたの背後に、魔王や狐が沢山いた。これは、あなた自身が人を憎んだり、嫉妬したりする心が強かったからです。そうした心で信仰をしてしまったため、いろいろな憑依霊を呼び込んでしまいました。原因はあなた自身にあったのです。あなたの心に人を愛する心があれば、こういうことにはならなかった。・・・・・幸せは自分の心が作り出します。石田家三代にわたる不幸の原因は、誰でもない、石田家三代の人々の心の在り方にあった。人の心は、善も悪も作り出すことが出来る。ですから、思うこと、念ずることは、直ちに現れることになる。・・・・石田家三代の不幸は、三代の自己保存、自我我欲、偽善に翻弄された人々の生活の記録だったのです。あなたのご主人であった亀太郎さんは、おとなしい人だが、他人に対しては非常に冷たく、いつも孤独でした。暗い家庭の中で育ち、小さい時から酒飲みの父()が恐ろしく、いつもビクビクしていた。孤独と恐怖の心が自分の心を小さくさせ、不幸を作り出した。夫を天上界に昇華させるには、あなたの心が調和されることです。正しい生活をすることです。子供さんの小児麻痺も、あなたが変わればきっと奇跡が起こるでしょう。今日から頑張ってください」

 

ハルは大声で泣き出していた。

 

 彼女はそれ以来、持ち前の強い気性から姿なき声を聴こうともしなかったし、善なる自分の心に自分の気持ちを向けるようにした。念仏もやめた。精神統一の思念の針をそれまでとは向きを変え、いつも元気に仕事に励み、家庭にあっては16歳になった小児麻痺の武雄と明るく語ることに意を尽くした。心の針を暗い面から明るい面に向きを変えただけで爽やかな気持ちになるとは自分でも気づかなかった。ハル自身が明るくなると、子供の武雄も明るくなった。足の不自由な武雄の体に回復の兆候が見えてきた。武雄は小児麻痺の為、進学が遅れて孤独だったが、今では進んで体操にも参加していた。武雄が運動会の時、二人三脚で1位入賞したため、ハルは感激と興奮から泣き崩れてしまった。ハルにとって、正しく生きる者の幸せをこの時ほど強く感じたことはなかった。新生の自分を心から神に感謝するのであった。

 

 

 

 

 

 

(3)物質文明の罠

 

 環境破壊の原因はなんであろうか? 自然の流れだったのか、それとも人々の恣意の結果なのだろうか。人々の底にあるものは、限りない欲望に翻弄されたからであり、様々な歪みを作り出したのである。私たちの心は常に愛に満ち、人々と協調協力し、互いに他を助け、敬い、安らぎのある生活を望んでいる。一寸先は盲目の人生であり、私たちの魂を育むまたとない修行の場と言える。心を中心とした生活行為を続けるならば、私たちの魂は限りなく前進を遂げることが出来るはずである。

 

 山村智子(仮名)、中学1年生。この物語の主人公である。外見からは、純真そうな顔をしており、異常な性格を見出すことはできない。だが、智子の後ろには、口が大きく裂け、乱れた白髪は肩まで垂れ下がり、目が異様に光る鬼神が寄り添っていた。智子の口を突いて出る言葉は、

 

「ざまみろ、わしはこの娘を殺してやる。お前たちをとことん苦しめてやるのだ。智子はわしのものだ。こんな所につれてきやがって、今にどうするか見ておれ」

 

 両親が悲しんでいるのに、鬼神は言いたいことを口走った。

 

「智子は、本当にやさしい子だったのですが、この様な悪態を私たちに言って苦しめるのです。どうか助けてください」

 

 母親の桂子(仮名)は、高橋信次先生に哀願し手を合わせるのだった。桂子の夫である剛(仮名)は、智子の傍らに座り、変わり果てた娘を横目で見ながら、涙を浮かべていた。

 

「奥さん、智子さんがこのような精神状態になるには、何か原因があるのですよ。その原因を除かない限り、同じような現象が起こってきます。原因を取り除くことです」

 

 高橋先生が、夫婦の顔を見ながらこう言うと、智子は、顔をゆがめながら上半身を起こし、「わしは家に帰りたい。こんなところに来たくないのに、この男と女が無理やり連れてきやがった。わしは帰るのだ」

 

 智子に憑いた鬼神は大声を上げ、喚き立てた。しかし、衰弱しきった智子の体は、鬼神といえども思うようにいかなかった。

 

「智子、お前のために、こちらまで来たのだ。お前はもう中学生、親の気持ちを少し考えてくれてもいいじゃないか」父親の剛は思い余って、智子の顔を打擲した。その勢いで智子の体は崩れるように倒れた。父親は自分のなした行為に驚き、智子の肩に手を置き、その場で泣き出してしまった。だが、智子の口から出てきた言葉は、

 

「何しやがるのだ。お前なんかに文句を言われる筋はない。俺様を誰だと思っているのだ。この唐変木が」であった。もはや両親の手におえる智子ではなかった。智子の人格は既に鬼神の手中にあり、可愛い智子ではなかった。智子の性格異常は子供の頃から芽を吹きだしていた。両親は仕事の忙しさから、智子の面倒を他人任せにしてきたし、智子の心の動きについては、観察を怠ってきた。愛情があれば、子供は素直に成長するものである。桂子と剛はそれを怠り、仕事を理由に子供の心から離れていたのである。桂子は言った。

 

「私は、姑や主人と子供のために懸命に働いてきました。真面目で悪いことなどしていません。それなのに、どうしてこんな苦労をしなければならないのでしょうか。このような災難に会う理由を教えて下さい」 彼女は涙を浮かべ、高橋先生に訴えてきた。

 

「奥さん、あなたが言おうとすることはわかります。心を落ち着けてください。今の苦しみは必ず原因があります。昔からまかぬ種は生えぬという諺があるでしょう。苦楽の種は撒かなければ生えてこない。いったいその種はどこで撒いたのでしょう」というと、桂子は首をかしげ考え込んでしまった。

 

「奥さん、あなたは人を恨んだり、僻んだり、怒ったり、愚痴を言ったり、見栄を張ったり、嘘をついたり、他人を見下したり、自分の都合が悪いと逃げ出したりしたことはないですか」

 

「それはあります。自分で自分が嫌になることがあります。愚痴はつい出てしまいます」

 

「今あなたの苦悩は、そのようなところに原因があるのです。智子さんにも同じようなことが言えるでしょう。智子さんの育った環境、教育、思想、習慣の中に起因しているのです。すべて心の在り方に問題があるのです」

 

「しかし、あの娘は何不自由なく育ったはずです。お小遣いも、着る物も、学用品も、お友達と比較して別に恥ずかしい思いをさせたことはありません。それなのに、親を親と思わぬような言葉で罵り、何が不足なのでしょうか」

 

「奥さん、智子さんには真実の親の愛が不足しているのです。愛情不足なのです。小さい時からの教育に問題があったのです。そのために本当に自分が分からなくなり、地獄霊に支配されてしまったのです。智子さんは自分の肉体を自分で支配できないのです」

 

「そんなバカなことがあるのでしょうか」と大きな疑問をぶつけるのだった。

横で話を聴いていた智子は急に、言葉も荒々しく、「もう帰るのだ、恐ろしいよ。もう帰るのだ」と喚き、這うようにしてその場から逃げだそうとした。そこで高橋先生はすかさず、

 

 

「地獄の悪魔よ、逃げようとしても、お前は逃げることはできない。こちらに戻りなさい。」と激しく叱った。智子の肉体を支配している悪魔は、高橋先生の顔を睨みつけながら元の位置に戻った。

 

「お前は智子の肉体を支配して、家族の者たちに心配させているが、それは許されないことだ。私はお前の姿を見破っている。もう観念することだ」

 

「良くも見破ったな。わしの邪魔をするな。わしはこの娘が好きなのだ。絶対に離れてやるものか。そこにいる2人は親らしいことを何一つしたことがない。産みっぱなしじゃないか。今更、何を言っているのだ。本当にあきれてものが言えない」

 

息も苦しそうにこうまで言った。だが目だけは異様にらんらんと光り、妖気を発している。それが悪魔の特徴である。

 

「地獄の悪魔よ。お前が智子を支配すれば智子はどうなる。お前は智子を不憫と思わないか。地獄界ではそれでも通るが、この地上界では通らない。お前は苦しく喘いでいるではないか」

 

「俺が苦しいって、とんでもない。面白くて仕方がない。俺様は、聴いて驚くな。俺様は鬼子母神様じゃ」 悪魔は、たいてい時代かかった言葉を平気で口走る。古い悪魔ほど、現代には通用しない時代かかったことを平気で口にする。

 

「鬼子母神、お前はいつから地獄に堕ちたのか。お前はどこで生まれたか言ってみなさい」

 

「わしは地獄界などにいない。日蓮宗の寺に祀られて住んでいるのだ」

 

「私はお前がどこで生まれたかを聞いているのだ」

 

「私はインドの神だ」

 

「インドの当時の名前は何というか」

 

「だから鬼子母神だ」

 

「嘘もいい加減にしなさい。インドの神に鬼子母神などいない。本当のことを言ったらどうだ。鬼子母神というお前は、生前、鬼子母神を信仰の対象にしていたのだろう。鬼子母神というのは、インドの時代ブッダの弟子、ハリティーと呼ばれた比丘尼の名前なのだ。ハリティーは地獄などにいない。ハリティーは気の毒な子供を拾いあげ育てていった立派な人だ。そうして、この世を去った。ところが、お前は地獄から出てきて、この娘を不幸にしている。お前のやっていることは、鬼子母神の反対のことをしている。お前は、人生において、ブッダの説かれた正しい心と行いの道を守らず、地獄界で厳しい生活をしていた。何とか地上の人間の心を支配して、智子に憑いたのではないか。お前も私の言うことを実行すれば、必ず救われよう。なぜなら人間はみな神の子だからだ」

 

悪魔は黙ってしまった。地獄霊は正しい言葉、優しい言葉が一番恐ろしいのである。

 

「神よ、私たちはこの地上界に両親の縁により、人生行路の修行を目的とした肉体舟をいただき、その魂を磨き、神の体であるこの地上界に、調和のとれた平和なユートピアを築かんがため、生まれてきました。しかし、私たちの生まれた環境・教育・思想・習慣の中から、人を恨み、妬み、誹り、怒り、愚痴り、足る事を忘れ、ある時は偽りを、ある時には盗みを、また感謝することを忘れ、報恩の行為を忘れ、多くの罪を犯してきました。今、私たちは正しい片寄らない中道の道を心と行いの物差しとして生活します。今までの罪をお許しください」

 

「この智子を支配している地獄の霊よ。お前たちにも自分自身に嘘の付けない心があろう。その心こそ神の子の証なのだ。この智子の体を支配して、混乱させ、家庭に心配をかけることは、神の子のなすべき道ではない。これ以上、罪を犯してはならない。何故、地獄に堕ちたのかは、お前たちが、この地上界で生活した時に、自分本位の欲望のままの人生を送ったからである。自分の心の中に暗い曇りを作り出し、神の慈悲の光をさえぎってしまった。今までの過ちを反省し、間違いがあれば、心から神に詫びなさい。その時にお前たちの心の曇りが晴れ、安らぎのある神の光に満たされるのだ。さあ、智子の心と肉体から離れなさい」

 

祈りを終えると、智子の体に振動が起きた。支配していた地獄霊が抜け出したので、智子の意識は呼吸困難となり、意識不明の状態が続いた。間もなく意識が戻り始め、智子の幼い顔が蘇ってきた。

 

 桂子は1953年、美容師として、その技術を磨いてきた。若い桂子が技術を習得しているとき、近くに来て励ましの言葉をかけてくれる青年()がいた。剛は町の小さな会社に勤めており、経済的には恵まれていなかった。しかし、桂子は美容師という仕事に自信があったので、剛の人柄がすべてであった。やがて二人は結婚した。しかし、剛の両親の意地悪にあい結婚生活は暗い日々の連続であった。桂子は自分の店を持ちたかった。桂子は良い嫁になろうと必死だったが、姑は反って反感を募らせた。姑の心は剛を取られたという気持ちで一杯で桂子が憎くて仕方がなかった。桂子の毎日は重労働で朝早くから夜遅くまで美容院勤めで、家に帰れば、剛の弟、姑夫婦の洗濯物が待っており、食事の世話どころではなかった。剛は桂子の忙しい毎日を見ていながら協力しようとはしなかった。桂子が姑から罵られても仲に入ろうともしなかった。中に入ればかえって母親の感情を刺激し、桂子との仲を裂いてしまうと思ったからである。剛も桂子も、稼いできた金は残らず姑に渡した。このため桂子は自分の化粧品や衣類も買うことが出来なかった。そればかりか、姑は実入りが少ないと言って、桂子を叱りつけるようになった。桂子に対する姑の憎しみは激しくなり、桂子の食べ物まで家族と差別するようになった。桂子は泣きながら剛に訴えた。剛は「自分は長男だし、この家を出ていくわけにいかない。もう少し辛抱してくれ」というと、剛の言葉を障子越しに聞いていた姑は「剛、お前は男だろう。嫁に唆されて家出するつもりか。お前をそんな弱虫に育てた覚えはない。嫁の言いなりになるお前なんか、もう見たくない」といい、姑は2人が寝ていた布団を引き剥いでしまった。さすがに剛も我慢できず、母親に初めて反抗の言葉を吐いた。「お母さん、何をするのです。私達のことを干渉することはないでしょう。部屋から出て行ってください」すると、母親はいきりたち、「お前は嫁とグルになって私に出て行けというのか。お爺さん、私たちに嫁が出て行けと剛に焚き付けているのですよ。お爺さん、何とか言ってください。本当にひどい」目を吊り上げて、怒りのやり場を失った母親は、若夫婦と奥の部屋を交互に見回しながら興奮していた。お爺さんと呼ばれた義父は、姑と一緒になってすでに30年も経つが、妻の性格には手を焼いていた。「婆さん、子供たちの部屋まで行って、文句を言うことはないだろう。若い者のいいようにしてやればいいだろう」

 

「あんた、パチンコばかりやって、家のことなど考えたこともないくせに、子供たちと一緒になってこの私に注意しようというのですか。あんたのような能無しでも私だから一緒に暮らせたのだ。この意気地なし」「婆さん、お前は何ということを言うのだ。もう一度言ってみろ」「なんだ、この意気地なし。嫁や息子に頭が上がらないくせに、偉そうな口をきくんじゃないよ。何度でも言ってやる、この意気地なし」嫁いびりから今度は老夫婦の喧嘩となった。こうした言い争いは年がら年中だった。

 

 桂子は妊娠していた。もう5か月だった。子供を産んだらこの家を出たい。主人が反対してもこの家にはいたくない。残された子供はかわいそうだが、そうするより仕方がないと覚悟を決めていた。桂子は千葉にある新興宗教の門をたたいた。そして信者となった。姑との苦しい争いは、すべて過去世からの業がさせているのだ。すべては消えていく姿として、常に自分に言い聞かせ、自分を慰めることで苦悩に耐えてきた。やがて長女が生まれた。「嫁は憎いが、孫は可愛い」と言いながら姑は孫に対して特別可愛がった。次いで男子が生まれ、次女もできた。一度は離婚を決心した桂子であったが、剛の優しさ、姑の孫の可愛がりようが、桂子の心を落ち着かせることになっていた。孫たちにとっては、姑は良いお婆ちゃんであったが、老夫婦の口汚く争う生活は孫たちの心の中に、暗い影を落としていった。

 

 桂子は働いた。火曜日が来ると、多忙な時間を割いて千葉の生き神様の元に通った。この頃には老夫婦とは別居していた。働いた金で自分の美容院を経営するようになり、生活も楽になっていた。しかし、3人の子供は実家の姑の家で養育されていた。姑は孫たちに決まってこう言った。「お前たちの母親は、私たちを放り出して、一つも面倒を見てくれない。あんな母親はないよ。子供たちを私に預けて勝手な事ばかりしている。本当にお前たちの母親は悪いのだよ」長女の美智子(仮名)はお婆ちゃんの言葉を信じていた。次女の智子も小さい時からお婆ちゃんに育てられたので、桂子を信用しなくなっていた。桂子が実家に帰り、お菓子や洋服を持ってきても冷たい目で母親を眺める子になっていた。桂子が帰ってしまうと、また姑の愚痴が口をついた。「お前たちの母親はだらしがない。自分の好き放題のことをしている。お前たちの父親は可愛そうな男だ。母親の尻に敷かれてこの家にも来ない。とにかく悪いのは母親だよ」

 

 姑はこうした悪口を子供ばかりか他人にまで話した。次女の智子にとっての災難は姑夫婦の争いの中で成長したことであった。彼女の心は、知らぬ間に歪み、人を憎むのが当たり前のようになっていた。

 

 桂子は千葉の生き神様に、休みのたびに通い続けた。世界平和を祈ることによって自分を救いたいと狂信していった。ある時、智子の眼を見たとき、桂子は震えあがった。他人でもこんな眼を向けないのに、どうしてあんな娘になったのだろうと思ったのである。桂子は世界平和を心の中でつぶやいたが、智子の異様に光るまなざしは一向に収まる気配がなかった。桂子は、世界平和の祈りに初めて疑念を抱いた。いくら祈っても姑ばかりか、智子までもが桂子を敵視する。桂子はふと思った。自分を救う者はやはり自分でないだろうか。いくら祈っても観念の遊戯に陥る自分を見ると、祈りの神示はどうも勝手が違うようである。家庭の平和が出来ないのに、どうして世界を調和させることが出来よう。祈りの言葉にも矛盾が感じられた。家庭の調和は対話から始まる。愛情ある対話が子供の成長を助け、明るい家庭の基礎となろう。桂子はこう思うと、千葉行きを止めた。だが、智子の病気は抜き差しならぬものになっていた。

 

 智子は病院でビタミン注射をしてもらったが、回復は意外に早く、血色もよく、先ほどのようなどす黒い廃人のような顔つきが消えていた。

 

「智子さん、気分はどう」

 

「何か重いものがとれたようで、すっきりしました。お父さん、お母さんすみません」と素直な子供に返っていた。心の動きが、暗い世界にも、明るい世界にも、すぐ通じてしまうからである。

 

「智子さん、私の言うことをよく聞いてください」

 

「はい・・・・」

 

「智子さんは、お母さんを信じていませんね」

 

「はい、信じていません。母とは名ばかりで、私はお婆ちゃんに育てられたので、母は信じません」

 

「智子さん、手を出してごらん」 高橋先生は智子の右手を人差し指を軽くつねった。

 

「痛い」 今度は親指をつねってみた。

 

「痛い」

 

「智子さんの5本の指は、つねれば痛いでしょう。何故でしょう」

 

「・・・・・・」

 

「つねればどの指も痛い。あなたが生まれて今まで来られたのは誰の力ですか。お腹を痛めて生んだお母さんは、智子さんのことを可愛いのですよ」 智子は黙ってしまった。

 

「智子さん、どう思う。あなたをここまで連れてきたのは誰ですか。お母さんでしょう。そしてお父さんです。あなたを心配して連れてこられた・・・・・」

 

「だけどお母さんは、私のことを思ってくれていません」

 

「それはおかしい。あなたは小さい時から他人の悪口ばかり聞かされてきたために、人を信じることが少なくなってしまったからです」

 

「はい、お婆ちゃんは他人をほめたことがない人で、他人を口汚く罵ります」

 

「智子さんは、小さい時からおばあちゃんの暗い言葉にすっかり心の中に毒をため込んでしまった。わかりますか」 

 

「智子さん、お母さんは仕事に追われて今日までやってこられた。そのために智子さんと楽しく話をする機会がなかった。それだけにお母さんの愛が分からなくなってしまった。人を許すということも大事な愛だということを知らねばなりません」

 

「・・・・」

 

「智子さん、ここ4,5日は自分であって自分ではなかったでしょう」

 

「わからなくなったのです。寒くて、寒くて、体が重くて、自分の体なのに自分で自由にならなかったのです」

 

「東京の私のところに来ることは知っていましたか」

 

「私は、どうしても来たくなかった。私の心の中で、行ってはいけない、行ってはいけない と聞こえてくるのです。そうして行ったら殺してやるという声がするのです。だから怖くて、怖くて・・・・」

 

「そうでしたね。智子さんを支配していたのは地獄の悪魔だったのです。その悪魔がここに来ることを邪魔した。わかりますか。今、体の具合はどうですか」

 

「だいぶ気分もよくなりました。体が自由にならなかったので、私は死んでしまうのではないかと思っていました。来てよかったと思います」

 

父親の剛、それに母親の桂子はこの対話の模様をじっと聞いている。

 

「どうして、智子の口調が私の母に似ているのでしょうか」 剛が不思議そうに聞いた。

 

「それは、お婆ちゃんにとっては、智子さんは可愛いし、お婆ちゃんの悪心である恨みと嫉妬の心が魔界に通じ、智子さんの心の中にもそれが通じていたからです。しかし、温かい豊かな心があれば、お婆ちゃんに憑いている悪魔は智子さんには憑依することが出来ないのです。ですから、心に恨みや妬み、怒り、自分さえよければよいという自己保存の心は恐ろしいものです。心は非常に精妙にできており、思うことも、片寄ってはいけないのです」

 

智子も桂子も剛も、高橋先生の説明に納得したようであった。智子の頭の周囲を淡い光が覆い始めていた。高橋先生の言葉に納得が出来た証拠であった。頭部に光が出始めると、心が調和された証拠である。その心が再び暗い思いに転換し、憎しみや怒りに変わると、地獄霊に支配される。事実、その後、1か月ほど経ってから、智子は再び精神異常をきたしていた。智子はふとした隙にお婆ちゃんの所に行ってしまい、「智子、お前も私を捨てていくのか、本当に恩知らず、親子そろって私を捨てていく。お前は桂子から入れ知恵されたね」と言い智子は返事のしようが無かった。やがて、智子はお婆ちゃんが可愛そう、と考え込むようになり、眠れぬ日が続いた。そのうちに智子の意識に悪魔が再び乗り移り、ついに分裂病という最悪の状態を迎えるに至った。

 

 

 

(4)信仰の落とし穴

 

「信ずる者は救われる」の言葉は神理である。だが、この言葉を鵜呑みにすると危険である。真に信ずるということは、自分の生命を投げ出さないと本当の信にはつながらない。信仰は間違うと、狂信、盲信になりがちであり、自分を失ってしまう。そのようにならないために正しい法を柱として、その心と行いを正していかねばならない。

 

 他力信仰は、病気直しや生活苦を救済しようという御利益信仰がほとんどであり、教祖やその取り巻きの食い物にされる場合が多い。「信ずる者は救われる」の信は、自分の中にある正しい心、嘘の付けないその心を信じ、生きることであり、うまい話には必ず大きな落とし穴がある。

 

 1974年1月、九州の宮崎市郊外の公民宿舎で、300人近く希望者によるGLA主催の研修会が開かれ。二泊三日の研修会の参加者は、九州地方を中心としたGLA会員である。そのほとんどはなんらかの信仰を持ち、いわば信仰体験者であった。彼らの多くは、御利益他力信仰であり、神仏の実態を知らない宗教指導者によって、あるいは肉体業を続けていた者、あるいは先祖供養に明け暮れた者、題目闘争に身をすり減らした者などさまざまであった。それだけに真実の信仰を知りたいと思う心も人一倍強いようであった。参加者の8割は不調和な地獄霊と交渉を持っている気の毒な人々であった。ある女性は、心の曇りを除くことなく神想観に夢中になった為、地獄霊に支配されていた。このため、廃人同様であった。また、法華経の行者となり、先祖供養の意味も知らず、肉体先祖に憑依されている者もいる。自分の耳元で地獄霊のささやきが聞こえ、自分を失った者も何人かいた。

 

 山田友子(仮名)は、夫や子供をつれ、はるばる神戸からここにきている。友子は法華経による先祖供養を主体とした宗教団体の熱心な信者であった。20年以上にわたる信仰歴を持っており、彼女の下には彼女に折伏された多くの会員がいた。友子は法華経こそ絶対無二の正法であると信じ、信仰のない生活は1日とてなかった。そんな友子がふとしたことから、高橋先生の本を読み、自分の歩んできた道がしっくりこないと感じたからである。友子は勇気をもって高橋先生の門をたたいた。一人では来られなかったので夫の久雄(仮名)の介添でやってきた。会場には多くの人たちが集まっていた。前の宗教での神の罰が当たるのではないかという考えが脳裏をかすめるのだった。友子は久雄に頼んで夕食後、高橋先生の居室を訪ねてきた。

 

「私の足は、入院しても治りません。痛いので退院もあきまへん。今日はこの足が治るか治らないか、はっきりすればそれでいいのや。よろしくお願いします」

 

友子はこう言って挨拶した。高橋先生の目には背中から腰、足の関節にかけて、地獄霊が憑いているのがはっきり見える。不自然な信仰をしていると、血色が悪くなる。友子の傍らにいる地獄霊は、魔王である。この魔王が友子の心と肉体を支配すると、人格が変わり魔王になってしまう。これを防ぐには友子自身が高橋先生に絶対の信頼を寄せなければならない。そのために何か現象を友子に見せなければならない。

 

「山田さん、よくきましたね。今あなたの足を治してあげます。どうぞこちらに来てください」部屋の中に入れ、楽な姿勢で座ってもらった。

 

「山田さん、あなたは竜神様を拝んだことがあるでしょう」

 

「はい、身延山の七面山へは修行に行きましたが、それがどうしましたか」

 

「あなたの足は、動物霊に憑依されています。それはお医者さんでも治せません」

 

「へえー」友子は不思議そうに高橋先生の顔を見た。高橋先生は関節に憑依している動物霊を除いた。どうして除くことが出来るかというと、心が光明に満たされている限り動物霊は憑くことが出来ないからである。関節に憑依している動物霊は蛇だった。友子のように、あの世の蛇が関節に巻きつくのは人を呪ったり、怒ったりするからである。つまり、人の心は、この世とあの世を同時に、合わせもって生活している。友子の関節に巻き付いている蛇は、この地上界の蛇と違わないが、その在り方がまるで違うのである。友子は高橋先生が何かをつまみ出すような仕草を不思議そうに見ていた。

 

「山田さん、いかがですか。もう除きましたから、自分で確かめてください」

 

友子の心はまだ不安であったが、立ち上がり歩いてみた。

 

「ああ、奇跡や。お父さん、ほんまに痛く無いや。歩けるわ、ああ不思議だ」

 

夫の久雄は妻の奇跡を眺めて目を丸くした。

 

「山田さん、あなたが不調和な心を持てば、別の地獄霊が来て、あなたの肉体の弱っている部分にまた憑依しますよ。あなたの心の在り方を正すことが大事です。正しい法を心と行いの物差しとすることです。」

 

「へえー、わかりました。不調和な心とはどんな心ですか、教えて下さい」

 

「あなたは法華経を学んでいますね。法華経がちゃんと教えています。怒り、愚痴、誹り、妬み、恨みの心です。嘘も他人を傷つけるでしょう」

 

「へえ、そんなことですか」

 

「あなたは、そんなことかと簡単に言われるが、難しい事ですよ。怒りを持たないというだけでも大変難しい。悪は思ってもいけない。こうなると、あなたにはできますか」

 

「私は、すぐ感情的になってしまう」

 

「そうでしょう。自分に都合が悪くなるとつい他人に強い言葉が出てしまう。そして自分の心の中を炎で燃やし、他人の心に毒を作らせてしまう。怒りに燃えて自分の都合だけで怒りだすと、心臓は早鐘のように鼓動します。こうした時には、正しい判断が出来ないばかりか、心の平安を乱してしまう。あなたはそんなとき、正しい判断が出来ますか」

 

「怒っている時ですか」

 

「そうです」

 

「それはできません」

 

「そうでしょう」

 

「私は感情をむき出しの生活だった。これはいかん」

 

多くの信者を導いてきただけに、友子は能弁であり、はっきりしていた。友子の横に座っている彼女の夫が、高橋先生の顔を見て、

 

「愚痴はどうして悪いのですか。心の中のしこりを取るには、これに限ると思っていました」

 

「愚痴は自分の欲望が満たされない時に出るもので、これは心の中に垢を作り出し、他人の心にも、毒を食べさせることになる。また、自分の非を他人に転嫁しており、これでは平和な心は得られない。愚痴の原因は必ず自己保存によっている」

 

「理解できません。自己保存まで否定されては、人間生きていかれないのではないですか」

 

「自己保存というのは、自分さえよければ他人はどうでもよいという心です。こういう人たちが地上を覆うと、天変地異を起こす原因になります。人間社会はもともと調和していかねばならないように仕組まれている。大自然を見てください。太陽があり、この地上には動物・植物・鉱物があって、互いに補い合い、助け合って生きている。これらの一つが欠けても全体の調和はできない。大自然界は常に他を生かすことを前提に成り立っている。別の言葉で言うと愛なのです。自己保存は独りよがりで、他を省みない心です。これでは自分を滅ぼすことになります。大自然界は人間の生活の在り方を無言のうちに教えています。生かされているということについて、私たちは感謝を持って表すことが必要です。これが報恩行為です。報恩行為によって正しく輪廻するのです」

 

久雄は高橋先生の話を黙って聞いていたが、心の中でこれこそ真実だと思った。彼は友子に「お前、今までの信仰こそ絶対と思っていたが、とんでもない遠回りをした様だ。もう一度出直しだ。本当に来た甲斐があった」

 

「本当に、私の体が軽くなり、足の痛みは忘れたように取れました。ありがとうございました」

 

二人は頭を軽く下げると部屋を出て行った。

二人には娘がいた。名は君子(仮名)といった。君子は結婚しており、夫と二人で両親に連れられて研修会に来ていた。二人が高橋先生の部屋を訪ねてきた時、姿を見せなかったが、高橋先生には彼女の後ろに魔王が憑依しているのが分かった。その魔王は、不思議なことに母親の友子に憑いていた同じ魔王であった。これまでに二人の間を行ったり来たりしていたようである。母娘の心の状態で、二人の間を渡り歩くのである。顔は夜叉そっくりで、般若の面を想像すればよい。色は蒼白く、眼は大きく飛び出し、赤く燃えている。服装は行者の白装束である。背後にこの様な魔王が存在するということは、母娘の心が正しくないからであり、魔王の心になったからである。間違った信仰に入ると、魔王や動物霊に憑依されやすい。なぜなら、間違った方向で心を統一すると、

 

魔界の生物と同通してしまうからである。怒りや愚痴の心を持ったままで統一すると、自己保存の心が魔王やその配下の動物霊の憑依を受けやすくなる。したがって、憑依された人は、善悪の区別がつかなくなり、独りよがりの感情のままに生活が流されてくる。家庭の平和など考えられず、言行が不一致となり、矛盾した生活が激しくなってくる。

 

 朝夕に仏壇に向かってあげる題目も、魔王の波動に合わせるための想念の振動となり、自分を失う機会が大きくなってくる。つまり、題目は関係なく、一つの精神統一であり、心を曇らしたままで精神統一をすると、曇りのままの結果しか出てこない。題目をいくらあげても効き目はない。他力本願の恐ろしさは、盲目的信仰にある。指導者の心に不純なものがあると、この傾向は顕著なものになってくる。たいていの指導者の背後には、古手の魔王が憑いているため、信者は罰の恐ろしさにますます心を小さくし、身も心も指導者に売り渡すことになっていく。信仰すればするほど、不安と矛盾が広がるが、疑問は背徳につながり、他力信仰にとって疑いはタブーである。

 

 他力信仰の落とし穴は、自分から安心を得たものではなく、与えられたものだけに自己陶酔に陥りやすく、真の平安は得られないようにできている。選民意識に自分が酔い始めた時には、真の信仰は影が薄れてしまうのである。なぜなら、選民意識は驕る気持ちが心の底にないと起こらないものなので、信仰とは関係なくなる。

 

 他力信仰に対して、一方の極に、神を認めない唯物思想がある。彼らの生活は人間も物の一形態と見ているので、生活の不平等を是正するには動物界と同じように闘争に訴えるしかないと考える。このため、闘争と破壊が唯一の手段となり、常に混乱と憎悪の生活を繰り返すことになる。彼らの背後には、阿修羅が跳梁する。闘争を繰り返していると、権力欲が芽生え、口と心が離れたものになってくる。もともと争いにしか訴える手段を持たぬ論理で組み立てられているので、こうした運動者の心は平安を得ることが出来ず、次第に落伍者という形で離れていく。平和が目的ならばその手段も平和でなければならない。

 

 人間にとって、真に安らぎのある生活は、中道を根本とした八正道を、心と行いの物差しとする自力の道しかない。八正道を尺度に、これまでの人生行路において、犯した罪について、神に詫びている人々の体からは、薄黒い煙のようなスモッグが出ている。これは心の中の不調和な想念の曇りを吐き出しているのである。ノイローゼで自分の心を地獄霊で支配された者は、自分の丸い心を想像させ、本来の自分に帰るための方法を高橋先生が個別指導した。心が比較的安定しているときに、反省することが大事である。反省が出来てくると、地獄霊が本人の心に憑依できなくなるからである。

 

 君子は何も反省することもなかった。うつらうつらと居眠り、時折自分に戻ると、姿勢を正し正面を向くが、また居眠りを始める。

 

 反省の時を終えた。高橋先生は君子を相手に霊現象を現して見せることにした。

 

「君子さん、私の話が分かりましたか」

 

彼女は面食らって言葉も出ない。君子の眼鏡の奥の眼は怯えているようだった。

 

「君子さん、あなたは法華経の題目を唱えると、守護神があなたの体を通して語るのではないですか」

 

「ええ、守護神が出ます。厳しい修行を積んできた私だからね」

 

守護神の話をすると急に君子は得意になった。そして高橋先生の方に眼を据え、じっと見た。その眼は射抜くように鋭い。厳しい修行をしてきたせいか、年以上に見える。だが、彼女の心には魔王が支配しており、心はいつも安定を欠き、増長慢と怒り、支配欲に揺れている。

 

「君子さん、いつも出てくる守護神を出して下さい」

 

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・・」

 

君子は忘我の状態を仏教でいう「空」に違いないと思っていた。題目は繰り返し唱えられた。魔王は題目の波動に乗って吸い込まれるように彼女の意識を支配していた。

 

「ワッハハハ・・・、ワッハハハ・・・」 ドスの利いた笑い声が急に彼女の口から漏れ、会場いっぱいに響き渡った。

 

「魔王、お前は魔王だな」

 

「なんだ、なんだ、それがどうした」 君子の口から出る言葉は女性ではなく男の声である。

 

「お前は山田家の守護神と言っているが、本当か」

 

「その通りだ、山田家の先祖代々の守護神だ」

 

「守護神ならなぜ家族を病気にしたり不幸にしたりするのだ」

 

「それは先祖の供養が足りないからだ。懺悔が足りないからだ。」

 

魔王は一人で得意になっている。

 

「供養とはどういうことか」

 

「先祖に良い戒名を贈り、題目を一生懸命に唱えることよ」

 

「それが供養か」

 

「そうだ」

 

魔王は君子の体を左右に振らせ、前後にも振らせている。イライラしているようだった。

 

