「次元の壁を破る心の財産」
(まえがき)
エハン・デラヴィ著「フォトン・ベルトの真実と暗黒星ネメシス」によると、①フォトン・ベルトは存在しない。②地球温暖化の原因は二酸化炭素ではなく、太陽の活動激化にある。③太陽の変化は、太陽系に近づきつつある褐色矮星ネメシスと呼ばれ恐れられた二ビルの接近により、電気的に刺激され猛烈に反応している。④2012年12月22日には何かが起こると警告している。
エハン氏は褐色矮星ネメシス=惑星X=ニビルと考えている。しかし、飛鳥昭雄氏は超太陽系創造理論でネメシスを木星とし、ニビルは木星から誕生する太陽系第13惑星ケツァルコアトルであるとし、惑星Xは太陽系第10番惑星NOX(ノクス)としている。飛鳥氏のプラズマ宇宙理論は地球内部の亜空間世界にまで及び、聖書の預言を科学的な立場から解明している。飛鳥氏は真実のパラダイムを公開しているのである。
養老孟司著「バカの壁」を読んで感じたことは、「バカの壁」は次元の壁で言うと5次元の壁であると思ったのである。自分の知りたくないことについては、自主的に情報を遮断している壁のことを「バカの壁」と言う。壁の内側だけが自分の世界であり、壁の向こう側が全く見えない。戦後の教育はGHQの影響もあり、我が国の人々は「バカの壁」の中にいる。確かに「バカの壁」の中に入れば思考停止となり楽である。しかし、「バカの壁」=「自我の壁」を自ら破らなければならない時期に来ている。真実のパラダイムを知ることによって「自我の壁」は破れる。
藤原正彦著「国家の品格」は6次元の意識を明らかにした本である。欧米の合理的精神(5次元の意識)の誤りを指摘し、日本の武士道精神(7次元の意識)の復活を提唱している。武士道精神は不惜身命であり、菩薩の意識である。その中核が惻隠の情である。惻隠の情は6次元上段階の意識であり、この意識を実践できることが菩薩なのだ。戦後の日本人はアメリカの奴隷となり、欧米の合理的精神を正しいものと信じ、本来の日本精神を失ってしまった。5次元の限界は「論理を徹底すれば、問題が解決出来る」と信じてしまったことにある。論理だけでは世界が破綻する。論理の限界は次の通りである。
-
人間の理性や論理には限界がある。これは、カントも指摘しているが6次元の壁を破るには合理的精神ではなく神を信じる直観によるからである。②最も重要なことは論理では説明できない。ゲーデルが「不完全性定理」を証明し、論理に頼っては永久に判定できないことを証明した。③論理には出発点が必要であり、論理の出発点を選ぶのは情緒や形(6次元の意識)である。④論理は長くなりえない。⑤論理だけでは人間社会の問題の解決は図れない。⑥自由とか平和という概念は、欧米が作り上げたフィクションである。
藤原氏は論理や合理的精神が信頼できないとすれば「情緒や形」を見直すことであるとしている。(「情緒や形」は一言で言うと日本の心である。日本には昔から道と言う修行道があり、武道、剣道、茶道、華道などがあり、自然と一体になった姿が形なのである。それは、「光の道」を進むことであり、6次元の意識なのである。情緒は神の心である片寄らない中道の心を意味していると考えられる。)
霊の世界があると思っている人は4次元の意識を持っている。しかし、テレビで放映している内容は全て地獄霊専門であり、地獄霊に執着していると憑依されてしまうので要注意である。地獄霊は4次元下段階に住んでいる。4次元上段階は天国と言われている所であるが、まだ霊の自覚に目覚めていない者が多い。霊の本質に目覚めると5次元の世界に進化していく。5次元の世界は意識の世界であり、想う事が実現する世界である。精神統一が修行の目的となっている。6次元の世界は神の意識が分かり、神の心に則って生活している。7次元の世界は神の心を実現する為に地獄霊を救済する使命を持って活動している。8次元の世界は如来の世界であり、宇宙即我の境地に到達している為、衆生済度行為を中心に諸菩薩・諸天善神の指導をしている。9次元は真のメシアであるエル・ランティーが存在する世界であり、霊太陽として存在している。エル・ランティーの分霊にイエス・ブッタ・モーセがいる。しかし、地球存亡の危機であった20世紀にエル・ランティーが人間・高橋信次として誕生した。そのため、20世紀の危機は回避されたが、2012年12月以降に太陽のプラズマ直撃を受け、地球は大変なことになる。それを避ける為に「バカの壁」を突破して5次元レベルの意識になることが急務である。
次元の壁は高次元から見ると膜の様な存在であるという。高次元から3次元を見ると、3次元は膜のようなものの上に貼り付いて住んでいるという。私たちは多次元構造の中で生きている。次元の壁を破れるかどうかは心の浄化によって決定される。私は次元意識を物差しにして、市販されている多くの本を読んで著者の意識を判定してみた。その結果、次のような感想を得た。
-
真実なパラダイムを知らずに自分の思想を書いている者は5次元止まりであると感じたし、真実のパラダムを無視している者も5次元止まりである。
-
6次元以上と思えたのは真実のパラダイムを知り、それを踏まえて多くの人に語っているレベルの人達である。例えば、藤原正彦著「国家の品格」や養老孟司著「バカの壁」は真実のパラダイムを知るべきだと訴えている本である。
-
真実のパラダイムを熟知し、心の浄化も進み、霊能力を駆使して多くの人々に真実を伝えようとしている人達が菩薩である。例えば、明治天皇の孫である中丸薫女史とNASAからの真実の情報を伝えている飛鳥昭雄氏がいる。彼らの著書には真実のパラダイムが書かれている。中丸薫女史は天からのメッセージとUFOからのメッセージと地底人(アルザル人)からのメッセージを受けられる霊道者である。天からのメッセージではエル・ランティーからのメッセージも受けられ、エル・ランティーが高橋信次先生であることを確認している。中丸薫女史は霊道を究め、遂に人類最高責任者であるエル・ランティーに辿り着いた。飛鳥昭雄氏は「聖徳太子の預言」や「ヨハネの黙示録」をカッバーラで解明した。また、裏天皇と言われる裏神道の総元締めから日本の秘密を解き明かしても良いというお墨付きを得た唯一の人物である。飛鳥氏はカッバーラを神の証明の為だけに使用して金儲けの手段としていない。これは、菩薩の生き方である。
-
菩薩以上のレベルが存在する。それが如来である。如来レベルは宇宙即我の境地に到達し、神の意識に同通している。それは、高橋信次先生の「心行」と「心の発見」が証明している。心は霊子の存在を認識していなければ発見できない。霊子は22世紀に発見されると預言されている。「心の発見」が出来ることこそ真のメシアの証明なのである。さらに高橋信次先生は「太陽系霊団の系図」を示し、真のメシアの存在を明らかにした。私は、高橋信次先生の名前から「高次元の世界から信という架け橋をかける人」と言霊法で解明した。高橋信次先生はブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信として真の指導者の生き方を初めて人類に示されたのである。そのため、9次元の意識も明確になったのである。高橋信次先生は「道即法」「法即行」「行即光」「光即道」と具体的に次元の鍵を示された。私は、この教えを悟られた人だけの専売特許であると思っていた為、深く追求しなかった。しかし、「道即法」は6次元レベル、「法即行」は7次元レベル、「行即光」は8次元レベルの指針を示していたのである。そして、真のメシアは「光即道」を示さなければならなかった。それも最も分かりやすい方法で示さなければ真のメシアの使命は果たせなかったからである。真のメシアが示された「光の道」や「道しるべ」を受け取れるレベルが6次元以上である。誰でも6次元までは次元上昇できるので「バカの壁」を破ることが先決である。
現在のあなたの次元をチェックできる簡単な例題がある。それは、青い鳥を探す童話があるが、「あなたは、青い鳥をどこで発見しますか?」というものである。
-
青い鳥は存在しないので探さない
-
青い鳥は存在すると思い、家の外に探しに行く
-
青い鳥を自分の心の中に発見する
3の自分の心の中に青い鳥を発見できる人は6次元である。真のメシアが示してくれた「光の道」が青い鳥なのである。青い鳥は心の中の霊子線で繋がっている。2の青い鳥を自分の外に探そうとする人は5次元レベルである。4次元レベルの人は1であり、青い鳥の存在すら知らないので探そうともしない。しかし、1の人でも青い鳥の存在を知らせてあげれば彼らも次元上昇することが出来る。いずれにしても、自分の心に「光の道」があることに気付くことが大切なのである。
私は、あなた(読者)に挑戦する。私のチェックリストと質問に回答して下さい。その結果、5次元以下と判定された場合は、私の勝ちであり、ホームページを是非読んで下さい。5次元以上と判定された場合は、あなた(読者)の勝ちであり、ホームページを読む必要がありません。それでは、「自我の壁チェックリスト」であなたの現在の次元を判定して下さい。その結果、「自我の壁」を破れなかった人は「次元意識に関する質問」で自分の次元を判定して下さい。それで、5次元以下と判定された人はホームページを読んで「自我の壁」を破って下さい。
第1章 次元の壁を破る心の法則
第1節 簿記の原理と心の法則
簿記の原理は、心の法則とよく似ている。簿記を学べば学ぶほど心の調和の大切さが感じられる。簿記は心の調和を追求している技術であると思える。人間は光子を生産するメーカーであるならば、光子を生産する工場は心である。心の発見は高橋信次先生によってなされた。心=霊子の発見は9次元以上の霊能力が無ければ不可能である。高橋信次先生の遺産の一つは心の形を具体的に示したことである。心の形を具体的に示されたことにより八正道による反省が効率的にできるようになった。高橋信次先生が示された「心行」「祈願文」の意識は8次元であることが判明している。太陽系霊団の最高機密である「太陽系霊団の系図」は9次元レベルでなければ明らかにすることは出来ない。さらに、「道しるべ」として三体理論と次元意識を明らかにした。真のメシアだけが示せる「光の道」とは正法神理のことであり、それはイエスの愛とブッタの慈悲と高橋信次の信の実践であり、「心行」と「祈願文」に表わされている。人類は「光の道」を発見し、真っ直ぐに進むことが次元の壁を突破できる鍵となる。
(1)簿記原理とは何か?
複式簿記の原理は借方と貸方という2つの次元に分類して記入するシステムである。複式簿記の2元性は、複式記入の等式と呼ばれ、次の式で表わされる
資産=負債+資本・・・・・・・・・・・①
それは、請求権を負債(貸方の請求権)と資本(株主の請求権)の和として次のように表わされる。
資産=請求権・・・・・・・・・・・・・②
資産と請求権の2元性は、一方で企業の財の物理的経済的性格を表わし、他方でそれらの財に対する請求権を表わしている。資産と請求権がどうして対になるかという理由は明確でない。しかし、受取勘定と支払勘定との対比が出来ることは確かである。
負の資産であることが明らかな負債が資本という負の資産の概念でないものを一緒の等式の右側に置かれているのは何故か? それは、負数を忌避したからである。負数の概念は数学よりも会計の方が先に現われていた。複式簿記の成立時期では数学理論で負数を認めていなかった為、負数を忌避し、複式簿記を難しくしてしまった。そこで分かりやすくするために①式を次のようにかえる。
資産―負債=資本・・・・・・・・・・・③
③式をさらに2元性の追求が便利なように次のようにする。
財産=資本・・・・・・・・・・・・・・④
④式は財産の変動は、すべて借方で仕訳記入し、資本の変動のすべては貸方で仕訳記入する複式簿記システムである。
財産勘定は企業の現在の財政状態を表わし、それらはストック勘定であり、資本勘定は過去における財産の変動を表わし、それらは全てフロー勘定である。資本勘定は利益勘定で説明できるので次のようになる。
財産=資本=利益・・・・・・・・・・・・⑤
井尻雄士教授は「三式簿記の研究」「利速会計入門」で次のように展開している。
「単式簿記は財産計算のみを取り扱ったが、複式簿記は財産計算に利益計算を導入し、両計算構造を等式で結合したものである。複式簿記は利益額を計算するだけでなく、利益がどうして生じたかを知るために、その性質に基づいて分類している。そして、分類された利益の勘定科目を用いて、利益の詳細を記録し報告している。つまり、純財産の変動を利益勘定で説明している。」
単式簿記→企業の現状を財産勘定で把握する。
複式簿記→企業の財産変動の理由を利益勘定で把握する。
「財産計算と利益計算が等式で結び付けられることは、財産計算で計算された利益と利益計算で計算された利益が常に等しいことを意味する。」
財産計算での利益=利益計算での利益
「財産計算では何が起こったのかが記録されるのに対し、利益計算ではどうして起こったのかということが記録される。財産勘定というストックと利益勘定というフローの2つを組み合わせたのが複式簿記の基本構造である。」
財産計算→結果を記録するストック
利益計算→原因を記録するフロー
「複式簿記が単式簿記から画期的な発展をしたということは、財産計算(ストック)と利益計算(フロー)を第2の次元として加え、それを等式で結びつけたからである。」
単式簿記→財産計算の1次元の簿記
複式簿記→財産計算+利益計算の2次元の簿記
(まとめ)
井尻教授は原因である利益を時間で微分し、利速会計を展開し、3次元の簿記を開発されているが、当ホームページの目的ではないので省略する。井尻教授の考え方を踏襲すると次のようになる。
心の財産=心の資本=心の利益(光子量)・・・・⑥
心の利益を微分することが高次元に移動できることを示している。また、心の財産状態の変動を光子量によって説明できることを意味している。 (2)波動(光子・霊子)には法則がある。
①円運動の法則(円満の法則)
森羅万象は円運動によって支配されている。原子を構成するのは固有の回転を続ける原子核とその周囲を回る電子である。量子力学では原子核を構成する陽子や中性子、電子さらにクオークやレプトンなどの粒子としての性質を持つと同時に波動としての性格を持つと考えられている。波動の性質は往復運動であり、その描く軌道は円運動の部分である。波動という視点に立てば光や電磁波などのエネルギーも全て円運動である。
②循環の法則(転生輪廻の法則)
万象万物は生まれて成長し消滅するというサイクルを持つ。転生輪廻も人間の魂があの世とこの世を循環して魂を磨くことが目的である。波動理論の三体理論も9年周期のサイクルをもち循環している。人間の転生輪廻の目的は、この世をユートピアにすることと自分のカルマを修正することである。転生輪廻は、如来といえども従わなければならない仕組みになっている。例えば、イエス・キリストの生命は次の構成である。本体は、イエス・キリスト(紀元前三十二年 イスラエル)、分身1は、クラリオ(BC四千年頃 エジプト)、分身2は、マグガリス(AD二百年頃 イスラエル)、分身3は、フォアイ・シン・フォアイ・シンフォ(AD四百年頃 中国)、分身4は、バイロン(AD千五百年頃 英国)、分身5は、マグネチオ(BC二千年頃 エジプト)である。さらにブッタの生命も次のようになる。本体は、ゴーダマ・シッタルダー、分身1は、不空三蔵、分身2は、天台智顗、分身3は、最澄、分身4は、空教、分身5は、木戸孝允である。
③共鳴の法則(類は類を呼ぶ法則)
同じような波動のものは共鳴し、引き寄せあい、波動の違うものは反発しあうということである。例えば、酒好きな人の所には酒飲みが集まり、静かな人の所には穏やかな人が集まってくる。そして、酒乱な人の所に、静かな人は絶対に寄り付かない。地獄霊が憑依するのは共鳴の法則である。重要な発明・発見が別な場所で別な人間によって同時期に成し遂げられたりするのは波動をキャッチしたからである。
④作用反作用の法則(原因と結果の法則)
結果があることは必ず原因があるということを意味している。また、発信したものと同じものが返ってくるということである。人を呪えば穴二つということも、発信した自分に帰ってくるため、自分で自分を苦しめることになるのである。また、原因を起こしてもストレートに結びつかないのは3次元世界の波動が粗いためである。正しく念じ、正しく思い、それを持続することが原因と結果の法則を支配できるコツである。現在の自分を反省して、まだ欠点があるというのなら、それはこれからの将来において学ばなければならないものがあるということを示している。過去の想念の総決算が現在の自分であり、現在のあり方が未来の運命を決定することになる。原因と結果の法則を越える道が八正道の生活である。
⑤慣性の法則(カルマの法則)
心が一定の傾向性(癖)を持つと無意識にそのことを行ってしまう。人によって性格が違うのは、その人がそれまで考えてきた心の癖によって造られてきたからである。心の癖を仏教ではカルマといい、キリスト教では原罪という。地上での修行の目的は自分のカルマを修正することである。カルマは執着から生まれる。自己中心の考え方、自我我欲の思いが執着を生みカルマを造っている。カルマは先天的なもの、肉体遺伝のもの、環境によるもの(教育、思想、生活環境)により造られた。カルマの三割は過去世からのものであり、七割は今世で造られたものである。
