八正道の心

(1)はじめに

高橋信次先生が他界されてから30年以上が経過した。

しかし、高橋信次先生の教えを忠実に守っている宗教団体は少ない。

確かに後継者争いがあり、それにより分裂してしまったからである。

私自身も事実誤認して現在に至った。

その原因は、正しく見ると言う八正道の心を見失ったからである。

八正道の心が6次元の壁だったのである。

つまり、八正道が理解できない人は6次元の壁を破れないと言うことである。

八正道の実践によりアラハンの境地に到達できる。

菩薩行はアラハンの境地を経験しなければ、効果が上がらない。

自己確立せずして菩薩行をすれば、流されてしまい自分を見失ってしまうからである。

(2)八正道は6次元の意識である

6次元の意識とは「波動の法則」と「人生の目的と使命」と「心の領域」のことを理解していることである。

1、波動の法則

①人間の生命体の構造を知ること

人間の体は、三体構造になっている。

原子体(肉体)、光子体(意識の殻)、霊子体(意識の中心である心)の三体から構成されている。 

立体的には人間の五体は、原子と光子(フォトン)が重なり合って出来ている。

しかし、霊子は次元の異なる世界で霊子線という糸を通して人間の五体に生命を与えている。

人間は神と霊子線でつながっているため「神の子」と言われる。

3次元の肉体は、原子体で構成されている。

4次元以降の体つまり、幽体(4次元)、霊体(5次元)、光子体(6次元)、光神体(7次元)は光子(フォトン)で構成されている。

神体(8次元)、エネルギー体(9次元)は霊子で構成されている。

神智学ではエーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体、ブッティ体、アートマー体、モナド体、アーディ体と呼ばれている。

エーテル体は半物質とも言われ肉体と残りの体をくっつける役割をしている。

アストラル体は幽体と呼ばれる。 

メンタル体は霊体と呼ばれる。

コーザル体は光子体と呼ばれる。 

ブッティ体は光神体と呼ばれる。 

アートマー体、モナド体は神体と呼ばれる。

アーディ体はエネルギー体と呼ばれる。

②霊子こそ神仏であり、エネルギーそのものである

原子(肉体)を動かしているものは光子(フォトン)であり、光子(フォトン)を構成しているのが霊子である。

今日の科学では光子(フォトン)は発見できても霊子を発見することは出来ない。

霊子の発見は22世紀になると高橋信次先生は預言している。

③宇宙は光子(フォトン)から出来ている

人間の意識が肉体を離れると光子体という体になり、その光子体は肉体が死ぬと大気や大地に還元されてゆくと同様に宇宙に充満した光子群(フォトンベルト)の中に同化してゆくのである。

④光子量に比例した世界がある

自我我欲の意識や自己保存の意識は、善なる意識を曇らせ業想念となる。

潜在意識と表面意識との間に想念帯という膜があり、想念帯にススがたまることになる。

その想念帯にススがたまったままあの世に帰ると光子量に比例した世界で生活することになる。

意識の層は幽界(4次元)、霊界(5次元)、神界(6次元)、菩薩界(7次元)、如来界(8次元)、宇宙界(9次元)となっている。

人間の意識は光子(フォトン)と言うガス体が軽ければ上に上がり、重ければ下に沈む。

光の天使が諸霊を導くことが出来るのは、地上よりも高い世界にあって地球全体を一望の下にのぞむことが出来るからである。

⑤波動(光子・霊子)には法則がある

(1)円運動の法則(円満の法則)

森羅万象は円運動によって支配されている。

原子を構成するのは固有の回転を続ける原子核とその周囲を回る電子である。

量子力学では、原子核を構成する陽子や中性子・電子さらにクオークやレプトンなどの粒子としての性質を持つと同時に波動としての性質を持つと考えられている。

波動の性質は往復運動であり、その描く軌道は円運動の部分である。

波動と言う視点に立てば、光や電磁波などのエネルギーもすべて円運動である。

(2)循環の法則(転生輪廻の法則)

万生万物は生まれて成長し、消滅するというサイクルを持つ。

転生輪廻も人間の魂があの世とこの世を循環して魂を磨くことが目的である。

波動理論の三体理論も9年周期のサイクルを持ち循環している。

人間の転生輪廻の目的は、この世をユートピアにすることと自分のカルマを修正することである。

(3)共鳴の法則(類は類を呼ぶ法則)

