高橋信次著 「悪霊1」の要約

 

高 橋 信 次 著 「悪 霊(Ⅰ)」の 要 約

 

(1)はじめに

 

 霊の世界というのは、実際には、日常生活と密接に関係している。夢を見る、直感が働く、以心伝心、噂をすれば何とやら、という事柄は、すべて霊の世界に関係がある。三次元はいわば立体の世界で、光と影の混ざり合った世界である。霊の世界はどうかというと、光と影の明暗がはっきり分かれた世界である。地獄に堕ちた霊人は自分の心を自分で縛っているので、その行動範囲は狭く、ある一定の場所に屯することになっている。例えば、墓とか家とか、自殺者の多い場所にいる。(いわゆる地縛霊になっている。)彼らはこの範囲内の3次元は自由である。

 

 私たちが心の中で、物を考えたり、思ったり、念じたりすることによって、先ほどの霊人たちと関係してくる。私たちの心は、あの世の霊人たちとツウツウなのである。つまり、テレパシーとか、透視とか、読心術、念力などの働きは、霊人たちの作用で起こるものなのである。守護霊が背後で働いて、人の心に示唆を与えたり、力を貸したりするからである。

 

 思うこと、念ずることが正しくないと地獄霊(悪霊)がその人を支配してしまう。正しくない心とは、人を憎む思い、怒り、嫉み、愚痴、中傷、足る事を知らぬ欲望などの想念行為をいう。何故、正しくないかというと、自己保存が主体になっているからである。私たちの生活は自然界の意思に沿って生活することが大事で、他を生かし、助け合う協調互恵の心が必要であり、自己保存ではない。

 

 ところが文明社会の中で育つと、内向的な人は孤独になり、ノイローゼ、精神病になっていく。反対に外交的な人は、唯物思想にかぶれ、物を主体にした考えに陥り、闘争は激化していく。この本で扱っているのは、主に内向的な人たちの姿である。高橋信次先生のところに来てノイローゼから救われた者、病気が平癒した者、様々であるが、その根本は自己保存に基づく怒りや、憎しみが発端になっている。悪霊に憑依されると、元の自分に戻ることは難しい。なぜなら、一度憑依されると、憑依の道筋が出来、その道筋を完全に塞ぐには絶えざる努力と勇気がいるからである。こうした病気にならない人は、憑依されていないかというと、そうではなく、憑依されている時間が短いというだけのことである。つまり、自己保存の強い人は、誰も悪霊の影響を受けており、鬱病にならないものは、躁病の気質を持ち、いつでも病気になりうる要素があるということである。闘争に明け暮れている者の背後には、阿修羅という悪霊がおり、それらが嗾けているのである。