⑥フラクタルの法則
部分の中に全体像が存在するという幾何学理論で、全体から部分を取り出すと、その形が全体とそっくりである(近似値である)。三体理論はフラクタルの法則により開発されたものである。出口王仁三郎師は菩薩界の人で日本の宗教の誤りを覚醒させる為に生まれてきたと高橋信次先生は言っておられた。出口王仁三郎師は「日本は世界の縮図である」として示した。(北海道は北アメリカ、本州はユーラシア大陸、九州はアフリカ大陸、四国はオーストラリア大陸)
⑦エントロピーとシントロピーの法則(他力信仰と自力信仰の法則)
物質とエネルギーは常に一つの方向へのみ変化する。使えるものから使えないエネルギーに変わっていく度合いをエントロピーという。宇宙に存在するものはエントロピー増大の方向性をもって変化・変動している。秩序を緩やかに崩していく他力信仰はエネルギーをマイナスにする。逆にシントロピーとは生命活動でエントロピーを克服し、エントロピーを減少させている。シントロピーを心がけることでリフレッシュし、体質を変えて新しい環境に対応できるようになる。自力信仰はエネルギーをプラスにする。エネルギーをプラスにすれば健康・幸福となり、マイナスにすれば病気・不幸がやって来る。自力信仰のみが正しい信仰である。何故、他力信仰が悪いのか? 聖徳太子が「未来記」で次のように表現している。「その時、魔王の波旬が現われて、仏教の名の下に僧家を破壊し、日本国を奪い取って支配した後、鬼国(残忍な国)に貶めようとする。そこで腹心の3人を僧(一遍、日蓮、親鸞)の姿にさせ、邪道を伝授し、日本の国の全ての人を惑わして三悪道(地獄道、餓鬼道、畜生道)に堕落させようとする。」踊り狂いながら国中を漫遊した一遍は仏教を空洞化し、多くの民を地獄に導いていった。他宗を全て見下し、罵詈雑言と誹謗中傷に終始した日蓮は餓鬼道を具現化させた。安易な救いを約束して布教を広めた親鸞は、多くの民を畜生道に導いた。親鸞はパウロの生命であり、同じカルマで同じように他力信仰を流布してしまうのである。それを信じる者も同じカルマがあるということである。いずれにせよ、親鸞や日蓮を信じている者は反省しなければならない。
⑧自滅の法則(ケリッポトの穴)
賞賛を受け、増長慢になると自滅の落とし穴に堕ちる。自滅は賞賛の二乗に比例する。カッバーラの「生命の樹」のケリッポトの穴に堕ちるのは増長慢となり、自我我欲・自己保存が増大したからである。ルシフェルであるサタンもケリッポトの穴に堕ちて堕天使となった。宗教や占いを金儲けの手段としている宗教家や占い師は自滅の道を進んでいる。
(3)人間は光子を生産するメーカーである
人間の体は、肉体・光子体・霊子体の三体が一体となって構成されている。肉体と光子体・霊子体(心)は霊子線というべき糸で結ばれている。肉体の死は霊子線が切れてしまった時であり、霊子体(心)は光子体という舟に乗って4次元以降の世界に帰える。光子(フォトン)は発見され量子力学が展開されたが、霊子は22世紀に発見されると預言されている。心のバランス度(調和度)によって光子量が違ってくる。光子量によって光子体が進むべき次元が決定されるのである。つまり、光子量により幽界→霊界→神界→菩薩界→如来界→宇宙界へと生命が進化していくのである。逆に光子が無く、借金状態つまり、心がスモッグ状態になった時は、地獄界で反省しなければならない仕組みになっている。日蓮は誹謗中傷、罵詈雑言が過ぎた為、600年間、地獄界で反省している。光の天使ですら地獄に堕ちるのだから、この3次元現象界において、いかに光子を多量に生産できるかが課題なのである。光子を生産するには光子量最大化の法則がある。
(4)光子量最大化の法則とは何か?
人間の想念行為が神の心に適うと光子(フォトン)が生産される。神の心から外れるとスモッグが発生し、カルマを造り出してしまう。光子を沢山生産するには、神理に適った想念と行為を実践する以外にない。また、想念よりも行為の方が光子を増加する仕組みになっている。「行即光」の実践が大切なのである。「行為によらなければ光は出ない」ということである。
①神理に適う想念と行為が光子を増加させる。
②神理に外れた想念と行為(自我我欲と自己保存の行為)は光子を減少させる。
自我我欲と自己保存の想念行為は黒いスモッグとなり、心の中に沈殿する。その黒いスモッグに悪霊が憑依し、社会的犯罪が多発するのである。異常な犯罪は悪霊の憑依が原因である。それゆえ、解決法として倫理道徳の教育を充実させなければならない。
③自我我欲と自己保存を減少させる根本的解決法は八正道による反省しかない。
反省は神が人類に与えた最大の慈悲だからである。
(イ)心の領域を理解する。(想念、本能、感情、智性、理性、意志)
(ロ)八正道を理解する。(正しく見る。正しく思う。正しく語る。正しく仕事をする。正しく生きる。正しく道に精進する。正しく念じる。正しく反省する。)
(ハ)感謝の気持ち(神に対する感謝、先祖に対する感謝、両親に対する感謝、万生万物に対する感謝)を再確認する。
(ニ)反省は行為によって完結する。同じ誤りを繰り返さないことである。
④神理に適う想念と行為
(イ)菩薩行の実践(問題解決行為、神理伝道行為、衆生済度行為)
神理を行為で示すことが菩薩の使命である。分かりやすく神理を説明し、自ら模範を行動で示すことである。
(ロ)神理を行動の基準として示せること。つまり、「道即法」を具体的に示せることであり、心の中に倫理道徳観を確立することが出来れば6次元である。
(まとめ)
3次元世界において「道即法」「法即行」「行即光」を実践することが中道の道を進むことを意味している。真のメシアが示してくれた「光の道」を自分の心の中に発見し、自分の体験を通して神理の法として確立することが第一である。次に神理の法を行為とするために自らの倫理道徳基準を確立することになる。そして、最後に中道の行為を通して光子を生産することになる。これが光子量最大化の法則である。光子量が増加すれば次元は上昇する。中道の行為を実践することが3次元の課題なのである。
(5)心の財産の法則とは何か?
心の財産は、ある時点で心の器に光子が満たされている状態をストックで示したものである。それゆえ、心の財産は心の資産と心の負債に分類される。
心の財産=心の資産―心の負債=心の資本・・・・⑦
心の資産は悟り度を示し、器の大きさである。慈悲と愛の想念行為により心の資産は宇宙大まで拡大される。心の負債は、カルマの浄化度を示し、自我我欲と自己保存のカルマの発生状況とカルマの浄化状況を表わしている。心の資本は光子量の蓄積状況を表わしている。
悟り度が高くても、カルマの量が多いと心の資本(光子量)が少なくなり、次元は低くなる。悟り度+カルマの浄化が光子を増加させ、次元を高くする。悟り度を拡大するには神理に基づいた体験を多くすることである。カルマの浄化は八正道に基づく反省しかないが、特定の行為をすることも浄化になる。特定の行為とは自分に不足している行為を何度も繰り返すことである。
(6)心の利益の法則とは何か?
心の利益は、慈悲と愛の行為により光子を生産することを示している。
心の利益=実現主義による心の収益―発生主義による心の費用・・・⑧
心の収益は慈悲と愛の行為によるプラスの光子を生産するが、想念した時ではなく実際に行動が実現した時に認識される。心の費用は自我我欲と自己保存の想念行為によるマイナスの光子(スモッグ)を示すが、想念した時に認識される。
心の利益は、心の収益が心の費用を超えている時に、結果として光子を生産する。しかし、心の収益が心の費用を下回る場合はマイナスの光子(スモッグ)を発生させ、蓄えた光子量を食いつぶすことになる。
高橋信次先生が遺産として人類に残してくれた「心行」と「祈願文」は8次元の波動のため、毎日読むことで心の収益を高める効果がある。神理に適った行為と想いは八正道による反省によって養われる。自我我欲と自己保存の想念を毎日、反省し、修正した行為で示すことが光子を増加させる秘訣である。また、悟り度が高くなると、それに伴う反作用としてカルマの領域も広がり、心の浄化をしなければ次元は低くなることに注意しなければならない。
(7)心の監査
心の監査では⑦式から心の資産と心の負債を検討することになる。心の資産は、悟り度であり心の器を決定する。心の負債はカルマの発生・浄化の状況を示しているのでどのくらいあるか判断する。心の資本はその結果、光子量の総計を示しているのでどの次元に相当するのか判断することになる。(勿論これが出来るレベルは如来であるが、プロセスとしてはこのようになる。)⑧式からは慈悲と愛の想念行為(プラスの光子量)と自我我欲と自己保存の想念行為(マイナスの光子量=スモッグ発生量)の対応により、心の利益(光子の生産)が決定される。心の利益は、心の負債の浄化が進めば進むほど光子が生産される。さらに、心の利益を微分することにより、4次元以降の世界へと見聞を広げることも可能である。ちなみに、心の利益を微分するとは心の想念帯の壁を破って霊道を開くことであり、スウェデンボルグのように光子体で5次元以上の世界に移動できるということである。
(心の監査の注意事項)
(イ)心の監査は八正道により毎日、心の利益をチェックすることである。
悟り度は心の器の大きさであり、心の器に光子が満たされた状態が理想であり、心の監査の目指す方向である。ただし、悟り度が高くてもカルマの量が多いと心の次元は低くなるので、心の浄化を中心にチェックしなければならない。堕天使・ルシフェルは如来の器であったが、心の浄化が出来ず、地獄の帝王となっている。八正道によりカルマを浄化させていく以外にないのである。心の資本は光子量の蓄積度を示し、自動的に次元の高さを決定する。心の資産が心の負債を超えなければ、債務超過となり自動的に地獄界で反省しなければならない。心の資産と心の負債が等しい場合は地獄界へは行かず、精霊界へ行くことになる。心の資産が心の負債を超えれば天国(4次元上段階)以上に行ける。
(ロ)10歳頃から自我我欲(我儘)と自己保存(我慢)の意識が目覚める。
生まれた時は、きれいな状態であるが10歳頃から自我に目覚め、家庭環境によって自我我欲と自己保存の意識が顕現化してくる。それゆえ、子供の頃の反省が重要になってくる。
(ハ)バブルは偽りの悟りであり、真の悟りではない。
バブルは心の器が大きくならず、カルマだけが増大した状況である。バブルがはじけ不良債権が発生し、借入金だけが残ってしまう。偽物の宗教家・占い師を信じると悟ったような錯覚に陥るが、不良債権に繋がるので注意しなければならない。このような状態の時、カルマだけが増加したことに気付かないので、心の構造改革が必要である。カルマを浄化するために八正道で反省すること。心の器を大きくする為に神理を学び、6次元の意識を導入することが望まれる。
(ニ)プラス思考でも中道から外れると自我我欲になる。
プラス思考は、どの本でも無条件に推奨していることが多い。しかし、プラス思考でも中道を外れると自我我欲(自信家・怠惰者)のカルマを発生させる。マイナス思考は基本的に自己保存(被害者・卑下者)のカルマを発生させる。しかし、マイナス思考の人でも中道に合わせれば、謙虚な行動となり、足ることを知った生活が出来るのである。プラス思考も中道に合わせなければ自我我欲のカルマを育ててしまうのである。量子力学は「想念が現実を造る」ことを発見したので5次元であるが、無条件に念力ばかりに熱中すると天狗界や仙人界に行ってしまう可能性がある。中道という神の心にあわせることが5次元の課題なのである。
経営分析に面白い手法がある。損益分岐点という言葉を聞いたことがあると思うが、損益分岐点はプラス思考とマイナス思考を示しているのである。損益分岐点とは固定費と限界利益が等しくなる売上高を意味し、損益分岐点を越えれば利益が発生することになり、超えなければ損失が発生することを示している。損益分岐点以上の売上高がプラス思考ということである。損益分岐点以下の売上高がマイナス思考ということである。しかし、収支分岐点という手法が経営分析には存在する。つまり、損益分岐点以上の売上高でも収支分岐点を越えると経常支出が経常収入を超過してしまい、黒字倒産の危機に陥ることを教えているのである。(サービス業のように売上債権、棚卸資産が無い場合は、固定的支出がマイナスにならないので収支分岐点を越えると経常収入が超過となりキャッシュフローが増加する。通常は製造業の場合を想定しているので固定的支出がマイナスになり、限界収入率もマイナスになるので、収支分岐点を越えると支出超過となる。ここでは、心の製造工場を想定しているので、収支分岐点を超えると支出超過となると考える。如来のように「行即光」の実践が出来る人は例外的にサービス業のように収支分岐点以上でも収入超過となると考えられる。)
第2節 心の資産
私が次元という言葉を意識したのは、高橋信次先生の著書に出会ってからである。特に「大自然の波動と生命」では1次元から9次元までの諸相が図解されていた。そして、高橋信次先生が死の直前に悟られた「太陽系霊団の系図」によって初めて高次元の内容が具体的に明らかになったのである。高橋信次先生は、心の領域を具体的に明らかにされ、宇宙即我の境地を言葉で語り、その境地から「心行」を公開された。心行の言霊は天上界最上段階の意識であるとミカ・エル大天使が語っていた。さらに、天上界最高機密である「太陽系霊団の系図」はミカ・エル大天使によって高橋信次先生に明かされた。それは、真のメシアのレベルに到達したからである。高橋信次先生の遺産は人類の宝であり、心の資産である。私は、人類の心の資産である「次元意識」、「心の領域」、「太陽系霊団の系図」について公開したいと考えている。
(1)次元意識から数霊次元説が誕生した。
私は、丹羽透涯先生から丹羽式姓名学を学んでいたので、1から9までの数字の根拠を追究していた。なぜなら、丹羽式姓名学は1から9までの数字で判断し、0を使わない姓名学であったからである。(それに対して、従来からの伝統式姓名学は1から81の数字で判断していた。)高橋信次先生が示してくれた次元は1から9までの次元であった。そのため、1から9までの数意(数字が示す意味)は1から9までの次元の意識に求められるのではないかと直観したのである。そして、私は丹羽式姓名学で学んだ数意と次元意識を比較対照してみたのである。
(丹羽式姓名学の数意)
1―知 2―意 3―情 4―働 5―闘 6―徳 7―流 8―金 9―苦
(次元意識の数意)
1―真(智慧)2―善 3―美 4―調和 5―勇気(正義)6―敬 7―愛 8―慈悲 9―信
その結果、判明したことは丹羽式姓名学で学んだ数意は、カルマを示していることが分かったのである。つまり、次元意識を光とすれば、カルマは3次元に投影された影であった。そして、次元意識において光と影の関係を明確にすれば、占いの判断基準になると閃いたのである。そのような時にベートーヴェンの交響曲が参考になった。例えば、第五交響曲(運命)は、既成の概念を覆す改革の意識を表現している。自己改革の力が5次元の意識である。第六交響曲(田園)は、ベートーヴェンが生涯を通してただ一度の感動的体験によって得た自然との合一であり、神との一体感を表現したのである。神との一体感は6次元にして可能である為、田園は6次元の意識を表現していたのである。第九交響曲は全人類への呼びかけの音楽として意義がある。最終章が異例の分かりやすい音楽であり、苦悩から歓喜へと導く真のメシアの意識を表現したものである。真のメシアは最後に最も分かりやすい方法で人類を導くのである。それが「歓びの歌」である。
私は、ベートーヴェンの交響曲をヒントにして占いの判断基準が次元意識にあることを突き止めた。つまり、「1から9までの数意は、1から9までの次元意識によって決定されている」ということである。その結果、誕生したのが「数霊次元説」である。数霊次元説は占いの判断基準になるばかりでなく、宗教における正法神理の「道しるべ」としても役立つことが分かってきたのである。
次元意識が理解できれば6次元の壁は突破できる。真のメシア・高橋信次先生が示してくれた「光の道」が正法神理であり、その「道しるべ」が次元意識であり三体理論なのである。三体理論は「大自然の波動と生命」の中でモーセによって霊示された「道しるべ」である。真のメシアは第九交響曲のように人類に最も分かりやすい方法(「光の道」と「道しるべ」)を示されたのである。
高橋信次先生を言霊法で解明すると「高次元の世界から信という架け橋をかける人」となる。ブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信を示せるのは真のメシアだけである。それゆえ、高橋信次先生は真のメシアとしての役割を果たしたのである。
光の道→正法神理(イエスの愛、ブッタの慈悲、高橋信次の信)=「心行と祈願文」
道しるべ→次元意識と三体理論(モーセの霊示)
「光の道」と「道しるべ」は次元を貫く法則である。それゆえ、不滅の法といえる。私達にとって、この「光の道」を発見し、真っ直ぐに進むことが次元の壁を突破できる鍵となる。
(2)次元の壁とは何か?