「山田家の守護神が地獄に堕ちているのに、先祖供養とはどういうことか。地獄に堕ちているものに功徳を教えることがどうしてできよう。お前自身、なぜ地獄に堕ちているのか、それを知っているか。お前は守護神でもなければ、ただの地獄霊ではないか」

 

「ばれたか・・・・」魔王は見破られたせいで、急にうつむき加減になった。

 

「魔王、どうした。急に元気が亡くなったようだが」魔王は何も言わず黙っている。

 

「魔王よ、よく話を聴くのだ。地上界の親たちが自分たちの育てた子供を憎いと思うだろうか。いないはずだ。亡くなった肉体先祖だって、自分の子孫が不幸になることを喜ぶ者はいない。もし、不幸を喜ぶとすれば、それは人生において欲望のままに生き、足る事を忘れ去った人非人ということになる。地獄に堕ち、地獄の苦しみに耐えられなくなって、同じ不調和な地上界の子孫に憑依する者は先祖でもなんでもない。…自分を本当に愛するなら、人の不幸を喜ぶようなことはできないし、人の心に入って、その人の一生を台無しにするようなことはできないはずだ。お前にもこの程度の道理ならわかるだろう。どうだ、魔王よ」

 

この時、魔王は逃げ出そうとする。

 

「魔王、お前は逃げられない。そこにいなさい」

 

「だから、俺はこんなところに来るなと君子に言ったのだ。それなのに、この女がきやがって・・・」 今度は君子のせいにしている。

 

「魔王、両親に孝養を尽くすとはどういうことか知っているか。私たちは両親から肉体をいただいた。地上界で修行できる肉体をいただいた。そうして立派に育ててくださった。そ恩に報いるには、精神が健全で、肉体は健康であり、さらに、経済的にも安定した調和された毎日を送る事ではないか。亡き肉体先祖に対しても、これと同じことが言えるのだ。健康で心は明るく、調和された家庭環境を作ることが、立派な先祖供養になるのではないか。・・・・法華経の意義をよく理解して生活するならば地獄などへ堕ちることはない。お前たちも救われたいなら、なぜ自分が地獄へ堕ちたのかその原因を反省したらどうか」

 

「ウム…。反省・・・。そんなもの当の昔に忘れた」魔王はいくらか聞く耳を持っていた。

 

「魔王、お前はこの女性を自由に支配することはできないだろう。どうだ」

 

「悔しい。もうこの者は、わしの自由にはできない。正しい道を知ってしまったらどうにもならん」

 

「魔王、お前も正しい心と行いを実際にやってみればいいのだ」

 

「俺はダメだ。仲間に邪魔される」

 

魔王は胸をかきむしるように泣き出してしまった。しばらくそうしているうちに、魔王の後方に一段と大きい黒い影が近づいてきた。高橋先生は大魔王だと直感した。その刹那、大魔王は君子の体を支配してしまった。君子の体は小さく振動した。山田家の守護神を名乗る地獄霊は、この大魔王に外へ放り出されてしまった。

 

「お前は誰だ。名を名乗りなさい」

 

「わしは、薬王大文大菩薩」 先ほどの魔王と違っていうことが大振りである。地獄界にも組織があって、その組織を牛耳る大魔王のような風格がある。

 

「薬王大文大菩薩とやら、お前はいつ地獄界に堕ちたのだ」

 

「わしは、地獄界などに堕ちてはいない。わしは大菩薩だ」

 

「大菩薩とはなんだ。光の天使という者はもっと謙虚で人前で反り返って威張るようなことはしない。私はお前の姿をこの目で見ているのだ。お前は日蓮宗の行者ではないか。何も悟ることなく動物霊に支配されて地獄界に堕ちてしまった。多くの人々を迷わせてはならない。お前が本当の大菩薩ならブッダの時代のインド語を語ってごらん」

 

「そんなもの、とうの昔に忘れた」

 

「そうだろう。地獄に堕ちて心まで腐らしてしまったのだから…お前は信者から集めた多くの金をどうするのだ」

 

「それはわしの物だ」

 

「地獄界でそれをどう使うのだ。使いようがないではないか」

 

「それは女だ。女だ・・・。」

 

君子の大魔王はかき集めた不浄な金を自分の懐に入れる仕草をして見せる。地獄界に堕ちた霊は単純で普通より頭が劣っているとみられがちである。これは霊界では思ったこと行ったことがストレートに現れてくるからである。現象界では時間の壁があり、思っても現象がすくに現れないので、誤魔化しがきくが、霊界では心のままの世界が現れてしまうので悪い心の人は地獄界が実現してしまうのである。

 

 君子を支配している大魔王は、仏教を知と意で学び、人の心の根本を理解していないため、自己保存の欲望がむき出しになっていた。大魔王は、密教を学んでいるので、高橋先生の動きを封じるため、密教の手刀を持って切りつけてきた。高橋先生は即座に、両手を魔王に向けて、神の光を投げ与えた。すると、魔王は口をパクパクさせながら、念力は空を切り、その力を失ってしまった。

 

「魔王どうした。お前は法力があると思っているようだが、お前の法力にはなんの力もない。口もきけなくなったではないか」

 

「ウー、ウー」魔王はただうなっていた。

 

「お前は今どこにいるのだ」

 

「ウー、ウー、真っ暗で何も見えぬ」

 

「魔王、お前が怒る程自由を失ってしまうだろう。心を静めて正しい法につくことだ」

 

君子の肉体は、魔王が占領しており、魔王の苦しみは君子の苦しみに通じている。高橋先生はこの魔王を改心させたいと願ったが、君子の体が心配になってきた。

 

「魔王、お前はこの女性の体から外に出なさい。」

 

こう言った途端、君子は座ったままドスンと倒れてしまった。魔王が君子の体から抜け出す時、君子の意識を持って行ってしまったのである。君子は失神状態になり、呼吸困難を起こしている。高橋先生は君子の心臓に光を与えた。掌で温めればすぐに戻ることが出来る。

 

「ああ、体が非常に軽くなりました。肩の凝りもなくなりました」

 

君子は自分の意識が戻った。顔色も赤味がさし、若々しい女性に戻っていた。一度、魔王の意識とコンタクトをした人々は、不調和な心になると、魔王が再び寄ってくる。このために、魔王の波動を断ち切る努力が必要である。私たちの生活の基本は家庭にある。家庭がすべての出発点である。真の信仰は正しい法則に従って、心と行いを正す生活にある。苦しみや悲しみの減少が出てきたならば、立ち止まってその原因を取り除くことが大事であり、二度と同じ過ちを犯さないようにすることが信仰なのである。

 

 

 

(5)人の心の不思議

 

 心こそ本当に自分自身である。人に心は、どこへでも自由に行くことが出来る。あまり自由すぎて危険も潜んでいる。思うこと、考えることは自由であるが、その事由に中にも厳然とした法則がある。この法則を無視した時から、人々に心の中に苦悩を作り、小さな自分を生み出してしまった。その証拠に、この地上界はエゴと欲望が渦を巻き、争いが尽きない。私たちの心は、肉体を背負った時から、中道という神の子の本性を現していかねばならない。その中道の本性は常に善我に裏打ちされている。五官を通して様々なことを思うもう一人の自分は、この善我のもとにあるにもかかわらず、次第に、その善我を心の奥へ押しやり、五官に基づく我(偽我)が心の中心を占めていくようになる。偽我の自分は自己本位である。欲望に翻弄される。「自分さえよければよい」という考えが社会を覆い、地上は混乱に輪をかけることになる。物質中心の思想が生まれ、人々はますます真実が不明になってくる。

 

 1972年12月、高橋先生のところに幼い二児を連れた若い婦人が訪ねてきた。一見しただけでも生活苦が体全体からにじみ出ていた。

 

「奥さん、よく私の所へ来ましたね」

 

「はい、親戚の叔母が一度相談に上がりなさいと何度か言われましたので、お伺いしてしまいました。失礼とは思いましたが、叔母の手前もありましたので」

 

「奥さん、無理して来たのですね」

 

「・・・・・」

 

「まあいい。せっかく来たのだから、来た甲斐が必ずありますよ」

 

「どうもすみません」 頭を軽く下げたが、そっけない返事であった。高橋先生はこのままだと、一家心中を選んでしまうと思い、

 

「奥さん、生きることは大変でしょう。今に環境に負けてはいけません。このかわいい子供たちの為にも」

 

「そうです。この子供たちのことを考えるとしっかりしなくてはと、自分を叱咤しているのです」

 

この婦人は虚栄心の強い性格である。自分の生い立ちや、教養というものに心が縛られ、自分の心を裸にすることが出来ないでいた。婦人の名は山崎弘子(仮名)、24歳。弘子は中央線沿線の高級住宅地で生まれた。父は有名病院の外科部長をしており、長女として恵まれた環境の中で成長した。子供の頃は明るく素直で、学校の成績も上位にあった。進学もトントンと進み、有名私立大学の夢も叶い、のびのびと大学生活を楽しんでいた。同じ大学に山崎佳一(仮名)という同級生がいた。彼はおとなしく無口な学生であったが、成績は抜群で将来が嘱望されていた。彼の父は大学の教授であり、佳一の希望いかんでは大学に残り学者になれるかもしれなかった。弘子はその佳一に親切にしてもらい、わからないことがあると彼から教わった。こんなことから、弘子と佳一は学園でも評判になった。佳一の両親はそんな交際があろうとは全く知らなかった。佳一も弘子の事は家では一切語らなかったからである。佳一の父親は学園でも噂を耳にしたとき、烈火のごとく怒った。学生は勉強が第一で弘子との交際は断じて許さないと申し渡した。佳一の家庭はエリート家庭であり、厳格な父に一言言われると、心臓までピリピリした。佳一は父の叱責を受けると、それに反駁することが出来ず、ますます孤独に陥った。佳一は両親に隠れて弘子と交際した。佳一は一流企業に就職した。そして弘子と結婚し、新しい人生のスタートを切った。両親の反対を押し切っての結婚であるので、経済的負担が重荷になった。そのうちに子供が生まれ、二人目の子供もでき、海外出張が重なると、仕事と家庭の重荷が佳一の肩に食い入るようにのしかかってきた。佳一は強度のノイローゼになった。夜は眠れず、昼間は頭が重く仕事どころではなかった。佳一は会社を休むことが多くなり、医者に行ってもノイローゼは良くならなかった。佳一の心には両親に対する反発が大きな輪を描いて動いていたのである。しかし、弘子には夫の心が分からない。無口な夫をどうすれば快活にできるかわからなかった。こうして弘子は高橋先生に事務所を訪ねてきたのである。

 

「あなたのご主人は、ノイローゼのようですね」

 

「はい、強度のノイローゼになっています。主人の病気は治りますか」

 

「会社は休職中ですね」

 

「そうです」

 

「精神科の医者に通院していますね。医者は何と言っていますか」

 

「精神疲労だと言っています。精神安定剤と胃の薬をいただいています」

 

「今のところ、それ以外に方法はないと思いますね」

 

高橋先生は弘子の件は夫を交えないと解決がつかないと思い、一度彼女に家に帰ってもらうことにした。それから数日後、佳一を連れた弘子が現れた。痩身の佳一の頭部は白くボンヤリして見え、地獄霊が支配している様子が窺える。

 

「パパ、ここに落ち着いて座って下さい。病気を早く直さなくては子供たちが可哀想でしょう」 弘子は顔をゆがめて佳一に訴えた。だが、佳一は一言も語らない。彼は心の中で「なんだ、こんなところに連れてきて・・・」とつぶやき、人を小ばかにした態度を示していた。佳一は子供の頃からエリート家庭の犠牲者になっていた。知識の詰め込みがいかに人間性を失い、自分自身を含めてその周囲を破壊していく、その見本が佳一である。彼は完全に、地獄霊(死神)の虜になっていた。佳一の心は両親に対する憎しみと自己喪失であり、長年の間に自分の心を腐らしてしまったので、簡単には立ち直せることは難しい。人の心は一念三千であり、その一念三千の心の針を、人間として正しい在り方に向ける努力がなされないと、苦悩は常に自分から離れることはない。苦しみ悲しみは、自分が創作しているのである。どんな環境にいても幸せを生み出していく人もいる。幸、不幸の分かれ目は、本人の心の持ち方であり、現れている事柄を本人の心がどう受け止め、どう咀嚼していくかにかかっている。受け取り方、咀嚼の基準は、物に執着しているか、執着していないかによる。佳一の後ろに憑いている地獄霊に高橋先生は光を送った。そして、その地獄霊に佳一から離れるように教え、地獄霊が離れた途端、佳一は初めて言葉を発した。

 

「なんだか頭が軽くなった。胸のあたりも楽になったように思います」

 

彼の頭を包んでいた白い地獄霊はもういない。いなくなったから身も心も自分になったのである。

 

「佳一さん、あなたは本来の自分を取り戻すことです」

 

「本来の心とはどういうことですか」

 

「それは、あなたが会社での将来のことや両親に対する憎しみなど、頭に詰まって混乱しています。それを全部捨ててしまうことです。今のあなたは、精神的なお荷物を抱えすぎている。こうしたものを捨てると、本来のあなたに戻るのです。心を失った知識など何の役にも立ちません。・・・・お荷物とは、自分の思っていることであり、解決できないいろいろな問題を言います。無駄なことを考えすぎると、神経も疲れ、心の中がいら立ち、胸が苦しくなってくる。自分はどうも考えすぎると思ったら、そうした性格を直す努力が必要です。つまり、自分の欠点を修正していくことです。勇気と決断、努力を持って自分の欠点を直していくことです。自分の欠点とは片寄りすぎた考えと行動です。その片寄りを嘘の付けない心で修正するのです。別な言葉で言えば、第3者の立場で自分の考えていることと行動について反省することです。反省して、自分に間違いがあったら、神に素直に詫びることです。そして二度と同じ過ちを犯さない決心が大事なのです」佳一は黙って聞いている。

 

「反省は母について、母からしていただいた事、してやった事の一つ一つを思い出して心の中の曇りを除いていくことです。母と自分との関係だけでも何日もかかる。このようにして学校の先生、同窓生、社会に出てからの対人関係などを反省していくと、心の中の曇りが晴れ、神の光に満たされてくる。大事なことは、自分の心を正す為には、知恵と努力、そして勇気と決断が必要でしょう」

 

佳一は心の中で

 

「この苦しみは心ではなく、頭だ、頭の中だ。頭が重いからすっきりしない。神がかりなことを言っても俺は信じない」とつぶやいていた。しかし、佳一がどんなに反駁し、否定しようとも、精神分裂、ノイローゼの原因は、心の重荷以外にないのである。これを直すには、自分の心の在り方を修正するしかない。佳一は成績が優秀であった。しかし、知性は豊かでも、その知性ゆえに増長慢の心が芽生えると、学んだ知識がアダとなり心に毒を作り出してしまう。学んだ学問はこれを実践し、体験することによって智慧に変わることが出来る。佳一の場合、知識だけで判断してきた。だから、心を正せと言ってもきく耳を持たなかった。彼の心に再び増長慢が頭をもたげてきた。これと同時に佳一の近くに再び地獄霊が寄ってきた。心の針が動く方向によって、即座に現象化してしまう。地獄霊は先ほどとは違う職人風をした人相の悪い悪魔である。佳一は頭を抱えて体が振動している。

 

「佳一さん、体は大丈夫ですか」佳一の顔は引きつり返事もない。

 

「佳一さん、自分にかえりなさい」彼の顔を見ると、地獄霊と心の中で語り合っている。

 

「佳一さん、今、心の中であなたに話しかけているのは、この地上界の人間ではない。地獄霊です。あなたはその話を信じてはいけない」

 

「いや、僕の友達です」

 

「そんなことはありません。あなたの友達はここにはいない。」

 

「いや、先ほど、私の背を叩いて、私に知らせたのです」

 

「それは地獄に堕ちている悪魔です。信じてはいけません」

 

「友達は何も悪い事をしていません。面白い話をしてくれるのです」

 

「あなたは生きている人間と話をすることです。地獄霊の甘い言葉に心を売ってはいけない。地獄霊と話をすればするほど自分の心を乱してしまいます」

 

「そんなことはないよ。お前、信じるな。僕たちは友達だ。こんな部屋から早く出てしまえ」地獄霊が佳一に語っている。佳一さん、自分の心を丸く想像しなさい。そこにいる地獄霊よ、お前は佳一さんに近づいてはいけない。お前は佳一を地獄の仲間にしようとしている。神よ、佳一さんの心に安らぎをお与え下さい。この哀れな地獄霊に光をお与えください」佳一の体は再び前後に揺れた。地獄霊は後方に移動した。

 

「佳一さん、あなたは自分の心を地獄霊に売ってはいけません。彼らと話してはいけません」

 

「ああ。いなくなった。話声が遠くなってしまった。しかし、別に悪いことを話していたのではない」

 

「それがいけないのです。あなたは肉体を持った人と話をすることです。彼らを信じればあなたは生きながら廃人になってしまう」

 

内向的で孤独な佳一は、地獄霊の甘い言葉に引っかかり、自分の心を彼らに売っていたのであった。彼らは慈悲も愛もない。自分の都合だけしか考えない。しかし、地獄霊を呼び出してしまったのは、佳一自身であり、心の歪みである。だから、そこから抜け出すには自分の思うこと、考えることを正さねばならない。

 

「佳一さん、先ほどあなたと話していた者は、自殺した男です。あなたを仲間にしようと付きまとっているのだ。私の言うことに疑問があるなら、もう一度心の中で聞いてみて下さい」すると、彼は伏し目がちとなり、自問している様子だった。

 

「幸夫君、君は自殺して地獄に堕ちたのか。本当のことを言ってくれ。幸夫君、本当のことを言ってくれ」

 

佳一は幸夫という先ほどの地獄の友達に盛んに話しかけた。→(佳一が声を出さなくても彼の心の中で何を言っているのかわかる。佳一は地獄霊(死神)に話しかけていたのである。)

 

地獄霊は佳一の心の中でこう語った。

 

「俺は本当に自殺した。ここは確かに地獄だ。うす暗くじめじめしたところだ。お前も来ないか、友達にはいいやつもいるぜ」

 

高橋先生はすかさず、

 

「どう佳一君、間違いないだろう。君は絶対にあの世の地獄霊を信じてはならない。対話してはいけない」と呼びかけると、佳一は初めてうなずき頭を下げたのである。

 

人の心というものは、執着に揺れ動き、不調和になってくると、直ちに地獄に通じる。反対に、人々の為に奉仕の心が芽生えて慈悲と愛の心に満たされてくると、光明の天国に通じる。本当の自由な心というものは、とらわれのない明るい心であり、常に第3者の立場に立ち、嘘の言えない真実な心で毎日を生活することである。佳一は幼い二人の子供を連れて部屋を出て行った。弘子は、心の作用が一つ間違うと、とんでもない結果になるということを信じざるを得なかった。

 

「奥さん、しっかりしないといけませんよ。自分たちの心と生活を正道に基づいて送ることです。お気の毒ですが、御主人の佳一さんは非常に危険です。私が説く正道を理解するにはまだ時間がかかります。奥さんだけでも、しっかりと、それを知って実行してほしいものです」

 

「はい、何とか勉強をしてみたいと思います」

 

弘子にも地獄霊が寄っていた。しかし、今はいなかった。弘子は、主人が非常に危険だということが心配になり、

 

「主人はどうなのでしょうか」と尋ねた。

 

「それは、はっきり言うと、自殺するということです。それも家族を道連れにする危険があるのです」

 

弘子はハッとした気持ちで高橋先生の顔を見つめた。

 

「どうしたらよいのでしょう。私困りますわ」

 

「まず、あなたの上のお子さんを、あなたの実家に預けなさい。ガスは元栓を締めて寝ることです。刃物、紐類、凶器になるような物は、すべてご主人にわからないように隠して寝ることです。御主人には、上の子は実家に預けて、私はパパの看病に専念しますと伝えておくことです」

 

「何とか救っていただけないでしょうか。方法はないものでしょうか」

 

「それはあります。御主人の両親、あなたの両親が協力して、佳一さんの心の中に作り出した不信感、恨みの心、焦りの心を除いてやることです。心の中にある一切の執着を解きほぐす以外にないのです」

 

「主人の両親は、佳一が病気になったのは嫁の所為だと言って、私とはまともに話をしてくれません。本当に困っています」

 

「ともかく、対話以外にないのです。責任を転嫁している時ではありません。このままいけば必ず自殺するでしょう。その気配があったら、直ちに入院させる以外ないでしょう。心が静まれば元に戻ります」

 

それから4か月が過ぎた。4月のある夜のこと、佳一は力なく、弘子にこう訴えるのだった。

 

「弘子、一緒に死んでくれ。子供を道連れにしていこう。僕は生きていく自信が亡くなった。精も根も尽きてしまった。どうか一緒に死んでくれ」

 

来るものが来たのだった。佳一はガス栓をひねっていた。彼はベッドに力なく横になると目を閉じた。

 

「パパ、何を言うのです。子供まで道連れにすることはできません。どんな苦しみがあっても、子供のために生きてください。私が働きます。パパの病気が治るまで、私が頑張ります」

 

弘子は涙をぬぐわず、幼児を抱きしめ、直ちに実家に連絡し119番にも通報した。ガス栓は元栓が締めてあったのでガスは出てこなかった。しかし、佳一はそれを知らない。ガスが部屋に充満して救急車が駆けつけるまでには、一家は全滅するだろうと思っていたのである。弘子の両親、救急車が駆けつけた。佳一は救急車に乗せられると、精神病院に直行した。家に帰った弘子はほっとした。日頃の用心をしていなければ、一家心中したかもしれなかったからである。ところが、1週間後、警察から電話がかかってきた。佳一が飛び込み自殺をしたというのである。家に用事があると言って病院を抜け出すと、父親が勤めている大学近くの駅付近で飛び込み自殺をしたのであった。佳一の遺骸を引き取りに弘子は現場に行った。教育者の両親も顔を見せたが、無残なわが子を見ても死体の処理に手を貸さぬばかりか、まるで他人事のような素振りでただ眺めているだけだったという。こうした冷たい両親の下で育った佳一は不幸であった。結局、「この親にしてこの子あり」ということになろう。心を失った生活の終着点は、見るも無残な結末しか残されていない。佳一は地獄霊(死神)に連れ去られてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(7)荒廃する人の心

 

敗戦という未曽有の混乱期と焦土と化した都会にも、復興の兆しが見えてきた。いたるところで闇市が立ち、生きるために活動がどの家庭にも始まっていた。食糧事情はアメリカからの援助で、何とか切り抜けられる見通しとなり、生活不安はあっても働いてさえいれば死ぬことはなかった。ただ、敗戦というショックは様々な波紋を投げ、虚脱状態から抜け切れない者もいた。

 

19493月、小林里子(仮名)は、東京下町の二男一女の一人娘として生まれた。子供の頃は明るかったが、成長するにしたがってだんだん暗くなった。それでも学校の成績は悪い方ではなく、B都立高校に入ったが、2年の頃から、友達がいなくなり、自分の部屋にこもりっきりで、兄弟や両親との対話は絶えてしまった。高校卒業後は、就職したが、長く続かず、職場を転々と変えた。この間、精神病院を出たり入ったりして、両親も手を焼いていた。19734月、里子の父・健一(仮名)が、高橋先生の事務所を訪ねてきた。健一は事務用品を製造する会社に20数年も務めている従業員であった。50を過ぎたばかりのおとなしそうな腰の低い男であったが暗い感じがした。

 

「実は、娘の里子のことで伺ったのですが、ノイローゼでして、困っています。何とか良い手立てはないでしょうか。わしらまでおかしくなってしまいます。何とか救ってください」

 

「小林さん、ちょっと待って下さい。私は医者でも何でもありませんよ。精神科の医者に行くことが大事です」

 

健一の言葉を突っぱねたのは、高橋先生が「わしらまでおかしくなる」という健一の無慈悲な言葉に、違和感がしたからである。

 

「わしの友人からあなたのところに行けば、里子は治ると聞いたのです。この通りだ。私たちを救ってください」

 

「私には、あなたたちを救う力はありません。精神科の医者を訪ねることです」

 

「精神病院で治らないから来たのです。何か良い知恵でもあれば貸していただきたいのです。経済的にも大変なのです。私たちを救ってください」

 

「小林さん、私に時間を下さい。里子さんの病気は7~8年になるでしょう。あなたが私のところに来たと言ってもすぐ治るわけにはいかないのです」

 

「そうかもしれませんが、治す方法だけでも教えて下さい」

 

「小林さん、感情的になってはいけません。今から私の話すことについて・・・・」

 

「はいわかりました。私たちが救われるのなら何なりと・・・」

 

「里子さんの病気には家族全員に責任があるのです」

 

「言葉を返すようですが、私たちは一生懸命働いて、子供を育ててきました。悪い事もしていません。それなのになぜですか」

 

「小林さん、感情的になってはいけません。里子さんの病気の原因はご両親の家庭内でも教育態度にあります」

 

「そんなことはありません。私は娘を高校まで出しました。学校の成績だって悪くありません」

 

「小林さん、数学、英語、国語の成績が良くても、人間に情緒がなく、善悪の区別が分からない人が多いのです。里子さんの情操教育に意を用いましたか」

 

「そうだ、珠算や華道をやらせました」

 

「では珠算や華道で里子さんの情緒が豊かになりましたか」

 

「一人娘ですから、女としての教養を身に付けさせました」

 

「教養が里子さんの心の中に見栄としてあったならば、どのようになりますか。珠算や華道を教えてくれた先生の心の状態が問題になってくると思います。教養がアダとなり、自己慢心、増長慢な心を作り出すこともあります」

 

「そういうものでしょうか」 健一は呑み込めないらしい。

 

「あなたは短気ですね」

 

「私は短気ではありません。釣りが趣味で、60年近くやっています。釣りは気長でないとできません。それと子供の病気とどう関係があるのですか。私はそんなことで来たのではありません。それより子供はどうなるのでしょう」子供にとって親の影響は絶大であるが、健一には高橋先生の話がピンとこないらしい。里子のノイローゼは健一に関係が大きいのに、彼は関係がないと思っている。

 

「一度娘さんに合わせてもらいますか。良ければ近々お宅に伺います。今日は無駄足になったようですが、良い結果が出るでしょう。奥さんによろしく伝えてください」

 

「そうですか。ここに来れば大丈夫と友人から聞いたのですが、今日は無理なのですね」

 

「あなたは自分だけのことしか考えないようですが、病人は娘さんですよ。娘さんが私の事務所に来ればいいのですが、まず来ないでしょう。恐ろしいと思っているから・・・」

 

「そんなことはありません。それなら強引にでも連れてきます」

 

「それはいけません。本人が自発的に来られるならいいが、そうでないといくら話しても無駄です。娘さんの心は地獄霊が支配しているため、恐ろしがってここまで来させないようにするからです」

 

「娘にそんなものが憑くのですか。私の娘はノイローゼなのですよ。そんなものが憑くはずがないじゃないですか」

 

「いずれわかります。お宅に行きますから、その節はよろしく」この男といくら話しても空転するばかりなのでここで打ち切ることにした。無知というものは本当に恐ろしい。だが、人は盲目の人生を歩いている。苦しみの種を自らまいて苦悩している。素直な気持ちになり自分自身を振り返ることが出来れば、盲目と苦悩の人生にピリオドを打つことが出来る。だが、人によってそれが出来ない。「縁なき衆生は救い難し」という言葉があるが、袖すりあう縁が生じても、その縁を素通りする人があまりにも多い。人の心はわが子でさえ自由にはできない。ものの道理を教えることは親の務めだが、それに沿って生きるか生きないかは子供の意思にかかっている。子供の心は白紙であり、親の在り方いかんで右にも左にも動かすことが出来る。要は、その子供が自分に目覚め、自分の意思で動き始めた時に、これまでの親の生活態度が子供の心にはっきりと残され、様々な人生を歩むことになる。

 

人の心は神につながっており、善なる言葉が心に蘇る時が必ず訪れるからである。

 

数日後、高橋先生は彼の家を訪ねた。家の中から女の読経の声が聞こえてくる。

 

南無妙法蓮華経の題目が威勢よく、単調なリズムで聞こえてくる。

 

「こんにちは、こんにちは」と声を張り上げてみると、題目はピタリと止まり、年増の女性が現れた。健一の妻・初子(仮名)である。

 

「娘さん、本当にお気の毒ですね」

 

「ええ、本当に厄介者で家中が困っています。入院しても治らないのです。私たちは本当に疲れました。これも皆、前世からの業なのでしょうね」

 

初子と名乗る健一の妻は、いかにも道理にかなったような言い方で、自分で自分の心に言い聞かせているようだった。しかし、初子の口から出た前世からの業という宗教的判断には、不安な気になった。この人に真実を語っても反発してくるのがオチと思えたからである。

 

「前世の業とはどういうことです」と高橋先生が質問すると、初子は微笑しながら、

 

「あなたも法華経の教学を学べば分かりますよ」と得意になった。

 

「いやありがとうございます。前世の業とはどのようなことですか」

 

「前世の業とは、この世に生まれる前の世であまり良いことをしなかった悪行のことです。この悪行の為に、私たちは現在苦しんでいるのです。そこで、その悪行をご本尊様にお願いし、払っていただく。つまり、題目を唱えることによってご供養しているということです」

 

「すると、娘さんの病気も過去世からの悪行が出ているということですか」

 

「その通りです。ですから、一生懸命に題目闘争しているわけです」

 

「へえー、そうですか」高橋先生はあまりにも馬鹿げているので言葉が出なかった。

 

「奥さん、御主人の性格は短気ですか」

 

「ええ、うちの人の性格は気難しく、すぐ暴力をふるうのです。私も今までよく辛抱してきたと思っています」

 

「すると奥さんは主人の顔色を見てからでないと、物が言えないこともあるわけですね」

 

「そうです。私さえ我慢すればと、今までそれの生活でした」

 

「ところで話は変わりますが、奥さんは糠漬けを作られたことがありますか」

 

「糠漬けですか。いつもやっています」

 

「その糠漬けは、かき回さないで1週間くらい放っておいたらどうなりますか」

 

「それは、臭くてたまりません」

 

「そうでしょうね。すると奥さんの我慢も糠漬けのように臭くなりますね。体の調子も悪いし、心配ばかりしているでしょう。心の安らぎなど無いようですね」

 

「いつも体の調子が悪くて困っています。肩は凝るし、頭はいつも痛いです」

 

「そうでしょうね。すると、それも過去世の業ということになるわけですか」

 

「そうだと思います。だから題目を上げれば楽になるのです」

 

「それは違います。あなたの心に安らぎが無い。御主人の顔色ばかり見ていつもオドオドされている。娘さんの病気の心配も・・・・そのほかいろいろありますね。そうしたものの原因を除かねば、除く努力をしなければ奥さんは救われないでしょう」

 

「それはそうですが・・・」と言いながら初子は考え込んでしまった。

 

過去世の業は里子については納得できても、現実の自分の悩みについては過去世の業というには飛躍がありすぎた。題目を上げても最中は気晴らしになるが、これを終えると、現実に戻ってしまう。(確かに高橋先生の言う通りだ)と初子は心の中で思うと、

 

「ではどうすれば良いのでしょう。何か良い名案でも・・・・」

 

「根本は、奥さん自身が、思うこと、考えること、行うことにあるのです」

 

「どうしろと言うのです」

 

「あなたは御主人を恨んだことがあるでしょう」

 

「それはいつもです。私は我慢の連続ですから」

 

「いつ頃からですか」

 

「結婚して2か月頃の時でした。主人がこんなもの食えるかと言って、食卓をひっくり返し、私をぶったのです。私は恐ろしい人と思いましたが、長男がお腹の中におりましたので、我慢しました。それ以来、ずっと我慢のし通しです」

 

「里子さんが生まれて56歳頃の家庭はどうでした。子供たちの前で暴力を御主人は振るいましたか」

 

「酒を飲んでいつも私を叱りつけ、子供たちもビクビクしていました」

 

「御主人は里子さんやほかの子供たちと話し合うことがありますか」

 

「ほとんどありません。子供が怪我をすると、私は打たれたり、蹴られたり、本当に短気なので家の者は黙っています。話し合いなど全くできません」

 

「道楽もありましたね」

 

「よく釣りに行きます。私は前世でよほど悪い事をしたのでしょうか」

 

「奥さん、前世ではありません。現世の原因が様々の問題を生み出しているのです。あなたは御主人や他人から心の中に毒を食べさせられています。里子さんについても同じです。里子さんの場合は、御両親に責任があります」

 

「どうすれば良いのでしょう」

 

「奥さん、あなたは色心不二という言葉を知っていますか」

 

「よくわかりませんが、色とは物でしょう。心とは生命のことでしょうか」

 

「その通りです。色とは目に見える全てです。肉体も色であり、肉体は人生行路の乗り舟です。その舟の船頭さんが永遠に変わらない私達であり、その中心にあるのが心なのです。肉体と心は不二一体となって、今ここにいる。苦しみの原因は肉体舟である五官(眼、耳、鼻、舌、身)に、自分の心が振り回されてしまい、真実なものと、そうでないものとの判断が出来ないために苦しみを作り出している。心の中で自分に嘘がつけますか」

 

「いえ、つけません」

 

「では、他人には・・・」

 

「自分に都合が悪いと、嘘をついてしまいます」

 

「そうでしょうね。嘘のつけない正しい心こそ、あなたの善我つまり、仏の心、神の心というわけです。他人に嘘を言うのは地獄の心です。これを偽我と言います。偽我の心は苦しみを作り出します。仏教では一念三千と言って、私たちの心の中で思うことは無限に変わるので、心はいつも正しい方向に向ける努力を怠ってはならないのです。」

 

「あなたは法華経の教学を知っているのですか。先ほどは大変失礼しました」

 

里子の病気を治すには、親の初子の心を変えぬ限り難しいのである。里子の心は、これを取り巻く人たちの理解が絶対必要であり、初子の信仰の毒もすべて吐き出さねばならない。つまり、既成の観念を白紙に戻して素直な心になってもらうことである。初子の心に光が射し始めたので、訪ねた目的が半ば果たされた。初子は言葉を続けた。

 

「そうしますと、今の私の心は地獄に通じているのでしょうか」

 

「そうです。心の中のダイヤルの針が地獄を指しているのです。一念の心が地獄に通じているのです。里子さんも同じです」

 

「では、どうしたらよいでしょう」

 

「東京の空はスモッグに蔽われています。自動車や工場から吐き出す煤煙で。昔はそうではなかった。スモッグは人間が作り出した。人間の欲望が作り出したわけです。私たちの心にも恨み、妬み、誹り、怒り、足る事を忘れた欲望のような感情や本能的欲望が、つまり、人はどうでも自分さえよければいいという自己保存によってスモッグを作り出したわけです。苦しみの原因は、このスモッグの所為です」

 

「なるほど、すると、私たちの心は自然界のそれと変わりないというのですね」

 

「そうです。大自然が私たちの生活を教えています。大自然の姿こそ、神の心の現れです。ですから、これに反した生活をすると、その反した分量だけ結果となって、現れてくるのです。作用、反作用と言います。原因と結果と言ってもよいでしょう。ですから、悪い結果を出さないような生活が大切です。それにはものに偏らない、五官に振り回されない生活、つまり、中道の生活をしていくことです。中道とは自分本位にならないで常に第3者の立場で自分を見、相手を見ることです。そうすると正しい判断が生まれてきて、苦しみから解放されてきます。他力では絶対ダメです。題目をいくらあげてもダメです。他力というのは、自分が一生懸命に正しい生活をした結果、与えられるからです。最初から他力を求めるのは欲が深いのです。何もしないで棚ボタ式にお願いするだけですから。何事も自分で汗をかいて求めたものでないと本当の幸せはやってこないのです」

