私の姓名の秘密



2013年1月15日に、不覚にも私は雪の為、滑って転倒し左の足を骨折してしまった。そのため身動きできず、仕事が出来なくなった。それで、家族の協力を得て最小限の仕事を実施している状態である。左足の骨折の状態で何も出来ないので反省を実施した。その中で「私の使命とは何か?」を反省している中で、私の姓名の秘密について公表しようと思ったのである。


(1)私が自分の名前で姓と名がイコールになっていることに気付いたのは中学1年の時だった。


姓→東郷(TOGO) 名→郁三(いくぞう)


つまり、次のような関係になることを発見したのである。


TO GO = いくこと = いくぞう 


この関係を発見した時は、「名前って面白いものだ」と思った程度で深く追求してみようとは思わなかったのである。


(2)ところが、18歳の時にふとしたことから自分の名前をバラバラに分解して遊んでいるうちに自分の似顔絵が出来てしまったのである。


東郷郁三→分解して、とうゴういく三で似顔絵を作ると次のようになる。


名前を分解し組み立て直しているうちに自分の似顔絵が出来てしまったので姓名には何か大きな秘密が隠されているのではないかと思うようになったのである。


(3)2つの発見が姓名の秘密を探究してみようとするキッカケを作ったのである。それ以来、私は市販されている姓名学の本を乱読し、ある程度の判断基準をマスターしていった。

そのような時に、友人の塚本君から北海道に住む丹羽透涯という宗教家が姓名判断をすると聞き、是非会ってみたくなったのである。塚本君の紹介で面会することが出来たが、器の大きさの違いの為に圧倒されてしまった。先生は次のように私を評して言われました。


丹羽先生「君は大地に足をつけていない。フラフラしている。理想を追うことも必要だが現実を見つめなければ足元をすくわれてしまう。」

私「・・・・・・・・・・」


私は自分の一番気にしていることを指摘され何も反論することが出来ませんでした。


丹羽先生「うむ。真面目すぎる。もっと心を楽にして,おおらかな気持ちで人の接することが必要だ。」

この指摘も多くの人達に忠告されていたので修正しなければならないと気にしていたのである。ところが、先生はズバリと私の弱点を指摘したので恐れ入りながら聞いていました。


丹羽先生「君は大志を抱いているようだが、その前途は多難である。私と一緒に山に登ろう」

私「えっ。山に登るとはどういうことですか?」

丹羽先生「私は全国各地にある12の霊山に縁があって毎年、霊山に登拝している。その霊山とは次の山のことだ。

①赤倉山(岩木山)・・・青森県 ②太平山・・・秋田県 ③出羽三山・・・山形県

④戸隠山・・・長野県 ⑤白山・・・石川県 ⑥大山・・・鳥取県

⑦英彦山・・・九州 ⑧阿蘇山・・・九州 ⑨石槌山・・・四国

⑩熊野三山・・・紀伊 ⑪御嶽山・・・木曽 ⑫富士山・・・静岡県

私の関係者は必ずこの12霊山に関係している。東郷君もどれかに関係があるはずだ。」

私「あのう。僕の先祖は御嶽山に登っています。」

丹羽先生「やはり、そうか。御嶽山も12霊山の一つだ。よし、それでは早く登ろう。」

結局、丹羽先生の迫力に圧倒され登拝という修行を経験することになった。この登拝により、粗塩の効果を発見できたのである。(登拝については省略する。丹羽先生との登拝は赤倉山と太平山でした。後に私個人で御嶽山に登拝している))

登拝が終了し、私はしばらくの間、丹羽透涯先生宅に居候することになった。その時、初めて丹羽式姓名学を学んだのである。

丹羽式姓名学は1から9までの数字で判断する為、私がマスターしていた伝統式姓名学(1から81までの数字で判断する)とは全く異なる感じがしたのである。

しかし、因縁の指摘については、丹羽式姓名学のほうが鋭いと思った。伝統式姓名学ではピンボケの部分を明確にしているからである。概して丹羽式姓名学は因縁の指摘が多く、暗い判断になっていた。私は、そのことを丹羽先生に言うと、先生は次のように話してくれたのである。

丹羽先生「私の仕事は人の業(カルマ)を切ってやることであり、占いは、その業を判断する為に過ぎない。君は、占いの才能があるようだから私の大雑把な理論にとらわれず自由に研究してみることだ。」