全世界の人類の三分の二は4次元と5次元の出身者であり、残りの三分の一が6次元以上の人達であると言われている。私達は、まずこの事を認識しなければならない。フォトン・ベルト(プラズマ・フィラメント)に地球が完全に入る日が2012年12月22日である。フォトン・ベルトに地球が突入する前に次元上昇(アセンション)することが要求される。このままでは、5次元以下の人達にとって苦痛が伴うことになる。それゆえ、早急に次元の壁を突破しなければならない。バカの壁を破ることが出来れば5次元の壁は破れる。フォトン・ベルトによって地球自体が5次元にアセンションすると言われているので少なくとも5次元の壁は破らなければとんでもないことになると推測できる。次元の壁を突破するには、それぞれの課題を解決しなければならない。次元におけるそれぞれの課題をクリアーできれば次元上昇できる。
①4次元の壁―人間は死によって4次元以降の世界に入る(原則)
人間は死によって3次元から4次元へ移動する。人間の体は三体によって構成されている。その中心は心(霊子体)であり、神と繋がっている。霊子体は光子体が包んでいる。光子体の光子量によって次元が決定される。光子体の光子量が少なければ天上界(4次元上段階以上の世界)に進むことが出来ず、地獄界で反省しなければならない。光子量が増加することによって5次元霊界、6次元神界、7次元菩薩界、8次元如来界、9次元宇宙界へと上昇していく。如来は神の心と同通しているため、霊子体となっている。霊子体で最も光明化しているのが9次元の真のメシアである。高橋信次先生はエル・ランティーであることを悟り9次元宇宙界に存在している。人間は3次元に住んでいる為、肉体を持って出生している。肉体を脱ぎ捨てた状態が光子体の状態であり、人間は死によって4次元の壁は突破できる。ただし、悟りの状態により高次元に行けるレベルの人もいる。宇宙即我の境地になったブッタは7次元菩薩界で「縁生と悟り」について講演している。近年では高橋信次先生が宇宙即我の境地になり菩薩界で「物質と生命」について1時間30分講演している。スウェデンボルグは7次元までしか見聞できなかった。宇宙即我の境地にならなければ8次元以上には行けないからである。宇宙即我の境地にして初めて神の心が分かるのである。人間は死によって3次元から4次元に移動する時、肉体を脱ぎ捨て光子体の体になる。光子体の光子量によって次元が決定されている。3次元にいる4次元レベルの人は目的意識が不足しているので、自分とは何かを追求し、自己確立のために学習することが大切である。その中で自分を磨いていくことが5次元への進化につながる。
②5次元の壁―進化させようとする意識があれば5次元の壁は突破できる
5次元の壁は4次元から5次元に進化する時に破らねばならない壁である。突破するためには、自分自身を進化させようとする意識があること。何が正しいか判断することが出来ること。現状の仕事を分析し、改善できること。自分の得意技を開発しようとすることが必要である。5次元は念力の強化や想念の統一が課題となっている世界であり、それに耐えられることが条件になる。5次元レベルの人は、まだ正しい方向性が分からないので正しい道を探すことが使命となる。正しい方向性でない場合は仙人界や天狗界へ行ってしまうので要注意である。
③6次元の壁―「道即法」を示せることが6次元の壁突破の条件である。
6次元の壁は5次元から6次元に進化する時に破らねばならない壁である。突破する為には、正しい心を発見できること(「光の道」の発見)。次元意識が分かること(「道しるべ」の理解)。人生の目的と使命が分かること。自分の開発した手法が神理に基づいていることを確認できることが条件である。6次元の世界は「道即法」の実践の世界である。真のメシアが示してくれた「光の道」を法として確立することが6次元神界の使命なのである。6次元の人は正法神理を頭で理解できても行為が伴わない為、7次元には行けないのである。
④7次元の壁―「法即行」を示すことが7次元の壁突破の条件である。
7次元の壁とは、6次元から7次元に進化する時に破らねばならない壁である。突破する為には、仕事と正法神理の統合が出来ること。神理伝道の為に「道しるべ」として占いを活用できること。未来の出来事が予測できること。(悪魔も霊能力を駆使するので正しい方向に向いているか検討が必要である。)地獄の救済が菩薩の最大の使命であることを理解していることである。7次元の世界は、仕事や行為により神理伝道するレベルである。つまり、仕事と宗教の統合がなされ、神理を行為で示し、地獄界を無くすことが使命である。「法即行」を実践することが7次元である。ガブリ・エル大天使の生命であるカルビンは、職業と正法の統合を説いて宗教改革をしている。自分の仕事が正法の実践であると認識できるレベルが7次元である。
⑤8次元の壁―「行即光」の実践が出来ることが8次元の壁を突破する条件である。
8次元の壁とは、7次元から8次元に進化する時に破らねばならない壁である。突破する為には、「行即光」の実践が出来ること。行為が光になり行為そのものが神理伝道になっている。存在しているだけで神理伝道が出来るレベルである。霊的能力が最高となり観自在力と漏尽通力が最大限に発揮される。宇宙即我の境地を体験して神の心と同通していることである。8次元の世界は「行即光」の世界であり、如来の在り方を示している。
⑥9次元の壁―「光即道」を示せることが9次元の壁を突破する条件である。
9次元の壁は、8次元から9次元に進化する時に破らねばならない壁である。真のメシアだけが「光即道」を示すことが出来る。また、霊子(心)の発見が出来ることは、9次元レベルである。暗黒の世界にあって神理の道を示すことが真のメシアの使命である。それも最も分かりやすい方法で示さなければならない。
光の道=正法神理は「心行」「祈願文」によって分かりやすく表現されている。「心行」「祈願文」はベートーヴェンの「歓びの歌」に該当する。
道しるべ=次元意識と三体理論は「光の道」を進むときに役立つ指針となるものとして示されたものである。
真のメシアが示された「光の道」や「道しるべ」を受け取れるレベルの人達が6次元以上である。残念ながら6次元以上のレベルの人達は全人類の三分の一しかいない。しかし、私は誰でも6次元まで次元上昇できると信じている。
(3)真のメシアの存在証明
私は、高橋信次先生の著書に出会い「心の発見」「心の原点」「人間釈迦」を読んだ時、高橋信次先生はお釈迦様であると思った。私が、最初に高橋信次先生の講演会に参加した時、心の中で「先生はお釈迦様ですか?」と質問した。その時は何もなかったが、しばらくして八起ビルの講演会に行った時に、信次先生が私の顔を見て次のように言った。「講演会の時、私に向かって、大きな声であなたはお釈迦様ですかと呼びかけた人がいた。」と言うのである。私は驚いてしまった。私が心の中で思ったことにすぎなかったことが信次先生にとって大きな声に聞こえたと言うのである。しかも信次先生はおどけた格好で「ビックリした」と連発し、次のように語った。「私は、ただの電気屋です。お釈迦様ですかと聞かれてビックリした。もし、あなたが心の窓を開いて悟ったならば、私が誰であるか分かります。それまで私はただの電気屋です。」
高橋信次先生は、この様に語り、私の前に来られて、しばらく話されていました。その時の私は言葉に表現できない感動がこみ上げてきて、これ以上ない深い感動を体験しました。私は、その時「信次先生はお釈迦様である。」と確信したのでした。
1976年6月25日に信次先生は他界し9次元宇宙界に帰還されました。その直前にミカ・エル大天使が出現し、高橋信次先生は真の悟りを得られたのでした。それが、「太陽系霊団の系図」である。高橋信次先生は真のメシアの存在を全人類に示す為に出生してきたのである。「高次元の世界から信という架け橋をかける人」という言霊法で解明できる使命を果たされ「光の道」と「道しるべ」を示されたのである。また、ブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信として真の指導者の生き方を初めて人類に示されたのである。そのため、9次元の意識も明確になったのである。高橋信次先生は「道即法」「法即行」「行即光」「光即道」と具体的に次元の鍵を示されました。「道即法」は6次元レベル、「法即行」は7次元レベル、「行即光」は8次元レベルの指針を示されたのである。そして、真のメシアは「光即道」を示さなければならなかったのである。それも最も分かりやすい方法で示さなければ真のメシアの使命は果たせなかったからである。(如来レベルでも最もシンプルな方法を示すことは難しいのである。)
(4)太陽系霊団の系図
高橋信次先生のところにミカ・エル大天使が出現し「主よ、主よ」とミカ・エル大天使が呼びかけた時、信次先生は全てを悟られたのである。それが「太陽系霊団の系図」である。「太陽系霊団の系図」の中心に神の光をプリズムにかけるエル・ランティーがいる。エル・ランティーは人類最高責任者であるが、神ではない。エル・ランティーは9次元宇宙界に霊太陽・真のメシアとして存在している。エル・ランティーの光の分霊としてアガシャー(イエス)、カンターレ(ブッタ)、モーセの三神(メシア)がおられる。地上に出たイエスはエル・ランティーを指しエホバと呼び、ブッタはブラフマンと呼び、モーセはヤハウェと呼んだ。現代文明の源流は文証(ブッタ)、理証(イエス)、現証(モーセ)による宇宙の法の確立にあった。しかし、この三神(メシア)の背後にはエル・ランティーの光があったからである。光の直系はエル・ランティーの下に7大天使が配置されている。エル・ランティーの光のプリズムを通すと7色の光が、それぞれの人格を持たれた姿になる。7大天使の天使長がミカ・エル大天使であり、太陽界(8次元上段階)に存在している。ミカ・エル天使長は如来界と宇宙界を繋ぐ光の直系であり、真のメシアの助力者である。6大天使の筆頭にガブリ・エル大天使がいる。ガブリ・エル大天使はミカ・エル天使長、イエス、ブッタ、モーセに報告するための通信・伝達の業務を担当している。次いでウリ・エル大天使は政治・経済・自治を担当し、サリ・エル大天使は医学・薬学を担当し、ラグ・エル大天使は立法を担当し、パヌ・エル大天使は科学全般を担当し、ラファ・エル大天使は芸術・文学・歴史を担当している。大天使の側面からの助力者としてガブリ・エル大天使の下にセラ・ビム(菩薩)、ケル・ビム(諸天善神)の光の天使がそれぞれ数百名ずつ配置されている。アラーを信奉したマホメットはガブリ・エル大天使の直接指導を受けた。アラーはエル・ランティーを指した呼び名である。そして、高橋信次先生の高次元の名はエル・ランティーと呼ばれている。
大天使ミカ・エルはアポロとして生まれ正法を説いた。また、エリアとしてバールの邪神と戦っている。近年にはルターとして宗教改革をした。大天使ガブリ・エルも舎利仏としてブッタの一番弟子として活躍した。近年にはカルビンとして宗教改革をした。さらに、ワシントンとしてアメリカ初代大統領として生き、日本においては西郷隆盛として生まれ、高橋信次先生の弟子・園頭広周師として生まれている。園頭広周師を言霊法で解明すると「エデンの園の頭として正法を周囲に広める人」であり、ガブリ・エル大天使の役割が正法流布であり、諸菩薩・諸天善神の指導であることを示している。パヌ・エル大天使は聖徳太子として生まれている。ラファ・エル大天使はルネッサンスの画家ラファエロとして生まれている。ラファエロは芸術のあるべき姿を絵画によって示した。芸術とは高次元の意識を3次元に投影したものであり、心に感動を与えるものでなければならないことを示したのである。地獄界の諸相を投影したものは芸術ではない。文学や音楽に地獄の諸相を投影したものが沢山あるので再考が必要である。
(5)次元意識
「太陽系霊団の系図」により、初めて高次元の世界の意識が示された。それまでは、6次元の意識までが解明されていた。高橋信次先生によって初めて7次元以上の意識が示されたのである。各次元の意識の本質を示すと次のようになる。
①9次元宇宙界は救世主の世界であり、救世主として全人類を救うことが使命である。真のメシアが肉体を持ったことにより、初めて9次元の意識が明らかにされた。それが「信」である。指導者のあり方を示し、全人類に最も分かりやすい方法(「光の道」と「道しるべ」)を示され、ブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信として示された。「光即道」の実践が出来ることが真のメシアの条件である。「高次元の世界から信という架け橋をかける人」が高橋信次先生であり、真のメシアの証明である。
②8次元如来界はエル・ランティーの光の直系として衆生を済度する役割を持っている。3次元現象界に肉体を持ち、慈悲と愛を説き、衆生を救って天上界に真っ直ぐに還って来るので如来といわれている。如来は宇宙の法を説くことにより、多くの衆生を救っていくことが使命であり、「行即光」を実践できる世界が8次元である。8次元の意識はブッタの説いた慈悲である。
③7次元菩薩界は神理伝道の長としての役割を持った世界であり、現象界に肉体を持った時には如来の補助者として活躍し、如来が出生していない時には如来に代わって正法を説くことになる。7次元は如来の補助者として神理伝道に精進することが本質である。地獄界を救済することが菩薩の最大の使命である。神理伝道の為に自らを犠牲にして他人のために奉仕する行為が菩薩の行為なのである。「法即行」の実践が7次元である。7次元の意識はイエスの説いた愛である。愛の意識によって菩薩行をすることが使命である。
④6次元神界は光の天使の予備軍として3次元進化の推進者としての役割を持っている。光の天使になる為には自己確立が必要であり、神理伝道がスムーズに出来るように神理学習が課題となっている。徳を積まなければ神理伝道は出来ない。「実るほど頭の下がる稲穂かな」の心境が必要である。6次元の本質は「敬」と判断できる。目上を立て、敬い、秩序を重視し、「道即法」を実践できる世界が6次元である。真のメシアが示された「光の道」を発見し、その道を真っ直ぐに進むことが法の確立に繋がるからである。
⑤5次元霊界は非常に多くの霊が住んでいる世界であり、霊性開発を目的としている。この世界は自分で殻を破ることが必要で、勇気を出して己に克つ努力をする世界である。5次元の本質は「勇気」であり、「正義」である。この世界の住人は、真のメシアが示された「光の道」を早く発見することが課題である。「光の道」を発見できない霊人は心の在り方が分からず反省が出来ない為、いつまでも5次元以上には進めない。自分の中に神と霊子線で繋がっている自分の心を発見すれば6次元に進化できる。