同じような波動のものは共鳴し、引き寄せあうと言うことである。

例えば、酒好きな人の所には酒飲みが集まり、静かな人の所には穏やかな人が集まってくる。

地獄霊が憑依するのも共鳴の法則である。

重要な発明・発見が別な場所で別の人間によって同時期に成し遂げられたりするのは、波動をキャッチしたからである。

(4)作用反作用の法則(原因と結果の法則)

結果があることは必ず、原因があることを意味している。 

また、発信したものと同じものが返ってくると言うことである。

原因を起こしてもストレートに結びつかないのは3次元世界の波動が粗い為である。

正しく念じ、正しく思って持続することが原因と結果の法則を支配できるコツである。 

現在の自分を反省して、まだ欠点があると言うのなら、それはこれからの将来において学ばなければならないものがあると言うことを示している。

過去の想念の総決算が現在の自分であり、現在のあり方が未来の運命を決定することになる。

原因と結果の法則を超える道が八正道の生活である。

(5)慣性の法則(カルマの法則)

心が一定の傾向性(癖)を持つと無意識にそのことを行ってしまう。

人によって性格が違うのは、その人がそれまで考えてきた心の癖によって造られてきたからである。心の癖を仏教ではカルマと言い、キリスト教では原罪という。

地上での修行の目的は、自分のカルマを修正することである。

カルマは執着から生まれる。 

自己中心の考え方、自我我欲の思いが執着を生みカルマを造っている。

カルマは先天的なもの、肉体遺伝のもの、環境によるもの(教育・思想・生活環境)により造られた。

カルマの三割は過去世からのものであり、七割は今世で造られたものである。

(6)フラクタルの法則

部分の中に全体像が存在すると言う幾何学理論で、全体から部分を取り出すと、その形が全体とそっくりである(近似値である)。

三体理論はフラクタルの法則により開発されたものである。

出口王仁三郎師は菩薩界の人で日本の宗教の誤りを覚醒させるために生まれてきたと高橋信次先生は語っておられた。

出口王仁三郎師は「日本は世界の縮図である」として示した。(北海道は北アメリカ大陸、本州はユーラシア大陸、九州はアフリカ大陸、四国はオーストラリア大陸)

(7)エントロピーとシントロピーの法則(他力信仰と自力信仰の法則)

物質とエネルギーは常に一つの方向へのみ変化する。

使えるものから使えないエネルギーに変わっていく度合いをエントロピーと言う。

宇宙に存在するものはエントロピー増大の方向性を持って変化変動している。

秩序を緩やかに崩していく。 

他力信仰はエネルギーをマイナスにする。

逆にシントロピーとは生命活動でエントロピーを克服し、エントロピーを減少させている。

シントロピーを心がけることでリフレッシュし、体質を変えて新しい環境に対応できるようになる。

自力信仰はエネルギーをプラスにする。

エネルギーをプラスにすれば健康幸福となり、マイナスにすれば病気不幸がやってくる。

自力信仰のみが正しい信仰である。

(8)自滅の法則(ケリッポトの穴)