私「僕は別に才能があるとは思っていません。しかし、自分は暗い判断よりも明るい判断の方が好きです。伝統式姓名学と丹羽式姓名学を統合しようと思っています。」

丹羽先生「そうか。頑張ってみたまえ。」

私「はい。頑張ります。」


丹羽先生にとって人の因縁を切ってやることが仕事であり、どのような因縁かを探し出す役割を果たしているのが占いであると考えているようであった。

そのため、占いが暗くなるのは仕方がないことであった。


(4)丹羽先生の所で8日間の断食をした次の年(昭和49年)にCPA2次試験に合格することが出来た。7回目の挑戦でやっと合格できたのである。

受験から開放され、のんびりしていた時、ふとしたことから高橋信次著「悪霊」という本が目についたのである。パラパラとページをめくってみると普通の宗教家ではないことに気付き、早速本を買って読んでみたのである。

((これは、大変な本だ。僕が理想としている仕事を既に実践している。これは、只者ではない。))と思うや否や神田の本屋に行って高橋信次という人が書いた本を全部買ってきて読みました。「心の発見」「心の原点」「人間釈迦」「原説般若心経」等々を私は一気に読んだのである。そして、次のように感じた。

((もしかしたら、高橋信次という人は、釈迦の本体ではないだろうか。そうだとすれば大変なことだ。僕が捜し求めていた師かもしれない。早速講演会に参加してみよう))

昭和50年4月8日に高橋信次先生の大講演会が日比谷公会堂で行われました。私は、本に書かれていることが事実かどうか真剣な気持ちで聴いた。講演の内容はすばらしいものであり、本物であると確信した。そこで、私は心の中で次のような質問をしたのである。

((先生は、お釈迦様の生まれ変わりですか? もしそうならハッキリと自分は釈迦であると言ってください))

勿論、何の返答もありません。講演の方は信次先生の指導による転生輪廻の証明を実演していました。弁護士で司会をしていたT氏とN婦人が過去世において友人であった時の状況を想い出して当時の言葉(中国語)で語っています。信次先生が同時通訳をしてくれたので理解できましたが、目の前で過去世の言葉を聞く事は「永遠の生命は事実である」ことを実感として理解できたのであった。

N婦人によるアトランティス時代の言葉は非常に美しい響きがあり、ギリシャ時代の言葉やインド時代の言葉も何となく懐かしい気持ちがしたのであった。私の心の中にも、そのような言葉が記録されているからだろうと実感したのであった。

日比谷公会堂の大講演会の後に私は、三度信次先生の講演会に参加した。浅草の本部での講演会の時でした。どういうわけか信次先生が私の前に来て、10分間に亘って講演したのである。その時、私はこれ以上の感動は無いという体験をしました。心の底からこみ上げてくる感動が頭の頂上を突き抜けてドカーンと火山が爆発した時のように破裂したのである。その凄まじい感動の破裂が数回となく続いたのである。私の目からは涙が止め処も無く流れ落ちてきたのである。顔はクシャクシャになってしまったのであった。

信次先生は、再び元の場所に戻り講演を続けました。その時、驚くべきことに次のようなことを言ったのである。

信次先生「先日の講演会の時、私に対して「お釈迦様ですか?」と呼びかけた者がいた。イヤー、びっくりした。私はただの電気屋です。もし私の過去世を知りたかったならば、自分がアラハンの境地になって自分を知った時、私が誰であるか分かります。それまでは、私はただの電気屋です。イヤー、本当にびっくりした。」


信次先生はユーモアを交えて笑い飛ばしていましたが、私の心は全て見抜かれている感じがしました。そして、無性に恥ずかしかったのでした。

やはり、自分自身が悟らなければ神理は沈黙していると思ったのである。アラハンの境地に到達した多くの者は信次先生のことを「ブッダ」と呼んでいる。勿論、過去世の言葉を語っている時にである。そのことから「ブッダ=信次先生」ということは明白であった。しかし、信次先生は、アラハンの境地に到達していない人に対しては、多くの誤解を防ぐ意味もあって「ブッダ」とは呼ばせないように思えたのである。


(5)私は以上のように2人の師との出会いを通して丹羽式姓名学と高橋信次先生の正法を学ぶようになったのである。

そして、遂に自分の姓名の秘密を知ることが出来たのである。それは、信次先生の教えの中に含まれていた。


東郷→東の国→古代インド語でジャブドーバーと言う。

つまり、「ジャブドーバーにいくぞう」と宣言している名前であったのである。これは何を意味するのであろうか?