⑥4次元幽界は、まだ完全に霊性に目覚めていない為、不調和な世界をも創造してしまった。幽界の一部に地獄界を創ったのも心の調和を図っていなかったからである。8次元の大天使であったルシフェルも3次元に執着を持った為に、天上界に帰れなくなり、地獄の帝王として君臨している。3次元が混乱すればするほど地獄界にとっては生活の場が広がる為、破壊作用をしているのである。4次元の本質は心の調和を図ることであり「調和」である。
⑦3次元現象界の目的は、神の国・ユートピアを創ることであり、己のカルマを修正することである。ユートピアの具現は究極の芸術である。芸術の目指すところは美であり、3次元の意識は「美」といえる。
⑧2次元の世界は善悪二元論の世界であり、道徳の完成を目的とする。それゆえ、悪を捨て、善を取る意識が大切であり、2次元の意識は「善」といえる。
⑨1次元の世界は一元論の世界であり、真理(神理)追究しかない。それゆえ、1次元の意識は「真」である。
(6)三体理論
①高橋信次先生の著書「大自然の波動と生命」の中で三体理論が説かれている。この理論は、すべての物質は三体から構成され、陽性(肉体)、陰性(表面意識)、中性(潜在意識)に分類される。陰陽五行説は中性の存在を度外視した為、6次元以上の「光の道」には繋がらない。中性は潜在意識を意味し、天上界との繋がりを示したものである。また、波動のリズムは年の波動を9年周期としている。12年周期の占いは根本的に間違っているので修正が必要である。月の波動は12ヶ月周期である。日の波動は年の波動と同じ9日周期となっている。時の波動は「大自然の波動と生命」には書いてなかったが、月の波動と同じく、12時間周期であると考えられる。
②三体理論は将来に起こりうる現象の近似値を見つけ出す為の説明であり、神理と科学の一致を証明するものである。それゆえ、三体理論を絶対視することは無く、あくまでも近似値であることを忘れてはならない。完全に予測できるのは如来以上のレベルが必要であり、観自在力を発揮し、潜在意識の中の想念帯を読まなければならないからである。その時、潜在意識の中の守護霊が、全ての情報を伝える仕組みになっているからである。守護霊の情報により完全な預言が可能となるのである。
③大自然の三体現象に数を代入し、波動の近似値を知ることが出来る。近似値というのは過去世のカルマや後天的なカルマや肉体の持つ因果による内部抵抗があり、100%の生命力が発揮できない為である。しかし、自然の理法を悟って自分の使命を知り、慈悲と愛の調和された環境を創っていけば運命に左右されず自由自在に活動することが出来る。それゆえ、従来の間違った占いに惑わされてはならない。間違った占いに限って占いを絶対視していることを指摘したい。結論として、大自然の循環やその他の事象と関連している問題を観察することにより、未来に起こりうる現象の近似値を見出すことが出来る。大自然の波動と生命の関係を解き明かしたのが三体理論である。私は三体理論を基にして「誕生日占いー生年月日の波動と数意」を出版している。
(7)心の領域
①霊子体の中に心があり、心には形がある。
脳神経回路に神が存在すると言っている人がいるが残念ながら間違いである。脳は肉体にあり、心は肉体に無い。霊子体に心がある。神は心の中に存在する。心は本来、丸く大きな風船のように立体的なものである。心の中心に「想念」があり、左に「本能」、右に「感情」、上に「智性」、下に「理性」があり、それが「意志」に伝達されるのである。表面意識と潜在意識は想念帯という壁に遮られている。想念が記憶されるのは想念帯である。表面意識と想念帯が浄化されると想念帯の壁が崩れ、心の内部の潜在意識が表面意識に流れ出してきて、これまで学んだことの無い過去世の言葉や智慧が生じてくる。これが霊道を開くという現象である。しかし、心の悟りが無い状態で霊道を開くと、動物霊や地獄霊に憑依される可能性が高いので八正道による反省が必要なのである。
②心を立体的に見ると、心の根元部は想念をはじめ本能、感情、智性、理性の各機能が一つに集約されてしまう。宇宙即我の大我は心の根元部に表面が繋がり発現された姿である。
③心の各機能の説明
1.想念とは円である心の中心部に位置し、エネルギー活動の場のことである。あの世で補給したエネルギーが貯えられ、その貯えたエネルギーを放出しながら想念活動をしていく。人間の想念も神から与えられたエネルギーを動力とし、肉体を動かし意識活動が出来るように仕組まれている。
2.本能とは生物が、この地上で生きていく上において、神が与えた最低の必須条件である。飲食本能と性本能を基本に、この地上を調和させていく為の原動力である。表面意識は欲望につながっている。本能的欲望は本能を軸に感情と智性が働くので起こる。潜在意識の本能は地上のユートピアを造る基礎である。本能には喜びがあり、この喜びを報恩の行為に繋げることが本能の姿である。
3.感情は行動の源泉であり、表面意識は喜怒哀楽を現わしている。潜在意識は感動・感謝の豊かな情操と調和である。
4.智性とは考える能力であり、表面意識は知識である。表面意識は五官という感覚を基礎にしているので混乱の原因となる。潜在意識は智慧であり、理性の働きが強く作用する時に現われる。
5.理性は物の道理を判断する能力であり、表面意識は経験的だけに視野が狭い。潜在意識は転生の経験があるので正しい判断が出来る。
6.意志は具体的行動を意味する。(表面意識の場合)本能が意志に伝わると愛欲、エゴ、闘争に流れる。感情が意志に伝わると争い、怒り、衝動的になる。智性が意志に伝わると独善に流れる。(潜在意識の場合)ユートピアの実現に対する自覚があり、心の各機能が相互に関連し、理性を通して意志に伝わると本来の使命に目覚める。
第3節 心の負債
心の負債は、カルマの浄化度の状況及び自我我欲と自己保存の黒い想念行為によりカルマの発生状況を示している。つまり、過去世のカルマと現世のカルマの状態と浄化度を示している。人間は、生まれた時から恩を受けて育っているのであり、その恩をお返しする義務を自動的に負っているのである。報恩の行為が心の負債を返済する条件なのである。人間は報恩行為、社会に対する報恩行為をしない限り心の負債は残高として残ったままになる。少しでも報恩行為で心の負債を返済することが望まれる。
-
自我我欲と自己保存の発生するプロセス
人は、この世に誕生し、0歳~2歳ぐらいまでは自我(エゴ)は発生しない。この時期の子供は、前世で修正されていないカルマが残っていて、そのカルマに影響されて、いろいろな性格が発生してくる。2歳~6歳ぐらいにかけて、自我(エゴ)の方向性が定まっていく。家庭環境により、我儘な子供と我慢強い子供に分かれてくる。さらに、我儘な子供は、自分の我儘を他人にまで及ぼす自信過剰なタイプと自分の範囲内に止める自己満足なタイプに分けられる。我慢強い子供は、防御意識から他人を攻撃するタイプと自分を責めるタイプに分けられる。
自我(エゴ)―陽性のエゴ(我儘)―自信家→自信過剰、ワンマン、支配欲、誇大妄想
地位・名誉欲、自己中心
―怠惰者→大勢順応、日和見的、甘え、あきやすい、
移り気、注意散漫、平和主義
―陰性のエゴ(我慢)―被害者→敵愾心、暗い性格、人を信じない、
すぐ怒る、意志が強い、他人を攻撃する
―卑下者→閉鎖的、内向的、現実から逃避、孤独
おとなしいが強情、自分を責める
-
陽性のエゴ(我儘)=自我我欲の発生プロセス
家庭環境が裕福で大事に育てられた場合は、我儘に育つ。
6歳~10歳→(自信家)好き嫌いが激しくなる。自己中心的となる。
(怠惰者)人にすぐ甘える。物にあきやすい。移り気である。勉強を
したがらない。
10歳~20歳→(自信家)物事の是非を好き嫌いで決めてしまう。人柄は開放的で
外にばかり興味を示し、直情傾向となる。
(怠惰者)注意力が散漫になり、意志が弱い。
20歳~30歳→(自信家)物に感謝すること無く、劣等感や優越感にすぐ浸る。
虚栄心が強い。
(怠惰者)人を信じ、人の顔色を見る。日和見的である。
30歳~40歳→(自信家)地位・名誉に執着を示す。自己宣伝したがる。
人と話が合わないとすぐ怒り出す。
(怠惰者)意見は言うが、多勢の意見に従う。すぐ妥協する。
40歳~50歳→(自信家)ワンマンになりやすく、短気となる。建前を重んじ
物に執着する心が強くなる。
(怠惰者)人とは争わず平和主義を貫く。
50歳~70歳→各年代別に出てきた性格が発生してくる。最も心に根ざした性格が
70歳になると表面化する。子供と衝突し孤独に陥る。
-
陰性のエゴ(我慢)=自己保存の発生プロセス
家庭環境が厳しく冷たい家庭に育つと忍耐強く我慢強い性格が育つ。
6歳~10歳→(被害者)友達が少なく閉鎖的で敵愾心が強い。
(卑下者)妬みが強く、おとなしいが強情
10歳~20歳→(被害者)出世して友達を見返してやりたいという気持ちが強い。
意志が強く、人一倍勉強する。
(卑下者)自然と無口になり冷たい人柄になっていく。内向的
性格が表面に出てくる。
20歳~30歳→(被害者)暗い子供時代を過ごしてきたので人を信じない。孤独と
なり、職業も個人の能力が伸ばせるものを選択する。
(卑下者)物事は控えめだが、好奇心が強い。心の安定を望んでいる。
物事が逃避的傾向となる。
30歳~40歳→(被害者)仕事中心主義で家庭にあっては厳しい父親、冷たい母親
ができる。強情な性格なので怒り出すと止まらない。
(卑下者)困難になっても忍耐強く内向的性格のため計画性に富む。
40歳~50歳→(被害者)自己中心の傾向が強く、人と妥協せず、人の失敗を許さ
ない。家庭は冷たく、いつも孤独である。男の場合は
仕事が生きがいになる。
(卑下者)自分の人生を振り返り、失意の念にさいなまれる。
何かあると、すぐ落ち込む傾向がある。
50歳~70歳→各年代別に出てきた性格が発生してくる。我慢の性格が出ると子供は
自然に離れていき、晩年は子供時代の暗い環境と似た心境で一生を終
える。
人はこの両方の性格を合わせ持ち、失敗と希望の人生の中で、その性格を造り上げていく。現在の欠点が、どの年代に造られたのか見ていくと、自分のエゴが陽性(我儘)か陰性(我慢)か把握できる。陽性のエゴは楽観的思考(プラス思考)の自我我欲であり、神の心(中道)から外れている。それは、積極的な自我我欲である自信過剰の自信家タイプと消極的な自我我欲である自己満足の怠惰者タイプに分けられる。陰性のエゴは悲観的思考(マイナス思考)の自己保存であり、神の心から外れている。それも積極的な自己保存である被害者タイプと消極的な自己保存である自虐者意識の卑下者タイプに分けられる。
-
陽性のエゴ(我儘)=自我我欲のチェックリスト
(子供時代)
-
人の物が欲しくて、よく母親を困らせた。(自信家)
-
遊びに夢中になり、勉強などしなかった。(怠惰者)
-
勉強の出来ない子を、いつも見下していた。(自信家)
-
両親から褒められるより、学校の先生に褒められる方がうれしかった。(自信家)
-
友達同士の間では自分が常にリーダーでないと気がすまなかった。(自信家)
-
人から褒められることを願い行動した。(自信家)
-
友達の前では知らないことでも知っている振りをした。(自信家)
-
大げさな事を平気で言い、自己顕示欲が強かった。(自信家)
-
友達に自分の考えを押し付けた。(自信家)
10、勉強が嫌いなので早く大人になりたいと思っていた。(怠惰者)
11、泣いて訴えれば母親は何でも聞いてくれた。(怠惰者)
12、勉強するより遊んでいる方が好きだった。(怠惰者)
13、嫌いな子が来ると仲間外れにした。(自信家)
14、学校が終わっても、夜遅くまで友達と遊んでから家に帰った。(怠惰者)
15、母親は何でも言うことを聞いてくれたので、我儘になっていた。(自信家)
16、いつも自分が中心でないと気持ちが悪かった。(自信家)
17、何でも自由になったので人を見下す癖がついてしまった。(自信家)
18、友達の心を傷つけるようなことを平気で言った。(自信家)
(親の立場からの自分と子供の関係)
-
子供の勉強が気になって仕方がない。子供にいい学校に入れてやりたい。(自信家)
-
子供が泣かされてくると相手の家に怒鳴り込んでしまう。(自信家)
-
我が子でも好きな子供と嫌いな子供がいる。(自信家)
-
子供の成績は気にならない。人生はなるようにしかならないと諦めている。(怠惰者)
-
子供の前でも平気で夫婦喧嘩をする。(自信家)
-
子供を自分の枠に引き入れる。(自信家)
-
自分の人生観を子供に聞かせる。(自信家)
(夫婦・男女問題)
-
愛情は肉体関係が主であると考える。(自信家)
-
夫婦は喧嘩するほどに密度を増すものと考える。(自信家)
-
仕事に夢中な夫は、私を少しも構ってくれない。(怠惰者)
-
気の優しい夫より暴力をふるっても逞しい男が好きだ。(怠惰者)
-
女は黙って男についていけば良い。(自信家)
-
夫を自分の思う通りになれば良いと思う。(自信家)
-
経済的能力のある男だけが夫たる資格者だ。(自信家)
-
夫に何か言われると弁解しなければ気がすまない。(自信家)
-
女は子供と同じで時には体罰を加えないと言うことを聞かない。(自信家)
10、地位の高い男性を見ると憧れてしまう。(怠惰者)
11、好きな女性を見ると行動的になる。(自信家)
12、女性を見ると自然に想像が働いてしまう。(怠惰者)
13、女性を見ると、つい騙したくなる。(怠惰者)
14、女性を見ると軽蔑したくなる。(怠惰者)
15、女の幸福は男次第だと思っている。(怠惰者)
16、金を儲けるのは好きな女性を独占したいからだ。(自信家)
17、女性の関心を得るには金が一番早いと考えている。(自信家)
18、男性の前では出来るだけいいところを見せる。(自信家)
19、朝と晩では思うこと考えることが違っている。(怠惰者)
20、気の優しい女性よりも容姿の美しい女性に気が引かれる。(自信家)
(職場と自分)
-
学歴と能力不足から、いつも劣等感に悩み続けた。(怠惰者)
-
計画を立てても思い通りにいかない。だから、思いつきで仕事をする。(怠惰者)
-
人の上にどうしても立ちたい。(自信家)
-
人に使われているのが堪え難い。(自信家)
-
仕事に熱中するが、すぐ冷めてしまう。(怠惰者)
-
自尊心から抜けきれない。(自信家)
-
自分はすぐ自信過剰に陥る。(自信家)
-
失敗しても相手が女性だと寛容になる。(怠惰者)
-
肩書きがいつも気になる。(自信家)
10、自分の利益につながらないとやる気が起きない。(怠惰者)
