高橋信次著「大自然の波動と生命」における生命論の要約

「私たちの肉体は両親を含めて、先祖の先天的因果と自分自身の後天的因果により、肉体的諸条件が組み合っており、この肉体を支配する意識即ち生命(魂)が、修行する為に与えられた人生航路の舟である。」と断言し、さらに、「意識即ち魂は、過去世において神仏の子として、修行してきた生命であり、再びこの現象界に自分の魂を修行する為に生まれてきたのである。また、この現象界の修行が最も厳しく、来世における総ての基準になる。」と言っている。それは、肉体の支配者である意識(魂)は、表面意識が約10%で修行するため魂が磨かれるからである。約90%の潜在意識は、実在界(死後の世界)に通じている為に、殆ど間違った判断はしない。人間はやがて、現象界の肉体から魂が抜け出して修行を完了し、実在界(あの世)の肉体(光子体)をもって再び魂の生活に入るという生命の不変を解説している。

過去から現在、現在から未来へと修行をしていく生命すなわち意識(魂)を自覚し、最も人間らしい生活を営むべきである。私たちが、自分の過去世の魂を知ることが出来れば、この現象界における魂の修行に希望を見出し、魂の構成を悟り、未来に光を発見することが出来る。何の為に生まれてきたかを悟ったならば、私たちは自分の使命を自覚せざるを得ない。人生航路において、自分の表に出ている約10%の意識で判断せず、潜在している約90%の意識即ち自分の心に問い、常に反省の中に神の光が与えられるのである。

資本主義もマルクス主義も物質偏重主義である為、自己保存と黒い想念の塊の社会と化している。それゆえ、神仏の調和の取れた光を遮断するため、闘争が耐えないのである。人類に欠けているのは、心であり、神仏の存在を再認識する反省の時である。思想の対立解消は、人間同士の心の調和以外に解決できない。大自然の慈悲に対して報恩感謝の心を悟り、慈悲と愛による調和の取れた社会を建設することが私たちの本来の使命である。


第1章 宗教と科学

大自然界の現象は万物に遍く恵みを与え、万物の循環は寸分の誤差もなく、一定のリズムで、生死と盛衰が行われている。この輪廻の中で、宗教は大自然生命の神理を説き、道徳を教え、正しい秩序ある社会を造り、人間の幸せを教示している。科学は大自然の恵みを理論的に究明し実証付けている。宗教は生命の科学であり、物質科学より位相が一歩進んでいる。宗教の究極は大自然即生命の教理であり、現世における私たちの在り方を教えている。科学は現象界の時間と空間を超越して精神界に入り、正しい宗教の姿を実証していく。イエスも仏陀も偉大なる科学者であり、大自然の神理に到達した偉大なる先駆者である。諸聖人たちは、自我を没却して、人間性を高揚し、高い境地に立って、神即ち大自然生命本体エネルギーの源に通じ、万人に慈悲と愛の教理を現象によって示したのである。宗教と科学が一体に近づくに従って真の人間性が大宇宙生命と調和され、心の安らぎによる、自分自身の極楽浄土は意識の世界に築き上げられ、大衆の意識が正法を悟ることによって地球上に真の菩薩界が完成されるのである。


第2章 神の原理

神とは何であるか? その①は大宇宙の意識こそ、大宇宙の支配者であり、万物に慈悲を与えている絶対の神仏である。太陽系は宇宙の小さな諸器官であり、地球は細胞の一体に過ぎない。私たちの人体も9兆6千億という小さな細胞の集団によって五体を構成し、各器官は人体機構を維持する為の使命を持っており、神の慈悲によって、環境と熱光のエネルギーを含む万物が相互関係を持って、肉体保存に協力している。その五体も自分自身の意識によって支配している。大宇宙の意識は宇宙全体であり、私たちの意識は五体全体に関係しており、大宇宙の意識に通じている。神が私たちに与えられた慈悲と愛に対し、私たちは報恩感謝の心を持たなくてはならない。

その②の神は現人神としてこの世に肉体を持って、大自然大宇宙生命本体の神意に通じ、私たちに人間として生命活動を続けていく為の神理を教え、自我我欲を捨て、自ら多くの衆生に慈悲と愛を教えた為、その聖徳を称えて神と仰いだのである。現人神は大神霊と表裏一体であり、神の使者である。(如来や菩薩のことである。)私たちの心は体全体にあるが、見ることが出来ないように、宇宙の意識も現象界の人々には見ることが出来ないようになっている。