賞賛を受け、増長慢になると自滅の落とし穴に堕ちる。

自滅は賞賛の二乗に比例する。

カバラの「生命の樹」のケリッポトの穴に堕ちるのは増長慢となり自己保存、自我我欲が増大したからである。

ルシフェルであるサタンもケリッポトの穴に堕ちて堕天使となった。

宗教や占いを金儲けの手段としている宗教家や占い師は自滅の道を進んでいる。

2、人生の目的と使命

①人間は神の子である

人間は神の子であり、この地球上にユートピアを実現するために生まれてきた。

そして、転生輪廻の過程で造り出された心と行動の癖(カルマ)を修正するために生まれてきたという自覚が必要である。

人間は転生輪廻の循環の法則を正しく生かすことによってのみ心の解放がある。

②神の摂理を知る

「まかぬ種ははえぬ。まいた種は刈り取る」ことが神の摂理であり、人間が神から与えられた自由意思を有効に活用し、自己責任で行動しなければならない。

③人間は自分で生まれる環境を選んで生まれてきた

人間が、この世に生を受ける時は、両親を指名し自ら選んで生まれてきている。

あの世とこの世における計画が綿密に行われ、あの世に存在する魂がこの世に生まれるように仕組まれている。

各人の魂が最も修行しやすい環境と両親を選んで出ている。

しかし、現象界に出ている人達の意識が低下し、それに類似した魂が引き寄せられるため、この現象界は混乱してきている。

高橋信次先生は自分が生まれる300年前に、自分の父親になる人と母親になる人を選んだ。

しかし、仏陀の父であるシュットダナー大王は了解したが、仏陀の母であったマヤは断ったのである。

そのため、仏陀はイエスを生み、日蓮を生んだ聖母マリアに母親になっていただいたのである。

また、自分の妻になるべき人は、ヤショダラ姫に断られた為、仏陀の弟子であったマイトレーヤー(弥勒菩薩)になっていただいたと言う。(これは後日わかったことであるが、ヤショダラ姫の過去世の生命は中丸薫女史であった。中丸薫女史は現在、高橋信次先生の弟子として闇の権力と戦っている。)