11.職場では虚栄を張ってしまう。(自信家)
12、相手が上司だと考えもせず、すぐ信じてしまう。(怠惰者)
13、上司のいる時は仕事をし、いない時には手抜きをする。(怠惰者)
14、上司に注意されると、つい言い訳を言ってしまう。(怠惰者)
15、人の顔色を見て話す。(怠惰者)
16、同僚や上司の噂に興味を持つ。(怠惰者)
17、弁舌に自信があるので、つい多弁になってしまう。(自信家)
18、自分の知識をひけらかしてしまう。(自信家)
19、自己満足に陥りがちである。(怠惰者)
20、行動と考えがいつも違っている。(怠惰者)
21、人と議論をするのが好きだ。(自信家)
22、不用意な発言が多く、いつも悔いてしまう。(自信家)
23、職場では、いつも活気に満ちた振りをしている。(怠惰者)
24、交際の範囲は利害打算により決めている。(怠惰者)
25、公的な場でも私情が入ってしまう。(怠惰者)
26、学歴のない人を見ると見下してしまう。(自信家)
(自分の欠点と性格)
-
働くことに興味が持てない。(怠惰者)
-
人を信じてしまい、後で後悔する。(怠惰者)
-
自分に甘く相手に厳しい。(自信家)
-
思い通りにならないとイライラする。(自信家)
-
地位・名誉が気になって仕方がない。(自信家)
-
金銭欲から離れなれない。(自信家)
-
個人の金銭欲が世の中を動かしている。(自信家)
-
親子でも夫婦でも金だけは別だ。(自信家)
-
物事はすべて金で解決される。(自信家)
10、他人には厳しいが身内には寛容になる。(自信家)
11、変わった洋服を見るとすぐ買いたくなる。(怠惰者)
12、自分が考えるよりも他人に考えてもらった方が楽だし、間違いがない。(怠惰者)
13、人前に出ると自分の意識を飾ってしまう。(自信家)
14、人前に出ると自己主張が強くなる。(自信家)
15、人前に出ると話さなくても良いことまで話してしまう。(自信家)
16、人の話を横取りして話を独占してしまう。(自信家)
17、経済的観念が乏しい。(怠惰者)
18、好き嫌いの感情で意志を決めてしまう。(自信家)
19、人の話を真面目に聞いた振りをして、腹の中で笑ってしまう。(自信家)
20、物事に執念を燃やす。(自信家)
21、自分は、すぐ駄目と諦めてしまう。(怠惰者)
22、物事に決心が容易につかない。(怠惰者)
23、情に流されてしまう。(怠惰者)
24、大勢の前だと自分の考えが言えず、多勢に押し流されてしまう。(怠惰者)
25、欲望がなければ世の中は進歩しないと考える。(自信家)
26、人におだてられると乗ってしまう。(自信家)
27、欲望がなければ生活できない。(自信家)
28、決心しても人の話を聞くと決心が変わる。(怠惰者)
29、新しいものに気が奪われる。(怠惰者)
30、将来よりも現実の目先のことに心が奪われる。(怠惰者)
31、本を読むより話を聞く方が楽だ。(怠惰者)
32、他人が困っていても知らない振りをしてしまう。(怠惰者)
(3)陰性のエゴ(我慢)=自己保存のチェックリスト
(子供時代)
-
弟(妹)ばかり可愛がる父親(母親)が憎かった。(被害者)
-
兄(姉)が良く意地悪するので喧嘩ばかりしていた。(被害者)
-
友達から意地悪されると腹が立ち喧嘩をした。(被害者)
-
友達が遊んでくれなかったので家の中で絵本ばかり読んでいた。(卑下者)
-
学校の先生に指名されるのが怖くて教室では小さくなっていた。(卑下者)
-
学校での出来事は家では話さなかった。(卑下者)
-
学校の先生は両親より怖かった。(被害者)
-
いじめっ子がいたので、いつも小さくなっていた。(卑下者)
-
母親は愚痴ばかりこぼしていた。母親が可哀想で父親が憎かった。(被害者)
10、父親は怒りっぽく怖かった。(被害者)
11、父親を見ると闘争心が沸いてくる。(被害者)
12、学校から家に帰っても母親がいなかったので淋しかった。(被害者)
13、両親が喧嘩をすると母親の味方をした。(被害者)
14、父親の前では自由に話が出来なかった。(卑下者)
15、貧乏な家庭に育った私は、金持ちになり見返してやろうと思った。(被害者)
16、父親は仕事で家にいないので、他人のように見えて仕方がなかった。(卑下者)
17、遊んでいるより勉強している方が好きだった。(卑下者)
18、体が弱かったので友達と遊ぶことも出来ず、皆がうらやましかった。(卑下者)
(親の立場からの自分と子供の関係)
-
子供の養育は妻の責任と考え、すべて任せっ放しだった。(被害者)
-
子供が我儘なのは妻のせいと考えていた。(被害者)
-
子供の前では嘘をついてしまう。(卑下者)
-
子供は厳しく躾けるものだ。(被害者)
-
おとなしい子供に好意を持ってしまう。(卑下者)
-
自分の言うことを聞かない子供が憎くて仕方がない。(被害者)
-
子供のためなら何でもしてやる。(卑下者)
-
子供の学校で成績が気になり、成績が良いと安心し、悪いと不安になる。(卑下者)
-
子供に勉強を強要する。(被害者)
10、PTAに一度も出たことがない。(卑下者)
11、子供の教育、躾は学校に一任しておけば良い。(被害者)
12、我が子だけは安心といった子煩悩である。(卑下者)
(夫婦・男女問題)
-
夫の浮気は許せない。(被害者)
-
掃除も満足に出来ない妻にいつも悩む。(被害者)
-
家に帰ってくるまで夫が心配で苦しんでしまう。(卑下者)
-
何としても「有難う」と言わない夫が憎くて仕方がない。(被害者)
-
家庭に閉じ込められた妻の私は不満でたまらない。(被害者)
-
男に勝つには口で言い負かすしかない。(被害者)
-
私さえ我慢すればと、いつも悩み続ける。(卑下者)
-
私ほど不幸な者はいないと被害者意識に襲われる。(被害者)
-
妻の顔を見るのがいやで仕方がない。(卑下者)
10、夫の賭け事に悩むがダラダラと苦しい生活を続けている。(卑下者)
11、私に優しい夫を傷つける者は誰であろうと憎んでしまう。(卑下者)
12、家庭こそ女の幸せと考える。(卑下者)
13、相手が女性だと警戒心が出てくる。(卑下者)
14、男性の前に出ると思うように話が出来ない。(卑下者)
15、女性の前に出ると思うように話が出来ない。(卑下者)
16、男性の前だと言えるが女性同士だと遠慮しがちになる。(被害者)
17、好きな男性が他の人と話していると嫉妬心が沸いてくる。(卑下者)
18、精神的な思いやりだけが愛だと考えている。(卑下者)
(職場と自分)
-
同僚が仕事に追われ困っていても自分の仕事だけやっていれば良い。(卑下者)
-
出世のためには同僚の陰口を多く話してしまう。(被害者)
-
同僚や後輩に先を越されたくないと思い、仕事に夢中になっていた。(被害者)
-
自分は学歴がないから人の二倍も働いて上司から認められたいと願っていた。(被害者)
-
学歴が気になって仕方がない。(被害者)
-
上司の前に出ると自分の思っていることの半分も説明できない。(卑下者)
-
自分の思うようにならない部下を見るとガミガミ言ってしまう。(被害者)
-
人と共同して仕事をするのは苦手だ。(被害者)
-
会社の同僚には決して自分の胸のうちを明かしたことがない。(卑下者)
10、職場に対する不満が絶えない。(被害者)
11、生活のために、いやな職場でも我慢するより仕方がない。(卑下者)
12、口は災いの元だから、余り話さないことにしている。(卑下者)
13、人の欠点が目に付いて仕方がない。(被害者)
14、友人が失敗すると胸がスーッとする。(被害者)
15、人との競争意識から抜け切れない。(被害者)
16、理屈で相手を言い負かす癖がある。(被害者)
17、仕事の鬼と言われると気持ちが良い。(被害者)
18、自分の真面目さを人にも求める。(被害者)
19、人の後にいて眺めている方が安心できる。(卑下者)
20、どういうわけか独り合点になりがちである。(卑下者)
21、上司に断りもなく、独断専行してしまう。(被害者)
22、自分さえ我慢すれば平和であると思っている。(卑下者)
23、褒められるとうれしく、貶されると相手が憎くなる。(被害者)
24、失敗しても、頬かぶりしてしまう。(卑下者)
25、自分の弱点は上司でも同僚でも見せたことがない。(被害者)
26、自分は貧乏くじを引き、人の嫌がる仕事を引き受けていると思う。(卑下者)
(自分の欠点と性格)
-
すぐ人を責めてしまう。(被害者)
-
消極的、否定的、悲観的発言が多い。(被害者)
-
悪い事をしたと思っても子供や妻の前では誤れない。(被害者)
-
人の幸せが嫉ましい。(被害者)
-
心配や後悔に、つい多くの時間をかけてしまう。(卑下者)
-
自分の立場を守る為に嘘をついても正当だと思っている。(被害者)
-
家庭で妻や子供と話し合うことが少ない。(卑下者)
-
商売で金を儲けるためには、人を騙しても平気である。(被害者)
-
身内には厳しいが他人だと寛容になる。(卑下者)
10、ぼろを着ていても、少しも気にならない。(卑下者)
11、人の話は疑ってかかることにしている。(被害者)
12、人前に出ると悪ぶる癖がある。(被害者)
13、人前に出ると遠慮してしまう。(卑下者)
14、人はよく頑固だと言うが自分ではそう思わない。(被害者)
15、物事は理屈が立たないと割り切れない。(被害者)
16、世の中が悪の塊のように思えて仕方がない。(被害者)
17、霊的関心が人一倍強い。(卑下者)
18、現実的事柄の解決に霊的因果関係を結びつけ手解決する癖がある。(卑下者)
19、猜疑心が強い。(被害者)
20、人の話が直に聞けない。(卑下者)
21、人の悩みより自分の悩みに追われてしまう。(卑下者)
22、一度思い込むと、その考えから離れられない。(卑下者)
23、悲しいことは、いつまでも心から離れない。(卑下者)
24、自分の意志に逆らう者はいつまでも頭から離れない。(卑下者)
25、人に悪口を言われるとすぐカッとなる。(被害者)
26、理屈で理解できないことは認めないことにしている。(被害者)
27、金のない者、地位の低い者の近くには寄らないことにいている。(卑下者)
28、家に帰るとやっと自分に戻る。(卑下者)
29、人に命令するよりも命令されている方が楽である。(卑下者)
30、自分の弱味に関係がある話題が出ると、たまらない屈辱感に襲われる。(被害者)
31、使えるものでも、すぐ捨ててしまう癖がある。(卑下者)
32、一人でいると空想にふけってしまう。(卑下者)
これ以上にも自我我欲と自己保存は、まだ沢山考えられる。自我我欲と自己保存のカルマを浄化する対策は、八正道以外に無いが、自分のカルマと反対の行為をすることにより、カルマを中和させることも考えられる。それが、次の対策である。
自我我欲でプラス思考が強いのが自信家タイプであり、プラス思考が弱いのが怠惰者タイプである。自信家対策として、相手の立場を尊重して行動することが求められる。具体的には、相手が伝えたいことに耳を傾け、相手の立場を尊重し、一緒に物事に取り組んでみることである。自分にとって損であると思えることも、全体のために心を尽くすことをすることによって、自信家のカルマは中和される。
怠惰者対策としては、集中して仕事を継続していくことである。自分の気持ちを言葉にして相手に伝え、本当に大事なことに集中して継続していくことによって、怠惰者のカルマは中和される。
自己保存でマイナス思考が強いのが被害者タイプであり、マイナス思考が弱いのが卑下者タイプである。被害者対策としては、和願愛護で心を開くことが必要である。愛する気持ち、大切にする気持ちで、全ての人と対処し、感情をコントロールし、怒りや不満を鎮め、相手に心を開いて信頼関係を築いていくことが、被害者のカルマを中和することになる。
卑下者対策としては、諦めず、自信を持って頑張ることが必要である。自分が主体的に自己責任で必ず実現するのだと強く心の中に念じて、頑張っていくことである。そして、自分の方から出かけて、相手のために貢献することが卑下者のカルマを中和することになる。
こうした対策は、八正道の実践と同時並行して行うことが、カルマの浄化につながると思われる。
さらに、呼吸法を学ぶ必要がある。呼吸法については、いろいろな人が伝えているが、私は、合気道の達人・藤平光一(とうへいこういち)師の気の呼吸法をお勧めしたい。藤平師は、合気道の名人・植芝盛平師の弟子で、植芝師から十段位を授けられた天才である。植芝盛平師は武道の立場から宇宙即我の境地を体験した神人である。その一番弟子が藤平師なのである。
(藤平式気の呼吸法)
まず、統一体で正座する。足の両親指を重ね、両膝は拳が二つ入るぐらい開き、両手は股の上に軽く乗せる。背筋を伸ばし、臍下の一点に心を鎮め、全身の力を抜く。次に、目を閉じ、口を軽く開き、「ハー」の音を小さく出して、静かに息を吐き始める。二十五秒か三十秒、そのままの姿勢を崩さずに吐いて、体中の隅々の息を吐き切ったと思ったら、さらに足の爪先の息まで吐き出すように、軽く上体を前に倒して、最後の息を静かに吐き出す。吐き終わったら、軽く上体を前傾させたままの状態で、今度は鼻からスウーッと静かに吸い始める。足の爪先から、脚、腰、腹、胸年も半身から順々に思い浮かべ、それらに息を送り込むかのように充分に吸い込んで、体に息を充満させる。ここまで大体二十秒ぐらいかける。充満したと思ったら、上体及び頭を起こし、最後に頭部まで息を吸い入れる。吸い終わったら臍下の一点に心を静めて五秒ほど待つ。その間、酸素はくまなく全身に配られる。そして、また吐き出す。これを繰り返すのである。血液が心臓を出て、体を一巡してまた心臓に戻る時間は二十二秒といわれる。つまり、一呼吸四十五秒ということは、全身から心臓に集まってくる炭酸ガスを一回り分そっくり吐き出して、次に新しい酸素を全身に満たすのに充分な時間である。そのため、気の呼吸法を行うと、全身くまなく酸素が行き渡り、完全燃焼させることが出来るのである。
(4)八正道の心
高橋信次先生が他界されてから30年以上が経過した。しかし、高橋信次先生の教えを忠実に守っている宗教団体は少ない。後継者争いがあり、分裂したからである。私自身も事実誤認して現在に至った。その原因は、正しく見るという八正道の心を見失ったからであると思える。八正道の心が6次元の壁だったのである。つまり、八正道が理解できない人は、6次元の壁は破れないということである。八正道の実践により、誰でもアラハンの境地(菩薩界に入る前のレベル)に到達できる。八正道は無念無想になるのではなく、正しいという基準で自らを反省していく行為である。それゆえ、反省せず無念無想になると地獄霊に憑依されるので注意をしなければならない。
①八正道とは何か?