如来以上の方でなければ、実体を拝することは出来ない。実在界の光の天使には厳しい意識の段階があり、霊子によって意識は構成されて神と調和し、光子の体を持っている。魂の修行によって、体から出る光の量が異なっている為に、段階が区分されている。イエス・キリストは10歳の時に実在界に呼ばれ、現象界の邪法悪魔より人類を救うことを神より命ぜられ、アガシャー大王、モーセ、釈迦の上段階光の大指導霊の前に出て、人類救済の使命を与えられ、それを持ってイスラエルに戻ったのである。イエスは正法を説く暇もなく、自分を犠牲にして大衆を救ったが、焼かれている自分の姿を実在界から見られ、残した仕事を完遂する為に復活せられ、弟子達に正法を説かれたのである。人生航路の一生を慈悲と愛、神との調和で過ごしたのであり、全く神と同じである為、現人神として仰がれてきたのである。

その③の神と称されてきたのは、一般の動物霊である。現世において、犬や猫を飼うように実在界では使い姫として使う場合がある。そのため、狐、龍等の動物霊を崇拝する場合である。人類は動物霊を神として信仰の対象にしてはならない。自我我欲で求め自己保存のために、このような信仰に入ると、自分自身の意識が動物の本性に通じてしまう。神の意識と自分の意識が調和されれば動物霊に支配されることは無い。動物霊に憑かれると、いかに先祖供養をしても幸福は得られず、地獄に堕ち、その人間が狐の姿になっていることを知らなければならない。知識即ち頭でのみ悟り、滝に打たれて修行をしても、自我我欲の本性は動物霊を己の意識が呼び込む結果となるのである。

大宇宙生命本体大神霊こそ私たちの正しい神仏であることを忘れ、釈迦・イエス・モーセ・大日如来・阿弥陀如来・いわんや日蓮聖人までが御本尊と考えるのは間違いである。このような如来・菩薩は神と表裏一体であり、光の天使であることを知らなければならない。




第3章 大自然と生命

大宇宙大自然界は大神霊の本体である。本体あるがゆえに意識がある。動物・植物・鉱物を含めて万物が総て生命の塊である。生命のエネルギーは大自然生命本体エネルギーの塊によって調和し、一定の波動で循環を繰り返している。私たちの生命も過去世・現在・未来の三世をそれぞれ神より与えられた使命を持って、動物・植物・鉱物相互扶助の中で循環されている。大自然の恵み無くして生命の保存は不可能である。熱・光・環境・一切が神より与えられている慈悲なのである。それゆえ、万物に対して報恩感謝の精神を忘れてはならない。もし、太陽に対して熱・光のエネルギーの代償を支払うとしたならば、私たちは破産することになる。私たちは余りにも環境に甘えすぎている為、真実の姿を蔑ろにしている。現象界の未解決問題は、諸先輩の築き上げた研究成果を足場に、いつの日にか結果となって解明される時が来る。生命と物質の相互関係の仕組みも極大と極小の世界を極めていくに従って謎は解明され、私たちの使命を自覚する時が来る。

大自然の姿こそ慈悲であり、愛である。私たちは自分自身を反省する必要がある。肉体を与えられた両親の恩、神に対する感謝の心を忘れてはならない。

自慢・自信は自己保存になり、自我我欲の黒い想念と化すことを忘れてはならない。大自然生命本体大神霊から与えられている大慈悲の精神を持って、神・人・物に対し、生活をしていくならば、調和された神意の極楽浄土が完成されていく。不調和な衆生が多いところには、天変地変の原因となり、黒い想念の塊が爆発する。私たちの肉体に腫れ物が出来れば、切開するか、化膿して自然爆発するかである。これは、二酸化炭素のいたずらである。私たちの肉体と同じように地球も大宇宙体の細胞である。人々の黒い想念のエネルギーが大きく作用することを知らなくてはならない。エネルギーには資量があり、質量があれば当然空間が存在する。真の正法は、大自然生命本体大神霊及び本体である万物に報恩感謝を具現し、慈悲と愛の心を持って万物と調和し、自分の真心と頭・心・身体が一体となって悟ることである。真の正法を智・情・意で悟ってはならない。智と意で悟ると、自我に通じ黒い想念と化し、正法も逆法と化すことを悟らなければならない。肉体行をして滝に打たれたりすると、意識の中に肉体的自我が生じ、この自我が意識を支配すると黒い想念となり神の光が遮断され低級な動物霊を呼び込む結果となり、その動物霊に支配され、神の声の如き錯覚を起こし、神のようなしぐさをするため、神の使いの如く思ってしまうのである。