仏陀でも断られるのであり、あの世もこの世も基本的には変わらないものだと実感したのである。

④地獄を救済するには慈悲と愛の行為が必要である

あの世の地獄は現象界の善の姿を学ぶことによって浄化されていく。

それゆえ、現象界に出ている人達の善意識(慈悲と愛の想念行為)を日常生活に生かしていくことが急務なのである。

人間の苦しみは自分の心の中に潜む悪魔の声に振り回されることにあり、その声に振り回されないようにすれば、人間神の子と言える。

⑤与えられた環境に感謝する

「人間はエネルギー源として植物・動物の生きた生命を食べているため、感謝の心を持って食べなければならない。」

「神は将来において人造食物が出来るまで許しておられる。」と高橋信次先生は語っている。

感謝の心は感謝になって帰ってくるのが循環の法則である。

大自然に調和し、肉体先祖、両親に対しては報恩の行為をして、万生万物には感謝する生活が神の子の生活と言える。

⑥反省は神が与えた最大の慈悲である

八正道の目的は生老病死の迷いを消滅させ、正法の精神である慈悲と愛の行為が自然と行えるようになることであり、中道の行き方を示している。

2億年前の人類は地上をユートピアにすることだけが目的だった。

しかし、現在の人類は、その前に想念帯に記憶された諸々のカルマや原罪を修正していくことが急務となった。

六根を清浄することにより、想念体の膜が開き、表面意識と潜在意識が同通すると本来の人間神の子に戻っていく。

六根の調和は反省の生活であり、反省は神の与えた慈悲であり、人間生活向上の最大の贈り物なのである。

⑦自己確立から菩薩行の実践が本当の使命である

努力のうち効率性を求める努力が漏尽通力である。

菩薩行は最終目標であるが、その前に自己確立しなければ菩薩行の成果が上がらない。

自己確立していなければ、菩薩行に流されてしまい、自分を見失ってしまう可能性が高いからである。

それゆえ、漏尽通力を活用して自分を見つめる努力が必要である。

自分の使命を理解せず菩薩行に走ると、自分を見失ってしまう。

相手を生かし、相手を許す行為があれば、使命は達成できる。

仏陀は宇宙即我を体験し「人間神の子」を証明した。

私達は神の子としての自覚を持って、ユートピア実現のために生まれてきたのである。

それゆえ、神の意思を体現した神の子としての自分の心を見つめ、何をなすべきか明確にすることが大切である。

3、心の領域

①霊子体の中に心があり、心には形がある

脳神経回路に神が存在すると言っている人がいるが、残念ながら間違いである。

脳は肉体にあり、心は肉体に無い。

霊子体に心がある。

神は心の中に存在する。

肉体には存在しないと言うことである。

心は本来丸く、大きく風船のように立体的なものである。

心の中心に「想念」があり、左に「本能」、右に「感情」、上に「智性」、下に「理性」があり、それが「意志」に伝達されるのである。

表面意識と潜在意識は想念帯という壁に遮られている。

想念が記憶されるのは想念帯である。

表面意識と想念帯が浄化されると想念体の壁が崩れ、心の内部の潜在意識が表面意識に流れ出してきて、これまで学んだことの無い過去世の言葉や智慧が生じてくる。

これが霊道を開くと言う現象である。

しかし、心の悟りが無い状態で霊道を開くと、動物霊や地獄霊に憑依される可能性が高いので、八正道による反省が必要なのである。

②心を立体的に見ると、心の根元部は想念をはじめ、本能、感情、智性、理性の各機能が一つに集約されてしまう。

宇宙即我の大我は心の根元部に表面意識がつながり、発現された姿である。

③心の各機能の説明

(1)想念とは円である心の中心部に位置し、エネルギー活動の場のことである。

あの世で補給したエネルギーが貯えられ、その貯えたエネルギーを放出しながら想念活動をしていく。

人間の想念も神から与えられたエネルギーを動力とし、肉体を動かし意識活動が出来るように仕組まれている。

(2)本能とは生物がこの地上で生きていく上において、神が与えた最低の必須条件である。

飲食本能と性本能を基本に、この地上を調和させていくための原動力である。

表面意識は欲望につながっている。

本能的欲望は本能を軸に感情と智性が働くので起こる。

潜在意識の本能は地上のユートピアを造る基礎である。

本能には喜びがあり、この喜びを報恩につなげることが本来の姿である。

(3)感情は行動の源泉であり、表面意識は喜怒哀楽を現している。

潜在意識は感動・感謝の豊かな情操と調和である。

(4)智性とは考える能力であり、表面意識は知識である。

表面意識は五官という感覚を基礎にしているので混乱の原因となる。

潜在意識は智慧であり、理性の働きが強く作用する時に現れる。

(5)理性は物の道理を判断する能力であり、表面意識は経験的だけに視野が狭い。

潜在意識は転生の経験が現れるので正しい判断が出来る。

(6)意志は具体的行動を意味する。

表面意識の場合→本能が意志に伝わると愛欲・エゴ・闘争に流れる。

            感情が意志に伝わると争い・怒り・衝動的になる。

            智性が意志に伝わると情操が失われ手段を選ばなくなる。

            理性が意志に伝わると独善に流れる。

潜在意識の場合→ユートピアの実現に対する自覚があり、心の各機能が関連し、

           理性を通して意志に伝わると本来の使命に目覚める。

(3)八正道とは何か

1、八正道の意義

仏陀が中道への道は八正道以外ないと悟った。

八正道の目的は慈悲と愛の心で自己本位の不調和な見方、生活の誤りを正すことにある。

人間が、この世に誕生する目的は己の心を丸く豊かに育て、この地上界に菩薩界を顕現させることにある。

ところが、人間は肉体五官に翻弄され、自我我欲、自己保存の執着に没入し、苦しみを造り出してしまう。

本来の神の子の自分に帰るためには八正道しかない。

善なる人間としての自覚の生活こそユートピア実現の基礎といえる。

2、八正道の目的

八正道の目的は正法の精神である慈悲と愛の心、愛の行為、中道の心を養うことにある。

八正道に基づく反省的瞑想により、生老病死の迷いや煩悩が取り除かれ、神の子としての生活が出来るようになる。

八正道を実践できることが6次元以上の意識である。

逆に言えば、八正道が実践できなければ5次元以下の意識しかないという証明でもある。

3、八正道の内容

八正道は正見(しょうけん)、正思(しょうし)、正語(しょうご)、正業(しょうぎょう)、正命(しょうみょう)、正進(しょうじん)、正念(しょうねん)、正定(しょうじょう)の8つの正しい道の事である。

①正見(しょうけん)とは正しく見ることである。

自己中心の立場を捨て善意なる第三者の立場で物事を見ることである。

公平に見ることである。

心にわだかまりがあり、自我我欲・自己保存の心から邪見は生まれる。

したがって、物事を正しく見るためには既成概念を白紙に戻し、全く新しい立場から物事を見るように努めることである。

(正見の目的) 物事の正確な判断であり、それに基づく正しい見解を持つことである。

(1)感謝の心を持つ。

(2)事象の一切の原因は人の心にあって、現れたことは結果であることを理解す

  る。つまり、原因と結果の関係を知ることである。

(3)既成概念を白紙の戻し、物事の真実を知るようにする。

(4)第三者の立場に立ち、自我の思いを捨て正しく見る努力をする。

(5)人間神の子としての目で全てを見ていく。

②正思(しょうし)とは正しく思うことである。

思うことは考えることでもある。 

思い考えることは創造行為でもあり、自己の運命を良くしたいと思うならば正しく思うことをしなければならない。

不調和な思いは苦しみを多くするだけである。思うことは行為そのものであることを知らなければならない。

(正思の目的)