 

「すると、私たちの考えも生活も間違っていることになりますね」

 

「その通り。御本尊様の慈悲を受けられるような自分の心と行いを正すことが大事であり、題目を上げることではないのです」

 

「では、罰についてはどうでしょう」

 

「今、奥さんの家庭に起こっている現象は罰ですか。自分たちが作り出したものですね。神仏は罰など与えないのです。まず、自分の心のスモッグを払うことです。思うこと、行うことを正すことによって心のスモッグが一掃され、神の慈悲の光を受けるのです」

 

「そのとおりです。・・・・」初子は初めて膝を乗り出し、目に涙を浮かべている。初子の心はうれし涙に大きく揺れていた。

 

「奥さん、あなたは非常に愚痴っぽく、自分に都合が悪いと、すぐ怒り出してしまう。その原因はどこにありますか」

 

「それは主人です。給料は少ないし、暴力は振るうし・・・」

 

「それは違います。あなたは人のせいにしてはいけません。苦しんでいるのはあなたです。御主人に対して感謝することもなく、形だけの行為だったようですね。仕方がないからやっているのだという気持ではなかったのですか」

 

「その通りでした。確かに私は結婚してから主人に対して形だけの行為しかしておりません。私は弟のことや両親のことで苦労しましたからね。ですから主人に尽くす余裕がなかったと思います。実家で苦労しなければ、昔に離婚していたでしょう。しかし、自分さえ我慢すればと思って、今日まで我慢してきました」

 

「里子さんが幼いころに、里子さんに愚痴を言ったり、感情的になって当り散らしたりしたことがあったでしょう」

 

「ありました。里子を連れて何度か家を出たこともありました。そのたびに里子に言い聞かせました。主人の悪口を・・・・」

 

「そうです。里子さんは小さい時からあなたたち夫婦の不調和な言葉や行為の毒を食べているのです。本当の愛情を受けることが無かったのです。今の里子さんの心は、その時に作られたのです」

 

「そのようなことがあるのすか」初子は、また疑問にぶつかったようである。

 

「奥さん、ゴキブリはどんな場所に出ますか」

 

「ジメジメした場所です」

 

「そうですね。家の人の心がジメジメして暗い家庭には地獄霊が集まってきます。地獄霊はゴキブリと同じです。ゴキブリが嫌なら家の中を明るくすることです」

 

「では我慢はどうしたらよいでしょう」

 

「我慢はいつの日か爆発します。心の中で不完全燃焼していますから、他人にも自分の心の中でもイライラが起こり、肉体的に不調和をきたします。我慢より、忍辱が大事です。忍辱とは、どんな辱めを受けても、その毒を心の中に食べず、よく耐えることです。それには見たり、聞いたり、思うことの一つ一つを、八正道という中道の物差しで生活することです。つまり、八正道のフィルターにかけ、反省し、間違いがあったら、神仏に詫びることです。そして同じ過ちを繰り返さないことです。愚痴は自分の欲望が満たされないために出るものであり、自分の毒を他人に食べさせるばかりか、自分の心の中に垢を作り、スモッグを作り出してしまうものです。一切の苦悩の原因はここにある。だから、まず感謝をすることです。感謝には報恩という心からの行為が必要ですが、今から反省し、奥さんの態度、心の在り方を修正することです」

 

「私が悪いのでしょうか」

 

「もちろん、あなたばかりではありません。御主人も心の中の偽我を捨てることです。御主人が病気をされたことはなかったですか」

 

「そういえば、8年前のことです。声が出なくなり、1年間ぐらい元気がありませんでした」

 

「その時、あなたはどう思っていましたか」

 

「口汚く罵った罰だと思っていました。しかし機嫌が悪いので本当に困りました」

 

「御主人はオートバイで通勤していたでしょう」

 

「そうです。私、本当に疑問が解けました。私たちはあまりにも無知でした」

 

「オートバイに乗っていたから、冷たい風がのどを刺激して炎症を起こしたのです」

 

 

「そうだったのでしょう。今は何も申しませんから」

 

「そのほか、御主人との関係はありませんか」

 

「ええ、別居したいと思っていました。子供たちと一緒に生活しようと思っていましたから」

 

「あなたは逃げようと考えていた。それも手遅れなのに。しかし、いくら場所を変えても心の苦しみは消えませんね」

 

「そうだと思います」初子の心はようやくほぐれてきて、苦しみの原因がどこにあるのかわかりかけてきた。

 

「ところで信仰については、どうすれば良いのでしょうか」

 

「信仰とは、あなたの善なる心を信ずることなのです」

 

「しかし、拝む対象物がないのに、どうすればいいのですか」

 

「拝む対象物とは・・・」

 

「私たちは拝む対象物、曼荼羅があります」

 

「曼荼羅・・・」

 

「ええ、御本尊様です」

 

「ちょっと待って下さい。奥さん、あなたは生まれてきた時、曼荼羅をぶら下げてきましたか。曼荼羅は人間が作ったものです。人間に必要なものは、すべて、神様は私たちに与えています。この立派な体が小宇宙である曼荼羅ではないですか」

 

「はあ、そうです。その通りです。なるほどそうでした。それで曼荼羅の意味もよくわかりました。」

 

「盲信、狂信は自分を失ってしまいます。正しくものを見ることが出来なくなるからです」

 

「では南無妙法蓮華経の題目はどうしたらよいのでしょう」

 

「奥さんや里子さんが生まれてきた時、南無妙法蓮華経と言って泣きましたか。鶯ならホーホケキョと鳴くでしょう」

 

「言われてみると、その通りと思いますが、題目は20年もやっていますので、止められません」

 

女の性というものが感じられた。女性の心と行動には理性でコントロールできない何かがあるようである。しかし、信仰の中身をたどっていくと、そこには感情に溺れた怪しいまでの女心がうずいており、強烈な独占欲と自己満足が交錯する自己保存の醜悪な感情が、心の奥に腰を下ろしている。他力信仰には不思議とこうした傾向が現れる。自己喪失こそ、仏に帰一する信仰であると思い込んでいるからである。初子にもそれが見られた。

 

「あなたの気持ちはわからぬではない。しかし、仏教に闘争などありません。仏教はどこまでも平和であり、闘争などありません。南無とは古代インド語でナーモという言葉であり、これは帰依するということです。法とは宇宙の神理を指しています。ブッダは無学文盲な当時の衆生に方便を持って教えたのです。もろもろの比丘、比丘尼よ。あの蓮の華をごらんなさい。本当に美しい。しかし、その美しい華も水面下の泥沼の中から咲かせているのです。そなたたちの体を見ても、目から目くそ、耳から耳くそ、歯から歯くそ、が出るではないか。私たちの肉体舟はあの華のように、美しく調和された安らぎのある境地に到達することが出来よう。こう言って教えたものが今日のように難しい法華経になり、題目になってしまった。題目闘争などとんでもないことです。闘争は修羅の世界であり、身を滅ぼすことになります」

 

「なるほど、私の疑問が解けています」

 

「家族全員が正しい心と行いの規準を持って生活することが、里子さんの病気を治し、家庭を明るくすることです。それも自力です。自力で正すことによって、他力的な救いが得られるのです」

 

「よくわかりました。私が間違っていました」

 

「奥さん、心を裸にして夫婦仲良くやって下さい」

 

「そうですね。そうします」

 

高橋先生は里子のいる2階の部屋に上がった。里子は見向きもしない。

 

「里子、お客さんだよ」母親の言葉に顔を向けたが、目に生気がなく、何の反応も示さない。里子は植物人間のようであった。

 

「里子、お客さんが見えたのだよ。挨拶ぐらいしなさい」普段のきつい言葉に初子は戻っていた。現実にぶつかると、これまでの初子に返っているのである。里子の自閉症は初子や家の者たちの思いやりのない心がそうさせてしまったことを、家中の者が心と体で理解しなければならない。

 

「里子さん、あなたは頭が重いでしょう。昨晩はよく眠れなかったでしょう」

 

「そうよ・・・」と言い、編み物の手を休めない。里子にとって母親もお客も関係なかった。たまりかねた初子は、

 

「里子、返事ぐらい、はっきり言ったらどうなの。お前を心配して来て下さったのだよ。はっきりしなさい」

 

「里子さんは病気です。あまりきつい言葉で言ってはいけません。もっと優しい言葉で言ってください」

 

「いつもは、こうじゃないのです」と言いながら初子はお茶を運ぶために階下に降りて行った。

 

「里子さん、あなたは自分の心の中にいっぱい苦しみを詰めていますね。それを全部吐き出しなさい。このままでは灰色の青春ですよ。頭もすっきりしないし、胸の中も重いでしょう」

 

里子は初めて肯いた。高橋先生は里子の頭に両手をあて、心から神に祈った。さらに胸と背に両手を当て祈った。

 

「気分はどう、よくなった・・・」

 

「何か軽くなったようで気持ちがいい」

 

「それは良かった」

 

「私、自分で何をしているのか度々分からなくなってしまうのです。本当に苦しい・・・・」

里子は語り出した。先ほどまで植物人間だった里子に感情が蘇り、意志が働きはじめたのである。彼女の心を支配していた悪霊が一時、彼女の体から離れたからである。

 

 

「自分に戻りたいと思うのです。でもすぐ自分がどこかへ行ってしまう。あとは何が何やら分からなくて、苦しみだけが長く続くのです・・・」

 

「自分をしっかり持つ事です。人を憎む思いが少しでも出ると、そういう状態になるでしょう」

 

「そうです。すぐ人を非難してしまいます」

 

ノイローゼ精神病は被害者意識が強く、人を恨む思いが非常に強い。原因をたどると家庭の環境にある。子供の心は良い悪いにかかわらず、それに染まりやすく、成人後の性格を形成する。15歳ぐらいまでは、人は精神的、肉体的に自立できない。したがって、それまでは両親や兄弟たちの影響を受けて育っていく。家庭が揺れ動き、夫婦げんかが絶えず、躾が厳しいと、子供の心は小さくなり、伸び伸びと育たなくなってくる。両親を憎む思いが強くなり、内向的反抗心が高まり、早い者は精神的、肉体的に自立できる15歳、16歳から、遅い人では40歳過ぎになって表に出る。つまり発病する。里子の場合は、家庭内が深刻だっただけに、発病も早く、中学井2年生頃から、既に自閉症にかかってしまった。

病気の期間が長くなるほど、治療が難しくなる。一度、憑依され、心が空白になる習慣を作ると、憑依の道筋が出来てしまい、常人と同じように人を憎み、怒りを抱いても自分を失ってしまう。つまり、心を悪魔に占領されてしまうのである。常人でも心の針の方向いかんによって、憑依されるが、常人の場合、心の転換

(気分転換)が早く行われるから、憑依時間が少なくて済む。ところが、精神病は、この気分転換が容易にできない。一つの事柄をいつまでも思い続けてしまう。そのため、憑依の時間が長くなり、自分の心を悪魔に占領され、人格が変わっていくのである。里子の場合は、中学2年から始まり、高校を出てから本格的な精神病に発展していった。

 

彼女と話を続けようとした矢先、階下の玄関の方で男の声が聞こえた。

 

「お客が来ているのか」健一が帰ってきたようだった。里子は、その声を聴いただけでベッドにもぐりこんでしまった。

 

「俺が帰ったのに返事ぐらいしたらどうだ。お前のような女だから、里子が狂ってしまったのだ。馬鹿野郎」健一の声は一段と大きくなった。どこかで一杯ひっかけてきたらしい。

 

「うるさいね、私は仕事をしていたので帰ってきたのか分からなかったのだ。私だって忙しいのだから」

 

「俺は1日働いて帰ってきたのだ。誰に食わしてもらっていると思うか、考えろ」

 

「帰る早々あれだから、本当にうるさい親父だ。私こそ逃げ出したくなる」初子は一人で愚痴を言った。しばらくして初子はバナナを持って上がってきた。

 

「何もなくてすみませんね」

 

「何も心配いりません」

 

「里子はどうしました?」

 

「隣の部屋に入っていきましたよ」

 

「エー、そうですか」初子は立ち上がりふすまを開けた。

 

「里子何しているさ。どこまで私を苦しめれば気が済むの」と言いながら、ベッドにもぐりこんだ里子の掛け布団をはがし、髪の毛をわしづかみにすると、里子をベッドから引きずりおろした。

 

「何するのよ。お父ちゃんに叱られたと言って私に当たることはないでしょう。私を馬鹿にしないで」里子の眼は吊り上り、母の初子に飛びかかろうと身構えた。ただならぬ状況に高橋先生は、

 

「奥さん、感情的なってはいけません。里子さん、あなたは寝ていなさい。心配しないで」と言うと、

 

「あんた誰なのさ。家から出ていけ」里子の手が高橋先生の顔を思い切りたたいた。女と言うより男の手であった。

 

「里子、お前は何ということを」初子の心が高ぶり里子の髪の毛をつかもうとする。

 

「奥さん、落ち着いて」高橋先生が初子を制すると、初子はその場に崩れるように泣き出してしまった。高橋先生は初子の背に手を当てた。里子を見ると、冷ややかな目で母親の初子を眺めている。里子の口から出た言葉は、もう里子自身ではなかった。

 

「ちぇ、母親だって。ふざけるじゃないぞ。お前のような女が俺の母親。笑わせないでくれ。おとなしくしてりゃ付け上がり、怒れば泣き出しやがって。なんだ、俺には親父もお袋もいない。小さい時に捨てられ、拾ってくれた両親は貧乏人だ。俺を売り物にして、それで食っていた。俺の苦労など知ってたまるか。お前ら夫婦は今更、俺を子供だと思っているから間違いなのだ。親父は、屋台で酒をくらい、お前のことなんか考えてはいない。もっと苦しめ、もっと泣け」里子の人格は変わり、地獄霊が里子の口を借りて語り出している。

 

「立っていないで、そこに座りなさい。そんなに怒らないで、さあベッドに腰を下ろしてゆっくり話しましょう。ところであなたが生まれたところは・・・」

 

「うるさい。お前は誰だ。他人の家に勝手に上り込んで。とっとと失せろ」里子のただならぬ言葉に初子は泣くのを止め、行動を見守るばかりである。

 

「奥さん、あなたは黙って見ていてください。里子さんを支配しているものは地獄霊です。大丈夫ですから、心配しないで」

 

「お前は誰だ。俺に殴られても怒らないのはどういうわけか。お前はよほど馬鹿だなあ。」

 

「あなたは、私の顔を殴ったことを覚えているの」

 

「そりゃそうだ。何故、お前は怒らない」

 

「私は怒らないよ。あなたも手が痛かっただろう」

 

「そりゃ痛いさ。あの女が勝手なことをするから、俺も頭に来たのさ。お前も人の邪魔をするしなあ」

 

「奥さんや私を怒って気分がいいか」

 

「俺は怒っている方が気分はいい。弱かったらこの世は生きていけないからなあ」

 

「あなたはいつ死んだの。私に教えてほしい」

 

「俺か」

 

「そうです」

 

「俺は死んではいない。このように生きている。お前狂ったか。俺は生きている」地獄霊は小首をかしげ、さらに言葉を続ける。

 

「お前、よく、この俺を見つけたな。お前は不思議な男だ。今まで俺たちのことを見破った者はいない。しかし、俺たちに深入りしない方が身のためだぞ。お前のために注意しておこう」地獄霊は脅迫してきた。理由は簡単である。彼らの住家が奪われると思って脅迫してきたのである。もし高橋先生に不調和な心が芽生えたら、高橋先生でも地獄霊に蹂躙されてしまうという。

 

「あなたはこの世の人ではないでしょう。いつ地上を去ったの」

 

「俺は生きている。俺を馬鹿にするな。俺を殺すつもりか」

 

「そんなに怒るな、怒ると体に悪いよ。さあ落ち着いて。君は何という名前なの」

 

「俺は名前なんか忘れた。名前を知ったからと言ってどうにもならないだろう。お前は物好きだな。放っといてくれ」

 

「君を放っとくわけにはいかない。君が幸福になる為にね。昔の記憶がよみがえるようにしてあげよう」高橋先生は里子の横に座ると、里子の頭の前後を手のひらで暖めるようにして祈った。

 

「神よ、この者の心に調和と安らぎをお与えください。光をお与えください。私達は、この地上界に両親の縁により、肉体舟をいただき、偏らない中道の道を、心と行いの物差しとして豊かな心をつくり、神の体であるこの地上界に、人々の心と心の調和のとれたユートピア・仏国土を築かんがために生まれてきました。しかるに、生まれた環境、教育、思想、習慣の中で、生かされている一切の環境に対して、感謝することもなく、人を恨み、妬み、誹り、怒り、愚痴をこぼし、足る事を忘れ去った欲望のままに、正しい心と行いを忘れ、多くの罪を作ってきました。神よ、私たちの罪をお許しください。私達は、今から、神の心である正しい法を規準として、思うこと、行うことの正しい生活をしてまいります。小林里子に憑依している地獄霊よ、あなたたちは、人生において、正しい道を忘れ、欲望のままに一生を送り、自ら作り出してしまった不調和な想念と行為により、心の中に曇りを作り、神の光をさえぎって、暗い地獄界を自ら作り出して苦しんでいる。そなたたちにも、自分に嘘のつけない善なる心があるであろう。その善なる心は、神の子、仏の子の証なのです。自分の心に嘘のつけない善なる心で、人生においてなしてきた、その思いと行いの一つ一つを振り返り、間違いがあれば、神に詫び、二度と心の中に歪みを作らないようにしなさい。大宇宙・大神霊仏よ、諸如来、諸菩薩、光の天使よ、迷える霊をお許しください。心に光をお与えください」

 

その時だった、里子の顔に血色が蘇り、自分に戻ったのである。

 

「ああ、私の耳元で男の声が聞こえる・・・」と言いながら、神経を耳元に集中させている。

 

「里子さん、声が聞こえても、心の中で語りかけてはいけません。絶対、対話してはいけません」高橋先生が言うと、里子は初めて高橋先生の存在に気づき、高橋先生の顔を眺めている。

 

「失礼ですが、どなた様ですか」里子はやっと自分に戻った。

 

「里子、お前の病気のことで、わざわざお見えになった高橋さんですよ」

 

「高橋です。よろしく」

 

「里子、よかったね。早く元気になって」母親の初子も、ようやく、心が落ち着き、笑顔に戻った。

 

「里子さん、まだ、声が聞こえますか」

 

「ええ、何人かの声が私の耳元で聞こえます。先ほどの男の人の声も聞こえます。光が来ているから離れよう、光が来ているから危ないよ、逃げよう、逃げようと言っています」

 

「そうです。地獄に堕ちた亡霊たちです。彼らは血も涙もない偽善者の集団です。生きている人々の心を狂わせ、肉体的に不調和を作り出している悪魔です。そのような不調和な波動を受けるようになった考えや行為を、正さなければなりません。里子さんの考えに間違いがあったのです」里子は、耳元でささやく地獄霊が気になると見えて、他人ごとのように聞いている。躁鬱病になれば、自分を失うが、地獄霊が先を争い、入れ替わり、立ち替わり心を支配しだすと、完全な精神分裂に陥ってしまう。

 

「里子さん、里子さん」

 

「はい、はい・・・」

 

「里子さん、彼らはどんな話をしていましたか」

 

「ええ、ここにいるとヤバイ、目の前に光がいる。分解されてしまうから、この場所から逃げよう。光がいなくなったらまた来るぞと話していました。私の幻覚かしら」

 

「里子さん、あなたは彼らに近づいてはいけません。あなたが彼らと話をすればするほど自分を失っていく。絶対に話してはいけません」

 

「そんなこと言っても、聞こえてくるのですからどうしようもありません。耳をふさいでも聞こえてくるのです。どうしたらよいでしょう」

 

「問題は、あなた自身が肉体を持った人の話だけを聞くようにすればよいのです」

 

「でも、そう悪い話だけではありません。いい事も教えてくれます」

 

「それはそうでしょう。彼らはあなたの心を自分たちの方に常に向けさせておけば、彼らはあなたの心を自由にすることが出来るからね。しかし、時折、自分を失った時は、暗い、苦しい自分に気づくでしょう」

 

「そうです。でも、あの人たちの所為ばかりではないと思います」

 

「もちろんです。あなたの心が憎しみや怒りに燃えるからそうなるわけです。あなたが、今のような状態になったのは、恐怖心と憎しみで自分の心を閉ざした時からなのです。今の自分を客観的にみて、あなたは自分を幸せ者と思えないでしょう。何故、私はこんな風になってしまったのか。外に出て、みんなと楽しく、どうして話をしたり、歌を歌ったりできないのだろうと考えるのではないですか。その時になると、きまって、部屋に人がいないのに、男の話声が聞こえてくるのでしょう。そうですね」

 

「そう言えば、そうですね。私は不幸せです」

 

「あなたが地獄霊の声に耳を貸さなくなると、彼らはあなたを脅迫してくるでしょう。恐れないでください。恐れると地獄霊のペースに乗ってしまいます。恐れなければ、彼らは何もすることが出来ません。そうしているうちに、あなたは、昔の自分に返ってきます。夜もゆっくり休むことが出来、頭もはっきりしてきます。彼らはいろいろとあなたの関心を集めようとしますが、絶対に心を許してはいけません」里子の苦悩の始まりは、両親との対話が途絶えた時からであった。年中、夫婦喧嘩が絶えないし、里子が何を言おうとしても、健一も初子も怒鳴り散らし、時には暴力に訴えてくるのであった。里子は、結局、自分の苦悩を誰にも打ち明けることが出来ず、自分の中に自分を閉じ込めてしまったのである。そのうちに、姿なき人の声が聞こえ出し、彼ら地獄霊と語るようになっていった。最初のうちは、幻覚のように思えるが、誰かが語るようにはっきりと聞こえ、その話題も自分に関心のあるものに限られてくるので、知らず知らずのうちに見えない世界に心が奪われていく。

 

「里子さん、肉体を持った人以外とは話をしないこと、聞かないことです。知っている人の声が聞こえてきても、地獄霊だと思いなさい」里子には得心がゆかないらしい。しかし、放っておいたら、自分に戻ることが出来なくなる。そればかりか、今度は自分が憑依霊になって、人々の心をかき乱す悪魔になってしまう。よく、電車やプラットホームで見かけるが、一人でニヤニヤ、時には怒ったり、ブツブツ言ったりしている人がいるが、これなど里子の場合とまったく同じである。ただ、多少違うのは、里子の場合は、常時そういう状態になっているし、ブツブツ、ニヤニヤの人たちは心の針が動いた時だけ地獄霊と会話が始まるのである。しかし、こういう人もやがて里子と同じようになっていく。また、巷の神々と称する人々の場合も、地獄霊がもっともらしい事を語っているに過ぎない。神仏を名乗った場合は、地獄霊と思えばよい。罰を与えると脅したり、祀りを強要したり、みだりに金銭を求めたり、生神様を気取る場合など、地獄霊は様々な形を現す。絶対に信じてはいけない。

 

「里子さん、あなたの思うことはすべて彼らにわかってしまう。だから、あなたの心が動きやすいように巧みに話しかけてくるのです。しかし、彼らの言うことは嘘の塊で、あなたは騙されています。あなたは身近な肉体を持った人たちの言葉を信じることです」

 

「本当に地獄霊でしょうか」

 

「現在のあなたは幸せですか。主観的にも客観的にも決して幸せではないでしょう。疑問があるなら側にいる霊に聞いてごらんなさい」

 

彼女は心の中で問答を始めた。普通はこういうことは危険だが、高橋先生が監視しているので心配はいらない。

 

「見破られては仕方がない。俺たちは地獄に住んでいるのだ・・・・」彼女の心の中でささやかれた言葉である。さらに「俺たちは今も生きている。人間の体の中や、家や墓場、寺院の中、墓場や寺は恐ろしいところが多いぞ。人間の体の中にいるのが一番楽さ。光のある人間には入れない。暗い心を持った者に入る以外ないのだ。人間を支配するには支配するだけの理由があるのだ・・・」里子は初めて恐ろしいと思った。

 

「わかりましたね。地獄霊とはそういうものです。しかし、恐怖心を抱いてはいけません。恐怖心は自己中心、自己保存が作り出すものです。人間を支配するにはするだけの理由があると地獄霊が言っていましたね。里子さんにもその理由があるのです」

 

「何かしら…、わからない」

 

「あなたが心の中で思うことや、毎日の生活に原因があります」

 

「原因は何かしら・・・」里子の心の中に疑問が芽生えてきた。精神病やノイローゼ患者は、この疑問を抱くことが全くなく、物事を客観的にとらえることが出来ない。だが、里子が、心をリラックスさせ、話を聞くようになり、疑問さえ抱くようになった。あとは根気よく、愛情を持って、閉ざした彼女の心を開かせるしかない。

 

「病気の種は、あなたが蒔いた。あなたは自分の心の王国の支配者であり、王様ですから、良くも悪くもできるのです」

 

「心って何かしら・・・」里子は自分の心をよく理解していないが、もし、心の実相を理解しておれば、争いや憎しみなど起こるはずはない。心を知らないから,その心を地獄霊に支配されてしまうのである。

 

「あなたの肉体舟を支配している船頭さんの中に心があるのです。あなたの病気は肉体舟ではなく船頭さんの心の病気なのです。心の病気は、思うことや行うことに正しい規準が分からないために自分自身が作り出してしまうのです。あなたは自分の心がどこにあると思っていますか」

 

「考えることや、思うことは頭でしょう。記憶も頭の中にあるし・・・。心は頭の中にあると思います。私が自分を失ってしまう時、いつも頭が重くなり、自分の思考能力が失われます」

 

「すると、里子さんは、悲しい時、うれしい時に涙を流したことがあるでしょう。その時に、頭からこみ上げてきたのですね」

 

「いいえ、頭からではなくこのあたりです」と自分の胸に手を当てた。

 

「そうでしょう。頭のてっぺんからこみ上げてくるわけはないでしょう。やはり、胸の中から感情はこみ上げてくるものです。心は頭ではなく、胸のあたりにあるということです」里子は高橋先生の話に耳を傾けている。今の里子は自分自身に返っていた。

 

人生の価値観を知るには、生まれてきた人生の目的と使命を理解することである。目的と使命が理解できないために、肉体舟の五官煩悩のままに、欲望を満たす人生に走ってしまうのである。自己保存の想いは、自己保存の想いを繰り返していく。どこかで停止しない限り、とどまることを知らない。自己中心の欲望は、相手を考慮に入れない。自分さえよければ他はどうでもよいということである。恨み、妬み、誹り、怒り、愚痴・・・。

この想念は闘争、破壊の道につながっていく。欲望の原因は自らが作り出した思念と行為にあるということを知ろうともしなかったからである。しかし、私たちの世界は、常に循環の法則が働いている。原因と結果、作用と反作用、因果は輪廻している。安らぎのあるものとするためには、その思念と行為が、他を生かし、助け合う愛の中道の理念を外してはならない。愛と言う中道の理念を外れると、苦悩が生じてくる。自由である思念についても、善は

 

善、悪は悪と言う循環の法が存在しており、中道は善悪を超えた愛によってバランスが保たれている。信仰の形態が他力化してくると、真実の心を理解することが困難になってくる。里子の両親を見てもわかるとおり、自己の煩悩のまま、感情の赴くままに生きており、自己本位の生活である。自分に都合の悪い事は一切拒否し、すべてがご都合主義である。こうした人達を偽我の生活者という。偽我の生活では安らぎは得られない。自分の思うようにならないからと言って、そこから逃避しようとしても、自分の心の世界から本来、人は逃げ出すことはできないのだ。里子の家庭は、両親をはじめとして家族間の対話がなく、それぞれ自己保存が強く、そして暗い、冷たい。親子の間に、慈悲の心、愛の行為がないのである。そのため、暗い家庭には、それに類した地獄霊が集まり、不調和な波動を家庭内にまき散らすことになる。家庭はますます混乱する。

 

 合掌は、右にも左にも偏らない調和を意味し、それは中道を示している。合掌は自分自身が左右に偏らない中道の生活を行う中から生まれてくる。里子の両親も、自己中心の偏った思念と行為を自分の偽我を里子に押し付けて育ててきた。里子を救うためには両親の心を改造し、家の中を明るくする必要があった。

 

「里子さん、あなたは心がイライラしていて、自分自身でどうにもならないことが多いでしょう」

 

「はい、自分であって自分でなくて、他人のようで、自分を失ってしまう。なんでもない事なのに、急にイライラが起こり、怒りたくなり、自分でもどうしようもないのです」

 

「でも、イライラする原因を、里子さんが作り出しているのでしょう」

 

「ちょっとわからない」

 

「先ほど、お母さんが里子さんを叱った時、あなたは悔しいと心の中で思って反抗しましたね」

 

「そんなこと言っても、突然、私の髪の毛をつかんで寝台から引きずり降ろすので・・・悔しくなります。でも、その時、心がイライラすると、その瞬間もう自分を失ってしまうのです。そんなことが度々あります」

 

「里子さん、お母さんがあなたの髪の毛を引っ張った時、私はどうして叱られたのだろうと思えないのでしょうか。あなたの気持ちはわかるが、心まで痛くはないのです。むしろ、あなたの髪の毛を引っ張って、自分の気を紛らわそうとするお母さんの感情的な気持ちに、同情を寄せるくらいの心の余裕が欲しいですね。あなたの病気を治すにはこのことは極めて重要なことです」

 

「ええ、私って駄目なの。すぐ、頭に来ちゃうから・・」

 

「それがいけない。自分の感情を入れて判断すると、常に曲がった結果しか得られません。自分に都合の悪いことを言われると、怒りが出て、怒りは闘争を生み、闘争は破壊に発展する。破壊は苦しみでしょう。怒りの心は地獄の阿修羅を呼び、里子さんの体を支配してしまうことになります。そうして里子さんは、肉体的、精神的に、様々な苦悩を作り出してしまいます」

 

「私、わからない。頭が混乱してきた」

 

「里子さん、自分の心の中で思っていることで、自分に嘘がつけますか」

 

「自分に嘘ですか」

 

「そうです」

 

「自分の心には、嘘をつけません」

 

「その通りです。他人には嘘がつけますか」

 

「他人には嘘がつけます」

 

「そうでしょう。私の言いたいことは、自分に嘘のつけない正しい心で生活することが大事だということです」

 

「だって、父も母も私のことなど考えてくれないし、すぐ気違いとか、バカだとか言って、私のことを聞いてくれない。だから考え込んでしまう。すると自分が分からなくなってしまうの・・・」

 

「里子さん、あなたが、お父さん、お母さんから嫌なことを言われたり、叱られたりした場合、心の中でうるさいことを言っていると思った瞬間にあなたの胸のあたりがムラムラとして来て、自分を抑えられなくなってしまうでしょう」

 

「そう、いつも、頭がおかしくなってしまうのは、そのような時が多いです。心の中で思っただけで、自分がイライラしてくるの」

 

「そうでしょう。想うことが正しい心でなければ、即座に地獄霊に通じて、自分を失ってしまうのだよ。里子さん、あなたは心に正しい物の判断規準が無いからだよ」

 

「そんなこと言っても、いつもガミガミ言われたら頭に来てしまうのは当然でしょう」

 

「里子さん、頭に来てしまうのが当然でしょうということが、いけない事なのです。既に心の中に毒を食べている。心の波動は地獄界に通じてしまうのです。結局、自分を失ってしまうことになるのです。決して、感情をむき出しにしたり、心の中で恨んだり、妬んだり、怒ったり、嫉妬したり、謗ったりしてはならないのです。想っても行動しても、同じ結果になることを知らなくてはならないのです」

 

「でも親だからと言って、私を子ども扱いにして、私の意見も聞いてくれないので、感情のまま叱られても我慢しなければならないの」

 

「我慢・・。この場合、我慢するということは、心の中に反発の機会を狙っているということです。我慢ではなく、どんな辱めを受けてもそれに耐えて、冷静な心で毒を食べないようにすることが大事です。つまり、忍辱ということです。我慢は心の中にしこりを作り出してしまいます。叱られているのは、自分ではなく第三者だと思って、正しく判断することが大事です。第三者の立場に立っていれば、判断も正しいのです」里子は高橋先生の話をじっと聞いている。

 

「里子さん、私の著書を読んだことがありますか」

 

「父がこの本を読みなさいと置いていきましたが読めないのです」

 

「どうして」

 

「二、三ページ読み始めると目がチラチラしたり、頭が重くなってきたり、最近は持っただけで、気分がおかしくなってしまうの。あの本は恐ろしくて・・・」里子は首をすくめ、

 

「その本、本当に不思議な本だわ」と言うのだった。

 

地獄霊に取り憑かれている人々が、高橋先生の著書を読むことが出来ないというケースは非常に多い。何故かと言うと、地獄霊にとって、高橋先生の本は敵のようになっているからである。人の心が素直に明るくなると、地獄霊は憑依できなくなる。そのために彼らは手段を選ばなくなってくる。例えば、体を弱らせたり、のどを締め付けたり、胸を押さえつけたり、目をぼやかしたり、眠気を与えたりするようなことを平気でやるのだ。よほどの勇気と決断を持って、読まなければならないのだ。

 

「里子さん、あの本は「心の原点」でしたね」

 

「そう」

 

「里子さんの耳元で読んではいけないと言われたことがあるでしょう」

 

 

 

 

「あります」

 

「それは生きている人から、それとも、目に見えない世界の者から」

 

「そうね。男の子の声で、そんな本を読むな、読むと苦しくなるぞ、やめろ、捨てろと言って、私の胸を押さえつけるの。捨てれば父に叱られるし、押し入れの中に隠してあるの」

 

「そうですか、声の主は地獄霊ですよ。里子さんに読まれてしまうと、もう里子さんには憑けなくなってしまうので恐ろしいのです。私の著書は心と行いについて正しい在り方を書いてあるから怖いのでしょう」

 

「そうなの。でも私もあの本が怖い」

 

「里子さん、あなたは正しい心と行いの規準が分からないために、苦しんでいるのですよ。私が憑いているから、その本を押し入れから出しなさい」

 

「怖いから嫌。怖い、怖い」地獄霊の脅迫を怖がっている。しかし、里子は押し入れを指し、「あの布団の一番下にある」と子供っぽく言った。高橋先生は布団の中から数冊の著書を持ち出し、机の上に置き「心の原点」を手に取って、

 

「里子さん怖くないよ。私が持っていても何でもない。自信を持ちなさい。さあ、1ページでも声を上げて読んでごらん。絶対に大丈夫だ」里子は恐る恐る本を手にして、しばらく表紙を見つめていた。

 

「里子さんどうですか」

 

「あれー、何も聞こえないし、手もしびれてこない」と言いながら目次を追っている。

 