真の正法を逆法に導いた責任者は、黒い想念に包まれ、自らを地獄に導いてしまうのである。神は罰を与えない。罰は自分自身の黒い想念が自分自身に与えるのである。動物霊は必ず信者に対して、先祖供養をするように言う。

動物霊の指示によって先祖供養をすると私たちの生活に不幸を呼ぶ結果となる。現象界の動物霊を拝んでいる衆生は死者が動物になっていることが分からない。法華経の如き正法であっても、指導者が誤れば、逆法になることを悟らねばならない。キリスト教も同様であり、厳しい戒律は自我の温床と化すものである。先祖の霊は供養するもの、自分の過去世は自覚するものである。過去世は潜在意識の世界であり、魂の修行を積んできた己自身の意識である。正法である仏教は2500年の間に、歴代の僧侶達の自我が入り自己保存に変わり、末法となったことを悟らねばならない。実在界の如来・菩薩達も現象界の衆生に救いの手を差し出している。己の悟りの中から心が安らぎ、現象界の極楽浄土が出来るのである。

第4章 私たちの生命と指導生命

私たちは大宇宙大自然の本体の中で生活し、神意によって現象界で肉体を持ち、魂の修行をしている。生命は意識であり、意識の中心に心が存在し意識と心を霊魂という。五体の支配者は自分自身の霊魂であり意識である。霊魂の意思によって頭脳の細胞は活動し、物を考えることが出来る。考える一念はエネルギーであり、無限大の力である。五体生命は一念力の発電所であり、神に通ずる心の製造所である。私たちは肉体労働をしても、頭脳労働をしても疲労を感ずる。疲労することはエネルギーの消耗であり、このエネルギーも質量を持っている。肉体と生命はともにエネルギーの塊である。エネルギーの供給源は、大自然生命本体であり、神であり万物である。私たちは神の神意によって、この現象界に魂の修行のため先天的・後天的因果を持った肉体を与えられたのである。

私たちの魂を磨く過程において、意識の約10%が表面に出て約90%は潜在している。表面意識の10%で魂の修行をするため、幽界・霊界・神界など実在界の過去世の生命や過去世で友達である霊人が指導して下さるのである。この生命を指導生命という。自分自身の潜在意識は指導生命に通じている。眠っている時は五体の休息であり、自分の意識が五体を離れて次元の異なった世界に行くため、五体を支配することが出来ない。指導生命には守護霊・指導霊がある。私たちは肉体と生命にまつわる因果関係生命の集合体であり、自分自身の潜在している意識は時間・空間を超越した次元の異なる世界に通じている。意識はエネルギーの塊であり、質量がある以上、空間の異なる世界が存在することを否定できない。赤外線・紫外線・X線・宇宙線などは目で確認できないが存在していることは確かである。原子・電子も目視することは出来ないが存在している。疑問の解明こそ神理への近道である。正しい目的に対する努力こそ、私たちの肉体的・精神的心の修行である。神は私たちに慈悲として万物を与えている。その万物の応用こそ私たちの使命であり、研究努力の一念力によって神理を悟ることが出来る。悟りは自分以外には出来ないのである。

正法を悟り正しい目的に対して神に祈り、瞑想にふけることが出来れば、必ず指導生命が反応を与えてくださる。私たちの人格形成によって高位な指導生命が指導する仕組みになっている。高橋信次先生の指導霊は、紀元前235年3月生まれのモーセである。守護霊は紀元前2000年にエジプトに生まれた宗教政治家であり、医学者でもあった。その後イスラエルに生まれ多くの衆生を救ったイエス・キリストである。