第三者の立場に立って考え思うことである。

他を生かす愛の思いが正思の根底である。

(1)自分の非が認められない場合は、相手のために祈ってやる広い心が必要である。 

(2)我慢は苦しみを腹の中に詰め込むことであるが、忍耐とは耐え忍ぶことであり、腹の中に詰め込まない。

それゆえ、話しても相手がわからない場合は、忍耐の心で相手の心の安らぎと調和を祈ることが必要である。

(3)今日一日の考えや思いを反省し、過失があれば訂正していくことである。

正しく見えないのは自分の心にわだかまりがあるからである。

正見・正思の目的は慈悲と愛を根底にした中道の思いにある。

正しい思いは、ゆったりとした余裕があり、片寄らない心から生まれる。


③正語(しょうご)とは正しく語ることである。

言葉は言霊と言って相手に伝わる。

言霊は光と音の波動である。

それゆえ、心からの言葉は光の波動となって相手に伝わって行く。 

過ぎたお世辞や横暴な語り方は、光の波動に黒い塊を付着させているため、相手の心を傷つける。

売り言葉に買い言葉で町中や電車の中で口論している人は、互いに黒い塊を発散させ、それを食べあっている。

心に黒い塊を造り出し拡大させているため、病気や怪我をする。

相手が怒っても反発してはいけない。

反発は自己保存であり、反発する前に自分を第三者の立場で見て考えてから、結論を出せば良い。

怒った人は怒った人の心に帰っていく。

第三者の立場で反省し、いわれなきものであれば「哀れな人だ」と相手を思いやれば良い。

言葉が足りない、言葉が過ぎると言うのは感情が入るからである。 

それは、心の底に慈悲と愛が無いからである。

慈悲と愛を根底として言葉を発するようにしていれば、不足の言葉があっても相手が補ってくれる。 

心に愛があれば、言葉以前の言葉が相手に伝わり、こちらの意思が正しく伝わっていく。

(正語の目的)

愛の言葉を語る。心に愛があれば、相手に正しく伝わる。

④正業(しょうぎょう)とは正しく仕事をすることである。

今日の社会生活は、それぞれが業務を分け合い、互いに生活を補い合い助け合っている。

私達が仕事をし、働くと言うことは自分の生活を維持し人々の生活を支えることである。

仕事をし、働くことは、他を生かすことだから愛の行為なのである。

正業のあり方は地上界の調和に役立てることであり、愛であり、奉仕の心である。

(正業の目的)

(1)心を開き、魂を豊かにすること。

(2)地上の目的は魂を磨くこととユートピアを実現することである。前世の職業が今世につながっている人もいるが、全く違った職業を持って今世を送る人も多い。人生の目的を自覚し、中道の心を知れば、足ることをしった生活が出来る。大事なことは獲得した利益をどのように配分するかである。自分だけに使うか、家族や従業員に分け与えるか、不幸な人々に愛の手を差し出すかどうかである。足ることを知った生活環境は相互扶助、愛に満ちた世界である。

(3)職業を通じて人々との調和を図ることである。

(4)菩薩行(人のために奉仕すること)が出来ることである。仕事を金儲けの手段と考えてはいけない。

⑤正命(しょうみょう)とは正しく生活することである。

正しい生活を送るには自分のカルマを修正することである。

正しい神理に適う各人の心の悟りが社会集団を構成し、その中から調和の取れた相互関係が生まれてくる。

全ての不幸の原因は己自身であり、生活の不調和がもたらしたものである。

短所は自分の心を騒がし、人の心をも傷つけるものであり、長所は自他ともに調和をもたらす性格といえる。

長所を伸ばし、短所を修正することが正命の目的である。

正しい生活は自分自身の調和から始めなければならない。

欠点を修正するには第三者の立場から自分の心を思うことと考えることの視点から反省することである。

正しい生活とは、八正道の目的である中道の物差しとして自分のカルマを修正し、中道に適った生活をすることである。

(正命の目的)