ブッタが中道への道は八正道以外に無いと悟った。八正道の目的は慈悲と愛の心で自己本位の不調和な見方、生活の誤りを正すことにある。人間が、この世に誕生する目的は、己の心を丸く豊かに育て、この地上界に菩薩界を顕現させることにある。ところが、人間は肉体五官に翻弄され、自我我欲・自己保存の執着に没入し、苦しみを造り出してしまう。本来の神の子の自分に帰るためには八正道しかない。善なる人間としての自覚の生活こそユートピア実現の基礎といえる。
②八正道の目的
八正道の目的は、正法の精神である慈悲と愛の行為、中道の心を養うことにある。八正道に基づく反省的瞑想により生老病死の迷いや煩悩が取り除かれ、神の子としての生活が出来るようになる。八正道を実践出来る事が6次元以上の意識である。逆に言えば、八正道が実践出来ない事は、5次元以下の意識しかないという証明でもある。
③八正道の内容
八正道は正見(しょうけん)、正思(しょうし)、正語(しょうご)、正業(しょうぎょう)、正命(しょうみょう)、正進(しょうしん)、正念(しょうねん)、正定(しょうじょう)の八つの正しい道のことである。
(イ)正見(しょうけん)とは正しく見ることである。
自己中心の立場を捨て、善意なる第三者の立場で物事を見ることである。公平に見ることである。心にわだかまりがあり、自我我欲・自己保存の心から邪見は生まれる。従って、物事を正しく見る為には、既成概念を白紙に戻して、全く新しい立場から物事を見るように努めることである。正見の目的は、①感謝の心を持つ。②事象の一切の原因は人の心にあって、現われたことは結果であることを理解する。つまり、原因と結果の関係を知ることである。③既成概念を白紙に戻し、物事の真実を知るようにする。つまり、真実から目をそらさないで勇気を持って真実を知ることである。④第三者の立場に立ち、自我(エゴ)の思いを捨て、正しく見る努力をする。⑤人間神の子としての目で全てを見ていく。
(ロ)正思(しょうし)とは正しく思うことである。
思うことは考えることでもある。思い考えることは創造行為でもあり、自己の運命を良くしたいと思うならば、正しく思うことをしなければならない。不調和な思いは苦しみを多くするだけである。思うことは、行為そのものであることを知らねばならない。
正思の目的は、①自分の非が認められない場合は、相手のために祈ってやる広い心が必要である。②我慢は苦しみを腹の中に詰め込むことであるが、忍辱とは耐え忍ぶことであり、腹の中に詰め込まない。それゆえ、話しても分からない場合は、忍辱の心で相手の心の安らぎと調和を祈ることが必要である。③今日一日の考えや思いを反省し、過失があれば訂正していくことである。正しい思いは、ゆったりとした余裕があり、片寄らない心から生まれる。
(ハ)正語(しょうご)とは正しく語ることである。
言葉は言霊といって相手に伝わる。言霊は光と音の波動である。それゆえ、心からの言葉は光の波動となって伝わっていく。過ぎたお世辞や横暴な語り方は、光の波動に黒い塊を付着させている為、相手の心を傷つける。売り言葉に買い言葉で町中や電車の中で口論している人は互いに黒い塊を発散させ、それを食べあっている。心に黒い塊を造り出し拡大させている為、病気や怪我をする。相手が怒っても反発してはいけない。反発は自己保存であり、反発する前に自分を第三者の立場で見て考えてから結論を出せば良い。怒った人の言葉は、怒った人の心に帰っていく。第三者の立場で反省し、いわれなきものであれば「可哀想な人だ」と相手を思いやれば良い。言葉が足りない、言葉が過ぎるというのは感情が入るからである。それは、心の底に慈悲と愛がないからである。慈悲と愛を根底として言葉を発するようにしていれば、不足の言葉があっても相手が補ってくれる。心に愛があれば、言葉以前の言葉が相手に伝わり、こちらの意思が正しく伝わっていく。正語の目的は、愛の言葉を語ることである。心に愛があれば、相手に正しく伝わる。
(ニ)正業(しょうぎょう)とは正しく仕事をすることである。
現在の社会生活は、それぞれが業務を分け合い、互いに生活を補い合い助け合っている。私達が仕事をし、働くことは、自分の生活を維持し人々の生活を支えることである。仕事をし、働くことは、他を生かすことだから愛の行為なのである。正業のあり方は、地上界の調和に役立てることであり、愛であり奉仕の心である。正業の目的は、①心を開き、魂を豊かにすること。②地上の目的は、魂を磨くこととユートピアを実現することである。前世の職業が今世につながっている人もいるが、全く違った職業を持って今世を送る人も多い。人生の目的を自覚し、中道の心を知れば、足ることを知った生活ができる。大事なことは、獲得した利益をどのように配分するかである。自分だけに使うのか、家族や従業員に分け与えるか、不幸な人々に愛の手を差し出すかどうかである。足ることを知った生活環境は、相互扶助、愛に満ちた世界である。③職業を通じて人々との調和を図ることである。④菩薩行(人のために奉仕すること)が出来ることである。仕事を金儲けの手段と考えてはいけない。
(ホ)正命(しょうみょう)とは正しく生活することである。
正しい生活を送るには、自分のカルマを修正することである。正しい神理に適う各人の心の悟りが社会集団を構成し、その中から調和のとれた相互関係が生まれてくる。全ての不幸の原因は己自身であり、生活の不調和がもたらしたものである。短所は自分の心を騒がし、人の心をも傷つけるものであり、長所は自他共に調和をもたらす性格といえる。長所を伸ばし、短所を修正することが正命の目的である。正しい生活は、自分自身の調和から始めなければならない。欠点を修正するに第三者の立場から自分の心を思うことと考えることの視点から反省することである。正しい生活とは中道の物差しで、自分のカルマを修正し、中道に適った生活をすることである。正命の目的は、①調和ある精神的・肉体的生活が目的である。②自分の長所と短所を見極め、カルマを修正する努力をすること。短所は自分を孤立させ、自分の運命を不幸にしていく。正しい生活は自分の短所を長所に変えていくことから始まる。③自己中心から離れ、物事に片寄らない正しい生活をすることである。
(へ)正進(しょうじん)とは正しく道に精進することである。
私達は両親の愛、兄弟姉妹の協力、隣人・友人の助け合いの中で生活している。正しく道に精進するとは、私達が複数という社会の中で他を生かし助け合っていくことによって魂を進化させることである。正進の目的は、①対人関係と地上の環境を整備し調和させることである。この世に生まれた魂の修行の機会を与えてくれた両親を安心させるような人物に成長することである。夫婦にしても前世で夫婦であることが多い。そのため、互いに助け合う愛の環境を造ることが大事である。動物・植物・鉱物・資源を整備し活用していくことも必要である。②人間関係を調和させるには、他を生かし助け合う愛の心が必要である。人間関係とは夫婦・親子・兄弟姉妹・友人・隣人そして個人と社会の関係をいう。夫婦関係は、互いに足りないものを補い合い良き子孫を育て上げていくこと。親子関係は、過去世の縁によって生じたもので、親は子を慈しみ、子は親を敬うのは当然である。兄弟姉妹は互いに向上し合う切磋琢磨する関係であり、友人は社会生活の協力者である。
(ト)正念(しょうねん)とは正しく念ずることである。
念とは思い願うエネルギーにことである。私達の想念は、すべて記録し保存されているが、不調和な念は反省することによって改善されるのである。反省は神が与えた慈悲である。地球そのものも神の体の一部であり、大神殿であるから、正しい念は必ず守護霊に通ずる。守護霊は魂の先祖のことであり、肉体先祖の霊ではない。本体1、分身5の生命の構成は変わらない。守護霊は変わることなく、一生を見守り続ける。「守護霊は変わる」といっている霊能者は、偽者であると断言できる。変わると言っている霊能者は、自分自身が動物霊や地獄霊に憑依されているからである。神社仏閣の中には霊域の高い場所もあって、実在界の諸天善神(ケル・ビム)が常に連絡場所として一念が現象化される場合もある。しかし、神社仏閣はどこでも霊域が高い所だと信ずることは危険であり、不幸を呼び込むことも有り得る。それゆえ、神社に光の宮柱が立っている所だけ参拝することをお願いしたい。
高橋信次先生は「日本の神道について少しも触れていない」との質問に対して、「今、神道のことを書くと日本人は神社神道のことだと思っているから誤解する人が増える。国粋主義の右翼が騒いで危ない。古神道の神理は正法である。」と語った。正念の目的は、念の方向が自分本位であればあるほど苦悩が多く、心にカルマを造ってしまう。人の幸・不幸の分かれ目は、心の中で思うこと念ずることによって決定されていく。正しい目的意識を持って念ずることが大切である。信仰のある祈りが正念である。
(チ)正定(しょうじょう)とは正しく反省することである。
正定のあり方は日常生活における正しい想念で生活が行えることである。正道に反したことは神に詫び、明日からは二度と同じ失敗を繰り返さないように努力することである。正 定の第一歩は禅定という反省的瞑想であり、次に禅定の心がそのまま日常生活に生かされていくことである。正しい神理の実践生活の中で定に入ることにより、私達の体が宇宙大に拡大され、宇宙即我の境地となり、神と調和され、心の安らぎを味わうことが出来る。イエスは愛を説き、その罪を懺悔する事であると言っている。ブッタは6年の苦行の末、36年間の過去を反省し、一切の苦しみというものは自分が造り出し、苦しみから開放されるには苦しみの原因を造らないことだと発見していく。反省した時に間違いを発見したならば、その間違いの原因はどうして起こったのか追求していき、苦しみの原因を取り除くことである。正定の目的は、反省によって心が安定し、不動心が養われてくる。不動心が日常生活の中に生かせなければ正定の目的は半減する。正定には1から9の段階がある。
1段階→反省
2段階→反省後の心の統一
3段階→守護霊・指導霊との交流
4段階→守護霊・指導霊との対話
5段階→5次元レベルの瞑想
6段階→6次元レベルの瞑想
7段階→菩薩レベルの瞑想
8段階→如来レベルの瞑想。これは、座していながら外界の動きが手に取るように分かってくる境地である。(如心の境地)
9段階→ブッタ・イエス・モーセの瞑想。これは神と直接交流できた人の境地である。
過去世の修行により、今世でも徳を積むことにより、誰でも6次元レベルの瞑想までは上
がれる。しかし、それ以上になる難しいといわれている。
④八正道の活かし方
-
冷静であること。善意な第三者の立場で物事を見ること(正見)
-
親切であること。愛を心で思い念じ語り自己中心の立場から離れること(正思、正語、正念)
-
感謝報恩の行為をする。人々の協力で社会も個人も成立していることを知り、奉仕と協調の心を忘れないこと(正業)
-
カルマの修正をする。長所を伸ばし、短所を修正し、人々と手を取り合って生きること(正命、正進)
-
反省する。中道の尺度で一日の言動、心の動きを反省し、想念の浄化・修正に努力を続ける。反省後の瞑想は心と肉体のバイブレーションが神に近づき、スッキリした気持ちになる。その気持ちで一日の生活を送ること(正定)
第4節 心の資本
(1)心の資本は光子量の蓄積度を示している。
心の資本は、心の資産から心の負債を控除した光子量の蓄積状況を表わしている。つまり、心の資本は3つのケースに分類できる。
心の資産>心の負債・・・・・・光子量がプラスのため、天上界へいける。
心の資産=心の負債・・・・・・精霊界へ行く。
心の資産<心の負債・・・・・・光子量がマイナスの為、地獄界に行く。
(2)スウェデンボルグの霊界探訪
4次元以降の世界については、スウェデンボルグが「霊界探訪記」で詳細に記載されている。スウェデンボルグは「この世」と「あの世」の関係を次のように表現している。「この世とは、霊界という広大な空間の中にポッカリと浮かんでいる一つのゴムマリのようで、このゴムマリである「この世」の周囲は、全て霊界で取り囲まれている。実は、ゴムマリの中(この世)だけは例外的に物質界と霊界の二つの世界が同じ空間に共存している。空間の性質が違うだけである。死後の世界(霊界)は、「この世」の背後にピッタリと寄り添って実在している。「この世」の人の意識も霊界へ影響を与えているが、それ以上に霊界のエネルギーは「この世」に強く干渉している。霊界全体から見れば、物質界の方が特別な世界である。人間が死後に自分の霊質に合致した霊界に入る。人間であった時の意識と記憶のままに死後の世界を決めてしまうのである。「この世」での肉体生活の精神成長レベルによって自分が適応する霊界レベルへの割り振りが確認される。」