現象界に肉体を持つときは、肉体的条件である眼・耳・鼻・舌・身・意の抵抗が大きい為、自分の過去を忘れ自己満足の人生を送り、指導霊や守護霊の教えを自分自身で悟ることは大変なのである。大日如来ですら中国で肉体を持ったとき、余り人を救うことが出来ず実在界に帰った時、如来席に案内され面食らったそうである。如来でも余り悟らずに帰る人がいるのである。正法によって己を知る以外にない。

思想は人間の自我で作ったものであり、黒い想念であり、己が苦しむ原因となる。私たちは自我を捨て、自分の意識の波動と大自然生命本体大神霊の波動を合わせることが重要であり、自己を自然の姿に還してこそ神理をつかむことが出来る。肉体は、先祖より続いている両親の先天的因果と、生命の過去世における先天的因果の上に、自分自身の意識が組み合って、私たちの人格が形成されている。潜在意識の世界に存在する過去世の宝庫を開くことこそ、現象界における成功の根本であり、この開発こそ、自分を自覚する重要な鍵である。幼少の頃より、特定の部門に天才的な力を示す小生命体は、先祖代々の肉体的遺伝と、過去世代々の霊的遺伝によるものである。しかし、自己保存と増長慢になると凡人と化してしまう。人生航路においても正法を悟らず、この世を去り、実在界に来た生命は、地獄に堕ちて苦しい修行をしなければ天上界に上ることは出来ない。

現象界が魂の修行場として最も厳しい所である。しかし、誰でも眠っている時は、実在界や地獄・極楽に自分の意識は行っている。魂の修行とはいえ、自分の本性を悟ることが出来ないのが人間である。指導生命を知ることが出来ないのは、自分自身の自我我欲が抵抗となり、正しい指導を受けることが出来ないからである。正法の悟りは自分自身の心に問い、反省の中から得られる。自分自身の使命を悟らない霊魂が多いため、地獄は一杯である。地獄霊は地獄の苦しみを離れようとして、現象界の衆生の黒い想念の中に入り込み、病気や闘争の不調和な現象を起こしている。智と意で悟るものではなく、慈悲と愛による己の心で悟らねばならない。心技体一致の姿こそ、悟りの極意である。自己保存は作用反作用の法則によって己に降りかかってくることを悟らねばならない。仏教も今は狐や蛇などの動物霊に食い荒らされている。人間が動物霊に支配され、動物霊は先祖の供養しか言わない。亡くなった先祖の霊は、亡くなった自分自身の生命が悟る以外に成仏が出来ない。先祖の霊に対して経文の意味も分からず、いかに供養しても成仏はしない。衆生が正法を悟ることによって先祖の霊も静まることを知らなければならない。慈悲から生まれる調和の心こそ、仏法の神理である。正法を悟った指導者は、哀れな人々に対して慈悲心を持って諭さなくてはならない。文証・理証・現証の三体が具現された法こそ正法という。物質文明も大自然の法則に従って築き上げられてきた。大神霊の慈悲に感謝し、90%の潜在意識の過去世の指導霊に自分の反省を問い、報恩の姿を慈悲と愛によって多くの人々に与えなくてはならない。調和な生活の中で、私たちに神の加護が与えられている。発明・発見総てに守護霊・指導霊が助力を与えているからである。

地球は大宇宙の細胞の一つである。天体や遊星の配列や相互の関係は、原子の電子構造や物質元素の周期律の如く精密であり、漸進的である。直接地球を包んでいる世界が、幽界である。幽界の性質は遊星人の意識の発達によっては清浄になる。幽界は平面ではなく、意識の程度の集団で構成されている。低級な生命の生存する領域の上には、暗い地獄の地帯と恐怖と苦悩に満ちた世界であり、地獄に堕ちた生命が住んでいる。幽界の環境は心の動きに、直ぐ反応する意識的世界である。自分自身の死を悟らず、黒い想念の塊となって、自分自身の欲望を満たしている世界で、何億何千の霊魂が生存している。色欲の生命は、男女が常にその中で自分の生命が悟るまで、取り合いや孤独の徹底的な現象で苦しんでいる。幽界は低段階の霊位の集まりであるが、この世界の中に極楽界が存在している。欲しいものは総て手に入り、自分の正しい目的完遂のために努力した一念力によって物質が出来る世界である。経済は物々交換が行われ、金銭売買ではない。幽界人との交流は、白いベールによって閉ざされており、特定の人によって対話が可能なのである。地獄にいる暗い世界の生命も、神の神意を自覚し、自分の魂に刻まれている罪の償いが終わる事により、光の天使が保護して、天国界へ光の波動によって進むことが出来る。幽界の生命も正法を確立することにより、さらに霊界、神界へと永遠の世界へ修行されて、魂は磨かれていくのである。魂の修行によって光の度合いで決まっている。地球上の人類と火星の生物が一番不調和な生活をしている。他の天体には、はるかに進歩した生物が存在している。人類は精神文明の回転ピッチを早めなければならない。天地一切、総ての権利を如来・菩薩が持っていることを悟らねばならない。高橋信次先生は実在界の如来の指導によって自分の本性を悟ることが出来た。自分の暗い想念を反省の中より常に自分の心に問うて行動をし、そして心の安らぎを得ることが出来たのである。