調和ある精神的、肉体的生活が目的である。

自分の長所と短所を見極め、カルマを修正する努力が必要である。 

短所は自分を孤立させ、自分の運命を不幸にしていく。

正しい生活は自分の短所を長所に変えていくことから始まる。

自己中心からはなれ、物事に片寄らない正しい生活をすることである。

⑥正進(しょうじん)とは正しく道に精進することである。

私達は両親の愛、兄弟姉妹の協力、隣人・友人の助け合いの中で生活している。

正しく道に精進するとは、私達が複数という社会の中で他を生かし助けあっていくことによって初めてその意義が生まれ、本来の目的に適ってくる。

(正進の目的)

(1)対人関係と地上の環境を整備し、調和させることである。

この世に生まれた魂の修行の機会を与えてくれた両親を安心させるような人物に成長することである。

夫婦にしても前世で夫婦であることが多い。

そのため、互いに助け合う愛の環境を造ることが大事である。

動物、植物、鉱物資源を整備し活用していくことも必要である。

(2)人間関係を調和させるには他を生かし助け合う愛の心が必要である。

人間関系とは夫婦、親子、兄弟姉妹、友人、隣人そして個人と社会の関係を言う。

夫婦関係は互いに足りないものを補い合い、よき子孫を育て上げていくこと。

親子関係は過去世の縁によって生じたもので、親は子を慈しみ、子は親を敬うのは当然である。兄弟姉妹は互いに向上し合う切磋琢磨する関係であり、友人は社会生活の良き協力者である。

⑦正念(しょうねん)とは正しく念ずることであり、正しい目的意識を持つことである。

念とは思い願うエネルギーのことである。

私達の想念は全て記録し保存されているが、不調和な念は反省することによって改善されるのである。

反省は神が与えた慈悲である。

地球そのものも神の体の一部であり、大神殿であるから正しい念は必ず守護霊に通ずる。

守護霊は魂の先祖のことであり、肉体先祖の霊ではない。

本体1、分身5の生命の構成は変わらない。

守護霊は変わることなく、一生を見守り続ける。

守護霊は変わると言っている霊能者は偽者であると断言できる。

変わると言っている霊能者は自分が動物霊や地獄霊に憑依されているからである。

神社仏閣の中には霊域の高い場所もあって、実在界の諸天善神が常に連絡場所として一念が現象化される場合もある。

しかし、神社仏閣はどこでも霊域が高いところだと信ずることは危険であり、不幸を呼び込むことも有り得る。

それゆえ、神社に光の宮柱が立っている所だけ参拝することをお願いしたい。

*高橋信次先生は、「日本の神道について少しも触れていない」との質問に対して「今、神道のことを書くと日本人は神社神道のことだと思っているから誤解する人が増える。国粋主義の右翼が騒いで危ない。古神道の神理は正法である」と語った。

1800年前の日本に大日如来(ヴェルシャーナー)が生まれた。

卑弥呼の時代に大日如来が天照大神として祭られたと言う。(本地垂迹説とは天照大神の本地仏は大日如来であるとする説である。) 

正しい念を持っている人々には必ず神仏の光によって保護され不調和な霊に支配されることは無い。 

不自然な新興宗教や不調和な仕事に専念しているため不幸になっている人々は多い。

人間は生き神様にはなれない。

神仏の心と調和することは自分自身の正しい念と行為以外に無い。 

念はエネルギーであり、そのエネルギーは必ず自分自身に帰ってくるので善念を発信することである。

(正念の目的)