「不思議だ。字が読める。字が読める。不思議だ」里子の頬に涙が一筋、二筋・・顔色も赤身をさしてきた。こうして、里子はようやく自分に戻ることが出来た。里子にとって大事なことは自分に自信を持つ事だった。心の中にスモッグが無ければ神の慈愛の光を受けて、安らぎのある人生を送ることが出来る。人の心は「一念三千」である。私達の心は無限に想像できるが、心を乱す不調和な波動を発信すれば、その不調和に比例した地獄界に通じ、心の中を攪乱されてしまうのである。里子は、その後、高橋先生の本が読めるようになり、自分の過去24年間の歳月を八正道で修正した。つまり、思ったこと、行ったことの一つ一つを反省し、自己確立していくことが出来たのである。小林家にもようやく春がめぐってきた。精神病の追放には、これしか方法がないのである。

 

(8)行(ぎょう)について

 

仏教は長い歴史の中で様々に変化した。その教えと行は、現れては消えて行った個性の強い指導者たちにより、彼らの知や意によって創作された為、仏教本来の、目的と手段が分からなくなってしまった。本来の行とは,私たちの日常生活の中にあるはずである。人里離れて、山や寺院にこもり、霊的な何かを得ることによって悟った、悟らないというものではない。大自然の法則にあった生活が行なのである。私達が朝早く起きて、顔を洗い、感謝の心で一日が始まる。昼は職場にあって、報恩と奉仕を持って働く。夜、我が家に戻り、一日の安らぎと、家族の健康と調和を喜び合い、反省と感謝の一日を終える。自然は、中道と言う調和の、愛の生活を、私たちに教えており、そうした生活を営むことが行なのである。毎日の生活にこそ行がある。

 

心の在り方を忘れた肉体行は、やがて地獄霊の食い物にされ、取り返しのつかない人間失格への道をたどることになる。19746月の関西方面の研修会のことである。一人の中年婦人が質問した。

 

「私は20年近く冷え症で困っています。今日も京都にくるのに、毛布を膝にかけて、寒さをしのいできました。どうぞこの苦しみを救ってください」と言うのである。背の低い頑丈そうな体格をした婦人が、毛布を腰から膝に巻かなくては、寒くていられないというのである。高橋先生の心眼には、夫人の後ろに、白い着物を付けた修験者が、はっきりと立っているのが見える。まさしく地獄霊である。

 

「あなたは信仰をしていますね」

 

「はい」

 

20年くらい前から厳しい肉体行をされましたね」

 

「そうです。滝行もやりましたので、それから冷え症になったのです」婦人の後ろに立っている地獄霊は夫人の心を混乱させて、高橋先生の言葉を聞こえないようにしていた。

 

「お前は、神の子としての自覚を忘れて地獄に堕ち、この女性に取り憑いているが、それは許されません。この女性から離れるのです」と言った途端に、女性の人格が変わり、男性の声になってしまった。

 

「いかにもわしは修験者だ。この者が一生懸命に、滝行をして修行をしているのを見て、力を貸してやりたいと思って協力しているのだ。それがなぜ悪い」

 

地獄霊は女性の体を支配して女性の口を通して、反問してくる。

 

「お前が地獄界に堕ちて、この女性を救ってやろうとは、とんでもない事だ。お前が浮かばれていないのに、他人を救うことがどうしてできよう。あなたは生前、家族を放り出して家族の者を露頭に迷わせ、間違った信仰の道に入り、修行中に山道から、谷底へ落ちて死んだのだろう。この女性に憑くとは、とんでもない間違いだ」

 

「光が強くて、お主を見ることが出来ない。ちょっと待ってくれ」と言いながら、その場にひれ伏してしまった。

 

「修験者。そなたは自分が地獄の冷たい世界に堕ちていることを知っているのか。人を救う前に自分を救うことが大事ではないか。いわんや、この女性に憑依して、精神を混乱させている張本人はお前ではないか。私に見つかった以上はどこにも逃げられないのだ。どうする」

 

「わしは、この女子に神の道を教えているのじゃ。この女子が憐れなのじゃ。不憫なのじゃ。わしが救ってやりたいのじゃ」

 

「ちょっとまって、お前は、この女性を救ってあげたいと言っているが、本当は自分の行く場所がないので、この女性に憑いているのではないか。本当のことを言いなさい」

 

「へー。恐れ入ります。わしも救われたいのじゃ。この通りだ」

 

「その言葉は真実か。そなたはこの女性に神じゃ、竜神じゃと言って、この女性の口を通して多くの人々を迷わせてきたではないか。その罪の償いをどうするのか言ってみなさい」

 

 

「へー。その通りです。多くの人間を迷わせたことについては、どんな罰でもお受けします。この寒い場所から救ってください。わしを助けてください。この通りです」

「それでは、なぜ、お前は地獄に堕ちたのか知っているか、答えなさい」

「はい、わしはこの女子と同じように家族が次々と不慮の死にあったり、気違いになったりでその因縁を断とうとして、修験者の道に入りましたが、この始末です」

「そなたは家族のことよりも、自分が救われたかったのではないか」

 

 

 

「へー。その通りです。」

 

「お前は働くことが嫌で、家族の生活苦を見て見ぬふりをしていた。違うか。家族に対してはもちろんのこと、他人のために心から尽くしてやったことがあるか。いつも自分のことしか考えないで、自分に都合が悪いと暴力をふるい、家族に温かい言葉すらかけたことが無い。どうだ、違うか」

 

「恐れ入りました。その通りです。良子、許してくれ。おれが悪かった。お前たちに何もしてやれないで,許してくれ・・・」地獄の修験者の心の中に、仏心が蘇ってきた。婦人の体を通して修験者は、大声を上げて泣いている。

 

「修験者よ。そなたは生前の行為を心から詫びている。さて、今、肉体を借りている女性に対して、今まで狂わしてきた罪については、どうするのだ」

 

「許して下され。わしは神だ、竜神だと言って、あなたを迷わせました。私は地獄にいる亡者です。今までの罪を許して下さい。この通りだ」修験者は夫人の体を使って、夫人に謝っている。婦人は、一人二役を演じているわけだが、はたで見ている人には不思議に思えたろう。しかし、不思議でも何でもない。肉体を持っていないのだから、肉体を持っている者を借りなければ自分の心を表現する方法がない。人格がコロコロ変わってしまう人は、地獄霊が支配していることが多い。正しい想念と行為を忘れ去った人々に起こる霊的現象なのである。

 

「修験者。あなたの心の中にこそ真の神があるのだ。あなたは自分自身を偽ることが出来るのか。どうだ」

 

「はい。偽ることはできません。わしは修験者として、神の名のもとに、多くの人を迷わせました。心にもない嘘をペラペラと言って、それが私を守っている神だと思わせ、そこまま伝えて、多くの人々に迷惑をおかけいたしました。私を許してください」

 

「すると、死後の世界には神はいなかったのか」

 

「へえー、私に神だ、仏だと言っていたのは狐でした。わしは恐ろしくて、恐ろしくて…、神様助けてください」

 

「生前は動物霊に騙されていたのか。あなたを救うことが出来るのは、仏性であるあなたの心の中の善我なる自分自身である。あなたが真実に間違った想念と行為をしたことを認め、二度とその間違いを犯さない決心が出来た時に、許されるのだ」

 

「有難うございます。体が温かくなってきた。神様有難うございます」頭を床にこすり付けて泣いている。

 

「修験者。あなたはこの女性に心から詫びて、体から出なさい。体内くぐりをして出なさい」婦人は両手を頭上にのばし、地獄の修験者は彼女の体から出て行った。

 

地獄霊が自分の非を悔い、それを改めることによって、天上の世界に帰って行ったのだ。婦人の顔色は紅潮して、今までの青ざめた顔とは違っていた。見ていた数百人の人は歓声を上げた。元気になった婦人が口を開いた。

 

「私の体にカイロが入っているようです。暖かいです。何か体全体が軽くなり、頭がすっきりしてしまいました。私に何か憑いていたのでしょうか」

 

「その通りです。地獄の修験者が、あなたを守っていたようですね」

 

「すると、今まで、私の口を通して、竜神だと申されていたのは地獄霊でしたか。ひやー、恐ろしい」婦人は目を丸くし頓狂な声を上げた。

 

「あなたも同じ類なのですよ。あなたの心が地獄霊を呼んでいたのです。思うことや行うことの正しい規準を知って生活しなければ、異なった地獄霊にまた憑かれてしまいますよ。あなたは今の信仰を止めることです」

 

「私の家は災難続きです。兄弟が気違いになり、父は納屋で自殺し、妹も自殺しました。この因縁を断ちたいと思って、今から20年前に信仰に入り、大峰山や修験者の山で滝に打たれ、厳しい修行をやってきました。私の信仰は間違っていたのですね」

 

「その通りです。心と行いの正しい規準を持たない信仰は間違いです。他力で人は救われないのです。昔の東京の空は真っ青で美しい太陽の光が私たちを包んでくれていました。文明の発達に従って、今の東京の空はスモッグで、太陽の光が受けられません。光化学スモッグによって、街路樹の葉が黒く焼けて落ちることがあります。スモッグは人間が作り出したものです。南無阿弥陀仏とか、南無妙法蓮華経とか、天にまします我らの父よ、と祈ったところで、公害が防げるでしょうか。私達が公害を出さないようにする以外にはないのです。・・・・恨み、妬み、誹り、怒り、愚痴、足る事を忘れた欲望、嫉妬、無慈悲な行為など、すべて自己保存、自分さえよければと思う行為が、公害のもとになっているのです。そのために私たちはブッダが説いた八正道による生活以外にはこれを取り除く方法がないのです。八正道を生活の中に導入した時に、心は丸く豊かに、安らぎのある日々を送ることが出来るでしょう。心の中に歪みがあっては正しい判断はできないのです。常に丸い豊かな慈愛に富んだ心だけが、万物の霊長である私たち人間の正しい生き方だと言えましょう」

 

「よくわかりました。今まで苦しい時の神頼みで、一生懸命に経文あげて頼みました。私が間違っていたようです」

 

「あなたは経文をあげると言われましたが、経文の意味が分かりますか」

 

「いいえ、般若心経は貴い経文であるから、神仏の前で、唱えていました。先輩から教えられたものですから。意味は唱えているうちにわかると言われていましたが、まだわかりません」会場から爆笑が起こった。しかし、笑っている人も、この婦人と同じような信仰をしていた者が多かったはずである。経文は人間の道の在り方を、かくあるべしと説いたもので、唱えることに価値があるのではない。多くの人は唱えることに功徳があると思っている。高橋先生はこの婦人にもう一度質問してみた。

 

「摩訶般若波羅蜜多心経とは、どういうことですか」

 

「はい。至彼岸と教えられました」

 

「至彼岸とはどういうことですか」

 

「神仏の境地に到達することです」

 

「では、神仏の境地に到達するとはどういうことですか」

 

「霊感を得て衆生済度することです」

 

「それはおかしいですね。それであなたは厳しい肉体行をやられて、至彼岸ではなく、地獄霊の至彼岸になってしまったのですね」

 

「どうもそのようです。私にもわかりません」

「至彼岸は間違いではありませんが、あまりにも略しすぎています。この言葉はインドの古代語を中国語で当て字したものです。摩訶とはマハー、すなわち偉大と言うことです。般若とはパニャー、智慧です。波羅とはパラー、行くとか到達する。蜜多とはミタ―、すなわち私たちの心に内在されている転生輪廻の長い過程を通して体験された偉大なる智慧と言う意味です。その偉大な智慧に到達するという心の教えを中国語に訳して摩訶般若波羅蜜多心経と言うわけです。私達の心の中には、あらゆる体験された智慧がある。肉体舟に乗ってしまうと、五官煩悩のスモッグによって、分からなくなってしまうため、盲目の人生を送り、苦悩を作ってしまうのです。・・・・・仏教で南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽浄土に帰れるという一派がありますが、唱えてもダメです。南無とは古代インド語でナーモ、すなわち帰依するという意味です。阿弥陀はアモンで、光の天使の名前です。仏は悟られた方の称号です。アモンは古代インドのバラモン教の神の名前である。また、古代インドのバラモンの教えは、エジプトが発祥地である。アモンの説いた方に帰依するということが、いつの間にか南無阿弥陀仏になっていった。念仏の根本は、仏の教えを実行することであり、他力によって人心を救済することは不可能なのである。自力によって、自分の心と行いの間違いを正してこそ、偉大なる神の光によって他力の力が与えられるということを忘れ去ってしまったのである。他力では人間は救われないということを知らなければならない。ブッダもイエス・キリストも人間の道を説いたもので、その道を実践した時、至彼岸になるということなのである。偶像や十字架を祀って拝みなさいなどとは一言も言っていない。しかし、長い歴史の過程で、仏教もキリスト教も人々の知と意によって、チリと埃の中にうずまってしまった。

 

 

 

 現代の仏典を、無学文盲の二千五百有余年前のインドのシュドラー(奴隷階級)や、商工業者階級の衆生に理解させることが出来るだろうか。今日の聖書を持って、二千年前のイスラエルの衆生に真実の愛を教えることが出来るだろうか。非常に難しい事だ。現代人の義務教育を受けた人々でも正しく理解することはできないでいる。学者や専門職の人々でも、知識だけで行為がないから智慧の門を開くことが出来ない。かえってその知識が、増長慢を生み、地位や名誉に執着する引き金になっている。僧侶や宣教師の着物の色分けや、金襴緞子の高価な衣装の差によって、人間の価値が異なってくるのではない。イエス・キリストやブッダの、非常に粗末な着物を身にまとった像や写真などを見れば、容易に察せられよう。金の力で地位や名誉を買い、その地位に安住しようとしている者たちは言語道断である。彼らは偽善者の集団である。理解できない経文や、心を失った肉体行の中からは、安らぎと調和された真実の自分を発見することはできない。心を忘れた肉体行、他力信仰は非常に危険であり、そうした迷信から目覚めなければならない」

 この婦人は20年間も厳しい肉体行と言う迷路にはまり込んで地獄霊に取り憑かれ、方向感覚を失ってしまったが、今では、毎日を人間らしく楽しく送っている。

高 橋 信 次 著 「悪  霊 (Ⅱ)」 の 要 約

(1)他力信仰の恐怖

 信仰の形態を見ると、そのほとんどが他力信仰である。仏教、キリスト教、回教、その他、新興宗教に至るまで、他力でないものはない。どうしてこのように他力信仰が流行するのだろうか。業の深さは一人では解消できないと思い込んだ時から、他力信仰が始まったと言える。しかし、人の心は他力信仰では救えないし、成仏も不可能である。仏陀もイエスも他力信仰は説いていない。今こそ、人間の原点に立ち、自分自身を含めて、社会の混乱を救うものは何か、真の平和はどうすれば良いかを反省する必要がある。仏閣や教会の中で、経文を上げたり、アーメンと祈ったりしても、その意味なり真意をくみ取り、実践しない限り、私たちの苦悩は解消できない。

 197482日、志賀高原・熊の湯温泉における夏季研修会が開かれた。参加者は、あらゆる職業の人々が集まっていた。この中には宗教団体を歩いてきた人もいたし、精神不安定な人や、人生の苦悩を一身に背負って心に安らぎを失った人たちも多くいた。参加者の中には、高橋信次先生が主催する研修会がどんなものか、スパイのような任務を帯びて来ている者もいたし、論戦を挑んでくる者もいた。しかし、その半面、自分に忠実であり、真面目に道を求めているとすれば、こうした態度になるのも仕方がなかった。

 生き神様は決まって殿堂を建てたがる。神を祀る祭壇が無いと承知しない。祭壇や殿堂は、人間の心を不思議と敬神の念にかり立てるから面白い。昔、多くの武将が金や労力を動員して城郭を築いたのも、城自体が、城下の人々への無言の威令の役を果たしてくれたからである。人間は目に見える物に弱い。大きなものに弱い。生き神様として自己の欲望を満たすには、金ぴかな祭壇を作り、それを納める大殿堂を作るに限るのである。盲目な信仰ほど危険なものはない。

 高橋先生は、壇上に立つと、全員の視線が集中した。高橋先生が各人の心の調和度を見ると、不調和な者があまりにも多いので、気が重くなるという。しかし、心の豊かな人々は、その豊かさに比例した淡い黄金色の光で覆われている。愚痴や不平不満の強い者、怒りや欲望に心が揺れている者には光が見えず、周囲の雰囲気を汚している。この日は「人間はどこから来たのか。どんな目的と使命を持っているのか。死とは何か」について話した。講演時間が2時間半に及んでしまい、しばらく休憩して質問の時間に入った。50過ぎの夫人が手を上げた。

1)稲荷大明神

「先生、私は幼少の頃から神様の声を聞き、いろいろ不思議な現象を経験してきました。しかし、今もって神仏の実態がつかめません。特に「心の原点」を読んでからは、私を指導して下さっている神様に疑問を持ってしまいました。そのため、毎日が肉体的にも精神的にも苦しいのです。私を指導して下さった神様を信じなくなったので罰が当たったのでしょうか。どうぞ教えて下さい」

「鈴木さん(仮名)あなたはこの研修会に参加することについて、あなたの背後にいる神様から大分反対され、肉体的にも精神的にも不調和をきたし、ようやくの思いでこの場所に来たのですね」

「はい、その通りです。昨日も腰から足の関節が神経痛にかかり、研修会には出られないのではないかと、心はイライラしていました。これは参加してはいけないのだなと思いましたが、勇気を出して参加したのです。今も体がしびれて足の関節が痛くて仕方がないのです。私を救ってください」こういうと、彼女は手を合わせるのであった。顔色が悪く、本当に苦しそうであった。溺れる者は藁でもつかむ思いで、やっと来たのである。この夫人は、あらゆる宗教に顔を出し、心の中に多くの毒を食べすぎたようである。気の毒なことに、そうした宗教の食い物にされていたのであった。

「あなたは小さい時から、両親とともに、屋敷の中にあるお宮を拝んでいたようですね」

「はい、その通りです」

「お宮に祀ってある神様があなたを守っているのでしょう」

「小さい頃から私の耳元で、私は稲荷大明神であるぞ、そなたの守り神じゃ、と言っていました」

「あなたのお母さんは、とても熱心に信仰していましたね」

「はい、人助けの為に父が祀っていたのですが、父はしばらくして亡くなりました。母はそれを受け継いで信仰してきました。私は4歳の頃でしたので、父の記憶はありません。しかし、母は祀ってある神様のお告げで私の家に訪ねてくる人々に、相談に乗ったり、病気を治したりして、本当に信心深い人でしたが、訪ねてくる人々の悪い業を一身に受けて、長い間病床に伏していました。しかし、とうとうその病に勝てず、私が18歳の時に、この世を去りました」

「うん、なるほど。しかし、そんなに信仰深いお母さんやお父さんが、なぜ、早死にしたのですか」

「信者の悪い業を全部背負ったから死んだのでしょう。私を守護されている神様がそのように言いました」

「ははあー、あなたの神様がねえ」高橋先生がこう言った途端、会場の中から失笑が漏れた。人の業を背負うということは不自然であり、神理を知る者には、それが逃げ口上以外の何物でもないことが分かっていたからである。ある教団の教祖も喘息に苦しみ、演壇に立つ事すらできなかったと聞いている。教祖の言葉によると、自分の喘息は人類の業を一身に背負ったからだということであり、信者もそれを認め、業を背負う教祖の犠牲的行為に涙を流し、ますます教祖を崇め、盲信に走っているという。無知ほど恐ろしいものはない。また、霊的な問題は、生半可なことでは理解することが出来ない。各人の業は、各人自身が作り出したものであり、人の業を背負うことなどできないのである。人類の業などと言って、他人のせいにして信者をごまかすなど、もってのほかと言わざるを得ない。

 イエスは十字架にかかった。その十字架は人類の業を償うためと伝えられているが、イエスを信じただけでは救われるものではない。イエスの説いた愛の行為を実践することによって、功徳が現れてくるのである。もしも人類の業がイエスによって肩代わりされたとするならば、イエス以後、調和された社会が実現してもいいはずである。しかし、人類の歴史は戦乱が絶えないではないか。人々は欲望の渦に巻き込まれ、勝手放題のことをしている。アーメンと唱え、胸に十字を切れば万事うまくいくと考える人間の欲望の深さは、人類をますます泥沼に追い込み、救いのないものにしている。何が正しく、何が正しくないか素直な気持ちで省みる必要がある。

「鈴木さん、あなたのお母さんは感情の起伏が激しい人ではありませんか。例えば、人から予言が当たらない、病気が治らなかったと言って悪口を言われた時など、烈火のごとく怒ったことがあるでしょう。あなたに対しても厳しいお母さんであったと思います」

「その通りです。神様が入っているときは、言葉も男のようで、厳しいことを言いました。そして、昨日言ったことと今日言ったことが反対と言うことがしょっちゅうでした」

「神様がお母さんの中に入ると、人格が変わってしまうのですね」

「そうです。私もその時は、母親だと思っておりませんでした。やはり、神様の言葉と信じておりました」

「小さな子供を、お父さんやお母さんが、叱り飛ばしたり、難題をつけたり、滝行を強要することがあるでしょうか」

「そういうことは、まずないです」

「そうですね。盲目の人生を歩いている人間に、親である神が無理難題を言うわけがない。神が罰など与えるはずもない。もし罰が当たったとすれば、自分自身の思っていることや行っていることに悪い原因があったからです。悪い原因は自分が作ったのです。神仏が罰を与えることなど絶対にないのです」

「すると、私の信仰してきたものは悪い霊だったのでしょうか」

「そうです。悪い霊だったのです。しかし、悪霊が憑くだけの原因はあります」

「どうも納得がいきません。私は40数年間、毎朝毎晩、経文を上げて一生懸命、行をしてきました。悪いことはしたことがありません」

「鈴木さん、あなたは悪い事をした覚えがないと言いますが、あなたは善悪の規準をどのようにしていますか」

「さあー、そういわれると困りますが、他人に迷惑をかけないということでしょうか」

「それだけでは正しい規準を理解しているとは言えないですね」

「でも他人に迷惑をかけなければ、それでよいではありませんか」

「他人に迷惑をかけないことは、もちろん正しい事です」

「私を指導している神様は本物でしょうか」

「それを確認したいと思うなら、あなた自身で確かめてください。よかったら、こちらに来てください」と呼びかけると、鈴木清子は、前にいる大勢の人々の中をかき分けながら壇上に上がってきた。

 一見、健康そうな体つきだが、清子の体は憑依霊に支配されていてガタガタだった。清子は心の中でどうして本物か偽物か分かるのだろうと、つぶやいていた。40年近くも霊的現象が現れ、神々の使いとして自負してきた彼女である。そして、肉体的苦痛に耐えてきた彼女でもあった。日蓮宗の教団、新興宗教のM教団、S教団、はては霊力のある拝み屋など、およそこれだと思うところは、歩かぬところはなかった。どこへ行っても、自分の背後にいる神様を言い当て、納得させる人はいなかった。人前に出され、結論が出ないまま、恥をかいて、今度もまた後悔だけが残るのではないかと彼女は不安になった。

「鈴木さん、体を楽にしてください。あなたを守護している神様を体に入れてください」

「私、そんなことできません」

「鈴木さん、あなたはいつも神様と話をしているではありませんか。その神様を出すのがどうしていやなのですか」彼女はしぶしぶその気になった。その時、彼女の顔がみるみる蒼白になり、震えだした。彼女の背後に真っ白な狐の霊が姿を現したのである。合掌していた彼女の手が急に上下運動をはじめ、口元が動き出した。彼女は自分の意に反して狐に支配されてしまった。

「ホー、ホー、ホー」言葉にならない言葉が彼女の口から出た。

「鈴木さんを支配している守護神様、どうぞ、はっきりとした言葉で語って下さい」

「ホーホケキョー、ケキョ、ケキョ」と鳴き出した。

「あなたは鶯なの。あなたは本当に鶯ですか」彼女は頷くのである。彼女はSK教に入信しており、鶯の神様が憑いているというので新潟方面では名が知られているようであった。そればかりか、いろいろな所で霊的体験を発表して得意になっていたことも高橋先生にはわかっていた。

「お前は鶯の霊ではないはずだ。法華経の題目を少しばかり知っているので、この者(鈴木さん)騙し、その上、この女性の口を通して鶯のなき声を真似ているただの動物霊。嘘をついても私は騙されない。事実を言いなさい。本当のことを言いなさい」支配していた霊はピタリと黙ってしまった。

「この女性の背後にしがみついている動物霊。いい加減なことを言ってもダメだ。おまえはもはや私の手中から逃れることはできない。どうだ、本当のことを言うか」

「申し上げます。申し上げます」

「本当のことを言いなさい」

「はい。私は稲荷大明神じゃ・・・」

「お前はまだ嘘をついている。どこの稲荷大明神だ」

「この者の屋敷に祀られているものじゃ」

「お前は本当の稲荷大明神だと思っているのか」

「間違いなくこの者の屋敷の神じゃ」

「なぜ神に祀られたのか。誰の命によってこの女性の守護をしているのか」

「屋敷の神としてこの者の父親が祀ったのだ。この者の両親は信仰深く、その願いにより守護を務めている」こう言うと、彼女を支配している狐は威張ってみせるのだった。

「稲荷大明神とやら、お前は盲目の人間に祀られながら、なぜ、この家を不幸にしてきたのか」

「不幸になどしていない。この者の母は、わしが協力して多くの人々の病気を治してきた。悪いことなどしていない」

「しかし、現実は、家屋敷は人手に渡り、この者の両親は長い間の療養生活の末、みじめな姿で一生を終わっていったではないか」

「この者の母親は、他人の業を一身に受けたので病気になったのだ。わしの責任ではない」

 人の業を受けるということは心の正しい法則を知らず、自分自身が暗い心を持ち、怒り、愚痴、足る事を知らぬ欲望のままに生活しているので、憑依霊が本人の体に憑きやすい状況を作っているに過ぎない。類は類を持って集まる。さわらぬ神に祟りなし。苦しみの原因は、他ならぬ自分自身が作り出したもので、他人にあるのではない。その責任はすべて自分にある。苦しみを取り除くには、苦しみの原因を取り除くことが先決である

 地獄霊の多くは、表面的にはもっともらしい事を教えているが、裏に回れば欲望の虜であり、その周囲に悪い種をまく者が多いのである。稲荷大明神と名乗る動物霊もそうであった。

「お前は先ほどから、いかにももっともらしいことを言っているが、お前自身は稲荷大明神でも何でもない。お前はただの動物霊。私はお前の姿を見ているのだ。もうそろそろ本当のことを言いなさい」 動物霊はうつむいたまま黙っている。

「お前は現実に多くの人を迷わしてきた。この女性の心の中を支配して、精神的、肉体的苦しみを与えてきた。本当のことを言いなさい」

「本当に、嫌になっちゃうな。だから、最初からこんな所に来るなと言ったのだ。それなのにこの女は来てしまった。このバカ女」いよいよ本性を現してきた。

「稲荷大明神、ついに本性を出したな」

「それがどうした。本当にしつこい。もうわしは帰るよ」

「そう簡単にお前を帰すわけにはいかない。帰してしまうと、また無断で他人様を支配して不動明王だの稲荷大明神だのと名乗り、多くの人を迷わせてしまう。自分を名乗りなさい。」

「俺はこの屋敷に住んでいた狐さ。昔、俺の住んでいた藪を焼き払われ、住家を失ったうえ、この家の先祖に殺されたのだ。その恨みを晴らすために、こうしてこの家の子孫に憑いているのさ。他人様はつべこべ言うな。俺はこの女を一生苦しめてやる。誰が何といおうと絶対に離れてやるものか」

「地獄の狐よ。お前がいかに力んでこの鈴木さんにしがみつこうと、私はお前を離すことが出来るのだ。お前たちも神の子ではないか。百数十年もこの地上界の人々に恨みを持ち続け、不幸を与えたとしても、それでお前の心が休まるとでも言うのか。もうこれ以上、犠牲者を出すわけにはいかない。お前の犯した罪をおまえ自身の嘘のつけない正しい心で反省してみることだ。その時に、お前の心の中の曇りが晴れて、安らぎのある、光明に満ちたお前自身の心に帰ることが出来る」

「俺は殺された。小さな何匹かの仲間までがこの者の先祖に殺されたのだ。この恨みを晴らさないで、俺ばかりか、みんなの気持ちも収まらぬ」狐はこういうと泣き出してしまった。狐にも魂がある。恨み、辛みは人間ほど感じないが、蛇とか狐とかの場合、地球上での生活経験が長いので、他の動物たちより人間に近い感情を持っている。ことに狐は利口だし、あの世に帰ると、奸智が働く場合がある。しかし、動物は本能的であり、本能の命ずるままに生きている。動物が憑依する場合、たいていは狐が憑く。そうして人間と同じように語り出す。これは人間の意識を通じて話すので、人間が語るような調子になってくる。したがって神様だと思ってしまうのである。日本の霊的現象に、なぜ狐が多いのか。これは稲荷信仰が多いからである。稲荷大明神は天使の役柄である。五穀豊穣の神として地上の善なる人たちを助け、商売繁盛にも協力してくれる。もちろん、天使が直接手を下すというより、天使の下で手足となって働く狐たちがその役を担っている。そのため、お稲荷様を拝み、念願がかなったら礼を言い、天使の下に帰ってもらうことにすればいいのだが、人間は欲が深いので社を作り、年中稲荷に頼み込むという具合になる。それも粗末に扱うようになってくる。狐は粗末に扱われれば、動物の本性を現して家の中を不調和にしていく。外国では、蛇に対する信仰が多いので蛇の跳梁が非常に多い。鈴木清子に憑いていた狐は、恨み、辛みによる憑依であり、その執念は単なる信仰だけのものではなかった。しかし、執念を燃やせば燃やすほど、狐自身も苦しいはずである。そこで高橋先生は、その是非を言い聞かせた。

「狐でありながら稲荷大明神だの不動明王と名乗り、人間を狂わせてはならない。その罪は許されない。殺されたと言っても、それを恨めばお前も苦しかろう。相手を許さない限り、お前はいつまでもその苦しみから解放されることはない。百数十年にもわたって怒りの執念を持つなど愚かなことだ。お前は死んでおらず、生きているではないか。許すのです。許す以外にお前自身も救われることはない」

「悪い人間が長生きしている。自分の住まいや子供たちまで奪った者を許せとはあまりにも酷すぎる」白狐はまた涙を流した。

「お前の気持ちはわかる。しかし、お前が平安を得る道は許すこと以外にない。住家を追われ、子供を奪われたと言っても、お前より弱い他の動物たちを、お前がそうしなかったかと誰が断言できるか。できないであろう。無慈悲に殺生した罪は確かに悪いが、許すことによってお前も救われ、相手も前非を悔いることが出来よう。許すことだ」

 すると、彼女の背後にしがみついていた白狐の姿は消えるように彼女の体から去って行った。狐が去ると、彼女の顔色に赤みがさし、肩の凝りや足の神経痛が治ってしまった。

「あら不思議、体が軽くなった。胸のあたりも安らぎが出てきました。ありがとうございます」

「鈴木さん、あなたが小さい時から信仰していた神様は、動物霊であって、神様ではなかった。あなたの家族が不幸な目にあったのも、この動物霊の仕業です」

「どうしてです」彼女はキョトンとして聞き返すのであった。今まで泣いたり怒ったりしていたのは彼女ではなく、狐であった為、一部始終を知ることが無かったのである。あの世の霊が完全支配した場合、その記憶は全然残らない場合が多い。

「嘘だと思うなら、いつもの神様を呼んでください」言われるままに彼女は自分の心の中にいた神様に語りかけたが、返事が返ってこなかった。

「あら、神様の声が聞こえない。どこへ行ったのでしょう。不思議だわ」

「当然です。今のあなたは非常に平和です。イライラした気持ちはわかないはずです。今まで憑いていた地獄霊が離れたからです」

「そう言えば、本当に体がポカポカしています。本当に有難うございました」

「ちょっと待って下さい。あなたは、今まで思っていたことや行っていたことの一つ一つを振り返って、自分さえよければよいという考えを修正してしまうことが大事です

「はい、わかりました。では何を規準に反省するのですか」

「鈴木さん、あなたは子供の頃、信仰深い両親を尊敬していましたか」

「尊敬していませんでした。何故かと言うと、我が強い方で神様の言うことは聞きますが、家庭生活は争いばかりしていました。両親に相談しても無駄だという考えが私自身の心に芽生え、孤独な生活を作ってしまったようです」

「しかし、あなたが現在あるのは、両親の愛があったからではないですか・・・」

「親がいなくとも子は育つというように、両親がいなくても私はこのように育ちました」

「それはおかしいですね。現実にあなたを生んだのは両親ではないですか」

「生むことぐらい誰にでも出来ます。男と女がいれば・・・」

「人生行路の肉体舟を与えたのは両親です。しかも、あなたを生みっぱなしではなく、今日のように育てたのも、両親の無償の愛があったからでしょう。肉体舟に乗っているあなたは、ただ理屈を言っていますが、尊敬するかしないに関わらず、両親があればこそ、今のあなたがいるのです。生まれたままで乳も与えられず、着る物も与えられなかったのですか」

「しかし、それは当然でしょう。生んだのですから」

「あなたは自分一人で成長したのではないでしょう。生まれてくるのは生まれてくるだけの理由があるのです。病気をしたときには両親はあなたを心配し、寝ずに看護しておられたと思います。それなのに、男女なら誰でも生めるとは何事ですか」この夫人のように家庭が自分の意に適っていないと、両親が勝手に生んだと思いたがる。しかし、両親の肉体が健全であり、子供が欲しいと思っても、子供は勝手に生まれてくるものではない。また、経済的にも大変だと思っても、貧乏人の子沢山というように次々と生まれてくることもある。もともと、両親を縁に生まれてきたのだから、両親こそ最大の恩人と言うべきである。しかも、五体満足であれば、両親を非難する方が間違いであることを知るべきである。

「鈴木さん、あなたの兄弟姉妹の中はうまくいっていますか」

「みんな自分勝手で仲が良いとは言えません」

「あなたは自分中心の考えを捨てなさい。自分中心で生きようとすれば、必ず衝突が起きるし、自分独りでは生きていけないでしょう。この世をよく見てください。そして、正しく見る、聞く、語るということを学んでください。そうしないと、再び地獄霊に支配され、自分を失っていくことになります」

「それにはどうすれば良いのですか」

「私の著書(「心の原点」「人間釈迦」など)を一通り読んでください。そして、正しい反省の生活をする様にして下さい。迷惑をかけた人々の心から詫びなさい。そうするうちに、あなたの心の曇りが晴れてきて、神の光に満たされ、安心した生活ができるようになります。まず、自分を確立することです。今のような平和な心で生活することです」

「・・・・・・・」

「あなたは長い間、信仰の道を歩いてきました。そして、神の名のもとに、人々に信仰の道を説いてこられた。しかし、説教と言うものは誰でもできるのです。難しいのはその説教通りに正しく生きるということです。自分の偽りの我に克つことは、百千万の敵軍に勝つより難しい。しかし、それに克たねば人に道を説くことはできないものです。まず自分を作る。自分を作ると安心が得られる。その安心を人に伝えていくのです。すると人々はその安心に向かって正しく生活するようになるのです。百の説法より一の実行です」彼女の眼にはきらりと光るものが浮かんだ。彼女は黙ってうつむき、何も語らない。