私たちは自己反省が必要であり、常に反省の瞑想にふけり、真の道を悟らなくてはならない。実在界の如来や菩薩の教えを日常生活に生かすことが出来たなら、悟りを開いたことになる。肉体を持った生命は五官の隙間に悪霊が入り、増長慢となり、己の本性を忘れてしまう為、非常に難しいのである。いかに大指導霊が指導しても、現象界における行動は、自分自身が決定する為、指導霊が決定できない仕組みになっている。自分自身が正しい目的に対し、一念力を集中して念ずれば、必ず一念の波動は実在界に通じ、生命本体に調和される。食べ物で苦しみ、お金で苦しんでいる姿は、己の心が餓鬼界に通じ、闘争の生活は修羅界に通じている。逆法を正法と信ずる衆生こそ目を覚まさなくてはならない。神仏は己の意識の中に厳然として存在している。法華経を看板にし、先祖供養を旗頭に立てて、信仰を強制している宗教も正法ではない。このような信者の多くは畜生界(動物界)に堕ちて心の安らぎがない。自分自身が生まれた目的も悟らず、「親が勝手に私を生んだのだ」と親不孝をし、神仏を信ずる事なく、自我我欲、己の本能のままに、日常を送る人々の心は地獄界そのものである。このような人々には、必ず地獄の迷える魂が、現象界に来て、黒い想念に救いを求めて生活している場合が多いのである。現象界における仏法の法力が、効力を減少している為、迷える魂が多くなったのである。それは、道徳の退廃からくる秩序の乱れに原因がある。

自分自身の中に謙虚な正しい調和した心を持ち、自らの力で物を考える者こそ、生命は躍動し、自分自身の中にある本来の神仏の知恵を自覚することが出来る。人間は何事にも熱心になれば疑問を生じ、一念力による正しい想念のエネルギーは、波動となって宇宙生命に調和され、霊感作用が起きるのである。究極における疑問の解決は神理であり、私たちが実践することにより真実となる。逆法になるのは、正法に自分の思想を入れて不自然な法を説くからである。信仰は自分自身の黒い想念を捨て去り、己の行動を心に問いて、反省の繰り返しの中に、魂は磨かれ、自分を含めて多くの衆生のことを考えてこそ神の光が受けられるのである。一秒一秒の生活の中に信仰があり、神の子として、恥じない生活こそ正法である。自分の生活の総ての中に信仰がある。いかに正法であろうとも、その教えを説く指導者が、指導方法を誤れば逆法となり、幹部の自我我欲による自己保存が作用して、自分の地位を固執し、団結という美名のもとに信者に信仰を強制している。慈悲と愛の調和を失った指導者は仏法を説く資格は無い。多くの衆生を迷わす結果となるからである。無知と狂信の組織は「ファッショ」と化し、恐ろしい暗黒の生活に堕ち込んでいる。正法を悟り、常に良い原因を作り、良い結果が循環されるように努力してこそ幸福が得られるのである。