念の方向が自分本位であればあるほど苦悩が多く、心にカルマを造ってしまう。

人の幸・不幸の分かれ目は心の中で思うこと、念ずることによって決定されていく。

正しい目的意識を持って念ずることが大切である。

信仰ある祈りが正念である。

⑧正定(しょうじょう)とは正しく反省することである。

正定のあり方は、日常生活における正しい想念で生活が行えることである。

正道に反したことは神に詫び、明日からは二度と同じ失敗を繰り返さないように努力することである。

正定の第一歩は禅定という反省的瞑想の対話となり、菩薩の心である慈悲と愛の行為が出来るようになることである。

次に禅定の心がそのまま日常生活に生かされていくことである。

正しい神理の実践生活の中で、定に入ることにより、私達は体が宇宙大に拡大され、宇宙即我の境地となり、神と調和され心の安らぎを味わうことが出来る。

イエスは愛を説き、その罪を懺悔する事であると言っている。

仏陀は6年間の苦行の末、36年間の過去を反省し一切の苦しみというものは自分が造り出し、苦しみから解放されるには苦しみの原因を造らない事だと発見していく。反省した時に間違いを発見したならば、その間違いの原因はどうして起こったのか追求していき、苦しみの原因を取り除くことである。

(正定の目的)

反省によって心が安定し、不動心が養われてくる。

不動心が日常生活の中に生かせなければ正定の目的は半減する。

正定には1~9の段階がある。

1)反省

2)反省後の心の統一

3)守護・指導霊との交流

4)守護・指導霊との対話

5)5次元レベルの瞑想

6)6次元レベルの瞑想

7)菩薩レベルの瞑想

8)如来レベルの瞑想→これは、座していながら外界の動きが手に取るようにわか

  ってくる境地である。

9)仏陀・イエス・モーセの瞑想→これは、神との直接交流できた人の境地である。

過去世の修行により今世でも徳を積むことにより、誰でも6次元レベルの瞑想までは上がれる。しかし、それ以上になると難しいと言われている。

4、八正道の生かし方

①冷静であること。善意な第三者の立場で物事を見ること。(正見)

②親切であること。愛を心で思い念じ語り自己中心の立場から離れること。(正思、正語、正念)

③感謝報恩の行為をする。人々の協力で社会も個人も成立していることを知り、奉仕と協調の心を忘れないこと。(正業)

④カルマの修正をする。長所を伸ばし短所を修正し、人々と手を取り合って生きること。(正命、正進)

⑤反省する。中道の尺度で一日の言動、心の動きを反省し、想念の浄化修正に努力を続ける。反省後の瞑想は心と肉体のバイブレーションが神に近づき、スッキリした気持ちになる。その気持ちで一日の生活を送ること。(正定)

(4)本物と偽者の見分け方

 1、プロの宗教家か?(プロの占い師か?)

プロの宗教家や占い師に本物はいない。

宗教や占いを職業にし、金儲けの手段にしている人達に本物はいない。

本物は、全て事業を持って出ている。

宗教や占いでお金を取ることはしない。

無償で奉仕する。

なぜなら、生活の糧は別の職業で得ているため、宗教や占いでお金を取る必要が無いからである。

今生、出生している光の天使達はプロの宗教家や占い師になるという計画書を出していないからである。

それゆえ、プロの宗教家や占い師のまま天上界に帰ったならば、地獄界での反省が待っている。

聖徳太子の「未来記」によると、日本を滅ぼす三悪僧の一人である日蓮は、他宗を誹謗中傷し罵詈雑言を浴びせ正法を歪めてしまった為、600年間地獄で反省していた事実がある。

たとえ、光の天使であっても誕生する前に書いた計画書と全く異なる場合には、猛反省する仕組みになっている。

 2、次元意識が明確か?

4次元以降の世界について明確な考えを持っているか?

霊能者の多くは神がかりになるが、その次元が何次元であるか不明となっている。

彼らの著書を読む限りでは6次元が限度であり、5次元以下の者が多い。

特に仙人界からの指導による場合は、5次元が多い。

占いにおいて運命論や先祖のカルマの解消を強調する人達は5次元止まりである。

著書を読むと、その人の文章や文体によって何次元か推定できる。

その人が特に強調している言葉を考えると、その人の次元意識が伝わってくるからである。

しかし、「慈悲や愛」を書いていながら文章そのものが無慈悲になっている場合がある。

これは、地獄霊の影響であり、4次元以下である。

その人の訴えたいものが何かということがわかれば、その人の次元意識が見えてくる。

文章が傲慢になっている場合は5次元であり、謙虚な書き方をしている場合は6次元である。

除霊ということを強調する人は5次元である。

修行や徳を積むことだけを強調し、この世に生まれる使命は、ユートピア実現の為であるということが欠如しているものも5次元である。

自己確立を中心に八正道や反省や気付きを強調するのは6次元である。

波動の法則を明確に言える人は6次元である。

人生の目的と使命を明確に言える人も6次元である。

八正道を実践している人は6次元以上である。

5次元以下の人は八正道で反省が出来ない。

それゆえ、、八正道で反省できることが6次元の条件である。

 3、宇宙即我を体験しているか?