「わかりましたね。真の信仰とは善我なる己の心に嘘のつけない生活をすることです」彼女は感謝の意を表すと、一礼し、会場の中に消えて行った。晴れ晴れとした彼女を迎えた会場は、割れるような拍手の波がしばらくの間続いた。

2)夜明け観音

高橋先生は汗を拭き、次の質問者を求めた。

「質問のある方は遠慮しないでください」会場は静まり返った。誰も手を上げる者はいない。先ほどの霊的現象で、まだ気分が冷めやらないようであった。

「さあ皆さん、遠慮しないで気楽に質問して下さい」高橋先生は微笑を浮かべ、質問を求めた。その時だった。後方に座っていた30代ぐらいの精悍な顔つきの青年が、手を上げてこう言った。

「私の神様を見てくれ。今の婦人は八百長じゃないのか。私を実験してくれ」この青年は、研修に来た同室の者たちに文句ばかり言っていた。神や仏だと言うが、私の方こそ本物だ。大体あの講師はインチキだ。俺があいつの化けの皮をはがしてやると、みんなに言いふらしていたのである。会社には総会荒らしと言う者がいるが、この青年は教団荒らしとでも言えよう。青年は会場の人をかき分けて壇上に近づいてくる。彼の後ろには大きな魔王が憑いていた。高橋先生はこの青年が壇上に来ると、実験に取りかかった。

「どうぞ皆様の方に向かって座って下さい」この青年は林治一()という。彼は無愛想ながら正座した。

「林君、君を指導している神様を出してごらん。自由にやってきてください」彼は瞑目合掌した。そして、ドスの利いた何やら分からぬ呪文を唱え始めた。しばらくすると、合掌した手が急に頭上高く上がった。彼の顔は真っ赤であった。彼が信仰している神が支配し始めたのである。左右の手が交互に8の字を描くように動き出した。そのうち、右手の親指と人差し指で丸を作り、左手も同じように丸を作り、左手は膝の上に、右手は頭上近くで停止した。俗にいう如来印を両手で作ったわけである。

「あなたは、どなた」

「私は天上界から来た神じゃ」上の方から覆いかぶるような調子である。あの世の魔王は慈悲も愛もなく、力により相手を屈服させようとする。彼らの世界は力がすべてであるから、この様になるのである。林青年から流れてくる霊的波動は感情的で荒々しく、普通の人なら彼の近くにいると気分が悪くなってくる。

「水は高きより低きに流れる。お金もまた同じだ・・・」左の手は前のままだが、右手が円を描きながら緩やかに動いている。

「今までは、この者は、この様にして左右に金が流れていたため、溜まることは無かったが、今は自分の懐に入るようになった」円を描いていた右手が彼の胸に吸い込まれるように移動し、金が入っていくような仕草をする。如来印は実はお金の丸を意味していた。会場の人はこれを見て吹き出してしまった。もっともらしいこと言ったかと思うと、急に俗界に逆戻りし、金が流れるの、溜まるのと言う話に落ちたからである。

「あなたは神ではない。真実を言いなさい」すると林青年は、印を解き、合掌を始めた。そして合掌のまま、その両手を頭上高く上げると、魔王は林青年から離脱しようとした。

「あなたは帰ってはならない。戻りなさい」高橋先生がこう言うと、魔王は再び林青年を支配し、合掌の形に戻った。

「魔王よ、あなたはなぜここに来たのか」

「またの名を教えてやろう。私は夜明け観音である」彼の両手は再び印が作られ、その印が鎖のように結ばれた。霊視できないと、神が乗り移ったような感じであるが、夜明け観音と自称する背後霊は体の大きい、光のない魔王であり、魔王の後ろには、龍や狐が控えている。天使が支配しているとすれば、こうした芝居じみた格好や言葉は吐かない。周囲は光明に満たされ、明るくなるものである。林青年自身の感情が激しく、総会荒らしのような粗悪な波動を出しているので、こうした魔王が近づき、心が魔王に支配されてしまう。天使を呼んでも、心の波動が異なるので、天使は近づくことが出来ないのだ。龍や狐は魔王の使い奴である。

「ここは何かしら心の休まる場所だな」勝手の違う場所に来た魔王は本音を吐いた。彼らの世界とこの場所では大きな隔たりがあるからだ。魔王にとって心が休まる所と言うのは当然なのである。

「私は光の天使としての使命を持って肉体を持ったのであるが・・・・、以前は閻魔大王として多くの手下を使っていた。しかし今は・・・」ともかく、自分は偉い人間だと言おうとしているのだろう。自尊心は人一倍強く、増長慢で、箸にも棒にもかからぬ御仁である。

「エイ、エイ、エイ」魔王は九字を切り始めた。その気合いと仕草は堂に入ったものである。そして、その手刀を高橋先生の方に向け、気合をかけてくるのであった。九字とは一種の呪術であるが、災害を払い勝利を得るための念力である。その昔、道家、兵家がこれを使い、後には真言宗で用いられたようである。九字とは九文字があり、それを空中に思念して描き、縦横に配列して手刀を縦横に切っていく。九字を切りながら魔王は反対に息苦しさを訴えた。

「魔王、どうだ。お前の法力で私を倒せると思っているのか。魔王の法力など私の光の壁を破ることはできない。無駄な抵抗は止めなさい」高橋先生は魔王に向かって、魔王がしたように九字を切った。すると、魔王は苦しくなったのか

「ウォー、ウォー」と叫び声を上げ、言葉も出なくなった。正しき者は、最後に勝利を得るものである。高橋先生が、和歌山市の労働会館で講演した時にも、聴衆の中に林青年と同じような人がいて騒ぎ立てた。その人が壇上近くまで来た途端、両手が金縛りにあってしまい、身動きが出来なくなってしまった。これは地獄霊に支配されている者が、正しい生活をしている人たちに危害を加えようとしたときに起こる反作用である。法を説く人々を守護する光の天使たちが、彼らの動きを封印することによって、こうした現象が起こる。高橋先生の職業は電気会社の一技術者であり、経営者に過ぎない。今はコンピュータを造っているが、宗教には全く縁のない素人である。→(しかしながら、高橋信次先生の生命の次元は9次元であり、その当時は、ブッダの意識によって講演をしていたので、エル・ランティ―の意識には到達していないが、仏教の開祖の意識で講演をしている)林青年に憑依している魔王は、間違った信仰によって道を誤った者である。

「魔王よ、そなたも神の子。いつまでも厳しい地獄界に堕ちて威張っていても、苦しみは増すばかりであろう。正法を知ることだ。自分の間違いを反省して正し、神に詫びることだ。反省しなさい」

「何、反省だと。そんなもの、遠の昔に忘れてしまった。慈悲、愛だと、そのようなことで生きていけると思っているのか。馬鹿な・・・」

「お前は安らぎのある平和な生活をしたいと思わないのか。力で人を征服すれば、力で征服される。これは道理というものだ。腕力や権力がいくらあっても、お前以上に力のある者が出てくれば、お前はそれに支配されてしまうことになる。もういい加減に力に頼る世界から脱け出しなさい。お前の心の中にも自分に嘘のつけない心があるはずだ。その心こそ、神の子の証なのだ。地位や名誉、権力、金、そんなものみんな捨ててしまいなさい。そうしたものに執着があるから苦しむのだ。一切の執着心を捨て去った時こそ、本当の幸せが来るのだ。お前にも両親があるだろう。育ての親もいたであろう。育ててくれた親の心になってみたことがあるか。お前は自分だけのことしか考えない。この地上で生活する限り、お前独りでは生きられないのだよ。お互いの助け合いがあってこそ、調和が生まれ、みんなが楽しく生きていけるのではないか。偽我を捨て、自分に嘘のつけない善我なる心に帰ることです」魔王は黙って聞いていたが、林青年の体から消えるように出て行った。

林青年の顔色は血色が蘇り、素直な自分に戻っていた。

「林君、君は間違った信仰に気付きましたか」彼は多少はにかんだようになり、

「全く記憶がありませんが、先ほどと違って、心の中が、何か朝の目覚めの時のようにさわやかです。不思議です。本当に不思議です」と言いながら、今起こった現象について彼は反省しているのだった。

「君は、魔王に心が支配されていた時に安らぎがありましたか」

「いえ、まったくありません。僕は中学時代から無口で内向的性格で孤独でした。そこで孤独から抜け出したいと思い、いろいろな所を歩きました」

「どちらで修行しましたか」

「仏教、神道、ある時は身延にいきまして肉体行もやりました。滝行をしているとき、神の声を聞きました。しかし、どういうわけか体の調子が悪く、医者にかかっていました。胃の調子も良くないので断食もやりました。密教もやりましたが、生活とかけ離れた修行なので疑問を持ち、何か正しい道があるのではないかと、いろいろな本を読みました。

「それであなたは進むべき道を発見できましたか」

「発見する為に宗教の門をたたいたのですか、「生命の実相」という本を読み、神想観をやってみました。また病気本来無し、常に善を思う、と言うことで一生懸命でした」

「その結果はどうでしたか」

「神想観をしているうちに、心の中に今までとは違う波動が起こり、どうしても落ち着かなくなり、苦しみました。今考えると、その頃から、霊的波動を敏感に受けるようになったようです。外に出歩くことが怖くなり、他人を見ると、僕の悪口を言っているような気がし、被害者意識が強くなり、こんな苦しみをどうして自分だけが受けなければならないのだろうと苦しみました。そして、いつのまにか神の声が聞こえるようになりました。お前はこの部屋から出てはならぬ。この場所で神想観をするのだ。食事もとってはならぬ。お前はわしの言葉を信ぜよ。他人の言葉を信じてはならぬ。食を取らなくても死ぬことはない。と言われ、その神を信じていました。そうして、この修行をすれば金で心配することもなく、一生の生活の保証さえ与えられよう。お前の欲しい物は、地位、名誉、金、女、なんでもすべて与えられる。と言われました。何か信じられない話ですが、その時はすっかり信じてしまいました。しかし、心の中の不安は、拭い去れませんでした。次第に体の節々が痛くなり、肩は凝るし、夜は神の通信が入り、寝られなくなってしまいました。そのうち神が。お前はもう不死身だ。その梁に紐を結び、首を吊って見よ。絶対に死ぬことはない。と言うので首を吊りました。目を覚ましたら、家族の者が私を病院に担ぎ込み、私は病院のベッドの上に寝ていました。目を覚ますと、また耳元で神が言います。お前は家族を信じてはならぬ。余計な事をするなと怒りなさい。私は言われた通りに母や兄弟に対して、なぜこんなところに連れてきた。僕は帰る。余計なことはするな。と大声で怒鳴ったのです。すると神は、お前を殺そうとして家族が病院に入れたのだ。注射を打ってはならぬ。注射をすると殺される。私は神の言う通り、医者や看護婦を怒鳴りました。私の言動があまりにも唐突なので精神病院に入れられてしまいました。病院生活は1か月ほどでしたが、退院後は商売をしましたがうまくいかず、苦しみの連続でした。それからある本に目が留まり、読んでいくと、一切の苦しみはすべて自分がなしてきた業が表面に現れては消えていく姿なのである。と書いてありました。人は神に祈ることによって、救われる。業が表面に現れた時は苦しいが、その業が消えていく姿なのだから、祈りによって自分自身を光に変えていく。そうすると、業の積み重ねはなくなり、だんだん幸福が得られるようになるというのです。私は、これは本物だと思い、この教団の門をくぐりました。それから夜明け観音と言う守護神が現れ、私を指導してきたのです。けれども商売はうまくいかず、葛藤の連続でした。だんだん自分が社会から取り残されていくようで、不安になりました。医者は精神安定剤と胃薬をくれましたが、夜は例の神の声で眠れず、神と教団の教えに困りました」

「林君、君は真っ赤になった鉄のサビを綺麗にするにはどうしたらいいと思いますか」

「サビを落とします」

「それからどうします」

「サビ止めのペンキを塗ります」

「そうですね。しかしあなたは、サビのある鉄にペンキを塗っていたものだから、後から後からサビが出てきて、すぐペンキが剥げてしまうのですね」

「どういう意味ですか」

「君はサビの落とし方を知らないのです」

「サビ落としの方法とは・・・」彼は不思議そうに高橋先生の顔を見る。

鉄の表面についたサビを完全に科学処理をしてからペンキを塗ることです。そうしないと、次から次とサビが出てしまう。鉄の分子と酸素の分子が化合して酸化鉄と言うサビに変化して行くのです。つまり、完全にサビを落としてから、鉄の表面が酸素に触れないようにするのです。君の心のサビもこれと同じで、小さい頃の心のサビが一杯詰まっているものだから、いくら表面にペンキを塗っても、すぐ元に戻ってしまうということです」

「ああ、そうですね」

「そのサビを落とさない限り、いくら神想観と言うものをやっても心のサビは落ちず、かえってその反対の結果が出てきてしまうのです」

「すると、サビ落としは生まれた時からするのですか」

「そうです」

「それは大変だ。でも、いくら表面だけ飾っていても中身が修正されなければいけませんね

「その通り」

「しかし、厳しいですね」

「苦悩の始まりは、欲望を満たそうとする時から始まるのです。鉄が出来た時から酸素が存在していたように、サビテしまう要素は誰でも持っているのです」

「すると、生まれた環境、教育、思想、習慣と言うものを正法と言う物差しで再検討する必要があるというわけですね」

「そう、その通り。正法とは中道、片寄らない大自然の法則を尺度に、自分の心の中に生ずる様々な思い、それに基づく行為について、その法則に適っているかどうか反省することです。ほとんどの人は、法則からはみ出した想念と行為で生活しているので、悩むことになる。君はまず、短気の性格から修正することです。何故、短気になるのか。自分の思う通りに物事がいかないから短気になる。短気は怒りに変わり、怒りは心に曇りを作ってしまう。したがって、怒りの心が酷ければ酷いほど、その曇りは広がり、広がった分量だけ苦しむことになる。怒りの心が揺れていると、君自身はもとより、周囲にもその怒りの毒をまき散らし、周囲の人達に嫌な奴だと、毒を食べさせてしまう。ますます君は、周囲の人たちから離れ、孤独になってしまう。怒りを発すると、肉体的にも障害が出てくる。血液は酸性になり、体に抵抗力がなくなり、病気になりやすくなる。胃腸には、この怒りの精神作用が敏感に響いてくる。君は痩せている。胃腸も良くない。それほど短気と言う怒りの感情が、心のサビとして抜けきれず、子供の頃から持ち続けてきているからです。まず、怒りの心が出てきたら、どうして出るのか、それを冷静に反省してみることです。するとその原因が必ずわかります。また、不調和な言動に心が混乱したならば、自分の感情を静め、一歩下がって、理性の力を借りることです。理性と言うものは、心の平安の時に良心と言う形で働いてくる。ものの道理を判断する能力ですから、この能力を思い出し、どうして自分の感情が激しく働くのだろうと考えるのです。感情と言うものは、自分の都合で波打つものです。自分の都合とは、自己保存のことです。第3者の立場で、理性の力で判断しているときには、自分の都合などは考えないものです。もし、相手から言われるだけのものが自分にあるならば、素直に詫びることです。なければ怒りでものを言わず、静かに話し合うことです。自分に落度がなく、言われる筋合いでないのに言われ、こちらがそれを説明しても相手が聞き入れない場合は、それでも決して怒らず、相手の心が冷静になるように祈ってやることです。どんな辱めを受けても怒ってはなりません。忍辱、耐え忍ぶということは大事なことであり、それは周囲を明るくするばかりか、自分の心も乱さずに済む。いつの日か必ずこちらの気持ちが通じて、和解するものです。我慢と忍辱は違います。我慢は怒りの想いを心の中に押し込んでしまう。押しこめられたものは必ず外に出る。その時は双方に傷がつく。忍辱とは我慢ではなく、冷静な心で、物事を心に溜めず、不必要なものは外に流してしまう。必要なものは心の糧とする為にチェックしておくことです。相手を恨まず、相手を許し、自分にとって必要なことを他山の石として活用していくことです。自分以外のものは、すべて、自分にとって心の糧、心の材料です。この原則を持つと、人と争うこともなく、怒りに心が震えることもなくなる。怒りは闘争につながる。反省は盲目の人生を渡っていく人間に与えられた神の慈悲と考えてください。事実、神の慈悲なのです。だから人間は、宇宙のような広い心を持つ事も出来るし、反対に、反省を怠ると、魔王のようになり、地獄で苦しむことになる。心の中を分けてみると、偽我と善我に分かれ、偽我が強くなると苦悩し、善我が偽我を克服すると平安になる」

「すると、今までの信仰は正しいものではなかったのですね。表面的な事ばかりを追いかけていたということですね」

「あなたは自動車に乗っていますね」

「ええ、10年以上乗っています」

「道路はどうですか」

「最近は良くなりました」

「交通事故はどうですか」

「私は事故を起こしたことがありませんが、なかなか減りませんね」

「どうして事故が多いのでしょう」

「車が多いからでしょう」

「車の所為ではないでしょう」

「それは交通法規が守られていないからでしょう」

「その通り。交通法規を守っていれば事故は少なくなるでしょうね」

「交通法規を無視するから事故が絶えないわけでしょう」

「無視するとは・・・」

「実行しないからではありませんか」

「そうです。人生行路と言う道において守るべき交通法規があります。ところが、人々は人生行路と言う道に法があるにもかかわらず、それを守らず、勝手な行動をとってしまうのです。インドの釈迦はそれを教えたのです。イスラエルのイエスもそれを教えたのです。釈迦もイエスも大自然の調和と言う法をわかりやすく教えたものです。その法がいつの間にか人々から忘れられてしまい、神は祈るもの、祀るものに変わり、他力信仰へと変わっていきました。法が守られてこそ、秩序が保たれ、調和されてくるのです。それが守らず、実行されず、拝めば救われるとしてきたところに、不幸の原因があるのです」

「題目や念仏はどうしていけないのですか」

「経文は人間の正しい生き方を教えているものです。唱えるものではありません。あなたは仏像や曼荼羅に向かって経文を唱えるということが不自然であると考えたことがありませんか。お釈迦様の仏像の前で般若心経や、法華経を上げたら、お釈迦様はどう思うでしょうね。くすぐったく思うでしょう。般若心経や法華経は、お釈迦様が教えた人間としての生き方が書かれたものです。その教えをお釈迦様の前であげる。もしお釈迦様が生きていたら、経文を唱えるより、それを実行しなさいというでしょう。ところが今日では、これが当たり前のようになり、経文は仏像の前であげるものと言うようになっている。お話になりません。曼荼羅に至っては、まったくの無知の行為と言えましょう」

「やはり、他力によっていては心の歪みを修正することはできませんね」

「公害のスモッグにしても、人々が欲望中心に動いてきたから起きたもので、これを綺麗にしようと思うならば、スモッグを出さないようにすることです。人の心も同じように、経文をいくら唱えても幸せにはなりません。人を恨む、愚痴、嫉み、増上慢、虚栄心、こうした心を中道に戻すとこです。南無阿弥陀仏と言う念仏があります。南無は、インド古代語でナーモと言います。ナーモは帰依するということです。阿弥とは、今から4千数百年前、アフリカで道を説いた光の大指導霊の名前で、その当時はアーモンと呼ばれていたファラオ(帝王)のことです。アーモン(イエス・キリストの前の生命)は大自然のルールこそ人間の歩む道であり、太陽のように、万物に平等に熱光を与えている姿こそ、神の心の現れであり、人の道だと教えたものです。太陽の無償の行為に感謝し、その感謝の心は報恩と言う行為によって正しく循環されます。正しい循環、つまり、正法こそ人間の生き方であると説いたわけです。その後、エジプトではアーメンと呼ばれ、ソロモンに入ってアミ―の神と言われるようになった。さらにギリシャに伝わり、インドに来てバラモン教の神に変わり、ヴェーダやウパニシャードの経典に見られるようになっていった。インドでは仏陀をダボーと言い、悟られた方を指したわけです。以上を直訳すると、「アミ―の悟られた仏に帰依する」と言うことです。仏陀は西方浄土にアミと呼ばれる仏がいると説いた。インドから西方とはエジプト、イスラエル方面の次元の異なった世界の天国を指したわけです。中国や日本でも西方浄土と言っています。アミダは架空の仏ではなく現在でも如来であるということです。念仏はこのアミダの法に帰依するという信仰であり、唱えるものではないのです。法に帰依するとは、法を実行することです」

「どうもありがとうございます。よくわからせていただきました」

「君は正法を実践することによって、今までの不調和な生活から抜け出して安らぎのある人生を送ることが出来るでしょう。まず、反省によって、心の中のスモッグを除くことです」

「もう魔王は来ないでしょうか」

「君が今のままなら、魔王はいつでも来るが、心の中が法によって正されていれば、魔王は近寄ることはできない。魔王と仲良くすることは止めましょう」

「本当によくわかりました。ありがとうございました」

林青年は会場の人々に挨拶して降壇した。会場からは拍手が湧き起こった。現在彼は魔王に心をゆだねることなく商売も繁盛し、健全な毎日を送っている。

(2)日本のエクソシスト

 現代は科学の時代であり、妖怪変化、化け物などは縁遠いものと思われがちだが、実は、いくらでも転がっているのである。人間が不調和な想念のままで生活する限り、妖怪変化の世界は各人の心の中にある。心の中の様々な思いが、妖怪を創造し、変化させ、動き出させるのである。異次元の世界では、毎夜、彼らの暗躍が繰り返されている。1975年2月9日、高橋信次先生は定期講演会の為に東京駅を出発した。目的地は新大阪である。会場には何千人もの人々が集まっていた。この日は「人の道」について講演した。他力信仰の誤りと、人間の真実の在り方について約1時間半講演し、質問が2時間半ほどで通算4時間休みなく続けられた。講演が終わり、控室に戻ると、一人の面会人が尋ねてきていた。やせ形の50に近い男であった。

「私は神奈川から来ました小林(仮名)と言う者です。私の弟は多くの人々に神の道を説いていましたが、急に原因不明の病気になり、現在、品川の病院に入院しています。医者の診断では脳内出血と言うことで、脳手術を明日にでもしたいと医者が言っているのでどうしたらよいでしょう。教えて下さい」小林は30枚近くの写真を持参し、広げて見せた。写真を見て驚いたが、周囲の関係者もこれには驚かされた。小林が差し出した弟の写真は、一枚残らず、すべてぼけており、二重写しになっているのである。そればかりか、写真の中には魔王や動物霊の姿がはっきりと写っている。

「小林さん、弟さんの手術は待った方がいいでしょう。明日、私たちが病院に行きます。動物霊が弟さんの意識を完全に支配しているからです。手術はこれを除いてからでも遅くはないでしょう」小林は素直に理解した。小林自身弟の家で起こる霊的現象を度々見てきたし、その霊的現象に疑問を持っていたからであった。高橋先生は翌日、小林の案内された病院に急行した。病室のドアには「絶対安静・面会謝絶」の貼紙が貼ってあった。受け持ちの看護師にこちらの来意を告げると、

「絶対安静だから入室できません」と断られた。だんだん話をするうちに、身内な方なら仕方がないということになり、それも様子を見るだけという条件で病室に入った。病室に入った途端、頭から腰にかけて完全に動物霊が憑依していた。弟はベッドに横になっていたが、話すことも出来ず、時々痙攣を起こしていた。同行していた僧侶の村上宥快師が、汗を流しながら、憑依している動物霊を除いている。高橋先生は心の中で、当人の傍にいる魔王に神の子としての道を説いた。30分ほど経って、意識不明の病人に意識が蘇ると、自分の力で起き上がり、トイレに立って行ったのである。病人の小林進(仮名)は不思議そうに眺めていた。高橋先生たちは意識が戻った病人を見届けると、ひとまず帰ることにした。そしてその後、再び病院に見舞いに行った。こうして進の病状は回復に向かった。再起不能と言われた病気が良くなっていったので、病院側は高橋先生の処置を不思議がっていた。心的原因による病気に対して現代医学はまだ無力に近いのである。

 進はどんどん快方に向かい、自分の意識が蘇り、退院した。退院後間もなく、高橋先生の事務所を訪ねてきた。

「あなたは自分では神使える身と思っているが、あなた自身、己を知っていますか」

「私は家に祀ってある神様を信じて、そのお告げを教えております。自分自身も神の使いとして自覚を持っています」

「では、あなたの家に祀ってある神様を、あなた自身の眼で見ましたか。そして神様と話すことが出来ますか」

「私は小さい時から信仰が好きで霊感がありました。いろいろと予言をして当ててきました。神の声は胸のあたりから聞こえ、私の口を通して語り、耳でそれを聞いていました」

「神様を直接見ていないわけですね」

「見ないけれど、しっかりここから聞こえてくるのです」

「ではあなたは、心の中がイライラしたりすることがありませんか」

「ええ、いつも不平、不満が出て、イライラすることが度々あります」

「イライラの原因はどこからきますか」

「信者や家族のことでしょうか・・・」

「イライラの状態でいて、心の中に安らぎ、平和がありますか」

「いや、苦しいです」

「苦しい状態で神様を拝んでいるのですか」

「拝んでいる時は別です」

「別と言うと・・・・」

「・・・・・」

ラジオやテレビは受信されている放送局の周波数と完全に一致しないと、他の局の周波数と混信して、正確に受信することは困難です。心がイライラしていて粗悪な波動を出していますと、やはり、粗悪な波動しか受信できません。イライラの状態では、正しい心の世界には通じないと言えます」

「ですから、心身を浄める為、滝に打たれたり、冷水をかぶったりして、六根を清浄につとめているわけです」

「どうして、滝行をしないと、あるいは水をかぶらないと、心が清浄にならないのですか」

「水をかぶると、心身を浄める働きをします」

「そういうものでしょうか」

「そうです・・・」

「私にはどうも納得できません。体は確かにきれいになるでしょう。しかし、心はどうですか」

「心とは何でしょうか」

「あなた、心も知らずに神様を信仰していたのですか」

「・・・・・」

進は肉体行を通して神主になっていた。彼は祝詞をあげ、仏教の般若心経を唱え、信者を持つ他力信仰の教祖であった。しばらく彼は考えてから、今度は彼が質問してきた。

「心を清浄にするにはどうしたらよいのでしょうか」

「心を清浄にするには、思っていること、行っていることを正しい規準に照らして生活を改めていくことです

「イライラは清浄ではないのですね」

「その通りです。あなたは感情的な言葉や増上慢の心があり、心が清浄ではないのです。心が慈悲と愛に富んでいれば、それこそ清浄な心、清浄な人間と言えるでしょう。自分の心が分からずむやみに信仰することはいけません。あなたはまず、正しい心の規準を知ることです。この基準を尺度に、生まれてきた時から現在までを振り返り、間違った考え方、間違った行為を反省し、その間違いの原因を取り除いていくことが大事です。間違いがあれば神に詫び、過ちを繰り返さない努力が真の信仰と言えるでしょう。こうすることによって、現在までの自分の性格形成をはっきり知ることが出来、業の輪廻から自分を救うことが出来るはずです」

「なるほど、ところで現在の苦しみは、信者の悪霊が私の体に現象化したものでしょうか」

「とんでもない。あなたは反射式のストーブを知っているでしょう。ストーブの後方はほとんど熱くなりません。しかし、ストーブの前方は輻射熱と反射熱で非常に熱くなりますね。輻射熱と言うのは反対に熱を吸収していきます。これと同じように、心が清浄であるなら人の業をかぶることはないのです。つまり、はじいてしまうでしょう。ところが、心が清浄でないと、様々な粗悪な波動を跳ね返すことが出来ず、苦しむことになりますが、もともと自分に、恨み、妬み、愚痴、情欲、名誉欲が燃えているので、悪霊の支配を受けやすい状態を作っていることになります。もし、信者の悪業を教祖がすべてかぶるとしたら、神様はみな半病人になっていくでしょう。それこそ、釈迦もイエスもそうなったでしょう。ところが釈迦やイエスはそうならなかった。信者の悪業を受けるということは、あなたの心が、そうしたスモッグを一杯溜めているということです」進は頭を垂れて聞いていた。今までの彼であれば、自尊心が強いため、他人の言葉はもちろんのこと、宗教的な忠告に対しても聞く耳を持たなかった。話をしながら彼の心の中を見ると、表面的には素直に聞いているが、感情を外に表さぬ内向的な性格である為、高橋先生の話を容易に肯定しないで聞いていた。しかし悪霊が除かれ、体の具合が回復してきていることは、彼自身が一番よく知っていた。この事実は、彼がどんな理屈を並べようとも隠すことはできない。医者は脳手術をすることになっていたが、急に意識が回復し、歩行もできるようになったので、手術は見合わせ、様子を見ることになり、まだ手術をしていなかった。

「私は先祖に対する供養が足りないと思っていましたが、この点はどうですか」

「なぜそうするのですか」

「今生きているということは先祖があるからでしょう。供養してこそ、浮かばれない先祖も成仏することが出来るのではないでしょうか」

 高橋先生は多くの宗教家や、信仰者にあってきたが、彼らは決まって先祖供養を口にする。つまり、先祖供養は他力信仰の第1条件になっているからである。こうした条件は信仰にはつきものだが、一度その道に入ると、なかなか抜けられなくなり、宗教はアヘンだとも言われるようになってしまう。本当の先祖供養とは、子孫が健全なる心と体と経済環境を作る事であり、楽しい家庭を築くことより、肉体先祖が地獄で苦しんでいるのならば、子孫の生活行為を見ることにより、それが反省の機会を持つ事になり、自分自身で反省をすることにより、天上界へ進むことが出来るようになっている。地獄で苦しんでいる先祖に反省の機会を与えることが本当の先祖供養なのである。仏壇に香を焚く習慣については、当時のインドの人々は風呂に入ることがなく、そのために体臭がひどく、においを消すために香を焚いていたのである。また灯明の習慣も、当時は電燈がなく、夜の説法になると、ブッダの顔を見ることが出来ないので、聴聞者はタネ油を灯し、ブッダの説法を聞いていた。この事から、灯明は儀式に欠かせない習慣となり、祭壇には必ずローソクなり、灯明がともされることになった。こうしたことを話すうちに、進の思考も変わってきたようであった。彼は間違いに気付き始めると、自分の人生を反省する決心をするのだった。

 彼は2月の初めに家で倒れた。救急車が意識不明の彼を病院に運んでくれた。意識不明になった原因は、大きな蛇が彼の心臓を締め付け、苦しさのあまり何もわからなくなってしまったからであった。ともかく彼は死の寸前で助かった。

「今から数年前のことでした。信者が3人死んだという連絡があり、助けて下さいと頼まれました。私は神に祈りました。すると祭壇の前の方が灰色となり、はるか遠い一点から白い物が近づいてくるのです。よく見ると骨と皮のような骸骨のような人間が大勢お神輿を担ぎ、神輿の上には大きな骸骨の男が薄い黒染の衣を着ています。その行列を見ていると、その骸骨男が私の前に現れ、現れた時は、私の背丈ぐらいになっていました。その骸骨男は私に言いました。「わしは死に神だ。お前は余計な事をするな。黙って見ているのだ。もうあの者たちは寿命が来ている。延命祈願だけはやめてほしい」と言いました。目はくぼみ、その形相はすごいので今でもぞっとそます。そればかりか、その死に神は私の祭壇を占拠して離れようとしません。私は本当に困ってしまいました。そこで私は「死は天命にお任せしよう」と言った途端、彼らの姿は消えてしまいました。またある時、こんなことがありました。私が祭壇で祈っていると、一人の美しい女が現れ、「私をお救い下さい」と言います。「これは地獄の堕ちた女だ。何とかしてやりたい」と思い、般若心経を読誦して祈ってやりました。しかし、次の日の女が現れ、「救ってくれ」と拝むのです。そこで私は、「あなたの名前は何という名前ですか」と尋ねてもそれに答えず、「私を助けてください。救ってください」というだけでした。私はどうすることも出来ず、ただ経文を上げ供養し続けました。私は彼女の名前が分からないので、勝手に「玄耳女」と名付け呼ぶようにしました。玄耳女は色の白い美しい女でした。度々現れるので私はいつしか彼女に魅せられてしまい彼女を思うようになりました。私が玄耳女を救う為に祈っていると、灰色のうす暗い世界が開けてきました。周囲は荒れ果てた砂丘のようでしたが、その砂丘に細い道が先の方まで続いており、道の両側には枯れ木が立っている。私の好きな玄耳女がその細い道をまっすぐに走っていきました。私は彼女の後について行きましたが、みすぼらしい家が建っていました。家の中を覗いてびっくりしました。あんなに若く美しい玄耳女が皺だらけの女になっており、口元は大きく裂け、長い汚れた白髪が胸のあたりまで垂れ下がっていた。目は異様に光、そして鋭く、鬼婆と言うのはあのような姿をした女を言うのだと思いました。私は恐ろしさのあまり立ちすくんでいると、玄耳女は「よくもわしの姿を見たな」と言って私に襲い掛かってきました。私は呪文を唱えながら、一目散に逃げました。そして自分に返った時は、私は祭壇の前ですっかり疲れ、横になっていました。若い娘のような美しい女があっという間に鬼婆に変化するなんて昔話によく出てきますが、現実にこの目で体験したので本当の話なのだと思いました。そして次の日です。祭壇の前で夢の勤行をしておりますと、今度は多くの侍たちが一杯見えます。侍大将のような男が、「玄耳女を探せ、どこへ行ったのか、皆探すのだ」と大騒ぎしているのです。私は、この光景をじっと見ておりました。侍大将が「皆の者、全員弓をつがえて空に向かって放て」と、今度は号令しています。侍たちは矢を灰色の空に向かって放ちました。矢が空を切って飛んでいきます。私には矢の音まで聞こえるのです。そのうちに灰色の空の一角から白い球のような不思議な乗り物が近づいてくるのです。乗り物の上には玄耳女がいました。ところが、矢が放たれると、玄耳女の姿が消えてしまいました。侍大将は「今度は矢を土に向かって射よ、玄耳女は土の中に潜ったぞ」と言って、土に向かって矢が撃ち込まれました。まるで中国の妖術芝居を見ているようで、気でも違ったのではないかと、自分自身を疑いました。これはどうなのでしょうか。どうしてこのような体験をさせられるのでしょうか」

進は自分の体験を打ち切り、高橋先生に質問してきた。

「玄耳女は蛇の変化です。美女に変化してあなたの心を支配しようと誘惑にやってきたのです。ところが、あなたは救ってやろうと、一生懸命に祈っているので、この愛の壁を突き破ることが出来ないので、ついに本性を出してしまったわけです。場所は阿修羅界と言う深い地獄です。侍大将は魔王であり、変幻自在の玄耳女を殺そうと追っている阿修羅の大将です。彼らは長いこと地獄にいて、相変わらず戦って暮らしている。しかし、彼らも神の子としての自覚に芽生え、今の世界から離れていくでしょう。現象界では人々の心が荒み、争いと破壊の日常となると、地獄界の悪霊が人々の心を支配し、混乱に輪をかけることになる。もし、玄耳女に支配されていたら、あなたは間違いなく気が狂っていたでしょう。あなたの心の中に人々を救いたいという愛の心があったからこそ、どんな悪霊もこれを侵すことが出来なかったのです。私も実は同じような話を知っています。昨年の7月のことです。私の著書を読んだある方が、今まで関係していた拝み屋に行くことを止めてしまいました。先方の拝み屋が、何とか自分の所に戻そうと法力を使って祈っていると、大きな光のような物にぶつかり、祈っている最中にひっくり返ってしまったそうです。そして、夜中に電話があり、出てみるとその拝み屋からでした。そして「高橋さん、わしは死んでしまう。助けてくれ。お前さんに金縛りの法をかけて祈っていると、大きな光のようなものに後ろにひっくり返されてしまいました。私を許して下さい。助けてください・・・」と言ったそうです。正法を知って生活している人々には、どんな法力も通用しないということです」進はうなずきながら聞いていた。彼は水を一口飲むと、これまでと違った話を始めた。