第5章 生命不変の原理

肉体と意識は別々であり、意識の中心に心がある。これを、霊魂と言い、生命のエネルギーであり、質量がある。そして、指導生命が私たちの意識を指導しているが、自分の行動は自分の意思によって決定している。肉体と意識が一体となって私たちの存在と人格が形成されている。この姿を色心不二という。私たちの生命は質量不変の法則やエネルギー不変の法則と同じように、過去から現在・現在より来世と三世の世界を循環して、自分自身の魂の流転を続け不滅である。生と死は現象界の肉体と実在界の光子体の衣替えである。意識も変わらないし、死は現象界から実在界への次元移動であり、あの世とこの世は背中合わせのようなところである。あの世は現象界の地位や名誉のいかんに関わらず、実在界においては通用しないことを悟らなければならない。実在界の生命は表面意識が90%となり、潜在意識が10%である為、正法を殆ど悟っている。私たちは神意によって、魂の修行をするため、現象界へ肉体を持って生まれて来たのである。私たちの生命も実在界や幽界・霊界で修行をして来た生命であり、今度こそ立派に人間としての勤めを果たして来ようと約束してr生まれて来た人々ばかりである。しかし、肉体に入って、自分の意識で支配始めると、そのような約束は忘れてしまい不調和な生活をして、自分を苦しめる結果となるのである。それでも、眠っている時は、自分の意識が次元の異なる世界に行っており、肉体と生命の二重生活をしているのである。

人生航路の苦楽も盛衰も神より与えられている修行の手段であることを自覚しなければならない。そのため、正法を悟り、現世に極楽浄土を建設して、多くの衆生を幸福に導かねばならない。植物・動物のように生きた生命を私たちのエネルギー源として必要であり、野菜は野菜として私たちに供養する使命がある。人間のエネルギー源となることについて、私たちは感謝の心を持ってこそ、動植物の霊は喜んで自分を供養するのである。動植物の冥福を祈り心から感謝しなければならない。将来において、人造食物が出来るまで、神は許しておられる。

私たちは、大自然のエネルギーを吸収した両親の調和によって、母体内の卵子と精子が成長ホルモンの作用によって、受胎される。その調和の一念力のエネルギーが光となって次元の異なった世界に通じ生命が与えられる。この魂は極楽界以上の生命であり、地獄界の生命は入ることが出来ない仕組みになっている。肉体的欠陥は両親及び先祖の先天的因果によるものである。生命も類は類を呼び、それぞれの環境に応じて、肉体に宿る使命がある。肉体的欠陥は、先祖か両親の黒い想念によって生ずる現象である。意識の内10%は自分自身の後天的因果と先祖・両親の因果を受ける。90%は過去世の魂の因果である。意識は自分の肉体の支配者であり、正しい一念力のエネルギーによって、体質も変わるし、あらゆる精神作用、環境等の作用が、精神と肉体に影響するのである。受胎された細胞は、母体のエネルギーを吸収して、細胞分裂を起こし、肉体細胞は五体を完成していく。この間の生命は、次元の異なる世界と常に交渉している。九ヶ月を経て、胎児はこの現象界に生まれてくる。各細胞の生命は各諸器官と連絡されており、各諸器官は五体を維持する為に使命を持っている。動物・植物・鉱物のエネルギーを吸収して、五体は調和された環境を作り成長を続けていく。生後二~三日で初笑いをする。この時は、魂の次元が異なった世界から友達によって祝福されている時である。成長するに従って意識は肉体の支配を高めて行くが意思は、殆ど持っていない。目が見えるようになるに従って、次元の異なる世界と分離されて、完全に自分の10%の意識が支配していく。この時には、90%の潜在意識が大自然の生命と実在界に通じている。魂の流転は核である本体を中心に、分身が五人の意識によって組み合っており、現象界においての名前が異なるのみで、本性は変わらないのである。如来・菩薩の本体が現象界に出た時は、必ず上段階の光の天使(如来)や菩薩は悟りを開き、自分の目的を果たして実在界に帰る。本体は生命の核であり、五人の分身と調和されている。私たちは五分身と本体によって永遠の旅を続けている。五身が90%の潜在意識であり、10%は現象界での自分自身が作り上げている表面意識である。

肉体が成長するに従って、自分の意思を持つようになり、自我我欲が芽生えてくる。勿論、自分の過去世などは忘れてしまい、人生航路における魂の修行が始まっていく。守護霊も指導霊も暖かく見守っている。眼・耳・鼻・舌・身・意の五官が強くなるに従って自我が入り、自分を悟れなくしていくのである。守護霊は過去世の人々がついている場合が多い。

肉体だけは先祖の先天的因果を受けるが、過去世の人と性格が似る場合がある。過去世の中でも修行をした人が守護霊を勤めている。霊的感応が強い人々は、神界クラスの霊人が守護霊をしている。先天的因果の悪い人でも、自分の正しい努力の一念力で、必ず神の光の保護を受けられる。太陽の熱光のエネルギーは万物に平等に与えている。神は差別しない。