私は次のように考えたのである。

今から2500年前に中インドのカピラバウストという所にゴーダマ・シュッタルダというシャカ族の王子が生れました。それが後のブッダである。29歳の時、妻子を捨て出家し35歳の時、八正道による反省的瞑想をした結果、宇宙即我の境地に到達したのである。悟りを開き、その後40年間に亘り神理を具体的に分かり易く説いていったのである。その中で、ブッダが多くの弟子達に未来の世界を霊視させたことがある。黄金で出来た建物にはダイヤモンドやルビーがちりばめられて美しい世の中である。居ながらにして遠くの者と話をすることも出来る。空を自由に飛ぶことも出来るのが未来の世界であると20世紀の都市の生活状態を霊視させたのである。

(この事をマイトレーヤー(弥勒菩薩)は後世の人に書き残した為、未来仏とされたと言われている。)

ブッダは多くの弟子達に20世紀の未来を現象として霊視させた後、次のように語ったのである。

ブッダ「私達は転生輪廻を繰り返しています。今度、私が生れる所は先程霊視しましたジャブドーバーという所です。今度、会う時はジャブドーバーのケントマティでお会いしましょう。」


ジャブドーバーとは古代インド語で東の国という意味であり、ケントマティとは都市という意味である。つまり、東の国の都市にブッダが生れると宣言したのである。当然、ブッダの弟子達も生れてくるはずである。

東の国の都市にブッダが生れ変わるということは何を意味するのか?

東の国=日本であることは極東といわれていることから理解できる。日本の都市=東京であることも理解できる。つまり、ブッダは日本の東京に再び出現するということを示していたのである。

私は、自分の姓名が東郷ということからジャブドーバーに生れたくて出生してきたのだと感じたのである。

高橋信次先生=ブッダであると思ったのも当然の結果であった。信次先生の正法を実践していくうちに、ある閃きがあり、ついに数霊次元説のヒントをつかむことが出来たのである。(これについては、「次元の壁」と「高橋信次先生の悟りのプロセス」を参照してください。)


(6)その後、高橋信次先生はブッダ意識からエル・ランティー意識へと目覚められ、死の3ヶ月前に「太陽系霊団の系図」を発表された。

「太陽系霊団の系図」は天上界の機密の一つであり、ミカエル大天使が出現しなければ絶対に公開されることは無かったものである。ミカエル大天使は聖書に出てくる天使なのでキリスト教関係者にとっては非常になじみの深い天使である。サタンとなったルシフェルを地獄界に突き落としたのもミカエル大天使の功績である。

私は「太陽系霊団の系図」が何を意味しているのか分からなかったのである。高橋信次先生は「新復活」という本を書いておられましたので、その中で聖書の原典を解き明かそうとしたのだと思われる。しかし、残念ながら「新復活」は未完となり本は出版されなかったのである。

そうした状況において、O氏によって修正された「太陽系霊団の系図」が発表された。O氏は高橋信次先生の後継者であると宣言していた。私はO氏の霊言集を読み、信次先生の後継者かもしれないと思い、K会に入会した。そのため、O氏の次元構造論に従って数霊次元説を修正してしまったのである。

O氏の次元論では9次元神霊が10人いるという説であったので、私の数霊次元説も修正してしまった。間違った理論を伝道することは生命の退化を意味する。O氏は、その後、F事件を引き起こし世間の注目を集めた。私は、それ以前にO氏の言行不一致を理由にK会を脱会していた。間違った数霊次元説を本で出版してしまった為、私は占いをしばらくの間、封印することにしたのである。その間、本業のCPAと税理士業に励んだ。世の中はバブル崩壊後の経済状況下にあり、非常に厳しい経済環境になっていた。

そんな時、飛鳥昭雄氏の著書を読みカッバーラの本質が「生命の樹」にあることを知り、突然閃きがあったのである。「太陽系霊団の系図」は「生命の樹」でもあったのである。「生命の樹」の三本の柱こそがイエス・ブッダ・モーセの三神だったのである。私の心の中の封印が解けたような気がしたのだった。数霊次元説も「生命の樹」の証明であると感じたのである。高橋信次先生の幻の著書「大自然の波動と生命」に公開されている三体理論も「生命の樹」を証明していることが判明したのである。「生命の樹」はカッバーラの本質であり、カッバーラは聖書の解釈を補足するものである。それゆえ、「数霊次元説もまた聖書の解釈を補足するものでなくてはならない」という命題が発生してきたのである。

私は、丹羽透涯先生により古神道を学び、高橋信次先生によって仏教を中心とした正法を学び、そして聖書を中心とした正法をこれから学ぼうとしている。今後の展開は「聖書」がキーポイントになると思える。「聖書の預言」(「ヨハネの黙示録」)は無視できないはずである。その中でも最も重要な鍵が「太陽系霊団の系図」であると思っている。