「私は1746月に「人間・釈迦」「心の原点」「心に発見」「心の指針」を読み、宗教家としてこの本に書かれていることはすべて真実だと思い、一生懸命読ませていただきました。そうして、是非とも著者の方にお会いしたいと思っていましたが、そのうちに私の体がおかしくなり、ついには本も読めなくなりました。特に家で写した写真は私だけまともに写らなくなり、私の姿は半ば透けたように写り、蛇や竜の姿まで一緒に写るようになっていました。そのうち、今年の2月に意識不明となり病院に来ていたのです。お聞きしたいのですが、本を読めば読むほど、気分がおかしくなり、字が読めなくなるのはどういうことでしょうか」

「やはり、1974年の3月、ある古いお寺で修行していた尼僧が私の一連の本を読み、これこそ本物だと思ったそうです。今まで自分の心と体が不調和であったのは、自分の生家が近江の由緒ある最古の寺であり、自分はそれに溺れ、自分の心を忘れてしまい、寺の住む地獄霊に支配されたからだと考えたわけです。そして、著者に会いたいと思った時から、尼僧は胸を圧迫され、地獄霊の妨害を受ける羽目になり、死闘の連続だったようです。気分が良くなり、再び著書を読み返すと、今度は頭が締め付けられ、苦しくなってくるのです。彼女はその時、この本は悪魔の書ではないかと思ったそうですが、地獄霊に憑依されているので読めないようにさせられているのだと考えたわけです。地獄霊が邪魔するからと感じたわけです。・・・・古寺なるがゆえに、悪霊がその環境に住んでいる人々の心を混乱させ、不調和な生活に追い込んでいたわけである。ある時、彼女は母親に言ったそうです。「お母さん、私を東大阪の講演会に連れて行ってください。その場で死んでも構いません。せめて著者の話を聴いてから死にたい。」と。母親も娘の言葉に同情し、6月の講演会に、大津から自動車で彼女を乗せ東大阪の会場まで来たのです。歩くことも起きることも不自由な重病人が約3時間私の講演を正座して聞いていた。講演後、個人面接をした。22歳~23歳の若い尼僧で母と二、三人の手を借り私の前に現れた。自分の名前を書いて下さいと、彼女に万年筆と紙を渡したが、手が震えて字を書くことが出来ない。そこで私は、彼女を支配している地縛霊を除いてやると、スラスラと名前が書けた。彼女と母親は涙を流していました。奇跡が起こったからです。彼女の後ろには古い僧侶の地縛霊たちが彼女を支配して立っていたのです。私は言いました。仏教は他力ではなく、法を心と行いの物差しとして、自己の思念と行為を修正することが本当の信仰であり、僧侶のはずです。地縛霊を一時は除くことが出来ても本人の心が改まらない限り、再び地縛霊の支配を受けてしまいます。私はこの点をよく説明しました。その後の彼女は自力で歩行できるようになり、地縛霊に邪魔されることは少なくなったようです。本人が悟ることは、地縛霊にとって住家を失うことになるので、必死です。だから、彼らは手を変え、品を変え、生きている人間に欲望を持たせようと働きかけてくる。正法が流布されると悪霊は競いたちます。そしてさまざまな現象が表面に現れてきます。正しく生きるか、悪に溺れるかそれを決めるのは各人の心です。尼僧のように死を決して、講演会に参加しようという場合は、悪霊たちも支配することはできないのです。あなたも同じような現象に見舞われていたのですよ。しかし、すっかり元気になって良かったですね」

「はい、ありがとうございます。お陰様で危ないところを助けていただきました」と進は深く頭を下げるのだった。そばにいた進の母は、自分の体験について質問した。

「私は倅の祭壇の前で不動明王の姿をはっきりと見ました。今はそのお姿を一生懸命お参りしております。これでよろしいのでしょうか」

「お婆ちゃんの見た不動明王は若葉色に光った不動明王でしょう。顔が何度も変わったみたいですね。いかがですか・・・」

「ええ、そうでした。私の家は真言宗でしたので、ありがたい不動明王のお姿をこの目で拝ませていただき、ありがたく涙がこぼれ落ちてしまいました。本当に私は果報者だと思っています」老母は不動明王を信じきっている。

「不動明王は悪魔を退治する神様だそうで、私の家には魔はいないと思っていましたが、倅の病気の時は心配になり、不動明王におすがりいたしました」

「ちょっと待って下さい」高橋先生は老母の話を途中で遮った。これ以上不動明王を信じられては危険であると思ったからだった。取り返しのつかないことになることを知っているので、はっきり訂正しておかねばならない。思うことは現れるのだ。心の世界ではそうなっている。進がつけた玄耳女の名前でも、あの世の名前と言うより、進がこの世で勝手に考えた名前である。それがあの世では玄耳女としてそのまま通用され、悪魔は玄耳女と呼び、その鬼婆を追いかけまわしている。偽の不動明王でもそれを信じ求めていると、偽の不動明王がその人を支配してしまう。あとで後悔しても遅いのである。

「お婆ちゃん、あなたの見た不動明王は本物ではないのです。動物霊なのです。顔がメラメラと変わったでしょう。そのようなものを信じてはいけません。あなたの心を知って、動物霊が変化したのです。もし、本物の不動明王なら、進さんが悪霊に支配されることはないでしょう。不動明王は拝むものではありません。正しい心の人々を悪霊から守護する光の天使です。天国にいるお巡りさんだと思えばいいのです。昨年1974年の秋でした。和歌山市の労働会館での講演会の時、ある中年男性が突然私に向って、喚きだしました。その瞬間、男は両手を胸のあたりに持ってきましたが、急に体の自由が利かなくなり、金縛りにあってしまいました。私は演壇を下り、その男の前に行き、講演中ですから静かにして下さいと手をかざしました。そしたら、床にひれ伏してしまいました。危害を私たちに加えようとしたときは、光の天使が光の輪を投げ、相手の自由を奪ってしまいます。不動明王とは本来、心の世界で働く者だと言えます」

老婆には気の毒と思ったが、不動明王の本当の役割を話して聞かせた。老母はキョトンとしていたが、わかってくれることを願った。進たち親子は、辞を低くして高橋先生の部屋を出て行った。部屋を出るとき、40を過ぎた倅をかばいながら、老母は後から部屋を出て行った。背を丸めた老母の姿が高橋先生の目から離れなかった。

(3)コックリさん

 最近、子供の間でコックリさんなるものが流行っている。ある学校の女性がこの遊びをしているうちに、一人の意識が目覚めなくなり、3日も昏睡状態が続いたという。生きた人間が、あの世の霊を呼ぶと、それなりの結果を生んでいく。そうして呼ばれた霊と意識が相似てくると、その人はその霊に支配され、不幸を招いていく。ここに生きた実例があるので悪霊の恐ろしさを知って欲しい。

 袴田司(仮名)は、松戸競輪の第2レースと、第5レースに大穴が出て、それが妻の指示した通りの結果となったので60万円近い札束を握り、笑いがこみあげてくる。

「今帰った。富子、開けてくれ」夫の帰りを待ちわびていた富子(仮名)がすぐ顔を出した。

「あなた、遅かったじゃない。どうしてなのさ」司は富子を横目で見ながら中に入った。二人は恋愛結婚であった。結婚して3年の歳月が過ぎていたが、2人のスイートホームを作るまで子供は作らない約束で、今日まで共稼ぎで過ごしてきた。司は賭け事が好きだった。アパート暮らしから早く抜け出し、自分の家を持ちたいと富子にも言い聞かせてきたが、小金を握ると、競輪につぎ込み、スッテきたので夫婦仲は良くなかった。

「富子、よかったよ。お前の言う通りだった。今日は大穴が出て、60万円もとってきた。この通りだ」

「あなた、また競輪に行ったの。今まで競輪に使ったお金に比べたら60万円ばかり何さ」富子は不服だった。この3年間でつぎ込んだ金は何百万にも上っている。富子の働いた金まで持ち出して、競輪につぎ込んできたのだから面白くない。

「お前のコックリさんはすごいものだ。よく当たる。コックリさんに頼んで今までつぎ込んだ分を取り返し、早く家を建てなくてはならないので、今晩も頼むよ。明日のレースを・・・・」富子は呆れて口もきけなかった。しかし、60万円の札束を目の前に見ると、コックリさんも案外捨てたものではないと、彼女にも思えてくるのだった。

「あなたまだ懲りないの。仕方がないわね・・・」こういいながら彼女もコックリさんを呼ぶ準備に取り掛かるのだった。時計の針は1時を回っていた。コックリさんでうまくいけば子供も産めるし、家も手に入る。富子の心はウキウキしてきた。二人は炬燵を挟んで向き合った。

「あなた準備はオーケーよ」富子の声は弾んでいた。いつものようにテレビのスイッチを切った。電気も消した。そして富子は一心にコックリさんを呼んだ。

「あなた、コックリさんが来られたようよ。電気つけて」

「今度は馬鹿に早くお出ましだな」司は立ち上がると電気のスイッチをひねった。富子は三本の割り箸を櫓に組んで、その櫓の上に箸が倒れないように軽く右手を当てた。櫓の下は幾分厚手の紙が置かれ、紙の上にはさまざまな文字が書かれている。123の数字もあれば、良いとか悪いとか、簡単な言葉が羅列してある。コックリさんが富子に乗り移ると、櫓に組んだ3本の割り箸が傾斜しながら文字の書かれた方向に滑っていく仕組みである。一見、無気味だが、慣れてくるとなんでもなくなるから不思議である。

「コックリさん、今日は誠にありがとうございました。コックリさんのご協力で大分儲けさせていただきました。何か私たちにできることがありましたら、どうぞご遠慮なくご指示ください」と真剣なまなざしでコックリさんに言うのだった。富子の右手はそれに答えるように動くと、3本の割り箸は紙面の上を滑るように動き、ひらがなの上に止まった。

(あぶらあげ さんまい たのむ) 司はオヤッと思った。油揚げとは妙だなと考えたが、すぐ思い返すと、

「富子、油揚げ3枚あるか、コックリさんは油揚げが欲しいとおっしゃっている」

「あるわよ、冷蔵庫の中に・・・」富子はすぐ返事をした。

「こんな粗末なものでいいのかな」

「それでよい・・」コックリさんも簡単な返事をしてくれる。司は不審も抱かず、

「ああ、ありがたい事だ。これで明日もきっとうまくいく。ところでコックリさん、明日の松戸競輪は何レースにかければよいでしょうか。お教えください」と申し出た。富子の右手に力が入った。司は箸の行方を追った。箸は3の所を指した。司は、すかさず尋ねた。「では5レースの複はどうでしょうか」箸は紙面を滑るようにして動きだし、36の数字を指示した。司は念を押した。

「コックリさん、36ですね。間違いなければハイと指示してください」箸はハイと指示した。司は微笑を浮かべ

「コックリさん、どうもありがとうございました。どうぞゆっくりお帰り下さい」と礼を言った。司は富子の肩を抱き、よかった、よかったと、腹の底からこみ上げてくる笑いを発散させていた。二人は競輪で設けた金で新築する家の間取りをあれこれと話し合い、夢を発展させた。司は会社を休むと、昨日儲けた60万円を持って家を出た。富子も今朝は文句も言わずに笑顔で司を送った。富子は弁当を作ると、会社に出勤した。しかし、ここ数日来寝不足が続き、会社に出ても仕事が手につかなかった。頭はぼんやりして体もだるかった。体の変調は中絶を繰り返していたので彼女はそのためであろうと考えていた。

「富ちゃん、今日は馬鹿に楽しそうね。何かあったの・・・」親しい弓子が富子の顔つきを見てこう言った。

「弓ちゃん、明日はあなたに御馳走してあげられるかもしれない。待っていてね」

「まあ、それは楽しい事。御主人、もう競輪止めたの・・・」

「まあね」急所を突かれて富子は返事に困った。弓子は自分の笑顔は夫の改心だと思ったようだった。

「良かったわね。それでは、明日の御馳走を楽しみにしています」弓子は頭を下げた。会社が引けると、富子は司の好きな赤飯を買い、アパートに戻った。夕飯の支度をしていると、不安だった。その不安とは、大穴は間違いないが、大金を手にした司が家を忘れ、どこかへ雲隠れしなければいいがと言う不安であった。浮気したことはないが、大金が転がり込めば、好きなことが出来るし、金があれば女だってついてくる。富子の心は落ち着きが無かった。時計が夜の9時を打った。するとドアの外で男の声がした。彼女は急いでドアを開けると、元気のない司が立っていた。

「今日はコックリさんに一杯食わされた。昨日の分もオケラになった。富子ごめんね」

「いいのよ。仕方がないわ。さあ夕食にしましょう」炬燵の台の上には大穴を持った祝賀の赤飯と御馳走が並んでいた。彼は炬燵に足を入れると、もう一度、富子に詫びた。

「私は賭け事が大嫌い。もう今日限り止めてください。お願い。今度やったら本当に家を出ていくわ」

「俺ばかりのせいにするな。お前だって責任があるじゃないか。俺たちはコックリさんに騙されたのだ。だが待てよ。お前があの箸を押さえていたのだから、あの箸の動きはお前の意志じゃないのか」

「そんなこと無いわ。八百長なんかやるわけがないでしょう」

「そうでなければ間違えるわけがない。俺はお前の性格を知っているのだ。お前は二言目には家を出ていくと言うので聞き飽きた」司は自分の言葉の勢いで炬燵の赤飯をひっくり返してしまった。

「あなた何するのよ。私まだ食べてないのよ」富子は泣き出してしまった。そして畳に散らばった赤飯を皿の上に乗せながら、悔しいと呟いていた。

「悔しかったら、コックリを呼んで聞いてみな。お前の小細工がすぐばれるから」

司はコックリを信じて疑わなかった。今日の失敗はコックリではなく、競輪を止めさせる富子の八百長だと司は思っていたのである。富子は畳に散らばった赤飯を拾いながら、

(コックリさん、どうぞ私を救ってください。夫がまともな人間になるよう導いて下さい)と、富子もコックリを信じていた。だが、二人には、このコックリなる姿の見えぬ化け物は何であるか知る由もなかった。彼女がしきりにコックリに哀願していると、富子の形相が変わった。そのうちに、富子は正座し、司に向かって言った。

「わしはコックリの神じゃ。司、そなたはそこに控えなさい。暴力を使ってはならぬ。そなたの妻は神の使いじゃ。たとえ夫であっても、神の使いである妻の言葉を信じなくては、お前は3日以内に交通事故で死ぬであろう。どうだ、そこに控えなさい」妻に悪態をついた司もこれには驚いた。富子の口から流れ出す言葉は男のようだし、威厳があった。彼は炬燵から飛び出すと、妻の前に頭を下げていた。

「司、わしはイエス・キリストの使いじゃ。今日、競輪で損をさせたのはこのわしじゃ。文句があるか。金が欲しいか、命が欲しいか、お前が競輪で穴を当てれば、帰りの車は事故に合い、お前は死ぬところだった。だから、わざと失敗させたのじゃ。ありがたく思え」司は二度びっくりした。何もかも神の計らいであることを知り、彼は思わず、

「神様、危ないところをお助け下さいまして、ありがとうございました。これからもお守り下さい」と平伏した。友子の乗り移ったキリストの使いは再び語り出した。

「司、お前は東京の平和島競艇に行く気はあるか、あるなら明日の第1レース、第4レースに思いきり賭けてみるか」

「でも神様、賭けるお金がありません」

「この女がへそくりを隠している。それを使えばよい。そなたの友人を誘っていくがよかろう」

「私の勤め先の高野君のことでしょうか」

「そうだ。高野はお前と前世で兄弟であった。仲の良い兄弟であったから、兄弟の金を使っても別に問題はあるまい」

「ハイ、左様でございますか。高野は私とは兄弟でしたか。どうりで仲のいい友人だと思っていました」

「わかったか。その通りじゃ。明日は妻を家に残し、勤めに行かせるじゃないぞ。神からの通信があるから家に留めるのじゃ」

「ハイ、わかりました。仰せのように致します」富子が気付いた時は、畳の上に倒れていた。司は急いで彼女を起こし、背中をさすったりして、今までの出来事を富子に話して聞かせた。我に返った富子も驚いた。まるで狐に化かされたようで、意識もはっきりせず、夫の言葉が信じられないようだった。司の話が本当だとすれば、コックリさんならぬキリストの使いであり、なんだか急に偉くなった気持ちになる富子であった。司と富子は興奮して朝方まで眠れなかった。司は昨夜の神の言いつけどおり、富子のヘソクリを持ち出してアパートを出た。そして友人の高野に電話すると、高野もそれを信じ、二人は熊谷駅で待ち合わせると平和島へ向かった。二人は心を一つにして、これぞと思うものに賭けていった。だが、1レースも第4レースも見事に外れた。司は面食らった。高野は不運とあきらめたが、司は諦めきれなかった。司は高野を連れてアパートに戻った。すると、富子の様子が違っていた。

「おい富子、どうした。今帰ったよ」

「わかっておる。お前が帰ったぐらい知らないでどうする。そこに座りなさい」富子の声ではない。昨夜の神の声だった。司は正座をした。高野も驚いて司の後ろに座った。

「司、今日の競艇レースを間違えたぞ。何故第2レース、第5レースに賭けなかったのか。お前は第1レース第4レースに賭けたろう。この馬鹿者。あれほど言ったのに、なぜその通りにしなかったのか」

「神様、昨夜は確か第1レースと第4レースと言われましたが・・・・」

「違う。それはお前の聞き違いだ。わしは第2と第5と言ったはずだ。今すぐ間違いを直しなさい」富子の神は恐ろしいほどの剣幕で怒鳴り散らすので、

「ハイ、ハイ、私の間違いでした。第2、第5でした」

「それで良いのだ」司の後ろで聞いていた高野もこれには仰天した。司からある程度のことは聞いていたが、これほど威厳のある調子で富子の口を通して語るさまは、ただ事ではなかった。さらに高野は心の中で思った。

(奥さんがレースの結果など知るはずもない。賭けたレースは司の指示で第1と第4レースであった。そのレースが間違いだということを、司が話す前に知っている。仮にそうした指示があったにしても、相手の心を試すことだってあるはずだ。富子さんがいい加減に口から出まかせを言ったとすれば、これほど信念を持って打ち消すはずがない。やはり、神様に違いない。富子さんの後ろには神様がいる。今日のレースは損をしたが、一生のうちからみればたいしたことではない)高野は富子の神を司以上に信じてしまった。すると、富子の口から

「高野よ、そなたは素直な青年だ。今、お前の思っていることは正しいぞ。その通りだ」

高野は三度驚き、恐縮して平伏した。富子は5日も眠っていない。彼女は身も心もコックリの神にささげていた。司は、富子の激しい霊的現象に驚くと同時に、戸惑いを感じていた。このままだと夫婦生活もできないし、誰に相談すればよいか当てもない。司が高野を帰した翌日、富子を部屋において町に出た。ある書店に入って、目に入ったのが「悪霊」であった。司はそれを買って帰り、部屋の隅で読んだ。読んでみて、司は高橋先生の所に行けば富子の神もはっきりすると考えた。それから間もなく2人は高橋先生の事務所に現れた。高橋先生は、富子を見た時、完全に憑依されていることがすぐわかった。

「奥さん、大分寝ていないようですね。神様とはどのくらい話ましたか」

「神様はイエス・キリストと申される外人の方です」

「そうですか。私の所まで来るのに大分邪魔されたでしょうね」

「ええ、浅草の事務所に行ってはならぬ。行くと死ぬぞと言われましたが、主人がどうしても行くと言うで訪ねてきました」

「御主人も神様だと思っているのですか」

「はい、私もそう思っています。しかし、神様とは直接お会いするのは初めてなので、それに詳しい方から聞きたいと思いまして伺いました。先生を存じ上げたのは先生の御本を読ませていただいたからです」

「では、私もその神様にお会いしましょう。奥さん、どうぞ神様を出して下さい」

「なんだか体がしびれて口がよく動かないのです。どういうわけでしょう」と言うので、高橋先生は富子に憑いている霊に強い調子で語りかけた。

「この夫人に憑いている霊よ。この夫人の口を通して語りなさい。イエス・キリストを名乗る霊よ、出てきなさい」富子の体に振動が起こった。すると、富子の顔は引きつるようになり、人が変わったようになった。

「わしは神だ。イエス・キリストの使いだ」高橋先生は富子に憑いている霊に言った。

「あなたは日本人ですね。外人ではないでしょう。イエス様の使いではないはずですね。イエス様はイスラエルの方です。あなたがイエス様の使いならどのような教えを人々に解いたのか言って御覧なさい」イエスを名乗る霊は返事がない。

「なぜ、答えないのです。では私が質問します。愛とはどのような事を言うのでしょうか」

それでも黙っている。

「あなたはイエス・キリストの使いでしょう。何故黙っているのですか」

「うるさい。わしは帰る」

「イエス・キリストの使いとやら、あなたは感情的になってはいけません。愛が説明できないようにいつからなったのですか。イスラエルの言葉も忘れてしまったようですね。感情的にならないで私の疑問に答えてください」

「お前はうるさいやつだ。引っ込んでいろ」

「お前は地獄霊だ。イエス・キリストの使いではない。地獄に堕ちた日本人の青年だろう。お前は生前両親から勘当され、ヤクザに身を落として、とばくで身を滅ぼし殺された青年だろう。嘘を言ってはならぬ。本当のことを言いなさい。何故、お前は女に憑依したのだ」

「俺は、好き好んできたわけではない。毎晩、俺を呼んでおいて、コックリさん、コックリさんと利用したのはこの奴らだ。今更、俺たちの世界では愛だのと言ったら、生きていけないのだ。この女を苦しめてやる。俺たちは絶対離れてやらないからな」

「地獄霊、よく聞きなさい。この女性に憑依して何の喜びがあるのだ。この者たちはお前たちの世界を知らずに呼んでしまったのだ。許してやりなさい」

「チェッ、聖人ぶるのではない。俺たちを呼んでおいて地獄霊呼ばわりは止めてくれ。人には仁義と言うものがあるのだ」

「わかった。この女性から外に出なさい。私はこの女性と話をしたい」こう言うと、地獄霊は素直に外に出た。地獄霊がでた富子は自分自身を取り戻した。

「奥さん、あなたたちは欲望のために、面白半分でコックリさんをやったのでしょう」

「ハイそうです。神様ではありませんね。やっぱり・・・・。恐ろしいです。助けてください」

「あなたが怖がっていてはいけません、今日まで神様と思って付き合ってきたのですから、知らないでは通りません。まずあなたは、自分の心の中の欲望や愚痴を思ったり、語ったりすることを捨てなさい。また、主人を恨み、別れようと考えたりしていましたが、恋愛していたことを思い出し、仲良く生活することです。心の中の歪みを修正することです。17日に私の講演が高田馬場でありますから、心と行いの在り方についてよく学んでいくようにして下さい。これからも、地獄霊があなたに言うでしょう。しかし、決して応えてはいけません。知らないふりをして、話し合ってはいけません。あなたの心の中を占領しているので簡単にあなたを支配できるからです。私の言うことを信じてください。そうして姿の見えないものから話しかけられても、決して話し合ってはいけません。肉体を持っている人と話をすることです。次に、あなたは肉体的振動が粗悪になっていて、地獄霊と同通し、地獄霊に支配されやすくなっていますから、まず医者の指示に従って、十分睡眠をとる事、体力を作り直すことが大事です。御主人は、奥さんの姿を冷静に見つめ、奥さんの言動に迷い、感情をいらだたせ、絶対に心の中に毒をまかないようにして下さい。俺は何でこんな女と一緒になったのだろう、こんな女とは縁を切りたいなどと思うことは、自分の心の中に毒を食べていることになるのです。奥さんがこうなったのも、御主人の責任が一番大きい。子供を欲しがる奥さんが何度も中絶したのも、もとをただせば、あなたが競輪に夢中になり、奥さんを心配させたからです。奥さんの内向的性格は今に始まったことではないが、その内向的性格をさらに内向的にしたのも御主人にあります。この点をよく考えてください。コックリさんと言う火遊びは二度とやってはいけません」

司は黙って肯いていた。

 地獄霊が人に肉体を支配するプロセスは決まって睡眠不足からくるものである。睡眠不足は意識を不明確にさせる。これは大抵の人なら経験していると思う。それでは眠れない状況はどうして生じたのか。極度の労働の後とか、環境が異なる場合など睡眠がとれないことがある。通常の心の状態であれば、場所に関係なくやがては眠れよう。ところが、心配や愚痴、怒りや嫉妬で心がイライラしているときは場所を変えても眠れない。反対に頭が冴えてきて、睡眠はとれず肉体の方が弱ってくる。睡眠が不足しているから日中は意識が朦朧として、地獄霊が支配しやすい状況を作っていく。地獄霊が人間の心を支配しだすと、心臓に不調和な動悸が起こり、肉体が張り詰めたり、筋肉が硬直したりする。また、体全体が悪寒を覚えたり、暑くなったりする。一方、意識の方も混乱が生じ、忘れっぽくなったり、注意が散漫になったりしてくる。睡眠はとれないが、肉体は疲れてきてウトウトすると何か怖い夢を見るとか、焦燥感に襲われたりして安眠が出来ない。また、今夜は眠れそうだと思うと、胸のあたりが圧迫されて息苦しくなり、これまた眠れない。こうして肉体的にも精神的にも疲労が重なり、おかしなことを口走るようになってくる。こうして地獄霊が完全に支配していくのである。

 富子の例でわかるように、こうした状況に追い込んできた理由は、内向的な自己保存による怒り、欲望、愚痴などにその原因がある。主人の司にも責任があるが、富子自身の生活態度に、物差しがなく、暗く内向的性格が本人の心を自分の手で絞めつけていたことにある。ノイローゼや自殺はなぜ起こるのか。彼らは一見、真面目そうに見え、世間的にも真面目であろうが、当人たちの心の裏側を覗くと、様々な欲望の渦に巻き込まれ、現実と自己の欲望の落差が激しいために起こっている。気のふれた富子の場合も、家を持ちたい、子供を産みたい、と言う欲望が強く、ところが現実は夫の競輪狂いで、現実と夢との激しい落差がこうした事態を招いてしまった。人間の心の在り方を知って、一念三千の心の姿を理解していれば、富子をこうしてまで自分を失わせなくても済んだであろう。富子にとって、必要なことは、眠ることである。肉体的に健全な状態にして、顕在意識を安定させる。本人が回復できれば、病気になった原因を反省することが出来る。原因を正さなければ、再び同じ間違いを繰り返してしまう。仕事にせよ、試験にせよ、研究にせよ、結果に対する原因を調べることにより、その誤りを繰り返さず、物事を成功に導くことが出来るのである。富子の病気は、心因性による精神病なので、医薬では治らない。医薬を使うとすれば医者の指示に従って精神を安定させる睡眠薬の力を借りて、1週間ぐらいよく眠るようにし、自分の思考力を肉体の面から回復させることぐらいである。肉体が回復し、思考力が出てきたら、その思考力で反省するわけである。

 心の働きが正しく回復しないと、精神病は常に再発を繰り返し、ついには完全な廃人になってしまうことになる。正法と言う大自然の調和された法則、これを尺度に生活していくと、心のスモッグは晴れてきて、神から光明が与えられてくる。そうすると、光のカバーが心と肉体に覆われるようになり、粗悪な振動に影響されなくなってくる。

 富子は高橋先生の話を聞いて帰った。帰った後混乱が度々起こった。その霊的現象は司にも手の付けられない有様であったが、富子の霊的現象は地獄霊であると認識していたので、司は自分の誤りを反省することを怠らなかった。富子の精神異常は、自分の賭博好きが原因であり、賭博を止めること以外に富子を救うことが出来ないと思うようになっていた。富子の異常は司の理解ある態度で徐々に回復し、今では普通の奥さんと変わらない状態にまで回復することが出来た

(4)被害妄想に憑かれた女

文明病の意最大の悪は、エゴである。つまり、人のことを構っては生きていけないという自己保存のエゴが、人と人との繋がりを切り離し、次第に妄想へと駆り立てていく。ここに見るある老女の物語は、いくらでも転がっている実例であり、なぜ老女をして妄想に憑かせ、苦しませたか、その原因を理解して、正しく生きる方向に前進したい。

「自分ほど不幸な者はいない」

「誰かが私を狙っている」

「他人がうらやましい」

「死にたくない」

被害妄想に取りつかれた人は多いようである。家庭の中で一人苦しんでいるので、以外と目立たないようである。今朝も早くから電話が鳴った。声の主は70代の老女である。

「もしもし、私です。助けてください。昨夜から一睡もできないのです。あたしを助けてください。お願いです。あなた以外に私を助ける人がいないのです。お願いです。助けてください」

悲痛な叫びが受話器を伝わって高橋先生の耳に入ってくる。夜中の3時であろうと、昼と言わず朝と言わず、老女は電話をかけてくる。相手のことなどお構いなしに、自分の不幸を取り除いてくれる人なら誰でもいいのだ。

若山ハツ(仮名)のご主人とは30年来の付き合いであった。高橋先生の会社のお得意さんだったと言うだけであるが、今は、彼の会社も落ちぶれて家も荒れ放題である。若山ハツは昔の良き時代が忘れられず、昔の気持ちのまま電話をかけてくるのであった。

「若山さん、どうしました」

「私の家の道路に外車が止まっており、その外車が私の庭に毒薬をまいて行くのです。玄関の戸はガタガタするし、いつ賊が侵入し殺されるか心配です。警察に捕まえてもらおうと思っているのですが、なかなか尻尾を出さないのです。あなたにお願いしたいのは、あのような悪いやつが来ないように神様にお願いしてもらいたいのです。私を助けてください。お願いします」どうやら高橋先生を拝み屋だと間違えているようである。

「はい、わかりました。夜が明けたら早速伺いますから、しばらく辛抱してください。」

ハツの被害妄想は警察でも評判になっていた。何回か電話がかかってきたので係りの者が出向いて行くと、犯罪の形跡は何一つなかった。その後も度々電話がかかるが、電話の主が分かると警察でも適当に返事して取り合わなくなった。そのうちに高橋先生の家に電話がかかるようになっていった。午前8時になったので車で馬込の老女宅に出向いた。老女は一晩中寝られなかったせいか、目をしょぼしょぼさせて迎えてくれた。

「どうなさいました。昨夜は寝られなかったようですね」

「本当に警察は何もしてくれないのです。警察では、警ら隊が巡察しているから心配いらないと言うので、外に出てみると誰もいません。警察は当てになりません」

「いや、若山さん、警察は見張ってくれていますよ。お婆ちゃんは心配しすぎるのです。それが証拠に昨夜、何か起こりましたか」

「でもね、そんなこと言いますが、もし起こったら取り返しがつかないじゃありませんか。そうでしょう」

「それはそうですが・・・」

「ねえ、聞いて下さい。私の耳に通信の音が聞こえ、あの外車に乗っている男はお前を狙っているというのです。そして警戒しろと言うのです。お前を狙う前に庭木を枯らすため毒薬を木の根元にまいて行く。こんばんは眠らないで賊の尻尾をつかめ、と言うのです。あの通信は確かに神様です。今朝、桜の木の根元を見たら、根元が濡れているのです」

「若山さん、これは毒薬じゃないですね」

「じゃなんです」

「犬の小便です」

「まあ、ひどい、あなたまでそんなことを・・・。いいです。110番へ電話する以外ありません」

「ちょっと待ってください。そんなに人騒がせをするものではありませんよ」老女は不服そうな眼差しで家に上がると、

「どうぞ、家の中にお入りください」老女は一人住まいである。病気の為、掃除が行き届かず、部屋は荒れ放題である。万年床がわびしい老女の生活を物語っている。老女をこうした状況に追い込んだものはなんであったのか。

 20年前の3月頃だった。仕事の打ち合わせで若山工業を訪ねたことがあった。若山夫婦はまだ50代の働き盛りで張り切っていた。高橋先生が来ると夫婦げんかが始まった。

「私はあなたに騙された。私はあなたの口車に乗ってつい結婚してしまった。お前さんに頭を割られてから、私はこんなに馬鹿になってしまった。私は山梨の旧家の出だ。県の専門学校まで出ているのにあなたのような無能な男と結婚さえしなければ馬鹿にされずに済んだのだ・・・」

「お前、いまさら何を言うのだ。お客さんが来ているじゃないか。もうわかった。いい加減にしてくれ」ハツと違って、主人はおとなしい男で黙々と仕事に励んでいる真面目な人間だった。主人の若山利助(仮名)は高橋先生の顔を見ながら恥ずかしそうに見て、

「仕事のことは家内と相談してやって下さい」と言って、オートバイに乗ると外に出て行ってしまった。高橋先生はとんでもないところに来てしまったと思いながら、今更どうすることもできない。

「どうぞよろしくお願いします」高橋先生は主人の利助と別れた。ハツがお茶を持って応接間に入ってきた。高橋先生は用談を済ませ、引き上げようとすると、ハツが次のような話をしてくるのだった。

「本当に亭主が無学なもので困ります。仕事もチグハグで集金も忘れて、仕事だけが生きがいで・・・馬鹿な男ときたら、女の馬鹿よりひどいものです」

「私も間違いばかりしています。私の無学なものですから・・・」

「アーラ、あなたはそんなことはありませんわ。お年は若いし、あれだけの仕事をこなしていられるのですから」と言って茶菓子を出すのだった。高橋先生は仕事の話をいつ切り出そうとかとその機をうかがうが、ハツの早口の話が止まらないので切り出せなかった。

「私は若い頃、好きな人がございまして、その方と結婚しておりましたら、一流会社の社長夫人になっていたものでございますよ。ところが両親から無理やりに今の亭主と結婚させられて、こんな小さな会社に納まってしまったの。しかも教養のない主人の為に、ちょっとしたことから頭を殴られ、今は思考力もなくなり、何のために専門学校まで出たのか自分でも分からなくなってしまいました。私は主人を恨んで、恨んで、恨みぬいてやろうと思っているの・・・」大変な女だと高橋先生は思った。恨み骨髄の利助との間には6人の子供をもうけている。馬車馬のように働かされている主人こそ、いい迷惑であった。ハツの愚痴を交えた身の上話を聞かされ、高橋先生は逃げるように若山工業を去った。その後は仕事のようで度々立ち寄ったが、夫婦間の喧嘩が絶えず、仕事が無ければ二度と行く気がしない家だった。6人の子供のうち、次女と二男、三男が精神病になってしまい、今でも病院の厄介になっている。残りの3人のうち一人は交通事故で死に、健康なものは2人だけとなり、それも家から遠ざかり、近づこうとしなかった。結局、ハツは子供と縁が薄く、家に取り残された。4年前から高橋先生の本を読むようになり、本を縁に途絶えていた交際が始まったのである。