スウェデンボルグが言っている霊界とは、広義の意味での表現であり、4次元以降の世界を霊界と表現したものである。実際には幽界、霊界、神界、菩薩界、如来界、宇宙界の段階があり、光子量によって自動的に決定されている。さらに、スウェデンボルグは、人間が死んで最初に行く場所が精霊界であるとして次のように言っている。「人間は死後、ただちに霊となるわけではなく、いったん精霊となって精霊界に入った後、そこを出て霊界へ入り、永遠の生を送る霊となる。精霊界は人間界と多くの点でそっくりなので、自分がまだ人間として生きているのだと錯覚する精霊が多い。そういう精霊達を霊界の経験豊富な先輩霊が教えることになっている。そして、人間として生きてきたことの映像が再現され、次第に霊としての自覚が出てくる。善良な霊は、美しい心の姿が光り輝き始めるが、凶悪であった人間の場合は、醜い姿を曝け出すことになる。」光子量がプラスで多量にある場合は、5次元霊界以上に移動できる。光子量がマイナスの場合は、黒くなっているので地獄界にしか行けない。スウェデンボルグは霊界の太陽のことを次のように語っている。「霊界の太陽は霊界全体にエネルギーを与え、全ての生命を維持させている。眼に見えないが霊流という特別なエネルギーを放っている。霊流こそ霊たちの霊能力の元になっているのである。つまり、全ての霊も霊界も霊界の太陽なくしては存在できないのである。霊界の太陽は、その光で霊界を照らして、霊たちに物を見せ、また物を考える理性の基礎であり、そのエネルギーは霊たちに生命を与えている。その上、霊流を霊界全体に放ち、霊界全体の秩序を保ち、霊特有の霊的能力の根元である。」霊界の太陽とは、9次元宇宙界の真のメシアであるエル・ランティーのことである。エル・ランティーが太陽系霊団の秩序を維持しているのである。スウェデンボルグは地獄についても次のように語っている。「地獄は実在していた。あくまでも霊界の中の一つの世界としての地獄である。暗い穴倉のような通路を下りていくと、霊界と同じような広大な世界があるが、怪奇な姿をしているし、我慢できない異臭がする醜い世界である。全ての凶霊たちが地獄の責め苦にあえいでいる。下に降りる程、それが醜悪な地獄となっている。地獄に行く精霊は、人間界にいた時、物質的欲望、色欲、世間的名誉欲、支配欲といった人間の外面的・表面的な感覚を喜ばすことのみに心を用いて、本当の霊的な事柄を極端に蔑ろにした者達なのである。彼らは、霊的事物に全く眼が開かれなかった為、精霊界に入っても開かれない者が多く、精霊としての心は霊界の太陽の光や霊流を自分の内部に吸収できないのである。彼らは、地獄界の火に心を魅かれ、凶霊たちに親しみを感じるようになり、結果として彼らは自分の希望する通り、地獄界に入って行くのである。地獄霊の生命の源は彼ら自身の欲望であり、欲望が彼らの光なのである。」しかし、霊界の真の力の源泉は霊界の太陽であり、地獄界の凶霊といえども霊界の太陽こそが生命の根元であることは間違いない。
(3)悟り度チェック
これが最後のチェックです。現在の自分の心境に該当しているものに○を付けて下さい。
-
闘争心、怒る心、謗る心、妬みが強い。
-
金銭欲が強く、この世に未練や執着を持ち、足ることを知らない。
-
情欲のみで他人より自分だけの欲望の心が強い。
-
他人の心を踏みにじり、多くの人々を犠牲にして、反省がない。
-
多くの人々を犠牲にして、我欲を果たした。
-
神仏を信じ、不調和な考え方は無く、反省できる。
-
人間として自分に足ることを悟った。
-
肉体行をし、神理を悟ったが、自己保存が強い。
-
肉体行により自分自身を悟っているが、慈悲がない。
10、神理を悟り職業を通して社会的に貢献している。
11、問題解決行為の実践ができる。
12、八正道の実践ができる。
13、6次元の意識が理解できる。
14、神理を悟り、慈悲と愛の教えを伝道する行為をしている。
15、霊道を開き、いながらにして外界の状況が分かる如心の境地を体験している。
16、宇宙即我の境地を体験している。
17、霊子(心)を発見している。
(採点基準)
-
修羅界の意識であり、マイナス10.
-
餓鬼界の意識であり、マイナス10.
-
動物界の意識であり、マイナス10.
-
煉獄地獄の意識で偽善者、エゴイスト、狂思想家などがいる。マイナス20.
-
無間地獄の意識で恨みの想念が晴れるまで無限に苦しまなければならない。マイナス30.
-
4次元の意識であり、プラス10.
-
6次元の意識であり、プラス10.
-
天狗界の意識であり、マイナス7.
-
仙人界の意識であり、マイナス3.
10、5次元の意識であり、プラス10.
11、6次元の意識であり、プラス10.
12、6次元に意識であり、プラス10.
13、6次元の意識であり、プラス10.
14、7次元の意識であり、プラス10.
15、7次元の意識であり、プラス10.
16、8次元の意識であり、プラス10.
17、9次元の意識であり、プラス10.
(判断基準)
プラス 81~100 8次元如来界
61~80 7次元菩薩界
21~60 6次元神界
21~57 仙人界
21~53 天狗界
11~20 5次元霊界
0~10 4次元幽界
マイナス 10~80 地獄界
第2章 自我(エゴ)の分析
(1)自我(エゴ)の分類
陽性のエゴ→自我我欲→我儘・・・楽観的思考(プラス思考)
積極的・外向的な自我我欲→自信家・・・対策(聞く行、同伴の行、陰徳の行、思いやりの行、譲与の行)
自分の人生は「それなりのものである」と胸を張れる。(自信過剰)
自分がやりたいようにやりたい。(我儘)
自分はやり手であると思う。(自信過剰)
自分の立場が上がったり、世間に認められたりすることに、充実を感じてきた。(地位と名誉)
「自分にさせてくれればもっと出来るのに」とよく思う。(誇大妄想)
人に負けるのは絶対に嫌である。(ワンマン、支配欲)
歴史上の人物(英雄、天才、奇才)に憧れる。(誇大妄想、支配欲)
いつも自分が中心でないと気持ちが悪い。(我儘)
消極的・内向的な自我我欲→怠惰者・・・対策(率直に語る行、回帰の行、持続の行、刻印の行、収斂の行)
問題がないことが重要であり、無風であることが平和である。(日和見的、大勢順応的)
自分の人生を振り返って「とりあえず平和な人生だった」と思う。(日和見的)
人から「ボーッとしている」と言われることがある。(注意散漫)
「自分は温厚な性格である」と思っている。(自己中心、人を信じやすい)
人に嫌われる事が嫌なので、率直に意見することが出来ない。(人の顔色を見る。嫌われたくない。)
いつも自分を守ってくれる人がいた。(甘え)
何かを実現することよりも、皆が和気藹々として楽しいことが重要である。(外面的興味)
自分には、それほど強い執着がないと思っている。(飽きやすい、移り気)
陰性のエゴ→自己保存→我慢・・・悲観的思考(マイナス思考)
積極的・外向的な自己保存→被害者・・・対策(和願愛護の行、内省の行、献身の行、調御の行、心を開く行)
人から苦言を呈され、それが理不尽だと感じると、怒ったり、開き直ったりする癖がある。(敵愾心)
父や母に対して許せない想いがある。(暗い、敵愾心)
すぐに理不尽な気持ち(被害者意識)に襲われる。(内向的、人を信じない)
「人間には表と裏がある」と言う気持ちが強い。(人を信じない、悲観的思考)
人から怖いとよく言われる。(敵愾心)
人生を振り返って、どうしても許せない人がいる。(敵愾心、人を信じない)
「怒り」がすぐ顔や態度に現われてしまう。(怒ると心が晴れない)
「屈しないことが強いことである」と思う。(意志が強い)
消極的・内向的な自己保存→卑下者・・・対策(持続の行、止悪の行、挑戦の行、喚起の行、貢献の行)
何かあると、すぐ落ち込んでしまう。(暗い、閉鎖的)
自分の人生を振り返ると、失意の念に苛まれる。(閉鎖的、孤独)
「人から何か言われるのではないか」といつもびくびくしている。(閉鎖的、人を信じない)
「一生懸命ならば、出来なくても仕方がない」と思う。(内向的、おとなしいが強情、意志が強い)
失敗することが怖いので、逃げてしまうことが多い。(現実逃避的)
「自分はどうしようもない」と自己否定してしまう。(内向的、閉鎖的)
「自分なんか出来ない」と最初から諦めてしまうことが多い。(現実逃避的)
「迷惑をかけるくらいなら、何もしないほうがましである」と思う。(現実逃避的)
(2)自我(エゴ)対策
1.自信家対策
聞く行→自分の言いたいことよりも、相手が伝えたいことに耳を傾ける。
同伴の行→相手と同じ目の高さで、一貫して相手を優先して関わる。実際に一緒に物事に取り組んでみる。
陰徳の行→見えないところで他人や全体のために心を尽くすこと。陰で徳を積むこと。
思いやりの行→相手のことを中心に想い、いつもその念を送り尽くすこと。相手の立場で考えてみる。
譲与の行→相手のために自分の時間や能力を使う。積極的に周りの方のために自分が損だと思うことをしてみる。
2.怠惰者対策
率直に語る行→自分の本当の気持ちや本心を言葉にして相手に一生懸命伝える。
回帰の行→「今、自分は本当に何を大切にしなければならないのか」と心に尋ねる。自分の確信に基づいて仕事をする。
持続の行→本当に必要なことを一つ決めて、そのことについて、ずっと持続的に行っていく。
刻印の行→失敗を刻印する為に「私は、こういう形で失敗した」と紙に記録し、「自分は絶対に失敗しない」と願いも同時に書く。
収斂の行→意識を一つのことに集中していく。自分の中で目的を確認し、その目的に対して意識を集中させていく。
3.被害者対策
和願愛護の行→隣人を愛する気持ちで全ての人を平等に思い、大切にする気持ちで全ての人に出会うこと。
内省の行→他人や事態を責めたり非難する前に自分を見つめ振り返ること。
献身の行→誰かのために身をもって尽くすこと。小さなことでも良いから具体的に何かをしてあげること。
調御の行→感情をコントロールし、怒りや不満の想いを深呼吸して鎮め調御する。
心を開く行→不信感や孤独癖を自らが砕いて、相手に心を開き、新たなる信頼関係を築いていく。
4.卑下者対策
持続の行→自分が主体的に行い、それが成就するまで自らの責任を持って行い続けること。
止悪の行→自分では意識しないうちに周囲が愚痴をこぼしたり、自分の心の中にある諦めの想いや虚無感を言葉にして外に出さないこと。
挑戦の行→諦めず、少し高いハードルにも身を投げ入れて取り組んでみる。本当に自分が大切にしたいことや願いは自らの心に問い、そのために「何としてでも実現しよう」と心の中心に念じ続けること。
喚起の行→深く大きく深呼吸して「頑張れ」と喚起してみる。諦めないで、この願いを持って向かっていく。
貢献の行→自分の方から相手の方に出かけて貢献する。自分の方からなにが必要なものがないか探してみる。
(あとがき)
1、「ヨハネの黙示録」の解読は日本人にしか出来ない。
「ヨハネの黙示録」の解読はヨーロッパを中心に行われてきた。欧米人は表意文字を使い、その文化はギリシャを発祥とする自然科学に基礎を置く。西欧文化圏の人間が象徴と比喩を日常的に使うアジア文化圏の記録を解読してきた為、理解できなかったのである。「ヨハネの黙示録」の解読に最も適した民族は日本人ということになる。
2000年前、ヨハネの黙示録を書き送った7つの教会の人々にとって、その内容は比較的容易に理解できた。彼らはアジア文化圏の人々であり、何度も12使徒から指導を受けていたからである。イエス・キリストは自らを天の父の子であると表明することで、天上界の三神構造を明らかにして、受胎前の自分を絶対神ヤハウェだと宣言した。当時のユダヤ人にとって許しがたい冒涜であり、サンヒドリン(国会)を構成した権力者はキリストを磔刑に処した。「三位一体」を標榜するカトリック教会やプロテスタント教会も三神を中核とするカッバーラの奥義から外れている。「三位一体」とは父と子と聖霊が同一の存在だということで、ユダヤ教の唯一神と同じことを言っているに過ぎない。これは、「生命の樹」からも明らかに間違いである。神は別々に3柱存在する。イエス・キリストもその事を明らかにした。キリスト教会が定義する三位一体には大きな矛盾がある。だから多くのキリスト教会は未だに黙示録を解読できない状態にある。カッバーラの奥義は「三位三体」である。古事記では「造化三神」、日当ホームページ紀では「元初三神」と表記している。日本はカッバーラが連綿と伝えられた国である。神道はイエス・キリストが生きていた頃の原始キリスト教に最も近い宗教である。神道の最高神は天照大神であり、天照大神の岩戸隠れの記述はイエス・キリストの磔刑である。
2、ホピ族の「聖なる石板」は、もう一つの聖書である。
「ユダヤの木である聖書の外に別のエフライムの木である聖書がヨセフの直系から出てくる」という預言がある。イエス・キリストは復活後、ユダヤの地でない別の場所に降臨したと思われる。それは、古代アメリカ大陸である。そこには、マヤ文明やインカ文明があり、ケツァルコアトルという絶対神が天から降臨し、救いの教義を伝えて再び天に戻ったと伝えられている。ネイティヴ・アメリカン(インディアン)は失われたイスラエル10支族の一つでヨセフの末裔である。その古代アメリカから聖書と同格の聖典が世に出て聖書と一つになるという預言が「エゼキエル書」の一節にある。その書は原始キリスト教徒によって見付け出され、世界中に知れ渡る。聖書の預言どおり2つの木から出た聖典は一つになる。
アメリカ南西部の4州(コロラド州、アリゾナ州、ユタ州、ニューメキシコ州)が変わる地域に未来の記録を世が終わるまで守護するよう絶対神から委ねられた人々がネイティヴ・アメリカンであり、その名をホピという。ホピが守っている「聖なる石板」の謎をすでに飛鳥昭雄氏は解読している。(参照:飛鳥昭雄・三神たける著「木星大赤斑の謎とベツレヘムの星」学研)
ネイティヴ・アメリカンはモンゴロイドであり、日本民族と同じアジア系人種である。インディアンたちはユーラシア大陸からやって来たのである。最古のインディアンであるホピの伝承は、日の昇る方向に向かって船をこぎ続け、アメリカ大陸へとやって来たという。ホピの預言は世界の終末を示しているが要約すると次のようになる。