己の心が正法を悟れば、幸福になれる。現象界では太陽を中心として、地球と月の相互関係から年・月・日・時間を定めている。私たちの生命も現象界より実在界へ、循環を限りなく続けていくのであり、肉体も大自然の万物に循環されて行く。宗教団体が教祖の意思によって、政治を取ることは絶対に避けなければならない。宗教の名の下に、独裁を強行することが多いからである。いろいろな修行をした生命も、やがては自分自身の肉体を去らなければならない。

人生航路の成果を自分自身で調べ、ある者は地獄へ、ある者は天国へと自分で定めなければならない。現世に思いを残す執念のエネルギーは幽界の人ほど強い。そのため墓に執念のエネルギーがこもるのである。地獄界の霊魂は自分のことしか考えていないので、なかなか悟れないのである。光の天使によって指導され、悟った順から、天上界に導かれていく。極楽界より上段階(5次元以上の世界)になると精密な時間と空間の中で、生命意識は強くなり、正しい想念の考えるエネルギーは、光のエネルギーに変わり、肉体も光子体から出来ている。勿論、質量を持っている。人間生活の記録は総て、自分の意識の中に、寸分の狂いも無く記されている。

正しい想念による、行動力は精神・肉体・経済の柱を完全に造り、さらに反省の瞑想は光となって実在界の天使に通じ神に伝達されるのである。悟ることは、あらゆる事象に対して、自分の心に問い、自分自身が正法に基づいて生活していくことである。死は新しい門出であり、肉体は自然界に還しても、光子という安定した肉体を持って、再び実在界で生活を続けるのである。過ぎ去った原因は現在の結果となって現われ、現在の原因は未来の現象となることを悟らねばならない。日々の修行こそ、私たちに与えられている使命であり、その目的を果たしてこそ、心に安らぎが生まれる。魂と肉体の先天的・後天的因果である悪い内部抵抗は、自我の消滅によって大自然と調和され生命力は強くなり、自然のリズムに乗った能率的な生命体活動をするようになる。死は生命本体から、エネルギー供給の停止であり、肉体は大自然に還り、魂は生命本体エネルギーの来世に循環されて行くのである。

第6章 大宇宙と小宇宙

太陽系は、太陽を中心に9個の惑星が一定のリズムによって、自転公転を続けており、太陽系は全体としてヘラクレス座に向かって進んでいる。太陽系も大宇宙から見ると、小さな一恒星にしか過ぎない。恒星も一定のリズムで循環している。大宇宙は銀河系のような小宇宙がたくさん集まり、大宇宙を構成して、その循環は、大自然生命本体大神霊が支配している。太陽も九惑星を引き連れて運動を続け、各惑星も大きなエネルギーを持って、大自然の法則に従っている。大宇宙から極微の原子・電子及び生物の細胞に至るまで、総てエネルギーの塊である上に、秩序を保って、即応した環境の中で安定している。大宇宙は物質と生命から成り、渾然一体となって適合した環境を構成している。生物の生命は動物・植物・鉱物のエネルギーを吸収して、細胞生命を保ち、自己保存と子孫繁栄・保存の本能を持っている。地球は71%が水圏であり、29%が陸地からなっている。人体も71%が水分で、29%が蛋白質やカルシウムその他の成分よりなっている。血液循環も大自然の河川と同じように一定の速度で流れ、肉体細胞の核分裂を助けている。地球の衛星である月の公転は約28日で地球の干満潮に深い関係があり、女性の生理現象にも関係がある。物質界における極微の原子・電子の運動も、太陽系の惑星運動の極大も、その運動形態は一定法則に従って循環を続けている。生命体の細胞もこの法則を無視して生存は不可能である。私たちの小宇宙の四季は、受胎の月が春で、夏秋の九ヶ月を経て生まれ、冬を迎えるのである。人生航路の第一歩は冬の季節で、私たちが持つ大自然生命本体に従って定められた個人のリズムなのである。