「若山さん、御主人がいないと淋しいでしょう」

「私をおいて死んでしまった。あんなに恨んだ主人でしたが、本当にいい人でした・・・」

「いい人でしたよね。真面目でおとなしい方でした」高橋先生が利助をほめだすと、ハツの顔が見る見るうちに変わり目をつり上げ今度は怒りだした。

「何言っているのですか。私はね。あのバカの為に一生を棒に振ったのだよ。あの男の為にね。あんな男は死んでよかったのだ」ハツの態度は一瞬で変わった。顔は鬼婆のような形相に変わっている。自分が冷静の時は自分に返っているが、ちょっとしたことを切掛けに急に態度が変わる。憑依霊に憑かれたものの典型的なタイプである。ハツの背後には髪を振り乱した地獄霊が控えている。高橋先生はその地獄霊に言った。

「あなたは誰だ。若山家の家族を混乱させた張本人、お前はそれでも神の子か。この老女をまだ苦しめるつもりか。お前は誰だ。名を名乗りなさい」肉体は年老いた老婆であるが、その肉体お支配している者は悪霊である。」

「この女は、おまえの所に電話などして、このバカ女が・・・」

「あなたは、この老女の耳元や心の中から、有ることない事を告げ口して、この老女の心を混乱させている。お前はそれでも面白いだろうが、この老女はどうなると思う。なぜそのような嘘をつき、この老女を苦しめる理由を言いなさい」

「私はこの女と付き合って長いのだ。お前の出る幕ではない。引っ込んでいろ。私はこの女の亭主が憎かったのだ。だからこの女にあることない事耳元でささやき、人を憎ませるようにしたのさ。この女も憎い」

「あなたは、人を苦しめて何が楽しい」

「そんな野暮なことを聞くな。楽しいからやっているのだ。この女をもっと苦しめてやる。」

ハツの体は自分のものであって自分ではない。鬼婆そっくりの悪霊が取り憑いていた。ハツがこうして話し出せと、先ほどまでのしおらしい老女の姿は微塵もなく、もうすごい形相を見ていると、恐ろしい感じになってくる。しかも、この家には誰もいない。丹羽も家も荒れ放題であり、まさに化け物屋敷で鬼婆と対峙しているようである。ハツの姿は、どこに原因するのか。ハツの虚栄心、増上慢、愚痴がこうした状況を作り出してしまった。身から出たサビ、心のサビが初の身の上を不幸にしている。高橋先生は厳しい口調を変えて調子を落とした。

「さあさあ、そんなに感情を高ぶらせると、体に毒だ。もう怒るのは止めにしましょう。怒れば怒る程心の中が燃えてしまう。あなたはどこから来たの・・・」悪霊は高橋先生の話に乗ってきた。

「私はなあ、この地所に住んでいる者だ。私の住んでいる地所内に家など建てやがったので本当にと飛んでもないやつだと思っていたのさ・・・」

「ああ、そうだったのか。しかし、この者たちは何も知らなかったのだろう。許してやりなさい。あなたが怒るのはわかるが、家族は何も知らなかったのだから」

「許すだって、とんでもない。お前考えてみろ、他人の土地に黙って入り込んで、家を建てたらどうなるか、怒らない方がおかしいじゃないか」

「私なら話し合って解決します」

「嘘をつけ。ここは私の大事な土地だ。話し合いなんてそんな甘い考えはできない」

「わかった。あなたの言い分は良くわかった。ところで、今、何年だか知っていますか」

「今か、そうだなあ、文久2年だ。江戸の頃だよ・・・」

地獄霊は死んだ時から時間が止まってしまう。地獄の住人たちの特徴である。

「名は何というの」

「そんなもの忘れた」

「あなたは死んでから、もう百数十年は経っているよ。今は江戸時代ではない。昭和の時代と言って、便利な時代なのだ。家の外に出ると、歩かなくても自動車と言う乗り物があって、自分の思ったところへ行けるのだ。江戸時代には籠があったね。もうそんなものはないよ」

「ふーん、私にはよくわからない。そんなことより、この私が死んだと言ったな」

「ああ言ったよ」

「とんでもない。この通り、生きている。お前は池上の寺の仏像のように光っているな。気持ちが悪い男だ・・・」

「あなたはいつまで迷っているのだ。あなたの家はすでになく、若山さんがこの土地を買って住んでいるのだ。あなたたちの住む場所はこの土地ではないはずだ。明るい光に満たされた暖かい平和な世界なのだ。あなたはこの土地を自分のものと思い込んでいるが、そんな執着は捨てなくてはならない。あなたは生きているときに一人暮らしをして、この山の中に住み着いてしまったでしょう。生きているときは、池上の宿で悪い事ばかりして、この山の中に逃げ込んでいたのですね」

「お前、どうしてそれを知っている。お前は番所の役人か」

「違う。あなたの心の中が分かるのだ」

「恐ろしい人間がいたものだな」高橋先生の守護霊が、この悪霊の過去を教えてくれたので、そのことをそのまま伝えたわけである。悪霊は気後れしたようであった。

「わたしは、人買いに買われて池上の宿に来たのさ。亭主も悪党だったが、その亭主の裏を行って、悪い事をしたものだ。そうしなければ生きていけなかった。だからここにいてもいつ追手が来るか、恐ろしくて仕方がなかった」 悪霊にも恐ろしさはあった。彼らの世界は力の世界であり、強い物が弱い物を食い物にして生きているからである。悪霊と言っても、最初から悪霊だったわけではない。

「もうあなたの罪は許されたのだよ。百数十年も苦しんできたのだから」

「池上の番所からもう追手はこないか」

「来ないよ。安心しなさい」

「本当か・・」

「時代が変わって番所も役人もいなくなったのだ」

「えー、それ本当?」

「嘘だと思うなら行って見てくればいいじゃないか」

「真っ暗で何も見えないよ」

「あなたは自分で犯した罪を一つ一つ振り返って、間違ったところは全部神様にお詫びをしなさい。すると、あなたの心の中は平和になり、追手も何も、恐ろしくなくなるから。さあ、ここで神に詫びなさい」 悪霊は黙って生前のことを思い出し始めた。悪霊は素直になって本当に自分の過去を振り返り、苦しい思い出を一つ一つ反省している様子だった。悪霊の涙は懺悔の涙だった。

「私はどこへ行ったらいいのでしょう。ここで生活してはいけないのですか。行くところがないのですが」 悪霊には行くべき家が無かった。自分からここが自分の住家であると思い定めているため、自分の周囲以外は暗くて、恐ろしいし、どうすることもできないでいる。これが、家や土地に執着がなく、金や名誉その他のあらゆるものへの執着の心を捨てたならば、天上界の天使がその者を光で照らし、本人の行くべきところを案内してくれる。心がすべてを決めてしまう。それが次元の異なる意識の世界なのである。この女は悪の限りを尽くして、死の世界を否定してきた。自分の土地にしがみついて死んでいったため、そのままその土地の地縛霊となり、百数十年もの間、その土地に留まっていたのである。

「あなたは嘘のつけない自分の心で、自分が生きてきた時に何を思い、何をしてきたのか、死後において生きてきた人間に対してやってきたことの一つ一つを振り返ってこれは間違いであったと気付いたことを心から神に詫びなさい。また、心の中にある恐怖心を捨て、心を裸にすることです。心が軽くなっただけ、あなたは明るい世界に行けます。天国も地獄もあなたの心の中にあるのですよ」 地縛霊はハツの体から脱け出していった。

「ああ、私はどうしたのでしょう。何か重く感じたら、何もかもわからなくなってしまいました。今までもそんなことがありました。お客様の前では初めての経験です。本当に失礼しました」先ほどの怒り狂ったハツとは見違うほど、おとなしいハツになっていた。

「若山さん、気分はいかがですか」

「ええ。何か急に自分に返ったようでございます。まるで別世界にいるようです」と言って、自分の胸のあたりを撫でている。先ほどの出来事を説明すれば、本人はびっくりして独り暮らしは出来なくなってしまうだろう。だから、地縛霊の話は一切口に出さない為、話が途切れてしまった。ハツは急須の茶を取りかえ、ポットから熱い湯を注いだ。高橋先生はハツの顔を見ながら、今の出来事を振り返ってみた。人の肉体にあの世の霊が入り込んだ時の状態は、天使ならいざ知らず、地獄霊の場合は、人格がまるで変ってしまう。こうした現象は、別に驚かないが、人格が変わると言っても、もともと生きている人の内面の隠された面が地獄霊を通して出てくるので、地獄霊も本人も同じ意識だと言えるのである。肉体を持った人間は、心と肉体とを合わせ持っているので、心の中で思うこと、考えることは、肉体の粗い波動に打ち消されて、隠すことが出来る。しかし、地獄霊が乗り移り、語り出すと、肉体の波動をある程度乗り越える作用が働き、日頃思うことが地獄霊の口をついて出てくるので、その現象は強烈なものになってくる。普段語らないことまで語り出すので、周囲からは気違い扱いされる。なぜなら、その言葉は心の中で語ってきたことだし、それが今まで表面に出ることが少なかったので意外に思われるわけである。思うことは恐ろしい。思うことはあの世の世界に直ちにコンタクトされる。怒りに燃えれば怒りの世界に、愛を思えば愛の世界に通じていく。若山ハツの場合もそれであった。怒りと愚痴が長い間続いてきて、精神的にも肉体的にも不調和を作り出してきた。だが、その苦しみは自分以外の他人に原因があると思い込んできた。苦しんでいるのは、他ならぬ自分自身であるのだが、その点がどうしても理解できない。

「この広い屋敷で一人暮らしは淋しいでしょう」

「ハイ、一時は7人家族でにぎやかでしたが、主人と長男が交通事故で死に、後の3人は病院で厄介になっています。2人の子供は家に寄りつかず外で暮らしています。私の子供はどうして親不孝者なのでしょう」

「若山さん、不幸の最初から考えてみましょう。結婚のときはどうでしたか」

「私は、いやいや結婚したのです」

「どうしていやいや結婚したのですか」

「主人は無学で電気会社の工夫でした。そのため、私は学友会にも恥ずかしくて出られませんでした。親同士が決めた結婚ですから嫌と言えなかったのです。子供たちだけはこの苦しみを味あわせたくないと思い自由にさせています」

「すると、御主人に対する愛情は全然感じなかったわけですか」

「好きでない人にどうして愛情など湧きますか」

「不思議な夫婦ですね。あんなにやさしい働き者のご主人に愛を感じないなんて。それにしても6人の子宝に恵まれたのはどうしてですか」

「そんなこと言ったって、夫婦ですもの。欲しくなくても子供は生まれます」ハツの不幸は結婚生活ではなく、それ以前からの問題があったに違いない。夫に対する不満は理想の生活と現実の間に大きな隔たりがあるためであり、それは子供の頃からの虚栄心が不満の原因を作っていたはずである。そのために、長い年月が執着の原因になっていたのである。ハツのエゴが子供たちの性格まで狂わせ、次第に子供たちは彼女から離れていった。父親を憎悪する母親によって育てられた子供たちの親不孝の原因は、母親自身にあるのである。ハツがこのままあの世に帰れば、先の悪霊と同じように、この土地にとどまり、悪霊第2代目を継ぐことになろう。恐ろしい事である。高橋先生はこの老女に正法を理解してもらいたいと思った。既に高橋先生の本は読んでいるのだから、少しは分かっているだろうと、思ったのだが、話してみると皆目わかっていない。肝心なところにくると、

「私は何も悪い事をしていない。それなのにこんなひどい目にあうなんて、私は不幸なのです。私は外に出ません。一人で住んでいるのですよ」ハツの場合も話が自分の問題になると、頑として受け付けないのである。

「苦しんでいるのは誰ですか。あなたでしょう。原因は何であれ、あなたが苦しんでいるじゃありませんか。その苦しみは、あなたの心の中から出ているはずです。あなたの心が変わらない限り、その心から逃げることはできません。心の歪みを修正することです。あなたに毒饅頭を出して、もしあなたがそれを食べれば、苦しむのはあなたです。しかし、あなたはそれを食べなければ何も苦しまないでしょう。今あなたが苦しんでいるのは、そうした毒をあなたが食べてきたからです。苦しみを逃れるには、その毒を外に出して捨てる以外にありません」

「そうですね。確かに私は苦しんでいます。しかし、私に毒を食べさせた人はどうなるのですか」

「今更どうにもならないでしょう。許してあげることです。人に毒を食べさせた相手は、それは自分で苦しむでしょう。因果は巡ると言って、この世でもあの世に行っても苦しみます。その人が心の重荷を取り除かない限りは、永遠に苦しむでしょう。しかし、あなた自身は、毒を与えた人を許すことによって、あなたの心が楽になるはずです。そうでしょう」

「そうでしょうか・・・」

「太陽はすべての人に平等に分け与えています。この世の中は不公平に見えるが、決してそうではありません。私は不運だ、不幸だと思うから、不幸になり不運になるのです。人を許すことによって、自分もまた許されます。心が楽になり広くなります。心のわだかまりを取り除いていきましょう。そうすると体の調子も良くなっていきます。あなたが変われば、お子さんも変わってきて、足しげくここに通ってくるようになるのです。愚痴ばかり言うものだから、お子さんたちも寄り付かなくなっているのです」

「そうですね。あなたの言うことがよくわかりました。今まで私は自分の不幸だけをつかんできたようです。あなたの本をもう一度読んでみます」あれほどかたくななハツの心がようやくほぐれてきた。

ハツはこの時以来、被害妄想の電話をかけてこなくなった。ひと月ほどして仕事の帰りにハツの家によると、老女は元気に庭の手入れをしていた。見違えるほど平和になっていた。一人暮らしの自立の生活が、一人の老婆を不運から救い出すことが出来たのであった。

(5)蜘蛛の巣にかかった昆虫

京都には、いたるところに寺院や仏閣が建てられ、各寺門の殿堂が立ち並んでいる。時代と共に権力者は消えて行ったが、信仰の伽藍だけは、今も覇を競い合っている。仏教の始祖である仏陀は寺院や仏閣を持たなかったが、時移り、場所が変わるにつれて、伽藍が建てられ、覇が争われてきた。信仰の名によって、新たな権力が生まれ、宗派の内部の争いが深刻となり。術策の泥沼と化していった。

京都では生き神様が至る所に現れ、人を集めている。信仰のメッカだけに旧来の信仰を向こうに回し、結構繁盛しているから面白い。高橋先生は二条城を後に、ある生き神様の家に行くことにした。格子戸の玄関をあけると、お線香の臭いが鼻を突く。玄関の土間を隔て、すぐ広間がある。その広間に20人近い信者が黙って座っていた。よく見ると、広間に祭壇が祀られ、その祭壇には果物や菓子などがあげられている。祭壇の神仏は、如意輪観音、不動明王、阿弥陀如来、愛染明王、弘法大師の像が安置されている。高橋先生は土間のすぐ近くに腰を下ろし、この家の異様な光景に見とれた。

「私は先生のおかげで元気に過ごさせていただいています。本当に神様の御利益の賜でございます。どちらからおいでになりましたか」中年の色の白い婦人が高橋先生の隣に座って数珠を持った初老の婦人に話しかけた。

「私は大阪から参りました。今日は初めてなので、どうしたらよいか分からないので迷っています。どうすればよろしいのでしょうか」

「うちの先生は何でもお見通しでございます。あなたが一番心配していることを申し上げれば、お答えいただけますわ」この人は信者なのか、それとも先生と言われる生き神様の内弟子なのか。顔や身なりからして有閑マダムと言ったタイプであった。何でもお見通しの生き神様に、一番心配している問題を告げなくてはならないのはどういうわけか。お見通しなら、その心配事をピタリと当てて、解決するのが筋である。高橋先生は、この生き神様を知っている。ここに来た理由は、彼らがどのようにして、盲信、狂信者を作っていくのか、それを知りたいと思って見聞に来たのである。当てものなら動物霊でも魔王でもやる。集まっている信者のほとんどが中年婦人だった。顔色は良くないし、強情張りの人々のようであった。今ここに幾人かの信者の姿を見ても、現世利益だけを追い求め、生き神様一辺倒の他力信仰である。教祖が広間に入ってきた。祭壇のわきのふすまから若い女性に手を引かれ、祭壇の前に静かに座る。年の頃は45歳ぐらい、頭は坊主刈りで、髪にも白いものが混じり。身なりは白装束の行者姿である。祭壇に向かって拍手を打つ。小声で呪文を唱えると、目をつむったまま、信者たちの方に向き直った。黒い眼鏡をかけている。教祖はどうやら目が見えぬらしい。大阪から来た初老の婦人が祭壇の前に進み、心配事を打ち明けた。

「今年18歳になる長男、山田道明(仮名)と申しますが、ノイローゼにかかり、自分の部屋から外に一歩も出ないのでございます。昼間はぐったりしていますが、夜になると元気になり、一人で騒いでおります。どうしたらよいのでしょうか」婦人は生き神様に手を合わせ、こう訴えた。生き神様はそれを聞くと、再び祭壇の方に向きを変え、祈り始めた。そうして今度は般若心経の読誦である。先ほどのわけのわからない呪文を唱えてから、時と場合によって、経文が口から出るようである。祭壇にはさまざまな神仏が祀ってあるので、祈りの言葉も種々雑多のようである。生き神様は顔を紅潮させ、真っ赤である。手に持った数珠を両手で力いっぱい引っ張った。その途端、糸が音を立てて切れ、畳の上に数珠が転がり落ちた。婦人はこの有様に怖くなり、顔は畳につけ、丸くなって震えていた。生き神様の体を守護神様が支配したのだった。

「ウオーウオー」まるでライオンか虎である。初めての人には何が何だか訳が分からない。生き神様は手に持った数珠を広間の空間に向かって投げつけた。神様は怒っているのだ。周囲にいた信者は、神の怒りを恐れ、

「神様、どうぞ私たちをお許しください。お許しください」畳に額を擦り付けて詫びている。どうやら、高橋先生を怒っているようだった。高橋先生がここの神様を信じていないからだった。神様が口を開いた。

「わしは、不動明王じゃ。お前たち一人一人を守ってやろうと思っても、一生懸命祈ることもしない。この罰当たり目が。わしを信じない者は、ここから立ち去れ。ここから出て行け・・・」部屋中が割れんばかりの勢いである。信者は泣きながら詫びている。大阪の婦人は背を丸め、ただ震えていた。生き神様の体は真っ白な狐に支配されている。しかし、高橋先生には見えてもここの人たちには何も見えないだろう。友人が高橋先生の膝を右手でつつく。そして右隣の婦人を指差した。婦人を見ると、体が左右に動き始めている。そのうちに、この婦人は座ったまま、飛び始めた。まるで機械仕掛けのおもちゃのように飛び跳ねる。普通では信じられないことが、ここでは行われている。婦人は古い信者でここでは幹部の一人なのであろう。飛び跳ねながら

「ああ、有りがたや、有りがたや」と涙を浮かべ神を讃えている。婦人の後ろには狐が憑いている。狐霊が人の体を支配すると、人間には不可能なことが簡単にできる。最近はテレビで、よく行者や修験者が視聴者の目を背けるような離れ業をやっているが、大抵はこうした動物霊が背後にいて演技している。こうしたことを続けていると、身体はガタガタになりみじめな死を迎えることになる。大阪から来た婦人は恐る恐る頭を上げ、この光景を眺めて驚いていた。先ほどの有閑マダムが婦人の耳に口を当て、

「さあどうぞ、お不動様にもう一度お伺いなされてはどうですか。きっとよいご返事がありますよ」と親切に教えていた。婦人は再びお伺いを立てた。すると神様は

「うん分かった。お前の先祖が浮かばれないので息子に障っているのじゃ。供養が足らん。供養じゃ、供養するのじゃ」

「供養と言いましても、どうすればよろしいのでございますか」婦人はまだ震えていた。

「供養か、そんなことをこの不動に聞くのか。経文じゃ、経文をあげるのじゃ」婦人は小首を傾げながら考えていると、

「わからぬか、供養じゃ、経文をあげるのじゃ、先祖に経文をあげるのじゃ」と神様は一段と強い調子で怒鳴り散らした。

「ハイ、ハイ、わかりました。供養いたします」神様の剣幕におそれて、婦人はそう返事した。

「本当に分かったのだな。本当だな」と念を押すのだった。

「ハイ、よく分かりました。しかしまだ分からないことがございまして・・・」

「なに、分からぬ。この不動を愚弄する気か。お前は罰が当たるぞ、それでも良いか」婦人はあわてて、

「いえ、それは困ります。お不動様助けてください」と額を畳にすりつけて平伏した。

「子供は救ってやるから心配するな。供養はわしの方でやってやる。ただ、信心を忘れぬ事じゃ。信心さえ持てば、お前の息子は治る。わかったな」神様の態度は急におとなしくなり、いかにも満足気であった。怒ったり、諭したり、まことに緩急自在である。もし、神様と言っても、怒りっぱなしでは誰もただ恐れるだけでついてこなくなるだろう。まず、相手に恐れを抱かせ、その後で、今度は信者をつなぎとめる懐柔策に出る。信者にとっては理屈よりも、子供の病気を治してもらえればそれでよいのであるから、治れば気も晴れるというものである。ここの神は、そこはよく心得たものであった。

「有難うございます。どうぞ、よろしくお願いします」婦人はハンドバックから紙に包んだものを、そっと、神様の前に差し出した。神様のわきに座っていた若い女性が、その紙包みを取ると、

「神様、いただきました」と、一礼し祭壇に上げた。これで一件落着である。続いて34歳ぐらいの様相の女が祭壇の前に進み出た。

「母の病気を治したいのです。どうしたらよいでしょうか」

「お前の家の下水がつまり、不浄になっている。荒神が怒っているぞ」

「下水と言っても、どちらの下水でしょうか」

「お前は下水が分からないのか。わしは臭くてかなわんのじゃよ。わしは荒神じゃ。なぜ、あんなに汚している。お前の母は無神論者じゃ。だから、罰が当たったのじゃ。ここに連れてこい。よく言ってやるから」語っている霊は先ほどの白狐である。

「ハイ、わかりました。早速、母に言い、連れてまいります。ですから母の病気を治して下さい」

「うん、お前は素直だ。気に入ったぞ。必ず連れてきなさい。来れば病気は退散する」

「有難うございます」これで2件片付いた。続いて大津から来たと言う50ぐらいの婦人が、

「亡くなった祖父にお会いしたいのです。どうか、よろしくお願いします」深々と頭を下げ神に願い出た。生き神様は祭壇に向かって、何やら祈っている。合掌の手が上下に動くと、白狐が離れ、年老いた岩だらけの男が生き神様を支配した。地獄霊である。

「わしは、荒尾じゃ。苦しい。水をくれ。水を一杯くれ」婦人は急いで立ち上がり、若い女性からコップの水を受け取ると、

「お祖父さん、水です」と神様に渡した。生き神様は喉を鳴らしながら、一気にコップの水を飲みほした。

「お祖父さん、天国の生活はどうですか」

「天国、お前、そう簡単に天国へは行けんぞ。わしは今、うす暗い灰色の世界にいる。蛇や狐やムジナが沢山いる気持ちの悪いところだ。鬼もいるし、どこを見てもわしを温かく迎えてくれるところはない。ここでも修行をしない限り天国へはいけない」

「お祖父さん、お祖父さんはお坊さんとして一生の間修行をなされたのに、どうしてそんな暗い世界にいるのですか」

「それはお前たちと同じで、こちらにも修行があるのじゃ。わしは、毎日勤行をして厳しい修行にも耐えてきたので何とか持っている。お前たちの厳しい修行に耐えるようにしっかり修行をしておくことじゃ。」と言って咳をしている。婦人は生き神様の背に回り、肩のあたりをさすり始めた。

「お祖父様、体の具合が悪いのですか。大分咳が出るようですか」

「うん、まだ、体の具合が良くない。早く直して元気になりたいと思っているが、思うようにいかない」

「お祖父様、私たちに何かできることがあったら、言ってください」

「うん、苦しい。般若心経を上げてくれ」

「わかりました。般若心経を一生懸命上げますから早く丈夫になって下さい」肉体を貸している生き神様の体が前後に揺れ、苦しそうである。咳が一段と激しくなると、地獄霊は生き神様の体から離れて行った。生き神様は祭壇の前で横になったが、その苦しみから逃れられなかった。動物霊や地獄霊が体に入るのだから、体はいくつあっても足りない。生き神様は疲労困憊していた。顔や額に汗がにじみ出ていた。生き神様は意識を持っていかれたので、なかなか起き上がれなかった。信者の間に不安が募った。

「あんたがあんな地獄霊をお願いするからいけないのよ。先生をこんなにしてしまって・・・」大津の婦人に霊の有閑マダムが食ってかかっていた。十分ぐらいたったであろうか。生き神様はどうにか起き上がり、

「いやいや、本当にひどい目にあった。体が重くなって、呼吸が止まりそうになってしまった」と首筋のあたりに手をやり、周りを見回した。

「先生、申し訳ありません。これからは気を付けます。どうぞ、お許しください」大津の婦人が頭を下げた。

 先生と言われる生き神様は、もうこの時は狐が憑いていなかった。つまり、彼自身に戻っていた。先生は自分に戻ると何か楽しそうに部屋から出て行った。彼が出て行くと、広間に細長い机が並べられて、茶菓子や果物、御馳走がその上に乗せられた。これから、生き神様である先生と信者の間で懇談会が始まるらしかった。先生は顔を洗い、着物に着替えると、皆の前に再び現れ、祭壇の前に座った。婦人の信者が先生を中心に机を挟んで座ったが、どうも先生の機嫌が良くないようだった。

「今日は面白くない。お前たちの中に、わしを恨んでいる者がいるようだ。それとも馬鹿にしている者がいる。信じない者はここから出て行け」古い信者が高橋先生の顔を覗いてみた。疑いの目で高橋先生を凝視している。彼女らのほとんどは生き神様と同類であり、新参の高橋先生を白い眼で眺めはじめた。

「誰だ。出て行け、信じない者は出て行かぬか」また怒鳴り出した。彼は怒鳴りながら立ち上がると、机の端を持ち、御馳走をひっくり返してしまった。信者たちは驚いて、

「先生、私たちが悪いのです。どうぞ、許して下さい」と平伏した。教祖は目を吊り上げて別の部屋に引き上げてしまった。有閑マダムが高橋先生の傍らによって来て、

「あなた、初めてでしょう。先生を馬鹿にしていませんか。先生を怒らせてしまったのはあなたです」と独り合点で興奮している。

「ちょっとお待ちなさい。私は別に何も思ってはいませんよ。今日は生き神様にお目にかかりに来ただけで、私のことで怒るなんておかしいですね。あなたは人の心が分かるのですか。そんなに罪もない人を罪人扱いしてそれでどういう信仰をなさっているのですか」

「だって、あなたがいなければ、先生はあんなに怒る事なんかないのです」

「皆さまが、一生懸命作られた御馳走をひっくり返すのが神の愛ですか。それを教えて下さい。皆さまは、自分の子供が一生懸命作った御馳走を、面白くないと言ってひっくり返しますか」

「先生は怒ると傍らにあるものは何でも叩きつけるのです。神様がやるのです」

「私はあなたに聞いているのです。あなたの家でもここの神様のようにしますか」

「いいえ、家ではしません」

「そうでしょう。神様が怒ったらおかしいですね。人間は皆めくらです。明日の命さえわからないで生活しています。その盲目の人間に、神が無慈悲にやたらと怒るとすれば、その神様は本当の神様とは言えませんね」

「あなたはここに何のために来たの。もう帰りなさい。理屈ばかり言って」高橋先生はこれ以上ここに留まれば、彼らを興奮させるだけであり、友人と二人で引き揚げた。

 すでに見てきたように、ここの神様は大変な神様である。知らぬが仏で、先生と言われる生き神様も、信者も、その実態を知らない。こうした宗教がいかに多いかである。今、様々な宗教が乱立しているが、お札、ペンダントを信者に売りつけ、法外な金を巻き上げている。神がお札を売るようになったらもう終わりである。ここの教祖の背後には、狐や魔王が憑依しており、信者を食い物にしている。やがて先生と言われる生き神様も、魔王や狐の食い物にされるだろう。気の毒と思うが仕方がない。この場所で教祖の憑依霊を除くことは非常に難しい。理由は、教祖自身が自分の憑いている霊、あるいは自分自身を神だと信じているからである。強引に除霊すると、本人の身体が持たなくなるし、意識が戻るまで時間をかけなければならないからである。信ずるとは、それほど強いものだし、間違った信仰ほど恐ろしいものはない。

 さて、高橋先生は生き神様の人となりについて調べてみた。どうして彼が生き神様になったのか。教祖・岡村隆元(仮名)は、京都に生まれた。4人兄弟の二男として貧しい環境の中で育てられた。両親は生活に追われ、夫婦仲は良くなかった。隆元が4歳の時、風邪がもとで高熱を出し意識不明に陥った。母は懸命に隆元の看病をしてくれたが、この病気で隆元の視力は衰え、眼が見えなくなった。だが、彼は看病する母親の姿や働く母の様子が心に映るようになっていた

「お母さん、僕、眼が見えなくてもお母さんがどこにいるかわかるのだ。不思議だね」母親の光代は自分の不注意で隆元の両眼が失明したことを悔いていただけに、隆元の言葉には驚かされた。

「それ本当。本当に見えるの。本当ならいいね」彼女は子供の両眼を見つめながら、感情をこらえることが出来ず、落涙した。

「お母さん、本当によく分かるのだ。僕、神様から新しい眼をいただいたのだ」母の光代は、涙を流した。彼女は神仏に祈った。どうかわが子の両眼が元のように見えるようにと・・・。隆元がいくら見えると言っても、トイレでさえ独りで行けない。これでは見えるとは言えなかった。光代は隆元の将来が心配だった。

「あなた、隆元のことですが、医者に見せて手術でもしてやりたいと思うのですが、何とかならないでしょうか。大学病院はどんなものでしょう」 父親の静雄は安煙草を吹かししながら、

「うん、何とかしてやりたいと思うが、お金がない。これ以上、わしを困らせないでくれ」光代は静雄に相談してもラチがあかないと思い、

「お父さん、眼さえよくなれば隆元の将来は心配ありませんよ。何とかしようじゃありませんか」と実家に相談するのだった。そして、お金の工面が出来た。隆元を照れて大学病院に駆け付けたが、病院では手遅れだと言い、先天性のものだと言って治療を中止してしまった。光代は諦めず、これぞという医者がいると、隆元の眼を見せた。だが、どこへ行っても治らなかった。隆元の両眼はついに開くことはなかった。光代は隆元の妹を生むと他界してしまった。隆元10歳の時である。隆元にとっては青天の霹靂だった。彼は泣きじゃくった。この頃から彼の心に信仰心が芽生えてくる。家に誰もいなくなると、仏壇の位牌に手を合わせ、1時間でも2間でもそうしていた。そうした彼だが、成長するに従い、その性格は次第に粗暴になっていった。兄や妹を困らせることが度々であった。兄や妹は「めくらの癖にお前は生意気だ。少しはおとなしくしておれ」

「ふん、俺は眼が見えなくてもお前らが何をやっているのか知っているのだ。意地悪したら兄弟でも承知しないぞ」

盲学校中学の頃である。友達と悪い事を度々やり、学校でも彼には手を焼いていた。中学を出ると、マッサージ、鍼の学校に通った。ようやく国家試験にも受かり、治療師になっていくのだが、隆元には物足りなかった。霊感を得れば治療効果はより以上に上がる。彼はキリスト教会に通った。だが不満足だった。よく当たるという拝み屋や行者の敷居もまたいだ。転々と歩くうちに、木村八重と言う女行者の弟子になり、ここで指導を受けることになる。八重は若いころから山中に篭り、霊感を得たという珍しい行者であった。年はかなりになっていた。隆元は必死だった。何とかして霊感が欲しかった。八重が積んだ霊能を自分のものにしようと、経文や祈り方を点字に直し、自分のものにしていった。彼は師の前では低姿勢を取るが、八重がいないときに横柄な態度を取った。ある時、八重が隆元に言った。

「隆元、お前には礼儀と言うものがあるのか。盲の癖に先輩の悪口を言うばかりか、自分の思う通りにならないと暴力をふるう。お前は今日から破門だ」八重は男のような言葉で隆元を叱りつけた。

「ふうん、俺はお前を師とは思っていない。低姿勢でいればいい気になりやがって、この強情婆。信者から金ばかりとって、何が神だ。今日限り、こちらからご免こうむる」八重も負けてはいなかった。

「何だ、この盲野郎。お前なぞ罰が当たって、のたれ死にでもすればいい。出て行け」

こうして隆元は師である木村八重の下を飛び出した。飛び出してみると、八重のように霊能があるわけではない。相変わらずマッサージと鍼をしながら日々を送っていくのである。それにしても隆元といい、八重にしても、これで宗教家と言えるのかどうかである。信者が集まると愚痴と欲望の中で喘いでいた。心の中の平和なぞ、彼らにはなかった。彼らにとっては心の平和よりも、霊能を通して自分の欲望が満たされればいいのであった。神の仏も、欲望の道具にすぎなかった。もし、信仰している集団の中で、怒りや権力が幅を利かせ、仲間同士の争いが絶えないものであれば、それは地獄霊の集団と思えばいいだろう。教団や行者たちの心を支配している地獄霊がそれをやっているからである。また、神の名の下で不可能な約束をし、お守りやお札、教団発行の雑誌を信者に多く押し付けている者も正しいとは言えないだろう。また、指導者の言行が変わりやすく、自分の都合ばかりを主張している場合も気を付けることである。教義の解釈がその時々により、変わるのもおかしい。指導者に一貫した指導理念がないと言うことであり、指導理念がコロコロ変わるならば、それは宗教とは言えない。大自然の変わりない循環、調和の中道こそが、人類の生活の在り方であり、大自然はそれを教えているのである。つまり、宗教はとは大自然の調和の姿であり、平和の生き方なのである。その生き方は、インドの仏陀や愛を説いたイエス・キリストの教えに尽きるのである。隆元はこうしたことも知るはずもなく、ただ霊能を得て人の上に立ちたいと言う野望で一杯だった。彼はマッサージや鍼をしながら人生相談をしていった。おかしなもので類は友を持って集まる通り、彼にも一人、二人と信者が集まってきた。最初は人集めの為に彼は腰が低かった。50人と集まるようになって、増上慢が頭に持ち上げてきて、自分の思うようにならないと信者を脅迫するようになっていった。離れる信者もいたが、罰を恐れて彼にしがみついている者もいた。また霊感の7割ぐらいは当たった。彼に憑依する地獄霊が後ろに控えており、次元の異なる世界から眺めているのだから当たらない方が不思議である。こうしたことが信者をつなぎとめる要素になっていた。もともと、彼の信仰は他力であり、そのほとんどが女性であった。夫に死に別れた者、姑とのいざこざ、夫の浮気、家庭争議が絶えない、と言った我の強い女性が大半を占めていた。不幸の原因がどこから生じてきたのか、彼女たちは自分の不幸だけを悲しみ、常にその責任を他人になすりつけてきた。彼女らにとって、隆元はまたとない相談相手であり、盲であっても男らしい気骨が魅力だったのである。こうして隆元は生き神様になり、教祖となってからはマッサージや鍼を止めた。もっぱら人生相談とご宣託だけで十分やっていけた。ただ、彼にとって不満があった。彼は幼いころから知識を身につける機会がなかった。このため、感情で動く女性は信者にしても、理屈で攻めてくる男の信者は少なかった。自分の野望をより大きくするには、男が必要だったが、有能な男はおらず、これが彼をいらだたせる原因になっていた。隆元は地獄への道を真一文字に走っていた。高橋先生が彼の家を訪れた時には、もう救いようのない悪霊の虜となって、蜘蛛の巣にかかった獲物であった。