-
白い肌の人間が大陸に来て雷で敵を打つ。→コロンブスの新大陸発見と銃による白人の虐殺行為。
-
声で満ちる糸車が押し寄せる。→白人の幌馬車による西部開拓の始まり。
-
バッファローに似た角の長い獣が現れる。→白人が連れてきたホワイトヘット種の牛のこと。
-
鉄の蛇が大平原を疾走する。→アメリカ大陸の東部と西部を結ぶ大陸横断鉄道が完成する。
-
巨大な蜘蛛の巣が大陸を覆い尽くす。→アメリカ中に電線が蜘蛛の巣のように張られた。
-
大陸中に石の川が現われ交差していく。→アメリカ全土にコンクリートとアスファルトのハイウェーが走る。
-
海洋が黒く変色し、多くの生物が死滅する。→環境破壊を預言したものであるが、まだ成就していない。(第2の天使がラッパを吹いた時に現われる現象である。)
-
大勢の長髪の若者が支族に加わり、ネイティヴ・アメリカンの古代記録を知る。→世界の終わりを察知した人々が、ホピを含めた古代アメリカの聖典を求める。ホピ族の石板の謎は全て解き明かされ、重要な預言と教えが世界中の人々の前に示される。
-
天の住居が定まった後、青い星が出現する。→太陽系第12番惑星ヤハウェはベツレヘムの星として出現した時は真っ赤な色をしていた。しかし、2000年間で変色し、真っ青な色になっている。それゆえ、青い星は惑星ヤハウェではないかと考えられるが、そうではない。木星から新しく誕生する太陽系第13惑星ケツァルコアトルである。ケツァルコアトルとは古代メキシコの白神で地上に戻ってくると約束した絶対神である。ケツァルコアトルは誕生して8日以内に地球に超接近することになる。これにより、未曾有の天変地異が引き起こされることになる。ケツァルコアトルはイエス・キリストである。イエス・キリストは白い兄弟パハナとして、失われた石板の一部を携えてホピ族の前に現われるはずである。
-
ホピ族の預言壁画と石板の謎についての概要
①ホピ族の預言壁画
神聖なる巨大な岩に絵が刻まれている。この線刻画は絶対神マサウの預言を描いている。マサウは人間が生活していくにあたり、いくつかの戒めを与えた。これらの戒めを守れば祝福を与え、人々は幸福で繁栄する。しかし、守らなければ破壊が待っているという。
一人の人物が描かれている。これが絶対神マサウである。右手に大きな斧、左手に一本の樹を持っている。ホピ族の人々は「生命の道」と呼ぶ。「生命の道」とは人類が進むべき道を示している。「生命の道」を上昇すると道は二股に分かれる。上に道は破滅の道であり、下の道は繁栄の道である。下の道は永遠の生命へと至る道における出来事を示している。イエス・キリストが誕生し、十字架に磔となり、3日後に復活したことが示されている。最後にイエス・キリストの再臨があり、イエス・キリストの再臨により、地上の悪は一掃され、平和な至福千年王国が到来すると示されている。上の道に描かれた4人の人物はメルカバーの4人の天使である。4人の天使は人間の三分の一を殺す為に解き放たれた為、堕落した人々を虐殺するために用意されている天使である。ホピ族の預言壁画の4人の人物が暗示するのは4つの世界大戦を示している。「生命の樹」を手にしているマサウは「生命の樹」を手にしているイエス・キリストを意味している。
②石板の謎
絶対神はホピ族に聖なる石板を与えた。その数は全部で4枚である。1枚は火族に与え、残る3枚は熊族に与えた。マサウが与えた火族の石板は、その一部が欠けている。それは、マサウが引き裂き、それを白い兄弟パハナに与えたからである。パハナは石板の一部を携えて、東の海へと船で旅立った。いつの日かホピ族が迫害され、世の終わりが近づいたとき、パハナがやってきて、欠けた石板を修復し、ホピ族を解放するのだという。火族の石板は「生命の樹」を示していた。熊族の石版は熊族に課せられた使命が重いことを物語っている。特に熊族の第3石板は、この世は閉じられた世界であり、どこまで行っても人間の世界であることを示している。6人が股間に両手を当てていることから人間の世は6000年間続くことを示している。失楽園からイエス・キリストの誕生・死・復活までがやく4000年。イエス・キリストの誕生・死・復活から現在までが約20000年。よって、失楽園から計算して現在が6000年前後に当たる。最初の6000年間が「星の輝き」、至福千年王国が「月の輝き」、そして至福千年王国が終わった時、地球そのものが終わりを迎え、「太陽の輝き」の時代へと突入することが示されている。
3、「ヨハネの黙示録」は来るべき二者択一の時の「道しるべ」を示していた。
現在の日本はアメリカの属国同様であり、アメリカの世界戦略の中にどっぷりと首まで浸かった状態である。それゆえ、日本の自衛隊もイスラエルのメキドへ向かうことになる。グローバル化の終着点はアメリカであり、未来の世界政府へと繋がる。世界総統の席に座る男は、最初世界の人々から熱狂的に愛され支持される。ところが、途中で豹変する。獣の出現と偽預言者の出現が避けられないなら、選択する道は一つしかない。イエス・キリストに従うしかないのだ。今後、バチカンを中心とする「世界宗教会議」は平和の名の元に宗教の統一へと向かう。一人の法皇に権力が集中する。やがて、法皇は豹変し、世界中の信徒たちに向かって世界総統を褒め称え、世界を救う救世主と宣言する。イスラム原理主義者たちは世界を13世紀に戻すことを「ジハード」の目的と考えている。世界が「ヨハネの黙示録」を無視し、地上に救いを見出せなくなったとき、世界は滅びる。既にメルカバーは降りている。(1999年8月11日のグランドクロス現象は、メルカバーが降りたことを意味している。)もうすぐ来たる二者選択の時に決して道を誤らないようにしなければならない。
4、私の最後の疑問
飛鳥昭雄氏は偽キリスト(海からの獣)の出現がいつなのか明らかにされなかった。そこで、飛鳥氏の説を要約してから私の考えを述べてみたい。
飛鳥氏はアダムのエデン追放がおそらくB・C40000年頃とし、そこから1000年ごとに封印が解かれると考えている。つまり、第1の封印はB・C4000年~B・C3000年、第2の封印はB・C3000年~B・C2000年、第3の封印はB・C2000年~B・C1000年、第4の封印はB・C1000年~紀元元年、第5の封印は紀元元年~A・D1000年、第6の封印はA・D1000年~A・D2000年、第七の封印はA・D2000年~A・D3000年としている。飛鳥氏は第6の封印が解かれたが、まだ地球がひっくり返るような大異変は起きてないという。さらに、第6の封印と第7の封印の間に訪れる半時間ほどの沈黙は、わずか30分そこそこであるというのである。2012年12月22日までに第7の封印による大異変が起こる可能性が高く、その30分後に7つの封印が解かれ、7つのラッパ(7つの鉢)の災いが起こると解釈している。ハルマゲドンは第6のラッパ(第6の鉢)から第7のラッパ(第7の鉢)に起こるとしている。
第1の災いは第1のラッパ(第1の鉢)から第5のラッパ(第5の鉢)までの災いである。第2の災いは第6のラッパ(第6の鉢)と第7のラッパ(第7の鉢)の災いとなる。第三の災いは「ダニエル書」に記されている。「日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられ、これから1290日が定められている。1335日に至るものはまことに幸いである。」
「憎むべき荒廃をもたらすもの」とは海からの獣である。獣が支配するのは1260日(三年半)だから1290日というのは30日の隔たりがある。「日ごとの供え物が廃止され」で獣が完全に支配するに至る予兆と解釈できる。つまり、獣(偽キリスト)が完全支配するまでの約一ヶ月前に予兆が現われるということである。ダニエルは、それを含む1335日まで生きたものは幸せだと記している。悔い改めた者には待ち遠しいが、そうでない者には断頭台への秒読みとなる。二人の証人が「獣につくのか、イエス・キリストにつくのか」ということを突きつけたので、世界中が見守る中で公開処刑された時、世界最大の祭りとして盛り上がる。世界はソドムとゴモラの状態となり、灼熱の業火に滅ぼされるのを待つばかりになる。一方、大天使ミカ・エルが地球を奉献する為に、神の国シオンに降り立ち、イエスの再臨の下地を作る。その後、密かにイエス・キリストが舞い降りて、先に自分の原始キリスト教会(古神道)に姿を表わす。イエス・キリストは原始キリスト教会の本拠がある高い山の上に降り立つ。(京都の船岡山と思われる。)そのことは獣(偽キリスト)も法皇(偽預言者)も世界中の人々も知らない。気付くのは真っ赤な血の衣を着けたイエス・キリストがイスラエルのオリーブ山に舞い降りる時である。地上には神の福音を説くバプテスマを授ける神権を持つ者もいなくなる。主であるイエス・キリストに取り上げられるからだ。斧が振り下ろされ、醜い死の樹はそこに群がる人々と共に切り倒される運命にある。その役目を担うのが殺戮の天使である。切り倒される人々は自らの意思で神から離れ、世界総統を救世主として崇め、その権力の下で生きようとした者達である。神か獣かを選ぶ時、獣を選んだ人々はその責任を自分で取らなければならないからである。
飛鳥氏は第6の封印と第7の封印の間に訪れる半時間を地上界での30分と解釈したが、私は天上界での半時間を地上界での20年に相当するのではないかと考えたのである。(天上界での1日は地上界での1000年に当たると考えられるため、1000年÷24H÷2で約20年とした。)それは、ノストラダムスの言うアンゴルモアの大王を育てる期間ではないかと考えたのである。第6の封印の大異変が2012年12月22日までに起きたとすると、第7の封印が解かれるのは、それから20年後の2032年~2033年と推定できる。さらに、飛鳥氏は21世紀で全てが終わってしまうような書き方をしているが、私は21世紀で人類が滅亡することは無いと考えている。ノストラダムスは諸世紀で次のように預言している。「月の輝きに支配され20年は過ぎ行き、七千年目から別の人々が王国を築くであろう。太陽はその時代には存在せず、これより我が預言も必要なくなるのだ。」(「諸世紀」第1章48節)
この預言が成就するのがA・D3797年であり、人類は生存していることを示している。高橋信次先生は、「大自然の波動と生命」の中で「真の光明に満ちた地上極楽界が生まれる時が来ている。・・・・21世紀の中期から22世紀には神意が実現されていくのであります。」と言っている。それゆえ、人類が21世紀で終わってしまうことは無いと確信している。さらに私は、何故、高橋信次先生が48歳という働き盛りに天上界に帰還されたのか非常に疑問でした。しかし、その疑問はインターネット宗教を知り解消されました。その理由は次のようです。「ソ連が原爆を使う危険があり、原爆戦争になれば地球は破滅してしまう。地球が破滅したら人間の魂の修行の場がなくなるので絶対に破滅させてはならない。肉体を持っていると肉体に制約されて思うように行動できない。だから、肉体を脱ぎ捨てて、あの世に還りあの世からソ連の指導者が原爆のボタンを押さないようにしなければならない。」その結果、1989年5月25日にゴルバチョフがソ連最高会議議長となり、天上界の指導のもとにソ連は1991年12月25日に解体し消滅した。私は、もう一つ理由があったと思っている。高橋信次先生は仏教の観点から正法を明らかにし、ブッタの悟りを現代に蘇えらせてくださいました。さらに、イエスの愛とは何かを説き、真の指導者としての在り方を示されました。そして、キリスト教やユダヤ教の本質をも解き明かそうとしていました。もし、聖書の謎を解き明かしてしまうと聖書の預言にズレが発生する可能性がありました。そのような時に天上界からミカ・エル大天使が降臨し高橋信次としての使命を明らかにし、高次元の秘密を初めて明らかにしたのである。それが、「太陽系霊団の系図」である。ミカ・エル大天使も高橋信次先生がやり過ぎないように帰還を促したと思われる。真のメシアが、いつまでも3次元にいては天上界の秩序が維持できないからである。ブッタの慈悲とイエスの愛を総合した信を説いた時点でミカ・エル大天使が出現したのである。
高橋信次先生は、2753年頃エジプトに転生すると預言された。その頃のエジプトはユートピアになり光や磁気を利用したUFOによって、他の天体に自由に行くことの出来る大宇宙ステーションがアフリカの大西洋岸に出来るという。2753年頃には地球がユートピアになり最も進化した霊達は、この地球での学習を卒業して、他の天体へ生まれ変わって学習することになると預言された。3億6千年前にベータ星からやって来たように、エル・ランティーを中心とした諸如来、諸菩薩達が他の天体に移動することになるということである。イエス・キリストの生命は2153年頃にシカゴに生まれると預言されている。イエスの分身5であるフィリッピンに生まれた心霊手術者のトニーが増長慢となり天上界に戻ってきた為、本体がその修正のために肉体を持つといわれている。また、正法は日本よりもアメリカに広がる為、イエスが誕生するシカゴも正法の受け入れ準備が出来ていると考えられる。このような預言がある以上、聖書の預言が成就するのは21世紀から22世紀であり、人類が滅亡することはないと信じるものである。