宇宙即我の悟りを体験すれば、如来の二大能力である観自在力と漏尽通力が発揮され、預言が可能となる。

聖書の預言も解明できるレベルであり、世界人類を正しい方向に導く大指導霊でもある。

それゆえ、「ヨハネの黙示録」をどのように解釈するかで本物か偽者かわかるのである。

 4、仏陀とイエスをどのように評価しているか?

仏陀やイエスより自分が偉いと思っている人は偽者である。

「人間は神である」と断言している人も偽者である。

高橋信次先生は「人間は神にはなれない」と語っている。

「人間は神の子である」という表現が正しいのである。

 5、占いをどのように考えているか?

占いは仙人界で開発した技法である。

しかし、仙人界指導の運命論では人類の救済にはならない。

陰陽五行説の限界を超えなければ、真の自分は発見できない。

陰陽五行説は闘争原理を導入し、5次元の想念や念力による自己実現意識である。

そのため、自己中心の想念に拘束されて、自分のカルマから脱出できないのである。

しかし、三体理論や数霊次元説によれば、カルマから解放され自己確立から菩薩行への道が示されている。

①占いを金儲けの手段としているのは4次元である。

②占いを運命論として把握しているのは5次元である。

③占いを自己確立の手段としているのは6次元である。

④占いを神理伝道の手段としているのは7次元である。

⑤占いを救世主の存在証明の手段とするのは7次元上段階(梵天界)である。


 6、人生の目的と使命をどのように考えるのか?

(5次元の考え方)

神と自分の関係を考えるが、神を自分の外に求める意識は5次元である。

この立場では、神人合一は理解できない。人生とは前世のカルマを刈り取る場であり、来世に向かって徳を積む場であると考えている人は5次元である。

神理を探求し、世のため人のためになるように善徳を積み重ね、御霊を向上させるという意識はあるが、先祖のカルマと自分のカルマが全ての不幸の原因であり、二つのカルマを解消しなければならないと考える人は5次元である。先祖のカルマを子孫が代わりに解消してやることは出来ない。先祖の霊が反省して自分のカルマを解消しなければならないからである。

これは神の摂理である。

親が勝手に自分を生んだと思っている人、また自分は親を選べ権利は無いと思っている人は5次元以下である。

真実のパラダイムを知らない人は4次元であり、「バカの壁」の中にいる人である。

真実のパラダイムを知ることが出来れば、「バカの壁」は破れ、5次元に進化できる。


(6次元の考え方)

神を自分の心の中に求める意識は6次元であり、神人合一を理解できる。

人間は神の子であり、この地球上にユートピアを実現するために生まれてきた。

そして、転生輪廻の過程で造り出した心と行動の癖(カルマ)を修正するために生まれてきたと思っている人は6次元である。

先祖のカルマは解消できない。

なぜなら、先祖のカルマは子孫のカルマではないからである。

自分のカルマを修正することにより、健全な心と健全な体と健全な経済環境を造ることが真の先祖供養である。

子孫が神の子としての幸せな生活をすることにより、先祖の霊が4次元以降の世界からその姿を見て反省し、現在よりも高い霊域へと進むことが出来るからである。

自分で蒔いた種は自分で刈り取ることが神の摂理である。

自分が両親を選んで生まれてきたという意識は6次元である。

 7、言行一致しているか?

自分の言ったことと行動が一致するとは当然であるが、本に書いたことと行為が伴わない場合がある。

本を出版した人は八正道で点検する必要がある。

言行不一致は5次元以下である。

 8、八正道が実践できるか?

多くの霊能者は八正道が実践できない。

それゆえ、偽者である。

正見が出来ない霊能者が多い。

八正道の実践が出来ない人は指導者の資格は無い。