(6)血の池地獄の拷問

 現代人は地獄を信じたがらない。否定する理由として、こうした世界は生きている者への見せしめであり、この世にこそ天国と地獄があると思っている。地獄絵は絵師や仏教家の想像であり、人は死んだら無になってしまうと考えているようである。

 確かに、地獄絵は生きている者への見せしめであり、人間は正しく生きることが大事であることに違いない。しかし、本当にそうした世界があると言ったら、どうだろう。地獄界は否定したくても否定できないのである。現に高橋先生はある女性を通して、血の池地獄の実態を確認した。それまで、冷寒地獄、無間地獄、餓鬼地獄、煉獄地獄、火炎地獄と言った地獄を見てきたが、血の池地獄は初めてだった。何故、彼らはそうした世界にいるのか。彼らは生存中に情欲に心が燃え、人生の大半をその中でしか生きてこなかったからである。彼らは血の池地獄にはまり、連日連夜、拷問の生活を送っている。誠に恐ろしい事である。

 大月光子(仮名)は、暗い自分の部屋で新聞を眺めていた。光子は広告欄に目をとめた。それは高橋信次先生の著書であった。光子の心をとらえたものは、過去世の言葉を語るという不思議な現象だった。光子は「人間・釈迦」二部作を書店で求めた。著者は無名だが、一流の作家が推薦しているので、読んでみた。続いて「心の発見」を読んだ。悪の諸相が詳しく書いてあった。今自分の周囲で怒っている不思議な現象と一致する。自分を苦しめている病弱な体、精神的な負担は明らかに悪霊の仕業であると確信するのだった。だが、どういうわけか、自分がそう感じてからは、これらの著書が読めなくなってしまった。本を持つと手が震え、頭の中の空気が抜けるようになり、書かれている意味がつかめないのであった。光子は思った。(これは間違いなく悪霊の仕業だ。何とかしなければ・・・)しかし、ますます体の自由がきかなくなり、全身が麻痺状態に陥り、眼を開けていることさえ困難になってくるのだった。数日後、地元の新聞に著者の講演会の記事が載っていた。母親の澄子に相談して会場に連れて行ってもらうおうしたが、歩行困難でどうにもならなかった。光子は死を覚悟して高橋先生の事務所を訪ねてきた。

「京都から、その体でよくきましたね」

光子は眩しそうに軽く会釈し、母親に抱きかかえられながら、椅子に腰を下ろした。

「死を覚悟してきましたね。しかし、心配は要りません。あなたの体はどこも悪くありません。悪いのはあなたの思っていることや行っている間違った生活態度にあるのです。運転免許を取らずに自動車を運転しているのと同じです。非常に危険な人生を歩いてきましたね」光子は黙って肯いていた。年は25と言うが、病弱で40ぐらいに見える。彼女の体は完全に憑依霊の巣であった。

「苦しくて仕方ありません。私を助けてください。京都からやっとの思いできました。もしダメなら死んでも良いのです。もうこれ以上苦しみたくありません」

「正直言って、私にはあなたを助けることはできません。助けるのはあなた自身です」自分を救う者は、自分をおいて他に無いからである。

「私はわざわざ京都から来たのです。どうか助けてください」光子は涙ぐんでいた。

「お願いです。娘を救ってください。どうかこの通りです」母の澄子も手を合わせて哀願するのであった。

「私は、あなた方のアドバイザーであって、あなた方が私のアドバイスを理解し、実行するか否かによって、すべてが決定されます」

「わかりました。よく分かりました」光子は必死だった。母親の澄子も肯いた。

「ちょっと待って下さい。あなたの心はまだわかっていません。よく意味を理解していないはずです」光子は顔を赤らめ、下を向いてしまった。

「あなたの肉体は、お父さん、お母さんから頂いた人生航路の乗り舟であって、その船頭さんは永遠に変わらないあなた自身なのです。永遠の生命である魂の中心にあるものが心と言うものです。今、あなたの目に見えている肉体舟は無情なものでいつかは老いて朽ちてしまうものです。あなたは無情な肉体舟にとらわれて、その眼で見たものによって、欲望を作り、他と比較して虚栄心の強い性格を作られたはずです。また、その耳でいろいろとお母さんのことや、他人や身内から自分にとって都合の悪い事を聞いて、あなたは自分の周囲の人全部を恨みましたね。恨みの毒を心の中に作り出し、心の中で将来の自分が不幸に終わるのではないかと、現実の厳しい環境の中で悲観していたはずです。あなたは、恨みの心、誹りの心、怒りの心、情欲の心、虚栄の心、こうした心でスモッグを作り上げてきた。その暗い心の中で今住んでいる寺の地縛霊に、心と肉体を支配されてしまったのです。私の著書を読めなくなったのもそのためです。心の中の地獄霊が私の本を読ませなくしたからです」光子は図星をされ、愕然となったが、すぐ思い直していった。

「はい、その通りです。私は虚栄心の塊のような女で、人を徹底的に恨みました。あらゆる仏教書、哲学書を読みましたが、心の中から理解したものは一つもありませんでした。私は真実を求めていました。そんな時に先生の御著書は私の心を捕らえました。地獄霊がこれに反発してきましたが、心の奥から、東京に行け、と言う叫び声がありました。私も死を覚悟して上京したわけです。私の心はスモッグで一杯です」

「そうですね。あなたは小さい時から心の中に一杯毒を食べてきました。あなたが心の中で思っていることは、自分のことばかりですね。まず、両親を恨んだことから改めることが大事です。お母さんの愛は太陽の熱や光と同じように、無償であなたを育て、教育し、病弱であるあなたを守ってきました。あなたはお母さんの奉仕に報いてきましたか。あなたは奉仕どころか恨み、愚痴、怒り、誹りばかりで何一つ報いてこなかった。感謝すらない。あなたは思うこと、行為について反省したことがありますか。あなたには反省する規準がない。自分のことだけ自分の都合のみで生きてきましたね。今苦しんでいるのはあなたです。毒をため込んでその毒の為に苦しんでいるのです。反省によって心の毒を除くことです。虚栄心をまず捨てなさい」光子は大声で泣き出していた。母の澄子も泣いていた。

「あなたは死を覚悟して私の所にやってこられた。ならば、今までの毒を全部思い出し、反省しなさい。恥ずかしいとか、みっともないとか、思ってもいけません」光子は泣いていたが、心が落ち着くと、25年間の出来事を語り出すのであった。

 光子は京都のある産院の一室で生まれた。生みの苦しみを何度も経験してきた澄子だったが、いつも初産の気持ちで光子を生んだ。光子の出産時は、社会の環境や家庭の事情がだいぶ変わっていた。昭和24321日に光子は生まれた。食糧事情も悪く、誰もが生きていくのに必死だった。光子の父一郎の姿は見えなかった。一郎は大実業家の長男として生まれ、澄子も格式ある寺の娘として育ち、2人の結婚は華やかのものだった。その夫が澄子の実家に起居するようになってから性格が変わってしまった。戦争が激しくなり、疎開しようと緑に囲まれた澄子の実家の寺に親子4人が転居してからおかしくなった。夫は自然の環境とは反対に狂ってしまったのである。澄子は淋しかった。

 夫の一郎は寺の片隅の座敷牢で暮らしている。自分の子供が生まれたと言うのに、それすらわからなかった。祝いの赤飯を差し出すと、餓鬼のように手づかみでがつがつ食べた。

 澄子は若い頃、宝塚の女優にあこがれたので、光子にその夢を託すのであった。生活は夫の財産を金に替え、幼い3人の子供を育てていった。寺が広いので寺の手伝いもし、夫のことを考えなければ、結構幸せな毎日が続いた。澄子の両親は光子を可愛がってくれた。実家の寺は格式の高い名門であった為、行儀作法や言葉遣いは厳しかった。幼い光子が祖母の膝の上に上がろうとすると、祖母は決まってこう言った。

「あなたは普通の家庭の子供と違うのです。偉い人を先祖に持つ立派な血筋を受け継いだ方です。行儀正しく、きちんと座らなくてはいけません。あなたはお姫様なのですよ。よく知っておいてくださいね」

 祖父の雅之は大僧正として寺を護り、人望も厚かった。あまり細かいことは言わないがどこか侵し難い気品があった。そんな時、澄子の妹が子供を連れて実家に戻ってきた。妹の秋子は自分の虚栄心を満足させるため、実家の大月家の家系よりさらに上の名門の家に嫁に行った。もともと夫は病身で夫婦間は冷えて行った。秋子は別居生活を理由に寺に返ってきたのであった。事実上の離婚である。2人の子供は光子より下だった。それで祖父母の関心は2人の子供に向けられた。それと同時に光子の心に明るい素直さが消え、自分より年下の従姉妹に負けまいとした。光子の心は大きく変わっていき、この時を境に心の中に2つの自分が同居するようになった。つまり、素直な自分と、外見を作り出そうとするもう一人の自分が、心の中にできた。これを高橋先生は偽我と呼んでいる。光子の心に偽我が芽生えたのである。叔母の秋子は、光子の前でも母親の澄子の悪口を祖母に告げていた。幼い光子には耐えがたい事だった。澄子と祖母の間は次第に冷たくなっていった。派手好きな祖母と虚栄心の塊のような叔母は、いつも一緒に出掛けた。こうするうちに、澄子と秋子は反目しあうようになった。幼い光子も人の顔色を窺うようになっていった。光子は病気がちになった。母の背中におぶさっただけでも体に電気が通じるような現象が起きた。家の中は冷たく淋しい。外の子と遊んでいてはいけないと祖母に言われていたが、淋しさのあまり外に出ると、

「気違いの子、あの子と遊ぶな」と石をぶっつけられた。光子は兄や姉と遊びたいが10歳も年が離れているので相手にされなかった。それで母に聞いた。

「お母様、気違いの子ってどういうこと。教えて」しかし、澄子は今の光子に一朗のことを話すわけにはいかなかった。澄子は黙って光子を抱きしめた。

 ある日、澄子は光子のことで祖母に相談した。

「光子の体が変です。医者に見せてもよく分からないと言う。腺病質のようだから、できるだけ外に出て友達と遊ばせるようにしたらいいでしょうと言うぐらいで、薬もくれません。どうしたものでしょう」

「あなたのような女だから子供までおかしくなるのですよ。あなたの亭主が狂うのも、あなたの心がけが悪いからだ。家柄にあなたは傷をつけた。これ以上、家に傷をつけてもらいたくないね」祖母は青筋を立てて、罵り始めた。澄子も返す言葉もなく、自分の部屋に帰った。祖母の性格は、いい時はやさしいが、悪くなると、人が変わった。気性も激しく心がコロコロ変わった。そればかりではなかった。祖母は澄子を罵り、厄介者扱いし、「お前の顔など見たくない」とさえ言った。澄子は自然と祖母から離れていった。

 祖母や秋子の仕打ちは冷たく、他人以上だったが、子供同士は仲良かった。光子にとっての救いは秋子の子供たちだった。また秋子も祖母もそこまでは干渉してこなかった。澄子は、一郎が寺に運んできた財産を、祖母がすべて取り上げてしまったので外に出ることもできなかった。澄子は光子の為にできるだけ生きて行こうと決心した。光子はこうした環境に中で幼稚園から小学校、中学校へと進んだ。学校に行くと、友達から気違いの子と遊ぶなと言うことで光子から遠ざかってしまった。こんな時、光子は、

「何さ、平民の癖に、私は友達なんかできなくてもいい。お前たちとは身分が違う」と自分を慰めた。祖母から聞いた「身分の違い」が光子の心を支えたのである。中学の時、大学に行っている兄が、休暇で寺に帰ってきた。兄も恵一は貴公子然とした青白い、おとなしい性格で光子は話し合うことはなかったが、家に帰ってくると、きまってお見上げを買ってきてくれた。この時もネックレスを買ってきてくれた。光子は恵一に親しみを感じ、気軽に父のことを尋ねた。

「お兄様、私のお父様はどこにいるの」光子は恵一の返事を待った。

「お前、まだ知らなかったのか」

「そうなの、知らないの」

「お父様は、気が狂ってしまったのだ。離れの小部屋があるだろう。あそこにお父様がいる」光子は気が遠くなった。あんな人の血が自分の体に流れていると思うと、目の前が真っ暗になった。光子はその場に倒れてしまった。

「お母様、光子が大変だよ」

「どうしたの、何があったの」

「お父様に事を話してくれと言ったものだから、つい話してしまった。そしたら急に倒れてしまって・・・」

「光子、光子・・・・」恵一は医者を呼んで来ようとしたが、澄子は必要ないと手を横に振り、布団を敷かせた。30分ぐらいして光子は気が付いて母や恵一の顔をながめた。

「お母様、座敷牢にいる乞食のような人がお父様だなんて、少しも教えてくれなかった。でも私は知らない。あんな人知らない」

「あなたに本当のことを話さなかったことは悪かった。でも、お父様は、お父様の資格のない人なのよ。何も考えること無いわ。あんな人、父親でもなんでもない。私やあなた方を苦しめている人ですもの。お願いだから、もう悲しまないで・・・」澄子は精一杯こう言うと、光子の顔を覗き込むようにしてみた。光子は、母がそう言っても、父は父であり、肉親であることには変わりがなかった。今の言葉は母親の孤独な心を見るようで新たな悲しみが光子の心をよぎるのだった。光子の貧血症は、その後も度々に起こった。それでも光子の体は大きく、女らしくなった。

「お兄様、私はお嫁になど行けないね。お兄様はお嫁さんを貰うの」

「さあね。僕なんかどうでもいいが、光子は可愛そうだよ。しかし、理解ある人であれば、お嫁さんにだって行けるさ。体をしっかり作ることだね」兄の言葉は肉親の言葉だった。光子は兄の恵一なら何でも話し合えると思った。それにしても身内の叔母や親戚ほど当てにできない。必ず見返してやると思った。いろいろ覚えて独り立ちして見せると決心するのだった。学校の珠算の他、華道をはじめ、踊り、お茶、生け花など女の芸事にはなんでも首を突っ込んでいった。そうした道で生計を立て、一家を成そうと考えた。すべては身内に対する復讐の念に燃えた結果であった。

 光子は体が弱かったが、ずっと優等で高校にも進んでも2年の時に病気さえしなければ優等生で通したであろう。もともと頭の良い子なので澄子は光子を大学へ進ませた。光子の心は毎日が格闘だった。表面は老いたた祖母や、叔母の秋子に調子を合わせ、朝晩のあいさつは、笑顔を崩さなかったが、今に見ておれと言う意地だけは日ごと激しくなっていった。心の葛藤に比べ体の調子が変調をきたしてきた。頭痛や胸の圧迫がひどく頭のあたりに、何か皿のようなものがかぶさり首を横に振っても取れないことがあった。夜、床に入ると、胸のあたりが締め付けられ、心臓が止まりそうになる。あまりに体がおかしいので、医者に行き、脳波の測定、心電図、脈拍、血圧など見てもらったが、異常はどこにも認められなかった。光子はこの家には何かあるのではないかと思うのだった。お祖父さまも、お祖母さまも、同じようなことがあったという。でも、ピンピンしている。また、秋子叔母様も、夢遊病者のように本堂を出て行ったことがあると言う。誰かが上からのしかかるような気分になったことが度々あったという。お祖父様の場合は、不動様やお稲荷様が上の方から降りてくると言う。光子は詳しい話を聞こうと思い否定的な態度はとらなかった。お祖母さまも、一緒に話しているうちに急に人が変わったように、「わしは不動明王じゃ。もっと不動を信仰しなさい」とまるで男の声になってしまうと言う。そういえば、秋子の人柄が急に変わり、光子を激しく怒ることがよくあったが、あの時は神様が乗り移り、語り出したのかもしれないと思うのであった。だが、なぜ、神様が出てくるような人が、他人の悪口を平気で言うのだろう。光子には分からない事だった。光子は秋子の用の合間をぬって、話を持ちかけた。

「叔母様、神仏のお話を聞きたいのですがよろしいでしょうか」

「ああ、いいわよ。どんなこと・・・」

「叔母様は、神仏の存在を本当に信じていますか」

「あなた、何を言うの。お寺で育っていながら、そんなことを言って・・・」光子は秋子の性格を知っているのでわざと疑問をぶっつけてみた。秋子は虚栄心の強い女であり、知らないと言わない性格であった。

「私はね。あなたの年頃には、毎日のように神様が出てきて、いろいろなことを話してくれたの。これ本当の話なのよ。あれは17歳の時だった。9月のお彼岸に、本堂で経文をあげていたら、私の目の前が急に灰色に変わり、菩薩様が現れてきたの。青光りするような光が、体から出ていたわ。私は夢中になって、それを見つめたの。私は観音経をあげたわ。菩薩様がじっと私を見ていた。すると、その菩薩様が「先祖の供養をすることは大切なことだ。その心がけを忘れるな」と言うの。私は心の中で「はい、わかりました。一生懸命供養させていただきます」と言ったら、「よいよい、その通りだ。その心がけだ」と言ってほめてくれたわ。しばらくすると、灰色の部屋がローソクの光で元通りになった。その瞬間に、私の体が、なんだか電気にでもふれたようにしびれ、硬直してしまった。そしたら、冷たい風が私の体を包んだの。私、気持ちが悪かった。でも後で考えてみると、菩薩様が霊感を授けてくれてうれしかったわ」

「その時、叔母様は怖くなかったのかしら」

「菩薩様が見えたのよ。何故怖いのかしら?」秋子は得意だった。光子の疑問を打ち消してしまう。灰色の世界は地獄であるが、秋子にはわからない。また、青い光が、何を意味するかも分からない。ただ、今までに経験しない霊的な現象にぶつかったので、その不思議な現象を、善意に解釈していたのである。自分の日頃の精神状態をみれば、自分が見えた世界が正しいものかどうか判断できるはずであった。

「叔母様、私が寝ている部屋の廊下を大勢の人が話しながら通ることがよくあるの。その時、いつも底冷えして眠れないの。これどういうわけかしら」

「光ちゃんも、霊的な力があるのよ。死んだ仏様の声や廊下を歩く音など、普通の人には聞くこともないわ。素晴らしいじゃないの。先が楽しみね」秋子は笑顔で光子をほめたが、心の中は妬みで動揺を感じていた。

「でもね。叔母様。私怖いの。怖いのはどうしてかしら」

「光ちゃん、あなた仏様を怖がるなんて、何か勘違いしているのよ。お祖父様や私たちが毎日勤行し、供養しているのに、浮かばれない霊なんかいるわけがないでしょう」

「でも。叔母様、いつも私の頭が、重い感じなの。体の具合も良くないし、どうしたらいいのかしら」

「それは、お父様の御先祖が、浮かばれていない証拠よ。だから体に障っているのだわ。姉さん(澄子)だって、一郎さんの実家の先祖供養をしないから、年中苦労しているでしょう。違うかしら・・・」秋子は何でも知っているかのように得々と説明する。そして遠回しに光子をなじるのだった。光子はこれ以上聞いても無駄だと感じた。その時、急に秋子が合掌している両手が、上下に動き出すのだった。光子はびっくりして秋子を恐れるように眺めた。突然、男の声が秋子の口から出た。

「わしは、そなたの父方の先祖じゃ。もっと大きな仏壇が欲しいのじゃ。わしらの先祖を大事に祀れば、お前の体は元通りに治る。母の澄子に伝えておけ」光子はあまりにも唐突な出来事なので、すぐに返事が出来なかった。が、すぐに思い直し、

「ハイ、母に伝えます」と答えた。母の澄子が、叔母は神様が乗り移ると言っていたが、本当にそうだと思った。

「お前の父は可愛そうなやつじゃ。父の家は麻織姫の塚の跡なのじゃ。塚を供養せず、放ってあったから、神戸の家屋敷は没落した。麻織姫の怨霊が障っている。だから、供養する事じゃ。父を救うにはそれしかない。わかるか」光子には分からなかった。光子は小首をかしげた。すると、叔母の秋子の手が大きく上下して、秋子の顔が変わった。

「我は麻織姫なり。昔より、安住の場所として代々住んでいたが、お前の先祖が我らの地を横領してしまった。父の一郎は、見せしめじゃ。先祖の罪は子孫が償う。もっと苦しめ、もっと悲しめ、お前の家をめちゃめちゃにしてやる」とんでもない事を聞いてしまったと光子は後悔した。人の怨霊と言うものは、この世に存在し、恐ろしい事だと思った。

「お前たちが救われたいのなら、我らを祀れ。この麻織姫を祀る事じゃ。供養しなければ我らの怒りは永遠に消えぬ。罰が恐ろしければ、祀るのじゃ」秋子は顔を真っ赤にして興奮し、自分の意識の目覚めるとこう言った。

「ああ苦しい。体が重い。ああ疲れた」と言ってその場に横になってしまった。光子は今の出来事を反芻してみた。形相が変わった叔母の顔、先祖供養、麻織姫、怨霊、これと神仏の関係、自分の体、父の病気、どうもこれらがうまく統一されない。しかし叔母を通じての現象は現実に起こった。考えれば考えるほどわからなくなった。夜になって、この出来事を母に伝えた。すると、母の澄子は、興奮して来て、二人は明け方近くまで話し合った。澄子は真剣になり、光子の話を聞いた。澄子は翌日、嵐山の拝み屋に走った。そして怨霊というものが事実ある者かどうか尋ねた。その拝み屋は怨霊を払ってやると約束した。その後、澄子は、拝み屋にせっせと通った。澄子は拝み屋に通うようになってから、澄子は生き生きとしてきた。女らしくなっていった。光子には母の変わりようが悲しかった。怨霊の話から母の生活が一変してしまった。何か相談事があっても澄子は上の空で話に身が入らなくなった。光子は捨てられたと感じた。隣に寝ているはずの母がいない夜などは、拝み屋に母を取られた悔しさがこみ上げてきて、我慢が出来なかった。光子の心は怒りと憎しみに燃えた。母と口をきかぬ日が続いた。

 ある日の朝早く、澄子は拝み屋から帰ってきて、部屋の戸を開けると、寝ているはずの光子が布団の上に座り、ものすごい形相で澄子を睨んでいる。頭の髪はバサバサで顔の方まで垂れ下がっている。上目使いの眼はうつろだがギラギラと輝き、異様な眼が飛び出してきて、澄子に襲い掛かってくるようだった。

「どうしたの、光ちゃん」

「あなたはそんなに生き神様が好きか。そんなに好きならこの家を出て行け。お前など親でも子でもない。とっとと出て行け」まるで男であった。澄子は唖然となった。澄子はその場に泣き崩れた。光子に言われるまでもなく、盲目的に行に魅せられた最近の澄子の行動は、確かに異常だった。毎日のように嵐山に通い、家を忘れることが多くなった。最初は夫や娘の病気を治したい一心だったが、それも忘れ、娘時代に帰ったような血の騒ぎを覚えるのだった。欲と得との二筋道に、身も心も捧げる女になりつつあった。道ならぬ道に踏み迷い、陰を背負った行動に澄子は自責の念にかられた。そんな時、澄子は私だって幸福になる権利があると自答して慰めた。口は赤く燃え、髪をふり乱した光子の態度は、これまでの光子ではなかった。澄子は光子の肩をつかんだが、ものすごい勢いで跳ね飛ばされた。澄子は助けを求めた。寺の使用人が2人で光子を組み伏せ部屋に戻した。すぐさま救急車で精神病院に入れたが、父娘2人までが狂うさまを見て、澄子は人生の希望を全く失ってしまった。光子は1か月で寺に帰ってきたが、気の触れた光子の様子は以前とは違っていた。人と口をきくことも少なくなり、行動が緩慢になっていった。母の澄子に対して、親としてより、女として見るようになっていた。澄子は悲しかった。とうとう光子からも見放されてしまったと思った。兄の恵一は東京の一流大学を出ると、すぐ就職が決まり、実家に戻ることなく、仕事に励んでいた。澄子はその方が息子のためになると思い、息子を当てにしなかった。叔母の秋子は、正式に離婚すると、間もなく再婚し、光子たちの隣の部屋で生活を始めた。ある夜のことだった。光子が12時まで机に向かっていたが、床に入っても寝付かれず、寝返りを何度もうった。すると、秋子の部屋から女のうめき声が聞こえた。隣の部屋から漏れてくる女の声に、光子は全神経を耳に傾けた。光子は聞いてはならないものを聞いたような気持になり、体を硬直させた。光子も年頃であり、隣室で起こっている何かを連想すると、体の疼きを感じるのだった。隣の部屋が静かになって、光子も眠りに入ろうとすると、誰かが光子の中に入ってきた。そして、光子の体に覆いかぶさってきた。声を出そうにも、口を何者かに塞がれ、声すら出ない。男の息が光子の耳たぶをくすぐる。手足は何かに縛られているかのようで、動きが取れない。心だけは夢中で騒いでいたが、自分の意識が遠のいて行き、甘い花畑の中に浸っているかのような感じになった。30分ぐらいして、元の自分に返った。その時はもう男はいなかった。しかし、黴臭い臭いだけが布団の中にしみこみ、嫌な感じだった。光子は夢だろうと疑ったが、交わりの経験だけは現実だった。うなされる光子の呻きに母の澄子が起きてきて、

「光ちゃん、どうしたの」

「うん、今夢を見ていたの。怖かった」と返事したが、快感だけが残って、言葉と体が正反対な自分を発見するのだった。翌朝、体はだるかった、学校は休み、部屋の中で寝たり起きたりしていた。

 こんなことがあってから、光子は夜が待ち遠しくなった。見えない世界の霊人の訪問が楽しみになった。ある夜の時、60ぐらいの僧侶が部屋に入ってきて、光子に覆いかぶさった。光子はそれに応えて、激しく燃えた。燃えた後の光子の体は異常に重く、頭が痛んだ。しかし、光子を慰め、愛撫してくれる者なら、あの世の人であろうと、どうでも良かった。光子の体は弱り、痩せていった。

「光ちゃん、最近、あなたの体から異様な臭いがするわ。香水でもつけて学校へ行ったら・・・」母の澄子は心配のあまり、こう言った。

「お母様、私の体そんなに嫌な臭いがするの」

「そうよ、カビのような臭いよ。どうしてかしら」こうしたことがあってから、光子に訪れてくる月一度の生理は、七転八倒の苦しみであった。10日間は生き地獄のそれだった。子宮の中がよじれるようになり、その激痛は、やけ火箸を腹に突き刺さったような感じだった。光子は、声を上げて苦しんだ。医者に行っても治らなかった。

「お母様、注射で私を殺して」光子は何度も口走った。しかし、苦悩の10日間が過ぎると、元の光子に戻り、忍び寄る霊人に身を任せる夜が過ぎて行った。光子は曲がりなりにも大学を出た。もう24歳になっていた。中学の頃から華道、茶道、踊りと芸事は何でもやったが師範の免許はどれも取れなかった。学校を出ても就職できず。化粧をしないと40近い主婦だか見当もつかなかった。祖父母は他界し、秋子の2度目の夫がその跡を継いでいた。その叔父が光子を見て尼になれと進めた。お前が私の跡を継ぐのもいい事じゃないかと言うものだった。光子は思い切って尼僧になる決心をした。そうして高野山に登った。修行は1年くらいであったが僧侶の資格を取った。寺に戻り、叔父に報告した。叔父は口では良かったと言っていたが、いつになっても寺の仕事を言いつけなかった。母の澄子は叔父の態度に不満だったが、気が弱いため叔父に意見を言うことが出来なかった。光子は同門のある密教教団に通ってみようと思い、その教団に通い始めた。その教団の教祖は紅茶が好きで、講演中に口をつけて残すと、その飲み残しを女の信者が奪い合って飲んだ。教祖が手に付けたものは光が満ちているので自分も光に包まれると言うのだった。さらに個々の教祖の周囲はスキャンダルで渦を巻いていた。叔父と言い、教祖と言い、光子には信頼置けるものは何一つなかった。こんな時、高橋先生の著書に触れたのである。

「よく話してくれました。あなたの今までの間違いを「心の原点」「人間釈迦」「心の指針」などの書かれている正しい尺度で修正していったならば、あなたは健康な体になり、本来のあなたに戻ることが出来ます。死ぬ覚悟で私の事務所を訪ねてきたのだから、そのぐらいはできますね」高橋先生は心で祈りながらそう言った。光子の顔は血色が出てきた。この母娘とあってから8時間も経っている。高橋先生は光子に言った。

「あなたの子宮の中は、地獄界を作っています。これはどんな医者に見せても治りません。世に言う血の池地獄と言うものです」光子の顔が変わった。まさかと言う顔つきで高橋先生の口元を凝視するのだった。

「あなたの驚きも無理はない。しかし、本当だから仕方がありません。生理の時は子宮の内部に血がたまります。地獄霊は苦しいので騒ぐのです。彼らは子宮の内部でおぼれているのです」

「本当ですか」

「嘘を言ってもしょうがありません。私はあなたの体を見ていました。数え切れないほどの地獄霊があなたの子宮の中に住んでいます。私たち人間の体は小宇宙を形成しています。胃や肺や心臓、すべてに意識があります。細胞もみな生きており、彼らの意識から胃や腸をみるということは、私たちが宇宙を仰ぐのと同じです。あなたの子宮内は、そうした細胞の意識とは別に、人生において欲望の渦に巻き込まれ、それに翻弄された人々が住みつき、生活しています。本来ならそうした霊は、あなたの体内に住むのでは無いのですが、あなたが地獄の霊人たちと同通することによって、子宮内に地獄界を作りだしてしまったのです。私には彼らが今何をしているのかわかります」高橋先生の言うことがあまりにも唐突なので、光子は微笑を浮かべた。母親の澄子が質問した。

「失礼ですが、光子や光子の父が不幸なのは先祖の祟りと言われ、供養しなければと思いますが、どういうわけでしょう」

「では、私の方から聞きたいのですが、光子さんの兄さんや姉さんは同じ病気をしていますか。問題は現在の一秒一秒の心の状態が明るく正しく生活しているかどうかです。先祖供養は、こちらが元気で調和している生活をしていれば、立派にその役を果たすものです。悪霊は確かに存在する。けれど、こちらの心がしっかりしていれば、その悪霊の念波は受けないものです。大事なこと、今の自分です。神仏を祀れ、先祖を供養しろと言うのは、すべて地獄霊の仕業です。光の天使はそんなことは言いません。それよりも、今の現実の生活を正しく、明るく、中道と言う片寄りのない生活をすることです。地獄霊に心を売らないようにしていかなければ、幸福はやってきません。他力では人は絶対に救われない。今からでも遅くありません。原因はすべて自分にあることを知って下さい」

「よく分かりました。私達は間違った信仰をしていました。今までは見えない世界をただ盲目に信じていました。これからは見える世界に明るく、正しく、生きていきたいと思います」

「その通りです。まず疑問を持って追究していく努力を惜しんではいけません」澄子は深く肯いた。光子も今までも自分の生き方の誤りを反省していた。高橋氏先生は光子の腹部に光を当てた。彼女の子宮は血の池地獄を展開していた。地獄霊は岸辺につかまり、肩で息をしている者、血の池にはまり溺れている者、その数は何百何千にのぼっている。高橋先生が光を当てると、その中の一人が呟いた。

「明るすぎて何も見えない。これはどういうわけだ」また、ある男は、

「大男のお化けが出た」と叫んだ。その叫びと共に、血の池地獄の騒ぎは一段と大きくなった。

「お前たちよ、よく聞きなさい。お前たちはなぜ、そのような場所にいるのか知っているか。お前たちは生存中に情欲に溺れ、他人のことを省みることなく我儘に過ごしてきたからだ。今、その罪の報いの為に苦しんでいる。もし救われたいなら、光の橋を渡り、血の池から出てきなさい。怖くはない。さあ、早く出てきなさい」彼らは血の池に虹のようにかかっている光の橋を伝わって一人ひとり消えて行った。光子の子宮は明るくなった。元の健康に戻った。それと同時に腹部が安らいで光子の顔は晴れやかになった。

「ああ、不思議です。私のお腹の中で何かが動き出しました。もう圧迫感が取れてしまいました。軽くなった。暖かくなった。うれしいわ、お母さん」光子は感激して泣き出していた。母の澄子も娘に近寄って抱き合って泣いた。光子はようやく迷いから覚めた。エゴの塊だった自分に初めて気づいたのであった。走馬灯のように浮かんでは消えていく記憶の絵模様を、光子は反省するのだった。しばらくして光子は言った。

「地獄霊との肉体交渉はどこに原因があったのでしょうか」

「光子さんは、本能的な想像をしながら寝たでしょう。そうした場合、寺には地縛霊がいますから、その地縛霊があなたの心を知って、あなたの肉体を支配してきたのです。心は一念三千と言い、自分の想像した針の方向が情欲に集中すると、情欲の地獄界に通じて、そうしたことが起こってくるのです。この地球上は、天国と地獄の中間にあって、生活している場です。本来、地獄と言う世界は無いのですが、人間はその長い歴史の中で、そうした世界を作り上げ、心の在り方いかんで、そのどちらにも通じる様になっていったのです。あなたは小さい頃から孤独だった。そのため体が弱く、いつも暗い心で生活していた。ところが、本能だけは健在だった。それが年と共に目覚め、情欲に奪われるようになっていった。地獄霊にとっては、またとない機会が与えられたわけです。あなたに残されている健康な場所は本能の機能だけだったので、彼らはそこを目指して襲いかかってきたわけです。精神病は心の病気ですが、年ごろになって、女性がこの病気にかかると、大抵は性欲的に流れていくようです。快楽だけを追求する傾向になっていく。しかし、情欲は無常なもので、これに溺れると、真実の愛が分からなくなってしまいます」

「どうしたらいいでしょう。地獄霊に謝るべきですか」

「謝ることはありません。そうしたことを思わないようにすることです。そして早く心と体を健康にして結婚することがいいでしょう」

「思ってしまったらどうします」

「心を外に向けない事です。そういう思いにとらわれないようにして健全な心を知るように努力することです」

「わかりました」

「それと、家に帰ったら、私の本をよく読んでください。あなたが救われる道は、勇気、努力、智慧、決断です。不断の努力です。ところで気分はいかがですか」

「すっきりしました。寺に帰ったら、また地獄霊にやられるでしょうね」

「そうですね。あなたが正法を理解し、それを実行し続ければ地獄霊は近寄ることはできません。ともかく、おそれない事です。勇気をもって生きてください」

「よくわかりました」光子と母の澄子は礼を言うと、事務所を出て行った。あれから大分経ったが、光子の生理も落ち着き、明るい青春を取り戻したのである。