第7章 生命と感応

私たちの脳は、生命即ち意識の正しい目的完遂の想念のエネルギーを集中すると、脳内に電気的反応が起こり、万物の目的に応じた感応現象が現われる。これを霊感と言い、殆ど守護霊・指導霊が感応作用を与える。その場合、意識の作用によって、脳内の神経繊維の外側に+、内側に-の電気が帯電し、あらゆる事象に電気的変化を起こし、常に受信・発信の機能を持ち、電気的変化が生ずる。私たちの生命を指導する霊は、大脳内の一室に入ることが出来る場所があると教えられている。脳波の波長も、自分の意識の発信する想念の力によって大きく変わることを示している。感応力の強い人は現世の時間・空間を超越して、未然に起こり得る現象を感知する能力を持っている。つまり、遠隔地の変化を見透したり、その結果を実証することが出来る能力を持っている。

感応作用「テレパシー」は、私たちの本能であり、古代人は自然の災害や外敵から身を守る為、強い感応力を持っていた。ネズミや猫は、火災の起きる前に、何処か他の安全な場所に移動する。動物の保護色も外敵から身を守る為の本能として大自然から授かったものである。釈迦やキリストの時代は、霊的感応の強い人が多数生存していた。彼らは自己の煩悩を捨て自然の姿に還り、大自然の神理に通じ、自分の意識と神の意識が調和され、自らを悟り、実在界に通ずることが出来た。当時の人々は精神修養をする環境に恵まれていた。現代人は経済的物質文明によって、心にゆとりが無くなり、物質至上主義に陥っていくから、心の安らぎが得られない。私たちは、精神文明と物質文明を再認識して、人間が神より与えられた使命を考え直し、真の道に入らなくてはならない。私たちの感応作用は、現世の時間・空間に影響されず、実在界まで通信されるのである。私たちの感応力は霊界との交信によって得られるものである。私たち人間にもそれぞれの人格、教養、専門の研究者によってレベルが違うように、感応力は人間と霊界通信者のレベルの高い霊人の交信は、その精度が高い。誰でも正しい目的に向かって、一念力のエネルギーは、必ず他界に通じ、感応現象即ち霊感が与えられるのである。正しい想念の波動は心を浄化し、清らかな波動は心に安らぎが与えられ、心の調和を生み出すことが出来るのである。


第8章 実在界と現象界

大宇宙は現象界・幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界・宇宙界に区分されている。霊界と神界の裏側に仙人界・天狗界がある。この世界は智と意で悟り、慈悲と愛が少なく正法を悟っていない。如来界・菩薩界の指導者は、現象や正法を説き、現象界の人々に心の安らぎを与える。狐や龍のような動物霊は如来・菩薩の姿を自分で変化して見せ、人々に恐怖を与えるようになる。さらにお金を信者に強制する。莫大な金をかけて、神仏を祀っても、私たちの魂を磨くことは出来ない。衆生の魂を救うことが先決である。釈迦やキリストも神殿や仏閣を造っていないと言うことである。釈迦の涅槃後、舎利仏・目連、富留那の三大弟子はすでに現象界を去り、文殊・迦葉・優波離・阿難・マイトレーヤー・カリナ・ラゴラその他の仏弟子達が口伝された正法を纏めて、仏教典を作った。その後、不空三蔵等が中国へ仏教を広めた。カリナは69歳で現象界を去り、実在界では観世音菩薩となり、イエスの分身であるクラリオから贈られた聖をつけて聖観世音と呼ばれたのである。マイトレーヤーは78歳で現象界を去り、実在界では弥勒菩薩の称号を与えられた。

現象界の自己や災難は総てが自分自身の黒い想念による不調和が原因である。自分自身の黒い想念が、神の光を遮断するため、意識の質量が重くなることを悟らなければならない。間違った集団の細胞になると、己の意識まで腐ってしまう。報恩感謝、慈悲と愛によって人々を救うことが大善である。正法にかなった心の置き方が、調和の取れた人間であることを神は教えている。光の量は自分の悟りのバロメーターであり、作詞・作曲家には、神界の人々が調和の取れた波動を教えている。不調和な作詞・作曲は必ず現象界を去ってから、自分自身で反省しなければならない。漫画家の創作の一念力に、実在界の指令が与えられる。テレパシー漫画などでも、現象界に起こり得る事実を予告し、人々の心を調和する為に実在界より指令されている。信じようが、信じまいが、魂は転生輪廻の法則に従っていることを悟らなければならない。